高木邦夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
たかぎ くにお
高木 邦夫
生誕 (1944-03-07) 1944年3月7日(74歳)
日本の旗 日本 長崎県
国籍 日本の旗 日本
出身校 和歌山大学経済学部

高木 邦夫(たかぎ くにお、1944年3月7日 - )は、日本の実業家。株式会社ザイマックス顧問SGホールディングス株式会社顧問、社外取締役。大手スーパーダイエーの元代表取締役社長。

人物[編集]

1944年3月7日、長崎県で生まれる。和歌山大学経済学部卒業。1966年に「主婦の店」(現ダイエー)に入社。海外商品や営業企画などの担当を経る。80年代前半、3期連続の赤字に陥った際、業務企画室長に就任し、業績回復に貢献した。

これらの実績を中内功に目を止められる。その後、中内時代は中内の側近として、一時期はナンバー2とも言われる有力な補佐であった。さらに、中内から依頼され、リクルートの再建にも尽力した。その後は再びダイエーの再建計画に携わった。

ダイエーの経営が悪化していた2001年、リクルートより本社へ呼び戻され、リクルート専務からダイエー社長に就任。経営再建中には、中内がこだわっていた球団の継続保有を主張し、売却を否定していた。一方、メーンバンクからは産業再生法を適用の元、再建をすることを勧められていたが、適用すると球団を手放す可能性が発生するとのため、頑なに拒否して自主再建にこだわる姿勢をずっと崩さなかった。後に、銀行との長時間に渡り、話し合いをした結果(半ば強制的とも言われている)、産業再生法適用を決断する[1]。適用までは連日のように、報道陣は高木氏の自宅周囲で陣をとっていたほか、テレビ東京のドキュメンタリー番組『日経スペシャル ガイアの夜明け』では、高木の様子や、ずっと自主再建にこだわっていた強い姿勢なども取り扱った「ダイエー迷走劇の真相」が放送された。

ダイエーでは前述のとおり、経営も人事も荒廃した状態での就任であった。自主再建には失敗したものの、ダイエーグループから役職を辞した後も、その手腕を買われて顧問職などで他業種から招かれている。また、ダイエー復帰の噂も少なからずささやかれている[2]

経歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ “再生機構に支援要請 ダイエー、自主再建を断念”. 共同通信. (2004年10月13日). http://www.47news.jp/CN/200410/CN2004101301003683.html 2015年6月6日閲覧。 
  2. ^ 高木元ダイエー社長 復帰プロジェクト始動 ゲンダイネット2006年10月24日掲載。[リンク切れ]
先代:
佐々木博茂
(社長代行)

鳥羽薫
社長
ダイエー社長
第3代(2001年-2004年
次代:
蓮見敏男