高岩淡

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高岩 淡(たかいわ たん、1930年11月13日 - )は、日本の映画プロデューサー実業家東映代表取締役社長、会長、相談役を歴任した。

経歴[編集]

貿易商を営む高岩勘次郎、とみの子として、福岡市に生まれる。母とみは、前夫との間に作家檀一雄を生んでおり、檀の異父弟にあたる。実兄にはフリーカメラマンの高岩震、実弟には記録映画作家の高岩仁がおり、ともに元東映社員である。実妹には上智大学理工学部助教授を務めた物理学者の笠耐がいる。

福岡県中学修猷館[1]旧制福岡高等学校を経て、1954年、九州大学経済学部を卒業し、檀の親友である東映東京撮影所所長・坪井与(のち東映専務取締役)に迎えられ東映に入社。1967年、管理部長、1968年、製作部長、1971年、取締役東映京都撮影所長となり、1975年11月には、高岩のアイデアで東映京都撮影所を東映太秦映画村として開村し、一般公開している。その後、1978年11月、常務取締役、1986年11月、専務取締役を経て、1993年6月、岡田茂から引き継ぎ代表取締役社長に就任。2002年6月、岡田裕介の社長就任に伴い、代表取締役会長となる。2006年6月、相談役となり、2012年6月を以て一切の役職から退き、東映を退社した。

一方で、1975年、東映京都スタジオ社長、1991年、東映音楽出版社長、1993年、東映化学工業相談役、1994年6月、東映アニメーション取締役も務めており、アニメーション映画の製作も数多く手掛けている。1996年、東映ビデオ社長に就任。傍ら、1996年から日本アカデミー賞協会会長を務める。

檀一雄との関係は深く、檀の小説『火宅の人』の映画化(1986年)を企画している。また、檀の娘・檀ふみは、高岩との縁で、高校在学中の1972年に東映映画『昭和残侠伝 破れ傘』で映画デビューしている。

恩人・岡田茂からは「お前は企画能力はマイナスや。だけど、人をまとめることは日本一や」と評価された[2]

2012年10月8日、長年に亘って日本映画の発展に大きく貢献した功績により、第46回牧野省三賞を受賞。

主な製作・企画作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 東京修猷会 第525回二木会(2005年11月10日(木))
  2. ^ 高岩淡 『銀幕おもいで話』 双葉社2013年、188頁。ISBN 4-5757-14-01-1