東映テレビ・プロダクション

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株式会社東映テレビ・プロダクション
Toei TV Production Co., Ltd.
種類 株式会社
略称 東映テレビプロ、東映TVP、TTP
本社所在地 日本の旗 日本
178-0063
東京都練馬区東大泉二丁目34番5号
設立 1959年11月2日
業種 サービス業
事業内容 テレビ映画製作
代表者 代表取締役社長 日笠淳
資本金 2,000万円
発行済株式総数 4万株
主要株主 東映
特記事項:第29回日本アカデミー賞協会特別賞受賞
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株式会社東映テレビ・プロダクション(とうえいテレビ・プロダクション、英語: Toei TV Production Co., Ltd.[1])は、日本のテレビ映画製作会社である[2][3][4][5][6][7][8]。略称は東映テレビプロ[8][9]東映TVPおよびTTP東映の100%子会社である[6]

かつて存在した映画配給会社第二東映の前身である同名企業とは、別の会社である[2][3][10][11][12]

沿革[編集]

  • 1958年5月 - 東映が本社に「テレビ課」を置く[10][11]
    • 同年7月 - 旧・株式会社東映テレビ・プロダクションを設立[10][11]
  • 1959年2月 - 旧・株式会社東映テレビ・プロダクションを東映テレビ映画株式会社と商号変更[2][3]
    • 同年5月8日 - 東映テレビ映画を第二東映株式会社と商号変更[2][3][12](同社は1961年12月東映に吸収[12]
    • 同年11月2日 - 新たに株式会社東映テレビ・プロダクションを設立(現行)[2][3][4]
  • 2003年4月1日 - 東映大泉ビデオスタジオを合併[13]
  • 2003年6月 - 生田篤が代表取締役に就任[14]
  • 2009年11月 - 白倉伸一郎が代表取締役に就任[15]
  • 2014年6月 - 日笠淳が代表取締役に就任(現行)

概要[編集]

前史・黎明期[編集]

東映は、1957年(昭和32年)11月、関係会社として日本教育テレビ(NETテレビ、現在のテレビ朝日ホールディングス)を設立、翌1958年(昭和33年)5月には本社に「開発部テレビ課」を設置、同年7月には、テレビ映画の製作会社として株式会社東映テレビ・プロダクション(旧社)を設立している[10][11][16]。NETテレビは、1959年(昭和34年)2月に本放送を開始[16]、同月、東映は、旧・株式会社東映テレビ・プロダクションを「東映テレビ映画株式会社」と商号変更、テレビ映画を製作するとともに、放映後のテレビ映画を各劇場に配給する会社とした[3]。同社が京都撮影所で製作した連続テレビ映画が『風小僧』(主演目黒ユウキ、全48回)であり、同作は同年同月3日にNETテレビ、同年3月3日に大阪の毎日放送テレビで放映を開始した[3][11][17][18]。同作は、東映初のテレビ映画であるとされる[3][11][18]。しかしながら、その3か月後には、同社は、東映の東京撮影所・京都撮影所の生産力を増強し、第二番線として配給するため、「東映テレビ映画株式会社」は「第二東映株式会社」へとさらなる商号変更を行った[2][3]

旧・テレビプロがこのようにして配給会社に転換、その自主性を確保するため、テレビ映画の製作事業を行う製作母体として、同年11月2日、新たに株式会社東映テレビ・プロダクションを設立した[2][3][4]。設立当初の本社は、東京都中央区京橋(当時)の東映と同一に置き、製作所を練馬区東大泉町(現在の東大泉)の東京撮影所内に置いた[2][注釈 1]。資本金は50万円(当時)であった[2]。いっぽう京都撮影所では、1964年(昭和39年)2月、テレビ時代劇のために東映京都テレビ・プロダクションを設立(1990年解散)、同年7月24日に放映を開始した『忍びの者』(主演品川隆二、全52回)を第1回作品として製作した[17][19]。1965年(昭和40年)11月6日、東映は、東映テレビ・プロダクションとは別に、PR映画やテレビ映画の受注製作を目的とした東映東京制作所(1965年 - 1985年)を東京撮影所内に設立している[20][21][注釈 2]。『スパイキャッチャーJ3』(1965年 - 1966年)、『キイハンター』(1968年 - 1973年、全262回)、あるいは「東映不思議コメディーシリーズ」(1981年 - 1993年)を製作したのは、東映テレビ・プロダクションではなく、初期においては東映東京制作所、後期(1985年以降)においてはその後身である東映東京撮影所第二企画製作部である。

テレビ映画を量産[編集]

東映は、1978年(昭和53年)1月20日、東京撮影所内に東映大泉ビデオスタジオを設立、テレビ用のマルチ撮影の可能なステージ(V1・V2ステージ)を増設した[22][23]。同ステージはもっぱら社外へ貸し出され、『翔んだカップル』(1980年10月3日放送開始、全27回)、『セーラー服と機関銃』(1982年7月5日放送開始、全11回)等が同社のステージで収録された[24]。2003年(平成15年)4月1日には、東映テレビ・プロダクションは東映大泉ビデオスタジオを合併、前者が存続会社として残った[13]。2006年(平成18年)には『時効警察』(製作メディアミックス・ジャパン)にスタジオを提供している[25]

2006年(平成18年)3月3日に発表・授賞式が行われた第29回日本アカデミー賞で「協会特別賞」を円谷プロダクション西尾昇(1923年 - )、李鳳宇(1960年 - )とともに受賞した[26]

2015年(平成27年)6月現在、東京撮影所内の東映テレビ・プロダクション用レギュラーステージは、No.1・2・11・12・18・19である[27]。通常手がけているテレビ映画、たとえば『仮面ライダーアギト』(2001年)や同じく『仮面ライダー龍騎』(2002年)の劇場版の際には、「制作協力」としてクレジットされる[8]

企業データ[編集]

フィルモグラフィ[編集]

テレビシリーズ[編集]

劇場用映画[編集]

初期における製作物の一覧である[30][31][32][33]。現行における「制作協力」は含まない。

おもな協力会社[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 東映生田スタジオ所長などを務めた内田有作は、社員はほとんどおらず、外部の契約社員が主体であったことを証言している[9]
  2. ^ 同所管理課長を務めた内田有作は、組合運動の指導的メンバーを隔離する目的もあったと証言している[9]

出典[編集]

  1. ^ CONTENTS, 東映 (英語)、2015年6月22日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 年鑑[1961], p.139, 288.
  3. ^ a b c d e f g h i j k 東映[1962], p.254-261.
  4. ^ a b c d e f 年鑑[2013], p.288.
  5. ^ 関係会社、東映、2015年6月22日閲覧。
  6. ^ a b c d 第92期定時株主総会招集ご通知、東映、2015年6月10日付、2015年6月22日閲覧。
  7. ^ Toei Television Production, インターネット・ムービー・データベース (英語)、2015年6月22日閲覧。
  8. ^ a b c 東映テレビ・プロ東映テレビプロダクション文化庁、2015年6月22日閲覧。
  9. ^ a b c 仮面ライダー怪人大画報 2016, pp. 172-175, 「仮面ライダーを育て上げた三賢人III 実務の賢者 内田有作」
  10. ^ a b c d 田中[1980], p.273.
  11. ^ a b c d e f 野崎[1989], p.174, 189.
  12. ^ a b c 東北東映興業整理解雇事件インターネット判例、1969年11月28日付、2015年6月22日閲覧。
  13. ^ a b c 東映テレビプロと大泉ビデオスタジオ合併インプレス、2003年4月10日付、2015年6月22日閲覧。
  14. ^ 撮影所マイスター・森田芳光監督登場!、東映、2015年6月22日閲覧。
  15. ^ 『キカイダー』は日本人のカリカチュアだ東洋経済新報社、2014年6月4日付、2015年6月22日閲覧。
  16. ^ a b 社史テレビ朝日ホールディングス、2014年4月付、2015年6月22日閲覧。
  17. ^ a b 日経[2004], p.60, 67.
  18. ^ a b 風小僧テレビドラマデータベース、2015年6月22日閲覧。
  19. ^ 忍びの者、テレビドラマデータベース、2015年6月22日閲覧。
  20. ^ 年鑑[1967], p.390.
  21. ^ 年鑑[1984], p.215.
  22. ^ 年鑑[1993], p.267.
  23. ^ V1・V2東映東京撮影所、2015年6月22日閲覧。
  24. ^ 東映大泉ビデオスタジオ - テレビドラマデータベース、2015年6月22日閲覧。
  25. ^ 時効警察、テレビドラマデータベース、2015年6月22日閲覧。
  26. ^ 第29回日本アカデミー賞日本アカデミー賞、2015年6月22日閲覧。
  27. ^ 東映東京撮影所、東映、2015年6月22日閲覧。
  28. ^ 『泣き虫プロデューサーの遺言状 ~TVヒーローと歩んだ50年~』105 - 106頁。予算厳守の体質に「やる気がない」と激怒した平山亨が、2クール目からの下請けを東映東京制作所に変更。
  29. ^ 労働争議の関係で、東映生田スタジオが下請けを担当。
  30. ^ 1960年 公開作品一覧 581作品日本映画データベース、2015年6月22日閲覧。
  31. ^ 1968年 公開作品一覧 482作品、日本映画データベース、2015年6月22日閲覧。
  32. ^ 1970年 公開作品一覧 365作品、日本映画データベース、2015年6月22日閲覧。
  33. ^ 1974年 公開作品一覧 341作品、日本映画データベース、2015年6月22日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]