馬橋隆二

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馬橋隆二
まばし りゅうじ
生年月日 1918年8月31日
出生地 日本の旗 日本 埼玉県北足立郡大宮町
(現・埼玉県さいたま市大宮区北区
没年月日 (2000-05-16) 2000年5月16日(81歳没)
出身校 明治大学法学部卒業
前職 弁護士
称号 勲三等瑞宝章

当選回数 3回
在任期間 1978年8月6日 - 1990年8月5日
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馬橋 隆二(まばし りゅうじ、1918年大正7年)8月31日[1] - 2000年平成12年)5月16日[2])は、大宮市長(第13代 - 第15代)。弁護士

経歴[編集]

埼玉県大宮町出身[1]1942年昭和17年)明治大学法学部卒[1][2]。卒業後は海軍に入る[1]。戦後の1948年(昭和23年)二級事務官吏銓衡に合格し[3]運輸省に入る[3]。一方で高等試験司法科試験にも合格した[1]1950年(昭和25年)に退官し、弁護士として開業した[1]。その後、埼玉県弁護士会長、日本弁護士連合会理事を務め[1]1978年(昭和53年)、大宮市長を5期務めた秦明友の辞職に伴う市長選挙に立候補。大宮市長に初当選、以来3期務めた。

市長在任中は1期目に「大宮市総合振興計画第二次基本計画」を策定[1]、前任者の革新市政を緩やかに継承しつつ保守市政に転換させた。市制施行40周年にあたる1980年(昭和55年)には「大宮市民憲章」が制定された[1]。この他1982年(昭和57年)には東北上越新幹線大宮駅から暫定開業し、1985年(昭和60年)の上野駅への延伸開業まで大宮駅はその始発駅となった[1]。その後は、自治医科大学の附属第二病院の建設構想を受け、1983年(昭和58年)に建設地として誘致する事を表明し、大宮市医師会(現・大宮医師会)による建設反対運動により「循環器専門の病院」とする事で合意して、1989年(平成元年)9月に「自治医科大学附属大宮医療センター(現・自治医科大学附属さいたま医療センター)」として開院した。

1990年(平成2年)まで大宮市長を在任し、翌1991年(平成3年)に勲三等瑞宝章を受章した[2]。他に大宮市名誉市民に推挙された[2]。2000年(平成12年)死去。墓所はさいたま市大宮区の曹洞宗大宮山東光寺にある。戒名は「大宮院殿緑山法隆居士」。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j 『日本の歴代市長』第1巻、717頁。
  2. ^ a b c d 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ株式会社、2005年、506頁。
  3. ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』378頁

参考文献[編集]

  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。