スペインのスポーツ

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スペインでもっとも盛んなスポーツはサッカーである(写真はサッカースペイン代表

スペインスポーツについて記述する。

特徴[編集]

スペインの国民的スポーツはサッカーであり、特に1960年代まではスポーツにおけるサッカーの人気が著しかったが、1960年代以降に経済が成長すると、テニス自転車ロードレース競技、ゴルフ、バイクのMotoGPなど、道具を使用するスポーツで世界的に成功を収める選手が現れた[1]。スペインにはサッカークラブを母体とする総合スポーツクラブが数多く存在し、本格的にスポーツを行いたい人々を受け入れている[1]

スペインのスポーツ界には、ドーピングに甘いという評価がつきまとっている。これを払拭するため、2013年6月13日、スペイン国会世界反ドーピング機関の勧告に見合う反ドーピング法を制定した[2]

歴史[編集]

スポーツの導入[編集]

スペイン最古のサッカークラブであるウエルバ・レクリエーション・クラブ

スペインにサッカーテニスなどのスポーツが持ち込まれたのは、1880年代から1890年代だとされている[3]。1889年にはスペイン最古のサッカークラブであるウエルバ・レクリエーション・クラブが設立され、1892年にはスペイン最古のテニスクラブであるウエルバ・ローンテニス・クラブ・リオ・ティントが設立された[3]。これらはリオ・ティント社で働くイギリス人のために設立されたスポーツクラブだったが、やがて周囲のスペイン人エリートにもスポーツが広まっていった[3]

スペイン全土を管轄する競技連盟としては、1895年に体操競技RFEGスペイン語版)、1896年に自転車競技RFEC英語版)1900年に射撃、1909年にローンテニスRFET英語版)、1913年にサッカー(RFEF)、1918年に陸上競技RFEA英語版)の各連盟が設立された[3]。1903年にはマドリードで『グラン・ビダ』というスポーツ雑誌が創刊された[3]

大衆化[編集]

1920年代に大衆から人気を得たリカルド・サモラ

学校教育の体育では体操競技がカリキュラムの中心となり、各地域のスポーツクラブでは体操以外のスポーツが行われた[3]。20世紀初頭までスポーツはエリートが楽しむものだったが、1920年代には娯楽の一つとしてスポーツ観戦が幅広い社会層に広まっていった[3]ジョゼップ・サミティエールリカルド・サモラのように、映画俳優や歌手と同じような人気を得る選手が登場してスポーツの大衆化が進んだ[3]

当時のスポーツは社会情勢と無縁ではなく、サッカークラブとしてはFCバルセロナアスレティック・ビルバオが地域主義の代弁者だったのに対して、RCDエスパニョールCAオサスナミゲル・プリモ・デ・リベラ独裁体制を支持した[4]。1936年から1939年のスペイン内戦はスポーツ選手の国内外での活動に影響を与え、共和国側として戦った選手は内戦後に政治犯という扱いを受けた[4]

フランコ体制下[編集]

フランシスコ・フランコ独裁政権ファランヘ党の管轄下に国民スポーツ局を置き、国内のスポーツを全体主義的に管理した[5]。学校教育では男子に対して軍事訓練のような体育を行い、女子に対してスウェーデン体操や民族舞踊を教えた[5]。フランコ体制下のジェンダー規範では、女性が行えるスポーツはバスケットボールバレーボール・体操などに限られ、陸上競技を行うことはできなかった[5]。テニスのマニュエル・サンタナ、自転車競技のフェデリコ・バーモンテスなど、国際的に活躍した個人競技選手は少数にとどまった[5]

フランコ政権は特にサッカーを政治的に利用し、サッカースペイン代表のユニフォームを赤色から青色(ファランヘ党員のシャツの色)に変更したり、選手に対して試合前のファシスト式敬礼を義務付けた[5]。お気に入りのクラブであるレアル・マドリードが国際大会で活躍することを歓迎し、自国開催の1964 欧州ネイションズカップでスペイン代表がサッカーソビエト連邦代表を破って優勝した際には、スペイン国家がソ連に勝利したかのように喧伝した[5]。フランコ体制末期には、スポーツが反体制運動や様々な文化運動と結びついた。FCバルセロナのホームスタジアムであるカンプ・ノウではカタルーニャ語が使われ、カタルーニャ・ナショナリズムを呼びかける政治ビラが配られた[6]

民主化後[編集]

民主化後の1982年にはスペインで1982 FIFAワールドカップが開催された。1980年から2001年にはカタルーニャ出身のフアン・アントニオ・サマランチ国際オリンピック委員会(IOC)会長を務めている。1992年にはバルセロナ夏季オリンピックバルセロナオリンピック)が開催され、これを契機にスペインのスポーツの多様化が進んだとされる[1]。2000年代にはマドリードが三度夏季オリンピックの招致を試みたが、2012年大会から2020年大会までのいずれも招致は不成功に終わっている。2010年のスペイン国立統計局(INE)の調査によると、競技人口が多いスポーツは水泳、自転車競技、サッカーの順だった[7]

各競技[編集]

サッカー[編集]

現在でもスペインでもっとも人気のあるスポーツはサッカーであり、各地に天然芝または人工芝のサッカー場がある[7]。国内リーグであるリーガ・エスパニョーラには、レアル・マドリードFCバルセロナなどの世界的強豪クラブがあり[8]、レアル・マドリードはUEFAチャンピオンズリーグの最多優勝回数を誇る。

サッカースペイン代表は1920年のアントウェルペンオリンピックのために創設され、この大会でスペイン代表は銀メダルを獲得した。1934年のイタリア大会FIFAワールドカップに初出場し、1950年のブラジル大会では4位、この成績が60年に渡って最高位であり続けた。1964年には自国開催の欧州ネイションズカップに初出場・初優勝した。2008年のUEFA EURO 2008ではUEFA欧州選手権で2度目の優勝を飾り、2010年の2010 FIFAワールドカップでFIFAワールドカップ初優勝を果たした。つづくUEFA EURO 2012でも優勝し、世界で初めて2大大会3連続優勝を飾った[8]

主要個人賞獲得経験者
選手 バロンドール FIFA最優秀監督
アルフレッド・ディ・ステファノ 1957, 1959
ルイス・スアレス 1960
ジョゼップ・グアルディオラ 2011
ビセンテ・デル・ボスケ 2012

バスケットボール[編集]

スペインでは古くからバスケットボールの人気も高い。リーガACBはヨーロッパ屈指のレベルを持ち、アメリカ合衆国のNBAに次ぐ世界第2のリーグとされることもある。リーガACBにはFCバルセロナレアル・マドリードといったクラブがあり、ユーロリーグULEBユーロカップなどの国際大会でしばしば優勝している。

1984年のロサンゼルスオリンピックで銀メダルを獲得するなど、バスケットボールスペイン代表は古くから優秀な成績を収めていたが、1992年のバルセロナオリンピックで人気に火が付き、オリンピック後にはストリートバスケを行う子どもが急増したとされる[9]。2006年には日本で開催された2006年バスケットボール世界選手権で優勝した。2008年の北京オリンピックでは24年ぶり2度目となる銀メダルを獲得。ユーロバスケットでは、2009年までに準優勝6回、3位2回の成績を収めていたが、2009年大会で初優勝を果たした。

2002年からNBAでプレーするパウ・ガソルはスペイン人選手の中でも抜きんでた実績を持ち、2度のNBA優勝、夏季オリンピック得点王、世界選手権最優秀選手などに輝いている[7]。その他には、ホルヘ・ガルバホサフアン・カルロス・ナバーロセルヒオ・ロドリゲスホセ・カルデロンルディ・フェルナンデスマルク・ガソルリッキー・ルビオサージ・イバーカニコラ・ミロティッチウィリー・エルナンゴメスフアン・エルナンゴメスアレックス・アブリネスなどがNBAでのプレー経験を持つ。

2007年時点のスペインバスケットボール協会登録選手数は236,177人(男子146,939人、女子98,238人)、男子プロ選手数は326人、女子プロ選手数は155人である[9]

テニス[編集]

2000年代に活躍したラファエル・ナダル

スペインには社交的なテニスクラブが多いとされる[9]。スペインがテニスの男子団体戦・デビスカップに初参加したのは1921年であった。2000年にはデビスカップで初優勝し、以後2004年・2008年と3度優勝している。女子ではアランチャ・サンチェス・ビカリオ、男子では2000年代に登場したラファエル・ナダルの実績が抜きんでており、ナダルはグランドスラムの優勝回数歴代2位タイである。2007年時点でスペインテニス協会への登録選手数は約90,000人、クラブ数は約1,000、コート数は約5,000であり、男子プロテニス協会(ATP)登録選手数は140人である[9]

テニスの歴史[編集]

マニュエル・アロンソ1921年ウィンブルドン選手権のチャレンジ・ラウンド決勝に進出(現在の方式ではベスト4に相当)し、マヌエル・デ・ゴマルスペイン語版エドゥアルド・フラケール英語版のペアは1923年ウィンブルドン選手権の男子ダブルスで準優勝した。

マニュエル・アロンソらの活躍から40年あまりの歳月を経て、1960年代半ばにマニュエル・サンタナが登場してスペインにテニスブームをもたらした[9]。サンタナは1961年の全仏選手権で初優勝し、スペイン人選手初のグランドスラム大会優勝者となった。その後1965年の全米選手権1966年のウィンブルドン選手権でも優勝し、全豪選手権を除くグランドスラム大会3冠を獲得した。

ブームに乗って1980年代末にはアランチャ・サンチェス・ビカリオらサンチェス兄妹が登場し、以後も男女で世界トップクラスの選手が続々と登場している[9]。1980年代末から1990年代にかけて、アランチャ・サンチェスとコンチタ・マルティネスがスペインの女子2強豪として活躍した。アランチャ・サンチェスは全仏オープン3勝・全米オープン1勝を挙げ、スペイン人女子選手として史上初の偉業を多数成し遂げた。彼女はダブルス分野でも目覚ましい成績を残し、シングルス・ダブルスともに世界ランキング1位になった数少ない選手のひとりに数えられる。

スペインの地には赤土のクレーコートが多いことから、当地の大半の選手はクレーコート開催の全仏オープンを得意にしている。1994年全仏オープンの男子シングルス決勝では、セルジ・ブルゲラアルベルト・ベラサテギがグランドスラム大会史上初の「スペイン対決の決勝」を実現させた。

2008年8月にはラファエル・ナダルが世界ランキング1位となり、2009年には全豪オープン男子シングルスで優勝してスペイン人初の全豪オープン優勝者となった。ナダルの登場以前にはスペイン人選手がオリンピックテニス競技で9個の銀メダルを獲得していたが、2008年の北京オリンピックではナダルがスペイン人初の金メダルを獲得した。

グランドスラム優勝経験者(男子)[10]
選手 回数 全豪 全仏 全英 全米
マニュエル・サンタナ 4回 1961, 1964 1966 1965
マニュエル・オランテス 1回 1975
セルジ・ブルゲラ 2回 1993, 1994
アルベルト・コスタ 1回 2002
フアン・カルロス・フェレーロ 1回 2003
ラファエル・ナダル 14回 2009 2005, 2006, 2007,
2008, 2010, 2011,
2012, 2013, 2014
2008, 2010 2010, 2013
グランドスラム優勝経験者(女子)[10]
選手 優勝回数 全豪 全仏 全英 全米
アランチャ・サンチェス・ビカリオ 4回 1989, 1994, 1998 1994
コンチタ・マルティネス 1回 1994

ハンドボール[編集]

トップリーグであるリーガASOBALはヨーロッパでも人気のあるリーグであり、所属チームはしばしばEHFチャンピオンズリーグで優勝している。1996年のアトランタオリンピック、2000年のシドニーオリンピック、2008年の北京オリンピックの3大会で銅メダルを獲得し、2005年の世界男子ハンドボール選手権では優勝を果たした。

ハンドボールスペイン代表キャプテンを務めたイニャキ・ウルダンガリンは、セーリングのオリンピック選手でもあったスペイン王室のクリスティーナ王女と結婚した。

自転車競技[編集]

スペインでは伝統的に自転車ロードレース競技も盛んであり、8月末から9月中旬まで開催されるブエルタ・ア・エスパーニャは、フランスのツール・ド・フランスやイタリアのジロ・デ・イタリアとともにグランツール(三大ツール)と呼ばれる。ミゲル・インドゥラインアルベルト・コンタドールは、グランツールすべてで優勝した世界でも数少ない選手である[7]

国内全体で自転車ロードレースの人気は高いが、バスク地方ではとりわけ熱狂的な人気を誇り、UCIワールドツアーの対象となる著名なレースとしてバスク一周クラシカ・サンセバスティアンが開催されている。インドゥラインを筆頭にスペインの多くの名選手はバスク地方出身である。バスク地方からは競技チームとして1994年から2013年までエウスカルテル・エウスカディがUCIプロツアーに参戦しており、原則として所属選手をバスク人に限定するという方針をもっていた。バスク地方の他には、カタルーニャ州においても自転車ロードレースの人気が高い。

2006年大会から2009年大会にかけてのツール・ド・フランスの総合優勝者は、オスカル・ペレイロ(2006年)、アルベルト・コンタドール(2007年・2009年)、カルロス・サストレ(2008年)という3人のスペイン人選手であり、4年連続でスペイン人選手が総合優勝した。コンタドールは2008年のジロ・デ・イタリア 2008ブエルタ・ア・エスパーニャ2008でも総合優勝しており、史上5人目のグランツール完全制覇を達成した。

2012年大会終了時点でスペイン人選手はツール・ド・フランスで13回優勝しており、フランスの36回、ベルギーの18回に次いで国別優勝回数では第3位である[11]

2006年にはスペイン警察が大々的なドーピング摘発作戦、オペラシオン・プエルトを行い、数多くの自転車選手が現役引退に追い込まれるか資格停止処分を受けた。2012年にはコンタドールがスポーツ仲裁裁判所(CAS)から2年間の資格停止処分(処分期間は2012年8月まで)を受け、2010年のツール・ド・フランス総合優勝のタイトルが剥奪された[12]

グランツール総合優勝経験者
選手 ツール ジロ
フェデリコ・バーモンテス 1959
ルイス・オカーニャ 1973
ペドロ・デルガド 1988
ミゲル・インドゥライン 1991, 1992, 1993, 1994, 1995 1992, 1993
オスカル・ペレイロ 2006
アルベルト・コンタドール 2007, 2009 2008, 2015
カルロス・サストレ 2008

モータースポーツ[編集]

スペインではモータースポーツも人気を博しており、ロードレース世界選手権 (MotoGP)、世界ラリー選手権フォーミュラ1 (F1)などでスペイン人選手が活躍している。かつては相対的にF1の人気が低く、MotoGPをはじめとする二輪ロードレースの人気が非常に高かった。

二輪

バイクでは50cc・125ccクラスで活躍したアンヘル・ニエトは国民的英雄とされ、MotoGP殿堂入りしている[7]。1980年代のシト・ポンス以降には特にスペイン人選手がMotoGPで活躍するようになったとされる[9]。彼ら以外には、カルロス・チェカアレックス・クリビーレセテ・ジベルナウダニ・ペドロサなどのライダーが活躍した。

メーカーではバイク生産で有名なカタルーニャ地方からデルビが参戦した[9]2010年シーズンからはMotoGPのレースがスペイン国内で年4回(スペインGP・カタルーニャGPアラゴンGPバレンシアGP)も開催されている。

F1

2000年代にはF1でフェルナンド・アロンソがF1において活躍し、2005年と2006年に総合優勝したことから、近年ではF1の人気が高まっている。F1では「1か国につき年1回のグランプリ開催」が原則とされているが、2008年から2012年にはスペインGP以外に特例でヨーロッパGPバレンシア市街地コース)が開催された。

アロンソ以外のF1ドライバーには、フォーミュラ・ニッポンでも活躍したペドロ・デ・ラ・ロサや、2009年にF1史上最年少デビューしたハイメ・アルグエルスアリなどがいる。2010年から2012年にはスペインを拠点とするHRT F1が参戦していた。

スペインは真冬でも昼間は比較的温暖な気候であり、シーズンオフのマシンテストに適していること、さらに国際自動車連盟(FIA)が認定するグレード1(F1を開催できるグレード)のサーキットが複数存在することから、国内のヘレス・サーキットカタロニア・サーキットなどでは毎年1月から3月には毎週のようにF1のマシンテストが行われる。

ゴルフ[編集]

かつてスペインのゴルフ場を使用するのは国外からの観光客などに限られていたが、1980年代以降には一般市民がプレーできるゴルフ場が数多く建設された[9]。さらに、マドリード近郊に若手競技選手の育成施設を建設したことで、セベ・バジェステロスホセ・マリア・オラサバルなど世界トップクラスの選手も登場し、ゴルフが人気を増す要因となった[9]。1997年にはライダーカップを開催した。

主要大会優勝経験者[13]
選手 マスターズ 全英 全米プロ 全米OP
セベ・バジェステロス 1980, 1983 1979, 1984, 1988
ホセ・マリア・オラサバル 1994, 1999

水泳[編集]

スペインの公営スポーツ施設には必ずプールがあり、インフラが充実した水泳競技ではオリンピックなどの国際舞台で好成績を残している[7]。2012年のロンドンオリンピックでは、女子水球チームが銀メダル、シンクロナイズドスイミングのデュエットが銀メダル、個人種目でミレイア・ベルモンテ・ガルシアが2個の銀メダルを獲得した[7]

シンクロナイズドスイミングは近年になって大きな飛躍を遂げている[14]。2005年の世界選手権では4個のメダル、2007年の世界選手権では6個のメダルを獲得し、2008年の北京オリンピックではチーム、デュエットともに銀メダルを獲得、2009年の世界選手権では金メダル1個を含む7個のメダルを獲得した[14]

陸上競技[編集]

1999年世界陸上競技選手権大会2010年ヨーロッパ選手権2012年世界ジュニア選手権を開催。主に長距離マラソン競歩種目を得意としており、世界選手権ではこれらの種目で7個の金メダルを獲得している。

闘牛[編集]

雄牛と向き合う闘牛士

スペインで闘牛はスポーツではなく文化であるとされる。サッカーに次いで2番目に入場者の多い興行であるとされる[15]。一般的にスペインでは3月から10月が闘牛のシーズンであり、スペインでのシーズンオフには、季節が逆転する中南米に闘牛士が興行に赴く[16]

16世紀には貴族が馬上から牛を槍で着く闘牛が栄華を極めたが、18世紀には闘牛士が徒歩で雄牛と向き合う近代闘牛の様式が確立された[17]。スペイン初の専用闘牛場(1737年)やスペイン初の石造闘牛場(1760年)はセビリアに建設された[17]。画家のフランシスコ・デ・ゴヤは1816年に版画の連作『闘牛技』を製作しており、20世紀には画家のパブロ・ピカソ、著作家のアーネスト・ヘミングウェイ、映画監督のペドロ・アルモドバルなどが闘牛を題材とする作品を製作している[18]

国際的な動物愛護団体は闘牛が残虐な行為であると非難しており、1980年代末からは個別の自治体レベルで闘牛を禁止する動きがみられた[15]。1991年にはカナリア諸島州議会において、スペインで初めて自治州レベルで闘牛禁止法案が可決された。スペイン社会労働党(PSOE)政権下の2007年には、国営のテレビシオン・エスパニョーラがスペイン国内での闘牛中継放送を全廃している[19]。2010年にはカタルーニャ州議会において、カタルーニャ州における闘牛禁止法案が可決された[19][15]。2011年には、闘牛の興行や資格などに関する管轄が各自治州政府からスペイン中央政府文化省に移管された[15]。著作家で闘牛擁護派のアンドレス・アモロス英語版はこれをもって、闘牛が真の文化と呼べる存在になったと主張している[15]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 坂東, 戸門 & 碇 2007, pp. 100-101.
  2. ^ “スペインで反ドーピング法承認、マドリード招致の追い風に”. Reuters. (2013年6月14日). http://jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPTYE95D03320130614 2013年6月14日閲覧。 
  3. ^ a b c d e f g h 立石 2015, pp. 331-335.
  4. ^ a b 立石 2015, pp. 338-340.
  5. ^ a b c d e f 立石 2015, pp. 340-343.
  6. ^ 立石 2015, pp. 343-344.
  7. ^ a b c d e f g 坂東 2013, pp. 313-317.
  8. ^ a b 坂東 2013, pp. 318-320.
  9. ^ a b c d e f g h i j 坂東, 戸門 & 碇 2007, pp. 101-104.
  10. ^ a b 坂東, 戸門 & 碇 2007, p. 101.
  11. ^ ツール・ド・フランスの国別優勝回数ランキング”. 大正製薬 (2013年7月8日). 2017年4月1日閲覧。
  12. ^ CASがコンタドールに2年間の出場停止を言い渡す ツールのタイトル剥奪”. Cyclo Wired (2012年2月6日). 2017年4月1日閲覧。
  13. ^ 坂東, 戸門 & 碇 2007, p. 102.
  14. ^ a b 川成 & 坂東 2011, pp. 374-375.
  15. ^ a b c d e 立石 2015, pp. 320-322.
  16. ^ 坂東, 戸門 & 碇 2007, pp. 108-111.
  17. ^ a b 立石 2015, pp. 322-325.
  18. ^ 立石 2015, pp. 325-330.
  19. ^ a b 坂東 2013, pp. 307-310.

参考文献[編集]