マルク・ファン・ボメル
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| 名前 | ||||||
| 本名 |
マルク・ペーター・ヘルトルダ・アンドレアス・ファン・ボメル Mark Peter Gertruda Andreas van Bommel | |||||
| ラテン文字 | Mark Van Bommel | |||||
| 基本情報 | ||||||
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1977年4月22日(41歳) | |||||
| 出身地 | マースブラフト | |||||
| 身長 | 187cm | |||||
| 体重 | 85kg | |||||
| 選手情報 | ||||||
| ポジション | MF (DH) | |||||
| 利き足 | 右足 | |||||
| クラブ1 | ||||||
| 年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
| 1992-1999 |
| 153 | (13) | |||
| 1999-2005 |
| 169 | (46) | |||
| 2005-2006 |
| 24 | (2) | |||
| 2006-2011 |
| 123 | (11) | |||
| 2011-2012 |
| 39 | (0) | |||
| 2012-2013 |
| 13 | (2) | |||
| 通算 | 536 | (78) | ||||
| 代表歴 | ||||||
| 2000-2012[1] |
| 79 | (10) | |||
| 監督歴 | ||||||
| 2018- |
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| 2018- |
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1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj | ||||||
マルク・ファン・ボメル(Mark van Bommel, 1977年4月22日 - )は、オランダ、マースブラフト出身の元サッカー選手。同国代表でもあった。現役時代のポジションはミッドフィールダー。現在はエールディヴィジのPSVアイントホーフェンの監督を務めている。
妻は元オランダ代表監督ベルト・ファン・マルワイクの娘。
略歴[編集]
1992年、後に義父となるベルト・ファン・マルワイクが監督を務めるフォルトゥナ・シッタートへ入団。翌シーズンにはデビューを果たして頭角を表すと、中盤の中心選手として出場機会を増やし、当時2部だったチームの1部昇格へ貢献。1999年にPSVへ移籍。リーグ優勝に貢献する活躍を見せるとともに、2000年10月7日のキプロス戦でオランダ代表デビューを果たした。
2000-01シーズンにはPSVのキャプテンとして攻守にわたって活躍し、リーグ連覇に貢献。一方で2002年の日韓W杯はオランダ代表が出場権を逃し、EURO2004では自身の故障で出場を辞退するなど不運に見舞われている。2004-05シーズンには自身最多となる14得点を挙げてリーグ優勝を果たすと共にUEFAチャンピオンズリーグではベスト4入りを果たした。
2005年7月1日、FCバルセロナへ移籍。しかし、シャビ、デコ、ラファエル・マルケスがおもに起用されたためレギュラーに定着には至らなかった。しかし、UEFAチャンピオンズリーグでは12年ぶりに決勝に進出。決勝のアーセナル戦ではスタメン出場を果たし、14年ぶりの優勝を経験した。
2006-07シーズンはシーズン前のチームのアメリカ遠征にも参加したが、監督であるフランク・ライカールトに起用法を聞いたところ、「昨シーズンと同じくらいの出場時間かもしれないし、減るかもしれない」と言われた為、2006年8月27日にドイツのバイエルン・ミュンヘンに移籍。移籍金は770万ユーロ。9月23日の対アーヘン戦でブンデスリーガ初ゴールを決めると、30試合に出場し6ゴールを記録するなど期待に応える活躍を見せる。2008-09シーズンよりオリバー・カーンの引退により、ドイツ人以外ではチーム初となるキャプテンに就任した。
ドイツW杯以降は監督のマルコ・ファン・バステンとの確執から「今のスタッフが総退陣しない限り代表ではプレーしない」とオランダ代表からの招集を拒否していたが、EURO2008後に義父であるベルト・ファン・マルワイクが代表監督に就任したことで代表に復帰した。
2009年、資金難でリーグライセンス発行に苦心している古巣フォルトゥナ・シッタートのためにバイエルン・ミュンヘンとのチャリティーマッチを企画した。7500人の観客が来場し、売り上げが20万ユーロに達するなどイベントとしては成功したが、当のファン・ボメルは左太腿を負傷していたために出場できなかった[2]。
2011年1月25日、ACミランへ移籍した。契約期間は5か月、また契約解除のため、移籍金は発生していない。ミランでは4-3-1-2の中盤の底を務め、堅実なプレーを披露してチームの7年ぶりの優勝に貢献した。シーズン終了後、契約を1年延長した。
2012年5月14日、2011-12シーズン限りでの退団を明言。古巣PSVへの7季ぶりの復帰が決定した[3]。
EURO2012ではまさかの3戦全敗に終わり、6月19日にオランダ代表を引退した [4]。
2013年5月12日のシーズン最終節FCトゥウェンテ戦では2枚目のイエローカードを受けて退場処分、試合後に引退を表明した[5]。
2018年6月22日、PSVアイントホーフェンの監督に就任した。[6]
所属クラブ[編集]
フォルトゥナ・シッタート 1992-1999
PSVアイントホーフェン 1999-2005
FCバルセロナ 2005-2006
FCバイエルン・ミュンヘン 2006-2011.1
ACミラン 2011.1-2012
PSVアイントホーフェン 2012-2013
獲得タイトル[編集]
- PSVアイントホーフェン
- エールディヴィジ: 2000, 2001, 2003, 2005
- KNVBカップ: 2005
- ヨハン・クライフ・シャール: 2000, 2001, 2003, 2005
- FCバルセロナ
- UEFAチャンピオンズリーグ: 2006
- リーガ・エスパニョーラ: 2006
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ: 2005, 2006
- バイエルン・ミュンヘン
- ブンデスリーガ: 2008, 2010
- DFBリーガポカール: 2007
- DFBポカール: 2008, 2010
- ACミラン
- セリエA: 2011
- 個人
- オランダ年間最優秀選手: 2001, 2005
脚注[編集]
- ^ “Mark van Bommel - International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ “フォルトゥナ・シタルトのプロライセンスをはく奪”. スポーツナビ. (2009年5月20日) 2009年7月25日閲覧。
- ^ PSVがファン・ボメルの復帰を正式発表Goal.com 2012年5月15日
- ^ “ファン・ボメルがオランダ代表から引退”. UEFA.com (2012年6月20日). 2012年7月17日閲覧。
- ^ ファン・ボメルが現役引退 最後の試合で退場Goal.com 2013年5月13日
- ^ psv新指揮官にクラブobファンボメルの就任を発表ロシアw杯では豪代表コーチ Goal.com 2018年6月22日
外部リンク[編集]
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