中合
本社所在地の中合福島店 | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
|
設立 | 1935年(昭和10年)10月[1] |
業種 | 小売業 |
法人番号 |
1380001001074 ![]() |
事業内容 | 百貨店事業[1] |
代表者 | 代表取締役社長 黒崎浩一[2] |
資本金 | 5000万円[1] |
純利益 | ▲3億5900万円(2019年02月28日時点)[3] |
総資産 | 26億5400万円(2019年02月28日時点)[3] |
従業員数 | 580名(契約社員含む)[1] |
主要株主 | 株式会社ダイエー 100% |
外部リンク | http://www.nakago.co.jp/ |
株式会社 中合(なかごう、英称:NAKAGO)は、福島県で百貨店を運営する企業である。
概要[編集]
1874年(明治7年)11月創立したダイエーグループに属する福島の老舗百貨店である[1]。
創業者の中村治朗兵衛家の本家は、近江麻布の製織と行商で巨万の富を成したとされる近江商人・中村治兵衛家である[4]。三方よしの原典となる家訓を残した[5]。
社名については、1935年(昭和10年)、合名会社から株式会社に改組する際、それまでの社名であった『中村合名会社』の『中』と『合』を取って、『中合(なかごう)』としたのが由来である。なお、社名は、専務取締役を勤めた安藤順造の発案だとされる。『中合』の読み方としては、「ちゅうあい」や「なかあい」ではなく、湯桶読みから由来している「なかごう」である[6]。
2005年12月1日に、北海道函館市の棒二森屋と青森県八戸市の三春屋を運営するアドバンスド・デパートメントストアーズオブジャパンを吸収合併した[7]。また、これと同時にダイエーを引き受け先として増資を行い[8]、十字屋から山形店の経営権を譲り受けた[7]。
しかし、会社全体の構造改革を進める中で、1店舗を閉鎖する方針が決められ、会津店が店舗老朽化による維持費用の増大を理由に[9][10]2010年2月28日に閉店した[11]。
隣接していた平和ビル(旧「山田百貨店」と「福島ビブレ」跡地)に1998年(平成10年)3月に出店し、「福島店二番館」として増床するも[12]、耐震診断の影響で[12][13]、2017年(平成29年)8月31日に閉店。
また同年8月30日には、十字屋山形店も営業不振に加え、ビル所有者との耐震改修費などを巡る条件交渉が折り合わなかったため、2018年1月末で閉店すると発表。発表通りに閉店した[14]。
2019年(平成31年)1月31日には函館市の棒二森屋も閉店した。同年(令和元年)11月6日には、青森県八戸市にある中合三春屋の事業を「やまき」へ事業譲渡したため、再び福島県の店舗のみの運営となった。
グループスローガンは「この街と人が好きだから」。
歴史[編集]
- 1830年(天保元年) - 創業[1]。近江国神崎郡南五個荘村大字石馬寺の二代目中村治郎兵衛が太物行商を始める[15]。
- 1874年(明治7年) - 三代目中村治郎兵衛(安藤芳兵衛)が舟問屋・上総屋幸右衛門の支援を受け福島市荒町に中村呉服店を開業[16]。正札販売実施[17]。
- 1884年(明治17年) - 東京・日本橋富沢町の問屋街に、呉服の仕入店として東京店を開く[18]。
- 1893年(明治26年) - 中村合名会社設立[19]。代表取締役に中村鹿太郎(治郎兵衛の長男)就任。東京店(仕入店)支配人に安藤與惣次郎(治郎兵衛の次男)就任[20]。
- 1913年(大正2年) - 福島店を荒町から大町へ移転する[1]。初代社長に中村英太郎、専務取締役に安藤順造、取締役に中村堅一郎・中村外三郎、監査役に中村吉治・安藤賢吾が各就任[21]。荒町の店舗跡地は、日産プリンス福島販売となっている。
- 1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災により東京店が被災・消失するが、福島店の援助により再建[22]。
- 1935年(昭和10年)10月 - 株式会社に改組[1]。初代社長に中村英太郎就任。専務取締役に安藤順造、取締役に中村堅一郎・中村外三郎、監査役に中村吉治・安藤賢吾が各就任[23]。
- 1938年(昭和13年) - 百貨店業発足[24]。日本百貨店組合(現在の日本百貨店協会)に加盟[25]。
- 1951年(昭和26年) - 安藤順造が2代目社長に就任。専務取締役に安藤賢吾、常務に中村堅一郎が就任[26]。
- 1953年(昭和28年) - 「とびきり市」「はんぱ市」が始まる[27]
- 1954年(昭和29年) - 東北初の百貨店友の会・「中合友の会」が発足[27]。
- 1956年(昭和31年) - 大町旧店舗第一次増築完成(地下1階・地上4階建て)[28]。
- 1956年(昭和31年) - 大町旧店舗第二次増築完成(地上5階建てに増築)。エスカレーターと屋上遊園地が設置[29]。
- 1961年(昭和36年)1月 - 「中合ミサイルタワー」完成[30]。
- 1966年(昭和41年) - 「京都老舗めぐり」(現在の「京の老舗めぐり」)初開催[31]。
- 1973年(昭和48年)10月1日 - 福島市大町から福島駅前(現在地)に移転し、旧店舗の2倍以上に増床[24]。大町の店舗は、「大町パルク」となる。
- 1978年(昭和53年) - 福島駅前進出に伴う建設費等の設備投資の返済や大町パルクの業績不振、第1次オイルショックの影響を受け、業績不振に陥り、大手スーパー・ダイエーと提携、ダイエーグループ入り。一説には、山一證券との仲介が関係していたとされる[32]。
- 1984年(昭和59年) - 旧店舗「大町パルク」と東京店が閉鎖[33]。
- 1993年(平成5年)9月 - 株式会社会津中合と合併[1]。
- 1994年(平成6年)9月 - 株式会社清水屋と合併[1]。
- 1998年(平成10年)3月 - 隣にあった「福島ビブレ」(元:山田百貨店→ダックシティ。後にさくら野百貨店に改称後、閉店)の移転により、同ビルを「中合福島店・2番館」としてオープン[12]。
- 2005年(平成17年)12月1日 - 棒二森屋と三春屋を運営するアドバンスド・デパートメントストアーズオブジャパンを吸収合併すると共に、十字屋から山形店の営業権を譲り受ける。6店体制[7]。また、これと同時にダイエーを引き受け先として増資[8]。
- 2008年(平成20年) - 中合福島店ビル外壁の駅改札側の角に大型ビジョンが設置された[要出典]。
- 2010年(平成22年)
- 2012年(平成24年)2月29日 - 清水屋店がこの日をもって営業終了[34][35]。3月からは、ほとんどの既存テナントと契約し直し、ビルの管理会社が営業を引き継いだ。3月1日から3月4日まで営業を休止し、3月5日より、中合との合併前の店名の「マリーン5清水屋」として営業を再開。その後、3月23日にリニューアルオープンし、若者ブランドや書店の出店など、順次改装を行い、マリーン5清水屋は同年10月3日にグランドオープンした。[36]。
- 2013年(平成25年)10月 - 中合福島店会津営業所が中合サテライトショップ会津として新装開店[1]。
- 2017年(平成29年)
- 2018年(平成30年)1月31日 - 十字屋山形店を閉店。
- 2019年(平成31年→令和元年)
店舗[編集]
現行店舗[編集]
過去に存在した店舗[編集]
- (旧)福島店→中合大町支店(大町パルク)(福島県福島市大町、1913年(大正2年)開店 - 1984年(昭和59年)8月28日閉店[39]、旧店舗)
- 地上5階建て、地下1階[40]。
- 1913年(大正2年)に、呉服店として荒町から移転開業[21]。1938年(昭和13年)に百貨店として増改築[41]。1956年(昭和31年)から1963年(昭和38年)にかけて増築を繰り返し[29]、1961年(昭和36年)1月には「中合ミサイルタワー」が設置された[30]。
- 福島駅前へ店舗移転後閉鎖していたものの、地元商店街からの要望もあり、1974年(昭和49年)6月には、総合スーパー業態として「中合大町支店」(愛称「大町パルク」)が開店[40][30]。その際に3階から5階は一時閉鎖された[42]が、後に3階と4階も売り場として再開した[40]。
- 1984年(昭和59年)当時、年商15億円だったものの、累計赤字がかさみ、採算が合わなくなったこと。また、店内の老朽化に伴い改修費を見積もったところ高額になったことや、周囲の再開発が浮上したため、「大町パルク」を閉鎖することを決定[40]。1984年(昭和59年)8月28日に閉店し、荒町から移転以来53年の歴史に幕を下ろした[39]。
- 閉鎖・解体後、1995年3月に「三共福島ビル」が竣工。「ホテルサンルートプラザ福島」を経て、2017年12月1日から「HOTEL SANKYO FUKUSHIMA」として営業している。
- 現在は小規模店舗・「サテライトショップ会津」として営業再開。
- 福島店ニ番館(1998年(平成10年)3月1日開店 - 2017年(平成29年)8月31日閉店)
- 隣接していた平和ビルの百貨店の「福島ビブレ」(旧・山田百貨店)の移転跡に1998年(平成10年)3月に出店し、「福島店・2番館」として紳士服や食品などの売り場を開設した[12]。
- しかし、福島市が実施した耐震診断で震度6強以上の地震で「倒壊や崩壊の危険性が高い」と判定され[12]、2015年(平成27年)ごろから耐震補強の交渉を行ったが[12]、耐震工事に伴う休業での売上減の影響を「中合」が懸念し[37]、ビル所有者の「平和ビル」側は中合から長期の賃貸借契約を得られなかったことで改修費用の借入が困難と判断したため[37]、2017年(平成29年)2月28日に「福島店ニ番館」を閉店することが発表され[12][37]、同年8月31日に閉店した[45]。
- 十字屋山形店(山形県山形市、2018年(平成30年)1月31日閉店)
- 棒二森屋店(北海道函館市、2019年(平成31年)1月31日閉店)[1]
- 三春屋店(青森県八戸市、2019年(令和元年)11月6日に「やまき」に営業譲渡)[1]
脚注[編集]
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q “中合 会社概要”. 中合. 2017年3月14日閲覧。
- ^ “県都に衝撃...「さみしくなる」 福島駅前の顔・中合2番館終了へ”. 福島民友新聞 (福島民友新聞社). (2017年3月1日)
- ^ a b 株式会社中合 第85期決算公告
- ^ ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、10-11・13-15頁。
- ^ ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、12-13頁。
- ^ ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、162-163頁。
- ^ a b c “ダイエー、棒二森屋を当面存続へ”. 函館新聞 (函館新聞社). (2005年9月2日)
- ^ a b c “三春屋などダイエー完全子会社に”. 東奥日報 (東奥日報社). (2010年5月31日)
- ^ “若松駅前再開発協が解散へ 協議は今後も継続”. 福島民報 (福島民報). (2009年5月23日)
- ^ “「中合会津店」閉店へ 建物老朽化が主因”. 福島民友. (2009年5月22日) 2009年5月25日閲覧。
- ^ a b c “中合会津店が約50年の歴史に幕 店長「地域に感謝」”. 河北新報 (河北新報社). (2010年3月1日)
- ^ a b c d e f g h “「中合福島店・2番館」8月末営業終了 売り場を1番館に集約”. 福島民友新聞 (福島民友新聞社). (2017年3月1日)
- ^ “中合福島店 2号館閉店 耐震基準満たさず”. 河北新報 (河北新報社). (2017年3月1日)
- ^ “中合 十字屋山形店を閉鎖 来年1月末”. 日本経済新聞. (2017年8月31日) 2017年9月1日閲覧。
- ^ ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、13-15頁。
- ^ ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、24-25・28頁。
- ^ ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、29-32頁。
- ^ a b c ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、34-37頁。
- ^ ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、39-45頁。
- ^ ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、35-37頁。
- ^ a b ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、54-55頁。
- ^ a b ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、77-104頁。
- ^ ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、162頁。
- ^ a b 新家健精. “福島商調協の軌跡 大店法は地域商業に何をもたらしたか”. 福島大学地域研究 第4巻第3号 (福島大学地域研究センター) (1993-1).
- ^ ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、172頁。
- ^ ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、212-213頁。
- ^ a b ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、213頁。
- ^ ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、215頁。
- ^ a b ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、215-216頁。
- ^ a b c ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、220頁。
- ^ ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、217頁。
- ^ ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、221-223頁。
- ^ a b c ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、224頁。
- ^ 2011年1月6日。
- ^ 酒田・清水屋店撤退を正式表明 正社員は異動、契約社員は打ち切り山形新聞(2011年1月6日) 2011年3月30日閲覧
- ^ a b “マリーン5清水屋、営業スタート 23日にプレオープン”. 山形新聞 (山形新聞社). (2012年3月5日)
- ^ a b c d “中合福島店 2号館閉店 耐震基準満たさず”. 河北新報 (河北新報社). (2017年3月1日)
- ^ “福島店2番館閉店 百貨店の中合”. 日本経済新聞. (2017年9月1日) 2017年9月1日閲覧。
- ^ a b 「大町パルクついに閉店」『福島民報(福島民報社)、1984年(昭和59年)8月29日、朝刊18面。
- ^ a b c d 「大町パルク、来月で閉店」『福島民報縮刷版1984年7月号』(福島民報社)、83頁(1984年(昭和59年)7月5日、朝刊3面)。
- ^ ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、172・216頁。
- ^ ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、222頁。
- ^ ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、32-34頁。
- ^ ややまひろし『百年の商魂 中合に伝わる商いの心』 民報印刷、2002年7月、197-198頁。
- ^ “福島店2番館閉店 百貨店の中合”. 日本経済新聞. (2017年9月1日) 2017年9月1日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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