阪急2000系電車

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阪急2000系電車
2000系 1991年10月 苦楽園口駅
2000系 1991年10月 苦楽園口駅
基本情報
運用者 阪急電鉄
製造所 ナニワ工機
製造年 1960年 - 1962年
製造数 42両
運用終了 1992年1月(単独編成)
廃車 2013年(中間付随車)
投入先 神戸線・宝塚線
主要諸元
編成 2両 - 8両編成
軌間 1,435 mm
電気方式 直流600V→1500V
最高運転速度 110 km/h
起動加速度 2.8 km/h/s
減速度(常用) 4.0 km/h/s
全長 19,000 mm
主電動機 東京芝浦電気 SE-572B
主電動機出力 150 kW × 4
駆動方式 WNドライブ
歯車比 85:16 (5.31)
制御方式 抵抗制御
制動装置 電磁直通ブレーキ
回生ブレーキ(昇圧時撤去)
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第1回(1961年
ローレル賞受賞車両

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阪急2000系電車(はんきゅう2000けいでんしゃ)は、阪急電鉄(以下「阪急」)が1960年から神戸線宝塚線神宝線)用として製造した通勤形電車である。

本項では、本系列の宝塚線用の低速型である2100系電車、直流600V・1500V複電圧対応型である2021系電車(電装解除後は2071系)についても記述する。

能勢電鉄がこれら3形式を阪急から譲受した系列は、能勢電鉄1500系電車能勢電鉄1700系電車の各記事で解説する。

概要[編集]

木目デコラの台座付きの初代ローレル賞プレート(1977.10.16西宮北口にて撮影)

同時期に京都線に投入された姉妹車である2300系とともに、阪急の車両で初の回生制動と定速運転制御を装備した高性能車である。愛称は「人工頭脳電車」としてPRされ、また「オートカー」とも称された[1]

基本的な車体構造は1997年に製造された8000系最終グループまで受け継がれ、昭和半ばから平成までの阪急のスタンダードとなった。

阪急初の高性能車である1000形1010系ではオールM車を基本としていたが、制作費が高くなることから見直しが図られ、MT編成を基本に設計された[1]。鉄道車両の法定耐用年数が20年から13年に短縮されたことを機に[2]、工程を可能な限り簡素化し、車両寿命がある程度犠牲となることを承知の上で製造・維持コストの圧縮を図った。

1960年から1962年にかけて42両が製造された。1961年には宝塚線用の2100系、1963年には昇圧用複電圧車の2021系が登場している。

1961年には、2300系とともに第1回鉄道友の会ローレル賞を受賞している。

車体・接客設備[編集]

車体は京都線用の2300系と同様、製の準張殻構造を採り入れた軽量構造車体となっている。これは前世代の1010系・1300系などが軽量化に腐心するあまり、特殊かつ極めて複雑な車体構造となり、製造・保守の両面で問題が生じたことへの反省として変更されたものである。デザインは直線と平面を基調としたシンプルな形状となり、前面は三面折り妻とされ、前面・屋根・裾部に丸みが付けられた。客用扉は阪急の車両では初採用となる1,300mm幅の両開き扉が採用され、戸袋窓は省略された。

通風は1010系などと同様の軸流送風機によるファンデリアを用いた強制換気であるが、同系列などで問題となった複雑な屋根構造は廃され、換気用のモニター屋根と呼ばれる通風ダクトを本来の屋根構造とは独立して全長に渡って搭載する構成に変更され、構造の大幅な簡素化が実現した[注 1]

外部塗装はマルーンの単色で、窓枠はアルミサッシ無塗装の銀色とされた。側窓は下降窓となり、ワンタッチで開閉可能な新設計の大型ユニット窓が採用された。この窓はその完成度の高さから、その後8300系まで改良を加えつつ長く継承されることとなった。

前面は中央に貫通扉が設置され、その両隣に窓が1つずつ設けられている。前照灯は阪急の車両で初めて採用された丸型シールドビーム2灯が四角形のケースの中に入れられて貫通扉上に配置された。尾灯は左右の窓上に1灯ずつ設置されており、内部切り替えにより標識灯として使用することが可能であった。左右の窓下にはフックが1つずつあり、行先表示板を掲出できるようになっていた。車体側面には列車種別表示灯[注 2]と車外放送装置が設置されている。

室内も木目調の内壁とゴールデンオリーブ(光沢のある深緑)の落ち着いた雰囲気で、全席ロングシートであった。妻面は、開放感を持たせるために1,080mm幅の広幅貫通路で隣の車両と連結されていた。

車両番号は側面窓下に左右1箇所ずつと先頭車は前面貫通扉中央に1か所、ステンレスの切り文字で番号が掲出されていた。

主要機器[編集]

走行機器[編集]

(1988年2月8日 梅田 - 西宮北口間)

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主電動機は定格出力150kW(定格電圧300V)の直流複巻補償巻線付電動機東京芝浦電気SE-572B)を装備した。

駆動方式はWNドライブ、歯数比は85:16(5.31)で、この歯車比は後の神宝線の標準となる[3]起動加速度2.8km/h/s、常用減速度4.0km/h/s、平坦線均衡速度は120km/h以上を実現した。

ブレーキは電力回生制動を併用するHSC-R電磁直通ブレーキである。電動車による回生制動 → 電動車の空気ブレーキ → 制御・付随車の空気ブレーキの順に動作するよう優先順位を付ける方式が採用された。

パンタグラフは菱形のPG-18A1を採用した。離線による回生失効を防止するため、1両あたり2基装備していた[3]

制御器[編集]

制御器は、抵抗制御を行う電動カム軸式制御器に分巻界磁制御器を付加し、中速域以上では分巻界磁電流の自動制御のみで主回路を切り替えずに力行・惰行・回生ブレーキを連続的に行う方式を採用した。2000系と2300系では電気機器メーカーの違いにより制御方法が異なり、2000系では磁気増幅器を用いる。

制御方式は1C4Mで、2300系と異なり直並列の切り換えを行う[3]

定速運転の機能も搭載され、運転士がノッチで指定した速度に合わせて、自動制御で乗客数や勾配、電圧の高低に関係なく一定の速度で走行する事が可能となった[4]。マスコンは2300系と同じく7ノッチであるが、2ノッチは直列運転用であり、定速運転用ノッチの指令速度は50・70・80・90・105km/hであった[3]

分巻界磁の制御は、電動発電機と同軸に取り付けた昇圧機(ブースター)を主電動機の分巻界磁と直列接続し、この増幅率を磁気増幅器(マグアンプ)によって他励界磁電流を制御することで行われる[5]。マスコンの位置・指令速度、実速度、主回路電流などの情報を磁気増幅器の入力として演算処理し、その出力が他励界磁電流となる仕組みであり、当時の自動制御技術による最新の制御方式であった[5]

もっとも、このシステムは磁気増幅器の応答性が必ずしも良好ではなかったことと、昇圧機が電車線電圧の変動に左右される電動発電機を動力源としていたことから、各車ごとの増幅率の調整が難しく、保守上の問題となり、昇圧時に分巻界磁制御器が廃止される一因となった[注 3]

台車[編集]

当初はアルストム・リンク式金属ばね台車である住友金属工業FS-333(電動台車)・FS-33(付随台車)を装着した[6]。電動台車の軸間距離2,100mm、車輪径860mmに対し、付随台車は軸間距離2,100mm、車輪径762mmと小振りになっている。阪急でのアルストム台車の採用は2000系・2100系・2300系が最後となった。

1961年には住友金属工業のミンデンドイツ式台車第1号となるFS-344が2011で試用され[3]、1962年以降の増備車で量産型のFS-345(電動車)・FS-45(付随車)[6]が本格採用された。ミンデンドイツ式台車は多数の私鉄・地下鉄にも波及した[7]。FS-344は後に2017に振り替えられ、廃却された[3]

また、汽車製造によって開発されたエコノミカル・トラックと呼ばれる1自由度系軸箱梁式空気ばね台車の比較検討のため、2018と2019はKS-66Cを、2068と2069はKS-66Bをそれぞれ装着して竣工したが、営業開始直後にFS-345・45に交換されている。

京都線の2300系も同様の台車を採用しているが、2000系・2100系とは駆動方式の違いから電動台車の互換性はない[3]

派生系列[編集]

2100系[編集]

2100系 1984年 雲雀丘花屋敷駅

2100系は、2000系の宝塚線仕様として1962年に登場した。

宝塚線に適した性能とするため、主電動機は出力100kW、歯車比は6.07に設定された。定速運転の指令速度は45・60・70・80km/hであった[3]

電動車の2100形と制御車の2150形が各15両ずつ、合計で30両(車両番号はそれぞれ2100 - 2114・2150 - 2164)が製造された。なお、2156Fはエコノミカル台車を使用している。

本系列は直流600V専用設計であったため、昇圧後は2000系と同様に定速運転機能と回生ブレーキ機能が撤去された。この時、最終6両(2112 - 2114・2162 - 2164)については電装品が2000系昇圧の際に発生した余剰機器に取り替えられた。このため主電動機が2000系と同じ東芝SE-572Bに交換されて1時間定格出力が150kWに増強され、同系列と共通運用可能となった。これら6両はしばらく元番号のまま使用され、1979年に冷房化改造された際に以下の通り2000系に改番(後述の2021系の続番で原番号-70)・編入された。

2162-2112-2163-2113+2164-2114 → 2092-2042-2093-2043+2094-2044

また、2153と2155については早い段階で3000系の増結に転用されている。残った22両については、2000系2050形2両を編入して8両編成3本に編成され、引き続き宝塚線で使用された。

2021系(2071系)[編集]

2021系原形車 (2030)
(後の能勢電1585号・阪急梅田駅
2071形中間車 (2080)
(2007年6月23日 十三駅)

本系列は、1963年の神戸線と宝塚線の架線電圧昇圧(600V→1500V)決定に伴って製造された2000系の複電圧対応型である。1964年までに電動車である2021形と制御車および付随車である2071形が各21両ずつ、合計で42両が製造された。

複電圧車ではあるが、電圧転換器による車上転換ではなく、車庫あるいは工場で各車の床下の主回路や補助回路の切り替えスイッチの切り替え、あるいは端子板の結線変更による方式であり、走行中の電圧切り替えはできなかった。また、2000系と同等の定速運転機能も装備していたが、電気関係、特に主制御器の構造が極めて複雑で保守に問題があったために、以降は比較的構造が単純な昇圧即応車である3000系・3100系の製造に移行した。主電動機は2000系同様の複巻電動機であるが、定格電圧は750Vとなった[8]。2000系との併結は不可能であるが[8]、車両番号は2000系の続番で、それぞれ2021 - 2041・2071 - 2091と付番された。

車体は2000系に準ずるが、側窓のサッシがフレームレスとなり、操作性が向上した[9]。また、一部車両ではドアエンジンに新型の上戸閉機が試用された[9]。2071F・2074Fは初の6両貫通編成で投入され、広幅貫通路で6両が繋がったが、加減速時の風の流れが強くなったため対策が必要になり、以後の新造車で妻引き戸を設けることとなった[9]

他、4両編成・2両編成各2本(2031 - 2036・2081 - 2086)が汽車製造製のエコノミカル・トラックと称する1自由度系空気バネ台車を装備して竣工した[9]

2081F・2084F・2087Fの6両編成3本は宝塚線に配属された[9]

昇圧に際しては、事前調査によって直流1500Vでの走行性能に問題があることが判明したため、複電圧仕様から1500V専用車として改造されることとなった。ただし磁気増幅器の改造程度であり、2000系の様な大規模な工事は行われなかった[10]

昇圧後しばらくの間は、定速運転機能、回生ブレーキ機能を残したまま神戸線と宝塚線で使用されていたが、昇圧後は電気配線や制御器関係の故障が相次ぎ、神戸線では高速走行中に主電動機のフラッシュオーバー事故に悩まされた[9]

2021系は電装解除が行われ、その後の冷房化に伴う改番以降は2071系と称することとなった[9]

形式[編集]

電動車が0番台、付随車が50番台となり、運転台の有無に区別なく通し番号で付番された。編成は2M2Tの4両編成が基本で、従来は阪神急行電鉄からの慣例で大阪寄りに電動車を配置していたが[11]、2000系列ではその逆で神戸方が電動車となった[12]

電動車が神戸方に変更されたのは、当時開始されていた大型車の5両編成運転に際し、2000系・2100系でも4両編成の大阪寄りに単車の電動車を増結した5両編成運転が想定されたが[12]、その際に電動車2両が連続して4基のパンタグラフで架線を集中して押し上げるのを避けるためである[11]。この5両編成化は見送られ、2100系でMc-Tcの2両を増結する6両編成運転が開始されたことで、パンタグラフ近接の問題は解消した[12]

  • 2000形2001・2003・2005・2007・2009・2011・2013・2014・2016・2017・2019・2020
    三宮向き制御電動車 (Mc)。
  • 2000形2000・2002・2004・2006・2008・2010・2012・2015・2018
    中間電動車 (M)。
  • 2050形2050・2052・2054・2056・2058・2060・2062・2064・2065・2067・2068・2070
    梅田向き制御車 (Tc)。
  • 2050形2051・2053・2055・2057・2059・2061・2063・2066・2069
    付随車 (T)。

製造[編集]

2000系の1960年から1961年に製造された編成は4両編成で登場し、神戸線に配属された。2054Fは2100系の投入まで宝塚線に仮配属された[11]。2100系は1962年に竣工した。

2000系 1960年・1961年製造車
← 大阪
神戸・宝塚 →
竣工
Tc M T Mc
2050 2000 2051 2001 1960年11月[11]
2052 2002 2053 2003
2054 2004 2055 2005
2056 2006 2057 2007 1961年11月[5]
2058 2008 2059 2009 1961年12月[5]
2060 2010 2061 2011
2100系 1961年製造車
← 大阪
神戸・宝塚 →
竣工
Tc M T Mc
2152 2102 2153 2103 1962年1月[5]
2154 2104 2155 2105
2156 2106 2157 2107
Tc Mc
2150 2100 1962年1月[5]
2151 2101

1962年の製造車は、4両編成に2両編成を増結する6両編成で投入された。

2000系 1962年製造車
← 大阪
神戸・宝塚 →
竣工
Tc M T Mc Tc Mc
2062 2012 2063 2013 2064 2014 1962年12月[13]
2065 2015 2066 2016 2067 2017 1962年12月[13]
Tc M T Mc
2068 2018 2069 2019 1962年11月[13]
Tc Mc
2070 2020 1962年12月[13]
2100系 1962年製造車
← 大阪
神戸・宝塚 →
竣工
Tc Mc
2158 2108 1962年12月[13]
Tc M T Mc Tc Mc
2159 2109 2160 2110 2161 2111 1962年12月[13]
2162 2112 2163 2113 2164 2114 1962年12月[13]

1963年には複電圧車の2021系が竣工した。

2021系 1次車
← 大阪
神戸・宝塚 →
竣工
Tc M T M T Mc
2071 2021 2072 2022 2073 2023 1963年9月[8]
2074 2024 2075 2025 2076 2026
Tc M T Mc
2077 2027 2078 2028 1963年9月[8]
2079 2029 2080 2030
Tc M T Mc Tc Mc
2081 2031 2082 2032 2083 2033 1963年10月[8]
2084 2034 2085 2035 2086 2036 1963年11月[8]
2087 2037 2088 2038 2089 2039
2021系 2次車
← 大阪
神戸・宝塚 →
竣工
Tc Mc
2090 2040 1964年5月[8]
2091 2041

主な改造[編集]

昇圧改造[編集]

神戸線は、1967年に1500Vへの昇圧が決定したが、電機機器は架線電圧600V専用で昇圧改造が不可能であったことから、昇圧に際して定速度制御機能と回生制動機能は廃止となった[13]

改造に際しては、制御機器が新製交換され(弱め界磁率は4段階で順に73・56・46・38%と設定)、主電動機も界磁の結線を変更して通常の直巻電動機に改造、一般的な抵抗制御となった。ブレーキも空気ブレーキのみとなった。パンタグラフは1両あたり1基に削減され、引き紐装置のある運転台側(神戸寄り)を存置した[13]

なおこの際、最初の1編成分の床下機器は新たに製造したものに交換して、主電動機など、昇圧後も使用可能な機器のみ昇圧改造した上で次の編成に転用する方式で工事を行い、2000系の最後の昇圧対象編成の工事後に余剰となる電気機器を使用して、2100系の最終編成6両を2000系に編入する工事を行った。

2021系の電装解除[編集]

1968年の神戸線8連化に際し、2021系は編成を解体して増結付随車への転用を開始した。電動車は電装解除の上2000系に、付随車は3000系に組み込まれ[9]、神戸線から編成としては撤退し、宝塚線に集中配置された[9]。宝塚線では神戸線で発生した様なトラブルは発生しなかったものの、電気的な複雑さと保守の困難さは変わらず、2021系は電動車を電装解除の上、全車が他系列の中間付随車への転用が図られることとなった。転用改造は1970年に始まり、6両貫通編成の中間車を中心に10両[注 4]が電装解除の上で2000系と3000系に組み込まれた。

1977年6000系の投入による5000系の連解運用の終了に伴い、空気バネ台車の5000系の長編成化用として2021系が組み込まれた。エコノミカル台車の2031 - 2036、2081-2086の12両が対象で、付随車化と冷房化の上で編入されている[9]。他の4両[注 5]が3000系の増結用として改造され、残りは先頭車のみで編成された8両編成2本のみとなった。

1978年には2087Fが電装解除され、最後に残った2077Fも、1979年春には4両編成化[注 6]され箕面線用となったが、同年中に電装解除され、3000系・3100系7両編成に編入された結果、2021系単独編成での運用は消滅した[注 7]。また電装解除された2028・2030と、2077・2079・2090・2091の6両については、運転台は撤去されずに中間付随車として使用されていたが、後の冷房化改造と同時に運転台が撤去されている

冷房化改造[編集]

2代目2055(元2153)
(2007年6月23日 十三駅
2代目2055の車内

1977年から1981年にかけて2000系の冷房化改造が行われ、2050Fを最後に完了した[14]。冷房装置は標準の10,500cal/h×3(東芝RPU-3003)で、電動車の車軸も強化され、パンタグラフは大阪寄りに移設された。2100系編成に組み込みの2055・2059は改造の対象外となり、能勢電鉄へ譲渡された[14]

運転台の撤去も一部車両で行われており、以下の計7両で実施された[14]。妻面は3面折り妻のままで、乗務員用扉の跡に小窓を設置した。運転台仕切りが一部残され旧運転台部には座席がない。

  • Mc→Mo - 2001・2009・2043
  • Tc→To - 2052・2056・2060・2094

また、風の吹き抜け防止のため、広幅貫通路の狭幅化と妻引き戸の設置も一部車両で行われた[15]。大阪寄り広幅貫通路の狭幅アダプタ取り付け、2050形の神戸寄り広幅貫通路の狭幅化およびドア設置改造が実施された。他系列への組込車については、組み込み先編成に合わせた仕様で行われている。

2100系は冷房化を行わず、2000系への編入車のみ施工された。2000系と同性能に改造された6両(2112 - 2114・2162 - 2164)は1979年の冷房改造時に2000系に編入され、車両番号は2042 - 2044・2092 - 2094となった[16]。2154は1984年の六甲事故による初代2050の事故廃車の代替で冷房化され、2代目2050となった[15]。2000系編成に組み込みの2153・2155は1985年に冷房化され、2代目2055・2059に改番された[15]

2021系は1976年から1984年にかけて冷房化され、能勢電鉄に譲渡の2030を除く全車に実施された[9]。同時に運転台の撤去が行われ、元電動車の2021形2021 - 2041は車番に150を加えた2171形2171 - 2191となり(2180は欠番)、2071系と称されるようになった[9]。組込先の編成によっては、表示幕を設置した車両もある[9]

事故・災害[編集]

六甲事故[編集]

1984年5月5日六甲駅の上り本線で山陽電鉄車両との衝突事故が発生し、2050Fが被災した。大破した2050は復旧されず1984年12月14日付で廃車となり[17]、代替に2100系2154を編入し2代目2050とした[15]

初代2050は落成直後の1960年10月27日、西宮車庫での構内試運転を2050-2001の編成で行った際に配管接続錯誤によるブレーキ不能状態となって留置中の900形909に衝突、本線試運転が中止となり事故からの修復のために営業運転開始が1960年末にずれ込んだ過去があり、まさに事故に始まって事故で終わる一生であった。

西宮車庫での事故の際に、構内運転資格ありの乗務見習いの立場で2050を運転していた山口益生は、六甲駅での事故の際には車両部責任者の立場で事故処理にあたった[18]

阪神・淡路大震災[編集]

1995年の阪神・淡路大震災では、2071系2087が伊丹駅で被災し廃車となった。また、同じく伊丹駅で被災した3109を代替した3022の代替として、2171が3000系のM'車に編入され2代目3022となった[19]

このような複雑な改造が行われた背景には、廃車となった3109の補充のために先頭車が必要であることと、当時休車中で転用可能な車両のうち2171は元電動車であり、トラップドアの復活などが容易であったためであった。

運用[編集]

2000系さよなら運転
(1992年1月26日 中津駅)

昇圧後、2000系は昇圧改造で2000系性能となった2100系最終編成6両を合わせて7両編成化が実施された。この際、余剰となる2050形6両については3000系5000系などの他系列編成の増結用として転用の措置がとられた[注 8]。なお、2050Fのみ一旦8両編成化されたが、短期間で7両編成に変更された[注 9]。編成替えの結果、形式ごとの編成は崩されていくことになる[20]

昇圧後は京都線への入線が可能となり、1970年に開催された日本万国博覧会の際には万博準急に充当されて京都線車両の絶対数の不足を補ったが、同年12月には、2050Fを除いて電装解除された2021系電動車を組み込み、8両編成化された。

1972年、老朽化した100系(P-6)の淘汰と各線の冷房車の配置均整化の関係から、7両編成6本が京都線に転属し[14]、7両編成で急行を中心に運用された。特急運用が8連化する以前は、時折特急の代走にも使用されたが、5300系の新製配置が進むにつれて順次神戸線へ復帰し、1977年4月の2050Fを最後に、全車神戸線に復帰した。

2100系は1980年代になると速度が向上した宝塚線では性能不足となり、冷房化を行わずに能勢電鉄に譲渡されることとなった。

1984年3月の今津線の南北分断に伴い、2000系は今津南線・甲陽線用の3両編成4本が準備された。3両編成の車両は、空気使用量の増加に伴い、2050形Tc車に空気圧縮機を1台増設している。3両編成化により余剰となった2050形付随車は、当時今津線で使用されていた5000系6両編成に組み込まれている。1984年5月の六甲事故後にも大幅な編成変更が行われ、今津北線用の6両編成や伊丹線用の4両編成が登場した。

8000系の投入に伴い、2000系の神戸本線の運用が消滅し、甲陽線・今津南線用の3両編成が最後まで残っていたが、1992年1月に単独編成の運用を終了した。1月26日には2070Fによるさよなら運転が行われた[21]

単独編成消滅後も3000系・5000系の中間付随車として2000系2050形、2071系2071形・2171形が引き続き使用されていたが、2014年に全廃となった。

廃車・他社譲渡[編集]

能勢電鉄1700系となった2000系
(2005年12月28日 川西能勢口駅

2100系は、2000系付随車の2055・2059の2両と2021系2030を含む24両が1983年から1985年にかけて能勢電鉄に譲渡され、1500系として入線した[15]。2021系の冷房化未施工車2030は、2代目2050に改造された2154の代替として譲渡された[15]

2000系・2071系の廃車は1989年より開始され、1992年2月の2070F(2070-2002-2020)の廃車をもって単独編成は消滅した[15]。2000系は1990年から1992年にかけて能勢電鉄に譲渡され、同社の1700系となった。譲渡車のうち2072・2078・2177・2187は2071系からの転入車である[15]。中間車については運転台撤去車は含まれていない。

1995年には2087が阪神・淡路大震災による伊丹駅崩壊に巻き込まれて廃車、2171が3000系3022へ改造・改番され、2両の減少があった。

1999年には2091と2050形の運転台撤去車として最後まで残った2052が5200系最後の編成とともに廃車、2000年には2088が製造時からの中間車では初の廃車となった。2088は3054Fから脱車後1993年より西宮車庫で留置されていたが、震災を除くとスイープファン・表示幕設置車両で初の廃車でもあった[22]

2000年からの5000系のリニューアルでは、5100系の編入により大量の廃車が発生した。うち2000年の2090と2006年の2184・2085は5000系からの脱車後に宝塚線の3000系へ再転用、2011年に廃車となった。当初からの2050形は2005年12月までに、2100系からの編入車で最後まで残った2093も2013年7月30日付で廃車となり[23]、2000系は消滅した。2071系も2014年に廃車となり、阪急線内からは姿を消した。

譲渡・保存車[編集]

2003年、2071系の2071形2086・2186が兵庫県広域防災センターに譲渡され、同所の事故訓練用教材となった[24]。2両とも元先頭車で、譲渡時に前面のみ先頭車仕様に復元されている。

編成表[編集]

cは中間運転台の位置を、oは運転台撤去跡の位置を指す。

1985年[編集]

1985年1月頃[25]。2050は六甲事故で1984年12月に廃車、2000・2051は未組成。

← 梅田
三宮・新開地 →
備考
Tc M To Mo To Mo T Mc
2058 2008 o 2089 2043 o o 2094 2009 o 2174 2044
← 西宮北口
宝塚 →
備考
Tc M Mc To T Mc
2092 2042 2003 c o 2056 2057 2007
Tc M Mc Tc M Mc
2054 2004 2005 c c 2064 2010 2011
Tc Mo To Mc To Mc
2067 2001 o o 2060 2017 c o 2052 2014
← 今津・甲陽園
備考
Tc M Mc
2062 2012 2013
2065 2015 2016
2068 2018 2019
2070 2002 2020

1990年[編集]

1990年2月現在[26]。2050は2代目。伊丹線用4連と甲陽線・今津南線用3連のみが残存。

← 塚口
伊丹 →
備考
Tc M T Mc
2050 2000 2051 2014
Tc M To Mc
2065 2015 o 2060 2016
← 今津・甲陽園
備考
Tc M Mc
2054 2042 2005
2062 2012 2013
2064 2010 2011
2068 2018 2019
2070 2002 2020

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ なお、このモニター屋根は本来の屋根板の上に1段突き出た状態で設置されていたことから「二重屋根(ダブルルーフ)」と呼ばれることもあった。
  2. ^ 「特急」「急行」「準急」の3色3種類が設定され、それぞれの種別で運転される際にその種別が点灯されるようになっていた。
  3. ^ 京都線の2300系と2800系に採用された東洋電機製造開発の分巻界磁制御機構はトランジスタを使用したため、電動発電機の回転変動に左右されないシンプルな回路構成もあって、その後も長く維持された。
  4. ^ 2021・2022・2024・2025・2037および2072・2073・2075・2076・2088
  5. ^ 2027・2029・2078・2080
  6. ^ 2090-2040・2091-2041を電装解除して編成から外し、2077-2028+2079-2030の4両編成に変更。
  7. ^ なお、不要になった複電圧仕様の電動発電機は、複電圧の箱根登山鉄道に譲渡された。
  8. ^ 3000系以降の各系列は妻面貫通路幅が狭いため、転用された2050形については各連結面に貫通路幅を狭めるアダプターが装着された。
  9. ^ 2053が編成から外され、2053が連結されていた場所には、大阪寄りの4連から2051が移動した。

出典[編集]

  1. ^ a b 『日本の電車物語 新性能電車編』74頁。
  2. ^ 山口益生『阪急電車』122頁。
  3. ^ a b c d e f g h 山口益生『阪急電車』130頁。
  4. ^ 『私鉄の車両5 阪急電鉄』72頁。
  5. ^ a b c d e f 山口益生『阪急電車』129頁。
  6. ^ a b FS333 FS45/能勢電鉄1700系 台車近影、鉄道ホビダス、2005年11月24日。
  7. ^ 『日本の電車物語 新性能電車編』76頁。
  8. ^ a b c d e f g 山口益生『阪急電車』134頁。
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m 山口益生『阪急電車』135頁。
  10. ^ 「阪急鉄道同好会報・第63号」p4の記述による。
  11. ^ a b c d 山口益生『阪急電車』128頁。
  12. ^ a b c 篠原丞「宝塚線 車両・運転のエピソード」『鉄道ピクトリアル』2015年3月号、電気車研究会。67-68頁。
  13. ^ a b c d e f g h i 山口益生『阪急電車』131頁。
  14. ^ a b c d 山口益生『阪急電車』132頁。
  15. ^ a b c d e f g h 山口益生『阪急電車』133頁。
  16. ^ 『私鉄の車両5 阪急電鉄』77頁。
  17. ^ 『私鉄の車両5 阪急電鉄』168頁。
  18. ^ 山口益生「阪急電鉄での半世紀」『鉄道ピクトリアル 特集 阪急電鉄』第837号、電気車研究会、2010年、 108-119頁。
  19. ^ 山口益生『阪急電車』136頁。
  20. ^ 山口益生『阪急電車』132頁。
  21. ^ 『日本の私鉄 阪急』1998年、122-123頁。
  22. ^ 佐々木晶朗「阪急電鉄 車両のうごき」『鉄道ピクトリアル』2000年4月号、92頁。
  23. ^ ジェー・アール・アール『私鉄車両編成表 2014』交通新聞社、2014年、198頁。
  24. ^ 兵庫県広域防災センター
  25. ^ 『私鉄の車両5 阪急電鉄』143頁。
  26. ^ 『日本の私鉄7 阪急』1990年、140頁。

参考文献[編集]

  • 山口益生『阪急電車』JTBパブリッシング、2012年。ISBN 4533086985
  • 飯島巌『復刻版・私鉄の車両5 阪急電鉄』ネコ・パブリッシング、2002年。ISBN 9784873662886
  • 阪急電鉄株式会社・諸河久『日本の私鉄7 阪急』保育社、1990年。
  • 阪急電鉄株式会社・諸河久『日本の私鉄 阪急』保育社、1998年。
  • 福原俊一『日本の電車物語 新性能電車編』JTBパブリッシング、2008年。ISBN 4533069657。74 - 76頁。

外部リンク[編集]