集電装置
集電装置(しゅうでんそうち、英語: current collector)とは、鉄道車両やトロリーバスが電気を得るための装置をいう。集電器(しゅうでんき)とも呼ばれ、代表例としてパンタグラフが挙げられる。
架空電車線方式
[編集]トロリーポール
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トロリーポール(trolley pole)とは、鉄道車両やトロリーバスの屋根上に取り付けられ、架線(トロリー)に接触させて集電する装置の一種。「ポール」または「電棍」(でんこん)とも呼ばれる。
構造と動作原理
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本体は鉄・軽金属・ステンレス鋼等のパイプで出来ており、先端部分にはトロリーホイールと呼ばれる滑車状の車輪、またはスライダーシューと呼ばれるU字断面のすり板が取り付けられており、架線にはめ込む様に接触させる。鉱山鉄道などでは事故防止の観点から、木製のポールに絶縁材で被覆された電源ケーブルを組み合わせたものも用いられた。
トロリーポールは架線に対して斜めに角度を付けてトロリーホイールやスライダーシューを接触させて使用し、架線に突っ込む方向で使用すると離線した時にトロリーポール自体もしくは架線や架線を支持する吊架線(スパンワイヤー)の損傷につながるため、なびく方向で使用するのが原則である。進行方向変更の際は1本ポールの場合はポールを引き回して方向転換するか、方向別のポールがある場合はそれぞれを進行方向別に上げ下げする必要があった[1]。
車両の速度が向上するにつれ、架線を外れたトロリーポールが架線や吊架線を切断する事故も増えたため、ぜんまいばねの働きで引き紐を巻き取り、トロリーポールの跳ね上がりを防ぐレトリバー(レトリーバー、トロリーキャッチャー)が考案された。
歴史
[編集]電気鉄道の黎明期にはさまざまな試行錯誤が行われ、トロリーポールもその起源の完全な特定には今後の研究が待たれるが、1888年(明治21年)にアメリカのダービーホース鉄道(DERBY HORSE RAILWAY)でヴァン・デポール(Van Depoele)の電気品を使用した電気機関車がトロリーポールを用いている。また同年、アメリカのリッチモンドユニオンパッセンジャー鉄道(Richmond Union Passennger Railway)がフランク・スプレイグ(Frank Julian Sprague)考案の電気鉄道システムを採用して開通、やはりトロリーポールを使用している。
電気鉄道黎明期には幅広く使用されたが、架線に対して斜めに接触させて使用し架線の高さが変位すると架線に対するトロリーポールの接触角度も変位するので、架線との接触面に加わる圧力(架線を押し上げる力)の変動が大きい[注釈 1]。かつ質量が大きく剛性も低い(しなる)ため、
- 架線追従性が悪く、架線にはめこんであるトロリーホイールやスライダーシューが架線から外れてしまう離線が起こりやすい。
- 一旦離線が発生すると再度乗務員により架線に着線させる操作が必要である。
- 走行中に離線が発生するとトロリーポールが上に跳ね上がって架線や架線の吊架線を切断する事故が起こりやすい。
- 分岐器通過時各トロリーポールに操作員(通常は車掌が兼務)が必要で貫通路も使用しにくい。
という問題があり、高速化、大出力化、長編成化には不向きであった。
シングルポールとダブルポール
[編集]トロリーポールには進行方向に対して1本(シングルポール)のものと2本(ダブルポール)のものがある。戦前の日本では、大都市の路面電車を中心に、線路からの帰電が漏電して地下埋設した各種の管を腐食(電食)させる事例があり[注釈 2]、これを防ぐために架線に帰電する方式としたため、2本となった[3]。その後、管の材質が電気の影響の少ない鉛等に変更されたり、埋設深さが深くなるなどでほとんど影響がなくなったため、戦後はすべて1本に変更されている。トロリーバスでは構造上地面への帰電が不可能であり、架線に帰電するためすべて2本となっている。
方向転換と分岐
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小型の車両では、屋根の中央に取り付けられ[注釈 3]、進行方向が変わる場合は乗務員が引き紐で旋回させていた。日本ではこの作業はポール回しと呼ばれる。その後車両の大型化に伴い、進行方向ごとに1対を備えるようになり、2本ポールの場合は合計4本となる。この場合、常に後ろ側を使用し、終端部で乗務員が上げ下ろしを行っていた。ポールを上げるには組み込まれたばねの復元力を利用するが、架線への追従性を確保するためにビューゲルやパンタグラフと比較して押し上げる力が強力で、かつ架線にピンポイントで正確にトロリーホイールやスライダーシューをはめ込む必要があってトロリーコード(引き紐)を操り操作するには熟練が必要であった[注釈 4]。
また、分岐、転線の際は、本線側の架線から分岐側の架線への架け替えが必要となるため、乗務員は天候にかかわらず身を乗り出してポール操作を行わなくてはならず、大きな負担になった[4]。分岐部でトロリーポールを下げて付け替える手間を軽減するために、軌道側の分岐器よりも進行方向やや奥側に架線の分岐部を設置し、走行中にトロリーコードを分岐側に軽く引くだけでトロリーポールの転線が完了する様に改良されたが、離線も発生しやすいので従来の付け替え作業を行う作業と併用されていた。
トロリーバス
[編集]トロリーバスの場合は進行方向が一方のため、終端部には転回線が設けられており、途中の分岐が少ない。トロリーポールの上げ下ろしは(1)数少ない分岐(2)入出庫時(3)電化区間の鉄道線の踏切をわたる場合(4)離線や車両故障時等で、路面電車より頻度を低くして表定速度の向上による高速化を狙っている。トロリーポール自体も当初は路面電車用と同様の構造だったが、高速化に対応し、また離線時の架線や吊架線の切断事故防止のために、後年はほとんどのケースでレトリバー(トロリーキャッチャー)を取り付けた[5]。
手動で操作する架線分岐器が開発され、車庫構内や停留所など停車して操作可能な場所で使用された。自動化した架線分岐機構も開発され、世界各国のトロリーバスで使用されたが[6]、構造が複雑なことと、後述するビューゲルやパンタグラフの普及により、手動式・自動式ともに鉄道や路面電車では一般化しなかった。
トロリーバスは道路状況によっては架線の直下を大きく外れて走る必要があるが、U字断面で水平・垂直方向に可動式のスライダーシューを装着して架線追従性を高める改良がされたトロリーポールはこの使用状況に向いており、2012年(平成24年)現在もトロリーポールが使われている。スライダー式はトロリーバス用として開発されたが、架線への追従性に優れていたため鉄道でも高速運転を行う路線を中心にホイール式から変更された例がある[注釈 5]。
アメリカでの使用例
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アメリカではビューゲルやパンタグラフの普及後もインターアーバンを中心にトロリーポールを使用する例が多数見られた[注釈 6]。
路面電車では1929年(昭和4年)からPCCカーが開発されて1936年(昭和11年)に基本仕様が完成[注釈 7]。以降量産して全米各地で使用され、マサチューセッツ州ボストン市を走るレッドラインのマタパン(Mattapan)支線[7]では2012年(平成24年)時点でも使用中であり、スライダーシュー付きのトロリーポールを使用している。
ペンシルベニア州フィラデルフィアのSEPTAでも、1980年代にPCCカーの代替として導入された川崎重工製軽快電車がトロリーポールを装備して登場し、使用されている。また、アメリカではサンフランシスコ市営鉄道のFライン、ウィスコンシン州ケノーシャなど、トロリーポールを装備したPCCカーのような旧型路面電車を市中で復活運行している例も複数ある。
日本での使用例
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日本の営業用鉄道におけるトロリーポールの使用は、1895年(明治28年)2月1日の京都電気鉄道(1918年(大正7年)に京都市電/京都市交通局により買収)を持ってその嚆矢とする(1890年(明治23年)5月4日から東京・上野公園でトロリーポールを使用した『東京電燈スプレーグ式電車』(鉄軌道の分野ではスプレーグと表記する事がある)が走っているが、内国勧業博覧会開催期間中の限定運行でありサンプル的存在)[8]。
曲線や分岐が多く連結運転が多用された日本では電気鉄道の発展に伴い1920年代以降パンタグラフへの移行が急速に進展したが、トロリーポールには、構造が単純で製造コストも低い、本体のサイズが大きく作用範囲が広いため、架線の上下左右の偏倚や張力変動に強い、架線をさほど高い精度で設置しなくても使用できるので架線の設置、及び維持コストを低廉化できる[注釈 8]、といった理由から、その後も長きにわたり路面電車や小規模な地方私鉄用として使われ続けた。
ホイール式は1975年(昭和50年)12月の京福電気鉄道嵐山本線・北野線、スライダー式は1978年(昭和53年)10月の京福電気鉄道叡山平坦線・鞍馬線[注釈 5](現・叡山電鉄叡山本線・鞍馬線)を最後に旅客用鉄道で使用する路線はなくなり、現在は乗客を乗せる車両では明治村等の保存鉄道でのみ用いられている[9][10]。
トロリーバス向けスライダー式は、2018年(平成30年)12月以降日本に唯一現存したトロリーバス路線で立山黒部アルペンルート内に含まれる立山黒部貫光立山トンネルトロリーバスのみで使用されていたが、2024年(令和6年)11月30日をもって廃止された[11][12]ことで国内から姿を消した。
ビューゲル
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(写真は東京都電7504号 空気圧操作式に改造後の姿)
ビューゲル(独:Bügelstromabnehmer)は、かつての路面電車に多用された集電装置。架線に摺り板(スライダーシュー)を圧接し、摺動させて集電する。
架線からの集電システムはその黎明期に様々な方式が考案されたが、ビューゲルの原型となる物も、トロリーポールやパンタグラフの原型と、ほぼ同じ時期に使用が始まっている[注釈 9]。トロリーポール同様に起源の完全な特定にはさらなる研究が待たれるが、アメリカ合衆国起源のトロリーポールに対してドイツ語の名詞であるビューゲル(Bügel=枠[注釈 10])が用いられ、主にヨーロッパで発展したシステムである[4]。英語ではボウコレクター(Bow collector)、その和訳では弓形集電子と呼ばれる。
構造と動作原理
[編集]本体は鉄・軽金属・ステンレスなどのパイプで作られており、枠状で通常は関節を持たない。トロリーポールと同様に架線に接触する角度を変位させて架線高さの変位に追従させるが、走行中は左右方向に首を振らない(回転しない)点がトロリーポールと異なる。特殊構造で中途に関節を持つものもあるが、パンタグラフやZパンタグラフの様に本体の倒れこみを防ぐ機構は持たない。横幅を持たせたすり板(スライダーシュー)の左右端が閉じて曲線を描き、枠と接続しているのが特徴で、その形状から日本では「布団たたき」と呼ばれた。枠の丸みは架線が大きく偏倚した際の復元をスムーズにし、ビューゲルと架線の損傷を防ぐ目的で設けられているが、枠が角形でパンタグラフ同様の集電舟を持つタイプも存在する[13]。
架線にトロリーホイールやスライダーシューをはめ込む様に接触させるトロリーポールとは異なり、横幅のあるスライダーシューを架線にすべり接触させる。架線とビューゲルがバウンドして離線が発生しても自動で復旧するので、トロリーポールの様に再び架線に着線させる操作をせずに運転を継続することができる。架線を外れて跳ね上がってしまう事も無いので架線や吊架線の切断事故が起こりにくい。運転中の監視や操作が不要となり、乗務員の負担は軽減されて機関車から路面電車まで幅広く普及した。
てこの原理を応用して架線と接触するすり板(スライダーシュー)部分を作用点とし、なんらかのばね装置で架線への圧接力を得ている。以下は日本での実用化例である。
- 本体の台座への取付け部分の回転軸(てこの支点)と直角(車両の前後進行方向)に一組ずつコイルばねを設置し、本体のてこの支点の上部もしくは下部(てこの力点)に作用させるもの(二宮式)。架線への押し上げ圧力を一定にするため架線の高さを一定に整える必要がある。
- 本体枠中央部分(てこの力点)と台座をリンク装置を介してシリンダーに組み込んだ一組のコイルばねで連結するもの(泰平電鉄機械)。スプリングの力を受ける前後のリンクが進行方向毎に切り替わって架線への押し上げ圧力の変動を軽減している。
- 本体の台座への取付け部分の回転軸(てこの支点)と同軸上にねじりコイルばねを設置し、本体枠下部(てこの力点)にトーションスプリング(ねじりばね)として作用させるもの(明石製作所、東洋電機製造)。スプリングの巻き径を大きくし、かつ、巻数を増やしてばね定数を低めに設定し、復元力の変動を抑制して押し上げ圧力の変動を軽減している[14][15]。
方向転換
[編集]トロリーポールと同様に原則的に車両の進行方向に合わせてなびく方向で使用するが、ビューゲルでは車両を逆行させるだけで架線とスライダーシューの摩擦力による自然反転か引き紐によるアシストで反転する[1]。ビューゲルの枠には伸縮機構が無く、反転する際には架線を持ち上げることになるため、反転する箇所の架線はあらかじめ持ち上げられる事を許容する様に取り付ける必要がある[注釈 11]。
世界各国ではより大型で台座ごと進行方向と反対に180°旋回させて反転するタイプも使用され[注釈 12]、このタイプは架線を持ち上げずに反転できるが乗務員は必ず下車しての作業となる。また、1基の台座に本体を2基装備して進行方向ごとに上げ下げして使い分けるタイプも存在した[17]>。ビューゲルはトロリーポールと異なり、分岐点での架線の付け替えは不要で、乗務員による集電装置の監視も折り返し時の反転以外は基本的に不要になる。
日本での使用例
[編集]日本では1902年(明治35年)に江之島電氣鐡道(現江ノ島電鉄)、1903年(明治36年)に宮川電氣(後の三重交通神都線)がそれぞれ開業時にドイツのジーメンス製ビューゲルを使用するが、いずれも短期間にとどまり、トロリーポールに換装している[18][19]。1941年(昭和16年)には広島瓦斯電軌(現広島電鉄)が、太平洋戦争中の灯火管制の一環として(トロリーポール離線時のアーク防止のため)、ビューゲルとパンタグラフを試験使用した上で[注釈 13]、1944年(昭和19年)に全線ビューゲル化した[20]。使用したビューゲルは自社開発した二宮式と称する物で、ビューゲルを短期間に留まらずに継続使用した路線としては日本国内最初のケースとなった。
続いて戦後、都市部の路面電車で各電機メーカーの試作品の試用が始まり、1949年(昭和24年)1月の横浜市電(横浜市交通局)採用の泰平電鉄機械(現泰平電機)が開発した定圧式ビューゲル集電装置(1948年(昭和23年)8月に開発)が本格採用の第一号となった[21]。以降、他メーカー(明石製作所、東洋電機製造)の競合製品共々、架線電圧や電流が低く、運転速度の低い路面電車や地方私鉄では普及[注釈 14]して長く使用された[22] [23]。トロリーポールに比較して扱いが格段に簡便になったビューゲルではあったが、以下の欠点もある。
- トロリーポールと同様に架線に対して斜めに接触するので、架線の高さが変化すると架線に対するビューゲルの接触角度が変位する。架線を押し上げる圧力の変動が大きく離線しやすい。反転時にも架線とビューゲルがバウンドして離線する事が多い。
- 離線によってアークが飛び、架線・ビューゲルのすり板(スライダーシュー)共に著しく消耗する。
- 一般的なタイプは離線の発生を考慮すると集電容量を大きくする事が難しい。
- 反転時に重い架線を持ち上げるので、パイプで軽量化して製作されているビューゲル本体が破損することがある。
これらの欠点のため、高速車両ではパンタグラフが主流になった。日本国内の路面電車においても順次Zパンタグラフやパンタグラフに換装されて行き、都電荒川線が離線によって起こる瞬間的な停電による冷房装置のインバータ故障防止のためパンタグラフに切り替えた[24]のを最後に、標準仕様の機器として使用する路線は無くなり、長崎電気軌道の動態保存車や土佐電気鉄道貨1形電車に残っている程度である。
Yゲル
[編集]"Y字型ビューゲル"の略で、枠の形状がアルファベットの「Y」の字に似ている。
これは、ポール集電から移行する際に、既存のトロリーポールを改造して先端部をY字状に分岐させてトラス構造を形成し、左右に首を振らない様に加工の上でスライダーシューを取り付けたもので、トロリーポール同様に車体前後の屋根上に各1基ずつ装備して進行方向にあわせて前後のYゲルを上げ下げして使用する。新品のビューゲルを購入するのと比較して大幅に低コストとなることから、南海大阪軌道線、静岡鉄道秋葉線などで採用された。静岡鉄道秋葉線ではこのYゲルをさらに改造し、2つ組み合わせて途中に関節を設け、菱枠形のパンタグラフとするという工事も実施している[25]。
阪神国道線でもY字型の集電装置が使用されていたが、屋根上に1基のみが装備され、本体の長さも短く、前後に反転使用するタイプで、ほぼ通常型のビューゲルと同様の構造であった[注釈 15]。
ボウコレクター
[編集]ビューゲルの一種で導入の推移は前述のYゲルとほとんど同じで、Yゲルもボウコレクターと呼ばれる場合がある。Yゲルとの違いは、既存のトロリーポール2本を平行にならべて先端部にスライダーを取り付けるもので、ポール間の梁は鋼管でトラス構造に接続されている。Yゲル同様トロリーポールの再利用例であるが、採用例は少ない。京阪電気鉄道や阪急電鉄が昭和初期までおもに無蓋の四軸電動貨車や旧北野線の四軸客車に採用していたが、長くは続かなかった[注釈 16]。
パンタグラフ
[編集]
パンタグラフは折りたたみ式の集電装置で、ばねにより関節構造を押し上げて集電舟を架線に当てる方式である。進行方向により向きを変える必要がなく、離線の可能性がトロリーポールやビューゲルより低いため高速運転に適している。
当初の主流の形状は菱形で、「パンタグラフ」の名称は主に製図に使用されるパンタグラフに構造が似ていることに由来する。その後はより小型な下枠交差形や、軽量で構成部品の少ないシングルアーム形に移行した。
世界で最初期の鉄道集電用パンタグラフの採用例とされるのは、アメリカ合衆国のボルチモア・アンド・オハイオ鉄道(B&O)が1895年に導入した電気機関車である。後に一般化する菱形パンタグラフはアメリカ・カリフォルニア州オークランド近郊で1903年に開業したキー・システムで採用された。シングルアームパンタグラフは1955年にフランスの企業で開発された[27]。
第三軌条方式
[編集]集電靴
[編集]第三軌条方式では、台車の外側に取り付けられた集電装置(集電靴(しゅうでんか)英: contact shoe。日本語では「コレクターシュー」と称する)によって第三軌条から集電する方法が一般的である。架線と異なり柔軟性がないため、高速運転には不向きである(日本での第三軌条区間最高速路線は近鉄けいはんな線の95 km/h)。イギリスのユーロスター走行区間では160 km/h運転を行っているが、フランス国内の区間との速度差が大きいこともあり、架空線方式の高速新線 (CTRL) に順次切り替えられている。
日本では主に地下鉄事業者に採用され、それ以外の事業者では北大阪急行電鉄と近鉄けいはんな線のみ地上区間での採用となっている。これらの路線は、Osaka Metro御堂筋線や中央線に相互直通運転するため第三軌条方式を採用している。かつては信越本線の横川 - 軽井沢間の碓氷峠のアプト区間でも一時期採用されていた(なお、同区間は日本で最初の幹線電化区間である)。営業路線以外では、鹿児島県いちき串木野市にある金山跡を活用した観光施設「薩摩金山蔵」において、この方式を採用したかつての専用軌道が観光用として運行されている。
ロンドン地下鉄では、世界でも非常に珍しい「第四軌条方式」(Four-rails system) を採用している。通常配置の第三軌条には直流+420 V、走行用レールの間に置かれた「第四軌条」(Fourth Rail) には直流-210 Vがそれぞれ印加されており、トータルで630 Vを得る仕組みとなっている。
地表集電方式
[編集]路面電車で第三軌条を使用する地表集電方式の事例がある。
アルストムの子会社であるINNORAILが開発したAlimemtation par le Sol (APS)が、ボルドーを始めとする10都市の路面電車で使用されている。これは、軌道中央に給電用のレールを敷設し、車両側に取り付けられた集電靴で集電するシステムだが、そのままでは歩行者が集電レールを踏むと感電してしまう。そこで8mの集電セグメントと2mの絶縁セグメントに集電区間を区切り、絶縁セグメントの前後の給電セグメントを給電ボックスで区切って敷設し、車体側に取り付けた設置アンテナから信号を送ることにより、給電セグメントのON/OFFを走行しながら繰り返す、これにより、電流が流れている区間を電車と共に移動させ、感電を防いでいる。建設コストが架空線方式よりも割高になるが、架線によって都市景観が損なわれないため、ボルドーでは景観保護を重点的にしている区間をAPSシステムとしている。近年ではフランスの他、ドバイやクエンカなどの都市でも採用されている。
APS以外の地表集電方式として「コンデュイット方式」がボルドー、ロンドン、ニューヨーク等の路面電車で採用されていた。これは地中に埋設した給電線から、車体側に取り付けられた「脚」に取り付けられた集電靴で集電するものであった。この方式は、地面を60cm程度掘削する必要があり、保守にも手間が掛かる等様々な問題点があったことから、現在までに路線は全て廃止されている。現在ロンドンの鉄道博物館にこのシステムの解説が展示され、ボルドーには当時の車両が保存されている。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ 架線に対して水平(角度は0°)の時に押し上げる力は最大で、角度が付くに従って押し上げる力が減少し、90°になるとゼロになる。
- ↑ 1911年(明治44年)10月に名古屋電気鉄道で、軌道からの漏洩電流により電話ケーブル鉛管が腐食し、一時通話障害が発生した[2]。
- ↑ 車体中央に屋根が無い電動無蓋貨車などでは屋根の中央に相当する場所に前後の運転室屋根から梁を渡すか、床から柱を立てて取り付けてあるケースもある。
- ↑ 依田幸一『チンチン電車始末記 横浜を走った70年』94-95頁、268頁。トロリーコードをつかんでトロリーポールを操作していた乗務員がばねの反力で持ち上げられ宙吊りになるトラブルが頻発し、落下事故も発生した。
- 1 2 京福電気鉄道叡山本線・鞍馬線はホイール式トロリーポール使用で開業しているが、1970年(昭和45年)の京阪京津線・石山坂本線のパンタグラフ化時に不要となったスライダー式トロリーポールを譲受して切り替えていた。
- ↑ 吉川文夫吉川文夫『路面電車の技術と歩み』136-137頁。アメリカ西海岸で最盛期の1926年(大正15年)に約1,870 kmの軌道延長を持ち、路線を縮小しながら1961年(昭和36年)まで運行していたパシフィック電鉄(Pacific Electric Railway)では、2 - 3両以上を連結してポールカーが走っていた。
- ↑ 中田安治『路面電車 -消えゆく市民の足-』121-122頁。自動車に対抗して開発された当時の最新鋭車両。
- ↑ 花巻電鉄の軌道線では配電用の電柱をそのまま利用して架線を張っていたので架線の吊架線の間隔が広く、架線のたるみや曲線部分での偏倚や折れ曲がりが多かった。世界各国ではポルトガルのリスボン市電が広い道路上ではZパンタグラフを使用し、急勾配と急曲線が連続して架線の設置状況が厳しい旧市街地を走る路線でのみトロリーポールを使用している。
- ↑ 石本祐吉「路面電車の集電装置について」80頁。1899年(明治32年)スイスの三相交流電気機関車が大型の下枠付きビューゲルを装備している。
- ↑ 枠状の物。乗馬用の鐙(あぶみ)やメガネのフレーム、医療用の矯正具などもビューゲルである。
- ↑ 東京都電の巣鴨車庫では架線が出入庫線を覆う屋根に取り付けてあったため、該当箇所では反転不可であった。巣鴨車庫では後述のZパンタグラフを装備した車両を配備して屋根下で逆行する運用に備え、ビューゲル装備車両は屋根下を避けて反転した[16]。
- ↑ アムステルダム、ウィーン、ローマ他多数の都市での使用例がある。
- ↑ 吉川文夫『路面電車の技術と歩み』168頁。パンタグラフは白島線用車両に使用。
- ↑ その一方で西鉄軌道線や叡山電鉄(京福電鉄時代)のように、トロリーポールからビューゲルを経ずに直接パンタグラフに換装したケースもある。
- ↑ 吉川文夫『路面電車の技術と歩み』144頁。浜甲子園に停車中の205がこのYゲルを装備している。
- ↑ 東京出版企画社『チンチン電車80年』102頁。京阪電鉄901(のち1947年(昭和22年)に京阪京津線20形に車体更新改造)が1937年(昭和12年)にボウコレクターを装備している。
出典
[編集]- 1 2 小野寺・新井「日本におけるパンタグラフの歴史と東洋電機 I」『東洋電機技報』第108号、p.3
- ↑ 『明治工業史 電気編』 1928年、388頁(復刻 原書房、1995年)。
- ↑ 小野寺・新井「日本におけるパンタグラフの歴史と東洋電機 I」『東洋電機技報』第108号、p.2
- 1 2 石本祐吉「路面電車の集電装置について」『鉄道ピクトリアル-臨時増刊号 』通巻第688号、2000年、82頁。
- ↑ 吉川文夫『日本のトロリーバス』電気車研究会、1994年、148-151頁。
- ↑ 宮本政幸『新しいトロリーバス』鉄道図書刊行会、1957年、87-91頁。
- ↑ 谷川 一巳・西村慶明・水野良太郎『路面電車の基礎知識』〈イカロスムック〉イカロス出版、1999年、179頁。
- ↑ 吉川文夫『路面電車の技術と歩み』グランプリ出版、2003年、16-20頁。
- ↑ 中田安治『路面電車 -消えゆく市民の足-』〈カラーブックス264〉、保育社、1977年、139-140頁。
- ↑ 原口隆行『日本の路面電車I-現役路線編-』〈JTBキャンブックス〉JTB、2000年、82-83頁。
- ↑ 立山トンネルにおける無軌条電車(トロリーバス)事業廃止の届出及び電気バスへの変更計画について 立山黒部貫光(2023年12月11日)2024年12月7日閲覧
- ↑ “さよなら国内唯一のトロリーバス 立山黒部アルペンルート運行29年”. 北日本新聞webunプラス (2024年12月1日). 2024年12月7日閲覧。
- ↑ 宮田道一・関田克孝『ありし日の玉電』〈RM LIBRARY 15〉 ネコ・パブリッシング 、2000年、16頁。
- ↑ 東京出版企画社『チンチン電車80年』立風書房、1979年、122-123頁。
- ↑ 岡田誠一・澤内一晃『横浜市電(下)戦後の歴史とその車両』ネコ・パブリッシング、2009年、23頁。
- ↑ 岩成政和「電車とともに八十余年 江本廣一氏インタビュー」『鉄道ピクトリアル-別冊 路面電車の時代-』〈アーカイブスセレクション12 〉、鉄道図書刊行会、2007年、12-13頁。
- ↑ 小野寺正之、新井博之 (2001年9月). “東洋電機技報第108号 日本におけるパンタグラフの歴史と東洋電機 I” (PDF). 東洋電機製造. 2025年12月30日閲覧。
- ↑ 湘南倶楽部『江ノ電-なつかしの電車名鑑』JTB、2003年。
- ↑ 高松吉太郎『写真でつづる日本路面電車変遷史』鉄道図書刊行会、1978年、57頁。
- ↑ 和久田康雄『日本の市内電車 -1895 - 1945-』成山堂書店、2009年、26頁。
- ↑ 依田幸一『チンチン電車始末記 横浜を走った70年』かなしん出版、1988年、296-298頁。
- ↑ 江本廣一『都電車両総覧』大正出版、1999年、106-107頁。
- ↑ 東武博物館学芸課『なつかしの日光軌道』、2010年、23頁。
- ↑ 谷川 一巳・西村慶明・水野良太郎『路面電車の基礎知識』84頁。
- ↑ 吉川文夫・花上嘉成『静岡鉄道秋葉線 ―石松電車始末記―』〈RM LIBRARY18〉ネコ・パブリッシング、2001年、39頁。
- ↑ “京福電鉄福井支社(1958~1963年)”. 40年前の鉄道風景. はーさんの思い出の鉄道画像 (2010年5月11日). 2012年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月7日閲覧。
- ↑ 「【これで君も鉄道はかせ!】4本足から1本足へ いいことずくめのシングルアームパンタグラフ」鉄道コム、2022年3月19日(2026年4月30日閲覧)
- ↑ 「パンタグラフでメルセデスベンツのEVバスを充電、28台同時充電可能な電気バス充電設備が稼働」レスポンス、2025年9月10日(2026年4月30日閲覧)
参考文献
[編集]- 小野寺正之・新井博之「日本におけるパンタグラフの歴史と東洋電機 I」『東洋電機技報』第108号(2001年9月)、東洋電機製造、pp.2-8
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 3次元構造に対応した架線・パンタグラフ運動シミュレーション - 鉄道総合技術研究所・RRR(2015.12 Vol.72 No.12/2016年1月24日閲覧)