マウロ・カモラネージ

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はカモラネージ第二姓(母方の)はセラです。
マウロ・カモラネージ Football pictogram.svg
Mauro Camoranesi 2010.jpg
2010年のカモラネージ
名前
本名 マウロ・ヘルマン・カモラネージ・セラ
Mauro Germán Camoranesi Serra
愛称 ダブルベイ、サムライ
ラテン文字 Mauro CAMORANESI
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1976-10-04) 1976年10月4日(41歳)
出身地 アルゼンチンの旗 アルゼンチン タンディル
身長 174cm
体重 70kg
選手情報
ポジション MF (SH)
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-1996 アルゼンチンの旗 アルドシビ 31 (0)
1996 メキシコの旗 サントス・ラグナ 13 (1)
1997 ウルグアイの旗 モンテビデオ・ワンダラーズ 6 (1)
1997-1998 アルゼンチンの旗 バンフィエルド 38 (16)
1998-2000 メキシコの旗 クルス・アスル 75 (21)
2000-2002 イタリアの旗 エラス・ヴェローナ 54 (7)
2002-2010 イタリアの旗 ユヴェントス 224 (27)
2010-2011 ドイツの旗 シュトゥットガルト 7 (0)
2011-2012 アルゼンチンの旗 ラヌース 35 (0)
2012-2014 アルゼンチンの旗 ラシン・クラブ 39 (3)
代表歴2
2003-2010 イタリアの旗 イタリア 55 (4)
監督歴
2014-2015 メキシコの旗 コラス・デ・テピク
2016 メキシコの旗 CAティグレ
2016-2017 メキシコの旗 カフェタレロス・デ・タパチュラ
1. 国内リーグ戦に限る。2014年12月16日現在。
2. 2010年6月20日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マウロ・カモラネージ(Mauro Camoranesi, 1976年10月4日 - )は、アルゼンチン・タンディル出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元イタリア代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー

経歴[編集]

クラブ[編集]

メキシコサントス・ラグナウルグアイモンテビデオ・ワンダラーズFCアルゼンチンCAバンフィエルドメキシコクルス・アスルと渡り歩いた後、2000年イタリアエラス・ヴェローナに移籍。ここでの献身的なプレーが評価され、2002年にマルチェロ・リッピ監督率いるユヴェントスへ移籍した。

当初はジャンルカ・ザンブロッタの控えと目されていたが、大方の予想に反して、効果的なプレーを連発。また、ザンブロッタが左サイドバックにコンバートされたこともあってレギュラーの座を獲得。2004年から監督がファビオ・カペッロに変わった後も、中盤右サイドのポジションを務めた(この間、ユヴェントスは2シーズンともセリエAで優勝しているが、後述のカルチョ・スキャンダルにより2度とも優勝は取り消された)。

その後、カルチョ・スキャンダルによりユヴェントスのセリエB降格が決定すると、他クラブへの移籍を希望したが、ディディエ・デシャン監督(当時)の意向でユヴェントスに残留。セリエA昇格に貢献した。

2007年、監督がクラウディオ・ラニエリに代わった後もレギュラーとしてプレーし、怪我により長期離脱するとその間ユヴェントスの攻撃は機能せず、存在の大きさを浮き彫りにした。復帰後は好調を維持し、2008年にクラブがUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得という目標を達成(セリエAでの順位は3位)する原動力となった。

2009年、監督がチロ・フェラーラに交代。ユヴェントスの基本フォーメーションがフラット4-4-2から4-3-1-2に変更された。怪我がちではあるが、代表と同じトリプルボランチの右を主戦場に、緊急時にはトップ下をこなすなど活躍している。

2010年8月にユヴェントスとの契約を解消し、VfBシュトゥットガルトに移籍した。しかしチームに満足に馴染むことが出来ず、2011年1月にVfBシュトゥットガルトとの契約を解除した[1]

2011年2月、アルゼンチンのCAラヌースと2年契約を結んだ。

2012年7月にはラシン・クラブに移籍した[2]

2014年2月、同年6月に現役引退をすることを明らかにした[3]

イタリア代表[編集]

2003年に祖父がイタリア人であったことからイタリアに帰化。イタリア代表入りも果たし、同年2月12日のポルトガル代表戦で代表デビューを飾ると、翌年のUEFA EURO 2004に出場した。

そして2006年FIFAワールドカップ・ドイツ大会では、同年にカルチョ・スキャンダルが発覚し、所属するユヴェントスやイタリアサッカー界が暗いムードに包まれる中、ジェンナーロ・ガットゥーゾアンドレア・ピルロダニエレ・デ・ロッシらとトリプルボランチを形成。自身が飛躍するきっかけとなったリッピ監督の下で4度目のワールドカップ制覇に貢献した。

監督歴[編集]

2014年12月15日、コラス・デ・テピクの監督に就任した[4]

エピソード[編集]

  • 2006年ドイツW杯で優勝を決めた後、かねてからチームメートと約束していたとおりに、長髪の結わいでいた部分を切り落とした。ちなみに、この期間のヘアスタイルは一部のサッカーファンから侍ヘアと呼ばれ笑いを誘った。
  • ギター演奏が趣味で、チームメイトが言うにはかなりの腕前であるという。
  • ユヴェントス移籍以来、毎年のように移籍が取り沙汰されるが結局は残留という流れを繰り返していた。特にカルチョポリの後は本人も移籍を強く望んでいたようだが、ユヴェントスは契約を盾に移籍を認めなかった。本人の恨み節ともとれるコメントが何度かメディアに取り上げられた。
  • カペッロ監督時代のユヴェントスで、ゲームに途中出場するも不甲斐無いプレーを繰り返したため、出場して数分でベンチに下げられたことがある。
  • カッとなりやすい性格が難点で、2011年7月23日のオールドボーイズ戦でウルグアイ人MFファン・パブロ・ロドリゲス・コンデに試合中とロドリゲスが説明を求めた際に2度暴力を振るうなど、30歳超えても丸くなる気配はなかった。またイタリア時代も相手選手といざこざを度々起こすなど、不要なファウルが多く、警告・退場もしばしばだった。

個人成績[編集]

代表での成績[編集]

出典[5]


イタリア代表 国際Aマッチ
出場 得点
2003 6 0
2004 5 0
2005 7 1
2006 11 1
2007 4 0
2008 9 1
2009 11 1
2010 2 0
通算 55 4

脚注[編集]

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  1. ^ Alles Gute Mauro!”. VfB Stuttgart 1893 e.V.. 2011年1月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年1月27日閲覧。
  2. ^ 元イタリア代表MFカモラネージがラシン・クラブに移籍”. インターナショナルスポーツマーケティング (2012年7月23日). 2012年10月13日閲覧。
  3. ^ 元イタリア代表のカモラネージ、6月の引退を明かす”. Goal (2014年2月14日). 2014年2月14日閲覧。
  4. ^ カモラネージがメキシコ2部で監督キャリアをスタート”. Goal (2014年12月16日). 2014年12月16日閲覧。
  5. ^ Camoranesi, Mauro”. National-Football-Teams.com. 2017年7月15日閲覧。