長崎電気軌道

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長崎電気軌道株式会社
Nagasaki Electric Tramway Co., Ltd.
本社ビル
本社ビル
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
852-8134
長崎県長崎市大橋町4番5号
設立 1914年(大正3年)8月2日
業種 陸運業
事業内容 軌道事業
総合広告代理業
不動産業
ほか
代表者 松本容治
資本金 2億1,000万円(2011年4月1日時点)
売上高 22億79百万円(2011年3月期)
純利益 22百万円(2011年3月期)
従業員数 240人(2011年4月1日時点)
主要株主 山田屋石油株式会社(4.46%)
佐藤龍太郎(0.93%)
長崎合同証券株式会社(0.79%)
中村利夫(0.76%)
脇山良規(0.71%)
(2012年3月31日現在)
外部リンク www.naga-den.com
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長崎電気軌道株式会社(ながさきでんききどう)は、長崎市内で路面電車路線を営業する軌道事業者。本社社屋前にある社名の石碑には現在でも長﨑電氣軌道と刻まれている。2000年西鉄北九州線廃止以降、純然たる軌道事業者としては九州唯一の私企業となっている。

通称は電鉄長崎電鉄。地元住民の間では電車という名称もよく使われている(JRを「JR」「列車」「汽車」などと呼び区別している)。電話帳にも「長崎電気軌道」以外に「長崎電鉄」という表記で記載されている。なお資料によっては長崎電軌という略称を用いているものもあるが、あまり一般的ではない。公式サイトのURLは www.naga-den.com だが、「長電」と呼ばれることはほとんどない。

1914年大正3年)8月2日設立。1915年(大正4年)11月16日、病院下(現在の大学病院前) - 築町間の電気軌道(路面電車)を開業し[1]、現在、5路線4系統を営業する。以前はバス事業も行っていたが、1971年(昭和46年)に長崎自動車(長崎バス)に事業譲渡して撤退している。

国道上を走る路面電車

歴史[編集]

長崎古町電車停留所、手彩色絵葉書

大正[編集]

  • 1914年大正3年)
    • 8月2日:創立総会を長崎商業会議所で開催[2][1](資本金50万円)。
    • 8月10日:会社設立の登記完了。長崎電気軌道株式会社発足[3]
  • 1915年(大正4年)
    • 5月:工事施工が認可され、着工[1]
    • 11月16日病院下(現在の長崎大学付属病院正門登り口付近) - 築町(現在の長久橋近くの長久ビル前付近)間開通、営業開始[1]。運賃は区間制で、一区片道2銭(運賃1銭+通行税1銭=計2銭)[4]
  • 1916年(大正5年)
    • 2月1日:本社が江戸町から茂里町13番地に移転[1]
    • 12月27日千馬町(現在の築町 - 出島間) - 大浦町仮終点(出雲町終点の約120m手前)間開通[1][注 1]
  • 1917年(大正6年)6月4日大浦町仮終点 - 出雲町(石橋)間開通[1]
  • 1919年(大正8年)12月25日長崎駅前 - 桜町(現在の桜橋付近)間開通[1]。電車の開通で人力車の廃業続出。
  • 1920年(大正9年)
    • 7月9日
      • 桜町 - 馬町(諏訪神社前)間開通[5]
      • 病院下 - 下の川(現在の長崎西洋館付近)間開通[5]
    • 12月25日:古町(現在の公会堂前 - 諏訪神社前間) - 築町間開通[5]
  • 1921年(大正10年)
    • 4月30日西浜町 - 思案橋間開通[5]
    • 5月23日:茂里町車庫火災により全焼。車両20両焼失[5]。被害総額28万734円[6]
    • 6月28日:電車運賃の区間制を廃止し、全線均一料金に改定(片道5銭+通行税1銭=計6銭)[4]。学生定期導入[4]
    • 6月:思案橋終点に洋風3階建てのビルを建設(1階乗客乗合所、2・3階簡易食堂[7][5]
  • 1922年(大正11年)3月24日:馬町車庫が完成[5]
  • 1923年(大正12年)10月27日 - 長崎港内連絡船の新設を計画[5]
    • この時すでに、長崎交通船株式会社が大波止 - 水ノ浦間、元船町 - 志賀間に連絡船を運航していたが、長崎電鉄の進出に脅威を感じ、同年4月1日に長崎市に営業権を譲渡し、市営交通船として運行を開始した[8]
  • 1925年(大正14年)
    • 2月12日:港内連絡船開業に備え、三菱長崎造船所で建造していた「電鉄丸」6隻進水[5]
    • 7月11日:出島 - 旭町・水の浦間で連絡船の営業を開始[5]。船車連絡運賃制[注 2]で市営交通船と対抗。
    • 11月28日:出島 - 戸町間で連絡船の営業を開始[5]

昭和(戦前)[編集]

1930年頃(昭和初頭)の長崎市の地図。
  • 1927年昭和2年)
    • 10月12日:路面電車運賃値上げ反対で市民大会が開催される[9]
    • 11月1日:運賃改定[4][5]。電鉄側が、学生定期代の据え置きや早朝割引(午前5時 - 7時)の実施等で一部譲歩し、電車運賃を6銭に値上げ(+1銭)[4]
  • 1930年(昭和5年)
    • 8月31日:鎮西汽船[注 3]の大波止 - 古河町、古河町 - 立神間の運航権と設備を5万円で買収[10][5]
    • 9月20日:鎮西汽船の航路を継承し、運航を開始(三菱長崎造船所従業員の送迎)[5]
  • 1933年(昭和8年)12月25日:下の川 - 大橋間開通[11]
  • 1934年(昭和9年)
  • 1937年(昭和12年)5月24日:茂里町車庫が廃止[11]
  • 1940年(昭和15年)
    • 5月9日:終点大橋より東北郷字古河(現在の昭和町)への路線延長を出願[11]
      • 当時建設予定だった三菱兵器大橋工場(現在の長崎大学敷地)への通勤輸送を目論んで計画されたが、戦時下で資材が足りないことから許可されず、結局、1943年(昭和18年)11月に申請を取り下げている[13]
    • 5月31日:蛍茶屋営業所が完成[11]
  • 1943年(昭和18年)
    • 1月:軍需工場の出勤時刻に、工員最優先の輸送を開始。この間は停車する停留場を少なくし、急行運転とする。
    • 12月18日:連絡船(電鉄丸)と設備一切を、長崎市へ73万円で譲渡[13][11]
  • 1944年(昭和19年)
    • 1月19日:戦争による人手不足のため、学徒運転士(学徒報国隊・女子挺身隊)が登場[14]
    • 8月1日:運賃改定[14][4]。従業員の待遇改善のために、運賃を10銭に値上げ(+4銭)[4]。工員定期の導入と早朝割引廃止[4]
    • 9月10日:初の女子運転士が登場[14]。人手不足はより深刻に。
    • 10月10日:大橋車庫が火災により全焼。車両8両焼失[14]
  • 1945年(昭和20年)8月9日原爆投下により、全線不通、車両16両焼失、職員120人死亡[14]

昭和(戦後)[編集]

  • 1945年(昭和20年)
    • 11月25日長崎駅前 - 西浜町 - 蛍茶屋間が復旧、運転再開[14]
    • 12月11日:千馬町 - 石橋間が復旧、運転再開[14]
  • 1946年(昭和21年)
    • 1月11日:長崎駅前 - 小川町 - 古町間が復旧、運転再開[14]
    • 2月1日長崎駅前 - 浦上駅前間が復旧、運転再開[14]
    • 3月1日:戦後の物価上昇に伴い、運賃を20銭に値上げ(+10銭)[14][4]
    • 8月23日:運賃を30銭に値上げ(+10銭)[14][4]。工員定期廃止[4]
  • 1947年(昭和22年)
    • 2月16日:運賃改定[14][4]。40銭に値上げ(+10銭)[4]
    • 5月16日:原爆で壊滅的被害を受けた浦上駅前 - 大橋間が復旧[14]、病院下に迂回していた旧線を廃し、現在の浦上駅前 - 浜口町を結ぶ直線ルートの新線に。
    • 7月7日:運賃改定[14][4]。1円に値上げ(+60銭)[4]
  • 1948年(昭和23年)
  • 1949年(昭和24年)5月18日:運賃改定[14]。5円に値上げ(+2円50銭)[4]
  • 1950年(昭和25年)
  • 1951年(昭和26年)9月1日:運賃改定[15][4]。8円に値上げ(+2円)[4]
  • 1952年(昭和27年)6月16日:運賃改定[15][4]。10円に値上げ(+2円)[4]
  • 1953年(昭和28年)
    • 4月1日蛍茶屋 - 西浜町 - 住吉間のバス路線を開設し乗合バス事業に参入[15]。距離8.366km、車両7台[16]
    • 7月1日:戦災により運休後、軌道敷を闇市に占拠されていた西浜町 - 思案橋間が復旧、運転再開[15]
    • 8月1日:西町車庫(後の浦上車庫)が完成[17]
    • 9月1日:運賃改定[15][4]。13円に値上げ(+3円)[4]
  • 1955年(昭和30年)3月1日:貸切バス事業に参入[15]
  • 1960年(昭和35年)5月8日:住吉 - 赤迫間開通[18]
  • 1961年(昭和36年)11月1日:運賃改定[18][4]。15円に値上げ(+2円)[4]。子供運賃を設定(10円)[4]
  • 1962年(昭和37年)7月8日:363号車が無人暴走し、新大工町で365号車と衝突[18]。12人が死傷[19]。車両は大破し、日本車輌に回送修理後復帰した[19]
  • 1964年(昭和39年)9月4日:371号が日本最初の車体全面広告車(カラー電車)として運行を開始[20]。スポンサーはカネボウ化粧品[20]
  • 1965年(昭和40年)6月1日:運賃改定[18][4]。20円に値上げ(+5円)[4]。子供は据え置き[4]
  • 1968年(昭和43年)
    • 6月17日思案橋 - 正覚寺下間開通。
    • 3月10日:電車にガイドコーダー(車内案内用録音テープ)を設置(ワンマン化の準備)。
    • 12月1日:市内電車ワンマン化運行開始。(当初5両)一部バス路線でもワンマン化運行を開始。
  • 1969年(昭和44年)5月1日:運賃改定[4]。25円に値上げ(+5円)[4]。子供15円(+5円)に値上げ[4]
  • 1971年(昭和46年)3月1日:バス事業を長崎自動車に譲渡。
  • 1973年(昭和48年)4月9日:運賃改定[4]。大人30円(+5円)に値上げ[4]。子供20円(+5円)に値上げ[4]
  • 1974年(昭和49年)10月17日:運賃改定[21]。大人40円(+10円)に値上げ[21]。子供は据え置き[21]
  • 1975年(昭和50年)4月17日:運賃改定[21]。大人50円(+10円)に値上げ[21]。子供30円(+10円)に値上げ[21]
  • 1977年(昭和52年)
  • 1978年(昭和53年)8月16日:電車全車両ワンマン化完了。
  • 1979年(昭和54年)6月1日:運賃改定[21]。大人70円に値上げ(+10円)[21]、子供40円に値上げ(+10円)[21]
  • 1980年(昭和55年)8月軽快電車2000形を導入。
  • 1981年(昭和56年)9月1日:運賃改定。大人80円に値上げ(+10円)、子供はそのまま40円。
  • 1982年(昭和57年)7月23日長崎大水害により、同日夜から同年7月25日までの間全線運休[22]
  • 1983年(昭和58年)8月4日:運賃改定。大人90円に値上げ(+10円)[21]、子供50円に値上げ(+10円)[21]
  • 1984年(昭和59年)6月1日:運賃改定。大人100円に値上げ(+10円)[21]、子供は据え置き[21]
  • 1987年(昭和62年)4月6日:電鉄原爆殉職者の碑除幕式を挙行。長崎電気軌道OBが松山町の爆心地公園(平和公園交番そば)に碑を建立。

平成[編集]

  • 1989年平成1年)3月30日:国道3号線の道路拡張に伴う蛍茶屋支線蛍茶屋 - 伊勢町の軌道移設完了により、全線全区間で一般自動車の軌道敷進入が不可能となる[23][24]
  • 1990年平成2年)
    • 6月17日入江町停留場廃止[24]
    • 11月30日:レストラン、カルチャーセンター等を備えた長崎西洋館が浜口町にオープン[22]。建物の地下1階・1階部分を軌道が貫く珍しい構造で[25][26][27]、運営は子会社のナガデンクリエイトによる[27]
  • 1992年(平成4年):ビール電車の運行を開始(夏季のみ)[28]
  • 1998年(平成10年)5月7日昭和町通停留場を一時休止し、千歳町停留場を設置。昭和町通停留場は7月1日に赤迫方面のみ再開[27]
  • 1999年(平成11年)8月31日:赤迫 - 石橋線(7号系統)廃止[29]
  • 2004年(平成15年):長崎電気軌道初の超低床電車3000形営業運転開始[30][31]。専用ダイヤを設ける[32]
  • 2007年(平成19年)
    • 5月19日:公会堂前交差点で3号系統赤迫行き電車が脱線事故。
    • 5月24日:19日と同じ場所で同系統赤迫行き電車が再び脱線。後日原因究明のために3号系統赤迫行きを運休[33]。代替として2号系統赤迫行きを運行。
    • 7月2日九州運輸局から、2006年に起こした事故を報告していなかったとして、行政指導を受ける(後述)。
    • 7月19日:3号系統赤迫行きの運行再開[33]。これにより2系統の代替運行と臨時便の運行を終了。
  • 2008年(平成20年)
  • 2009年(平成21年)
    • 1月1日:築町停留場での乗継券に代わる長崎スマートカードによる乗継無料対応開始。
    • 1月10日:定期券タイプの長崎スマートカードの発売開始。
    • 10月1日:25年ぶりに運賃改定。大人120円に値上げ(+20円)、子供は60円に値上げ(+10円)[35]。同時に紙式回数券は不足額の20円(大人)が併せて必要になる。
  • 2010年(平成22年)5月7日:本社にあった路面電車資料館を移転して長崎西洋館内に路面電車資料館を開館[36]
  • 2011年(平成23年)2月15日:超低床電車5000形営業運転開始[33]
  • 2012年(平成24年)11月:譲渡車等を除く68両にドライブレコーダーを設置[37]
  • 2013年(平成25年)4月1日:一日乗車券の購入も可能なスマートフォン向けアプリ、「長電アプリ」を開発[38][39]
  • 2015年(平成27年)
    • 10月11日:公会堂前交差点で3号系統赤迫行き電車が脱線事故[40]
    • 10月14日:3号系統を除き通常運行再開。3号系統の代替として2号系統を運行。
  • 2016年(平成28年)
    • 2月29日:前年10月より運休していた3号系統蛍茶屋行きの運行再開[40]。赤迫行きは2号系統で代替。4号系統は20分おきに減便。西浜町停留場及び公会堂前停留場乗り継ぎ券を発行。
    • 3月7日:平日朝夕のみ、公会堂前発の3号系統赤迫行き臨時便の運転を開始。
    • 5月23日:3号系統赤迫行きも運行再開。通常ダイヤに戻る[41]
    • 6月2日:公会堂前交差点で3号系統赤迫行き電車が脱線事故[42]
    • 6月10日:前年10月の事故後と同様、3号系統蛍茶屋行きは運行再開、赤迫行きは2号系統で代替。4号系統減便。西浜町停留場で2・5号系統と1号系統の乗り継ぎ券を発行。

経営体制[編集]

長崎市は狭隘な谷間に線状に市街地が形成され、面的広がりを持たない。これは、公共交通機関を運営するにあたり集客の面で有利な条件である。また、均一制運賃の採用、車両や線路の敷石などを他の企業から譲り受け、カラー電車、電車内の広告などの宣伝料により黒字経営を実現している。

長崎市北部、滑石方面への延伸計画があるが、勾配、道路幅の制約、建設費といった問題があり、進展していない。2008年12月には長崎駅付近の連続立体交差化事業により、高架駅となる長崎駅下へ路面電車を延伸する構想を出していたが[43]、2012年10月にこの構想は廃止されることになった[44]。旭大橋の架け替えを条件に、浦上川対岸の稲佐・飽の浦方面へ延伸する構想も出している[43]

また、国や長崎県・長崎市による松が枝国際観光船埠頭の拡張整備に伴い、大浦海岸通から松が枝方面への延伸及び車庫の新設と単線区間になっている大浦海岸通 - 石橋間の複線化を行う計画が出されている[45][46]。この計画の実現によって、赤迫 - 公会堂前 - 大浦海岸通 - 石橋(松が枝)のルートを走る路面電車の直通運行を検討している[47][48]

運賃は1984年(昭和59年)6月1日にそれまでの1乗車90円から100円(子供は50円)に改定して以降、25年にわたり値上げを行わなかった。1989年消費税導入、1997年の同税率引き上げの際も、「10円の値上げは便乗値上げになる」として消費税は転嫁されず、100円のまま据え置かれた。さしずめ100円均一運賃のコミュニティバスの先駆者的な存在とも考えられる。2008年に今後のバリアフリー対応や運行情報管理システムなどの導入といった設備投資や安全対策で経費の増大が見込まれるため、2009年度以降運賃を値上げする方針であることが明らかにされ[49][50]、2009年8月3日に同年10月1日より運賃を1乗車120円(子供60円)に値上げすることを決定し、九州運輸局に認可申請をして[51]、同年8月31日に認可された。そして、同年10月1日より25年ぶりに運賃を値上げし、120円とした。120円に値上げされた後も2014年4月に消費税率の引き上げが実施されたが、消費税は転嫁されずに120円のまま据え置かれている。

11枚綴り1000円の回数券を発行していたが、2008年3月20日より順次長崎スマートカードが利用できるようになり、2008年12月にツーマン車(150形・160形)を除いた全車両で使用可能となったため、回数券は2008年12月31日に発売を終了した。2009年9月30日まで使用可能で、それ以降は2009年12月31日まで払い戻しが行われていた。また、長崎スマートカード導入とともに運賃箱が自動両替機付きのものに更新されていて、薬袋のような両替袋と手動運賃箱もツーマン車を除いて姿を消した。ただし、ながさきみなと祭りや精霊流しなどで混雑する場合は係員が手動運賃箱と長崎スマートカードのカードリーダーを持って停留場に立つ。築町停留場では乗り継ぎ券も発行する。 長崎スマートカードの全車両対応により2009年1月1日より築町停留場で貰える乗り継ぎ券は、現金・回数券利用者のみとなり、スマートカード利用者は自動的に乗りつぎ後の乗車が無料になるよう設定されている(ただし、30分以内の時間制限あり)。乗り継ぎ券使用時は、築町停留場から外に出ると無効になる。2009年1月10日より長崎電気軌道でも定期券タイプの長崎スマートカードが発売されている。 また、長崎市内のおもな観光地に行けるため、観光客・修学旅行生の利用も多く、そのような利用者は1枚500円の「一日乗車券」を利用することもある。500円という金額は他都市のフリー切符よりは安い方だが、通常運賃が120円のため5回以上乗らないと元が取れない[注 4]。なお、一日乗車券は車内では販売していないので、乗車前に売店などで購入する必要がある。長崎電気軌道の営業所のほか長崎駅浦上駅や観光客の多いホテルでも販売したり、宿泊施設でも宿泊料金にセットにしているところもある。2013年4月から、スマートフォンを利用した「モバイル一日乗車券」の発行を開始した。2008年からは九州旅客鉄道(JR九州)が発行する「旅名人の九州満喫きっぷ」でも全線利用できる。

2007年7月2日九州運輸局から2006年に起こした3件の追突・接触事故を報告しなかったとして、安全管理などの改善を求める行政指導を受けた。事故の中には、運転士が骨折する事故もあったが、会社は「軽微な事故と認識していた」という[52]

運行[編集]

長崎電気軌道の系統図

下記の5系統が運行されており[29]、2013年4月1日のダイヤ改正により、運転間隔と運転時分の見直しが行われた。停車場所は路面電車の乗降場なので「停留場」という名称となる[53]が、路線図には「電停」という表記も見られる[53]

1号系統(青)
赤迫 - 住吉 - 浦上車庫前 - 長崎駅前 - 大波止 - 西浜町 - 正覚寺下[54](日中5.5分間隔[55]
2号系統(白)
赤迫 - 住吉 - 浦上車庫前 - 長崎駅前 - 大波止 - 西浜町 - 公会堂前 - 蛍茶屋[54]
3号系統(赤)
赤迫 - 住吉 - 浦上車庫前 - 長崎駅前 - 桜町 - 公会堂前 - 蛍茶屋[54](日中6分間隔[55]
4号系統(黄)
蛍茶屋 - 公会堂前 - 西浜町 - 正覚寺下[54](日中12分間隔[55]
5号系統(緑)
蛍茶屋 - 公会堂前 - 西浜町 - 築町 - 石橋[54](日中8分間隔[55]
  • 2号系統は深夜往復1便ずつ運行しているのみ[55]で、路線図などには表示されていないが、越年運転時には深夜に約8分間隔で運行されるほか、精霊流しなどのイベント時、あるいは何らかの事情で3号系統が運休となった時に振り替えて運行されることがある。最近の事例では低床車両3000形が導入された2005年に、3000形専用ダイヤの中に一時的に組み込まれていたほか(同形増備に伴い廃止された)、2007年5月に公会堂前で発生した3号系統の脱線事故の影響で、5月24日 - 7月18日まで2号系統の赤迫行きが代替として終日運行され(蛍茶屋行きは3号系統で通常運行)、2015年10月11日に公会堂前で脱線事故が発生した際にも同年10月14日から2016年5月22日まで(深夜1往復以外にも)2号系統が運行されていた[56][57]
  • 以前は朝ラッシュの時間帯などに本数が少ないものの赤迫 - (大波止)- <築町折り返し> - 石橋(7号系統)も運行されていたが、1999年8月31日をもって廃止となっている[29]。このため現在赤迫 - 石橋へ行くためには築町での乗り換えが必要となる。
  • このほか、出入庫系統として、浦上車庫前 - 赤迫(通称Z系統)の運行や、イベント時や繁忙期などの臨時便として赤迫、浦上車庫前 - 築町(7系統)の運行もある[58]。方向幕は2号系統と同じく白であり、系統番号はない。また臨時便の場合、車内放送も次の停留場の案内のみを表す簡単なものが使われることもある。
  • 1990年8月3日から11月24日に開催された長崎旅博覧会に合わせて、浦上車庫前 - 長崎駅前 - 公会堂前 - 西浜町 - 築町 - 大浦海岸通間にシャトル電車が10時から夜間にかけて10分間隔で運行された。大浦海岸通には大浦天主堂下方に折り返し運転のための渡り線が設置され、公会堂前の長崎駅前から賑橋への分岐が初めて定期的に使用された。
  • 2000年10月16日から29日に試験的に駅前環状線の運行が行われた。長崎駅前 - 桜町 - 公会堂前 - 西浜町 - 築町 - 長崎駅前のルートで内環状と外環状が運行されたが、利用者がそれほど多くなく、定常化には至らなかった。
  • おもに1・3号系統を西町営業所が、4・5号系統を蛍茶屋営業所が担当する[59]
  • 操車(運行指示)は、赤迫・浦上車庫前・蛍茶屋の配車室で行う[60]

路線[編集]

路線図

下記の5路線計11.5kmを有している[61]。全線軌間1435mm、直流電化 (600V)[62]

赤迫支線
赤迫 - 住吉間 0.4km(全線複線)
停留場
赤迫 - 住吉
  • 1・2・3号系統が走っている。全列車が本線に直通し、赤迫支線のみの運行はない。
本線
住吉 - 正覚寺下間 6.9km(全線複線)
停留場
住吉 - 昭和町通り(赤迫行きのみ停車) - 千歳町 - 若葉町 - 長崎大学前 - 岩屋橋 - 浦上車庫前 - 大橋 - 松山町 - 浜口町 - 大学病院前 - 浦上駅前 - 茂里町 - 銭座町 - 宝町 - 八千代町 - 長崎駅前 - 五島町 - 大波止 - 出島 - 築町 - 西浜町 - 観光通り - 思案橋 - 正覚寺下
  • 1・2・3号系統が走る長崎電気軌道の主要路線(4・5号系統も途中のごく一部区間のみだが走っている)。
  • 本線・赤迫支線の運行経路は長崎自動車の主要路線(1番系統北部方面行きや20番系統長崎新地ターミナル行きなど)と競合している。このため、道の尾・滑石・時津・長与方面から長崎市内へ通っている通勤・通学客は、朝は赤迫や住吉で路面電車に乗り換える(夕方はその逆)ケースが目立つようになっている[63][注 5]
  • 2005年(平成17年)6月から長崎自動車が大学病院線を運行の際、大橋停留場に横付けするような形でバスを運行している[64]。同一停留場における電車とバスの乗り継ぎはヨーロッパでは普及しているが、日本ではまだ珍しい。
  • 岩屋橋 - 浜口町間は併用軌道ではなく新設軌道(専用軌道)である。この区間はJR長崎本線の高架と並走している。長崎本線が高架化される前は同線と路面電車との踏切があった。
  • 1944年1月に戦争時の急行運転を開始する前は現在よりもっと停留場の数が多く、山王神社前停留場(現在の大学病院前 - 浦上駅前間)、本社前停留場(現在の茂里町 - 銭座町間)などが存在した。詳しくは下のおもな廃止停留場を参照。
  • 築町停留場開業前は、現在の出島 - 築町間に千馬町停留場が存在し、大浦方面への乗り換え停留場となっていた。
桜町支線
長崎駅前 - 公会堂前間 0.9km(全線複線)
停留場
長崎駅前 - 桜町 - 公会堂前
  • 通常は3号系統のみが走る。
  • 線路の構造としては桜町 - 公会堂前(長崎警察署前の停留場) - 公会堂前(長崎市民会館前の停留場) - 賑橋へと分岐することも可能になっている[65]が、この路線は精霊流しなどで大波止方面の道路が車両通行止めになったときの臨時便でしか使用されない。
  • 古町が廃止後も長らくの間、「古町支線」としており、民鉄要覧にも昭和58年度まで古町支線と記載されていた。
  • かつては桜町付近からは、現在のように立体交差で公会堂前停留場へ抜けるルートではなく、急勾配を上って現在の勝山市場付近を通り、諏訪神社方面へ抜けるルートになっていた[65]
大浦支線
築町 - 石橋間 1.1km(大浦海岸通 - 石橋間単線(単線自動閉塞式))
停留場
築町 - 市民病院前 - 大浦海岸通り - 大浦天主堂下 - 石橋
  • 通常は5号系統のみが走る。
  • 大波止・長崎駅前・住吉・思案橋方面には直接行けないため、築町停留場で1号系統と5号系統の相互乗り換えが可能になっている[66]。この際、乗り継ぎ券を発行することにより2便あわせて運賃120円での利用が可能(大浦方面と長崎駅前方面との乗り継ぎの場合のみ長崎スマートカードでの利用すると、30分以内であれば2乗車目の運賃が差し引かれない)。
  • この乗り継ぎ券は2008年1月1日より長崎スマートカード導入に伴う運賃自動読み取り機導入に合わせて、一回り小さなサイズに変更されている。
  • 以前は築町停留場と市民病院前停留場の間に入江町停留場が存在したが、1990年6月11日に廃止されている。
蛍茶屋支線
西浜町 - 蛍茶屋間 2.2km(全線複線)
停留場
西浜町 - 西浜町(アーケード入口) - 賑橋 - 公会堂前 - 諏訪神社前 - 新大工町 - 新中川町 - 蛍茶屋
  • 2・3・4・5号系統が走る。
  • 蛍茶屋停留場は折り返し可能な長崎電気軌道唯一の島式1面2線の停留場[67][68]。線路はそのまま屋根付きの側線へ繋がっている[67]

停留場番号[編集]

知名度はあまり高くないが、昭和末期[69]から各停留場に番号が振られている(駅ナンバリング)。

停留場の番号は、1984年5月30日に宝町(下り)と大波止(上り)に試験的に設置された停留場名表示板に初めて表示された。その後、9月から10月にかけて長崎駅前や築町には上り下りとも番号入りの表示板が設置されたほか、他の主要停留場にも下りまたは上りに設置され、その後、順次設置が進められた[70]。これに伴い、一日乗車券も1984年8月から発売されたものには、路線案内図の各停留場名に番号が印刷されるようになった。なお、安全地帯の端部に設置されている行燈式の停留場標識には、1987年に番号を表示している。さらに2012年には、各停留場名表示板や行燈標識等の番号は、新たに運転系統別に色分けしたリングで囲んだものに変更されている。

赤迫停留場から順に11番から通しで全停留場(昭和町通り停留場を除く)に振ってある。なお、停留場廃止により欠番が生じた場合でも番号は詰めない。詳しくは各系統の記事を参照。

おもな廃止停留場[編集]

  • 岡町…大橋 - 松山町間[71]
  • 下の川橋…松山町 - 浜口町間[71]
  • 浦上…浜口町 - 病院下間(旧線区間)[71]
  • 病院下…浦上 - 坂本町間(旧線区間)[71]
  • 坂本町…病院下 - 浦上駅前間(旧線区間)[71]
  • 岩川町…大学病院前 - 浦上駅前間[71]
  • 竹の久保通…現在の茂里町停留場付近(竹の久保通を改称して茂里町に)[71]
  • 本社前……竹の久保通 - 井樋の口間(旧線区間)[71]
  • 井樋の口…現在の銭座町停留場付近(井樋の口を改称して銭座町に)[71]
  • 稲佐橋通…現在の宝町停留場付近[71]
  • 寿橋…稲佐橋通 - 八千代町間(旧線区間)[71]
  • 旧・八千代町…現在の八千代町停留場付近(旧線区間)[71]
  • 千馬町…出島 - 築町間[72]
  • 恵美須町…長崎駅前 - 豊後町間(旧線区間)[72]
  • 豊後町…現在の桜町停留場付近(旧線区間)[72]
  • 旧・桜町…現在の桜橋付近(旧線区間)[72]
  • 古町…公会堂前 - 諏訪神社前間[72]
  • 馬町…現在の諏訪神社前停留場付近[72]
  • 桜馬場町…新大工町 - 新中川町間[72]
  • 中川町…新中川町 - 蛍茶屋間[72]
  • 酒屋町…賑橋 - 公会堂前間[72]
  • 入江町…築町 - 市民病院前間 [72]ダイエー長崎店前/長崎バス長崎新地ターミナル付近)
  • 出師橋…千馬町 - 大浦海岸通間(旧線区間)[72]

施設等[編集]

  • 本社 - 長崎市大橋町4-5[73]
    • 西町営業所を併設[73]
  • 浦上車庫 - 長崎市大橋町4-11[73]
    • 遠方制御室、などを併設[73]
  • 蛍茶屋営業所 - 長崎市中川2丁目14-26[73]
    • 自社ビル(NEビル)内に所在、他に賃貸住宅やテナントも入居[73]
  • 赤迫配車室 - 長崎市中園町21-21[73]
  • 西浜町臨時発売所 - 西浜町(1・5号系統)停留場付近の歩道上
  • 西町変電所 - 長崎市大橋町4-11[73]
  • 松山町変電所 - 長崎市松山町4[73]
  • 御船蔵変電所 - 長崎市御船蔵町3-3[73]
  • 賑町変電所 - 長崎市賑町7-6[74]

このほか長崎県、静岡県内に月極有料駐車場、貸しビルなどを所有する[73][75][76]

車両[編集]

現有車両[編集]

2016年4月1日時点で75両が在籍している[77]。括弧内の数字は在籍車両の車番を示す。車両番号は正面と側面のほか、屋上機器にも丸ゴシック体で表示されている。

過去の車両[編集]

その他、長崎市内に800形の部品を利用した飲食店がある(廃車体その物の移設ではない)。

車両数の変遷(1982年度以降)[編集]

年度 150形 160形 201形 202形 211形 300形 360形 370形 500形 600形 700形 800形 1050形 1200形 1300形 2000形 1500形 1700形 1800形 3000形 5000形 合計(冷房車)
1982 5 1 5 5 6 10 7 7 6 2 6 2 5 2 69(3)
1983 4 1 5 5 6 10 7 7 6 2 6 5 5 2 71(8)
1984 4 1 5 5 6 10 7 7 6 2 6 5 5 2 71(20)
1985 4 1 5 5 6 10 7 7 6 2 6 5 5 2 71(35)
1986 2 1 5 5 6 10 7 7 6 2 6 5 5 2 69(43)
1987 2 1 5 5 6 10 7 7 6 2 6 5 5 2 69(44)
1988 1 1 5 5 6 10 7 7 6 1 6 5 5 2 2 69(51)
1989 1 1 5 5 6 10 7 7 6 1 6 5 5 4 2 71(57)
1990 1 1 5 5 6 10 7 7 6 1 6 5 5 5 2 72(58)
1991-
1993
1 1 5 5 6 10 7 7 6 1 6 3 5 5 2 70(58)
1994 1 1 5 5 6 10 7 7 6 1 5 2 5 5 2 2 70(60)
1995 1 1 5 5 6 10 7 7 6 1 4 2 5 5 2 3 70(61)
1996 1 1 5 5 6 10 7 7 6 1 3 2 5 5 2 5 71(63)
1997 1 1 5 5 6 10 7 7 6 1 3 2 5 5 2 6 72(64)
1998 1 1 5 5 6 10 7 7 6 1 3 2 5 5 2 7 73(65)
1999 1 1 5 5 6 10 7 7 6 1 1 2 5 5 2 7 2 73(67)
2000 1 1 5 5 6 10 7 7 6 1 1 2 5 5 2 7 2 73(67)
2001 1 1 5 5 6 10 7 7 6 1 1 1 5 5 2 7 2 2 74(69)
2002 1 1 5 5 6 10 7 7 6 1 1 1 5 5 2 7 2 3 75(70)
2003 1 1 5 5 6 10 7 7 6 1 1 1 5 5 2 7 2 3 75(70)
2004 1 1 5 5 6 10 7 7 6 1 1 1 5 5 2 7 2 3 1 76(71)
2005 1 1 5 5 6 10 7 7 6 1 1 1 5 5 2 7 2 3 2 77(72)
2006-
2009
1 1 5 5 6 10 7 7 6 1 1 1 5 5 2 7 2 3 3 78(73)
2010 1 1 5 5 6 10 7 7 6 1 1 1 5 5 1 7 2 3 3 77(72)
2011 1 1 5 5 6 10 7 7 6 1 1 1 5 5 1 7 2 3 3 1 78(73)
2012 1 1 5 5 6 10 7 7 6 1 1 1 5 5 1 7 2 3 3 2 79(74)
2013 1 1 5 5 6 10 7 7 6 1 1 1 5 5 1 7 2 3 3 2 79(74)
2014 1 1 4 4 6 10 7 7 5 1 1 1 5 5 7 2 3 3 2 75(70)
2015-
2016
1 1 4 3 6 10 7 7 5 1 1 1 5 5 7 2 3 3 2 75(69)
  • 事業用車を除く
  • 82・83年は1月1日現在、84年以降は4月1日現在
  • 『私鉄車両編成表』各年版(ジェー・アール・アール編)、長崎電気軌道『会社概要』各年版より作成。

車両製作部[編集]

かつては電車の製作をおこない、他の軌道会社にも納入していた。

自社用に1916年から1924年まで53両 (11-63) が製造された。他の軌道会社には1917年に富山電気軌道13・14(竣工図では丹羽電気製作所)、四国水力電気13-16、土佐電気鉄道48-52(竣工図では丹羽電気製作所)、1923年筑後軌道45-47を製作している。他に九州電灯鉄道6両、九州水力電気17両(西鉄福岡市内線)の改造工事をしている[89]

日本初・日本一[編集]

  • 日本初の車体全面広告(カラー電車、1964年)[90]
  • 日本初の商業ビル内を走る路面電車(浜口町 - 松山町間の長崎西洋館)[26]
  • 路面電車としては日本一安い運賃(一律120円)
  • 現役営業車両としては日本最古かつ唯一の木造ボギー電車(160形168号 明治44年製)[85]

ながにゃん[編集]

長崎電気軌道創業100周年を記念して作られたマスコット。200形電車を模したマスクをかぶっているの妖精。マスクには方向幕がついており、自分の思っていることが方向幕に出るので、嘘をついてもわかる。電車形のバッグをさげており、電車グッズとカステラが入っている。お腹には出島形のポケットがついている。花電車の正面はながにゃんの塗装になっている。

カラー電車(車体広告)[編集]

日本で初めて車体全面の広告(現在のラッピングフィルムによるものではなく、塗装によるもの)を採用した公共交通機関で、1964年に開始された[20]。初のスポンサーはカネボウ化粧品であった[20]。地元企業から全国的に有名な企業のものまで数多くの企業がスポンサーをつとめている[20]。契約は一か月単位で、それとは別に最低契約期間が車種によって定められている[91]

2004年度から2008年度までは、長崎電気軌道が主催となり「長崎の街に似合うカラー電車コンテスト」が行われていた[20]。カラー電車のデザイン性向上と企業・利用者への認知度上昇を目的として、人気投票と社内審査で、「カラー電車大賞」、「デザイン賞」などを選定した[20]

なお、長崎の景観に配慮して、全在籍車両の40%を超えないように調整されている。

系統板[編集]

現在は方向幕に行先・系統番号を表示し、色も系統に合わせたものになっているが、1984年までは軽快電車2000形および、当時最新鋭の1200形を除いて、系統板を車両前方に掲げていた。1984年から1988年にかけて200形、211形、300形の冷房化改造に合わせて方向幕が自動化されたことに伴い系統板を廃止、360形は1986年、370形は1989年に方向幕を自動化、500形は1989年の冷房化と同時または翌年に方向幕を自動化して系統板を廃止した。非冷房の150形、160形、600形、700形、1050形は方向幕の自動化は行われず、系統板を使用している。

系統板は系統に割り振られた色をバックに番号が書かれている(1号系統はバックが白で数字が紺色)。

長崎電鉄バス[編集]

浦上教会と長崎電軌バス(1966年頃)

長崎電気軌道がかつて行っていたバス事業の名称。長崎電軌バスN.E.T.の名称も使われていた。

1932年1月、長崎 - 諫早間の乗合自動車運輸営業願書を、翌年には長崎市内の同願書を提出したが、長崎県営バス(長崎県交通局)が1934年3月に開業したために、長崎電軌は諫早線の願書を取り下げた。さらに、1936年4月には長崎バス(長崎自動車)も開業したが、それでも1950年頃までは、長崎市内唯一の交通機関は路面電車であった。 しかし、戦後の経済復興によりライバル会社による市内のバス運行が急激に拡充されていったため、軌道業防御の目的で再び乗合バスの免許を申請し、1953年4月1日から蛍茶屋 - 住吉間の電車路線と並行の市内線バス営業を開始した。都市計画による道路新設拡幅にともない、路線を延長していき、1955年3月1日からは一般貸切バスを、1963年9月16日からは定期観光バスも営業を開始した。ただ、主要路線は既に長崎バスに押さえられていた影響もあり、事業経営は思わしくなかった。さらに、モータリゼーションの進展がバス事業はもとより路面電車事業にも打撃を与え、長崎電気軌道自体も経営不振に陥ってしまった。このままではバス事業・路面電車事業ともに共倒れになると考え、経営陣は1971年3月1日にバス部門を長崎バスへ完全譲渡して、路面電車に一本化した。

このような状況に陥ったバス事業兼営の路面電車事業者は路面電車を廃止してバスに一本化したケースが多く、バスを廃止して路面電車に一本化したケースは全国でも珍しいが、これはバス路線が長崎バスや県営バスと競合する区間が多かったことなどがあげられる。

また、石原裕次郎主演の映画『若い人』では、この会社のバスが登場している。

1967年12月5日、バス事業における未開発路線をカバーする目的と、長崎市内のタクシー車両数の不足、滑石地区の開発と発展性に対しての必要性をあげて「電鉄タクシー」の経営免許の申請書を福岡陸運局に提出していたが、タクシー業は競合相手が多く、1970年1月24日に申請は却下されている。


路線[編集]

バス事業末期の路線。番号と運行系統。

  • 3…大橋 - 西城山小入口 - 中央橋
  • 4…大橋 - 県営住宅前 - 中央橋
  • 5…大橋 - 若草町 - 中央橋
  • 16…大橋 - 大学病院前 - 中央橋
  • 39…昭和町 - 市役所前 - 中央橋
  • 25…西町 - 桜町 - 蛍茶屋
  • 105…西町 - 大波止 - 中央橋
  • 106…葉山 - 大波止 - 中央橋
  • 42…西町 - 市役所前 - 中央橋
  • 48…葉山 - 市役所前 - 中央橋
  • 31…蛍茶屋 - 市役所前 - 西町
  • 87…中央橋 - 市役所前 - 寺川内
  • 86…中央橋 - 滑石団地内 - 寺川内
  • 34…江平中学校前 - 大学病院前 - 長崎駅前
  • 97…江平中学校前 - 大学病院前 - 正覚寺下
  • 98…江平中学校前 - 大学病院前 - 中央橋

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 大浦町仮終点がいつからか、大浦海岸通の旧名称の大浦と間違われて、会社資料でも開通区間が千馬町 - 大浦海岸通とされている。
  2. ^ 交通船と路面電車セットの料金
  3. ^ 1922年(大正11年)7月10日創業。
  4. ^ 1977年の販売開始から2009年9月30日までは6回以上乗らないと元が取れなかった。
  5. ^ 乗り継いだほうが結果として運賃が安くなる例が多く、また特に朝ラッシュ時は電車の定時性が非常に高いため

出典[編集]

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  3. ^ 50年史, p. 24.
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  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n 50年史, p. 355.
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  9. ^ 50年史, p. 34.
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  69. ^ 1985年発行の社史『ふりかえる二十年のあゆみ』に、番号が記された停留場の写真が記載されている。
  70. ^ シュタットバーン9号「長崎電気軌道路線変遷史」(1985年4月・日本路面電車同好会発行)。
  71. ^ a b c d e f g h i j k l 100年史, p. 127.
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  87. ^ 100年史, p. 140.
  88. ^ 100年史, p. 141.
  89. ^ 『五十年史』121頁、和久田康雄『日本の市内電車』、成山堂書店
  90. ^ 100年史, p. 139.
  91. ^ 100年史, p. 171.

参考文献・資料[編集]

関連項目[編集]

  • 西鉄大牟田市内線(大牟田電気軌道) - 1920年より1926年まで益田ら長崎電気軌道関係者が役員に就任していたが開業前に退任した。

外部リンク[編集]

座標: 北緯32度46分49.12秒 東経129度51分41.771秒