成田十次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
成田 十次郎 Football pictogram.svg
名前
カタカナ ナリタ ジュウジロウ
ラテン文字 NARITA Jujiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1933-01-01) 1933年1月1日(86歳)
出身地 高知県吾川郡
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1951-1955 東京教育大学
監督歴
東京教育大学
1969-1972 読売サッカークラブ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

成田 十次郎(なりた じゅうじろう、1933年1月1日 - 、旧姓:山中)は、高知県吾川郡仁淀村(現・仁淀川町)出身[1]。の元サッカー選手、サッカー指導者。スポーツ学者。

来歴[編集]

高知県立高知追手前高等学校ではバレーボール部に所属していたが、東京教育大学体育学部に入学後は蹴球部に入部した[1]。在学中の1953年に関東大学サッカーリーグ戦で優勝、1954年に日本代表候補となる。

東京大学大学院博士課程満期退学後、1960年にドイツ体育大学ケルン に留学する際、日本サッカー協会から戦後日本のサッカー復興のためのコーチ探しを依頼され、ドイツ国内のクラブチームから、当時ドイツでも日本でも無名であったデットマール・クラマーを発掘した。1968年に東京教育大学の監督に就任し、関東大学サッカーリーグ戦で優勝。また、1969年から1972年まで読売サッカークラブの監督も兼任した。

1978年から筑波大学の教授に就任[1]。1996年4月から2002年10月まで高知女子大学(現:高知県立大学)の第11代学長を務めた。2010年、瑞宝中綬章を受章した。

種類不明の博士号を東京教育大から受けた。年月日も不明である。題は「近代ドイツ体育の成立過程に関する研究 」[2]

著書[編集]

  • 成田十次郎『サッカーと郷愁と 戦後少年のスポーツと学問の軌跡』不昧堂出版、2010年9月1日。ISBN 4829304812

脚注[編集]

  1. ^ a b c 「[交遊サーフィン](143) 高知女子大学長・成田十次郎さん」読売新聞、1998年4月15日、2014年9月2日閲覧
  2. ^ 博士論文書誌データベース

外部リンク[編集]