ディエゴ・フォルラン

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はフォルラン第二姓(母方の)はコラソです。
ディエゴ・フォルラン Football pictogram.svg
U10 Diego Forlán 7524.jpg
ウルグアイ代表でのフォルラン(2014年)
名前
本名 ディエゴ・フォルラン・コラソ
Diego Forlán Corazo
ラテン文字 Diego FORLAN
基本情報
国籍 ウルグアイの旗 ウルグアイ
スペインの旗 スペイン
生年月日 (1979-05-19) 1979年5月19日(37歳)
出身地 Montevideo Department Coa.pngモンテビデオ県モンテビデオ
身長 181 cm
体重 75 kg
選手情報
在籍チーム インドの旗 ムンバイ・シティFC
ポジション FW
利き足 右足
ユース
1990-1991 ウルグアイの旗 ペニャロール
1991-1994 ウルグアイの旗 ダヌービオ
1994-1997 アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1997-2001 アルゼンチンの旗 インデペンディエンテ 80 (37)
2001-2004 イングランドの旗 マンチェスター・ユナイテッド 63 (10)
2004-2007 スペインの旗 ビジャレアル 106 (54)
2007-2011 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 134 (74)
2011-2012 イタリアの旗 インテル・ミラノ 18 (2)
2012-2013 ブラジルの旗 インテルナシオナウ 34 (10)
2014-2015 日本の旗 セレッソ大阪 42 (17)
2015-2016 ウルグアイの旗 ペニャロール 31 (8)
2016- インドの旗 ムンバイ・シティFC 12 (5)
代表歴2
2002-2014 ウルグアイの旗 ウルグアイ 112 (36)
1. 国内リーグ戦に限る。2017年1月1日現在。
2. 2014年6月28日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ディエゴ・フォルラン・コラソDiego Forlán Corazo, 1979年5月19日 - )は、ウルグアイの首都モンテビデオ出身のサッカー選手インド・スーパーリーグムンバイ・シティFC所属。元ウルグアイ代表。ポジションはフォワードバスク系ウルグアイ人[1]

ヨーロッパ・ゴールデンシューを2度受賞しているストライカーで、フリーキックの名手でもある。サッカーウルグアイ代表の最多出場記録保持者であり、2010 FIFAワールドカップではMVPに選出されている。

来歴[編集]

クラブ[編集]

キャリア初期[編集]

祖母はヨーロッパにあるバスク地方ギプスコア県オンダリビア出身のバスク人であり、まずアルゼンチンに、その後ウルグアイに渡った[1]。母方の祖父であるフアン・カルロス・コラソ英語版は1962年の1962 FIFAワールドカップウルグアイ代表監督で、父親のパブロ・フォルランも元サッカー選手で1974 FIFAワールドカップへの出場経験を有する。少年時代はテニスの腕も一流だった[2]。学生時代は学業も疎かにせず、成績も優秀であり、高校はモンテビデオ市内有数の名門校に通っていた。語学は、母国語のスペイン語に加え、フランス語ポルトガル語イタリア語英語で会話することができる[3]

12歳の時に姉が交通事故により恋人と下半身の自由を失う。姉の治療費は高額で、この事を知ったディエゴ・マラドーナが募金を呼びかけたものの、家計は圧迫された。15歳のフォルランは、姉のために1年間の期限という約束で父親の所属していたペニャロールと契約し、結果を出した。2000年アルゼンチンCAインデペンディエンテに移籍し、2001年にカップ戦を含めて23ゴールをあげた。

マンチェスター・ユナイテッド[編集]

2002年1月、プレミアリーグマンチェスター・ユナイテッドに移籍金690万ユーロで移籍した。1月29日のボルトン戦でデビューしたが、2001-02シーズンは無得点に終わった。9月18日、UEFAチャンピオンズリーグマッカビ・ハイファFC戦でPKを決めて移籍後初ゴールを挙げ、10月26日のアストン・ヴィラ戦でリーグ戦初ゴールを決めた。2002-03シーズンはチェルシー戦でロスタイムに決勝点となるボレーシュートを決め、アンフィールドでのリヴァプール戦で2得点するなど、通算6ゴール(内4ゴールは決勝点)を記録し、クラブのリーグ制覇に貢献した。2002年12月のサウサンプトン戦では試合終了間際にゴールを決め、喜びの余りユニフォームを脱ぐが、そのユニフォームを着ることができないまま試合が再開され、一時的とはいえ上半身裸の状態でプレーを続けた。2003-04シーズンは通算4ゴールと不振に喘いだ。マンチェスター・Uでは2シーズン半で95試合に出場して17得点を決めたが、2004年8月にFWウェイン・ルーニーが加入したことにより、ポジション争いが激しさを増すことが予想された。

ビジャレアルCF[編集]

2004年には所属選手をバスク人に限定するチーム哲学で知られるアスレティック・ビルバオへの移籍に興味を示したが、移籍金などの問題もあって実現しなかった[1]。2004年8月21日、フォルランはリーガ・エスパニョーラビジャレアルCFに新天地を求めた。移籍初年度の2004-05シーズンはリーグ戦38試合で25ゴールをあげ、アルゼンチン代表フアン・ロマン・リケルメらと共にクラブをUEFAチャンピオンズリーグ出場権を得る3位に導いた。また、FCバルセロナサミュエル・エトオらを抑えて得点王(ピチーチ賞)のタイトルを獲得し、アーセナルFCのFWティエリ・アンリと並んでヨーロッパ・ゴールデンシューを受賞した[4]。得点の内訳は右足で14得点、左足で10得点、頭で1得点であり、両足を同等に扱えることを証明した。翌2005-06シーズンは調子を落とし、10ゴールに終わったが、3シーズン目の2006-07シーズンは19ゴールを決めてUEFAカップ出場権獲得に貢献した。ビジャレアル在籍時はフォワードの選手ながら守備的な選手が付けることが多い背番号5を付けていた。これは空いていた背番号をもらったとのことであるが、現役を引退した兄と同じ番号でもある[5]

アトレティコ・マドリード[編集]

2007年6月30日、エースストライカーのフェルナンド・トーレスを手放していたアトレティコ・マドリードへ移籍金2100万ユーロ(約35億円)で移籍した。2007-08シーズンはFWセルヒオ・アグエロと2トップを組み、16ゴールを決める活躍を見せた。

2008-09シーズンはリーグ戦33試合に出場して32ゴールをあげ、またしてもFCバルセロナのエトーを抑えて自身2度目の得点王を獲得し、2度目となるヨーロッパ・ゴールデンシューを受賞した[6]リーガ・エスパニョーラで30ゴール以上をあげたのは1996-97シーズンのロナウド以来の記録である。

2010年4月22日、UEFAヨーロッパリーグ準決勝リヴァプール戦1stレグで試合唯一となる得点を決め、2ndレグでも得点して決勝進出に貢献した[7]フラムと対戦した決勝では2ゴールを挙げて2-1で勝利。アトレティコにUEFAヨーロッパリーグ優勝をもたらした[8]

2010-11シーズンは8得点に終わり、監督のキケ・フローレスの確執が度々報じられる[9]など、キャリア最低のシーズンとなった。夏の移籍市場ではインテルへの移籍の可能性が報じられる[10]。8月29日に本人が退団会見を開き、アトレティコのファンに別れを告げた[11]

インテル、インテルナシオナル[編集]

2011年8月31日、インテルナツィオナーレ・ミラノ(インテル)と2年契約を結んだことが発表された[12]。しかし、怪我やディエゴ・ミリートの好調もあり、リーグ戦18試合出場で2ゴールにとどまった。

2012年7月、インテルとの契約を解除し、インテルナシオナルに移籍[13]

セレッソ大阪[編集]

2014年1月、セレッソ大阪と2014年12月までの完全移籍で合意[14][15]。2014年3月18日に行われたAFCチャンピオンズリーグブリーラム・ユナイテッドFC戦で移籍後初ゴールを挙げ、3月23日に行われた鹿島アントラーズ戦でJリーグでの初ゴールを決めた。

ランコ・ポポヴィッチがクラブから解任され、後任のマルコ・ペッツァイオリの元では途中交代となった際、ベンチの側にあったボトルを蹴り上げ厳重注意を受けた[16]。ペッツァイオリ解任後就任した大熊裕司はフォルランをベンチに置くことが多く、22節神戸戦を最後にスタメンに名を連ねることはなく、残留の懸かった最終盤でもベンチに入ることはなかった。南米などで移籍先を探ったが、好オファーがなく断念。自身に主導権があったC大阪との契約延長オプションを行使し、半年契約で残留が決まった[17]

4月29日に行われた京都サンガF.C.戦で来日初ハットトリックを達成。

2015年6月6日時点で10得点を挙げ、J2得点ランキング1位にランクイン[18]していたが、セレッソは高額な年俸などを理由に7月末で切れる契約を延長しない事が発表された[19]。また、フォルランも8日に自身のツイッターに「1年半の契約を終え、セレッソ大阪との契約を更新しないことにしました。クラブに感謝します。ありがとうございました!」とチームを退団する事を報告している[20]。7月31日まで契約だったが、クラブと本人が合意し、6月22日付での契約満了へとなった[21]。6月21日に行われた徳島ヴォルティス戦の試合終了後に退団セレモニーが行われ、「今日は寂しい思いをしている。こんなに大好きなチームを去ることは残念だが、心の底から昇格を願っている。またいつの日か日本に帰ってきて、みなさんと会える日を楽しみにしています!」と話した[22]。高額な年俸の割に結果が残せなかったことに批判もあったが、フォルランはクラブに残せたものについて「自分の姿勢や人間的な部分を見てもらえているとしたら、それは伝わっているのではないか」とコメントしており、チームメイトだった山口蛍も「プロとして模範となる姿勢はしっかり見せてくれたと思う」と話している[23]

ペニャロール[編集]

2015年7月に父親であるパブロ・フォルランが長年にわたってプレーし、自身も下部組織として所属していたウルグアイのCAペニャロールへ移籍。24年ぶりの古巣復帰となった[24]。復帰戦となったモンテビデオ・ワンダラーズとの親善試合で2ゴールを挙げる活躍をした[25]

2015-16シーズン31試合8得点を記録し、クラブの3シーズンぶり50度目のリーグ優勝に貢献した。しかし、2016年6月15日に退団を発表した[26]

ムンバイ・シティFC[編集]

2016年8月にインド・スーパーリーグムンバイ・シティFCと3ヶ月の短期契約を結んだ[27]

代表[編集]

ウルグアイ代表でプレーするフォルラン

2002年にウルグアイ代表に初招集され、3月27日に行われたサウジアラビア代表との国際親善試合でデビュー[28]。同年に開催された2002 FIFAワールドカップに出場し、グループリーグのセネガル代表戦でボレーシュートを決めたが、チームはグループリーグで敗退した。

2007年頃に代表レギュラーの座を獲得し、コパ・アメリカ2007準決勝ではブラジル代表相手に得点したが、PK戦でシュートをミスし、チームは5-4で敗れた。2008年6月17日、2010 FIFAワールドカップ・南米予選ペルー代表戦ではハットトリックを達成した[28]

2010 FIFAワールドカップでは第2キャプテンを任され[29]、グループリーグ第2戦の南アフリカ代表戦ではミドルシュートとPKで2得点を挙げ、大会選定のマンオブザマッチに選出された[30]。他にもグループリーグ初戦のフランス代表戦、準々決勝のガーナ代表戦でもマンオブザマッチに選出され、7試合でチーム最多の5得点を挙げて得点王タイとなり、ウルグアイの40年ぶりの4位進出に貢献[31] [32]。この活躍により、大会MVPにあたるFIFAゴールデンボール賞を獲得した[33]

コパ・アメリカ2011では決勝のパラグアイ代表戦で2得点を挙げ、ウルグアイの6大会ぶり15度目の優勝に貢献。祖父から続く3代続けてのコパ・アメリカ制覇を達成[34]すると共に、エクトル・スカローネと並びウルグアイ代表通算最多得点となった[34]。2010年10月11日、2014 FIFAワールドカップ・南米予選のパラグアイ代表戦で得点し、ウルグアイ代表単独最多得点となった。

2013年6月20日のFIFAコンフェデレーションズカップ2013ナイジェリア代表戦で、ウルグアイ代表史上初となる通算100試合出場を達成[35]。また、この試合では決勝点を挙げた[35]

2014年、ブラジルで開催された2014 FIFAワールドカップでも代表入りを果たし、同年6月28日に行われたコロンビア代表戦が最後の代表出場となった[28][36]

2015年3月12日、ウルグアイ代表からの引退を表明した[37]

エピソード[編集]

  • セレッソ大阪の入団会見では、長い日本語での挨拶を行い、最後には「おおきに」と関西弁を交えた[38]
  • 自身のキャリアが映画化されることになった[39]
  • 2015年9月1日に第1子が出来、父親になることが発表された[40]

個人成績[編集]

クラブでの出場成績[編集]

2015年6月22日時点
クラブ シーズン リーグ カップ 国際大会 合計
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
CAインデペンディエンテ 1998/99 2 0 - - - - 2 0
1999/00 24 7 - - - - 24 7
2000/01 36 18 - - 6 2 42 20
2001/02 18 12 - - 5 1 23 13
通算 80 37 - - 11 3 91 40
マンチェスター・ユナイテッドFC 2001/02 13 0 - - 5 0 18 0
2002/03 25 6 2 0 13 1 45 9
2003/04 24 4 2 1 4 2 32 8
2004/05 1 0 0 0 1 0 2 0
通算 63 10 1 4 23 3 98 17
ビジャレアルCF 2004/05 38 25 0 0 0 0 38 25
2005/06 32 10 2 0 13 3 47 13
2006/07 36 19 2 1 2 1 40 21
通算 106 54 4 1 15 4 125 59
アトレティコ・マドリード 2007/08 36 16 6 1 11 6 53 23
2008/09 33 32 3 1 9 2 45 35
2009/10 33 18 6 3 17 7 56 28
2010/11 32 8 3 1 7 1 42 10
通算 134 74 18 6 44 16 196 96
インテル・ミラノ 2011/12 18 2 0 0 2 0 20 2
通算 18 2 0 0 2 0 20 2
インテルナシオナル 2012 19 5 - - - - 19 5
2013 15 5 - - - - 15 5
通算 34 10 - - - - 34 10
クラブ シーズン リーグ カップ 天皇杯 合計
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
セレッソ大阪 2014 26 7 1 0 2 0 29 7
2015 16 10 - - - - 16 10
通算 42 17 1 0 - - 43 17
通算 477 204 38 11 95 26 573 231

代表での年別得点[編集]


ウルグアイ代表 国際Aマッチ
出場 得点
2002 5 2
2003 7 5
2004 11 2
2005 9 2
2006 3 0
2007 9 5
2008 7 3
2009 9 3
2010 10 7
2011 14 3
2012 9 1
2013 14 3
2014 5 0
通算 112 36

代表での得点[編集]

タイトル[編集]

2010 FIFAワールドカップでのフォルラン(右)とスアレス

クラブ[編集]

マンチェスター・ユナイテッドFC
アトレティコ・マドリード

ウルグアイ代表[編集]

個人[編集]

映画[編集]

  • 『DF10』[39](日本での公開は未定)

脚注[編集]

  1. ^ a b c Mariann Vaczi Soccer, Culture and Society in Spain: An Ethnography of Basque Fandom (Routledge Critical Studies in Sport) Routledge, 2015, p.45
  2. ^ フォルラン2発!ウルグアイ20年ぶり勝利サンスポ、2010年6月18日
  3. ^ 多彩多芸、フォルランの素顔。”. Sports Graphic Number (2006年4月25日). 2014年2月4日閲覧。
  4. ^ A・マドリードのフォルラン、欧州の得点王にロイター、2009年6月1日
  5. ^ footballista
  6. ^ フォルラン 通算2度目のゴールデン・シュー獲得AFP BB News、2009年10月2日
  7. ^ Liverpool 2 - 1 Atletico Madrid (agg 2 - 2)BBC Sport、2010年4月29日
  8. ^ Atletico Madrid 2 - 1 FulhamBBC Sport、2010年5月12日
  9. ^ キケ、確執が取りざたされるフォルランを招集外に
  10. ^ エトー退団のインテル、フォルラン獲得で合意?
  11. ^ フォルラン:「アトレティコファンとして退団する」
  12. ^ メルカート:フォルラン、インテルへようこそ!
  13. ^ フォルラン、インテルナシオナウ加入が決定
  14. ^ 本人Twitter投稿
  15. ^ ウルグアイ代表FWフォルラン、C大阪との契約を明らかに…10年W杯MVP SoccerKING 2014年1月22日
  16. ^ C大阪・フォルラン“ボトル蹴り”で厳重注意「深く反省しています」 スポニチ 2014年8月12日
  17. ^ 【C大阪】フォルラン、残留!6か月3億円 スポーツ報知 2015年1月28日
  18. ^ 10得点はツエーゲン金沢清原翔平と並んでのランクイン
  19. ^ フォルラン「契約延長なしはチームの判断、しかたない」 NHKweb 2015年6月8日
  20. ^ C大阪フォルラン「クラブに感謝」契約満了を報告 日刊スポーツ 2015年6月9日
  21. ^ フォルラン選手との契約について セレッソ大阪公式サイト 2015年6月15日
  22. ^ フォルラン「またいつか日本に」胴上げでお別れ 日刊スポーツ 2015年6月21日
  23. ^ セレッソ大阪のフォルラン獲得は本当に失敗だったのか”. サッカーキング (2015年6月26日). 2015年7月1日閲覧。
  24. ^ フォルランがペニャロールに加入…父も所属した古巣に24年ぶりの復帰 サッカーキング 2015年7月10日
  25. ^ フォルランが母国復帰初戦でスーパーゴール! ペニャロールを勝利に導く フットボールチャンネル 2015年8月11日
  26. ^ 元ウルグアイ代表FWフォルランがペニャロールを退団…本人は現役続行を希望 超ワールドサッカー 2016年6月15日
  27. ^ 元C大阪のフォルラン、新天地はインド1部に。再びアジアで3ヶ月間プレー フットボールチャンネル 2016年8月14日
  28. ^ a b c Diego Forlán Corazo - Century of International Appearances”. rsssf.com. 2016年10月4日閲覧。
  29. ^ 「待ち望んでいた瞬間」ワールドサッカーダイジェスト、日本スポーツ企画出版社、2010年8月19日号、24-26頁
  30. ^ 2010 FIFAワールドカップ 南アフリカ対ウルグアイFIFA.com
  31. ^ 2010 FIFAワールドカップ フランス対ウルグアイFIFA.com
  32. ^ 2010 FIFAワールドカップ ウルグアイ対ガーナFIFA.com
  33. ^ 2010 FIFAワールドカップ 4位から史上初“MVP”にフォルラン スナイダー、ビジャも受賞スポニチ、2010年7月12日
  34. ^ a b フォルラン、親子3代続けての南米制覇を誇るGoal.com 2011年7月25日
  35. ^ a b 100キャップ記念試合での決勝点を喜ぶフォルランGoal.com 2013年6月21日
  36. ^ 2014 FIFA World Cup Brazil™ - Matches - Colombia-Uruguay”. FIFA.com. 2016年10月4日閲覧。
  37. ^ 2010 2010年W杯MVPのフォルランがウルグアイ代表引退「新世代に道を譲るときがきた」サッカーキング 2015年3月12日
  38. ^ C大阪加入のフォルランが会見…長い日本語の挨拶、関西弁も披露「おおきに」soccerking 2014年2月12日
  39. ^ a b 元C大阪FWフォルランのキャリアが映画化…スアレスやファーガソンも登場soccerking 2015年8月21日
  40. ^ フォルランがパパに!ウルグアイ紙が妻妊娠報じるスポーツ報知 2015年9月1日

外部リンク[編集]