ウニベルシダ・カトリカ (チリ)

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ウニベルシダ・カトリカ (チリ)
原語表記 Club Deportivo Universidad Católica
愛称 UC, Cato,
La Católica(カトリック),
Los Cruzados(十字架)
Caballeros Cruzados(十字軍)
クラブカラー 青と白と赤
創設年 1937年
所属リーグ リーガ・チレーナ
所属ディビジョン プリメーラ・ディビシオン
ホームタウン サンティアゴ
ホームスタジアム エスタディオ・サン・カルロス・デ・アポキンド
収容人数 20,000
代表者 チリの旗 ハイメ・エステべス
監督 チリの旗 ロドリゴ・アストゥディージョ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

CDウニベルシダ・カトリカスペイン語: Club Deportivo Universidad Católica)は、チリの首都サンティアゴに本拠を置くサッカークラブである。プリメーラ・ディビシオン(1部)に在籍している。プリメーラ・ディビシオンでは10度優勝し、コパ・チレでは5度優勝している。

同じように大学のクラブをルーツとするCFウニベルシダ・デ・チレ(チリ大学)との間には強いライバル関係がある。チリ大学にはスポーツ面でも学問面でもライバル意識を持っており、両クラブの対戦はクラシコ・ウニベルシタリオ(Clásico universitario、大学クラシコ)と呼ばれる。

ウニベルシダ・カトリカのサポーターはチリ全土に広がっている。その中には大衆的な地域や町もあるが、スタジアムやクラブハウスは首都の高級街の一角にあり、その他の要因も合わさって、上流階級のファンが多いとされる。この理由により、サンティアゴ市内の別場所への新スタジアムの建設が計画されている。今日のウニベルシダ・カトリカはチリ国内のみならず南米でも名声を博しており、南米大陸で最も充実したクラブハウスや練習場を持つクラブのひとつとして知られている。下部組織も充実しており、何人ものスター選手を輩出している。

歴史[編集]

1939年のウニベルシダ・カトリカ
1949年のウニベルシダ・カトリカ

チリ・カトリック大学のサッカークラブとして活動を始めた。サッカーチーム自体の創設は1910年頃だが、プロクラブとして創設されたのは1937年4月21日であり、クラブは公式かつ法的な設立年を1937年としている。プロデビュー戦はプリメーラB(2部)のウニベルシダ・デ・チレ戦だった。

1993年にはコパ・リベルタドーレスに出場し、決勝でサンパウロFC(ブラジル)に敗れたものの、今日でも過去最高位となる準優勝という成績を残した。1994年のコパ・インテルアメリカーナにはサンパウロが出場を拒否したため、準優勝のウニベルシダ・カトリカが繰上がりで出場し、デポルティーボ・サプリサ(コスタリカ)を破って優勝した。

2005年にはコパ・スダメリカーナで準決勝に進出したが、最終的に優勝したボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)に敗れた。2006年のコパ・リベルタドーレスでも調子の良さを見せたが、UANLティグレス(メキシコ)との試合ではロスタイムに失点し、グループリーグ敗退となった。2007年はコパ・リベルタドーレスの出場権を得られなかった。2008年にもコパ・リベルタドーレスに出場したが、CAリーベル・プレート(アルゼンチン)とクラブ・アメリカ(メキシコ)に得失点差で及ばずにグループリーグ敗退となった。2010年も調子が良くなく、ウニベルシダ・デ・チレとCRフラメンゴ(ブラジル)に次ぐグループ3位で敗退した。2011年大会はグループリーグを首位で終え、ラウンド16ではグレミオFPR(ブラジル)を破って準々決勝に進出した。準々決勝ではCAペニャロール(ウルグアイ)と対戦。モンテビデオで行われたファーストレグに0-2で敗れ、ホームでは2-1で勝利したものの、2試合合計2-3で敗退となった。かつて選手としてもウニベルシダ・カトリカでプレーしたマリオ・レペ監督が率いた2012年大会は、ホームでわずか1勝しか挙げられなかったほか、コロンビアとボリビアでのアウェーゲームに敗れ、グループリーグ最下位で敗退した。

タイトル[編集]

ウエムル・デ・プラタのトロフィー[1]

国内タイトル[編集]

1949, 1954, 1961, 1966, 1984, 1987, 1997アペルトゥーラ, 2002アペルトゥーラ, 2005アペルトゥーラ, 2010
1956, 1975
1983(コパ・ポーリャ・ゴル), 1983(コパ・レプブリカ), 1991, 1995, 2011
  • リギージャ・プレ=リベルタドーレス : 8回
1985, 1989, 1991, 1992, 1994, 1995, 1996, 1998
  • リギージャ・プレ=スダメリカーナ : 1回
2003
  • アペルトゥーラ・コンソレーション・トーナメント : 1回
1949

国際タイトル[編集]

1994
最高位 準優勝 : 1993

記録[編集]

  • プリメーラ・ディビシオン(1部)在籍 : 66シーズン
  • プリメーラB(2部)在籍 : 3シーズン
  • プリメーラ・ディビシオン最高位: 1位
  • プリメーラ・ディビシオン最低位: 18位
  • シーズン(通年制)最多勝利: 27勝 (1999)
  • シーズン(前後期制)最多勝利: 18勝 (クラウスーラ2005)
  • シーズン(通年制)最多得点: 102点 (1999)
  • シーズン(前後期制)最多得点: 56 (アペルトゥーラ2002)
  • 連続無失点キーパー : ホセ・マリア・ブルフバシッチ(1352分連続無失点)
  • コパ・リベルタドーレス最多出場 : マリオ・レペ(76試合)

成績[編集]

2012年までは暦年(1月-12月)を1シーズンとし、暦年前半にアペルトゥーラ、暦年後半にクラウスーラを行なっていた。2013-14シーズンからはシーズン開始時期を半年ずらし、7月-翌年6月を1シーズンとし、暦年後半にアペルトゥーラ、暦年前半にクラウスーラを行なっている。移行期間となった2013年は半年を1シーズンとし、トランシシオン(移行)という名称のシーズンを行なった。

シーズン ディビジョン レギュラーシーズン プレーオフ 備考
順位 試合数 得点 失点 勝ち点
2007 アペルトゥーラ プリメーラ 2位 20 14 4 2 36 14 46 なし
クラウスーラ グループ2位 20 10 4 6 33 21 34 準々決勝敗退
2008 アペルトゥーラ プリメーラ グループ2位 19 11 3 5 37 19 36 準々決勝敗退
クラウスーラ グループ2位 18 9 2 7 37 33 29 準々決勝敗退
2009 アペルトゥーラ プリメーラ 5位 17 8 3 6 26 18 27 準決勝敗退
クラウスーラ 1位 17 11 5 1 43 13 38 決勝敗退
2010 通年[2] プリメーラ 1位 34 23 5 6 77 39 74 なし
2011 アペルトゥーラ プリメーラ 1位 17 11 5 1 34 18 38 決勝敗退
クラウスーラ 5位 17 8 4 5 29 18 28 準決勝敗退
2012 アペルトゥーラ プリメーラ 4位 17 8 6 3 31 17 30 準々決勝敗退
クラウスーラ 9位 17 6 5 6 24 23 23 出場せず
2013 トランシシオン プリメーラ 2位 17 12 2 3 36 19 38 なし
2013-2014 アペルトゥーラ プリメーラ なし
クラウスーラ なし

歴代監督[編集]


歴代所属選手[編集]

プリメーラ・ディビシオン得点王[編集]

大会 得点数 選手
1943 プリメーラ・ディビシオン 17得点 チリの旗 ビクトル・マンシーリャ
1987 21得点 チリの旗 オスバルド・ウルタード
1994 33得点 アルゼンチンの旗 アルベルト・アコスタ
1997[A] 15得点 アルゼンチンの旗 ダビド・ビスコンティ
2010 19得点 チリの旗 ミロバン・ミロセヴィッチ

南米カップ戦得点王[編集]

大会 得点数 選手
1993 コパ・リベルタドーレス 9得点 アルゼンチンの旗 フアン・カルロス・アルマダ
1997 11得点 アルゼンチンの旗 アルベルト・アコスタ
2006 5得点 アルゼンチンの旗 ホルヘ・キンテロス
2012 コパ・スダメリカーナ 5得点 チリの旗 ミチャエル・リオス

アメリカ大陸ベストイレブン[編集]

GK[編集]

DF[編集]

MF[編集]

FW[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Catolica champions, Everton relegated – Primera Division de Chile 2010: Season Review
  2. ^ 2月27日にチリ地震が発生し、日程の消化に支障が出たため、2001年以来となる通年制が採用された。

外部リンク[編集]