パルマ・デ・マヨルカ

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Palma de Mallorca
14-01-24-перейти в Пальма-де-Майорка-RalfR-DSCN1215-140.jpg
Flag of the Balearic Islands.svg バレアレス諸島州
Flag of the Balearic Islands.svg バレアレス諸島県
面積 208.63 km²
標高 13m
人口 402,949 人 (2016年)
人口密度 1,931.4 人/km²
住民呼称 palmesàno/-sana
守護聖人 Sant Sebastià、Mare de Déu de la Salut
Palma de Mallorcaの位置(スペイン内)
Palma de Mallorca
Palma de Mallorca
スペイン内パルマ・デ・マヨルカの位置
Palma de Mallorcaの位置(バレアレス諸島内)
Palma de Mallorca
Palma de Mallorca
バレアレス諸島県内パルマ・デ・マヨルカの位置

北緯39度34分16秒 東経02度38分48秒 / 北緯39.57111度 東経2.64667度 / 39.57111; 2.64667座標: 北緯39度34分16秒 東経02度38分48秒 / 北緯39.57111度 東経2.64667度 / 39.57111; 2.64667

パルマ・デ・マヨルカPalma de Mallorca)は、スペインバレアレス諸島州基礎自治体ムニシピオ)。地中海西部のバレアレス諸島マヨルカ島南西部に位置する。バレアレス諸島州の州都である。日本語ではパルマ・デ・マリョルカパルマ・デ・マジョルカなどとも表記される。2016年の人口は402,949人であり、スペインで8番目に人口の多い自治体である。パルマ・デ・マヨルカ都市圏スペイン語版はパルマを中心とする9自治体で構成されており、マヨルカ島の人口の50%以上がパルマ・デ・マヨルカ都市圏に住んでいる[1]

歴史[編集]

古代[編集]

マヨルカ島の主都であるパルマは、先史時代の集落の遺跡(タライオット)の上に、パルマリアと呼ばれるローマ人の野営地として建設された[2][3]。西地中海における交易、軍事の要衝として重要な役割を果たし、いわゆる「ローマの平和」(パックス・ロマーナ)の時期に繁栄した。4世紀末にローマ帝国が分裂した後は、一時的に西地中海の覇権をおさえたヴァンダル王国によって支配されるが、6世紀になると東ローマ帝国ユスティニアヌス帝がこの地を征服した。その後、8世紀よりイスラーム勢力の支配下に入った。

中近世[編集]

レコンキスタ後の14世紀に建設されたベルベル城英語版

レコンキスタ(再征服運動)の機運が高まる中、イベリア半島南東部(カタルーニャ)でアラゴン連合王国が台頭すると、アラゴン連合王国は地中海進出の第一歩としてバレアレス諸島の制圧を図った。1229年、アラゴン王ハイメ1世は、パルマ・デ・マヨルカを征服してマヨルカ王国を建てた[3]。このことによって、マヨルカ島は再びキリスト教勢力の支配下に戻った。13世紀末にシチリア島で暴動(シチリアの晩鐘事件)が起こった際、アラゴン王国がシチリア島を獲得できたのは、シチリア島への中継地点であるこの島を支配していたことが前提にあった。バルセロナバレンシアマグリブ地方、イタリアなどの各地に近いパルマ・デ・マヨルカは交易の拠点として繁栄し、様々な航海・造船技術が開発された。

15世紀後半、アラゴン連合王国とカスティーリャ王国の合同によりスペイン王国が成立し、パルマ・デ・マヨルカはスペイン統治下でも重要な役割を担った。しかし、16世紀より地中海でオスマン帝国が台頭し、北アフリカにおけるベルベル人の圧力も強まった。また、大航海時代にともなって貿易の中心が地中海から大西洋に移行したこともあり、徐々にパルマはかつての活力を失っていった。19世紀初頭のナポレオン戦争に際しては、ナポレオンのイベリア半島征服に抵抗する人々が、多くパルマに逃れることになった。

近現代[編集]

第二次世界大戦後には、フランコ政権のもとで観光産業の振興が図られ、観光都市化が進んだ。これにともない、街の人口も急激に増加しており、1900年には約64,000人であった人口が、1960年には16万人、1971年に30万人、そして2011年の40万人と増加した。これらの内約2割は外国人であり、ドイツ、ブルガリア、イタリア、モロッコ、アルゼンチン、ボリビア、コロンビアなどから移り住む人々がいる。1983年にスペインの自治州としてバレアレス諸島州が成立すると、パルマが州都となった[4]。パルマではカタルーニャ語バレアレス諸島方言(マヨルカ方言)が話される。

地理[編集]

気候[編集]

南側に開けたパルマ都市圏

温暖な地中海性気候であり、冬季の気温は摂氏4度から摂氏15度、夏季の気温は摂氏18度から摂氏31度となる。年間降水量は421mm であり、年間の降水日(1mm以上)は51日である。6月から8月はもっとも乾燥する時期であり、9月から12月はもっとも降水量が多い。月別降水量がもっとも多い10月でも70mm以下である。

地勢[編集]

地中海西部のバレアレス諸島マヨルカ島の南西岸に位置する。イベリア半島の東岸から約250㎞東にあり、バレンシアから直線距離で約260km、バルセロナから約210kmの距離にある。マヨルカ島の沖合にあるすべての小島は行政的にパルマに属している[5]。東南岸にある無人島のカブレラ島カブレラ群島マリティメ=テレストリアル国立公園英語版に指定されており、西岸にある無人島のドラゴネーラ島も保護地域となっている[5]

ベルベル城英語版から見たパルマ市街地

経済[編集]

古代より交易や軍事の拠点として重要な位置を占めていた。第二次世界大戦後より、フランコ政権のもとで観光産業の振興が図られた。年間で300日程度が晴天日という気候にも助けられ、多くの観光客も集める観光都市として成長し、マヨルカ島観光の拠点となっている。現在では基幹産業である観光とそれに伴った建設業が経済の2本柱となっている。航空便によるパルマへの訪問者数は年間約2,200万人である。観光産業への特化が進みすぎたため、市財政が第三次産業に依存しており、第一次産業・第二次産業の衰退が深刻化している。

交通[編集]

マヨルカ島の鉄道網(黒:運行中、赤:廃止)

市街地中心部から東5kmに軍民共用のパルマ・デ・マヨルカ空港がある。マドリード=バラハス空港バルセロナ=エル・プラット空港に次いで、旅客数ではスペイン第3位。マドリードやバルセロナなどスペイン本土の都市、イビサ島などバレアレス諸島の他島、イギリスやドイツなどヨーロッパ各地からの便がある。バルセロナやバレンシアから船舶で訪れることも可能であり、バルセロナからは高速船で約4時間弱。

都市間鉄道のマヨルカ鉄道がマヨルカ島中央部のインカやマヨルカ島東部のマナコールとパルマを結んでいる。パルマ地下鉄英語版は2路線があり、郊外のバレアレス諸島大学マラチとパルマを結んでいる。パルマ地下鉄はスペインの島嶼部唯一の地下鉄である。観光路線のソーリェル鉄道トラムンターナ山脈を越えてソーリェルとパルマを結んでいる。

観光[編集]

1587年に完成した。その後、20世紀初めにアントニ・ガウディの設計によって王室礼拝堂が改修された。
  • ラ・アルムダイナ宮
かつてのイスラームの城塞を改修したもの。
  • サン・フランシスコ教会
中世の学者ラモン・リュイの墓がある。
レコンキスタ後の14世紀に建設され、近代においては牢獄として用いられた。19世紀初頭にホベジャーノススペイン語版英語版が投獄された。
  • 商品取引所
  • 海事裁判所

スポーツ[編集]

もっとも人気のあるスポーツはサッカーであり、サッカークラブとしてはRCDマヨルカCDアトレティコ・バレアレスがパルマに本拠地を置いている。RCDマヨルカはイベロスター・エスタディをホームスタジアムとしている。

地中海に面しているためマリンスポーツも盛んである。毎年2月には自転車競技のチャレンジ・ブエルタ・ア・マリョルカが開催される。多目的アリーナとしてはパルマ・アレナスペイン語版があり、2007年には世界選手権自転車競技大会トラックレースの会場となった。

出身者[編集]

姉妹都市[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Climate Majorca.com
  2. ^ History of Majorca Majorcan Villas
  3. ^ a b Majorca, a modern city with a rich history Majorca.com
  4. ^ Tisdall, Nigel (2003). Mallorca. Thomas Cook Publishing. p. 15. ISBN 9781841573274. 
  5. ^ a b Location マヨルカ島ホテル&ビジネス連盟

外部リンク[編集]