パウロ・フットレ

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この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の姓)はドス・サントス、第二姓(父方の姓)はフットレです。
パウロ・フットレ Football pictogram.svg
(Paulo Futre) Manuela Carmena - “¡Bienvenida la orejona!.jpg
2019年
名前
本名 パウロ・ジョルジュ・ドス・サントス・フットレ
Paulo Jorge dos Santos Futre
ラテン文字 Paulo Futre
基本情報
国籍 ポルトガルの旗 ポルトガル
生年月日 (1966-02-28) 1966年2月28日(56歳)
出身地 モンティジョポルトガル語版
身長 175cm
体重 72kg
選手情報
ポジション FW / MF
ユース
1974-1975 ポルトガルの旗 モンティジョ英語版
1975-1983 ポルトガルの旗 スポルティングCP
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1983-1984 ポルトガルの旗 スポルティングCP 21 (3)
1984-1987 ポルトガルの旗 ポルト 81 (25)
1987-1993 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 163 (38)
1993 ポルトガルの旗 ベンフィカ 11 (3)
1993 フランスの旗 マルセイユ 8 (2)
1993-1995 イタリアの旗 レッジャーナ 13 (5)
1995-1996 イタリアの旗 ミラン 1 (0)
1996-1997 イングランドの旗 ウェストハム・U 9 (0)
1997-1998 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 10 (0)
1998 日本の旗 横浜フリューゲルス 13 (3)
通算 320 (79)
代表歴2
1983-1995 ポルトガルの旗 ポルトガル 41 (6)
1. 国内リーグ戦に限る。
2. 2017年6月29日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

パウロ・ジョルジュ・ドス・サントス・フットレポルトガル語: Paulo Jorge dos Santos Futre, 1966年2月28日 - )は、ポルトガル・モンティージョ出身の元サッカー選手。ポジションはFW(ウイング[1])、MF(攻撃的MF)。鋭いドリブルを武器とした[2][3]

経歴[編集]

1983年スポルティングCPでデビューと同時にポルトガル代表に17歳で選出。ポルトガル代表では、41試合で6ゴールを記録、1986 FIFAワールドカップにも出場し、1995年まで代表でプレーした。

1984シーズンにはFCポルトへ移籍、鋭いドリブルをみせるなど能力を発揮し、1984-85、1985-86シーズンのリーグ連覇、1986-87年のチャンピオンズカップでは準決勝のディナモ・キエフ戦1stレグでゴールを決め[4]、決勝進出に貢献、決勝でバイエルン・ミュンヘンを2-1と破り優勝を果たし[5]、1987年のUEFA欧州最優秀選手賞の投票ではルート・フリットに次ぐ2位に選出され[6]、「欧州のマラドーナ」と称された。

1987-88シーズンからはアトレティコ・マドリードへ移籍。ここではキャプテンを務め、1990-91シーズンにコパ・デル・レイを制し、1991-92の同大会決勝のレアル・マドリード戦ではゴールを決め、優勝に貢献[7]、また同シーズンのリーガ得点王になったマノロ・サンチェスに沢山のアシストを決めた[8]

1992-93シーズン途中にベンフィカへ移籍、タッサ・デ・ポルトガル決勝のボアヴィスタ戦で2ゴールを決め[9]、同大会の優勝をもたらした。その後、1993年にはマルセイユに移籍するも、シーズン中に前年度の八百長問題が発覚したことで、ボクシッチデサイーらの主力選手たちがチームを去る中、フットレにはACミランが獲得に興味を示していたが、レッジャーナに移籍、移籍後初出場のクレモネーゼ戦で決勝ゴールを決め、レッジアーナ史上セリエAでの初勝利を呼び込むも、その試合でラフプレーを受け負傷し、シーズンを終えた[10][11]

1994-95年のオフにACミランに移籍、プレシーズンのアジアツアーに帯同し清水エスパルス戦で移籍後初ゴールを決めるなどの活躍を見せたが、外国人枠や怪我の影響もあり、チームは優勝を果たすも、セリエA最終節のクレモネーゼ戦で途中出場したのみに終わった[12]

1996年にウェストハムに移籍したが、10番以外の番号でのプレーを拒否した[13]、怪我もあって9試合のみの出場に終わる。アトレティコ・マドリードへの復帰を経て、1998年カルロス・レシャックが監督を務めていた横浜フリューゲルスに加入[1]、レディアコフらと攻撃陣をリードした[14]。Jリーグデビュー2戦目の5月5日のサンフレッチェ広島戦で初ゴールを決め[15]、5月9日のアビスパ福岡戦、再開後の7月25日のコンサドーレ札幌戦と3試合連続ゴールを決めたが、セカンドステージ9月26日のベルマーレ平塚戦の後、9月28日にレシャックが成績不振で監督を退任すると、以降出場することはなく[16]、シーズン終了後に引退した。Jリーグでは13試合3ゴールに終わった[15]

エピソード[編集]

2014年11月、ポルトガルの新聞『レコルトポルトガル語版』においてアトレティコ・マドリード時代に八百長を当時のアトレティコ会長ヘスス・ヒルより持ち掛けられたことを告白した[17]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
ポルトガル リーグ戦 リーグ杯ポルトガル杯 期間通算
1983-84 スポルティングCP リーガ 21 3
1984-85 ポルト 30 6
1985-86 26 7
1986-87 25 12
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
1987-88 A・マドリード プリメーラ 35 8 3 1
1988-89 28 5 7 0
1989-90 26 10 2 0
1990-91 26 3 6 1
1991-92 31 6 6 5
1992-93 16 5 2 0
ポルトガル リーグ戦 リーグ杯ポルトガル杯 期間通算
1993 ベンフィカ リーガ 11 3 2 2
フランス リーグ戦 F・リーグ杯フランス杯 期間通算
1993 マルセイユ アン 8 2
イタリア リーグ戦 イタリア杯オープン杯 期間通算
1993-94 レッジャーナ セリエA 1 1
1994-95 12 4
1995-96 ミラン 1 0
イングランド リーグ戦 FLカップFAカップ 期間通算
1996-97 ウェストハム プレミア 9 0
スペイン リーグ戦 国王杯オープン杯 期間通算
1997-98 A・マドリード プリメーラ 10 0 0 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1998 横浜F 31 J 13 3 3 0 0 0
通算 ポルトガル リーガ 113 31
スペイン プリメーラ 172 37
フランス アン 8 2
イタリア セリエA 14 5
イングランド プレミア 9 0
日本 J 13 3
総通算 329 78

代表での成績[編集]

出典[18]


ポルトガル代表国際Aマッチ
出場得点
1983 1 0
1984 4 0
1985 4 1
1986 4 0
1987 2 0
1988 1 0
1989 4 1
1990 1 0
1991 8 2
1992 3 0
1993 8 2
1994 0 0
1995 1 0
通算 41 6

代表での得点[編集]

# 開催日 開催地 対戦国 結果 大会
1 1983年3月26日 ポルトガルリスボン ルーマニアの旗 ルーマニア 2-3 親善試合
2 1983年3月26日 スイスヌーシャテル Flag of Chechen Republic since 2004.svg チェチェン 2-1 1990 FIFAワールドカップ・予選
3 1983年3月26日 ギリシャアテネ ギリシャの旗 ギリシャ 3-2 UEFA EURO '92予選
4 1983年3月26日 マルタタ・アーリ英語版 マルタの旗 マルタ 1-0 UEFA EURO '92予選
5 1983年3月26日 ポルトガル、リスボン スコットランドの旗 スコットランド 5-0 1994 FIFAワールドカップ・予選
6 1983年3月26日 ポルトガル、リスボン エストニアの旗 エストニア 3-0 1994 FIFAワールドカップ・予選

個人タイトル[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b “横浜フリューゲルスで1年間プレーしたフットレがインタビューに回答”. www.football-zone.ne. https://www.football-zone.net/archives/261801 2020年5月13日閲覧。 
  2. ^ Paulo Futre, il Maradona lusitano” [Paulo Futre, the Lusitanic Maradona] (Italian). Sport Review. 2015年9月10日閲覧。
  3. ^ Ecco I campioni poveri ma belli” [Here are the poor but beautiful champions] (Italian). La Repubblica (1987年5月29日). 2015年9月10日閲覧。
  4. ^ “FC Porto x Dynamo Kiev Apr8 1987 match sheet”. ww.transfermarkt.com. https://www.transfermarkt.com/spielbericht/index/spielbericht/1020347 2020年6月7日閲覧。 
  5. ^ “FC Porto x Bayern Munchen May27 1987 match sheet”. ww.transfermarkt.com. https://www.transfermarkt.com/spielbericht/index/spielbericht/1020350 2020年6月7日閲覧。 
  6. ^ Ballon d’Or Winners-liveabout.com
  7. ^ “Real Madrid-Atlético, seis finales y 4–2 para los rojiblancos” (Spanish). www.mundodeportivo.com. (2014年4月30日). http://www.mundodeportivo.com/20140430/futbol/real-madrid-atletico-seis-finales-y-4-2-para-los-rojiblancos_54407438866.html 2020年4月25日閲覧。 
  8. ^ “El gol del Atlético” (Spanish). www.mundodeportivo.com. (2014年4月22日). http://futbol.as.com/futbol/2014/04/22/mas_futbol/1398180610_488189.html 2020年4月23日閲覧。 
  9. ^ “Benfica 5-2 Boavista 1993”. ZeroZero. http://www.zerozero.pt/jogo.php?id=313969 2020年6月7日閲覧。 
  10. ^ Futre Paulo Jeorge〔ママ〕 dos Santos: le meteore del calcio italiano” [Futre Paulo Jeorge dos Santos: the meteors of Italian football] (Italian). Tutto Calciatori (2012年4月16日). 2015年9月10日閲覧。
  11. ^ Paulo Futre, la prima volta e la sud esplode, ma è questione di un attimo” [Paulo Futre, his first appearance and the sud explodes, but only for a moment] (Italian). Tutto Pisa (2015年4月6日). 2015年9月10日閲覧。
  12. ^ Capello si congeda col Milan a forza 7” [Capello leaves Milan with a strong 7 goal display] (Italian). Corriere della Sera (1996年5月13日). 2015年9月10日閲覧。
  13. ^ Harry leaves his legacy”. BBC Sport (2001年5月9日). 2015年1月26日閲覧。
  14. ^ “ラウドルップ、ストイコヴィッチ、リュングベリ…ユーロでプレーした歴代外国人Jリーガーを振り返る”. www.excite.co.jp. https://www.excite.co.jp/news/article/Soccerking_460658/?p=13 2020年4月8日閲覧。 
  15. ^ a b “フットレ”. data.j-league. https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=4343 2020年4月8日閲覧。 
  16. ^ Paulo Futre -Transfermarket
  17. ^ “フットレ氏、八百長の事実を改めて主張「勝てばボーナスもあった」。自身はプレーを拒否”. フットボールチャンネル. (2014年11月19日). https://www.footballchannel.jp/2014/11/19/post56892/ 2017年6月29日閲覧。 
  18. ^ Futre, Paulo”. National-Football-Teams.com. 2017年7月15日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]