クリスティアン・パヌッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
クリスティアン・パヌッチ Football pictogram.svg
Christian Panucci 2012.jpg
ロシア代表コーチでのパヌッチ(2012年)
名前
カタカナ クリスティアン・パヌッチ
ラテン文字 Christian PANUCCI
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1973-04-12) 1973年4月12日(43歳)
出身地 サヴォーナ
身長 184cm
体重 73kg
選手情報
ポジション DF(CB, SB)
利き足 右足
ユース
1989-1990 イタリアの旗 ヴェローチェイタリア語版
1990-1991 イタリアの旗 ジェノア
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991-1993 イタリアの旗 ジェノア 31 (3)
1993-1996 イタリアの旗 ミラン 89 (9)
1996-1999 スペインの旗 レアル・マドリード 73 (3)
1999-2001 イタリアの旗 インテル・ミラノ 26 (1)
2000-2001 イングランドの旗 チェルシー (loan) 8 (0)
2001-2002 モナコの旗 モナコ 14 (3)
2002-2009 イタリアの旗 ローマ 260 (20)
2009-2010 イタリアの旗 パルマ 19 (1)
通算 520 (40)
代表歴2
1992-1996 イタリアの旗 イタリア U-21 19 (4)
1993  イタリア U-23 3 (0)
1994-2008[1] イタリアの旗 イタリア 57 (4)
監督歴
2012-2014 ロシアの旗 ロシア代表 (アシスタント)
2015 イタリアの旗 リヴォルノ
2016 イタリアの旗 リヴォルノ
2016 イタリアの旗 テルナーナ・カルチョ
1. 国内リーグ戦に限る。2016年9月20日現在。
2. 2016年2月7日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

クリスティアン・パヌッチChristian Panucci, 1973年4月12日 - )は、イタリアサヴォーナ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。元サッカーイタリア代表

経歴[編集]

クラブ[編集]

郵便局員の父とチェコ人の母親を持つ元イタリア代表ディフェンダージェノアCFCでプロのキャリアをスタートさせ、数々のクラブを渡り歩きいくつものタイトルを手にしてきた。ACミラン在籍時にファビオ・カペッロの寵愛を受け、黄金時代を支えたマウロ・タソッティからポジションを奪い取った。

ASローマでは副キャプテンを務めるなどセンターバックや両サイドバックで活躍していたが、2009年1月にスタメン起用の少なさに不満を持ち、ベンチ入りを拒否。退団こそしなかったものの、フロントと対立。UEFAチャンピオンズリーグの出場登録選手から外され、パヌッチがルチアーノ・スパレッティに謝罪するまで約1ヵ月間、試合を欠場することとなった。2009年7月、ローマとの契約が満了したためパルマFCへ移籍。

パルマでは主力として17試合に出場し、前半戦を4位で終了したパルマの快進撃に貢献したが、2010年2月23日に一身上の都合でパルマとの契約を解除し、退団した[2]。その後どのクラブにも所属していなかったが、2010年8月に現役引退を発表した。

代表[編集]

代表としての成績はクラブでの成績ほどは思わしくなく、EURO1996では予選こそレギュラーで出場するも本大会前に当時のアッリーゴ・サッキ監督と対立しメンバーリストから漏れてしまう。ワールドカップフランス大会でも当時監督のチェーザレ・マルディーニに嫌われメンバーから漏れた。ワールドカップ日韓大会には出場している。イタリアが優勝したワールドカップドイツ大会にはインテル時代から犬猿の仲であるマルチェロ・リッピ監督が率いていたため、出場できなかった。その後監督がロベルト・ドナドーニに代わってからは代表に招集されている。EURO2008予選スコットランド戦では後半終了間際にアンドレア・ピルロフリーキックヘディングで決める決勝点を挙げ、イタリアの本戦出場を決めた。EURO2008ではファビオ・カンナヴァーロの怪我によりセンターバックとして出場。グループリーグのルーマニア戦ではアドリアン・ムトゥPKを与えてしまう(PK自体はジャンルイジ・ブッフォンがセーブ)が、自らゴールを決めて引き分けに持ち込んだ。大会終了後、ドナドーニが退任し、再びリッピが就任したため、その後代表に招集されることはなかった。

現役引退後[編集]

現役引退後、SKY Italia専属のサッカー解説者に転身し、2012年3月19日にUSチッタ・ディ・パレルモのテクニカルディレクターに就任するも、マウリツィオ・ザンパリーニ会長との衝突でわずか1か月で辞任。

同年7月23日、恩師カペッロ率いるロシア代表のアシスタントコーチに就任。2015年3月に同職を退任して、セリエBASリヴォルノ・カルチョの監督に就任した[3]。同年11月25日に解任されるがクラブはそれ以後もリーグ下位に沈み、翌年1月27日にボルトーロ・ムッティイタリア語版に代わりリヴォルノの指揮官の座に復帰した[4]

エピソード[編集]

  • 髪型には相当なこだわりを持っているらしく、二週間に一回はいきつけの床屋に足を運ぶと言う。それはスペインレアル・マドリードに移籍した時も変わらなかった。
  • 1996年にはトランスワールド航空800便墜落事故を起こした機体に乗る予定であったが、寸前で回避し事故をまぬがれるという幸運も経験している。
  • 腕には息子の名前のタトゥーが彫ってある。
  • 2008年に元恋人がラジオ番組に出演した際、偽名で電話をかけ「別れたパヌッチについてどう思っているか?」と質問するも、すぐにばれてしまった。
  • 2006-07、2007-08シーズン、2シーズン連続で5ゴールをそれぞれ記録している。また、これはリーグ戦に限った話であり、コッパ・イタリア、代表選を含めるとさらに増える。ちなみに、ゴールのほとんどはセットプレーからのヘディングである。
  • プライドの高さからか上記の通り、代表や所属チームの監督と衝突することも多く、モナコ時代には、当時のディディエ・デシャン監督との軋轢が原因で退団となった。

獲得タイトル[編集]

クラブ[編集]

イタリアの旗 ミラン
スペインの旗 レアル・マドリード
イングランドの旗 チェルシー
イタリアの旗 ローマ

代表[編集]

イタリアの旗 イタリア U-21

個人[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]