ほていや百貨店

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株式会社ほていや[1][2]
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
長野県上田市海野町4802[1][2]
設立 1950年昭和25年)2月15日[1]
代表者 代表取締役社長 成沢忠兵衛[1]

代表取締役社長 成沢守雄[2]
資本金 6000万円[1]
売上高 15億2000万円
1967年(昭和42年))[1]

18億5000万円
1968年(昭和43年))[1]
従業員数 320[1]
主要子会社 (株)布忠[1]
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ほていや[2]
店舗概要
所在地 長野県上田市海野町4802[2]
延床面積 11,000 m²[1]
商業施設面積 7,350 m²[2]
営業時間 9:30-18:00[1]
最寄駅 上田駅
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ほていや百貨店(ほていやひゃっかてん)は1957年(昭和32年)から1977年(昭和52年)まで長野県上田市に存在していた日本の百貨店である[3]

概要[編集]

江戸時代創業の呉服屋である布屋忠兵衛を始まりとして、原町北区の木町通り[3]北国街道)沿いの柳町で営業し続け、「布忠呉服店」[3]明治時代に改称した。

1929年(昭和4年)に現在の国道141号部分である通称百間道路が開通すると「布袋屋呉服店」と改称し建物の半分を洋館風に改築して営業した。

1940年(昭和15年)に創業の地から海野町に移転し[3]、株式会社・ほていや呉服店と改称すると共に2階建て鉄筋コンクリート作りの店舗を建てた。

第2次世界大戦後には第7代上田商工会議所会頭も務めた成沢忠兵衛が品ぞろえを拡充するなど積極的な営業戦略を進め[3]1957年(昭和32年)には増床して事実上百貨店化し[3]1959年(昭和34年)に長野県下で2番目の百貨店として[4]百貨店法(現在は廃止、代わりに大規模小売店舗立地法が置かれている。)に基づき認可され[5]、同年12月に鉄筋コンクリート5階建ての建物を完成させて新装開業し[3]「株式会社・ほていや百貨店」となった。

1961年(昭和36年)には7階建ての店舗を完成させた。当時からエレベーターエスカレーターを設置したが上田市内では珍しかったためたちまち人気スポットと化していたという。また、6階テラス(後に屋上)に設置されていた遊園地は子供に人気があり連日にぎわっていたという。

1968年(昭和43年)に一度目の増築工事で松尾町側にも入り口が設置され同時に5階に展望大食堂が設置され客足が延び、1972年(昭和47年)には二度目の増築工事で階段が増設された。

1974年(昭和49年)4月に原町問屋跡の中央2丁目にユニー上田中央店(1988年(昭和63年)4月閉店)が進出したのを皮切りに[3]、同年10月には西友ストアー(現:合同会社西友)ショッピングタウン上田[3](1976年(昭和51年)に「上田西武」店[6]、2000年(平成12年)9月に「リヴィン上田店」と業態転換を重ね[6]2009年平成21年)3月末閉店[7])が進出して競合が激化。

1975年(昭和50年)8月には小田急百貨店から、売場作りのアドバイザーとして役員の派遣を要請し受け入れるなど(のちに提携に進展)、営業力の強化を図っている。

1977年(昭和52年)3月にイトーヨーカドー(初代)上田店[3]が長野県第一号店舗として上田駅前の日本通運上田支店跡に開業したため、同年8月に大手スーパーのジャスコ株式会社(現:イオン株式会社)の資本参加を受け入れて[8]経営トップに同社の社長を迎えた[3]。 これにより地場資本単独での営業を終了することになった[3]

提携後の「ほていや百貨店」[編集]

提携後会社自体は傘下の独立企業として存続し、従来の店舗で営業を続けていた。

しかし、1983年(昭和58年)7月29日に[9]呉服店時代から42年間営業していた海野町から常田2丁目の昭栄上田工場跡に移転[3]

この移転と同じ1983年(昭和58年)8月21日付で信州ジャスコへ吸収合併される事となった[10]。 そのため、ほていや百貨店はの移転後は店舗名のみが残ることとなった。

信州ジャスコは移転後に旧ほていや百貨店店舗を「ジャスコほていや中央店(FAM ほていや)」としてリニューアルオープンしたが、最上階以上(後に4階以上)が空きフロアとなったため、その場所に置かれていた遊園地・展望大食堂は営業を終了し、ゲームコーナーは地階へ移動した。

その後、(初代)ジャスコほていや上田店は1994年(平成6年)6月に(初代)ジャスコ上田店と改称し[3]、ほていやジャスコ中央店は1999年(平成11年)に閉店したため、「ほていや」の屋号は完全に消滅した。

また、旧ほていや百貨店店舗跡は遊戯設備や催しものの会場や駐車場となった後、穴吹工務店によって買取りマンションが建設された。

なお、入居していた昭栄上田ショッピングセンターの建物の建て替えのため[11]、(初代)ジャスコ上田店は2003年(平成15年)8月20日に閉店した[12]

建て替えて2004年(平成16年)8月1日に開業したイオン上田ショッピングセンター内に(2代目)ジャスコ上田店が後継店舗として出店し[13]2011年(平成23年)3月1日にイオングループの総合スーパーをイオンに店名統一する[14]ことに伴い、(2代目)ジャスコ上田店をイオン上田店に改称して営業している。

歴史[編集]

  • 1957年昭和32年) - ほていや百貨店を開業[3][15]
  • 1959年(昭和34年)
    • 百貨店法による認可を受ける[5]。(長野県下で2番目の百貨店[4]
    • 株式会社・ほていや百貨店設立。
    • 12月 - 鉄筋コンクリート5階建ての建物を完成させて新装開業[3]
  • 1961年(昭和36年) - 7階建てのビル店舗完成。
  • 1968年(昭和43年) - 第一期増築工事完成。入口が2つとなる。
  • 1972年(昭和47年) - 第二期工事完成。階段が2つとなる。
  • 1977年(昭和52年)8月 - 大手総合スーパージャスコと提携[8]。正式店舗名が「ジャスコほていや上田店」(初代)となったため単独での歴史に終止符。
  • 1983年(昭和58年)7月 - 海野町から常田2丁目の昭栄上田工場跡に移転し[3]、旧店舗を「ジャスコほていや中央店(FAM ほていや)」としてリニューアルオープン
  • 1994年平成6年)6月 - (初代)ジャスコ上田店と改称[3]
  • 1999年(平成11年) - ジャスコほていや中央店(FAM ほていや)閉店
  • 2003年(平成15年)8月20日 - 建物の建て替えのため[11]、(初代)ジャスコ上田店閉店[12]
  • 2004年(平成16年)8月1日 - イオン上田ショッピングセンターがオープンし、同ショッピングセンター内に現在のジャスコ上田店が開店[13]
  • 2011年(平成23年)3月1日 - イオングループの総合スーパーをイオンに店名統一する[14]ことに伴い、(2代目)ジャスコ上田店を「イオン上田店」に改称。


補足事項[編集]

1974年に進出したユニーの前身の一つである「ほていや」は、ほていや百貨店とは関係がない。しかし両社とも発祥は呉服店であることは共通している。なお、ユニー(元ほていや)の呉服部門を引き継いだ「さが美」が、1984年9月に呉服テナントとして、ジャスコほていや内に「上田ほていや店」を出店している。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『デパート・ニューズ調査年鑑 1969年度版』 デパートニューズ社、1969年。pp288
  2. ^ a b c d e f 日本商業年鑑 1972年版, 商業界, (1972), pp. 500 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『上田商工会議所百年史』 上田商工会議所、1998年。
  4. ^ a b 信濃史学会 『長野県民の戦後60年史』 信毎書籍出版センター、2008年4月。ISBN 978-4884110666
  5. ^ a b 上田市誌編さん委員会 『上田市誌 近現代編資料』 上田市誌刊行会、2003年。
  6. ^ a b “リヴィン上田店 来年をめどに閉店の方針” 信濃毎日新聞 (信濃毎日新聞社). (2008年10月3日)
  7. ^ “リヴィン上田の建物解体へ 土地売却” 信濃毎日新聞 (信濃毎日新聞社). (2009年9月16日)
  8. ^ a b 有富重尋 柏尾昌哉 『日本の産業構造とマーケティング 流通・サービス業編』 新評論、1981年4月。
  9. ^ 『写真集 昭和の上田・小県 思い出のアルバムシリーズ (14)』 郷土出版社、1983年8月27日。pp175
  10. ^ 田村詩子 『ドイツにおける合併に関する基準日の設定とその変則例』 香川大学経済論叢 第64巻 第4号 (香川大学経済研究所) (1992年2月)
  11. ^ a b 『昭栄 第74期有価証券報告書』 昭栄、2004年3月29日 。
  12. ^ a b 『イオン株式会社 2004年2月期(79期)中間決算参考資料』イオン(株)コーポレート・コミュニケーション部 (2003年10月2日)
  13. ^ a b “イオン、「上田SC」オープン、佐久店に次ぐ店舗規模”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2004年8月6日)
  14. ^ a b “新生イオン誕生控え、サティとジャスコが合同で「入社式」/茅ケ崎”. 神奈川新聞(神奈川新聞社). (2011年2月28日)
  15. ^ 上田小県近現代史研究会 『上田小県近現代史研究会ブックレット no.18「海野町・原町ビックリ歴史散歩」』 上田小県近現代史研究会、2011年10月。

参考文献[編集]

  • 上田市誌編さん委員会『上田市誌17巻 変わる人や物の流れ』上田市誌刊行会、2003年。 
  • 上田市誌編さん委員会『上田市誌 近現代編資料』上田市誌刊行会、2003年。 
  • 上田小県近現代史研究会『上田小県近現代史研究会ブックレット no.18「海野町・原町ビックリ歴史散歩」』上田小県近現代史研究会、2011年10月。 
  • NPO法人まちづくり協会 三橋重昭. “シリーズ 活き活き商店街とまちづくり “郷土を我が手に”真田氏以来、巨大勢力に臨む「上田市・海野町&柳町商店街」”. 月刊専門店第36号-通巻691号(平成20年6月号) (日本専門店会連盟) (2008-6). 
  • 上田市中心市街地活性化基本計画 平成22年3月 (Report). 上田市. 2010.