松菱

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株式会社松菱[1]
松菱(本館)と共同ビル。 手前のビルはひとつに見えるが、屋上看板より右が共同ビル。 奥に新館が見える
松菱(本館)と共同ビル。
手前のビルはひとつに見えるが、屋上看板より右が共同ビル。
奥に新館が見える
種類 株式会社[1]
本社所在地 日本の旗 日本
静岡県浜松市鍛冶町124番地[1]
設立 1937年昭和12年)4月19日[1]
業種 小売業
事業内容 百貨店の運営[1]
代表者 谷政二郎[2]

谷忠直[3]
資本金 2億4000万円[1]

約4億8000万円[3]
決算期 2月[1]
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松菱(新館)

株式会社松菱(まつびし、英称Matsubishi Co., Ltd.)は静岡県浜松市中区にかつて存在した日本の百貨店[2]2001年平成13年)11月14日、328億円の負債をかかえ経営破綻した[3]。破綻時の社長は谷忠直[3]。所在地は静岡県浜松市中区鍛冶町124番地。[1]丸に松葉菱商標として使用していた。

歴史[編集]

大空襲の逸話[編集]

1945年(昭和20年)6月18日大空襲により、浜松の町は大部分が破壊され瓦礫の山になってしまったが、松菱百貨店は奇跡的にも破壊を免れ焼け残った。ただし、無傷で残ったわけではなく大きな損壊を受けた部位も所々にあった。そうした個所を修復して営業再開まで持ち込むのにおよそ3年の月日を要したという[13]

経営破綻[編集]

経営破綻に至る経緯[編集]

松菱が顧客から資金を集めて行っていた積立金優待制度「松菱友の会」が破綻の主因である。

友の会は入会して毎月積み立てを行うと、1年後には積み立てた金額より1ヶ月分多い13ヶ月分の金額の買い物券を受け取ることができた。中高年の主婦層に人気で、会員数は49,660人、積立総額は約32億円にものぼったが、積立金は本来必要とされる独立会計など適切な運用がなされておらず、会社の運転資金などに流用されていた。

割賦販売法で定められた保証金の16億円(積立金32億円の50%)について業績の悪化により保証会社の日本割賦販売から保証を受けることができなくなり、代わりの資金調達もできず、北脇保之浜松市長(当時)も支援企業探しに奔走したが結局支援企業は現れなかったため、静岡地方裁判所浜松支部に自己破産の申し立てを行い、破産の宣告を受けた。

松菱が友の会の資金を流用するに至ったのは、遠鉄百貨店創業に対抗するために増床した新館の建設費が有利子負債として経営に大きくのしかかったためである。

JR浜松駅連続立体交差事業に伴って発生した土地を利用して浜松駅の真横という好立地に開業した遠鉄百貨店は予想を上回るペースで業績を伸ばしており、反対に売上が頭打ち状態に陥っていた松菱は行政からの要請もあって集客力向上のために新館を建設することになった。

しかし、新館開業後も松菱の集客は思わしくなく、過去最高の売上を記録した新館開業初年1992年度でさえ、当初の目標であった350億円を大幅に下回る262億円に留まる結果となった。時期がバブル崩壊と重なったこともあって、それ以降も売上減少に歯止めがかからず、ついには新館建設時の借入金返済を売上から賄うこともできなくなり、運転資金確保の為に友の会の積立金に手を付けたのであった。

この問題を重く見た当時の東海銀行(現在の三菱UFJ銀行)が真っ先に融資を打ち切り、当初は支援する方針だったメインバンクの静岡銀行もそれに同調するように融資を打ち切ったため経営が行き詰った。

松菱が倒産した11月14日は友の会会員向けに行っていた優待販売会の初日であり、集まった会員らは、開かないシャッターの前で騒然とする事態となった。また翌15日は取引先への支払日、従業員への給与支払日であった。

松菱の倒産直前に友の会を退会したり、大量の商品券を金券ショップに持ち込んだ客がいたことが後になって判明した。

経営破綻による影響[編集]

松菱は浜松を代表する老舗百貨店であり、景気の低迷などによって業績が悪化しても地元経済界が潰さないとの見方が地域住民の間に根付いていたため、松菱友の会はゼロ金利政策下の超低金利時代にあって確実な収益が期待できる資産運用法として中高年の主婦層に人気であった。

隣接するザザシティ浜松が前年の西館オープンに続き中央館のオープンを1ヶ月後に控え、空中連絡通路で結ばれた松菱とあわせてグランドオープン間近の時期だっただけに、松菱の倒産は市民にとってまさに寝耳に水の事態であり、ショックも大きかったといえる。駅前から鍛冶町方面への客の流れが失われ、松菱との相乗効果を期待していたザザシティ浜松の集客にも大きく影響したと言われている。

同じ浜松市内を中心にスーパーマーケット「松菱マート」を運営する松菱商事は、松菱との資本関係はないにもかかわらず、支払い能力を疑問視され取引先からの商品の納入が滞るなどして店頭商品の欠品が相次ぎ、業績が急速に悪化、2002年6月には民事再生法の適用を申請するまでに追い込まれた。2003年2月期決算では4800万円の債務超過に陥っていた[14](現在はマックスバリュ東海の子会社として再生)。

その後産業再生機構の支援を受けた百貨店の津松菱三重県津市)にも影響を与えたといわれている。

破産宣告を受けた企業[編集]

松菱本体と関連会社2社が破産宣告を受けた。

  • 株式会社松菱
  • 株式会社松菱友の会 (2005年3月14日 破産終結)[15]
  • 株式会社エムビー開発 (2005年7月20日 破産廃止)[16]

再開発計画[編集]

松菱の再建は断念され、代わりの商業施設を誘致する方向で再開発を行うことが決定した。2003年(平成15年)に松菱跡再生協議会の事業評価コンペが行われた。用途を商業施設に限定するという条件の下、2社が参加した。協議の結果、旧松菱の資産は大手雑貨店の「ロフト」を核とした事業提案をした浜松市の不動産会社、アサヒコーポレーション(靴製造のアサヒコーポレーションとは無関係、以下アサヒ社)に売却され、アサヒ社によって再開発が行われることとなった。

当初の事業計画では、2006年度(平成18年度)より松菱本館と共同ビルを取り壊して、地上8階・地下1階の再開発ビルを建設し、既存の新館(地上11階、地下1階)は改修を行って引き続き使用することとされた。再開発ビルは2008年(平成20年)3月の竣工を予定していた。新館には1Fから7Fまでロフトを入居させる計画であった。

事業コンペなどの経緯から「商業施設にすることが筋」と浜松市に注文をつけられたことにより再度大手百貨店の誘致に乗り出す。

2006年(平成18年)5月、大丸とアサヒ社が出店に向けて水面下で調整していることが判明した。 2006年(平成18年)7月31日アサヒ社、浜松市、大丸の3者による本格的な協議に入ったことが明らかになった。大丸側の意向により、新館も取り壊して単館の百貨店を建設する計画となるなど、事業計画には変更が加えられた。

大丸と松坂屋との経営統合が決まった後の2007年(平成19年)3月15日の記者会見において、大丸会長・奥田務は、大丸に代わって松坂屋が浜松に出店する可能性に含みをもたせる発言を行った[17]が、2007年(平成19年)6月11日には、出店した場合の店舗名について、松坂屋ではなく大丸とすることを決定した[18]

2007年(平成19年)7月24日、アサヒコーポレーション、大丸、浜松市の三者が、「大丸浜松店(仮称)」出店で基本合意した。2010年(平成22年)11月開店を目指し、地下4階地上9階(地下2階 - 4階:駐車場、地下1階 - 地上9階:営業階)、延床面積約67,400m2、営業面積34,000m2の県内最大規模の百貨店とする計画で、初年度売上は250億円が見込まれていた[19]

しかし、その後の調査で大量の地下水による難工事が予測されたことにより、開店日は2011年(平成23年)11月に延期された。 2008年(平成20年)9月にはついに三者合意が白紙になった。これを踏まえ、 鈴木康友浜松市長は市議会の答弁で一部地権者が出店に合意していないことを初めて公式に認めた。

その後、リーマンショックに端を発する急激な景気の悪化のため、百貨店業界は大幅な売上減に苦しみ、また市内経済が輸出型製造業に大きく依存する浜松市内は雇用、経営不安が起こるなど深刻な不況に陥った。その中、2009年(平成21年)1月26日に遂に大丸は出店を断念し、計画は完全に白紙に戻された。

補足[編集]

主な関連会社[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j 流通会社年鑑 1990年版, 日本経済新聞社, (1990-11-24), pp. 77-78 
  2. ^ a b c “どい~ら浜松 浜松市制100周年(25) 松菱百貨店の開店”. 静岡新聞びぶれ浜松 (静岡新聞社). (2011年12月22日) 
  3. ^ a b c d e f “浜松の百貨店「松菱」に破産宣告 負債総額328億円”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 静岡版. (2001年11月14日) 
  4. ^ 静岡新聞 ネット版 2009年12月17日
  5. ^ a b c d 後藤隆行 (2009年10月7日). “百貨店『松菱』 激動64年 浜松市立中央図書館で回顧展”. 中日新聞 (中日新聞社): p. 朝刊 
  6. ^ 浜松旧松菱、解体へ 地権者、14日にも正式確認[リンク切れ]静岡新聞@S 2011年4月13日
  7. ^ “簡略沼津市商業界 昭和戦後史”. かみほんニュース24年6月号 (沼津上本通り商店街振興組合). (2012年6月10日) 
  8. ^ 官報 2006年9月21日 18ページ
  9. ^ 日本経済新聞 2011年4月15日 静岡版 朝刊
  10. ^ 静岡新聞 2011年10月29日
  11. ^ 浜松の松菱跡地、地権者が事業計画を変更 47NEWS 静岡新聞 2013年1月24日 2013年4月22日閲覧[リンク切れ]
  12. ^ 浜松の松菱跡地、地権者が事業計画を変更 静岡新聞 @S 2013年1月24日 2013年4月22日閲覧[リンク切れ]
  13. ^ 関連する外部リンク
  14. ^ 連結子会社松菱商事株式会社の民事再生手続終結のお知らせ
  15. ^ 官報 2005年4月4日 号外 79ページ
  16. ^ 官報 2005年8月9日 号外 58ページ
  17. ^ 関連する外部リンク
  18. ^ 2007年6月12日付 静岡新聞報道による
  19. ^ 『大丸』出店に合意 浜松・松菱跡再開発問題(2007年7月25日付 中日新聞)[リンク切れ]
  20. ^ a b 流通会社年鑑 1979年版, 日本経済新聞社, (1978-10-20), pp. 60 

関連項目[編集]

座標: 北緯34度42分19.4秒 東経137度43分53.1秒