竹内まりや

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竹内 まりや
出生名 竹内 まりや
別名 後述を参照
生誕 (1955-03-20) 1955年3月20日(65歳)
出身地 日本の旗 日本 島根県簸川郡大社町杵築南[1][2](現・出雲市大社町杵築南[gm 1]
学歴 慶應義塾大学文学部英米文学専攻(中退)
ジャンル
職業
担当楽器
活動期間 1978年 -
レーベル
事務所
共同作業者 山下達郎
公式サイト 竹内まりや Official Web Site
ローマ字・筆記体のサイン
サイン (Mariya Takeuchi )

竹内 まりや(たけうち まりや、1955年昭和30年〉3月20日 - )は、日本シンガーソングライターで、作詞家作曲家ミュージシャン音楽プロデューサーでもある。出生名も同じ。結婚後の本名は 山下 まりや(やました - )。

「シンガーソング専業主婦」とも呼ばれる(※後述参照)。島根県簸川郡大社町杵築南(現・出雲市大社町杵築南[gm 1])出身。

生家・実家は出雲大社正門前に位置する1877年明治10年)創業の老舗旅館「竹野屋旅館」[7][注 1](※後述参照)。父親は4代目竹内繁蔵(旅館経営者。のちには大社町町長も務めた)[10]山下達郎(シンガーソングライター、ミュージシャン)(※後述参照)。山下との間に一女がいる(※後述参照)。

現在所属するレコード会社ワーナーミュージック・ジャパン。現在所属する芸能事務所スマイルカンパニー、および、夫と共同経営する(著作権管理用)個人事務所のテンダベリー&ハーヴェスト(竹内側の企業[注 2]は竹野屋内にある有限会社ミュージック・ハーヴェスト[11][注 3][注 4])。

略歴[編集]

生い立ち[編集]

父は老舗旅館「竹野屋旅館」の4代目当主であった4代目竹内繁蔵である[10][注 5]。母は山口県下関市出身で、医師を目指す大学生であったが、若い頃の父と恋に落ちて学生結婚し、やがて竹野屋旅館の女将になった[注 5]。竹内はそのような夫婦の娘として、2男4女の6人兄弟の三女・第4子として、1955年(昭和30年)3月20日に生まれた[10][13][注 6]。竹内以外の兄弟の名前は全員日本的で、3人の姉妹はみな「〇〇子」という名前である[注 5]。竹内がただ一人例外になっているのは、1人くらいは自分の好みで名付けたいと思った父が、ならば世界中どこへ行っても呼びやすい名前にしようと考え、「マリヤ[14]」から採って「まりや」と命名した[注 5][注 7]とのことである。父は歌が、母はピアノが上手いという[15]

1961年(昭和36年)4月1日、早生まれの竹内は6歳に成りたてで、地元の大社町立大社小学校(現・出雲市立大社小学校[gm 3])に入学する。

1967年(昭和42年)4月(12歳時)、大社町立大社中学校(現・出雲市立大社中学校[gm 4])へ進学。

高校時代[編集]

1970年(昭和45年)4月(15歳時)、島根県立大社高等学校[gm 5]へ進学する[2]

高校2年生の9月から大学受験を控える3年生の8月まで、AFS交換留学制度を利用して、米国イリノイ州ロックフォールズ英語版 にある四年制公立高校「ロックフォールズ高等学校(ロックフォールズ・タウンシップ・ハイスクール英語版Rock Falls Township High School[gm 6]」で1年間の留学生活を送ることになった[1][16][17][注 8]。同校でのニックネームは Mako [18]クラブ活動はコーラス部に入った[16]。初めて本気で男性を好きになったのもこの時期で、告白するも大失恋に終わった[16][17]。この時の経験は恋愛をテーマにした曲作りに活かされており、失恋の曲などでは同じコーラス部で音楽センスが良く歌の上手かった年下のその男の子の面影を追って書いている、ようなことを言っている[16][17]。その後、将来の夫である山下達郎に出逢うまでに2人の男性を好きになったことも、この話題の中で仄かしている[16][17]。帰国してからは大学受験に向けて勉強の日々が始まったが、アメリカでは女子はみなミニスカート、男子はみなロングヘアで車を乗り回したりで、一方の日本では黒い制服おさげ髪という、向こうとこっちで物凄い落差があり、それがまた楽しくもあったという[16]

大学進学以降[編集]

1973年(昭和48年)4月(18歳時)、慶應義塾大学文学部へ進学し、英米文学を専攻する[1][注 9]慶應には、日吉キャンパス[gm 7]を本拠として1962年(昭和37年)に結成された同校公認のオールジャンル・バンドサークル(音楽バンド同好会)「Real McCOYs(リアル・マッコイズ、通称:マッコイ、慶應リアルマッコイズ、頭字語:KRM)[20]」があり、ジャンルを問わずに音楽とライブ等の演奏を楽しむこのサークルに[20]竹内も籍を置いた[1][21]。3年生の杉真理がリーダーを務めるこのバンドサークルで、竹内は鈴木慶一従妹らとともにバックコーラスを担当している。また、杉のソロ活動をバンド形式でサポートする「PEOPLE(ピープル)」にも参加してキーボードとバックコーラスを担当した[21]なお、のちに結婚することとなる山下達郎大貫妙子と共に結成した「シュガー・ベイブ」はこの年の4月から活動しており、大学時代の竹内の一番好きなバンドであった[22][23]。当時の竹内はプロの歌手を目指していたわけではなく、将来は音楽雑誌編集者になりたいと思っていた[注 5]

しかし、音楽活動に日々入れ込みすぎたため、大学のほうは1年目でフランス語単位を落としてしまい、早々に留年してしまう[注 5][注 10]。大学を“ちゃんと”出て普通に就職するつもりが、これでそうも行かなくなった[注 5]。そのようなとき、PEOPLEで活動していてプロの業界人と繋がりができ、歌手にならないかと誘われる[注 5]

1974年(昭和49年)9月7日、杉の率いる PEOPLEは第8回ポプコン関東・甲信越大会(中野サンプラザ)に「踊りに行こう」という曲で出場している。この大会には、別グループのメンバーとして、佐野元春(バックレイン元春セクションを率いる)、庄野真代、桐ヶ谷仁(フェードインを率いる。のちに松任谷正隆が経営する音楽学校の講師を務める)も出場していた。

1970年代後半[編集]

竹内もバックコーラス等で参加する杉真理のバンド「PEOPLE」は、杉が1977年(昭和52年)にレコードデビューする際、「Mari & Red Stripes(マリ・アンド・レッド・ストライプス)[24][25]」へと名を改めた。このバンドは短い活動期間の後、杉が急病で倒れたために事実上の解散状態になったものの、結成したバンドは解散しないという杉のポリシーの下で一応はその後も存続しており、したがって、杉が活動を続ける限りは竹内もバンドメンバーであり続けている。このバンドは2008年(平成20年)発表の杉の新作アルバム『魔法の領域』に収録の1曲「僕らの日々」でクレジットされた。

1978年(昭和53年)、竹内はビクターより発売された『ロフト・セッションズ (1)』に参加し、「ハリウッド・カフェ」と「8分音符の詩」の2曲を録音する。この「ハリウッド・カフェ」と「8分音符の詩」はプロモーション・オンリーの7インチシングル盤シングルカットされた。この時の竹内の名義は「竹内マリヤ」であった(※名義』も参照)。竹内は、同年11月25日、RCA/RVC より、シングル「戻っておいで・私の時間」、アルバム『BEGINNING』で音楽界デビューを果たす。この時、22歳であった。アイドル不在の時期と重なったため、当初はそのルックスも相まってアイドル歌手のような役割を担った。

1979年(昭和54年)8月21日、3枚目のシングル「SEPTEMBER」を発売する。この曲はトップ100圏内に半年近くチャートインし続け、同年12月31日に開催された第21回日本レコード大賞で新人賞を獲得するに到った。

1980年代前半[編集]

1980年(昭和55年)には、資生堂の化粧品のCMソングとなったシングル曲「不思議なピーチパイ」がヒットする。当初は安井かずみ加藤和彦夫妻や松本隆などが提供する曲を歌っていた竹内であったが、これに飽き足らず、自らも作詞・作曲を手がけるようになった。

ところが、アイドル的活動には大きな不満を持っていた。心ならずもバラエティ番組雑誌表紙グラビアなどにも引く手数多のアイドル活動をやらされることになった竹内は、歌わせてさえもらえない仕事も数多くこなさざるを得なかった。与えられた仕事を懸命にこなしながらも根本的疑問を抱えていたこの時期の竹内の前にアレンジャー(編曲家)として現れたのが、のちに公私に亘ってパートナーとなる山下達郎であった。

山下と大貫妙子が率いるシュガー・ベイブや山下のライブをアマチュア時代から見に行っていた竹内は、特に自らのデビューライブの直前に見た山下のライブに大きな衝撃を受けていた[26]。竹内のレコーディングにアレンジャーとして起用された山下は、その後、同じRVC所属のシンガーのレコーディングに際して双方がコーラスに起用されるなど、関わりを密にしていった。アイドル的活動に深く思い悩んで行き詰まった自分に山下は親身になって相談に乗ってくれて、それが結婚に到るきっかけになったと竹内は語る[27]。二人は次第に懇意になり、やがて山下のマンションで同棲するようになった[28]音楽番組夜のヒットスタジオ』の同年7月28日放送回に出演した竹内は司会者に問われて山下との交際を認めている(後述参照)。

なお、竹内の結婚前の作品は、山下達郎をはじめ、加藤和彦細野晴臣告井延隆センチメンタル・シティ・ロマンス)、大貫妙子林哲司伊藤銀次杉真理安部恭弘浜田金吾といった作家が提供している。

1981年(昭和56年)、先述したアイドル歌手としてオファーと自身の希望する活動とのギャップに原因するストレスと過酷なスケジュールが祟って竹内は喉を傷めて入院し、音楽活動に一旦整理をつける意味から一時休業を宣言した。

1982年(昭和57年)4月、27歳で山下達郎と結婚する。これ以降メディア露出はほとんどなくなったが、同時に作詞家・作曲家として活動を開始し、河合奈保子に提供した「けんかをやめて」「Invitation」などヒットを放つ。しかし同1982年、山下の担当ディレクター小杉理宇造RVCから独立し、アルファ・ムーンを設立すると、山下も「役員兼所属ミュージシャン」として移籍する。

竹内は、「記念に一枚」のつもりで、1984年(昭和59年)にシングル「もう一度」、そして全曲を竹内自身が作詞・作曲したアルバム『VARIETY』をリリース。このアルバムの構想段階では、以前のように外部作家を起用して制作する予定であったが、休業中に竹内が書きためたオリジナル曲のクオリティの高さに山下が驚き、結果、全曲を自作曲のアルバムとしてリリースすることとなった。同作品は最終的に30万枚以上のヒットを記録することになる。同年、娘が誕生する。

1980年代後半[編集]

1981年(昭和56年)の休養宣言と1982年(昭和57年)4月の結婚をターニングポイントとして、それ以降は家庭を最優先にする生活になったため、ライブ活動からは遠のいた。しかし、アレンジャープロデューサーを務める夫のサポートを受けながら、シンガーソングライターとして活動は続けた。

作詞・作曲家としては、薬師丸ひろ子の「元気を出して」(1984年/昭和59年)、岡田有希子の「-Dreaming Girl- 恋、はじめまして」(1984年)、中山美穂の「色・ホワイトブレンド」(1986年/昭和61年)など、数多くのヒット作を生み出してゆく。なお、「元気を出して」は1987年(昭和62年)に竹内がセルフカバーしているほか、中国語カバー(北京語広東語のいずれか)が香港台湾あるいは両地域で2005年までに4度発売されている。日本におけるセルフ以外のカバーは早くも初年(1984年)にピアノソロ曲を出した村松健や、2003年(平成15年)にカバーしてヒットさせた島谷ひとみばかりでなく、多くのカバー曲が生み出されてきた。

1980年代半ばには歌唱力で売るアイドル歌手・中森明菜のアルバム『CRIMSON』のためにテーマに副った楽曲群を提供し、アルバムは1986年(昭和61年)に発売された。男女の道ならぬ恋を竹内が題材にし始めたのには、この作品群を手掛けたことが大きかったという。これ以降、竹内はOLの何気ない日常に焦点を当てた歌や、道ならぬ恋を題材にした曲を数多く世に送り出していった[注 11]。これらは高評価を得、竹内の音楽世界のパブリックイメージの一つとして定着する。なお、竹内は、中森のアルバムに提供した5曲中の2曲を1987年(昭和62年)発売のアルバム『REQUEST』の中でセルフカバーしており、また、もう1曲のセルフカバーは『Denim』(2007年/平成19年)の初回特典CDに収録された。

『REQUEST』は3年間のロングセールスを記録する。同1987年11月にはシングル「AFTER YEARS/」が発売されているが、「駅」は中森明菜の持ち味に合わせて作曲された竹内にしては珍しいマイナーコードの曲であったものが、作り手と歌い手で曲の解釈が大きく違っていたために論争に発展し、当初は予定に無かったセルフカバー・バージョンとしてリリースされ、大きな支持を集めることとなり、広くこの曲が知られるようになった。

1989年(平成元年)9月、『火曜サスペンス劇場』の8代目主題歌であった「シングル・アゲイン」が発売され、ロング・ヒット曲となった。

1990年代[編集]

1990年(平成2年)9月、『火曜サスペンス劇場』の9代目主題歌「告白」が発売され、これもヒットする。

1992年(平成4年)5月、「マンハッタン・キス」がヒット。同年10月に発売されたアルバム『Quiet Life』は、発売と同時にミリオン・セラーとなった。

1994年(平成6年)5月、「純愛ラプソディ」を発売。竹内まりや最大のヒット曲(シングル売上ランキング第1位曲)となった。同年7月に発売されたベスト・アルバム『Impressions』は売上枚数300万を超えるヒットを記録する。

1995年(平成7年)11月発売のシングル曲でケンタッキー・フライドチキンクリスマスキャンペーン用CMソングとして使用された「今夜はHearty Party」では、当時たまたま観ていたフジテレビ系ドラマ『あすなろ白書』に触発され、歌詞に「キムタク」のフレーズを入れたことから、SMAP木村拓哉の起用をジャニーズ事務所へ打診したところ、駄目元のチャレンジであったにもかかわらず快諾を得、コーラスと冒頭、間奏の台詞に木村が参加している。

1997年(平成9年)には、人気アイドル広末涼子が歌手としてデビューするに当たってシングル曲「MajiでKoiする5秒前」を提供し、これもヒットした。眩いほどの希望に溢れた少女の心情を爽やかに謳った曲で、先述した大人の道ならぬ恋の歌を生み出す竹内の振り幅の大きさを改めて示す作品になった。

全体的には、1990年代の竹内は、縁故のあるミュージシャンのライブにサプライズゲストとして登場し、洋楽カバーを数曲ばかり歌うことはあっても[注 12]、表立ってライブ活動を再開したりはしなかった。

2000年代[編集]

2000年(平成12年)7月、約18年ぶりの本格的なライブを東京(11日、12日)と大阪(31日)で行う。その後もアルバム『Bon Appetit!』(2001年/平成13年)、カヴァーアルバム『Longtime Favorites』(2003年/平成15年)などをリリースし、名前を挙げた2作品はいずれもオリコンチャート第1位を獲得した。

2004年(平成16年)には山下のシングル「忘れないで」の作詞を担当など、音楽活動を着実に増やし続けていた。

2006年(平成18年)になると、子育てが一段落したことにより、新譜リリースを精力的に行うようになる。この頃(50歳ごろ)からは、歌手として曲を提供されて歌っていた当時のことも思い出して、他人の作った曲も積極的に歌ってゆこう考えるようになった[注 5]

2007年(平成19年)には、6年ぶりのオリジナルアルバムDenim』を発表した。この作品でもオリコンチャート第1位を獲得し、健在ぶりを証明してみせた。同年8月に発売したシングル「チャンスの前髪」には、サザンオールスターズ原由子がゲストボーカルとして参加している。

続く2008年(平成20年)5月のシングル「幸せのものさし」では 、この曲が主題歌となったTBS系ドラマ『Around40〜注文の多いオンナたち〜』の主演女優・天海祐希が竹内たっての希望でコーラスに参加し、ミュージック・ビデオにも出演した。デビュー30年を迎えるこの年の9月には、竹内の曲のみで構成されたジュークボックス・ミュージカル本気でオンリーユー』が松浦亜弥主演で初演された。また、竹内の故郷である島根県を舞台としたNHK連続テレビ小説だんだん』が9月29日から放送開始されたが、主題歌縁の糸」とナレーションを竹内が担当し、また、ヒロインを務めたマナカナ(三倉茉奈と三倉佳奈)には劇中歌「いのちの歌」を提供している(※名義』も参照)。

10月1日には、今までの発表曲を集大成したCD3枚組(初回のみボーナスディスク入りの4枚組)のベストアルバム『Expressions』が発売された。このベストアルバムの選曲にあたり、公式サイトで楽曲のファン投票を行い、NHK『SONGS』1周年記念特別番組にて発表している[注 13]10月23日には、東京国際フォーラムで開かれた作・編曲家 林哲司の活動35周年記念のコンサートにサプライズゲストとして登場し、林が手がけた「September」「象牙海岸」の2曲を生披露した。12月28日大阪フェスティバルホールで開かれた夫・山下達郎のフェスティバルホール最後の公演に、「私もフェスティバルホールにさよならをさせて欲しい」との意向でアンコールのサプライズゲストとして出演し、「人生の扉」「September」を披露したのに加えて、ダブルアンコールでは山下とのデュエットで「LET IT BE ME」を披露した。

2009年(平成21年)4月17日、山下のコンサートツアー東京最終公演(追加公演を除く)にあたる中野サンプラザホールの公演にも、アンコールのサプライズゲストとして出演し、「September」を披露したうえで残り2曲のコーラス隊にも参加した。

2010年代前半[編集]

2010年(平成22年)8月14日に北海道で行われた野外フェス『RINSING SUN ROCK FESTIVAL 2010 in EZO』に山下が出演した際、バックコーラスの一人として全曲に参加。同年12月4日、10年ぶりの本格的なライブである『souvenir again』(東京武道館)の初日にピアノ弾き語りで「いのちの歌」を披露した。これは連続テレビ小説だんだん』において主題的な意味を持つ重要な曲で、「作詞 Miyabi、作曲 村松崇継」ということになっているのであるが、実は「Miyabi」は竹内のペンネームであるということをその場で明かした[29][30](※名義』も参照)。

2012年(平成24年)4月6日、結婚30周年(真珠婚)を迎えた同年9月2日、『SWEET LOVE SHOWER 2012』に山下が出演した際、スペシャルゲストとして登場し、「家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)」「元気を出して」を披露した。

2013年(平成25年)には出身地の出雲市からの依頼を受け、出雲大社の60年に一度の大遷宮が斎行されるこの年に、故郷への想いを歌った楽曲『愛しきわが出雲』を書き下ろし、同年8月に提供した[31][32]。出雲の市民コーラス隊と共に、地元でレコーディングした4日には、デビュー35周年の記念企画としてアン・ルイス「リンダ」、河合奈保子けんかをやめて」、中森明菜」など他のアーティストへの提供楽曲を集めた2枚組コンピレーション・アルバムMariya's Songbook』を発売。自ら監修・選曲を手がけ、楽曲解説も自ら執筆。初回限定盤には自身が歌った提供楽曲のデモバージョンなどのレア音源も収録された[33]

2014年(平成26年)、7月デビュー35周年アニバーサリイヤーを飾るシングル「静かな伝説(レジェンド)」リリース。竹内自身の発案で桑田佳祐、原由子をコーラスに迎え、山下達郎も加えた4人での楽曲制作が「蒼氓」以来26年ぶりに実現した。同年9月、7年ぶりのアルバム『TRAD』をリリース。オリコンチャート2週連続で1位獲得。第56回日本レコード大賞「最優秀アルバム賞」を受賞した。また、同年11月から12月にかけて1981年以来33年ぶりに6都市9公演の全国ツアーも行う。同年11月19日、ムーン移籍後最初のアルバムである『VARIETY』の30周年記念盤をリリース。

2010年代後半[編集]

2015年(平成27年)3月、出雲市から特別功労者として表彰を受ける。市に楽曲『愛しきわが出雲』を提供するなどしたことで地域への愛着醸成に貢献した功績による受賞であった。同年5月、第6回岩谷時子賞を受賞[34]

2016年(平成27年)2月、嵐のニューシングル「復活LOVE」の作詞を手掛ける。作曲・編曲は山下達郎。同年4月、テレビ東京系列経済ニュース番組「ワールドビジネスサテライト」のエンディングテーマを書き下ろす。2017年3月までの1年間放送。また、この年には実家の「竹野屋旅館」の経営が自主廃業寸前にまで悪化し、地元で親族会議が毎週のように開かれる事態になり、達郎・まりや夫婦も参加していた。旅館は親族一同からの経済支援を受けて存続する運びとなり、同年8月、大掛かりな改装が開始。改装費用のほとんどを竹内が買って出ることでそれは実現し、この時点で竹内が事実上のオーナーになる。

2017年(平成28年)7月15日には第三者の手でYouTube80年代の曲「PLASTIC LOVE」(プラスティック・ラブ)がアップロードされ、作品リリースの無い海外でも視聴され始める。同年11月22日には『REQUEST』の30周年記念盤をリリースしている。

2018年(平成29年)、デビュー40周年を迎える。この年、上述した「PLASTIC LOVE」の動画再生回数が2400万回以上という驚異的な伸びを見せ、大きな話題となった[35][36]2010年代初頭に始まったヴェイパーウェイヴが数多くサンプリングしたことで、かつて日本で大流行しながら欧米に輸出されなかったために国際的にはほぼ無名であったシティーポップなる音楽ジャンルが“少しは”海外に知られることとなり、加えて、知ったからにはと世界中どこからでもボーダーレスで簡単にアクセスできる動画共有サービスを使って熱心に掘り起こされる過去作の中から「PLASTIC LOVE」と竹内が見出され、一躍脚光を浴びることになった[36][37]。それがこのブームの本流の動きであった。往時の竹内はシティーポップの第一人者というわけではなかったが、2017年発のブームの下では係る音楽ジャンルを代表する楽曲および人物と捉えられるまでになった。火付け役となったYouTubeには数多くのシティーポップ集がアップロードされるが、「PLASTIC LOVE」と竹内まりやはその種のコンピレーションでは定番中の定番となった。

同年10月17日には、デビュー40周年を記念してシングル「小さな願い/今を生きよう」をリリースし、11月18日には初のファンミーティングを開催している。11月21日からはデビューアルバム『BEGINNING』の40周年記念リマスター盤が発売されたことを皮切りに、RCA/RVC時代のカタログが最新リマスターとボーナストラック付きで順次発売された[38]。11月23日からデビュー40周年を記念して製作されたライブ・ドキュメンタリー映画『souvenir the movie~MARIYA TAKEUCHI Theater Live』が、期間限定で全国ロードショー。

2019年(平成31年)3月、芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)を受賞。同月、デビュー40周年記念特番「竹内まりやMusic&Life〜40年をめぐる旅」がNHK総合で放送される。39年ぶりにNHKスタジオにて歌唱。ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ映画『ダンボ』(ティム・バートン監督)にて日本版エンディングソング『ベイビー・マイン』を歌唱[39]。同年5月、「関ジャム完全燃SHOW(テレビ朝日系列)にて竹内まりや特集がオンエア。前年公開された映画『souvenir the movie~MARIYA TAKEUCHI Theater Live』がアンコール上映される。同2019年(令和元年)9月、40周年記念アルバム『Turntable』をリリース。オリコンチャート1位を記録し、これにより「昭和・平成・令和3時代で1位を獲得した初の女性アーティスト」となると同時に、「女性最年長1位獲得アーティスト」(64歳6ヶ月)となった。10月、映画「最高の人生の見つけ方」(犬童一心監督・吉永小百合・天海祐希共演)主題歌「旅のつづき」を書き下ろし、シングル・リリースする。11月、『第61回輝く!日本レコード大賞』にて「特別賞」を受賞。12月31日にはNHK紅白歌合戦の特別企画・竹内まりや×第70回紅白「未来へつなぐいのちのメッセージ」に出演し、「いのちの歌」を歌唱した[注 14]

2020年代[編集]

2020年(令和2年)1月1日発売の「いのちの歌」(スペシャル・エディション)が13日付オリコン週間シングルランキングで第1位獲得。64歳10か月での1位獲得は歴代最年長記録となった。これにより、「カムフラージュ」以来21年1か月ぶりの1位インターバル記録を樹立した。

コンサート[編集]

2000年(平成12年)に『TOKYO-FM&fm-osaka開局30周年記念イベント』が、日本武道館(7月11日・12日)と大阪城ホール(7月31日)にて開催され、cannaSING LIKE TALKINGとともに竹内本人も出演し、約18年ぶりに本格的なコンサートを開催した。公演は3番目のトリとして出演。約1時間半の公演時間で14曲を歌唱した。山下達郎もバックメンバーとして参加し[注 15]、最後には二人のデュエット曲「LET IT BE ME」も披露している。この模様は『Souvenir〜Mariya Takeuchi Live』としてアルバム化された。

これ以降も、2007年(平成19年)10月13日に開催された、コブクロなどが出演した野外ライブ『風に吹かれて』で、シークレットゲストとしてサプライズ登場し、「元気を出して」を、松たか子などの出演者とともに披露し[注 16]、また、長年の音楽仲間であるセンチメンタル・シティ・ロマンスのコンサートのサプライズゲストで持ち歌を披露するなど、必ずしもライブに否定的ではなく、竹内本人も2009年(平成21年)以降のライブ活動に対して意欲を見せていた[注 17]。また、同2008年12月5日に厚木市民文化会館で行われた夫・山下達郎のコンサートで、「まりやのコンサートもこのメンバーでやる」との山下の発言があり、ライブへの本格復帰が期待されていたが、その年に実現することは無かった。その後、2010年(平成22年)8月29日にゲスト出演したラジオ番組『山下達郎のサンデー・ソングブック』と公式サイトにおいて、12月3日・4日の日本武道館と12月21日・22日の大阪城ホールで、10年ぶりの本格的ライブである『souvenir again』を行うと発表した。このコンサートのライブ音源の一部は前述した番組の2011年(平成23年)2月27日放送回で「夫婦放談番外編」として披露されている。2014年(平成26年)には、11月22日から12月21日にかけて、33年ぶりとなる全国ツアー『souvenir 2014』を全国6都市で9公演を行った。

2018年(平成30年)には、デビュー40周年を記念して過去3度に亘って開催されたコンサートの模様を『souvenir the movie~Mariya Takeuchi Theater Live~』と題し、東映の配給で映画館上映された[40][39][41][42]。2018年11月23日公開[42]。上映時間 94分[42]。好評を博したことにより、2019年(平成31年)5月17日から2週間、全国8都市・8劇場でアンコール上映された[39]。加えて、同作品は内容などが評価され、平成30年度(第69回)芸術選奨 文部科学大臣賞(大衆芸能部門)を受賞した[39]。また、アンコール上映の際は、2012年に公開されて話題を呼んだ山下達郎の『山下達郎シアター・ライヴ PERFORMANCE 1984-2012』も同時アンコール上映された[39]

コンサート[編集]

形態 タイトル 公演規模 公演日程・会場 備考
1979年 単独 ファースト・コンサート "WE WANT MARIYA" 1か所、1公演 6月9日 日本青年館
単独 竹内まりやコンサート 2か所、2公演 10月5日 大阪厚生年金会館
10月12日 目黒公会堂
単独 ファースト・アニバーサリー・コンサート 1か所、1公演 12月14日 芝郵便貯金会館 ゲスト:山下達郎、アン・ルイス
1980年 ジョイントライブ 竹内まりや VS ダニー飯田&パラダイスキング 1か所、1公演 3月1日 サンシャイン劇場
単独 Love you Picnic tour 1か所、2公演 5月29日、30日 中野サンプラザホール
1981年 単独 ”Miss M”Concert
単独 MARIYA POPPING TOUR 1981年8月25日 中野サンプラザ 等 40周年記念リマスター盤に収録:夏の恋人 / グッドバイ・サマーブリーズ / すてきなヒットソング / J-Boy / 想い出のサマーデイズ / SEPTEMBER / 象牙海岸 / 恋の終わりに / 二人のバカンス / Secret Love / Sweetest Music / Farewell Call / ウエイトレス / Natalie / Special Delivery ~特別航空便~ / Crying All Night Long with 伊藤銀次 / ラスト・トレイン
単独 Portrait Concert
単独 SO LONG LIVE 1981年12月22日 厚生年金ホール 40周年記念リマスター盤に収録:ブルー・ホライズン / 待っているわ / 五線紙 / リンダ
2000年 ジョイントライブ TOKYO FM/fm osaka 開局30周年記念コンサート 2か所、3公演 7月11日 日本武道館
7月12日 日本武道館
7月31日 大阪城ホール
共演:cannaSING LIKE TALKING
2007年 フェスティバル 朝日新聞21 LIVE in EXPO'70 『風に吹かれて2007』」[43] 1か所、1公演 10月13日 万博公園もみじ川芝生広場 コブクロ主催の音楽フェスに、シークレット・スペシャル・ゲストとして参加。みんなひとり(共演:松たか子)、元気を出して(共演:松たか子、コブクロ、TAKE佐藤竹善)を披露した。
2008年 ゲスト出演 作曲家35周年記念 林哲司スペシャルサンクスコンサート ~Hit Song File 1か所、1公演 10月23日 東京国際フォーラム ホールA 林哲司の記念コンサートに、シークレットゲストとして出演。林が作曲したSEPTEMBER象牙海岸を披露した。
2008年
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2009年
ゲスト出演 山下達郎 PERFORMANCE 2008-2009 2か所、2公演 2008年12月28日 フェスティバルホール
2009年5月11日 中野サンプラザ
山下達郎のフェスティバルホール解体前の最終公演に「私も、フェスティバルホールに、さよならを言わせて欲しい」との意向で、アンコールにゲスト出演。人生の扉SEPTEMBER、ダブルアンコールでは、山下と共にレット・イット・ビー・ミーを披露した。またツアー最終公演となる中野公演では、アンコールにSEPTEMBERを披露した。
2010年 ジョイントライブ WARNER MUSIC JAPAN 40th.Anniversary 〜100年 MUSIC FESTIVAL〜 [44] 1か所、2公演 10月30日31日 日本武道館 10月31日に出演することが発表され、「元気を出して」、「人生の扉」を披露。30日は山下達郎とサプライズ出演し、「レット・イット・ビー・ミー」を披露した。
単独 ケンタッキーフライドチキン Presents TOKYO-FM/FM OSAKA 開局40周年記念スペシャル
『souvenir again』 竹内まりや LIVE 2010[45]
2か所、4公演 12月3日 日本武道館
12月4日 日本武道館
12月21日 大阪城ホール
12月22日 大阪城ホール
オープニングアクト:BOX(12月3日・22日)、センチメンタル・シティ・ロマンス(12月4日・21日)
2012年 ゲスト出演 SPACE SHOWER SWEET LOVE SHOWER 2012 [46] 1か所、1公演 8月30日 山中湖交流プラザきらら 山下達郎が出演した夏フェス「SWEET LOVE SHOWER 2012」に、サプライズ出演し、「家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム)」、「元気を出して」」を披露した。
2013年 ゲスト出演 山下達郎 PERFORMANCE 2013 1か所、1公演 12月24日 中野サンプラザ 山下達郎のライブアンコールに、サプライズ出演。山下と共に「レット・イット・ビー・ミー」を披露した。
2014年 ゲスト出演 SPACE SHOWER TV 25TH ANNIVERSARY SPACE SHOWER SWEET LOVE SHOWER 2014[47] 1か所、1公演 8月30日 山中湖交流プラザきらら 山下達郎が出演した夏フェス「SWEET LOVE SHOWER 2014」に、サプライズ出演し、「PLASTIC LOVE」を披露した。
単独 ケンタッキーフライドチキン Presents 『souvenir 2014』 竹内まりや LIVE
supported by JAPAN FM NETWORK[48]
6か所、9公演 11月22日 広島グリーンアリーナ
11月23日 広島グリーンアリーナ
11月29日 ゼビオアリーナ仙台
12月4日 真駒内セキスイハイムアイスアリーナ
12月9日 マリンメッセ福岡
12月13日 大阪城ホール
12月14日 大阪城ホール
12月20日 日本武道館
12月21日 日本武道館
福岡、大阪、東京公演は、「TOKYO-FM/FM OSAKA/FM FUKUOKA 開局45周年記念」公演。
2018年 ファンミーティング MARIYA TAKEUCHI ファンミーティング(プレミアム・ミニライブ&トーク)[49] 2か所、3公演 11月16日 NHK大阪ホール
11月18日 品川ステラボール
竹内まりやデビュー40周年を記念し、シングル「小さな願い」と、シアターライブ「souvenir the movie 〜 MARIYA TAKEUCHI Theater Live〜」のムビチケカードの両方を購入した応募者の中から、抽選で2,500人を招待した初のファンミーティングを開催した。
2020年 単独ライブ LIVE Turntable[50] 2か所、2公演 4月18日11月27日 品川ステラボール
4月24日11月20日 NHK大阪ホール
アルバム『Turntable』とシングル「旅のつづき」を両方購入した応募者の中から、抽選で招待した初のライブハウスでのライブを開催予定であったが、新型コロナウイルスの影響により、最終的に中止となった。尚、当選者には後日、配信ライブを行なう事となった。

人物[編集]

名義[編集]

出生名は 竹内 まりや (1955)。プロの音楽家としての名義は、ごく一部の例外を除き、出生名と同じである。結婚後の本名は 山下 まりや (1980 - ) であるが、公言されることはほとんど無い。公言した例として挙げられるのは、TBSラジオ安住紳一郎の日曜天国』の2013年(平成25年)7月10日放送回にゲスト出演した際のやり取りで、家庭での様子を尋ねられる場面で、安住紳一郎から「食事は、竹内まりやさんから?」と話を持ち掛けられ、「(家族といるときは)山下まりやです」と答えている[注 18]

アマチュア時代の名義は 竹内 マリヤ であった (? - 1978)。当時の音源1978年(昭和53年)に作品化されており、そこでは当時の名義が用いられている。

しらさやえみ(白鞘慧海)のセカンドシングル「君のそばに~song for Lucky」(1997年〈平成9年〉11月21日発売)では MAKO 名義で作詞している。この曲は別の歌手に提供するために作曲を担当した杉真理と共作したもので、しかし使われることなくお蔵入りしていたのを、白鞘が気に入ってシングル化したという経緯がある。Mako という名前は留学していたアメリカの公立高校でのニックネームと同じである(cf. 留学)。

NHK連続テレビ小説だんだん』の劇中歌いのちの歌」(2008年〈平成20年〉9月29日放映開始)は、放映開始時点で無かった歌詞が途中回から付くようになった。その作詞はこの番組の主題歌とナレーションを担当していた竹内まりやが Miyabi 名義で書いたものであった[51][52]。この事実は2010年(平成22年)12月4日のライブで明かされている (cf. Miyabi2008, Miyabi2010)。

まりや[編集]

「まりや」は子供の頃、当時としては極めて珍しい名前であり、芸能界に入った時も同じで変な名前だと言われた[注 5]。しかし、竹内まりやが人気のある著名人になったことで「まりや」と名付けられる子供が増え、それほど珍しくない名前になっていったといわれている[注 5]。下の世代での「まりや」の例として、竹内まりやは「山田まりや」「鈴木まりや」「西内まりや」の3名を挙げている[注 5]。なかでも山田まりやは、父親だったか母親だったかが私・竹内まりやのファンであったことから名付けられたのだと述べている[注 5]

曲作り[編集]

2014年(平成26年)におけるワーナーミュージック・ジャパンの「竹内まりや スペシャルサイト」では、作曲の際はピアノまたはキーボードを使う[53]と言っている。しかし、実際のところ、ピアノはめったに使わないらしい[注 5]。夫・山下達郎は自宅の地下に専用の音楽室を持っていて、そこで曲作りをするが、竹内にそういったものは無く、大抵はダイニングテーブルの上でミニキーボードを使って作る[注 5]

シングル曲「色・ホワイトブレンド」を書いたときは、まだ娘が赤ちゃんだったので、寝かしつけた後で起こさないよう洗面所辺りへ移動しては小さな音で作っていたが、すぐに目を醒ましてしまうため、行ったり来たりを繰り返していたという[注 5]。しかし、曲が書けなくなると子育て主婦業に逃げ、子育てや主婦業で煮詰まると曲作りに逃げることができたため、上手くバランスが取れていて楽しかったと振り返る[注 5]

ファンがもどかしく感じるくらい新作アルバムの発表が遅いのは、アルバムのプロデュースアレンジ編曲)を全て達郎が担当しているため、コンサートツアーやアルバム製作など自身の活動で忙しい彼の体が空いたタイミングを見計らって「そろそろこれやりたいんですけど」と言ってデモテープを渡し、1曲ずつレコーディングする都合上(しかも、途中でツアーなどが始まって中断することもある)、アルバム分の曲数が溜まるのに何年もかかるからだという[注 5]

シンガーソング専業主婦[編集]

「シンガーソング専業主婦」とも呼ばれる[54][15][55]ようになったのは、夫の山下達郎がそのように名付けたからで、主婦業をこなしつつ在宅のまま音楽活動を続けていたことによる。しかし竹内自身は「シンガーソング“兼業主婦”でしょ?」と笑って反論する[56][57][注 5]。竹内は在宅のままでの主婦と音楽活動の兼業によって「作家的視点が養われた」と語っている[56]

影響を受けた音楽[編集]

音楽的な原点は、60年代ニール・セダカデル・シャノンなどの欧米ポップスの作品を、弘田三枝子坂本九ザ・ピーナッツなど日本人歌手が訳詞して歌っていたオールディーズである[53][27]。しかし、何と言っても人生で最も大きな影響を受けたのはビートルズであった[16]1984年(昭和59年)発売のアルバム『VARIETY』(のちの別表記:ヴァラエティ)の収録曲でシングルカットもされた「マージービートで唄わせて」は、彼らへの想いを表したオマージュソングになっており、少女だったあの頃は話している言葉も分からないのに夢中で追いかけていたと謳っている。また、大学時代には、ジェームズ・テイラーなどのシンガーソングライター、ウェストコーストロックザ・バンドニール・ヤングなどを好んで聴いていた。

ライブをやらない理由[編集]

ライブをやらない理由については、基本的に「子育てや家庭を優先するため」と語っており、夫・山下達郎から制限を受けていたり、遠慮・気遣いがあってのことではないと明言している。実際、子育てが落ち着いた2000年(平成12年)以降には、「souvenir」(2000年、@東京・大阪)、「souvenir again」(2010年、@東京・大阪)、「souvenir 2014」(2014年、@東京・大阪・札幌・仙台・広島・福岡)と銘打ったライブを行っている。

とは言え、2013年(平成25年)のインタビューでは、ステージで歌うよりもスタジオで緻密に音楽作りをするほうが好きだと述べている[58]

アイドル的活動[編集]

1980年(昭和55年)、山下達郎とまだ出逢っていない頃(あるいは、まだ密に逢うようにはなっていない頃)の竹内は、不本意なアイドル的活動を強いられてストレスを募らせる日々を送っていた。山口百恵が引退し、松田聖子たのきんトリオはデビューしたばかりという、この頃はわずかに生まれた隙間のようにアイドルが不在の時期で、竹内は自分と同じような境遇に置かれた歌手として杏里と越美晴(のちのコシミハル)を挙げている[注 5]。なお、歌手としての竹内まりやを高く評価し、彼女がアイドル扱いされているのを批判的に見ているファンも、当時から既にいるにはいた[注 19]

1979年(昭和54年)10月2日放送のフジテレビ系特別番組(スポーツバラエティ番組)『第17回 オールスター紅白大運動会』に[59]RCAレーベルの代表の一人[27]として駆り出された時は、出るからには精いっぱい頑張って走り高跳びで第2位になったものの[59][27]、帰宅して冷静になってからVTRで振り返っていると、「一日何も歌わせてもらえずに私は何をしていたんだろう」と酷く悲しい気持ちになったという[27][注 5]。また、1980年7月21日に発売される5作目のシングル曲「二人のバカンス」を歌う予定で日本テレビ系のバラエティ番組『TVジョッキー』に出演した竹内は、大口コンテストというコーナーで天突き棒を使って一般人男性の口の中に大量のところてんを押し出す役を急遽させられる[27][注 5][16]。男の子の口の中にところてんを押し込みながら、「私、何してるんだろう。」「私の人生、こんなことでいいのだろうか。」と疑問が湧き上がってきたという[27][注 5][16]。そのようなことを何度も経験していた。やや冗談めかしてではあるが、この頃の思いがトラウマになっていて、何十年経ってもバラエティ番組には出演できないと語る[17][16]。「ミニスカートタイツで、アイススケートをする私」の撮影や、「お部屋でトーストをかじる私」のグラビア撮影とか、そういった仕事にも戸惑いばかりを抱いていた[22][23]

音楽界の頼れる先輩であった山下にもこの件でよく相談に乗ってもらっていた[注 5]。山下もその先に君が望むような未来は無いと言っていた[注 5]。そのようなこともあって、竹内はテレビ番組への出演を段階的に減らしていったが、踏ん切りを付けることはできないで活動し続けていたところ、いつものように出掛けようとしたある日の朝、急に涙が溢れてきて、そして声が出なくなってしまった[22][23]喉(のどを傷めたとも言っており[注 5][16]、とにかく入院する事態に陥ったことから、これを機に考えを切り替え、竹内は一旦芸能活動をリセットした[注 5]。そうして、結婚相手と決めた山下を支える伴侶としての自分を第一とし[15]、楽曲は提供する側に回って自分に合ったペースで手掛けてゆくことにした。つまり、ここから「シンガーソング専業主婦」へと道を切り拓いていった。

楽曲を提供する側になった竹内にとっては、アイドル的活動を通して経験した悲喜こもごもは大きな財産になった[16]。作曲者および音楽プロデューサーとしての竹内まりやには、アイドルへの深いシンパシーとリスペクトがあり、それが数々のヒット曲をアイドル歌手に提供できる素地になっている[16]

山下とのこと[編集]

第一印象は互いに良くなかったという[注 5]。山下は竹内のことを、何だかちゃらちゃらした軽薄な女子大生みたいだと思ったとのこと[注 5]。竹内は山下の無愛想な態度を冷たく感じたという[注 5]

二人の出逢いというのは、よく言われている1980年(昭和55年)ではなく、竹内本人も結婚したのは「出逢ってから7、8年後」だと言っており[注 5]、もし出逢いが1980年であれば結婚まで2年しか時間が無いことになる。

仕事上の密な付き合いはRCAレーベルに所属する先輩・後輩という関係で[27]1979年(昭和54年)の下半期か、遅くとも1980年の前期前半に始まっている。互いに話してみると第一印象とは違って、考え方がよく理解でき、フィーリングがよく合うと気付いた二人であった[注 5]。当初、竹内にとっての山下は、音楽を音楽としてやっていきたいのにやらせてもらえない自分がこれからどうしたらいいのか相談したい、そのような頼り甲斐のある先輩であった[27][注 5]。また、仕事と音楽に対する誠実さを知ることで、特別な存在へと変わっていった[注 5]。具体的には、(『不思議なピーチパイ』のレコーディングの少し後の仕事として、)アン・ルイスに提供するシングル曲「リンダ」(4月発売)を製作している時、仕事が立て込んでいたにもかかわらず、合間を縫ってひとり徹夜で多重コーラスに取り組んでくれていたのを目にした時が、気持ちの切り替わった瞬間であったという[注 5]

フジテレビ系音楽番組夜のヒットスタジオ』の1980年7月28日放送回にシングル曲「二人のバカンス」で出演した竹内は、歌唱後に司会の芳村真理井上順に詰め寄られた[60][61]。既に双方の親に報告していたし、隠す必要も無かったので、「(噂どおり、山下達郎さんと)お付き合いしています」と答え、交際宣言をした[60][61]。結婚に際して山下からのプロポーズの言葉は「結婚しようか」の一言くらいで、特別なことは無かったという。

竹内は夫のことを表立っては「達郎」と呼んでいる[62][注 5]。ほかに、砕けた場面では「たっつぁん(達っつぁん)」と呼ぶことも多い[63][注 5]。これは、上述したアン・ルイスが「リンダ」を製作していた時に呼び始めたもので、それを気に入って竹内も使いだしたのが始まりであった[注 5]TOKYO FM山下達郎のサンデー・ソングブック』「納涼夫婦放談 Part2」(SSB #1401。2019年〈令和元年〉8月25日放送)で夫婦共演した際、山下は「周りに人が多いと『たっつぁん』になる」と分析してみせたが、竹内は特に法則は無いと答えた[63]。もっとも、家での呼び名は全然違っていて、それは秘密だと言う[63][注 5]。少なくとも「たっちー」ではない[63][注 5]とのこと。

竹内の楽曲で山下が一番好きなのは「純愛ラプソディ」だという。二人とも話すのが大好きな性格なので、二人で家にいる時は音楽のことや雑多な日々の事柄などを一日中しゃべっている[27]。山下がコーヒーを飲まない人なので、山下家では大体ミルクティーを飲んでいる[注 5]

家族[編集]

2013年(平成25年)のトーク番組で語ったところによれば、夫・山下達郎と娘と、ずっと3人で暮らしている[注 5]。それと、を1匹飼っている(2013年頃はブルドッグ[注 5]

娘は、中学・高校ではブラスバンドに入って音楽活動をしていたが、社会人になってからはあくまで趣味として楽しんでいて、それに、音楽より美術のほうが好きだという[注 5]

娘が小学生・中学生の頃は保護者活動も普通にやっており、山下達郎・竹内まりや夫妻と桑田佳祐原由子夫妻が出揃う場面もあったという[注 5]

竹野屋[編集]

「竹野屋(たけのや)」は屋号で、旅館の名前は「竹野屋旅館」という。1877年(明治10年)の創業時からずっと現在の場所にある[10]。「竹内繁蔵」は竹野屋の当主が代々襲名してきた名跡で、まりやの父親は「四代目当主」として「四代目竹内繁蔵」を名乗り、竹内が高校2年生になった年から大社町町長を15年に亘って務めた人物でもある[10]1951年(昭和26年)からは竹内の兄である長男・信夫が後を継いだが[10][64][65][9]、接客業に全く向かないこの五代目の下で旅館の質も評判も低下し、経営は傾いていった[64]2017年(平成29年)2月には[10]、竹内の長姉の娘婿・丸尾聖治[64]新社長に就任している[10][64][9]。ただし、前年に廃業案と売却案が取り沙汰される事態となり、親族の経済支援で何とか持ち堪えたというのが実際で[64]、特に竹内は施設改装費用のほとんどを請け負った。それによって事実上のオーナーになった竹内は、しばらくは経営に直接関わらざるを得ず、忙殺されて音楽活動に全く携われなくなっていた[64]。さらには同年10月、旅館は総支配人藤田賢治郎[66]と宿泊支配人を外部から迎え[64][65][9]、入れ替わる形で前社長は辞任・退社した[67]。新体制が整うのを見届けて、竹内はようやく仕事に復帰することができた[64][65][9]

当該記事「竹内繁蔵」の「五代目」以降では竹内がそこまでして実家を支援した理由や、山下達郎と所属事務所社長・小杉理宇造の反応なども含め、詳しく解説している。

2014年(平成26年)発売のアルバム『TRAD』のディスクジャケットの写真は、竹野屋旅館の階段で撮影したものであり、今では現場に案内版が設置されている。館内には、「縁の糸」の曲名と歌詞および「愛しきわが出雲」の歌詞を表した書道作品)が展示されているが、これらは母親の手になる達筆で本格的な作品である。

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

発売日 タイトル 規格品番 順位 登場週数 収録アルバム
1 1978年11月25日 戻っておいで・私の時間 RVS-541 84位 9週 BEGINNING
2 1979年2月25日 ドリーム・オブ・ユー 〜レモンライムの青い風〜 RVS-545 30位 24週 UNIVERSITY STREET
3 1979年8月21日 SEPTEMBER RVS-553 39位 23週 LOVE SONGS
4 1980年2月5日 不思議なピーチパイ RVS-557 3位 18週
5 1980年7月21日 二人のバカンス RHS-501 42位 10週 Miss M
6 1980年12月5日 SWEETEST MUSIC RHS-508 (圏外)
7 1981年4月5日 イチゴの誘惑 RHS-515 80位 4週 PORTRAIT
8 1981年9月25日 Special Delivery 〜特別航空便〜 RHS-527 (圏外)
9 1981年12月16日 NATALIE/アップル・パップル・プリンセス RHS-532 70位 9週 PORTRAIT (#1)
10 1984年4月10日 もう一度/本気でオンリーユー (Let's Get Married) [注 20][注 21] MOON-711
10SD-30
WPDV-10010:再発盤
20位 16週 VARIETY
11 1984年8月25日 マージービートで唄わせて [注 20] MOON-716
10SD-31
78位 4週
12 1985年3月25日 PLASTIC LOVE [注 22] MOON-13002 86位 2週
13 1986年3月25日 恋の嵐 [注 20] MOON-726
10SD-32
20位 13週 REQUEST
14 1986年10月25日 時空の旅人 [注 20] MOON-731
10SD-33
46位 8週
15 1987年7月25日 夢の続き [注 23] MOON-745
10SD-34
43位 9週
16 1987年11月28日 AFTER YEARS/ MOON-753
10SD-5
55位 12週 Quiet Life (#1)

REQUEST (#2)

17 1988年11月28日 元気を出して MOON-770
10SD-17
70位 7週 REQUEST
18 1989年9月12日 シングル・アゲイン MOON-779
10SD-29
2位 32週 Quiet Life
19 1990年9月18日 告白 AMDM-6018 3位 27週
20 1992年5月25日 マンハッタン・キス AMDM-6055 11位 18週
21 1992年11月10日 家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム) AMDM-6066 18位 11週
22 1993年7月10日 幸せの探し方 AMDM-6095 42位 3週
23 1994年3月25日 明日の私 AMDM-6109 19位 9週 Impressions
24 1994年5月10日 純愛ラプソディ AMDM-6110 5位 22週
- 1994年9月25日 本気でオンリー・ユー/Forever Friends AMDM-6122:再発盤 48位 4週
25 1995年11月20日 今夜はHearty Party AMDM-6155 3位 14週 Bon Appetit!
26 1996年11月18日 ロンリー・ウーマン/Tell me, tell me AMDM-6175 13位 9週
27 1998年11月18日 カムフラージュ/Winter Lovers WPDV-7180 1位 14週
28 1999年9月22日 天使のため息/ソウルメイトを探して WPDV-10030 6位 10週
29 2001年2月28日 真夜中のナイチンゲール WPCV-10081 7位 8週
30 2001年9月12日 毎日がスペシャル WPCV-10083 40位 2週
31 2001年11月7日 ノスタルジア WPCV-10084 30位 4週
32 2006年9月6日 返信/シンクロニシティ(素敵な偶然) WPCL-10336 8位 9週 Denim
33 2006年12月6日 スロー・ラヴ WPCL-10377 30位 7週
34 2007年3月7日 明日のない恋 WPCL-10394 19位 9週
35 2007年8月8日 チャンスの前髪/人生の扉 WPCL-10433 23位 24週 Expressions (#1)

Denim (#2)

36 2008年5月21日 幸せのものさし/うれしくてさみしい日 (Your Wedding Day) WPCL-10475 6位 11週 Expressions
37 2008年11月26日 縁の糸 WPCL-10627 12位 12週 TRAD
38 2010年11月3日 ウイスキーが、お好きでしょ WPCL-10876 18位 8週
39 2012年1月25日 いのちの歌 WPCL-11024:初回限定盤
WPCL-11025:通常盤
10位 20週
40 2013年2月27日 たそがれダイアリー WPCL-11362 15位 5週
41 2013年7月3日 Dear Angie 〜あなたは負けない/それぞれの夜 [68] WPZL-30637/8:初回限定盤
WPCL-11523:通常盤
7位 6週
- 2013年10月27日 Your Eyes 配信限定
- 2014年6月10日 アロハ式恋愛指南 配信限定
42 2014年7月23日 静かな伝説(レジェンド) WPZL-30894/5:初回盤
WPCL-11929:通常盤
10位 9週
- 2016年4月20日 Let It Be Me / 山下達郎&竹内まりや 配信限定 Expressions
- 2016年4月27日 今日の想い 配信限定
43 2018年10月17日 小さな願い/今を生きよう (Seize the Day) WPCL-12937 6位 11週
44 2019年10月9日 旅のつづき WPZL-31681/2:初回限定盤
WPCL-13106:通常盤
3位 10週
- 2020年1月1日 いのちの歌(スペシャル・エディション) WPZL-31724/5(完全生産限定盤) 1位 18週

アルバム[編集]

発売日 タイトル 順位 登場週数
1st 1978年11月25日 BEGINNING
2nd 1979年5月21日 UNIVERSITY STREET
3rd 1980年3月5日 LOVE SONGS 1位
4th 1980年12月5日 Miss M
5th 1981年10月21日 PORTRAIT
6th 1984年4月25日 VARIETY 1位
7th 1987年8月12日 REQUEST 1位 177週
8th 1992年10月22日 Quiet Life 1位 32週
9th 2001年8月22日 Bon Appetit! 1位 23週
10th 2007年5月23日 Denim 1位 59週
11th 2014年9月10日 TRAD 1位 31週

その他のアルバム[編集]

発売日 タイトル 順位 登場週数
公式ベスト 1982年6月5日 VIVA MARIYA!!
非公式ベスト 1984年8月5日 RE-COLLECTION
非公式ベスト 1985年3月5日 RE-COLLECTION Ⅱ
非公式ベスト 1985年7月21日 RE-COLLECTION Ⅲ
非公式ベスト 1986年11月15日 Best Pack
公式ベスト 1994年7月25日
1999年6月2日(再発)
Impressions 1位
58位
66週
38週
ライブ 2000年11月22日 Souvenir〜Mariya Takeuchi Live 3位 11週
カヴァー 2003年10月29日 Longtime Favorites 1位 17週
公式ベスト 2008年10月1日 Expressions 1位 151週
コンピレーション 2013年12月4日 Mariya's Songbook 3位 11週
公式ベスト/カヴァー 2019年9月4日 Turntable 1位
コンピレーション 2019年10月16日 岡田有希子 Mariya's Songbook

映像作品[編集]

発売日 タイトル 規格品番 順位 登場週数
2020年11月18日 souvenir the movie 〜MARIYA TAKEUCHI Theater Live〜 (Special Edition) DVD:WPBL-90558〜9
Blu-ray:WPXL-90242〜3
TBA

参加作品[編集]

発売日 曲名
収録された作品
1978年3月 ハリウッド・カフェ(作詞:大貫妙子/作曲:竹内マリヤ/編曲:岡田徹[注 24]
Various Artists「ロフト・セッションズ VOL.1~フィーチャーリング・フィメール・ヴォーカリスツ」
1978年3月 8分音符の詩(作詞:松本隆/作曲:鈴木茂/編曲:細井豊[注 24]
Various Artists「ロフト・セッションズ VOL.1~フィーチャーリング・フィメール・ヴォーカリスツ」

タイアップ[編集]

曲名 タイアップ
戻っておいで・私の時間 伊勢丹CMソング
ドリーム・オブ・ユー
〜レモンライムの青い風〜
キリンビバレッジキリンレモン」CMソング
不思議なピーチパイ 資生堂'80春キャンペーンCMソング
NATALIE 花王『リーゼ』CMソング(本人出演)
アップル・パップル・プリンセス NHKみんなのうた
もう一度 TBS系『くれない族の反乱』主題歌
日産自動車セフィーロ』CMソング
ユーシーカードCMソング
アサヒビール『ファーストレディシルキー』CMソング
フジテレビ系『3時ヨこい!』テーマ曲
NHK BSプレミアム プレミアムドラマ定年女子』主題歌
本気でオンリーユー
(Let's Get Married)
カゴメリベラ』CMソング
日産自動車セフィーロ』CMソング
恋の嵐 TBS系『となりの女』主題歌
時空の旅人 東宝配給アニメ映画『時空の旅人』主題歌
夢の続き 東宝配給映画『ハワイアン・ドリーム』主題歌
AFTER YEARS テレビ朝日系『素敵にドキュメント』テーマソング
松竹配給映画『グッバイ・ママ』主題歌
元気を出して SEIKO『ドルチェ&エクセリーヌ』CMソング
東京ビューティーセンターCMソング
シングル・アゲイン 日本テレビ系『火曜サスペンス劇場』主題歌
告白 日本テレビ系『火曜サスペンス劇場』主題歌
マンハッタン・キス 松竹配給映画『マンハッタン・キス』主題歌
家に帰ろう(マイ・スイート・ホーム) 東京ビューティーセンターCMソング
TBS系『木曜日の食卓』主題歌
日産自動車『セフィーロ』CMソング
大阪ガスエコウィル』CMソング
三菱地所レジデンスCMソング
幸せの探し方 AGF『コーヒーギフト』CMソング
P&Gパンテーン』CMソング
FOREVER FRIENDS 本田技研工業トゥデイ』CMソング
明日の私 東京ビューティーセンターCMソング
ポッカサッポロフード&ビバレッジCMソング
純愛ラプソディ 日本テレビ系ドラマ『出逢った頃の君でいて』主題歌
日産自動車『セフィーロ』CMソング
今夜はHearty Party ケンタッキーフライドチキンCMソング
ロンリー・ウーマン TBS系ドラマ『義務と演技』主題歌
日本道路公団紀勢自動車道」テーマソング
TELL ME, TELL ME TBS系ドラマ『義務と演技』挿入歌
カムフラージュ フジテレビ系ドラマ『眠れる森』主題歌
Winter Lovers 明治製菓『Melty kiss』CMソング
天使のため息 東宝配給映画『秘密』主題歌
ソウルメイトを探して 三菱自動車工業ミラージュディンゴ』CMソング
真夜中のナイチンゲール TBS系ドラマ『白い影』主題歌
毎日がスペシャル フジテレビ系『めざましテレビ』テーマソング
ソニーハンディカム』CMソング
秋田テレビとくテレッ!8ちゃんねる』テーマソング
キリンビール「ワインスプリッツァ」CMソング
心はいつでも17才 (seventeen) 日本テレビ系ドラマ『ウーマンズ・ビート ドラマスペシャル〜溺れる人〜』主題歌
ノスタルジア テレビ朝日系ドラマ『はみだし刑事情熱系』エンディングテーマ
Dream Seeker NHKドラマ家族模様晴れ着ここ一番』主題歌
すてきなホリデイ ケンタッキーフライドチキンCMソング
返信 松竹配給映画『出口のない海』主題歌
シンクロニシティ(素敵な偶然) 明治製菓「アーモンドチョコ」CMソング
スロー・ラヴ フジテレビ系ドラマ『役者魂!』挿入歌
明日のない恋 日本テレビ系『火曜ドラマゴールド』主題歌
君住む街角
(On The Street Where You Live)
TBS系『ブロードキャスター』テーマソング
クリスマスは一緒に 日本テレビ系『Happy X'mas Show '06』テーマソング
人生の扉 協和発酵CMソング
チャンスの前髪 TBS系ドラマ『肩ごしの恋人』主題歌
幸せのものさし TBS系ドラマ『Around40〜注文の多いオンナたち〜』主題歌
うれしくてさみしい日
(Your Wedding Day)
P&G『パンテーン×ゼクシィ』CMソング
最後のタンゴ NHKラジオラジオ深夜便』深夜便のうた(2008年7月 - 9月)
縁(えにし)の糸 NHK連続テレビ小説だんだん』主題歌
ウイスキーが、お好きでしょ サントリー角瓶』CMソング
戻っておいで・私の時間(2011バージョン) 伊勢丹創業125周年記念テーマソング
いのちの歌 NHKドキュメンタリードラマ『開拓者たち』主題歌
映画『嫌な女』主題歌[69]
映画『ピース・ニッポン』劇中歌[70]
それぞれの夜 TBS系『NEWS23クロス』エンディングテーマ(2012年度)
輝く女性(ひと)よ! コーセー『グランデーヌ ルクサージュ』CMソング
たそがれダイアリー テレビ朝日系ドラマ『おトメさん』主題歌
Dear Angie〜あなたは負けない TBS系『NEWS23』エンディングテーマ(2013年度 - )
Your Eyes TBS系ドラマ『安堂ロイド〜A.I. knows LOVE?〜』主題歌
静かな伝説(レジェンド) フジテレビ系『ワンダフルライフ』エンディングテーマ
アロハ式恋愛指南 映画『わたしのハワイの歩きかた』主題歌
PLASTIC LOVE LaLa TV開局15周年記念特別ドラマ『私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな』主題歌
Let It Be Me フジテレビ系ドラマ『早子先生、結婚するって本当ですか?』劇中歌
今日の想い テレビ東京系『ワールドビジネスサテライト(WBS)』エンディングテーマ
小さな願い 映画『あいあい傘』主題歌[71]
今を生きよう (Seize the Day) NHK土曜時代ドラマぬけまいる〜女三人伊勢参り』主題歌[72]
旅のつづき 映画『最高の人生の見つけ方』主題歌

受賞歴[編集]

  • 1979年(昭和54年) - 銀座音楽祭”グランプリ”、新宿音楽祭”金賞”、日本歌謡大賞”新人賞”、日本レコード大賞”新人賞”
  • 1990年(平成2年) - 第32回日本レコード大賞”最優秀ポップス・ボーカル賞” ”作詩賞”(『告白』日本テレビ系「火曜サスペンス劇場」主題歌)
  • 1993年(平成5年) - 第35回日本レコード大賞”アルバム大賞” ”ベストアルバム賞”(アルバム「Quiet Life」)
  • 1998年(平成10年) - 第19回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主題歌賞(『カムフラージュ』、ドラマ『眠れる森』主題歌)
  • 2007年(平成19年) - 第24回ベストジーニスト賞”特別賞”
  • 2014年(平成26年) - 第56回日本レコード大賞”最優秀アルバム賞”(アルバム「TRAD」)
  • 2015年(平成27年)
    • 第7回CDショップ大賞「マエストロ賞」
    • 特別功労者として出雲市より表彰
    • 第6回岩谷時子賞
  • 2019年(平成31年/令和元年)
    • 第69回芸術選奨 文部科学大臣賞(大衆芸能部門)
    • 第61回日本レコード大賞”特別賞”

楽曲提供[編集]

太字は、竹内まりや本人によるセルフカバーが発表されている楽曲を指す。

メディア出演[編集]

デビュー直後は数多くの音楽番組やその他様々なジャンルの番組に出演していたが、1981年(昭和56年)に活動を一時休止した後はメディア露出が非常に少なくなった。ただ、夫・山下達郎と異なり、テレビ番組ミュージック・ビデオでは顔を見せている。

ラジオ[編集]

  • 『Pom Pop White Pop』(文化放送)
  • 『竹内まりやのおしゃれフロック』(文化放送:1981年まで約1年間)平日深夜24時代に帯番組で放送。
  • 山下達郎のサンデー・ソングブック』(TOKYO FMJFN系列):毎年8月・12月の後半に2週連続で出演。「夫婦放談」と称し、夫婦ならではの喋りを披露している。現時点で唯一のレギュラー出演番組といえる。
  • 楽天カード presents FM FESTIVAL 2020 MUSIC CHRONICLE ~ 竹内まりやと辿る音楽の50年』(同上・2020年11月3日放送)- 司会進行:坂上みき


テレビ[編集]

自著[編集]

  • 竹内まりや『ハッピー・デイズ八曜社、1980年5月1日、192頁。ASIN B000J85Z62全国書誌番号:80038073国立国会図書館書誌ID:000001468607
  • 竹内まりや『インプレッションズ』ロッキング・オン、1994年10月1日、173頁。OCLC 674846788ISBN 4-947599-30-8ISBN 978-4-947599-30-8国立国会図書館書誌ID:000002390230

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 公式ウェブサイトの「ロビー」の項にも「実家」であることが明記されている[8][9][gm 2]
  2. ^ グループ化しただけであるため、現存する。
  3. ^ 東京都港区元赤坂に所在する株式会社ミュージック・ハーヴェスト(法人番号:401040106312)とは別の企業。
  4. ^ 有限会社ミュージック・ハーヴェストも、山下側の企業「株式会社テンダベリーミュージック (Tenderberry Music Inc.) [12]」も、楽曲の著作権管理を主目的とする。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at TBSラジオ安住紳一郎の日曜天国』2013年7月10日放送回(cf. 検索キーワード[安住紳一郎の日曜天国 2013.07.07特別編「竹内まりあさん」])。
  6. ^ 姉が2人、兄が1人(5代目当主の信夫)、弟が1人、末っ子の妹が1人。まりやは第4子[注 5]
  7. ^ 竹内まりやの本項における一人称は、保護者がいる年齢では「まりや」を親族の話題でも「まりや」を用いることとする。それ以外は「竹内」を用いる
  8. ^ 同期留学生には、のちに国際ジャーナリストとなる小西克哉がいた。
  9. ^ 専攻は異なるも同じ文学部の同期生にはタレント俳優三波豊和(歌手・三波春夫の長男)がいる。豊和は一時期歌手活動も行っており、竹内とも共演している。のちにまりやの夫となる山下達郎は三波春夫のファンで、洋楽の傍ら「チャンチキおけさ」もよく歌っているという[19]
  10. ^ 最終的に大学を中途退学するが、その時期については情報未確認である。
  11. ^ Impressions』での「マンハッタン・キス」の曲解説によれば、「本人はあくまでもアンチ不倫派」であるとのこと。
  12. ^ ライブ・アルバム『Souvenir〜Mariya Takeuchi Live』に収録されている。
  13. ^ 投票結果は『Expressions』を参照のこと。
  14. ^ 東京都渋谷区にあるNHK放送センターCT102スタジオからの歌唱。
  15. ^ 山下はライブ会場としては日本武道館を否定的に捉えているため、自身のライブで使用することはない。
  16. ^ 竹内の野外ライブへの出演は27年ぶりのことで、このライブの模様は2008年(平成20年)4月9日のNHKSONGS1周年記念スペシャル』にてフルサイズで放送された。
  17. ^ 2008年11月27日のNHK『ラジオ深夜便』でのインタビュー。
  18. ^ TBSラジオ安住紳一郎の日曜天国』2013年7月10日放送回(cf. 動画検索キーワード[安住紳一郎の日曜天国 2013.07.07特別編「竹内まりあさん」])
  19. ^ ニッポン放送『坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD』(cf. 動画検索キーワード[竹内まりや&吉田拓郎、「夫婦円満」は語りすぎて喉がかれる!])
  20. ^ a b c d 1989年(平成元年)9月10日CDシングル化再発。
  21. ^ 1999年6月2日再発。
  22. ^ 6枚目のアルバム『VARIETY』からのシングルカットで、リミックスした2曲を収録した12インチ・シングル仕様。そのうちの1曲「PLASTIC LOVE (Extended club mix)」は1989年(昭和64年/平成元年)に再発されたシングル「夢の続き」(「夢の続き ('89 Remix)」)のカップリング曲として収録された。
  23. ^ 1989年(平成元年)9月10日シングルとしての「夢の続き」は再発売であるが、ミックスとカップリングを変更している。再発盤のタイトルは「夢の続き ('89 Remix)」。
  24. ^ a b アマチュア時代の音源を「竹内マリヤ」名義にて収録。
  25. ^ この回の歌い終えた直後に、噂されていた山下達郎との交際を自ら認めた(前述参照)。
Googleマップ
  1. ^ a b 大社町杵築南(地図 - Google マップ)※該当地域は赤色で囲い表示される。
  2. ^ 竹野屋旅館(地図 - Google マップ)※該当施設は赤色でスポット表示される。
  3. ^ 出雲市立大社小学校(地図 - Google マップ)※上に同じ。
  4. ^ 出雲市立大社中学校(地図 - Google マップ)※上に同じ。
  5. ^ 島根県立大社高等学校(地図 - Google マップ)※上に同じ。
  6. ^ Rock Falls Township High School(地図 - Google マップ)※上に同じ。
  7. ^ 慶應義塾大学 日吉キャンパス(地図 - Google マップ)※上に同じ。

出典[編集]

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  3. ^ Greenberg, Adam. Mariya Takeuchi | Biography & History - オールミュージック. 2020年11月26日閲覧。
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  8. ^ 竹野屋”. 西日本のすてきな宿「高枕」. オフィスガンボ. 2020年7月8日閲覧。 “玄関から、フロントへと続く広い畳敷きのロビー。奥には、歌手・竹内まりやの実家のため、グッズコーナーを設けております。”
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  30. ^ 三倉茉奈 (2010年12月23日). “竹内まりやさんLIVE。”. 公式ブログ. 三倉茉奈の マイペースで行こう!. 2020年7月8日閲覧。 “東京・武道館でのLIVEも見させていただき感激し、また大阪でも見に行ってしまいました♡(...略...)そして、"Miyabi"さんこと、竹内まりやさんに歌詞を書いていただいた「いのちの歌」も、ずっとずっと大切に歌い続けて、メッセージを伝えていきたいです。 (※機種依存文字は変換)”
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参考文献[編集]

関連文献[編集]

関連項目[編集]

  • 四代目竹内繁蔵 - 父親。竹野屋四代目当主。旧・大社町町長。
  • 杉真理 - 出逢いは1973年(昭和48年)。慶應義塾大学の先輩で、竹内同様、中退している。杉のソロ活動を支援するためのバンド「PEOPLE(ピープル)」に新入生の竹内も所属した。「PEOPLE」は杉のプロデビューの際に「Mari & Red Stripes(マリ・アンド・レッド・ストライプス)」と名を改め、結成したバンドは解散しないという杉のポリシーの下、現在も存続している。cf. #timeline_PEOPLE#timeline_Mari & Red Stripes
  • 山下達郎 - 密な出逢いは1980年(昭和55年)。1982年(昭和57年)に結婚した。
  • 1978年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手。
  • 一青窈 - 同じ慶應義塾大学に籍を置いた後代の著名な女性歌手で女性音楽家。

外部リンク[編集]

  • 竹内まりや(公式ウェブサイト)[ref name : official
  • (更新終了)Mariya's Blog「Pholog」”. 公式ブログ. 竹内まりや (2008年). 2020年7月7日閲覧。[ref name : 30th-biog (2008)
※2008年(平成20年)にデビュー30周年を記念して1年間限定で開設された。更新は終了している。
※デビュー40周年を迎えた2018年(平成30年)の特設サイト。期間終了後は閉鎖されてデッドリンク化した。
※RCA / RVC 時代の旧譜は、2009年(平成21年)以降、ソニーミュージック(アリオラジャパン)のカタログになっている。
  • biography : プロフィール”. 2020年7月7日閲覧。[ref name : Sony-biog