出島停留場

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出島停留場
停留場全景
停留場全景
でじま
DEJIMA
大波止 (0.2km)
(0.4km) 築町
所在地 長崎県長崎市出島町6番26号先
駅番号 30
所属事業者 長崎電気軌道
所属路線 本線(1号系統・□2号系統
キロ程 6.1km(*赤迫起点)
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗降人員
-統計年度-
1,500人/日
-2015年-
開業年月日 1915年(大正4年)11月16日
備考 * 路線の起点は住吉停留場
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出島停留場(でじまていりゅうじょう、出島電停)は、長崎県長崎市出島町にある長崎電気軌道本線の路面電車停留場である。1号系統2号系統が停車する。

出島長崎県美術館長崎水辺の森公園などの最寄りの停留場である。みなと祭りの時は一部の列車は当停留場に止まらず隣の大波止停留場を始発とする。

歴史[編集]

当停留場は1915年(大正4年)に末広町停留場(すえひろまちていりゅうじょう)として開業した[1][2]。長崎電軌の第1期線(築町 - 病院下間)開通と同日のことである[2][3]。1939年(昭和14年)には出島岸壁前停留場(でじまがんぺきまえていりゅうじょう)に改称、そのまま太平洋戦争下の1944年(昭和19年)に急行運転開始によりいったん廃止された[2]。停留場が再開したのは1947年(昭和22年)のことで、このとき出島停留場に改称した[1][2]

構造[編集]

出島停留場は併用軌道区間にあり、ホームは道路上に設けられる[7][8]。ホームは2面あり、2本の線路を挟んで向かい合わせに配置される(相対式ホーム[7][8]大波止寄りから見て右側が長崎駅前方面行きのホーム、左側が築町方面行きのホーム[8]。1999年には停留場が改築され、上屋の取り換え・ホームのかさ上げ・スロープの設置がなされた[9]

利用状況[編集]

長崎電軌の調査によると1日の乗降客数は以下の通り。

  • 1998年 - 1,604人[1]
  • 2015年 - 1,500人[10]

周辺[編集]

出島跡と長崎電軌の路面電車

名前の通り出島跡が近い[1]。扇の形をしていた島は1904年(明治37年)に埋め立てられたが、平成期に入って復元工事が進められ、オランダ商館長次席の「ヘトル部屋」や輸入品であった砂糖を保管した「一番蔵」などの建物が復元された[11][12]。電車の軌道沿いにも石垣が再現されている[12]

隣の築町停留場に向けて、本線の軌道は左へカーブし狭隘な道路上を通る[13]。この区間は1915年の路線開業時の道幅がそのまま残る唯一の区間[11]。道幅が狭いため自動車の軌道敷内乗り入れが唯一許可されている区間でもある[14]。1961年(昭和36年)まではこの区間に千馬町停留場(せんばちょうていりゅうじょう)があり、石橋方面(大浦支線)への乗り換え停留場として機能していた[15][16]

千馬町停留場廃止後も、本線の当停留場から石橋方面へ電車で向かうには築町での乗り換えを必要とする[17]。この乗り換えの不便さなどを解消するため、当停留場から直線距離で400メートルほどの大浦支線市民病院前停留場まで軌道を敷設し、築町を経由しない短絡線を開通させるという構想がある[17][18]

隣の停留場[編集]

長崎電気軌道
本線(1号系統・2号系統)
大波止停留場 - 出島停留場 - 築町停留場

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d 田栗 & 宮川 2000, p. 59.
  2. ^ a b c d e f g h 今尾 2009, p. 57.
  3. ^ 100年史, p. 129.
  4. ^ 田栗 2005, p. 156.
  5. ^ 100年史, p. 198.
  6. ^ 100年史, p. 201.
  7. ^ a b 100年史, p. 130.
  8. ^ a b c 川島 2013, p. 49.
  9. ^ 田栗 & 宮川 2000, p. 60.
  10. ^ 100年史, p. 124.
  11. ^ a b 田栗 2005, p. 30.
  12. ^ a b 100年史, p. 118.
  13. ^ 川島 2007, p. 119.
  14. ^ 川島 2013, p. 52.
  15. ^ 田栗 2005, p. 90.
  16. ^ 100年史, p. 128.
  17. ^ a b 田栗 & 宮川 2000, pp. 128–129.
  18. ^ 川島 2013, p. 95.

参考文献[編集]

関連項目[編集]