マルコ・アメリア
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| 名前 | |||||||||||
| ラテン文字 | Marco Amelia | ||||||||||
| 基本情報 | |||||||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1982年4月2日(36歳) | ||||||||||
| 出身地 | フラスカーティ | ||||||||||
| 身長 | 190cm | ||||||||||
| 体重 | 90kg | ||||||||||
| 選手情報 | |||||||||||
| ポジション | GK | ||||||||||
| 利き足 | 右足 | ||||||||||
| クラブ1 | |||||||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | ||||||||
| 2000-2001 |
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| 2001-2008 |
| 167 | (1) | ||||||||
| 2003-2004 |
→ | 13 | (0) | ||||||||
| 2004 |
→ | 0 | (0) | ||||||||
| 2008-2009 |
| 34 | (0) | ||||||||
| 2009-2011 |
| 30 | (0) | ||||||||
| 2010-2014 |
| 29 | (0) | ||||||||
| 2014 |
| 1 | (0) | ||||||||
| 2015 |
| 1 | (0) | ||||||||
| 2015 |
| 2 | (0) | ||||||||
| 2015-2016 |
| 0 | (0) | ||||||||
| 2017 |
| 4 | (0) | ||||||||
| 代表歴2 | |||||||||||
| 1998 |
| 12 | (0) | ||||||||
| 1998-1999 |
| 5 | (0) | ||||||||
| 2000-2001 |
| 3 | (0) | ||||||||
| 2002-2004 |
| 19 | (0) | ||||||||
| 2005-2009 |
| 9 | (0) | ||||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。2017年9月25日現在。 2. 2016年1月10日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | |||||||||||
マルコ・アメリア(Marco Amelia, 1982年4月2日 - )は、イタリア・ラツィオ州フラスカーティ出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。苗字は「アメーリア」とも表記される。
経歴[編集]
ASローマのユース出身。2000年にトップ昇格を果たすがフランチェスコ・アントニオーリの前に出番はなく、2001年にASリヴォルノ・カルチョにレンタル移籍。この年は1試合しか出場できなかったものの、シーズン終了後に完全移籍した。2002-03シーズンはレギュラーを掴み35試合に出場した。その後USレッチェ、パルマFCへのレンタル移籍を経て、2004年に復帰。復帰後は正GKに定着し、ビッグクラブからも注目を集めるようになる。
2008年6月5日、リヴォルノのセリエB降格に伴い、パレルモへ移籍。パレルモでも正GKとして活躍した。2009年8月5日、ルビーニョとのトレードでジェノアCFCへ移籍した。ジェノアでも引き続き正GKを務めた。
2010年6月23日、ジーダが退団したACミランにレンタル移籍した。ジーダがつけていた背番号1を与えられ、当初はレギュラー候補と目されていたが、クリスティアン・アッビアーティが予想以上の好パフォーマンスを披露したためローマ時代以来となる控えに甘んじた。ミランは7季ぶりにスクデットを獲得したものの、出場は4試合にとどまり試合でも失点を重ね低調な出来に終始した。
2013-14シーズン終了後にミランを退団。2014年10月、イタリア6部のロッカ・プリオーラへ選手兼役員として加入[1]。
2015年10月、正GKのティボ・クルトゥワが負傷したチェルシーFCに加入。
2017年2月27日、セリエBのヴィチェンツァ・カルチョに6か月の契約で加入した。
代表歴[編集]
イタリア代表としては、U-15代表から各世代で選出されている。U-21代表を経て、2005年11月16日に行われた親善試合のコートジボワール戦でフル代表デビューした。ワールドカップ・ドイツ大会では出場機会こそなかったものの、優勝メンバーの1人となった。
その後、EURO2008では予選から本大会に至るまでジャンルイジ・ブッフォンに次ぐ第2GKを務めた。しかしFIFAコンフェデレーションズカップ2009以降は代表から遠ざかるようになり、2010年の南アフリカW杯のメンバーに落選。それ以降はサルヴァトーレ・シリグ等の台頭もあってさらに厳しい立場となっている。
特徴[編集]
判断力と反射神経は目を見張るものがあるが、ディフェンダーとの連携やポジショニングセンスに課題は残る。また精神面の弱さを露呈する影響もあり、FIFAコンフェデレーションズカップ2009以降は代表から遠ざかる結果となっている[要出典]。
エピソード[編集]
- 2006年11月3日にベオグラードで行われたUEFAカップグループリーグ第2戦、パルチザン・ベオグラード戦で1点ビハインドの後半43分のFKのチャンスにペナルティエリア内まで侵入、FKを頭で合わせ同点劇に貢献した。
- 2009年10月17日に行われたジェノア対インテル・ミラノ戦にて、ペナルティエリア右側にいたアメリアが、確保したボールをハーフライン付近へ大きく蹴りだしたところ、その落下地点にいたインテルのスタンコビッチが、ボールが着地するより前にダイレクトでゴールめがけて大きなボレーシュートを打ち、予想外の事態にアメリアはゴールマウスへ帰るのが遅れたため得点を奪われるという珍事が発生した。
所属クラブ[編集]
ASローマ 2000-2002
- →
ASリヴォルノ・カルチョ 2001-2002 (loan)
USチッタ・ディ・パレルモ 2008-2009
ジェノアCFC 2009-2011
- →
ACミラン 2010-2011 (loan)
ACミラン 2011-2014
ロッカ・プリオーラ 2014
ペルージャ・カルチョ 2015
A.S. Lupa Castelli Romani 2015
チェルシーFC 2015-2016
ヴィチェンツァ・カルチョ 2017
脚注[編集]
- ^ “元ミランGKアメリア、伊6部で選手兼役員に…W杯制覇経験の32歳”. Soccer King (2014年10月23日). 2014年10月23日閲覧。
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- イタリアのサッカー選手
- ASローマの選手
- ASリヴォルノ・カルチョの選手
- USレッチェの選手
- SSDパルマ・カルチョ1913の選手
- USチッタ・ディ・パレルモの選手
- ジェノアCFCの選手
- ACミランの選手
- ペルージャ・カルチョの選手
- チェルシーFCの選手
- ヴィチェンツァ・カルチョの選手
- サッカーイタリア代表選手
- FIFAワールドカップイタリア代表選手
- 2006 FIFAワールドカップ出場選手
- オリンピックサッカーイタリア代表選手
- 2004年アテネオリンピックサッカー出場選手
- サッカーのオリンピックメダリスト
- イタリアのオリンピック銅メダリスト
- UEFA EURO 2008出場選手
- FIFAワールドカップ優勝選手
- ラツィオ州出身の人物
- 1982年生
- 存命人物