松竹大船撮影所

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松竹大船撮影所(しょうちくおおふなさつえいじょ)は、1936年1月15日から2000年6月30日まで神奈川県鎌倉市大船にあった映画スタジオ現代劇を担当していた。

概要[編集]

それまで松竹東京市蒲田区(現・東京都大田区)の蒲田撮影所で撮影をしていたが、町工場の多い蒲田では騒音がトーキーの撮影に差し障るという理由から大船に移転する。 移転後の初製作映画は1936年4月に公開された『家族会議[1]。 撮影所長の城戸四郎は「松竹大船調」という独特のスタイルを大船で確立する。松竹の看板映画だった『男はつらいよ』シリーズもこのスタジオで製作された。

テレビドラマでは、テレビ朝日の2時間ドラマ『土曜ワイド劇場』の人気シリーズだった『江戸川乱歩の美女シリーズ』が大船撮影所で制作されており、撮影所のあった大船を含む鎌倉市内や、近隣の藤沢市などもロケ地に使われている。1990年代になると、松竹京都映画が担当していた『赤かぶ検事奮戦記』や『江戸中町奉行所』が大船撮影所に移管され、当該作品のテイストが変わった事象が起きた。

1995年に敷地の一部にテーマパーク鎌倉シネマワールド」を開設するが3年で閉鎖した。ここで展示されていた『男はつらいよ』のセットの一部は、東京都葛飾区柴又にある「葛飾柴又寅さん記念館」に移設された。跡地の大学の一部にもパネルが置いてあったが、2010年代に保存のために撤去された。

渥美清の死後、『男はつらいよ』シリーズ続行不可能などにより松竹の経営は悪化し、1999年10月、2000年6月30日をもっての閉鎖を発表、実施された。大手映画会社の撮影所としては、1986年の大映京都撮影所に次いで戦後2例目の完全閉鎖である。尚、本撮影所で撮影された最後の作品は山田洋次『十五才 学校IV』(2000年公開)であった。

『男はつらいよ』終了後の松竹の主力映画だった『釣りバカ日誌』は東映東京撮影所(東京都練馬区)で撮影されていた。

撮影所の閉鎖後、江東区新木場に新スタジオを建設する計画があったが、頓挫している(ネガ・プリント倉庫のみが完成した)[注釈 1]

現在、松竹大船撮影所があったことを示すものは、「松竹通り」という通りの名前と、イトーヨーカ堂大船店すぐ近くの「松竹前」という交差点名、及びバス停名だけである。

撮影所のプロダクション機能は、松竹本社内に設立された「映像製作部・新撮影所準備室」を経て、「松竹撮影所株式会社」と、松竹本社内の「映像企画部・演出グループ」に分離されている。

施設[編集]

跡地利用[編集]

昭和50年代には大船撮影所を一部縮小し、松竹による商業施設「松竹大船ショッピングセンター」[1]が竣工。イトーヨーカ堂大船店と鎌倉三越(小型店舗)が核テナントとして開店したが、2009年3月1日に三越が閉店・撤退し、跡地には現在BOOKOFF SUPER BAZAAR 鎌倉大船店[2]が入居している。

2000年の完全閉鎖にともなって、残っていた敷地を学校法人鎌倉女子大学に売却し、現在この場所には鎌倉女子大学鎌倉女子大学短期大学部の大船キャンパスとして使用されている。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 大船撮影所閉鎖の後新撮影所を建設することで労使交渉を進めたことがDVD『学校Ⅳ』(山田洋次)の特典映像で語られている

出典[編集]

  1. ^ 松竹大船第一回作品「家族会議」『東京朝日新聞』昭和11年4月8日
  2. ^ ブックオフスーパーバザール鎌倉大船店


関連項目[編集]