さいたまブロンコス
さいたまブロンコス The Saitama Broncos | |||
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呼称/略称 | さいたま | ||
愛称 | ブロンコス | ||
所属リーグ |
![]() | ||
創設年 | 1996年 | ||
チーム史 |
ME所沢ブロンコス (1996年~98年) 所沢ブロンコス (1998年~00年) さいたまブロンコス (2000年~05年) 埼玉ブロンコス (2005年~20年) さいたまブロンコス (2020年~) | ||
本拠地 | 埼玉県所沢市[1][2]、さいたま市[1][2] | ||
アリーナ |
![]() 所沢市民体育館[1][2] | ||
収容人数 | 4,308人 | ||
チームカラー | サベージレッド[1][2] | ||
代表者 |
池田純[1] 福田剛紀[1] | ||
ヘッドコーチ | ジョン・サンテイトン | ||
公式サイト | https://broncos20.jp/ | ||
ユニフォーム | |||
|
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
![]() 〒359-1144 埼玉県さいたま市中央区下落合六丁目12-20[1][2] |
設立 | 2020年6月5日[1] |
業種 | サービス業 |
法人番号 |
3030001027862 ![]() |
事業内容 | バスケットボールの興行[1] |
代表者 | 池田純[1] |
主要株主 |
株式会社GENKIDO[1] 日栄建設株式会社[1] 福田 剛紀[1] 株式会社文化放送[1] |
外部リンク | https://broncos20.jp/ |
さいたまブロンコス(さいたまブロンコス、英: The Saitama Broncos[1][2])は、埼玉県所沢市[1][2]及びさいたま市[1][2]をホームタウンとして、B3.LEAGUEに所属しているプロバスケットボールチームである。
概要[編集]
運営会社は株式会社ブロンコス20[1]。2005-06シーズンよりトップリーグに参戦している。旧名称は埼玉ブロンコス。チームロゴは、チーム名のブロンコス(暴れ馬)のシルエットを正円で囲んだデザイン。2020年7月1日にそれまでのデザインのものからリニューアルしたものであり、上部に赤いカラーのチーム名、下部に黒いカラーのホームタウン名を配置している[1]。
チーム名の意味[編集]
- 「ブロンコス」は「暴れ馬」と言う意味を持つ。前身にあたるマツダオート東京バスケットボール部創部2年目の1983年、サンタクララ大学のコーチだったランダから同大学チームのニックネームを寄贈されたことによる。
チームカラー[編集]
- チームカラーはサベージレッド[1]。2019-20シーズンまではグリーンだった。
ユニフォームスポンサー[編集]
- サプライヤー:アップセット
- ジャンジャンデルノザウルス(胸)
- クライムホーム(パンツ前左)
- 喜楽苑(パンツ後左)
- 住宅比較株式会社(パンツ前右)
- 株式会社アルテクス(パンツ後右)
- 桧家ホールディングス(背中)
ユニフォームサプライの遍歴[編集]
- 2005年 - 07年:OZAKI
- 2008年:ブル・ファイト
- 2009年:A-LINE
- 2010年 - 12年:GANBAX
- 2012年 - 13年:MENFES
- 2013年 - 現在:アップセット
歴代ユニフォーム[編集]
HOME | ||||
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AWAY | ||||
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ホームアリーナ[編集]
メインとなるホームアリーナは所沢市民体育館[1]。ホームゲームは所沢以外の埼玉県内各地でも数十試合行う[1]。
「秩父市」「秩父市文化体育センター」2,095人地区 | アリーナ | 収容人数 | 年度 | ||||||||
12-13 | 13-14 | 14-15 | 15-16 | 16-17 | 17-18 | 18-19 | 19-20 | 20-21 | |||
所沢市 | 所沢市民体育館 | 4,308人 | 14 | 12 | 14 | 14 | 14 | 18 | 8 | ||
さいたま市 | サイデン化学アリーナ | 2,954人 | 10 | 12 | 10 | 8 | 8 | 6 | 2 | ||
さいたまスーパーアリーナ コミュニティアリーナ |
3,300人 | - | - | - | - | - | 2 | - | |||
浦和駒場体育館 | 人 | - | - | - | - | - | - | - | - | ||
行田市 | 行田グリーンアリーナ | 2,886人 | 1 | 1 | 1 | - | - | - | - | ||
春日部市 | 春日部市総合体育館 | 3,584人 | 1 | 1 | 1 | 4 | 8 | 2 | 6 | ||
北本市 | 北本市体育センター | 1,997人 | - | - | - | - | 2 | - | 2 | ||
入間市 | 入間市市民体育館 | 450人 | - | - | - | - | 1 | - | 2 | ||
久喜市 | 毎日興業アリーナ久喜 | 1,024人 | - | - | - | - | 1 | - | 2 | ||
本庄市 | 本庄総合公園体育館 | 1,192人 | - | - | - | - | - | 2 | 2 | ||
児玉総合公園体育館 | 人 | - | - | - | - | - | 1 | - | |||
羽生市 | 羽生市体育館 | 768人 | - | - | - | - | - | 1 | - | ||
志木市 | 志木市民体育館 | 600人 | - | - | - | - | - | 2 | - | ||
ふじみ野市 | ふじみ野市立総合体育館 | 人 | - | - | - | - | - | 2 | - | ||
坂戸市 | 城西大学 | 人 | - | - | - | - | - | - | 2 | ||
深谷市 | 深谷ビッグタートル | 3,030人 | - | - | - | - | - | - | 2 | ||
伊奈町 | 日本薬科大学さいたまキャンパス体育館 | 人 | |||||||||
レギュラーシーズン・ホーム試合数計 | 26 | 26 | 26 | 26 | 34 | 36 | 30 |
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歴史[編集]
マツダオート東京 - アンフィニ東京[編集]
1982年に結成されたマツダオート東京(のちに1991年からアンフィニ東京に社名変更。現・関東マツダ)のバスケットボール部が前身。1983年の第38回国民体育大会に出場。翌1984年に全日本実業団で決勝まで進み、当時愛知県リーグに降格していたトヨタ自動車に敗れたものの準優勝で旧・日本リーグ2部昇格を果たす。創部1年11ヶ月で日本リーグ2部昇格は日本協会における最速記録である[3]。
1986年に2部昇格後2年9ヶ月という最速記録で1部昇格を決める[3]。初昇格の1987年から1部に定着した。1992年にオールジャパンで準優勝したが、初出場決勝戦進出は49年ぶりであった。また、対野村證券戦のスコア(261-34)はギネスブックに記載されている[3]。
不況の影響に加え2部降格決定も重なり1996年を最後に廃部した。
クラブ化後[編集]
廃止された実業団チーム「アンフィニ東京ブロンコス」が、市民の根強い応援により当時の広報で後のGMの成田俊彦の発案で市民資本のクラブチームとして再スタートを切る。アンフィニ時代に加盟していた東京実業団連盟は、チーム始動時には既に登録申請を締め切られていた。だが埼玉実業団連盟の登録期限前だったのと、所沢でホームゲームを開催した経験もあって所沢を本拠地と定め、チーム名を「ME所沢ブロンコス」とした。MEは「マツダアンフィニ東京・ポート小手指店」の略で、企業名を冠した名目上の実業団である。
大会の規定で日本リーグから降格して関東実業団リーグ戦からの出直しとなったが、全日本実業団2連覇を果たし、住友金属・ジャパンエナジーの日本リーグからの撤退に伴い、1998-1999年度に日本リーグ2部に復帰。チーム名も「所沢ブロンコス」に改めた。その後リーグ戦の組織改正に伴って1999 - 2000年度から実質的な2部リーグとなる新・日本リーグに加盟することになった。その際、1999年限りで休部となった三井生命の森一誠、財前統誉士、稲野辺聡の選手3名を獲得したが、会社に籍を残したままだったため、当時の実業団連盟規定により出場選手登録を認められなかった。3選手とプロ契約を結べば認める旨を通達するも三井生命及び3選手は難色を示したため、このシーズンは3選手を欠いて臨まざるを得なかった。その後、連盟から実業団形態に戻すよう通達されるもブロンコスは引き下がらず、結果、日本リーグの選手登録規定も変更された。(もっとも、所沢ブロンコスの日本リーグ参入も特例で認められた節がある)
チームは2006年にさいたま市のさいたまスーパーアリーナなどで開催される予定の世界選手権大会の開催をきっかけに、2000年からこれまでの所沢市に加え、さいたま市もホームタウンに加えることになり、チーム名も「さいたまブロンコス」に変更された。新リーグになってからは前年度出場停止となった3選手の出場を認められたこともあって上位に参加するようになって、元熊谷組の三木力雄がヘッドに就任してからは2002-2003年度、そして2003-2004年度のシーズンに2連覇を達成した。MVPはそれぞれチャールズ・ジョンソンとアイザック・ソジャナー。
2004年8月に新潟アルビレックス(元・大和証券のバスケット部)とともにプロリーグ(後にリーグ名・bjリーグと決定)を結成する構想を明らかにした。これまでの企業重視の運営に疑問を感じたさいたまと新潟の2チームが中心となって、全国6都市を本拠とする地域密着型の新リーグを作ることを計画したものである。日本バスケットボール協会が日本リーグ機構からの脱退を認めていなかったが、2005年4月に脱退が認められた。(協会主導のプロリーグ計画は一歩後退したセミプロ形式の日本バスケットボールリーグとして2007年に発足された)
bjリーグ[編集]
2005-06シーズン[編集]
2005年度のbjリーグ発足時にチーム名を埼玉ブロンコスに変更した。これは従前の所沢、さいたま両市を含む埼玉県全域にホームタウンを広げ、県民チームとしての定義を目指す意図があった。
シーズン前半に、大黒柱のデービッド・ベンワーを怪我で失うアクシデントに見舞われ、19連敗を喫するなど、不振に陥った。この19連敗は2011年12月に高松ファイブアローズが20連敗を喫するまでbjリーグのワースト連敗記録だった。アシスタントコーチとして残留したベンワーと入れ替わる形で監督のチャールズ・ジョンソンが選手としても出場、またシーズン途中でアメリカのABAよりマーカス・トニーエルを、福岡レッドファルコンズから地元出身の庄司和広を獲得したものの低迷は終わらず、勝率2割に満たない7勝33敗でリーグ全6チーム中最下位としてシーズンを終えた。ブースター(ファン)は、リーグにより「ベストブースター賞」を贈られた。
2006-07シーズン[編集]
ヘッドコーチがジョンソンから山根謙二に交代。15勝25敗の成績でチームを前年度の最下位から脱出、シーズンを全8チーム中6位で終えた。山根は契約年数を1年残していたが、解任という形でチームを去った。
2007-08シーズン[編集]
エクスパンションにより所属10チームに拡大したbjリーグに東・西の2カンファレンス制が導入され、埼玉はイースタンカンファレンス所属となった。前年度限りで現役引退したベンワーがヘッドコーチに就任。前シーズンからチーム力は確実に上がってきており、このシーズンでbjリーグ3連覇を達成した大阪エヴェッサ戦で連勝するなど、21勝23敗と過去最高の成績を収めた。この成績はプレーオフに進出する西地区3位のライジング福岡の成績を上回っていたが、混戦となった東地区で5チーム中4位となり、悲願のプレーオフ進出を逃した。
2008-09シーズン[編集]
ヘッドコーチにはベンワーが残留。bjリーグ参入後のブロンコスにおいて、初めて2年連続で指揮を執るヘッドコーチとなる。ゴードン・ジェームスが高松ファイブアローズに移籍したのを皮切りに外国人を総入れ替え、ジェームズが移籍した高松からレジー・ウォーレンとスティーブ・ホーンを獲得、ドラフトではアーリーチャレンジ制度で前シーズン途中からプレイしていた北向由樹を指名し、新潟アルビレックスBBから寺下太基を獲得、育成指定選手2名と選手契約をするなど、新規選手の獲得に消極的だった例年とは違い積極的な補強を行った。
初のプレーオフ進出を目指すべく始動した2008-09シーズン、bjリーグ創設時のチームで唯一開幕戦未勝利だったブロンコスは富山グラウジーズに勝利すると、北向、庄司、清水ら日本人選手の活躍で破竹の勢いで開幕5連勝と波に乗り、プレーオフ進出の悲願が叶うかに見えた。しかし、新規参入の浜松・東三河フェニックスに連勝を止められると、そこからあっけなく5連敗、そして相性の悪い仙台89ERSや東京アパッチ相手に歯が立たないどころか、開幕戦で連勝した富山グラウジーズにも連敗を喫するなど歯車がかみ合わず、結局新潟アルビレックスBBとのプレイオフ進出圏内の東地区4位争いに敗れて5位となり、創設から4年連続でプレーオフ進出を逃す結果となった。
2009-10シーズン[編集]
前シーズン終了後、ヘッドコーチのベンワーとアシスタントコーチの青野和人は契約満了に伴い退任した。後任は元富山グラウジーズの福島雅人が就任した。
選手の補強では、庄司和広や安藤毅などが退団したが、宍戸治一、波多野和也らが加入。外国人選手も前シーズンに続いて総入替をしてシーズン前にマリオ・ジョインターなど5名が入団。シーズン中にもカービー・レモンズを補強し、外国人選手は最終的に合計6名となる。
2009-10シーズンは開幕戦の仙台89ERS戦からいきなりの7連敗を喫するスタートとなったが、その直後に4連勝。2009年末までに8勝10敗まで盛り返してプレーオフ進出争いに加わる。しかし、2010年になってからは黒星が嵩み、2月13日の大阪エヴェッサ戦から6連敗。3月6日、怪我人が出て選手層の薄さに苦しむ高松ファイブアローズには連勝して連敗を止めたが、続く3月13日の大分ヒートデビルズ戦からは再び10連敗を喫し、プレーオフ進出が遠ざかる。終盤は、首位の浜松・東三河フェニックスにシーズン初勝利するなど幾分持ち直したが、結局シーズン中に6名もの外国人ロスターが在籍していたにも関わらず、東地区最下位の富山グラウジーズと同勝率、得失点差で上回っただけの5位でシーズンを終え、またもプレーオフ進出を逃す結果となった。
2010-11シーズン[編集]
福島雅人ヘッドコーチは1シーズンで退団し、新ヘッドコーチには前ハワイ大ヘッドコーチのボブ・ナッシュが就任。
米本聡が引退、チームのbjリーグ参入時より在籍していた清水太志郎もFA権を行使して宮崎シャイニングサンズに移籍。 bjリーグ開幕時の6チームで、開幕当初から在籍している選手が一人もいなくなったのは埼玉ブロンコスが初めてである(大阪エヴェッサも開幕当初から在籍している日本人選手は一人もいない)。外国人選手も再び総入替を敢行し、元NBA選手のケニー・サターフィールドやナッシュHCの子息のボビー・ナッシュらを獲得。開幕後に元高松・琉球のジョージ・リーチも補強。
開幕戦はホーム所沢で、現役日本代表石崎巧が加入し注目を集める島根スサノオマジックと対戦し、勝利を収める。しかし、その後はなかなか連勝ができず、5連敗を2度、4連敗を1度喫するなど負けが込み、東地区最下位に沈んでいたが、12月19日の大分戦で勝利すると次節の東京戦でシーズン初の連勝。以降も勢いは衰えず、年を跨いでbjリーグ参入後チーム新記録となる7連勝を達成し、東地区5位まで浮上して前半戦を終えた。
後半戦に入り、チームは新潟とプレーオフ進出圏内の4位を争った。しかし、直接対決で連敗してプレーオフ進出が遠のく。
3月11日、東日本大震災が発生。この震災の影響でチームは活動を休止し、シーズンを終えた[4]。終了時点の順位は東地区7チーム中5位だった。チームが活動を休止した後、急遽設けられたリーグの選手救済制度により、寺下、北向、椎名、クライバー、リーチ、サターフィールドは活動を継続するチームにレンタル移籍している。波多野は退団。
2011-12シーズン[編集]
ダラス・マーベリックスGMのドン・ネルソンの推薦によりディーン・マーレイが新ヘッドコーチに就任。元東京アパッチの得点王ジョン・ハンフリーらを補強した。開幕直前にフォワードのジェイミー・ミラーが故障したため、彼を欠いた状態でシーズン開幕を迎えた。
11月20日、マーレイHCに契約違反があったとして出場停止処分を下し、その日の富山グラウジーズ戦はナタリー・ナカセアシスタントコーチがHC代行として指揮を執り、勝利を飾った。ディーン・マーレイHCは復帰することなく24日に契約解除となり、新たにナタリー・ナカセACが昇格して、bjリーグ初の女性ヘッドコーチに就任した[5]。
12月に入ると、センターのゲイブリエル・ヒューズが病気のため戦線離脱。フォワードのジョン・フラワーズも3日の滋賀レイクスターズ戦で負傷したため、この試合の途中から11日の信州ブレイブウォリアーズ戦までの4試合は身長2m以上の選手が一人も居ない状態での試合を余儀なくされた。10日の信州戦ではハンフリーがbjリーグ歴代2位タイの52得点(フリースローはリーグ新記録の24本成功)をマークする活躍を見せた。17日の新潟アルビレックスBB戦からはミラーが、翌日にはフラワーズが復帰したが、ヒューズは健康面を考慮して現役を引退。代わってナシード・ビアード(前JBL2・豊田通商)が加入したが、彼は約1ヶ月在籍しただけで契約満了となり、新たにジェームス・ポーターが加入。 女性ヘッドコーチの就任を含め、このシーズンはさいたまスーパーアリーナでオールスター開催など話題こそ集めたものの、レギュラーシーズンでは勝ちきれない試合が多く、高松戦以外で同一カード連勝はなく、東地区10チーム中で最下位という結果に終わった。
2012-13シーズン[編集]
ナカセHCの契約満了に伴う退団で、トレイシー・ウィリアムズが新HCに就任。外国人選手は開幕直前にマイケル・ジョイナーが退団したため、ジョン・ハンフリー、アントワン・スコット、ランディ・オアーの3名で開幕を迎え、急遽獲得したデミオン・ベーカーは5戦目から合流。日本人では前富山グラウジーズの山城拓馬や前秋田ノーザンハピネッツの信平優希らが新加入。
開幕から黒星が先行した上に6戦目終了後にハンフリーがヘルニアで一時離脱、他の外国人も故障がちという苦しい台所事情の中、11月17日の富山戦はスターター5人にすべて日本人を起用して勝利した。11月末にスコットとオアーとの契約を解除してニカ・ウィリアムズと、12月20日にはウェイン・オリバーと契約。
主力の故障と外国人の入替をしている間に12連敗を喫し、さらに1勝を挟んで7連敗を喫して下位に低迷。2月中旬頃よりチーム状態が上向きになり、4連勝と3連勝を一度ずつ記録するなど勝ち星が増えたが前半戦の低迷が響き、プレイオフ争いをするまでには至らず東地区11チーム中10位でシーズンを終えた。得点王を獲得したハンフリーやMIPに選出された北向、リバウンド9位に入ったウィリアムズを中心にチーム得点数はリーグ1位で、2月以降だけで100得点以上を7試合で記録した。その反面失点数もリーグワースト1位で、シーズン全試合中100失点以上した試合は18試合におよんだ。チームの1試合最多得点記録および最多失点記録の両方がこのシーズンに更新された。
2013-14シーズン[編集]
ウィリアムズHCが退任し、石橋貴俊が新HCに就任。マイケル・ジョイナー、アンワー・ファーガソン、セオ・リトル、板倉令奈、桝本純也、三澤貴弘、小野寺恵介、山崎稜を補強。11月にリトルとの契約を解除してマーク・ドーソンと入れ替えをした。
開幕2試合目のアウェイ群馬クレインサンダーズ戦でシーズン初勝利[注 1]。さいたま市記念総合体育館で行われた5戦目の横浜ビー・コルセアーズ戦でホーム初白星、シーズン2勝目を上げたが、翌10月20日の横浜戦から2014年1月3日の琉球ゴールデンキングス戦までチームタイ記録の19連敗を喫して最下位に低迷。1月11日にホーム所沢で群馬に93-61で勝利して連敗を止めたものの、連勝が1度もないまま4月7日の信州ブレイブウォリアーズ戦の敗戦をもって6試合残しての東地区11チーム中最下位が確定した。勝率.096は西地区最下位の島根を下回りリーグ全体の最下位で、2007-08シーズンの富山(.159(44試合))を下回るイースタンカンファレンス最低記録で、全体でも2011-12シーズンの高松(.038)に次いで2番目に低い数字である。
ハンフリー個人は2シーズン連続で得点王を獲得したが、チームとしての得点力は前シーズンと打って変わって大幅に落ち込み、ディフェンスも前シーズンから改善されず失点数はリーグワーストクラスだった。
2014-15シーズン[編集]
石橋HCが退任し、前富山HCの下地一明が就任。
前シーズン所属選手で継続契約した選手は佐々木(旧姓:信平)と桝本のみ。選手を大量に入れ替えて、大塚俊、八幡幸助、伊戸重樹、原毅人、永田晃司、杉山直也が新加入した。外国人はブライアン・オーモン、マルコ・チューキッチュと2名の大学卒新人ゲイリー・ジョンソンとジョン・イーケイ。
10月4日にシーズンが開幕したが、未勝利のまま黒星が続き、4試合終了後に帰国して引退してしたイーケイに代わってエリ・スチュワートが加わった。11月第1週の試合(10試合目)終了後にはチューキッチュとの契約を解除。12月第2週の試合より、2シーズン前に在籍していたニカ・ウィリアムズが新たに合流したが、この週より下地HCが病気療養のためチームを離脱したため、山口尊久コンディショニングコーチがHC代行を務めることとなった。その後も開幕からの連敗は続き、年を跨いで1月3日までチーム記録を更新する23連敗を喫したが、1月4日の大分戦を101-87でシーズン初勝利して、連敗を脱出した。1月中旬より下地HCが復帰。1月25日の富山戦とオールスター後初戦の横浜戦でシーズン初の連勝を記録。その直後にオーモンとスチュワートが退団し、残るシーズンは外国人2名のみとなったが、4月18日の横浜戦までに6勝目を挙げ東京サンレーヴスを抜いて東地区12チーム中11位でシーズン終了。2年連続のリーグ全体最下位および勝率1割以下を逃れた。
2015-16シーズン[編集]
下地HCが退任し、OBで前バンビシャス奈良HCの小野寺龍太郎が新HCに就任。前シーズンまでテクニカルアドバイザーだった元HCの三木力雄がアソシエイトコーチに就任した。選手陣容では前シーズンまでと同様に佐々木を除いて主力選手が多数退団し、亀崎光博、栗原祐太、庄司優也、問雅臣、エヴァン・ハリスらが新加入。開幕後も外国人選手の入れ替えを何度も行い、途中加入したセス・ターバーがポイントリーダーとなっている。シーズン後半にエドワード・モリスや新人賞を受賞した上田雅也が加わった。
シーズンは開幕戦から7連敗した後、8戦目(10月25日)の東京戦で大勝してシーズン初勝利。12月、新規参入チーム・広島ライトニング相手にシーズン初の連勝を記録。プレイオフ争いに絡むことはできず、最下位の東京と並ぶシーズン5勝だったが得失点差で東京を上回ったため最下位は免れ、イースタン12チーム中11位でシーズンを終えた。
B.LEAGUE[編集]
2016-17シーズン(B3リーグ)[編集]
bjリーグとNBLが統合して発足する「ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(Bリーグ)」において、初年度はB3(3部)に所属する。コリアー・セントクレアが新ヘッドコーチに就任。総合勝点で9チーム中6位だった。
2017-18シーズン(B3リーグ)[編集]
セントクレアHCの2期目。9チーム中4位。
2018-19シーズン(B3リーグ)[編集]
セントクレアHCの3期目。レギュラーシーズン最終節をもってセントクレアとの契約を解除。ファイナルステージより、元東京サンレーヴス・鹿児島レブナイズ、岐阜スゥープスHCの楠本和生がHCに就任。総合勝点で全10チーム中4位だった。
2019年4月9日、公益社団法人ジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグの理事会において、2019-20シーズンにおけるB2クラブライセンスが交付された[6]。
2019-20シーズン(B3リーグ)[編集]
楠本HCと継続して契約したが、7月24日に楠本側の事情により契約解除。後任にトーマス・ロイヤカスが就任したが8月21日にロイヤカス側の都合により退任。8月22日にリー・タオ・デイナのHC就任が発表された。しかし、第2節まで指揮をとるものの第3節移動直前の10月3日に本人と連絡が取れなくなる事態となり、10月20日にジョン・サンテイトンのHC就任が発表された。シーズンは新型コロナウイルス感染症の流行により途中打ち切りとなった。最終成績は19勝20敗で全12チーム中7位。
2020-21シーズン(B3リーグ)[編集]
2020年7月1日、チーム名を『埼玉ブロンコス』から15年ぶりに『さいたまブロンコス』へ変更。ホームタウンはさいたま市と所沢市のダブルホームタウン、チームカラーはグリーンからサベージレッドに変更となり、ロゴも刷新した[7]。
2021年2月16日には、東京に本社を構えるラジオ専業局の「文化放送」と資本業務提携が決定した。これは代表取締役の池田が過去に文化放送の番組でレギュラーやパーソナリティを務めたからである[8]。
成績[編集]
B.LEAGUE[編集]
埼玉ブロンコス シーズン成績
| |||||||||||||||||||||
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レギュラーシーズン | プレーオフ | 天皇杯 | |||||||||||||||||||
# | シーズン | リーグ | 地区 | 順位 | 勝 | 敗 | 勝率 | ゲーム差 | ホーム | アウェイ | 自地区 | 他地区 | 得点 | 失点 | 点差 | 総合 | 結果 | 備考 | HC | ref. | 結果 |
1 | 2016-17 | B3 | 7 | 12 | 20 | (.375) | 17.0 | 8-12(.400) | 4-8(.333) | 12-20(.375) | 0-0(–) | 2333 | 2463 | -130 | 7 | 7位 | コリアー・セントクレア | [9] | |||
2 | 2017-18 | B3 | 4 | 20 | 12 | (.625) | 6.0 | 11-9(.550) | 9-3(.750) | 20-12(.625) | 0-0(–) | 2599 | 2459 | 140 | 4 | 4位 | コリアー・セントクレア | ||||
3 | 2018-19 | B3 | 6 | 14 | 22 | (.389) | 18.0 | 8-10(.444) | 6-12(.333) | 14-22(.389) | 0-0(–) | 3022 | 3130 | -108 | 6 | 4位 | コリアー・セントクレア→楠本和生 | [10] | |||
ゲーム差:1位との差(PO圏との差) 地区1 # :ワイルドカード QF :準々決勝 3決 :3位決定戦 SF :準決勝 FINAL :決勝 B1:9~14位はPOなし チャンピオン B2優勝 昇格 降格 残留 2021年03月27日更新 |
過去のリーグ戦[編集]
日本リーグ[編集]
年度 | リーグ | ディビジョン | 回 | レギュラーシーズン | セミファイナル | ファイナル | 最終結果 | ||||
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勝 | 敗 | 順位 | 勝 | 敗 | 勝 | 敗 | |||||
1996 | 関東実業団 | 1部 | |||||||||
1997 | 日本リーグ | 2部 | 31 | 6位 | |||||||
1998 | 32 | 3位 | |||||||||
1999 | 33 | 3位 | |||||||||
2000 | 34 | 3位 | |||||||||
2001 | 日本リーグ | 35 | 3位 | ||||||||
2002 | 36 | 優勝 | |||||||||
2003 | 37 | 優勝 | |||||||||
2004 | 38 | 準優勝 |
bjリーグ[編集]
年度 | レギュラーシーズン | 最終結果 | HC | 備考 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
勝 | 敗 | 勝率 | ゲーム差 | 得点 | 失点 | 得失点差 | 順位 | ||||
2005-06 | 7 | 33 | .175 | 24.0(11.0) | 71.5 | 81.0 | -9.5 | 6位 | 6位 | チャールズ・ジョンソン | bjリーグ初年度 |
2006-07 | 15 | 25 | .375 | 14.0(7.0) | 81.4 | 82.9 | -1.5 | 6位 | 6位 | 山根謙二 | |
2007-08 | 21 | 23 | .477 | 8.0(5.0) | 78.9 | 76.4 | +2.5 | 東4位 | 7位 | デービッド・ベンワー | |
2008-09 | 19 | 33 | .365 | 17.0(5.0) | 76.9 | 79.6 | -2.7 | 東5位 | 9位 | ||
2009-10 | 17 | 35 | .327 | 24.0(5.0) | 75.5 | 81.6 | -6.1 | 東5位 | 11位 | 福島雅人 | |
2010-11 | 14 | 24 | .368 | - | 79.3 | 82.7 | -3.4 | - | --- | ボブ・ナッシュ | 活動休止前時点を最終成績としている |
2011-12 | 16 | 36 | .308 | 21.0(9.0) | 79.1 | 85.3 | -6.2 | 東10位 | 18位 | ディーン・マーレイ →ナタリー・ナカセ |
|
2012-13 | 15 | 37 | .288 | 21.0(11.0) | 85.7 | 94.4 | -8.7 | 東10位 | 19位 | トレイシー・ウィリアムズ | |
2013-14 | 5 | 47 | .096 | 37.0(22.0) | 73.3 | 85.0 | -11.7 | 東11位 | 21位 | 石橋貴俊 | |
2014-15 | 6 | 46 | .115 | 35.0(13.0) | 74.1 | 91.4 | -17.3 | 東11位 | 21位 | 下地一明 | |
2015-16 | 5 | 47 | .096 | 34.0(18.0) | 69.3 | 85.3 | -16.0 | 東11位 | 22位 | 小野寺龍太郎 | |
計 | 140 | 386 | .266 |
ゲーム差は()外は1位、()内はプレイオフ圏との差をそれぞれ表している。
獲得タイトル[編集]
個人別タイトル[編集]
MVP
- 日本リーグ2002-03 チャールズ・ジョンソン
- 日本リーグ2003-04 アイザック・ソジャナー
新人賞
- bjリーグ2015-16 上田雅也
コーチ・オブ・ザ・イヤー
- 日本リーグ2002-03 三木力雄
ベスト5
- 日本リーグ2002-03
- PF チャールズ・ジョンソン
- C コーリー・ルイス
- 日本リーグ2003-04
- 日本リーグ2004-05
- SF 倉澤健二
- C カービー・レモンズ
得点
- 日本リーグ2002-03 コーリー・ルイス
- 日本リーグ2003-04 カービー・レモンズ
- 日本リーグ2004-05 カービー・レモンズ
- bjリーグ2012-13 ジョン・ハンフリー
- bjリーグ2013-14 ジョン・ハンフリー
アシスト
- 日本リーグ2001-02 チャールズ・ジョンソン
- 日本リーグ2002-03 チャールズ・ジョンソン
- bjリーグ2011-12 ケニー・サターフィールド
リバウンド
- 日本リーグ2002-03 コーリー・ルイス
- 日本リーグ2003-04 カービー・レモンズ
- 日本リーグ2004-05 ジェローン・ドッド
- bjリーグ2006-07 ゴードン・ジェームス
- bjリーグ2007-08 ゴードン・ジェームス
ブロックショット
- 日本リーグ2002-03 コーリー・ルイス
- 日本リーグ2003-04 アイザック・ソジャナー
スティール
- 日本リーグ2001-02 チャールズ・ジョンソン
- 日本リーグ2002-03 チャールズ・ジョンソン
- 日本リーグ2004-05 カービー・レモンズ
- bjリーグ2013-14 ジョン・ハンフリー
フィールドゴール成功率
- 日本リーグ2002-03 コーリー・ルイス
スリーポイント成功率
- bjリーグ2006-07 庄司和広
フリースロー成功率
ダンクシュート
- 日本リーグ2002-03 コーリー・ルイス
その他受賞[編集]
- bjリーグ2005-06 ベストブースター賞
- bjリーグ2007-08 ベストパフォーマー賞
リーグ戦の主な記録[編集]
個人記録[編集]
1試合最多得点 ジョン・ハンフリー 52得点(2011年12月10日、信州戦)
1試合最多リバウンド デービッド・ベンワー 25本(2005年11月27日、仙台戦)
1試合最多アシスト ケニー・サターフィールド 13本(2010年11月6日、東京戦)
チーム記録[編集]
得点失点関連記録[編集]
最多得点・最多失点
- 1試合最多得点 122得点(2013年4月14日、東京戦)
- 1試合最多失点 124失点(2013年4月27日、横浜戦)
連勝記録[編集]
最多連勝 7連勝(2010年12月19日大分戦から2011年1月16日大阪戦まで)
最多連敗 23連敗(2014年10月4日東京戦から2015年1月3日大分戦まで)
観客動員記録[編集]
部 | 年度 | 試合数 | 合計 | 平均 | 最大 | 最小 | 試合会場 | 備考 |
日本リーグ | 2000-01 | --- | ---人 | ---人 | ---人 | ---人 | --- | --- |
2001-02 | --- | ---人 | ---人 | ---人 | ---人 | --- | --- | |
2002-03 | --- | ---人 | ---人 | ---人 | ---人 | --- | --- | |
2003-04 | --- | ---人 | ---人 | ---人 | ---人 | --- | --- | |
2004-05 | --- | ---人 | ---人 | ---人 | ---人 | --- | 日本リーグ脱退 | |
bjリーグ | 2005-06 | 20 | 27,620人 | 1,381人 | 2,027人 | 640人 | --- | bjリーグ開幕 |
2006-07 | 20 | 41,681人 | 2,013人 | 3,683人 | 1,022人 | --- | --- | |
2007-08 | 20 | ---人 | ---人 | ---人 | ---人 | --- | --- |
会場別観客動員記録
年度 | 自治体 | アリーナ | 座席数 | ホームゲーム観客数 | |||||
試合数 | 合計 | 平均 | 最大 | 最小 | |||||
2005-06 | 所沢市 | 市民体育館 | 約4300席 | 11 | 人 | 1563人 | 2627人 | 1003人 | |
春日部市 | ウイングハット | 3584席 | 4 | 人 | 882人 | 1528人 | 640人 | ||
さいたま市 | 市総合体育館 | 2954席 | 4 | 人 | 1290人 | 2038人 | 704人 | ||
秩父市 | 市文化体育C | 席 | 1 | 人 | 1751人 | ||||
ホーム計 | 20 | 27620人 | 1381人 | 2027人 | 640人 | ||||
2006-07 | 所沢市 | 市民体育館 | 約4300席 | 14 | 29839人 | 2131人 | 3683人 | 1318人 | |
春日部市 | ウイングハット | 3584席 | 2 | 4418人 | 2209人 | 2316人 | 2102人 | ||
さいたま市 | 市総合体育館 | 2954席 | 2 | 5188人 | 2594人 | 2831人 | 2357人 | ||
秩父市 | 市文化体育C | 席 | 2 | 2236人 | 1118人 | 1214人 | 1022人 | ||
ホーム計 | 20 | 41681人 | 2013人 | 3683人 | 1022人 | ||||
2007-08 | 所沢市 | 市民体育館 | 約4300席 | 15 | ----人 | ----人 | ----人 | ----人 | |
春日部市 | ウイングハット | 3584席 | 1 | ----人 | ----人 | ----人 | ----人 | ||
さいたま市 | 市総合体育館 | 2954席 | 4 | ----人 | ----人 | ----人 | ----人 | ||
秩父市 | 市文化体育C | 席 | 1 | ----人 | ----人 | ----人 | ----人 | ||
行田市 | グリーンアリーナ | 席 | 1 | ----人 | ----人 | ----人 | ----人 | ||
ホーム計 | 22 | ----人 | ----人 | ----人 | ----人 |
選手とスタッフ[編集]
現行ロースター[編集]
さいたまブロンコス ロースター
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選 手 | スタッフ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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更新日:2021年03月27日
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下部組織[編集]
2021年4月にU-15ユースチームを設立する予定[11]。
2003年から2007年まで「ブロンコスクラブ」が二軍チームと活動していた。2007年、東京クラブ連盟に移り、チーム名も「RBC東京」に改められた。トライアウトなども開催し、東京No.1 そして日本でも有数のクラブチームを目指している。三木力雄が監督を務め、かつては元ブロンコスの江黒大樹、安藤毅や青野和人もアシスタントコーチ時代に選手登録されていた。
応援[編集]
マスコット[編集]
No. | 名前 | P | 生年 | 身長、体重 | 出身 | 前所属 |
00 | ![]() |
G/F/C | 1996 | 240cm、502kg | 埼玉県 |
モチーフは馬。2011-12シーズンからキャラクターデザインが大幅に変更された。
チアダンスチーム[編集]
2005年のbjリーグ発足とともに結成されたPONYS GREENと2007年より活動を開始したブロンコスチアリーダーズにより応援パフォーマンスを行っている。ブロンコスチアリーダーズは当初「ZERO」として活動していた。
2007-08シーズンより設けられた初代ベストパフォーマンス賞に選出された。
オフィシャルソング[編集]
オフィシャルソングとして杉山清貴の「THIS IS LIFE」、入場ソングにCLIFF EDGEの「Let's go BRONCOS」、「キズナ 〜Get a DREAM〜」が使用されている。
応援番組[編集]
- J:COM所沢「ブロンコスBEAT!!!」
MC[編集]
キーワード[編集]
オフィシャルカー[編集]
オフィシャルカーの車種は、富士重工業のフォレスターSTiを採用。車体にブロンコスのマスコット(キズナ)やチームロゴを全体にペイントを施して、地元の埼玉県でチームに関連する業務や地元のホームゲーム開催時に活用されている。この他にもスバル・エクシーガや三菱・ディオン(グリーンカラー)も採用している。
練習場[編集]
練習場は、所沢市民体育館の近くにある所沢市立美原中学校で行う場合が多い。練習は原則非公開だが、公開する場合もある。bj開幕当初は、通訳がおらず、選手が代わりに通訳をしていたこともあったという。
メディア[編集]
NACK5でブロンコスの応援コーナーがあり、J:COMにて応援番組「ブロンコスBEAT!!!」が放送中。
絆-KIZNA-[編集]
「絆-KIZNA-」をキーワードに地域活動及びブースターとの交流を行っており、例えば、好きな試合に使用可能な3枚組チケットKIZNAチケットの販売や、所沢市内の商店街のブロンコスフラッグ掲示、ミニバスのブロンコスカップを開催している。また、マスコットの名前も暴れ馬のKIZNA君である。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 同時にシーズン唯一のアウェイ戦勝利ともなった。
出典[編集]
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v COMPANY, 公式サイト 2021年2月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g h さいたまブロンコス, B3.LEAGUE公式サイト 2021年2月28日閲覧。
- ^ a b c “さいたまブロンコス-チームデータ”. 2012年8月2日閲覧。
- ^ 2010-2011シーズン全試合日程活動休止のお知らせ - 公式ブログ、2011.3.17
- ^ "bjリーグ初女性ヘッドコーチ誕生" 新ヘッドコーチ契約締結のお知らせ
- ^ “2019-20シーズン B.LEAGUEクラブライセンス 第2回判定結果について” (プレスリリース), B.LEAGUE公式サイト, (2019年4月9日) 2019年4月21日閲覧。
- ^ “チーム名、およびチームロゴ変更のお知らせ 「さいたまブロンコス」として新スタート、さいたま市と所沢市のダブルホームタウン” (プレスリリース), 公式サイト, (2020年7月1日) 2020年7月12日閲覧。
- ^ “東京のラジオ局 文化放送と資本業務提携が決定” (プレスリリース), 公式サイト, (2021年2月16日) 2021年2月28日閲覧。
- ^ “STANDING” (201). 2017年4月4日閲覧。
- ^ “STANDING” (2019年3月17日). 2019年3月22日閲覧。
- ^ U15ユースチーム設立に向けた説明会の開催について
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 公式ウェブサイト
- さいたまブロンコス (@saitamabroncos) - Twitter
- さいたまブロンコス (thesaitamabroncos) - Instagram
- さいたまブロンコス公式チャンネル「ブロンコスの小屋」 - YouTubeチャンネル
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