苦楽園

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苦楽園(くらくえん)は、兵庫県西宮市にある地名である。荘厳で閑静、関西屈指の高級邸宅街でもある。

概要[編集]

西宮市の北中部から西部に至る山手側の地域を示し、苦楽園一番町から苦楽園六番町と分かれる。西宮市内の甲陽園甲東園など「園」がつく地域から成る西宮七園の一つに数えられ、西宮七園の中でも最も山手(六甲山麓)に位置。財界人文化人の豪邸が多く建てられている。特に、苦楽園四番町、苦楽園五番町、苦楽園六番町にかかる山手一帯は数百、数千坪の豪邸が軒を連ね、企業家資産家が多く住む界隈である。

苦楽園五番町の西隣は、市境を挟んで同じく高級邸宅街で著名な芦屋市六麓荘町がある。

兵庫県立西宮北高等学校。苦楽園だが二番町にある

地理[編集]

歴史[編集]

元々、山林のみの地域であったが、1911年明治44年)より、別荘地として先に開発が行われることになった。名前は開発に携わった大阪市の実業家中村伊三郎所有の、苦楽瓢という瓢箪に因んでいる。明治時代に最後の太政大臣となった公卿三条実美が、江戸時代末期、都落ちする際、この瓢箪で他の公卿と別れの杯を交わし、後日、再会を果たしたことから「苦のあとに楽がある」として名付けられたという[1]

中村は、明治天皇のシャツも納入の「中村莫大小(メリヤス)」を大阪市で経営。「大陸浪人」革命家と知られる宮崎滔天とも交流があり、宮崎の支援する「中国革命の父」孫文が、日本に亡命中の1913年(大正2年)3月11日、中村メリヤス工場を訪れるなど、多方面で活躍した事業家だった。苦楽園では、道路拡張や上水道、電灯・電話などインフラ整備も進めている。

ほぼ同時期、この一帯からラジウムを含む明礬温泉が発見され、保養地としても脚光を浴びることになる。1914年に山開きが行われ、1919年には阪神間における住宅開発などを手がけてきた「西宮土地」の保有となり、宿泊施設がいくつも立ち並ぶ観光地になったといわれている。温泉を訪れた元総理大臣大隈重信は「東瀛(とうえい)(東海)第一泉」と命名。歌人として知られる元国務大臣下村海南も別荘を構えた[2]

しかし、1938年阪神大水害で湯が枯渇し、それによって観光地としての苦楽園の歴史は幕を閉じ、以後は住宅地として開発が行われた。

地価[編集]

住宅地の地価は2014年平成26年)1月1日に公表された公示地価によれば苦楽園六番町2-10の地点で18万7000円/m2となっている。

苦楽園に縁のある文化人[編集]

施設[編集]

苦楽園における交通機関・アクセス[編集]

阪急バス 苦楽園停留所が最寄りとなる。

  • 鉄道
  • 阪急バス
    • 4系統、西宮市内線 - 阪急神戸本線夙川駅を起点に地域を循環して戻る系統
    • 13系統、芦屋市内線 - 芦屋浜営業所を起点に、阪神本線芦屋駅、阪急神戸本線芦屋川駅JR神戸線芦屋駅を通って苦楽園、夙川駅へ向かう系統
    • 11系統、芦屋市内線 - 阪急神戸本線夙川駅を起点とし、芦屋浜営業所へ向かう系統。13系統と違い、芦屋川駅を経由しない
    • 15系統、芦屋市内線 - 芦屋浜営業所を起点に、阪神本線芦屋駅、阪急神戸本線芦屋川駅、JR神戸線芦屋駅を通り苦楽園を循環して戻る系統

脚注[編集]

  1. ^ 産経新聞夕刊2008年平成20年)1月31日「園の街景」苦楽園 天気良ければ生駒山まで
  2. ^ 産経新聞夕刊2008年]](平成20年)1月31日「園の街景」苦楽園 天気良ければ生駒山まで

関連項目[編集]

座標: 北緯34度45分26.8秒 東経135度18分48秒