デニス・ラクチオノフ

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デニス・ラクチオノフ
名前
本名 デニス・ウラジーミロヴィチ・ラクチオノフ
カタカナ デニス・ラクチオノフ
ラテン文字 Denis Vladimirovich Laktinov
キリル文字
ハングル
Денис Владимирович Лактионов
데니스 락티오노프
基本情報
国籍 大韓民国の旗 大韓民国
ロシアの旗 ロシア
生年月日 (1977-09-04) 1977年9月4日(46歳)
出身地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 ノヴォシビルスク州
身長 176cm
体重 71kg
選手情報
ポジション MFFW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1994-1995
1996-2002
2003-2005
2005
2006-2007
2008-2009
2011
2012-2013
ロシアの旗 FCサハリン
大韓民国の旗 水原三星
大韓民国の旗 城南一和天馬
大韓民国の旗 釜山アイパーク
大韓民国の旗 水原三星
ロシアの旗 シビル・ノヴォシビルスク
ロシアの旗 トム・トムスク
大韓民国の旗 江原FC
59 (25)
161 (42)
79 (14)
4 (0)
16 (0)
28 (0)
1 (0)
11 (1)
代表歴
1998-1999
2002
ロシアの旗 ロシアU-21
ロシアの旗 ロシア
7 (2)
2 (0)
監督歴
チーム
2015 ロシアの旗 UOR #5 Yegoryevsk
2018 ロシアの旗 FC FShMトルペド・モスクワ
2019-2020 ロシアの旗 FCロディナ・モスクワ
2021 ラトビアの旗 リガFC
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

デニス・ラクチオノフロシア語: Денис Лактионов韓国語: 데니스 락티오노프1977年9月4日 - )は、ロシア出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはFW(左ウイング)。

Kリーグ時代の登録名はデニスハングル: 데니스)[1]

来歴[編集]

18歳の時に地元のFCサハリンから創設間もない韓国の水原三星ブルーウィングスへと移籍し、すぐにチームの中心選手へと成長した。2001年から2年連続でアジアクラブ選手権を制した水原の攻撃陣は、高宗秀、デニス、サンドロの名前を一部を取って「コ・デ・ロトリオ」と呼ばれた[2]

韓国での彼の活躍に母国も関心を示し、2002年ワールドカップ日韓大会を目前にした時期に、当時20歳のアンドレイ・アルシャヴィンとともにロシア代表に初招集された。2002年5月17日ベラルーシ戦で国際Aマッチ初キャップを記録したが、ワールドカップのメンバーには選ばれなかった。

2003年城南一和天馬へと移籍し、同年に韓国に帰化した。釜山アイパークへのレンタル移籍を経て、2006年安孝錬とのトレード[3]で古巣の水原に復帰した。

2007年12月23日、ロシア・ファーストディビジョンFCシビル・ノヴォシビルスクに移籍。シビルで28試合に出場し、2009年に契約が満了し、そのまま現役引退した。

2010年モルドバでコーチ業を学び、2011年1月6日、金南一の通訳も兼ねて、FCトム・トムスクのコーチングスタッフとして入閣した。同年夏からは選手兼任も兼ねて、現役復帰を果たしている。

人物[編集]

  • 2003年に韓国に帰化した[4]
  • 帰化後の一時期は従来のデニスから韓国風の李 城南(イ・ソンナム、이성남)という登録名に変更していたが、2006年からデニスに戻した[3]
  • 既婚者であり、ロシア人の妻との間に息子と娘が2人居る。

脚注[編集]

  1. ^ 데니스”. K League. 2023年11月4日閲覧。
  2. ^ 水原のサンドロがJリーグ市原に移籍”. 朝鮮日報 (2003年1月3日). 2007年10月27日閲覧。
  3. ^ a b 성남 이성남-수원 안효연, 맞트레이드 '전격 단행'”. 朝鮮日報 (2005年12月30日). 2007年10月27日閲覧。
  4. ^ 城南のデニスが帰化…韓国名は「李城南」”. 朝鮮日報 (2003年7月23日). 2007年10月27日閲覧。

外部リンク[編集]