ニコラ・レグロッターリエ

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ニコラ・レグロッターリエ Football pictogram.svg
Nicola Legrottaglie.JPG
2010年のレグロッターリエ
名前
愛称 ドゥーカ(公爵)
ラテン文字 Nicola Legrottaglie
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1976-10-20) 1976年10月20日(40歳)
出身地 ジョイア・デル・コッレ
身長 185cm
体重 82kg
選手情報
ポジション DF
利き足 右足
ユース
1994-1996 イタリアの旗 バーリ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1994-1998 イタリアの旗 バーリ 17 (0)
1996-1997 イタリアの旗 ピストイエーゼ (loan) 31 (3)
1997-1998 イタリアの旗 プラート (loan) 26 (0)
1998-2003 イタリアの旗 キエーヴォ 66 (6)
2000 イタリアの旗 レッジャーナ (loan) 4 (1)
2000-2001 イタリアの旗 モデナ 32 (1)
2003-2011 イタリアの旗 ユヴェントス 114 (8)
2005 イタリアの旗 ボローニャ (loan) 9 (0)
2005-2006 イタリアの旗 シエナ (loan) 28 (0)
2011 イタリアの旗 ミラン 1 (0)
2011-2014 イタリアの旗 カターニア 76 (8)
1994-2014 通算 404 (27)
代表歴
1994 イタリアの旗 イタリア U-18 1 (0)
2002-2009 イタリアの旗 イタリア 16 (1)
監督歴
2014-2015 イタリアの旗 バーリ (ユース)
2015-2016 イタリアの旗 アクラガス
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ニコラ・レグロッターリエNicola Legrottaglie, 1976年10月20日 - )は、イタリアプッリャ州バーリ県ジョイア・デル・コッレ出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。

略歴[編集]

2001年から2003年に、デルネーリ監督が率いる“ミラクル・キエーヴォ”の一員として活躍。 一時はネスタの次代を担うセンターバックとして注目を浴びた。

2003年 リッピ監督下のユヴェントスに移籍を果たした。 しかし、ここでの戦術に馴染めず調子を落とし、クラブも失点が増したことから批判に晒された。

2004年 続くカペッロ監督の下でも信頼を得ることができず、ボローニャにレンタル移籍となった。しかし9試合出場に留まり、クラブも降格という2重の失望を味わった。

2005年 シエナにレンタル移籍。

2006年 デシャン監督が就任したユヴェントスに復帰。クラブがカルチョポリの影響でセリエBに降格しカンナヴァーロテュラムを放出した事による人材難に瀕したことから、再び構想に入る事になった。対戦相手のレベルが下がったという側面もあるが、一応の活躍を見せセリエA復帰に貢献した。

2007年 ラニエリ監督が就任したが残留。アンドラーデクリシートを獲得し、試合出場機会が減るのではと予想されたが、アンドラーデが怪我で長期離脱し、クリシートも期待外れに終わったため、レギュラーとして定着するきっかけとなった。

2008年 キエッリーニの負傷やレギュラークラスの不調により、5年ぶりに代表に招集された。2007-08シーズンのユヴェントスは失点が少なくセリエA中2位タイであり、フル稼働したレグロッターリエの功績が認められた形となった。

2009年 FIFAコンフェデレーションズカップ2009のエントリーメンバーに選出された。背番号は6。自身初の国際トーナメント出場となった。しかしイタリア代表は不調であったため、グループステージ敗退となった。一方、ユヴェントスでは監督がフェラーラに交代。カンナヴァーロを再度獲得し、CBとして3番手という立場になってしまった。しかしカンナヴァーロは高齢で他選手よりもターンオーバーが必要であることから、キエッリーニ、カンナヴァーロと上手くポジションを分け合っている。ちなみに、この状況はこの時期のイタリア代表のCB陣と全く同じ構図であった。しかし33歳で迎えた2010年ワールドカップ南アフリカ大会の選手選考では、サルヴァトーレ・ボッケッティレオナルド・ボヌッチという若手2人に弾き出される形で、23人の登録メンバーからは外れ、初のワールドカップ出場は叶わなかった。

2011年1月31日、出場機会を求めACミランに移籍。しかし、移籍早々に故障してしまい結局1試合の出場に留まった。8月30日カルチョ・カターニアへ移籍。

2013-14シーズン限りで現役を引退し、FCバーリ1908のユースチームの監督に就任した[1]

エピソード[編集]

  • イタリア南部のバーリ県出身だが、子供の頃はミラニスタであったと本人が告白している。
  • 憧れの選手は、レアルマドリー時代のレドンドとのこと。昔は守備的MFでの成功を目指していたことが窺える。
  • 2006年からプロテスタント系の宗教団体“キリストのアスリート”に入信し、以前よりサッカーに打ち込めるようになったと語っている。

所属クラブ[編集]

イタリアの旗 ピストイエーゼ 1996-1997 (loan)
イタリアの旗 プラート 1997-1998 (loan)
イタリアの旗 レッジャーナ 2000.1-2000.6
イタリアの旗 ボローニャ 2004-2005 (loan)
イタリアの旗 シエナ 2005-2006 (loan)

指導歴[編集]

脚注[編集]