ジョアン・カルロス・ダ・シウバ・コスタ

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この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の)はダ・シルヴァ第二姓(父方の)はコスタです。
ジョアン・カルロス Football pictogram.svg
名前
本名 ジョアン・カルロス・ダ・シルヴァ・コスタ
João Carlos da Silva Costa
ラテン文字 João Carlos
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1956-01-15) 1956年1月15日(61歳)
出身地 リオデジャネイロ
監督歴
チーム
1995 ブラジルの旗 CAブラガンチーノ
1996-1998 日本の旗 鹿島アントラーズ
1998 ブラジルの旗 アトレチコ・パラナエンセ
1999 ブラジルの旗 アラサトゥーバ
1999  ブラジルユース代表
1999 ブラジルの旗 ウニオン・サンジョアン
1999-2001 日本の旗 名古屋グランパス
2001 日本の旗 セレッソ大阪
2002 ブラジルの旗 フラメンゴ
2003 日本の旗 コンサドーレ札幌
2005  ジャマイカ代表
2006 ブラジルの旗 アメリカ-SP
2007 サウジアラビアの旗 アル・ターイ
2007 ブラジルの旗 CRB
2008 ブラジルの旗 トゥピFC
2008 ブラジルの旗 CRB
2008-2009 ブラジルの旗 チグレス・ド・ブラジル
2011-2012 南アフリカ共和国の旗 オーランド・パイレーツ
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジョアン・カルロス・ダ・シルヴァ・コスタ(João Carlos da Silva Costa、1956年1月15日 - )は、ブラジル出身のサッカー指導者。鹿島アントラーズなどの監督を歴任し、Jリーグでは通算で4冠を獲得している。なお、サッカー選手としての経験は全く無く、指導者としてのキャリアの最初はフィジカルコーチである。

来歴[編集]

鹿島アントラーズ時代[編集]

1996年エドゥージーコの実兄)の後を受けて鹿島監督に就任。なお、ジーコは同時に鹿島のテクニカルディレクターに就任している。1998年のシーズン途中で辞任するまで2年半監督を務める。

1997年は年間王者こそ2ndステージ優勝のジュビロ磐田に譲ったものの年間勝ち点の合計では1位であり、2005年の制度であれば年間三冠である。1998年、主力選手の一人であったジョルジーニョとの確執がきっかけで辞任。

名古屋グランパスエイト時代[編集]

1999年、名古屋のこの年4人目の監督(代行も含む)に就任。後は連戦連勝。チームは天皇杯を制する。

しかし、2000年は選手層が薄くなったこと、主力に怪我人が続出したこと、そして大岩剛望月重良平野孝小倉隆史との確執(後に3選手は解雇、小倉は3月に市原に移籍後オフに0円提示を受け退団)が原因で思うような成績があげられなかった。 2001年のシーズンファーストステージでは3位という成績を残したが、再び、主力選手との確執が原因で解任される。

セレッソ大阪時代以降[編集]

J2降格の危機に瀕していたセレッソ大阪の監督に就任し、J1残留を託される。しかし、リーグ戦3試合を残してJ2降格が決まり降格直後に辞任する。後任の西村昭宏が残りのリーグ戦を全勝で終え、天皇杯は準優勝となる。

その後、2003年にはこの年からJ2に降格したコンサドーレ札幌の監督に就任するが、名古屋時代の確執から就任を待たず小倉隆史が退団、ブラジル人を3人揃えた外国人選手も確執などからシーズン中盤で総入れ替えになり、チームも低迷、シーズン途中で辞任となった。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]