フアン・フランシスコ・ガルシア

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フアンフラン
名前
本名 フアン・フランシスコ・ガルシア・ガルシア
Juan Francisco García García
愛称 フアンフラン
ラテン文字 Juanfran
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1976-07-15) 1976年7月15日(47歳)
出身地 バレンシア
身長 183cm
体重 78kg
選手情報
ポジション DF (LSB)
利き足 左足
ユース
スペインの旗 レバンテ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1994-1997 スペインの旗 レバンテ 47 (1)
1997-1999 スペインの旗 バレンシア 41 (0)
1999-2004 スペインの旗 セルタ 126 (6)
2004-2006 トルコの旗 ベシクタシュ 13 (1)
2005-2006 オランダの旗 アヤックス (loan) 16 (0)
2006-2008 スペインの旗 サラゴサ 62 (0)
2008-2010 ギリシャの旗 AEKアテネ 26 (0)
2010-2016 スペインの旗 レバンテ 172 (0)
1994-2016 通算 504 (8)
代表歴
1999  スペイン U-21 1 (0)
2000-2003 スペインの旗 スペイン 11 (0)
監督歴
2020 スペインの旗 ルーゴ
1. 国内リーグ戦に限る。2017年5月15日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フアンフラン (Juanfran) ことフアン・フランシスコ・ガルシア・ガルシアJuan Francisco García García, 1976年7月15日 - )は、スペインバレンシア県バレンシア出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはLSB

選手経歴[編集]

クラブ[編集]

地元バレンシアに本拠地を置くレバンテUDでキャリアを始め、3シーズン後の1997年に移籍金100万ユーロで強豪バレンシアCFに移籍したことから注目を集めた。同年8月31日、1-2で敗れたアウェーのRCDマヨルカ戦で1部デビューを果たし、バレンシアで公式戦に50試合出場した。

1999年には移籍金400万ユーロでセルタ・デ・ビーゴに移籍し、UEFAカップUEFAチャンピオンズリーグでレギュラーとしてチームを支えていた(後者の1-1と引き分けたクラブ・ブルッヘ戦では得点を決めた[1]。)が、2003-04シーズンにチームはセグンダ・ディビシオンに降格した。

2004年、セルタの2部降格に伴いトルコ・スュペルリグベシクタシュJKに350万ユーロで移籍した[2]が、フアンフランをイスタンブールへ連れてきた同胞ビセンテ・デル・ボスケ監督はシーズン途中に解任されると新監督ルザ・チャルンバイ英語版の構想からすぐに外れ、2005年にオランダエールディヴィジアヤックス・アムステルダムに完全移籍のオプション付きでレンタルされた[3]

2006年、スペインに戻り150万ユーロでレアル・サラゴサに移籍[4]すると、同時期に加入したパブロ・アイマールアンドレス・ダレッサンドロセルヒオ・フェルナンデス・ゴンサレス英語版らと共にチームを引っ張り[5]UEFAカップの出場権を獲得に貢献したが、2シーズン目は個人としてもチームとしても振るわず、クラブは5シーズンぶりに2部に降格した。

2008年7月30日、ギリシャ・スーパーリーグAEKアテネFCに2年・シーズンごとに100万ユーロが支払われる契約で加入した[6]。AEKでは主力としてプレーしていたが、2010年1月後半にキャリアを開始した古巣レバンテUDに2部のシーズン終了までの期限でレンタルの形で復帰。復帰後は19試合5得点を記録し、2シーズンぶりの昇格に貢献したことから、2012年6月までの契約でレバンテへ完全移籍。同クラブではキャプテンに就任した。

2010-11シーズンは、34歳ながら23試合とチーム内の左SBで一番起用され1部残留に貢献した。翌シーズンは、6位でクラブ史上初のUEFAヨーロッパリーグ出場権獲得と更に健闘した。

2012年9月20日、レバンテのヨーロッパデビューとなったホームにヘルシンボリIFを迎えた試合で唯一の得点を挙げ勝利した[7]

2015-16シーズン限りで23年間の現役生活に終止符を打った[8]

代表[編集]

セルタ・デ・ビーゴの活躍から、2000年3月29日のイタリアとの親善試合でスペイン代表でデビューして以来、11試合に出場した。2002 FIFAワールドカップのメンバーに選ばれ、5試合中3試合プレーした。

2003年、EURO2004予選の0-0で引き分けた北アイルランド戦で90分フル出場したのが最後の試合となっている。

指導者経歴[編集]

2020年6月30日、セグンダ・ディビシオンの降格圏に沈んでいたCDルーゴの監督に就任した[9]。就任後6試合を4勝2分という好成績で終えたため、ルーゴは降格一歩手前の16位で2019-20シーズンを終えた。シーズン終了後には、2020-21シーズンの指揮も続けて取ることが発表されたが、開幕戦から5試合で4敗を喫したため、解任された[10]

タイトル[編集]

レバンテ
バレンシア
セルタ
アヤックス

脚注[編集]

外部リンク[編集]