荒井公三

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荒井 公三(あらい こうぞう、 (1950-10-24) 1950年10月24日(68歳) - )は、日本の元サッカー選手、日本代表選手広島県佐伯郡能美町(現江田島市)出身。

来歴[編集]

広島工業3年時の1968年全国高等学校サッカー選手権3位[1]。ユース日本代表にも選出され第11回アジアユース選手権(AFCユース選手権)出場。この時の代表メンバーは18人中9人が広島出身者で[2]、多くが日本サッカーリーグ(JSL)に進み、各チームの主力選手として活躍した[1]。(詳細は崎谷誠一の項目を参照)。

所属した古河電工でも日本代表でも1970年代の主力選手の一人として活躍。所属チームでは若き古河を象徴するダイナミックなMFとして守備を引き締め永井良和奥寺康彦らと1976年、古河電工念願の日本サッカーリーグ初制覇、天皇杯制覇の二冠、翌1977年JSLカップ制覇などに貢献した[3]。ロングパス、ロングシュートに威力を発揮、人にも強く、センターバックとしてもプレーした[1]

日本代表には1970年サウサンプトンFC来日試合Cマッチに19歳で初出場。国際Aマッチをなかなか行えない時代であったが、以降1977年まで、国際Aマッチ47試合に出場し4得点を挙げた。これは同学年では藤島信雄64試合に次ぐもので、その他を含めると123試合で日本代表としてプレーしている[1]

古河電工では守備的な仕事が多かったが、代表では攻撃的MFとしても活躍した[4]

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯 天皇杯 期間通算
1969 古河 JSL 6 0 -
1970 14 0 -
1971 13 3 -
1972 JSL1部 12 6 -
1973 17 2
1974 18 2 -
1975 18 2 -
1976 18 1
1977 8 1
1978 0 0
通算 日本 JSL1部 124 17
総通算 124 17

代表歴[編集]

出場大会など[編集]

試合数[編集]

  • 国際Aマッチ 47試合 4得点(1970-1977)


日本代表国際Aマッチ その他期間通算
出場得点 出場得点出場得点
1970 6 0 8 0 14 0
1971 4 0 4 0 8 0
1972 8 2 11 0 19 2
1973 5 0 8 2 13 2
1974 5 1 18 1 23 2
1975 3 1 2 0 5 1
1976 15 0 6 1 21 1
1977 1 0 19 1 20 1
通算 47 4 76 5 123 9

得点数[編集]

# 年月日 開催地 対戦国 スコア 結果 試合概要
1 1972年7月18日 マレーシアクアラルンプール フィリピンの旗 フィリピン 5-1 勝利 ムルデカ大会
2 1972年7月18日 マレーシア、クアラルンプール フィリピンの旗 フィリピン 5-1 勝利 ムルデカ大会
3 1974年9月28日 日本東京 大韓民国の旗 韓国 4-1 勝利 日韓定期戦
4 1975年6月23日 香港 中華人民共和国の旗 中国 1-2 敗戦 アジアカップ予選

[編集]

  1. ^ a b c d 週刊サッカーマガジン』2011年6月14日号 、p70
  2. ^ 『栄光の足跡 広島サッカー85年史』広島サッカー85年史編纂委員会 財団法人 広島県サッカー協会、2010年、p71
  3. ^ 田中孝一『サッカーの物語』kkベストセラーズ、2001年、p162
  4. ^ 時事ドットコム:サッカー今むかし -日韓戦、37年ぶりの「大勝」 時事通信社

外部リンク[編集]