ディルク・カイト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ディルク・カイト Football pictogram.svg
Dirk Kuyt 2012.jpg
名前
ラテン文字 Dirk KUIJT
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
生年月日 1980年7月22日(35歳)
出身地 南ホラント州の旗南ホラント州カトウェイク
身長 184cm
体重 83kg
選手情報
在籍チーム オランダの旗 フェイエノールト
ポジション FW (WG, CF)
MF (SH, WB)
背番号 11
利き足 右足
ユース
1985-1998 オランダの旗 クイック・ボーイズ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1998-2003 オランダの旗 ユトレヒト 160 (51)
2006-2012 イングランドの旗 リヴァプール 208 (51)
2012-2015 トルコの旗 フェネルバフチェ 87 (26)
2015- オランダの旗 フェイエノールト 0 (0)
代表歴2
2004-2014 オランダの旗 オランダ 104 (24)
1. 国内リーグ戦に限る。2015年3月8日現在。
2. 2014年10月3日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ディルク・カイト: Dirk KuijtNl-Dirk Kuijt.ogg 発音[ヘルプ/ファイル]1980年7月22日 - )は、オランダ南ホラント州カトウェイク出身のサッカー選手スュペル・リグフェネルバフチェSK所属。元オランダ代表。ポジションはフォワード。名前はしばしばDirk Kuytと綴られることも。

経歴[編集]

1998年、ユトレヒトに入団。1年目から頭角を現してレギュラーとして活躍。2002-03シーズンには20得点を挙げる活躍を見せ、KNVBカップ獲得にも貢献した。その活躍が認められて2003-04シーズンからはそのシーズンで移籍したピエール・ファン・ホーイドンクの代役としてフェイエノールトでプレー。サロモン・カルーと強力2トップを形成し、ここでも高い得点能力を発揮して20得点を挙げ、チームの主力に成長した。

翌2004-05シーズンには開幕戦のデ・フラーフスハップ戦でハットトリックを決めるなど、高い得点力を発揮しキャリアハイの29得点を挙げてリーグ得点王に輝いた。2005-06シーズンにはキャプテンに就任しチームを引っ張り、自身も25ゴールを挙げる活躍をした。オランダで1999年から2006年までの7シーズンで233試合が行われ、そのうちわずか5試合しか欠場しなかった。また2001年3月から2006年4月までの間179試合連続出場を記録した。

リヴァプールでのカイト

2006年夏、プレミアリーグリヴァプールに移籍した。移籍金は1800万ユーロ(約26億6400万円)。移籍してまもなくレギュラーとして活躍し始め、2006-07シーズンは、ピーター・クラウチクレイグ・ベラミールイス・ガルシアらと2トップを組み、チーム最多となる12得点を記録した。

2007-08シーズン、開幕前にチームはフェルナンド・トーレスアンドレイ・ヴォロニンといったワールドクラスの選手を前線に補強。しかし、トーレスとの2トップは機能したとは言い切れず、リヴァプールはスタートダッシュに失敗。優勝戦線からの早期脱落を余儀なくされると、チームはシステムを4-4-2から、スティーヴン・ジェラードをトップ下に配置する4-2-3-1に変更する。これに伴い、1トップの座をトーレスに譲ると、カイト自身は右MFとして新境地を開拓し、本職であるヨッシ・ベナユンジャーメイン・ペナントを差し置いて、レギュラーとして活躍を続ける。ポジションがゴールから離れた位置に変更されたこともあり、リーグ戦でのゴール数は極端に減少(32試合で3ゴール)したものの、UEFAチャンピオンズリーグではゴールを量産(11試合で5ゴール)した。

2008-09シーズンは、開幕当初から右MFに固定され、トーレスの不在時には代役を完璧にこなすなど、抜群の存在感を示した。

2011-12シーズンは、指揮官ケニー・ダルグリッシュが英国出身選手を重用したことや、これまでの活躍の基盤となっていた圧倒的な運動量に衰えが見えはじめたこともあり、出場機会が減少した。シーズン終了後の6月、フェネルバフチェSKへの移籍が発表された。契約は3年間。

フェイエノールトのオファーを断ってトルコ行きを選択したことでデ・カイプへの帰還の可能性は消えたかと思えたが、コンディションとフィットネスを維持し続けたことでフェネルバフチェとの契約が終了した2015年夏にフェイエノールトへ戻ることを遂に決断、1年契約を結んだ。

代表歴[編集]

当時代表監督であったマルコ・ファン・バステンよりロイ・マカーイパトリック・クライファートといったストライカーが多くいたオランダ代表に初招集を受けた。2004年9月3日のリヒテンシュタイン戦では代表デビューを果たした。2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では12試合中試合をスタメンで出場し、本戦出場に貢献した。

2006 FIFAワールドカップではベンチに降格してしまう。グループステージ1戦目のセルビア・モンテネグロ戦で後半14分にルート・ファン・ニステルローイに代わって出場した。2戦目終了時点でグループステージ突破が決まったため、3戦目のアルゼンチン戦ではスタメンで出場した。決勝トーナメント1回戦のポルトガル戦ではファン・ニステルローイに代わりスタメンのチャンスが回ってきたがゴールは挙げられず1-0で敗れチームは敗退した。

2008年にはUEFA欧州選手権2008のメンバーに選出され、6月9日に行われたグループステージ1戦目のイタリア戦でヴェスレイ・スナイデルジョバンニ・ファン・ブロンクホルストのゴールをアシストしチームの勝利に大きく貢献した。6月13日のフランス戦では前半9分にゴールを挙げ勝利に貢献した。しかしチームは決勝トーナメント1回戦のロシア戦で敗れ敗退した。

2010 FIFAワールドカップではグループリーグ1戦目のデンマーク戦で2点目のゴールを挙げ、自身ワールドカップ初得点となった。

2014年10月3日、オランダサッカー協会から代表引退が発表された[1](注:カイト自身は「怪我人などでどうしても必要があれば呼んでもらって構わない」と危機的状況での代表復帰の可能性は消していない)。

タイトル[編集]

クラブ
オランダの旗 FCユトレヒト
イングランドの旗 リヴァプールFC
トルコの旗 フェネルバフチェSK
個人

トリヴィア[編集]

フェイエノールトのオープンダッハでヘリコプターに2回乗ったのはカイトとヨン・ダール・トマソンの2人だけ。

脚注[編集]

外部リンク[編集]