氷川女体神社
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氷川女體神社 | |
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![]() 境内 | |
所在地 | 埼玉県さいたま市緑区宮本2丁目17-1 |
位置 |
北緯35度53分12.89秒 東経139度41分37.56秒座標: 北緯35度53分12.89秒 東経139度41分37.56秒 |
主祭神 | 奇稲田姫命 |
社格等 |
(称)武蔵国一宮 旧郷社 |
創建 | 崇神天皇年間 |
本殿の様式 | 三間社流造 |
別名 | 氷川女体神社 |
例祭 | 10月8日 |
地図 |
氷川女体神社(ひかわにょたいじんじゃ)は、埼玉県さいたま市緑区にある神社。登記上の宗教法人名称は旧字体の氷川女體神社である。武蔵国一宮を称する。全国一の宮会加盟社。旧社格は郷社。
祭神[編集]
主祭神
配祀神
歴史[編集]
社伝では、崇神天皇の時代に出雲大社から勧請して創建されたと伝える。
『大日本地名辞書』では『延喜式神名帳』に記載されている式内社「武蔵国足立郡 多氣比賣神社」の論社としているが、多氣比賣神社は桶川市篠津の多氣比賣神社とする説が有力である。
江戸時代には、幕府より社領50石が寄進された。
近世の文書や拝殿の額に「武蔵国一宮」と記されている。これは大宮の氷川神社と当社、および中山神社(簸王子社)の三社を一体のものとして、大宮の氷川神社が武蔵国一宮であることから当社もそれに含まれると解釈したものである(後述)。また、江戸時代に橘三喜がここから巡拝を始めたという一の宮巡り発祥の地であり、それらのことから現在は、氷川神社と共に「全国一の宮会」に加盟している。
『江戸名所図会』には「元簸河神社」という社名で、登載されている。
見沼周辺の氷川三社[編集]
神社名 | 別名 | 主祭神 | 続柄 |
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氷川神社 | 男体社 | 須佐之男命 | 夫 |
氷川女体神社 | 女体社 | 奇稲田姫命 | 妻 |
中山神社 (中氷川神社) |
氷王子社 (簸王子社) |
大己貴命 | 子(孫) |
元の見沼付近に位置する当社と氷川神社、中山神社は直線上にある。太陽は夏至に西北西の氷川神社に沈み、冬至には東南東の氷川女体神社から昇るという、稲作で重要な暦を正確に把握するための意図的な配置となっている。また、三社の関係は右表のようになる。
これらから、三社で一体の氷川神社を形成して見沼を神池「御沼」として広大な神域を有していた、とする説がある[1]。
境内[編集]
- 磐船祭祭祀遺跡
摂末社[編集]
本殿裏手に複数社鎮座する。
文化財[編集]
重要美術品(国認定)[編集]
- 三鱗文兵庫鎖太刀 1口 - 昭和23年4月27日認定
埼玉県指定有形文化財[編集]
- 三鱗文兵庫鎖太刀 1口(工芸品) - 昭和47年3月28日指定(国の重要美術品認定のものと同じ)[2]
- 氷川女体神社神輿 1基(工芸品) - 昭和47年3月28日指定
- 牡丹文瓶子 一対(2口)(工芸品) - 昭和48年3月9日指定。東京国立博物館に寄託
- 紙本墨書大般若波羅蜜多経 539巻(典籍) - 昭和47年3月28日指定
- 氷川女体神社社殿 1棟(建造物) - 昭和51年3月30日指定
さいたま市指定文化財[編集]
有形文化財
- 氷川女体神社古社宝類 一括(工芸品) - 昭和44年5月21日指定
- 神明宮扁額 僧公遵書 1面(書跡) - 昭和63年3月28日指定
- 北条氏綱制札 1通、北条氏印判状 1通(古文書) - 昭和36年3月31日指定
- 氷川女体神社社領寄進及び朱印状 12通(古文書) - 昭和54年3月28日指定
無形民俗文化財
- 氷川女体神社の名越祓え - 昭和60年3月28日指定
史跡
- 氷川女体神社磐船祭祭祀遺跡 - 昭和54年3月29日指定
天然記念物
- 氷川女体神社社叢 - 昭和40年7月1日指定
現地情報[編集]
所在地
交通アクセス
兼務社[編集]
脚注[編集]
- ^ 『大宮のむかしといま』大宮市(1980年11月発行)。
- ^ さいたま市内・指定登録文化財一覧による。本節に列挙した他の物件についても同様。
参考文献[編集]
- 『埼玉の神社 北足立・児玉・南埼玉』(埼玉県神社庁、1998年)
- 青木義脩 『氷川女体神社』(浦和市郷土文化会、1975年)
- 青木義脩 『氷川女体神社』(さきたま出版会、1984年)
- 野尻靖 『氷川女体神社 浦和』(さきたま出版会、1995年、ISBN 4878912480)
- 井上香都羅 『みむろ物語―見沼と氷川女体社を軸に』(さきたま出版会、1998年、ISBN 4878911123)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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