フアン・アントニオ・ピッツィ

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はピッツイ第二姓(母方の)はトローハです。
ファン・アントニオ・ピッツィ Football pictogram.svg
ECUADOR VS CHILE - Juan Antonio Pizzi (29864185320).jpg
2016年のピッツィ
名前
本名 ファン・アントニオ・ピッツィ・トローハ
Juan Antonio Pizzi Torroja
ラテン文字 Juan Antonio PIZZI
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1968-06-07) 1968年6月7日(49歳)
出身地 サンタフェ
身長 185cm
体重 84kg
選手情報
ポジション FW
ユース
アルゼンチンの旗 ロサリオ・セントラル
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1987-1990 アルゼンチンの旗 ロサリオ・セントラル 57 (27)
1990-1991 メキシコの旗 トルーカ 30 (12)
1991-1993 スペインの旗 テネリフェ 68 (30)
1993-1994 スペインの旗 バレンシア 19 (4)
1994-1996 スペインの旗 テネリフェ 73 (46)
1996-1998 スペインの旗 バルセロナ 48 (11)
1998-1999 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート 17 (6)
1999-2000 アルゼンチンの旗 ロサリオ・セントラル 28 (19)
2000 ポルトガルの旗 ポルト 11 (3)
2001 アルゼンチンの旗 ロサリオ・セントラル 28 (11)
2002 スペインの旗 ビジャレアル 13 (1)
通算 364 (160)
代表歴
1994-1998 スペインの旗 スペイン 22 (8)
監督歴
2005 アルゼンチンの旗 コロン
2006 ペルーの旗 ウニベルシダ・サン・マルティン
2009-2010 チリの旗 サンティアゴ・モーニング
2010-2011 チリの旗 ウニベルシダ・カトリカ
2011-2012 アルゼンチンの旗 ロサリオ・セントラル
2012-2013 アルゼンチンの旗 サン・ロレンソ
2013-2014 スペインの旗 バレンシア
2014-2016 メキシコの旗 レオン
2016- チリの旗 チリ代表
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ファン・アントニオ・ピッツィJuan Antonio Pizzi Torroja, 1968年6月7日 - )は、アルゼンチンサンタフェ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。ポジションはフォワードスペイン代表であった。

キャリアの大半をスペインで過ごし、特にCDテネリフェではプリメーラ・ディビシオン(1部)定着の基盤強化に貢献した。リーガ・エスパニョーラでは8シーズンで221試合に出場して92得点を挙げ、1995-96シーズンにはリーグ得点王(ピチーチ賞)に輝いた。スペイン国籍を取得し、1994年にスペイン代表デビュすると、4年間で22試合に出場して8得点し、UEFA EURO '961998 FIFAワールドカップに出場した。

経歴[編集]

クラブ[編集]

アルゼンチンのサンタフェに生まれ、1988年にCAロサリオ・セントラルからデビューした。1990年にメキシコのデポルティーボ・トルーカFCに移籍し、その1シーズン後にはスペインのCDテネリフェに移籍した。1991-92シーズンと1992-93シーズンだけで30得点を挙げる活躍を見せ、後者のシーズンにはUEFAカップ出場権をもたらした。1993年夏にはバレンシアCFに引き抜かれたが、わずか1シーズンでCDテネリフェに復帰した。1995-96シーズンには41試合に出場して31得点を挙げて、ピチーチ賞(国内リーグ得点王)とヨーロッパ・ゴールデンブーツ(欧州リーグ得点王)を揃って獲得した。チームに再びUEFAカップ出場権をもたらし、1996年夏にFCバルセロナに移籍した。この時期のFCバルセロナにはロナウドソニー・アンデルソンルイス・エンリケなどの名選手が在籍しており、絶対的なレギュラーではなかったが、1996-97シーズンにはリーグ戦だけで9得点を挙げ、ファンからの人気は高かった。1996年にはスーペルコパ・デ・エスパーニャで、1997年にはUEFAスーパーカップコパ・デル・レイで優勝した。1998年にはコパ・デル・レイで2連覇を果たし、リーグタイトルも獲得した。FCバルセロナでの最も記憶に残る瞬間はコパ・デル・レイ準々決勝アトレティコ・マドリード戦セカンドレグである。FCバルセロナは前半終了時点で0-3と劣勢に立っていたが、ピッツィが決勝点を挙げて5-4という逆転勝利に導いた。1998年にアルゼンチンに戻り、CAリーベル・プレートや古巣CAロサリオ・セントラルでプレーした。2000年にはポルトガルのFCポルトに移籍したが、わずか11試合しか出場せず、2001-02シーズン開幕後に再びCAロサリオ・セントラルに復帰した。2002年にはマルティン・パレルモを足の負傷で欠いていたスペインのビジャレアルCFに移籍し、そこで現役引退した。

代表[編集]

スペイン国籍取得後の1994年11月30日、フィンランドとの親善試合 (2-0) でスペイン代表デビューした。1995年9月20日にマドリードで行われたサッカーアルゼンチン代表との親善試合 (2-1) では出生地の代表チームを破る活躍を見せた。1996年にはUEFA EURO '96に出場し、準々決勝に進出した。1998年にはフランスで開催された1998 FIFAワールドカップの出場メンバーに選ばれ、グループリーグ最終戦のパラグアイ戦ではフェルナンド・モリエンテスとの交代で途中出場したが、0-0の引き分けに終わってグループリーグ敗退が決定し、この試合を持ってスペイン代表から引退した。通算22試合に出場して8得点を挙げた。

現役引退後[編集]

34歳で現役引退した後はバルセロナの地域リーグでポロ選手となり、その後サッカー指導者の道に進んだ。2005年2月13日、ペルー人ホセ・デル・ソラールとコンビを組んでアルゼンチンのCAコロン監督に就任したが、シーズン開幕から3連敗したためにわずか2週間で解任された。2006年4月13日にはペルーのウニベルシダ・サン・マルティンの監督に就任したが[1]、同年11月に退任している。

2013年12月26日、ミロスラヴ・ジュキッチの後任として、古巣バレンシアCFの監督に就任した[2]が、リーグ戦を8位で終わり、2014-15シーズンの欧州カップ戦の出場権を逃したため、2014年7月2日に解任が発表された[3]

個人成績[編集]

クラブでの出場記録[編集]

シーズン ディビジョン クラブ 出場 得点
1988-89 プリメーラ ロサリオ・セントラル 26 12
1989-90 31 15
1990-91 プリメーラ トルーカ 30 12
1991-92 ラ・リーガ テネリフェ 34 15
1992-93 34 15
1993-94 バレンシア 19 4
1994-95 テネリフェ 32 15
1995-96 41 31
1996-97 バルセロナ 33 9
1997-98 15 2
1998-99 プリメーラ リーベル・プレート 17 6
1999-00 ロサリオ・セントラル 28 19
2000-01 スーペル・リーガ ポルト 11 3
プリメーラ ロサリオ・セントラル 10 4
2001-02 18 7
ラ・リーガ ビジャレアル 13 1

代表での成績[編集]

出典[4]


スペイン代表 国際Aマッチ
出場 得点
1994 1 0
1995 8 4
1996 7 1
1997 3 1
1998 3 2
通算 22 8

代表での得点[編集]

指導者としての記録[編集]

クラブ 就任 退任 記録
試合数 勝率
コロン 2005年2月13日 2005年2月26日 3 0 0 3 00.00
ウニベルシダ・サン・マルティン 2006年4月23日 2006年11月26日 33 13 8 12 39.39
ウニベルシダ・カトリカ 2010年7月8日 2011年6月30日 20 14 2 4 70.00
ロサリオ・セントラル 2011年7月1日 2012年7月5日 44 22 13 9 50.00
サン・ロレンソ 2012年10月9日 2013年12月20日 54 23 21 10 42.59
バレンシア 2013年12月26日 2014年7月2日 30 13 10 7 43.33
通算 184 85 54 45 46.20

タイトル[編集]

ロサリオ・セントラル時代のピッツィ

選手[編集]

クラブ[編集]

FCバルセロナ
ポルト

個人[編集]

指導者[編集]

クラブ[編集]

ウニベルシダ・カトリカ
サン・ロレンソ

代表[編集]

チリ代表

個人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Pizzi asumió en Deportivo San Martín Terra、2006年4月13日 (スペイン語)
  2. ^ バレンシア、新監督はピッツィ Goal 2013年12月26日
  3. ^ バレンシアがピッツィ監督を解任 UEFA.com 2014年7月2日
  4. ^ Goycochea, Sergio”. National-Football-Teams.com. 2017年7月13日閲覧。

外部リンク[編集]