東京地下鉄道

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当時の東京地下鉄道のビル

東京地下鉄道株式会社(とうきょうちかてつどう)とは、現在の東京地下鉄(東京メトロ)銀座線浅草 - 新橋間に当たる路線を建設し、また軌道路面電車・城東軌道線、西武軌道線)や乗合バス(青バス、ユーランバス)を経営していた鉄道事業者である。

1920年(大正9年)8月、「地下鉄の父」と呼ばれた早川徳次によって設立された。日本初の地下鉄路線を建設した会社として知られ、現在の東京地下鉄(東京メトロ)のルーツともいえる。

地下鉄[編集]

地下鉄路線の延伸[編集]

(詳しくは東京メトロ銀座線#沿革を参照)

乗っ取り騒ぎから帝都高速度交通営団発足まで[編集]

  • 1935年(昭和10年)5月 - 東京高速鉄道との間で直通運転の協定を締結。
  • 1936年(昭和11年)7月 - 京浜電気鉄道(現、京浜急行電鉄(京急)の横浜以北の路線を建設した会社)・湘南電気鉄道(現、京急の横浜以南の路線を建設した会社)と合弁する契約を締結。
  • 1937年(昭和12年)3月1日 - 上記合弁会社・京浜地下鉄道株式会社を設立[1]。新橋 - 品川未成線を同社に譲渡[2]
    東京高速鉄道との直通運転の協定を破棄し、改めて東京地下鉄道、京浜地下鉄道、京浜電気鉄道、湘南電気鉄道の4社による相互直通運転(京浜、湘南線内はパンタグラフによる架線集電、地下鉄線内は集電靴による第三軌条集電とするハイブリッド方式)の計画を推進。京浜電気鉄道が東京地下鉄道の筆頭株主となる。
  • 1939年(昭和14年)8月1日 - 東京高速鉄道の五島慶太が京浜地下鉄道の親会社である京浜電気鉄道のを、次いで東京地下鉄道の株を買い占めた(敵対的買収)ことが発端となり、早川、五島両陣営による東京地下鉄道の経営権争奪戦が起こる。
  • 1940年(昭和15年)8月13日 - 両者の紛争は鉄道省による調停によりようやく解決。早川は相談役に退き、東京地下鉄道の経営から事実上撤退。以降、経営権は東京高速鉄道が掌握することとなった。ただし、五島が東京地下鉄道の役員になることは許されなかった。
  • 1941年(昭和16年)9月1日 - 陸上交通事業調整法に基づく戦時統制により、東京地下鉄道の地下鉄路線は東京高速鉄道、京浜地下鉄道と共に半官半民の帝都高速度交通営団(営団地下鉄)へ統合された。なお、五島は東急を通じて営団地下鉄に出資し、理事にも就任した。戦後、交通営団から民間資本は排除され、国(国鉄)と東京都が折半で出資する団体となった[3]

車両[編集]

関連車両[編集]

  • 100形(東京高速鉄道の車両で、東京地下鉄道にも直通した)
  • 230形(京浜電気鉄道の車両で、京浜地下鉄道・東京地下鉄道への乗り入れを考慮した設計だった)

運賃制度[編集]

開業時は均一運賃制(10銭)であったことから、ターンスタイルを使用した一種の自動改札を導入していた。1931年9月16日から駅間運賃制(5銭・10銭・15銭)に変更し、この時にターンスタイルは廃止された。

輸送・収支実績[編集]

年度 乗客 営業収入 営業費 益金 その他益金 その他損金 支払利子
1928 07735587 0824805 200979 0623826
1929 07676447 0798609 232527 0566082 0009661/食堂 9661 013724
1930 10041945 1008231 270185 0738046 0109579/食堂其他 109579 184498
1931 10673308 0984186 255241 0728945 0023569/食堂百貨店 023569 145863
1932 14386676 1108469 295894 0812575 0081279/食堂 081279 206522
1933 17795433 1376901 350572 1026329 0185986/食堂 185986 220910
1934 25412773 1772882 412981 1359901 0181026/食堂其他 181026 420089
1935 28956930 2132798 484933 1647865 0137231/食堂其他 137231 雑損 198703 648030
1936 28645650 2123013 502608 1620405 0145920/食堂其他 145920 744354
1937 30765417 2274402 569363 1705039 0137415/食堂其他 137415 786322
1939 44413992 3154122 883991 2270131 1536217/軌道遊覧自動車他 1536217 912615
  • 鉄道統計資料、鉄道統計各年度版

施設[編集]

  • 上野変電所、回転変流機(交流側457V直流側600V)直流側の出力1000KW、常用2、製造所AEG
  • 神田変電所、水銀整流器(交流側1100V直流側600V)直流側の出力1000KW、常用2、製造所芝浦製作所
  • 日本橋変電所、水銀整流器(交流側555V直流側600V)直流側の出力1000KW、常用1、製造所芝浦製作所

軌道線[編集]

城東軌道線[編集]

  • 1917年(大正6年)12月30日 - 城東電気軌道株式会社の手により、錦糸町 - 小松川間開業。
  • 1921年(大正10年)1月1日 - 水神森 - 大島間開業。
  • 1924年(大正13年)7月11日 - 大島 - 仙気稲荷間開業。
  • 1925年(大正14年)12月31日 - 東荒川 - 今井間開業。
  • 1926年(大正15年)3月1日 - 小松川 - 西荒川間開業。
  • 1929年(昭和4年)5月7日 - 仙気稲荷 - 洲崎間開業(西荒川 - 東荒川間を残し、一応全通)。
  • 1937年(昭和12年)3月25日 - 東京乗合自動車に合併。同社城東軌道線となる。
  • 1938年(昭和13年)4月25日 - 東京地下鉄道が城東軌道線を継承。
  • 1942年(昭和17年)2月1日 - 東京市電気局に買収され、市電路線に編入される。
(1972年までに廃止。東京都電車および都電砂町線の項を参照のこと)

西武軌道線[編集]

(1963年に廃止。都電杉並線の項を参照のこと)

乗合バス[編集]

青バス[編集]

  • 1918年(大正7年)11月1日 - 堀内良平(富士急行創業者)が東京市街自動車株式会社を設立。
  • 1919年(大正8年)3月1日 - 新橋 - 上野間乗合バス開業。車体の深緑色から「青バス」と呼ばれる。
  • 1922年(大正11年) - 東京乗合自動車と社名変更。
  • 1930年(昭和5年)10月 - 日本初の女性車掌を採用。制服の形状から「白襟嬢」と呼ばれた。
  • 1937年(昭和12年)3月25日 - 城東電気軌道を合併し、同社バス部門を継承。
  • 1938年(昭和13年)4月25日 - 東京地下鉄道が東京乗合自動車を合併し、「青バス」を継承。
  • 1942年(昭和17年)2月1日 - 「青バス」事業は陸上交通事業調整法に基づく戦時統合に伴い、東京市電気局に買収され、市営バスに編入される(都営バスの項を参照のこと)。

ユーランバス[編集]

  • 1925年(大正14年)12月15日 - 東京乗合自動車が遊覧自動車(定期観光バス)事業を開始。「ユーランバス」の商標を使用。
  • 1938年(昭和13年)4月25日 - 東京地下鉄道が継承。
  • 1941年(昭和16年) - 大東京遊覧自動車を買収し、経営統合。
  • 1942年(昭和17年)2月1日 - 東京市電気局に買収され、そのまま休止。1948年(昭和23年)に、東京都の遊覧自動車事業は新日本観光株式会社(現在の株式会社はとバス)に譲渡され、同社の手によって再開される。

この他、葛飾乗合自動車も経営していたが、陸上交通事業調整法に基づく戦時統合に伴い、荒川放水路以東・今井街道以南は東京市電気局に買収され、それ以外の路線は京成電気軌道に買収された。(都営バス・京成バスの項を参照のこと。)

その他事業[編集]

地下鉄ストア・地下鉄食堂[編集]

銀座延伸開業までの輸送量の維持と収益確保のため、矢継ぎ早に主要駅に商業施設を併設した。

  • 1929年(昭和4年)10月1日 - 浅草駅雷門ビル完成。地下鉄食堂の営業を開始。以降、当時のアメリカでのビジネスモデルに倣い、路線の延伸に伴って連鎖店化を推し進める。
  • 1930年(昭和5年)4月1日 - 上野駅構内に地下鉄ストアを開業(専門店街。後のメトロピアエチカの前身)。
  • 1931年(昭和6年)6月 - 国鉄上野駅前に地上9階・地下2階の地下鉄ストアビルをオープン。場所は現在の東京地下鉄本社の位置で、正面の壁面一杯を利用した、当時世界最大と言われた、直径20 m、秒針長8.4 m の交流電気時計が外観の特徴であった。[4]阪急百貨店梅田本店を手本としてはいるが、いわゆる高級店では無く、「どこよりも良い品を どこよりも安く売る」をモットーに掲げるスーパーマーケットのはしりである[5]
  • 1932年(昭和7年)4月 - 上野駅構内地下鉄ストアを大食堂に改築。須田町ストア開店。
  • 1933年(昭和8年)5月 - 室町ストア開店。
同年6月15日 - 日本橋ストア開店。

なお、神田の地下鉄ストア(神田須田町地下鉄ストア)は、2011年1月まで一部店舗が営業を継続していた。また上野駅構内の地下鉄ストアは、その後数度の業態変更を経て、現在はエチカフィット上野として営業している。

東京合同自動車[編集]

  • 1938年(昭和13年)- 東京市内のタクシー会社を整理・統合することを目的に、東京地下鉄道を中心に東京合同自動車を設立。以降、東京市内のハイヤー・タクシー会社を悉く買収し、併合。
  • 1944年(昭和19年)- 第三次統合で帝都自動車交通京成電鉄が東京市内のハイヤー・タクシー会社を統合する目的で設立)に合併。

その他のサービス[編集]

デパート巡り乗車券[編集]

1932年(昭和7年)12月24日、京橋延伸時に「デパート巡り乗車券」の販売を開始する[6]上野 - 日本橋間の大人普通乗車券は10銭で「下車前途無効」(途中下車不可)であったが、デパート巡り券は上野広小路 - 日本橋間で3回まで途中下車可能、運賃を13銭としたものである。上野地下鉄ストア(上野)、松坂屋(上野広小路)、三越三越前)、白木屋高島屋(共に日本橋)の各店が対象で、主婦層に向けたサービスである。

1934年(昭和9年)3月3日の銀座延伸時には利用区間を上野 - 銀座に改定し[6]、運賃据え置きのままこれに松屋が加わっている。1941年8月31日に販売終了[6]

2017年には東京メトロの地下鉄90周年企画として、本乗車券の復刻で2018年1月中に使用可能な90円の東京メトロ全線1日乗車券3枚と銀座線沿線の松屋浅草、上野マルイ、松坂屋上野店、日本橋三越本店、日本橋高島屋、松屋銀座、銀座三越、西武渋谷店、東急百貨店渋谷店・東横店を対象とした百貨店特典クーポン付専用台紙をセットとした「新春デパート巡り乗車券」が9,000セット限定で抽選販売される[6]

夕刊無料引換券[編集]

1937年(昭和12年)頃、サラリーマン向けのサービスとして、地下鉄定期券利用客を対象に夕刊無料引換券の配布を開始する。定期券の提示と共にこの引換券を使用すると、読売東京朝日(現在の朝日新聞)、東京日日(現在の毎日新聞)、報知の4紙の中から自由に選ぶことができた。

全通記念[編集]

1934年(昭和9年)6月21日の新橋全通から3日間、全線を5銭均一とし、さらに15銭相当の「おみやげ」を乗客全員に配布するキャンペーンを行った。用意された96万個のおみやげが全て無くなるほどの人気となったが、全列車を3両編成化し、最短3分間隔の運転でこの混雑を乗り切った。

脚注[編集]

  1. ^ 会長根津嘉一郎 (初代) 社長望月軍四郎専務早川徳次『日本全国銀行会社録. 第47回(昭和14年)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 認可日6月12日『鉄道統計. 昭和12年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 現在の東京地下鉄の株式も国と都がおよそ半分ずつを保有している
  4. ^ 時刻を表す数字は頂点の「12」のみで、1・11時の位置が「地」、以下2・10時が「下」、3・9時が「鉄」、4・8時が「ス」、5・7時が「ト」、6時が「ア」と、線対称に上から「地下鉄ストア」となっており、夜間は3本の針と共に電飾で浮き上がるようになっていた。
  5. ^ 店内には現在の「100均」などにも通ずる、9均一コーナーもあった(地下鉄の初乗りは10銭)。
  6. ^ a b c d トップページ 地下鉄開通90周年記念キャンペーン - 東京メトロ

関連項目[編集]