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望月達也

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
望月 達也
名前
カタカナ モチヅキ タツヤ
ラテン文字 MOCHIZUKI Tatsuya
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1963-04-20) 1963年4月20日(61歳)
出身地 静岡県静岡市清水区[1]
身長 167cm
体重 66kg
選手情報
ポジション MF
ユース
1979-1981 日本の旗 清水東高校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1982-1985 オランダの旗 HFCハールレム 3 (0)
1986 オランダの旗 テルスター 0 (0)
1986-1990 日本の旗 ヤマハ 28 (0)
通算 31 (0)
監督歴
2007 日本の旗 ベガルタ仙台
2018-2020 日本の旗 ラインメール青森FC
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

望月 達也(もちづき たつや、1963年4月20日 - )は、静岡県出身の元サッカー選手・指導者。

来歴

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選手時代

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清水東3年時の高校選手権、FW沢入重雄やMF反町康治らと共にエースとして活躍したが準優勝に終わる。

当時の高校選抜のメンバーとしてヨーロッパ遠征に参加した際、オランダサッカー協会コーチであったハンス・オフトに見初められる。卒業後の1982年6月にオランダに渡り、同年7月にエールディヴィジ(オランダ1部)のHFCハーレムにアマチュア契約で入団。第4節アウェイのフローニンゲン戦、69分から途中出場でデビューを果たすも、82-83シーズンは2試合(途中出場計37分)の出場に留まった。翌83-84シーズンは第10節ホームでのAZ戦で初先発を果たし70分までプレーしたが、以降エールディビジでの出場機会には恵まれなかった。1986年にエールステ・ディヴィジ(オランダ2部)のテルスターとプロ契約を結ぶ。日本人では奥寺康彦尾崎加寿夫風間八宏に次いで4人目の欧州プロ選手となった。

1986年、5シーズンを過ごしたオランダを離れ、日本へ帰国。ヤマハ発動機サッカー部(現・ジュビロ磐田)に入団。期待されるも、故障などでMFとして目立った活躍は出来ず、晩年にはSBとしてプレーし、1990年、27歳で現役引退。

指導者時代

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1990年6月からヤマハサッカースクールコーチ、1991年6月からヤマハ発動機コーチ[2]

1994年から2001年までジュビロ磐田に所属(ユースコーチ、サテライトコーチ、ジュニアユース監督、ユース監督、スカウト担当を歴任)[2]

2002年-2003年にはアビスパ福岡に所属し、主に下部組織のコーチ・監督を務める。

2004年からは湘南ベルマーレに移り、2005年はトップチームコーチ。2006年にはベガルタ仙台に移り、トップチームのヘッドコーチを務める一方、サテライトチームの監督も務めた。

2007年、仙台の監督に就任。初めてクラブのトップチーム監督として指揮を執るようになる[3]。終盤までチームを昇格争いに絡ませたものの、最終順位は4位。惜しくもJ1昇格に導くことは出来なかった。シーズン終了後、チームをJ1に昇格させられなかった責任から退任。退任後の2008年、フロントからの要請もあり「クラブスタッフ」としてクラブに残留。スカウト活動をはじめ、スポンサー周り、下部組織の指導・支援などを行い、現場の外からチーム強化に携わったが同年終了を以って退団。

2009年4月、清水エスパルス強化育成本部本部長・強化部部長に就任し、2011年シーズン終了まで務めた。

2012年川崎フロンターレのトップチームコーチに就任[4] し、2014年まで務めた[1]

2015年ヴァンフォーレ甲府のヘッドコーチに就任[5]

2017年JFLラインメール青森FCの監督に就任[6]し、2020年まで務めた[7]

2021年5月19日、川崎フロンターレのアカデミーダイレクターに就任すると発表された[8]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1986-87 ヤマハ 29 JSL1部 19 0
1987-88 8 5 0 0 0
1988-89 4 0 0 0
1989-90 0 0 0 0
通算 日本 JSL1部 28 0
総通算

指導歴

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  • 1990年 - 1993年 ヤマハ発動機
    • 1990年6月 - 1991年5月 ヤマハサッカースクール:コーチ
    • 1991年6月 - 1993年 ヤマハ発動機コーチ
  • 1994年 - 2001年 ジュビロ磐田
    • 1994年 - 1995年 ユースコーチ
    • 1996年 サテライトコーチ
    • 1997年 ジュニアユース監督
    • 1998年 サテライトコーチ
    • 1999年 - 2000年 ユース監督
    • 2001年 スカウト担当
  • 2002年 - 2003年 アビスパ福岡
    • 2002年 ユース統括
    • 2002年8月 監督代行
    • 2003年 ユース監督
  • 2004年 - 2006年 湘南ベルマーレ
    • 2004年 サテライト監督
    • 2004年7月 - 9月 監督代行
    • 2005年 コーチ
  • 2006年 - 2008年 ベガルタ仙台
    • 2006年 :ヘッドコーチ兼サテライト監督 (途中1試合のみトップチーム監督代行)
    • 2007年 監督
    • 2008年 クラブスタッフ
  • 2009年 - 2011年 清水エスパルス
    • 2009年4月 - 2010年 強化育成本部本部長・強化部部長
    • 2011年強化育成コーディネーター
  • 2012年 - 2014年 川崎フロンターレ
    • 2012年 - 2014年 コーチ
    • 2012年4月 監督代行
  • 2015年 - 2017年 ヴァンフォーレ甲府 ヘッドコーチ
  • 2018年 - 2020年 ラインメール青森FC監督
  • 2021年 - 川崎フロンターレアカデミーダイレクター

監督成績

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年度 所属 クラブ リーグ戦 カップ戦
順位 勝点 試合 ナビスコ杯 天皇杯
2002 J2 福岡 - 3 3 1 0 2 - -
2004 J2 湘南 - 12 11 3 3 5 - -
2007 仙台 4位 83 48 24 11 13 - 3回戦
2018 JFL 青森 10位 37 30 10 7 13 - 2回戦
2019 13位 36 30 9 9 12 - -
2020 15位 16 15 4 4 7 - 4回戦
  • 2002年、2004年はコーチとして指揮。

脚注

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  1. ^ a b 契約満了スタッフのお知らせ 川崎フロンターレ (2014年12月4日)
  2. ^ a b 望月達也”. 川崎フロンターレ. 2019年9月28日閲覧。
  3. ^ これまでトップチームでは監督代行を務めることが多く、2002年以降に所属した全てのチームで監督代行を務めたことがあった。福岡・湘南では後任監督の人選が難航したことから、代行期間は合わせて3ヶ月近くに及んだ。また、仙台でも監督のジョエル・サンタナの体調不良に伴う欠場により、1試合のみ代行を務めた。このため、代行だけでJリーグのリーグ戦の指揮を計15試合執っている(成績は5勝7敗3分け)。
  4. ^ 2012年4月には相馬直樹監督解任に伴う監督代行を務め、その間、リーグ戦2試合並びにナビスコ杯1試合を指揮した。
  5. ^ 望月 達也 氏 トップチームヘッドコーチ就任のお知らせ ヴァンフォーレ甲府 (2014年12月17日)
  6. ^ 望月 達也 氏 ラインメール青森FC監督就任のお知らせ』(プレスリリース)ヴァンフォーレ甲府、2017年12月26日https://www.ventforet.jp/news/news_release/5149672021年3月1日閲覧 
  7. ^ 望月達也監督退任のお知らせ - ラインメール青森公式サイト、2020年12月3日
  8. ^ 望月達也氏 アカデミーダイレクター就任のお知らせ”. 川崎フロンターレ. 2021年8月18日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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