国鉄115系電車

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国鉄115系電車
(共通事項)
Shinetsu 115 fixed.jpg
信越本線を走行する115系
(2014年9月15日 新津駅 - 古津駅間)
基本情報
運用者 日本国有鉄道
東日本旅客鉄道
東海旅客鉄道
西日本旅客鉄道
しなの鉄道
伊豆急行
製造所 汽車製造
日本車輌製造
川崎車輛→川崎重工業
近畿車輛
東急車輛製造
日立製作所
製造年 1963年 - 1983年
製造数 1,921両
主要諸元
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500 V[1]
最高運転速度 100 km/h[1][注 1]
起動加速度 1.6 km/h/s (1M1T)
2.0 km/h/s (2M1T)
減速度(常用) 3.0 km/h/s
減速度(非常) 4.0 km/h/s
全長 20,000 mm[2][3][4][5][6]
全幅 2,900 mm[2][9][10][11][12][13][14][15]
全高 4,077 mm
車体 普通鋼[1]
台車 DT21B形・TR62形[7]
主電動機 直流直巻[1]MT54[8]
主電動機出力 120 kW[1]
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 1:4.82
制御方式 抵抗制御・直並列組合せ電動カム軸方式
制御装置 CS15形制御器CS15A[8](300番台を除く)
制動装置 発電ブレーキ抑速ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
保安装置 ATS-SATS-P(一部)ATS-Ps(一部)
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国鉄115系電車(こくてつ115けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した近郊形直流電車である。

概要[編集]

寒冷地区・急勾配路線での運用を目的にした近郊形車両1963年昭和38年)から1983年(昭和58年)まで改良を重ねながら1,921両[注 2]が製造された[1]

開発の経緯[編集]

国鉄の新性能電車は、1957年(昭和32年)に製造を開始した101系通勤形電車を祖とし、その後は151系特急形電車153系急行形電車とともに増備が進められた[16]。また、鹿児島本線常磐線交流電化により3扉セミクロス交直流両用となる401・421系1960年から製造が開始された[16]。しかし、東海道線東京口などでは80系電車客車など2扉車が使用されており、増加する通勤客に対応できないことから、401・421系と同等の車体構造を持つ111系が製造された[17]

さらに同時期には山間部路線でも電化が始まり中長距離列車が運行されるようになったが、111系が搭載する出力100 kW級のMT46系主電動機では出力不足が如実であり、編成の組成において電動車を多くした高MT比とするか、補助機関車の連結が要求された[17]。しかし電動車を増やす場合、製造・運転・保守ともに高コストとなり不経済であることから、111系をベースに主電動機の出力増強を目的に開発されたのが113系と本系列である[17]

1963年3月に登場した近郊型電車の115系は、東北本線高崎線上野口の通勤客増加への対応と、勾配区間を持つ上越線日光線での運用、冬期の運用が考慮された設計となった[18]165系と同様に出力120 kWのMT54系主電動機を搭載し、上り勾配での加速力を調整可能なノッチ戻し機構、下り勾配での定速運転が可能な抑速ブレーキが搭載されるとともに、耐寒耐雪に対応する設備を備えている[18]

製造終了後[編集]

1985年(昭和60年)度末時点で新製車1921両・113系への転用改造4両・113系からの編入改造6両の計1,923両が在籍していたが、同年には後継となる211系電車が製造開始されたため1986年(昭和61年)から老朽廃車が開始された[19]ほか、汎用性の高さから編成両数を減らして本数を増やすため中間車の先頭車化改造を多数実施した[1]1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時には事故廃車2両・老朽化廃車45両・他形式(401系)への改造1両を除いた計1,875両が東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・西日本旅客鉄道(JR西日本)に承継された[20][21]

その後は老朽化や後継形式への置換えにより0・300番台車の多くは廃車となった。またJR東日本からしなの鉄道へ33両[22]伊豆急行へ27両が譲渡された。また、しなの鉄道には2013年3月15日に169系廃車代替分として14両、2015年3月14日に北陸新幹線金沢延伸に伴う第三セクター化用として15両譲渡されている。その後はE129系227系電車の増備によってJR東日本の新潟地区とJR西日本の広島地区の所属車両を中心に数を減らし続け、2020年4月現在ではJR東日本・JR西日本・しなの鉄道で332両が残存する。

民営化後から現在までの在籍数変化

JR東日本 JR東海 JR西日本 しなの鉄道 伊豆急行 合計
1987 1186両 99両 590両 1875両
1988 1178両 99両 590両 1867両
1989 1176両 99両 578両 1853両
1990 1172両 84両 574両 1830両
1991 1146両 75両 569両 1790両
1992 1111両 72両 567両 1750両
1993 1094両 72両 572両 1738両
1994 1082両 72両 520両 1672両
1995 1080両 72両 504両 1656両
1996 1062両 72両 495両 1629両
1997 1062両 72両 477両 1611両
1998 1027両 72両 476両 33両 1608両
1999 1021両 72両 476両 33両 1602両
2000 1021両 63両 471両 33両 1588両
2001 939両 63両 470両 33両 1505両
2002 735両 63両 466両 33両 18両 1315両
2003 611両 63両 464両 33両 27両 1198両
2004 592両 63両 462両  33両 27両 1177両
2005 539両 63両 452両 33両 27両 1114両
2006 507両 63両 450両 33両 27両 1080両
2007 502両 33両 450両 33両 27両 1045両
2008 498両 12両 450両 33両 27両 1020両
2009 498両 0両 444両 33両 0両 975両
2010 498両 442両 33両 973両
2011 498両 442両 33両 973両
2012 498両 442両 33両 973両
2013 498両 445両 33両 976両
2014 477両 445両 44両 966両
2015 333両 443両 59両 835両
2016 252両 379両 59両 690両
2017 106両 363両 59両 528両
2018 73両 363両 59両 495両
2019 27両 291両 59両 377両
2020 22両 251両 59両 332両

構造[編集]

同時期に製造された113系が暖地・平坦地向けであるのに対して、本系列は113系と基本的な部品の共通化をしつつも山間部・寒冷地・急勾配路線での運用を考慮し耐寒耐雪構造・勾配対策が施工された[17]。またローカル線への投入が想定されたためクハ115形2両+モハ115形・114形ユニットで組成される4両編成を最小単位として運用できる構造を採用[8]。1966年にはクモハ115形の製造開始により3両編成の組成も可能となった[23]。本節では主に各区分の共通仕様について記述する。

車体[編集]

 
湘南色(黄かん色・緑2号)
横須賀色(クリーム1号・青15号)

111系・113系と同設計となるモノコック構造による鋼製車体で前面中央に貫通扉を装備するほか、153系と同様に第1種縮小限界へ抵触させないため裾絞りとした[2]車体幅は2,900 mmである[24]

側面には片側3か所に開口幅1,100 mm[注 3]の客用を設置しており、ドアエンジンは半自動機能を持ち手動での開扉も可能とした新設計のTK8形を鴨居部分に搭載する[注 4]。これは寒冷地区で扉の開放を極力抑える目的から装備されたが、気動車で採用した方式と異なり車掌スイッチによって容易に自動・半自動の切替が可能とされた。

側窓は戸袋部分を除いて2段上昇式または上段下降下段上昇式である。開閉方向は製造時期によって異なる。

車体は耐寒耐雪構造であり[25]、屋根上通風器は冬期に冷気やの遮断が可能な押込式を採用した[27]

塗装は黄かん色の地に車体裾と上部に緑2号を配した「湘南色」を標準としたが、配色は前面下部を斜め(V字形)に塗り分けた113系に対し本系列では貫通扉を除き前面下部を直線状(U字形)に塗り分けた[28]。115系でU字の塗り分けが採用されたのは、111・113系に対して115系は165系に近い性能であるとの考えによるものである[29]

中央東線での運用車両はクリーム1号の地に青15号(濃青色)の「横須賀色(通称スカ色)」である。113系の「スカ色」に対して本系列では「山スカ色」とも呼ばれる。後にこの2種以外の塗装も採用された[17]

車内設備[編集]

座席は他の一般的な国鉄近郊形電車と同様、扉間に対面式固定クロスシート(ボックスシート)[30]を配し、扉周り戸袋部にロングシートを配したいわゆるセミクロスシートである(鉄道車両の座席も参照)[24]

区分によっては一部の座席配置が異なるほか、クハ115形ではトイレが設置・未設置の差異もあり、設置車両では後位3位側隅部がトイレとなる[2][17]

車内色は、当時の近郊形で標準的に用いられていた淡緑で、座席モケットは青をベースとした[2]

台車・機器[編集]

※いずれも基本番台製造開始時に搭載された機器を基準に解説を行う。設計変更などによるマイナーチェンジ等は当該番台の項目を参照のこと。

DT21B形動力台車
DT21B形動力台車
TR62形付随台車
TR62形付随台車

台車枕ばね・軸ばねはいずれも圧縮コイルばねとし、ウィングばね式軸箱支持機構スウィングリンク式揺れ枕機構を採用する国鉄新性能電車の標準形式となるDT21B形動力台車・TR62形付随台車を装着する[25]

主電動機は定格出力120 kWのMT54形直流直巻電動機歯数比1:4.82 (17:82) で搭載する[25]

走行系機器類は113系と同一仕様であるが、M車のモハ115形に搭載される主制御器は勾配区間での運用に対応するためノッチ戻し機構[注 5]ならびに抑速ブレーキを装備したCS15A形[33][注 6]とした。

  • 113系との併結運転は機器類が共通しているため可能であるが、主制御器が異なるためノッチ戻しならびに抑速ブレーキの使用は不可となる[25]
  • ノッチ戻し機構ならびに抑速ブレーキは当初同時期に開発された165系電車のみに搭載される計画だったが、所要両数が多い場合は電磁接触器の装着よりも差動歯車を活用するメリットが大きいことから本系列にも搭載された[2]

M'車のモハ114形には集電装置として国鉄標準型であるPS16形菱形パンタグラフ[2]、空気圧縮機 (CP) を搭載する。111系ではM'車(モハ110形)とクハ111形の偶数向き車に1000 L級を1基ずつ搭載していたが、115系ではM車のモハ115形に集約され、1000 L級が2基搭載された[34]。後の設計変更(昭和40年度民有車両)で103系と同じ2000 L級の1基搭載に変更されている[35]

Tc車のクハ115形はMC37形マスター・コントローラー[30]を搭載するほか、偶数(上り)向き・奇数(下り)向き両方への方向転換が可能な両渡り構造を採用した[27]

形式[編集]

本系列は同時期に製造された113系とは異なり、すべて普通車のみで製造された。

新造形式[編集]

クモハ115形
主制御器・主抵抗器を搭載する制御電動車[36]で、モハ114形とユニットを組む。急行形のMc車とは異なり、主電動機冷却風取入口は、クモハ103形などと同様に前位寄り戸袋窓上部の設置とした。0番台は全車モハ114形800番台とユニットを組む[37]。全車が奇数東海道本線上で東京)向き。当初に設計された形式ではなく、中央本線投入の際に乗り入れ先となる富士急行線が3両編成までに制限されていたため1966年(昭和41年)から製造された[27]
モハ115形
主制御器・主抵抗器を搭載する中間電動車[36]で、モハ114形とユニットを組む。後述のモハ114形・クハ115形とともに製造開始時からの形式である。
モハ114形

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電動発電機 (MG) ・空気圧縮機 (CP) などの補助機器ならびにパンタグラフを搭載する中間電動車[36]。クモハ115形またはモハ115形とユニットを組む。
クハ115形
制御付随車[36]。一部を除き後位3位側隅にトイレを設置する。本系列ではCPをモハ114形に集約したためクハ111形で実施されたCPの有無による番台区分はない。
サハ115形
1966年(昭和41年)に製造開始された中間付随車[36]。基本番台・300番台では後位3位側隅にトイレを設置する[2]

改造形式[編集]

クモハ114形
2両編成を組成するためモハ114形からの改造で登場したMG・CP等の補助機器とパンタグラフを搭載する制御電動車。クモハ115形と同様、前位台車用側主電動機冷却風取入口は前位側戸袋窓上部取付を採用する。

計画のみに終わった1等車・グリーン車[編集]

115系においても113系と同様、1等車グリーン車を導入する計画があったが、計画のみで終わった。

115系の最初の投入対象路線であった東北本線・高崎線では、置き換え対象となる一部の客車普通列車に1等車が組込まれていたため、最初期車の製造時に1等車のサロ115形を製造する計画があったが、見送られた[38][39]。戸閉機構を全自動式とし、車体・設備等はサロ111形とほぼ同一構造で計画されていた[40]

その後、宮原電車区(現・網干総合車両所宮原支所)のグリーン車組込編成が担当していた宇野線快速運用を1980年(昭和55年)に岡山電車区の本系列へ置換える際、宮原所属のサロ113形を種車に115系へ転用する改造計画が浮上した。サロ113形は成田空港の開業を見越して17両が製造されたもので、居住性を改善すべくリクライニングシートを装備していた。定員が48名と少なかったことから横須賀・総武快速線では乗客の着席需要に応えられないと判断され、定員60名のサロ110形1200番台へ置き換えられる形で1976年(昭和51年)に京阪神地区へ転出した。その後1980年(昭和55年)に京阪神地区でグリーン車の連結が中止となり、横須賀線・総武快速線の直通運転が開始された関東地区へ再転出し、115系への改造計画も中止となった。

これより前の1970年から約2年間にわたり、サロ165-14・15が引通しを115系用に改造され、中央東線の急行「かいじ」に使用されていたことがある。115系にグリーン車を組み込んで営業運行した唯一の例であったが、改番はなされず、165系のままであった(詳細は後述)。

新造車[編集]

基本番台[編集]

115系基本番台
JNR kuha115-1.jpg
クハ115-1
基本情報
製造年 1963年 - 1971年
製造数 569両
主要諸元
車両定員 ()内は着席。
クモハ115:120(68)
モハ115・114:128(76)
クハ115:116(64)
サハ115:124(72)
自重 クモハ115: 39.1 t
モハ115: 37.4 t
モハ114: 36.7 t
クハ115 :29.8 t
サハ115: 27.7 t
全高 4,140 mm
車体高 3,654 mm
歯車比 17:82=1:4.82[2]
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1963年1月から1971年(昭和45年)にかけて製造された569両[41]のグループで、以下の特徴を持つ。

  • 客室窓部はユニット窓ではなく四隅に丸め処理を実施。
  • 全車とも当初は冷房装置は搭載せずに落成[41]
  • クモハ・クハ115形の前照灯は大型の白熱灯で、中間組み込み時には助士席側を折りたたみ客室(立席)への転換可能な構造。
  • クハ115形は方向転換可能な両渡り構造を採用[27]
  • 空気圧縮機 (CP) はMH80A-C1000形をモハ114形に2基搭載する。これは大容量タイプのC2000形が開発途上であったことに起因するが、後年にC2000形1基への換装を可能とした設計を採用した[42]
  • 広域波動輸送に対応する目的から製造されたモハ114-818 - 831・モハ115-94 - 107・クハ115-193 - 216・サハ115-25 - 30は新製時から横軽対策施工車である。

また増備途上で以下の設計変更も実施された。

  • クハ115形では、47- は雨樋を乗務員室扉上まで延長[41]、99- は最前部通風器が大型で落成[7]
  • 昭和40年度民有車の電動車ユニットモハ115・114-83- は、主制御器内部配線改良を実施したCS15B形に、空気圧縮機をMH113A-C2000M形1基搭載に変更[42]
  • 昭和41年度第1次債務車のモハ115-94- は、主制御器を継電器無接点化を実施したCS15C形に変更[43]
  • 昭和43年度本予算車のクハ115-215- ・モハ115-107- ・モハ114-831- は、耐雪性能向上の観点から以下の変更を実施。
  • 客室引き戸のステンレス化。
  • クロスシート取手の形状変更[41]
  • AW-5形空気笛へ耐雪シャッター設置。
  • AW-2[注 7]予備笛を追加[7][41][43]
  • 主制御器を応荷重装置準備工事ならびに耐雪構造強化を実施したCS15E形に変更。
  • 主電動機を耐寒構造強化を実施したMT54B形に変更[43]
  • 昭和45年度第2次債務車のモハ115-127- は、主制御器を限流・減圧継電器などで無接点化したCS15F形に変更[43]

1963年3月の宇都宮運転所[注 8]を皮切りに、新前橋電車区(現・高崎車両センター)・三鷹電車区(現・三鷹車両センター)・小山電車区(現・小山車両センター)へ新製配置された。

編成は東北・高崎線向けでは401系と同じく2M2Tの4両編成が基本となり、4両ユニット2本の基本8両編成と付属4両編成による12両編成が組まれた[44]。中央東線向けは富士急行線への乗り入れを考慮して3両編成を基本とし、3両編成2本の間に付随車2両を挟んだ8両編成が組まれており、この関係で新形式のクモハ115形とサハ115形が登場している[45]

後に新潟・静岡・岡山・下関の各地区にも転出したために分割民営化時にはJR東日本・JR東海・JR西日本に承継。2015年度までに改造車以外は廃車された。

モハ115-1 モハ114-1
モハ115-1
モハ114-1
  • クモハ115-1 - 17
  • モハ115-1 - 135
  • モハ114-1 - 121
  • クハ115-1 - 228
  • サハ115-1 - 37

モハ114形800番台[編集]

JRE Moha114-827.jpg
JRE EC115-0 M'114-827 20080709 001.jpg
上:モハ114-827 中:車端低屋根部 下:モハ114-831
上:モハ114-827
中:車端低屋根部
下:モハ114-831

狭小断面トンネルが存在する中央本線高尾以西では、レール面からのパンタグラフ折畳高さが4,000 mmの制約が設けられていた[45]。モハ114形の4,140 mmでは入線が不可能でPS16形パンタグラフの取付部分のみ屋根高さを180 mm下げパンタグラフ折畳高さ3,960 mmとした「低屋根車」として対応させることになり、801-に番台区分[注 9]され汽車製造・日本車輌・川崎車輌で31両が製造された[27]

低屋根部の室内天井には扇風機の代わりに換気扇(ファンデリア)を、低屋根肩部に外気取入用の風道を設置する[46]。他の仕様は同時期に製造された基本番台と同一だが車重が基本番台車に比較すると0.3 t軽い36.4 tとなったほか、本区分とMM'ユニットを組成するクモハ115形・モハ115形は基本番台の続番[注 10]で製造された。

後に折畳高さの低いPS23形パンタグラフが開発されたため、300番台以降では、身延線用2600番台を除き低屋根構造は廃止された。

  • 801-817(三鷹電車区新製配置車)
    1966年製造。クモハ115形とMM'ユニットを組成して中央東線・篠ノ井線で運用された。
  • 801・802は1985年に新前橋区に転出。分割民営化時には805 - 817とともにJR東日本に承継。802は1989年に豊田区に、801は1990年に北長野運転所(現・長野総合車両センター)に再転出となるが、1991年にはともに訓練車モヤ114-1・2へ改造された。1995年に2が、2000年に1が廃車され形式消滅した。
  • 803・804は1985年に沼津機関区(現・沼津運輸区)へ転出。1986年に静岡運転所(現・静岡車両区)へ再転出となり分割民営化時にはJR東海に承継。803は1989年に、804は1991年に廃車となった。
  • 805 - 817は1986年11月に豊田電車区(現・豊田車両センター)に転出。1990年に805が廃車となったが残りの11両は2000年12月に松本電車区(現・松本車両センター)へ再転出。2001年以降は東北本線(宇都宮線)・高崎線へのE231系投入により捻出された300番台・1000番台の松本区転入により伊豆急行へ譲渡された808・810・812・815・817を除き廃車された。
  • 818-831(小山電車区新製配置車)
    1967年 - 1968年に製造。広域運用が想定される波動輸送対応名義から低屋根のほか横軽対策も併施された。三鷹配置車と異なる点は東北本線・高崎線系統の運用実態に合わせモハ115形とMM'ユニットを組成する。
  • 818 - 821・824 - 826・828 - 830は1979年に御殿場線72系電車老朽取換用ならびに後の身延線運用[注 11]も考慮した上で沼津機関区へ転出。分割民営化時にはJR東海へ承継。このうち821・824・825は1990年 - 1991年に工程簡素化のため低屋根部分には冷房風道を設置せずファンデリアを残存させた上でC-AU711D形集約分散式冷房装置搭載改造工事を施工され5821・5824・5825に改番した。非冷房車を含め1999年までに全車廃車となった。
  • 831は耐雪性能向上の観点からステンレス製客用扉や手掛け形状などの設計変更[41]が実施された唯一の1968年製造車である。上述したグループとともに1979年に沼津に転出されたが、1986年に岡山電車区へ再転出となりJR西日本へ承継。冷房化改造は未施工のまま1996年に廃車。
  • 小山区に残存した822・823・827は全車国鉄時代に冷房改造を施工されJR東日本に承継。822・823は2002年に廃車。豊田車両センター訓練車編成に組成されていた827も2014年1月28日に廃車となり区分消滅した[47]

300番台[編集]

115系300番台
JNR 115-300 suka-calor Tota.JPG
300番台 横須賀色
基本情報
製造年 1973年 - 1977年
主要諸元
車両定員 ()内は着席定員。
クモハ115:118(67)
モハ115・114:128(76)
クハ115:114(63)
サハ115:124(72)
自重 クモハ115: 43.0 t
モハ115: 41.0 t
モハ114:
クハ115: 33.1 t
サハ115: 31.5 t
主電動機 MT54D[48]
制御装置 CS15F[48]
テンプレートを表示

113系1000番台同様のモデルチェンジが実施されたのが300番台である[49][50]1973年(昭和48年)から製造開始され小山電車区・新前橋電車区・三鷹電車区に新製配置された。1973年3月13日に発生した上尾事件をきっかけに、東北・高崎線の増発用車両が優先的に発注されている[51]

基本番台からの主な変更点
  • モハ114形に自車を含め最大4両に給電可能な冷房電源供給用MH135-DM92形・160 kVA電動発電機 (MG) (出力:三相交流440 V) と関連機器を搭載した[3]。このため車体中央後位側戸袋窓上部に電動発電機用冷却風取入口を設置した。
  • KE58・76形は互換性があるため在来車との混結は可能であり、増設された1基は冷房装置ならびに将来搭載される側面電動行先表示器(方向幕)の指令など新たに設置されたサービス機器制御用である。
  • 製造工数削減と保守省力化のため客室窓の組付け方法を変更し、別製造・後取付の外バメ式ユニット窓に変更[30]。先行採用されていた急行形車両(上段ラッチ下降式・下段ラッチ上昇式)のものとは異なり、上段引掛け上昇式・下段ラッチ上昇式で、下段も幕板に収納した場合、窓が全開となる。
  • 1972年(昭和47年)に発生した北陸トンネル火災事故の教訓から、長大トンネル走行時の火災対策を強化する目的でA-A基準に対応させるため、座席(表皮と詰め物)や床表面材などを難燃化[3]
  • 中央東線狭小断面トンネル対策として折畳み高さが低いPS23形パンタグラフが開発され、モハ114形の低屋根構造が不要となった[9]ため、800番台に相当する番台区分は存在しない[52]。モハ114形のPS23形搭載車のパンタグラフ折り畳み高さは、3,980 mmとなっている[53]
  • PS23形搭載車は車体側面の車号表記の前に◆マークを付記して識別し、車両番号では区分されない。
  • 車体側面後位寄りに電動行先表示器取付準備工事を施工。
  • 横軽対策を新造時から全車に施工。PS23形パンタグラフ搭載車での識別マークは◆●となる。
  • 配線ダクト[52]
  • 断路器を屋上に設置[52]
クハ115-398 拡大された乗務員室 ユニット窓に特徴
クハ115-398
拡大された乗務員室
ユニット窓に特徴
  • クモハ・クハ115形は以下の設計変更も実施。
  • 前照灯をシールドビームとし、小型化[3]
  • 乗務員室運転士側の空間が拡大され、乗務員室扉前に下降窓を新設[3]
  • 運転台機器配置を人間工学に基づいたものに変更。
  • 助士側仕切戸を固定式に変更するとともに、仕切窓も小型化[3]
  • クハ115形は冷房電源用三相引通用KE5形ジャンパ連結器を搭載したため片渡り構造となり、奇数番号車は奇数向き、偶数番号車は偶数向きに固定された[3]。また、中央東線用三鷹電車区向け製造車では、McM'ユニットと編成を組成させた結果、偶数向きのみ製造となり、445 - 495の奇数番号車は欠番とされた。

本区分番台は1977年(昭和52年)に製造を終了。それ以降は後述の1000番台へ移行した[3]

  • クモハ115-301 - 326
  • モハ115-301 - 418
  • モハ114-301 - 444
  • クハ115-301 - 443・444 - 496(偶数番号車のみ)
  • サハ115-301 - 330

1000番台[編集]

115系1000番台
JR East 115-1000 Jōetsu Line 6 cars 20170216.jpg
1000番台 湘南色
基本情報
製造年 1976年 - 1982年
主要諸元
車両定員 括弧内は着席定員
クモハ115:118(62)
モハ115:132(68)
モハ114:132(68)
クハ115 1001 - 1099:112(62)
クハ115 1101 - 1141:120(72)
クハ115 1142 - :114(65)
サハ115:120(72)
自重 左側は冷房準備車 右側は冷房車
クモハ115: 43.3/44.0 t
モハ115: 40.8/41.6 t
モハ114: 43.0/43.8 t
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上越線信越本線などの寒冷地ならびに冬期降雪の多い地域での運用を考慮した耐寒耐雪強化構造が施工された区分で、1977年から1982年(昭和57年)まで製造された。上越・信越線では1972年3月のダイヤ改正より旧性能車の70系80系が配置されていたが、新性能車の115系に置き換えられることとなった[54]

300番台をベースとするが、以下の設計変更・改良が行われた[55]

  • 4人掛クロスシートが狭く評判も悪かったため417系電車と設計思想を統一し、座席幅930→1,040 mm、間隔(シートピッチ)1,420→1,490 mm[注 13]とする従来の急行形車両並に拡大を行った「シートピッチ改善車」とした。これにともない側出入口間間隔の寸法と窓配置を変更した[55]。本アコモデーションは113系2000番台や415系100番台に引き継がれた[52]
  • 普通列車の冷房化が推進されていた時期にも関わらず長野・新潟地区向け車は、夏期でも酷暑となりにくい気候であることや当時の国鉄が財政難で経費節減の観点から、冷房装置は搭載しないものの将来の搭載改造の際には工事簡略化ならびに工期短縮化を考慮した「冷房準備工事車」で落成した[55]
  • AU75形集中式冷房装置取付部にふさぎ板を取付。車体天井部にも切欠部を化粧板でネジ止めした[55]。在来車では6基だった扇風機・通風器を7基(モハ114形は6基)に増設。
  • 後に全車冷房化されたが、JR化後の施工車両は冷房装置が継承された会社で異なる(詳細は後述)。
  • 客室暖房容量向上が実施されたことから冷房準備工事車も新造時から160 kVA MGを搭載。また、冷房電源用KE5(三相)と冷房制御用KE76も設置[56]
  • 415系0'番台で試行された運転室開戸の膨張性シールゴムを使用した[55]
  • 客用扉は戸締機構の改良により半自動時の人力による開閉時負担を低減[55]
  • 極寒冷地での夜間滞泊による水管割損を避けるため485系1000番台で採用された自動給排水装置を搭載[4]
雪切室冷却風取入ルーバー
雪切室冷却風取入ルーバー
モハ114-1051 PS35形シングルアームパンタグラフ搭載車
モハ114-1051
PS35形シングルアームパンタグラフ搭載車
モハ114-1067
モハ114-1067
  • 電動車の車体側妻部主電動機冷却風取入口を浸雪対策から廃止。新たに1・4位側車端部に設置されたルーバー[22]から雪切室を介して取り入れる構造に変更[55]
  • 雪切室同時に配電盤などを収めた機器室が対面となる2・3位側車端部設置されたことから、車端部はボックスシート+3人掛けロングシートから5人掛けのロングシートに変更。
  • クモハ115形+モハ114形ユニットは松本運転所(現・松本車両センター)・同北松本支所・長岡運転所(現・長岡車両センター)・新前橋電車区・三鷹電車区(1ユニットのみ)に限定新製配置である。
  • クハ115形偶数向(クハ115-1001- ・1201- )奇数向(クハ115-1101- )に番号区分され、トイレは偶数向き1001- にのみ設置とし[注 14][55]、採光窓も小型化された。
  • 後に奇数向き車も1142- ではトイレ設置に設計変更された[10][57]
  • サハ115形はトイレを廃止[58]

当初はクハ115形の100両以上の増備が想定されていなかったが、実際には100両以上が増備されたため、偶数向き車では1001 - 1099に続いて1201以降の飛び番号が付与されている[59]

伯備線電化名目で製造された昭和55年度第2次債務車(クハ115-1233- ・1149 - /モハ115-1107- /モハ114-1191- )からは屋根布がポリウレタン樹脂塗屋根に設計変更された[60]

  • 従来の絶縁屋根布は剥がれた箇所から雨水が入り込み腐食するという問題点があったが、185系電車で試験的に採用されたポリウレタン樹脂を重ね塗りし滑り止め珪砂を付ける塗屋根方式が効果を示したためである。この方法は車両重量増加やコスト増大を招くが、腐食防止の点で優れていたことから、201系電車などの新形式車や後に行われる特別保全工事車でも採用された[60]

引き続き伯備線増備目的で製造された昭和56年度第1次債務落成車(クハ115-1236- ・1152- /モハ115-1113- /モハ114-1197- )では、外板腰板部やAU75G形集中式冷房装置キセ(カバー)のステンレス化などさらなる腐食防止対策が施工された[11][60]

JR東日本・JR西日本では、内・外装のリニューアル工事も実施したが、JR東海では313系3次車への置換えによって後述の2000番台車も含めて全車廃車された。

  • クモハ115-1001 - 1084
  • モハ115-1001 - 1127
  • モハ114-1001 - 1211
  • クハ115-1001 - 1099・1201 - 1243・1101 - 1159
  • サハ115-1001 - 1028

2000番台[編集]

115系2000番台
JNR 115 Hiroshima L-14.jpg
2000番台広島地区投入車
基本情報
製造年 1977年 - 1981年
主要諸元
自重 クモハ115:42.3
モハ115:41.6
モハ114:43.8・42.3(2600番台)
クハ115:32.8/34.3(2000番台) 33.4(2101 - 2121) 32.8(2122 - )
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1977年(昭和52年)から1000番台と並行して80系などの旧形電車置換え目的で製造された番台区分である。山陽本線広島地区に投入されたグループと身延線に投入されたグループに分かれる[5]。温暖な地域で使用するため1000番台並みの耐寒耐雪装備が必要ないことから300番台相当に簡略化し、番台区分は113系2000番台に合わせたシートピッチ改善車として2000番台が付与された[61]

1000番台との相違点を以下に示す。

  • 温暖地域で使用するため耐寒・耐雪構造は基本番台・300番台並に軽減された[5]
  • 強化型排障器およびスノープロウは全先頭車装備としたが、電動車の「雪切室」は省略[60]。主電動機冷却風は従来通り車体外妻部から採風する方式としたが、切替装置によって客室内からも吸気が可能にされた[5]
  • クハ115形は運転台を鋼体一体化することによって対衝撃強化を図り、偶数向きトイレ設置車を2001- に、奇数向きトイレ省略車を2101- に区分[5][62][60]
  • 本区分ではサハ115形の製造はない[5]
  • 長野地区での運用を考慮していないため後述の3000番台とともに横軽対策は未施工。
広島地区投入車

1977年(昭和52年)から翌年にかけて山陽本線姫路以西に使用するため広島運転所に配置されたグループは、6両編成(TcMM'MM'Tc')×8本・4両編成(TcMM'Tc')×13本の電動車29ユニット58両と制御車42両の計100両が製造された。

この投入で山陽地区の70系80系は運用を終了し、新性能化が完了した[5]

  • 設計面では300番台車のシートピッチ改善車と見ることができる[62]
クハ115-2127 身延線投入車
クハ115-2127
身延線投入車
身延線投入車

1981年(昭和56年)[63]7月には身延線の旧形電車置換え用にクモハ115形+モハ114形が13ユニット26両、クハ115形は3両編成組成用偶数向き車13両 (2022 - 2034) ならびに4両編成組成用奇数向き車8両 (2122 - 2129) の計47両が製造され沼津機関区に配置された。

塗装は甲州ぶどうをイメージしたワインレッド(赤2号[63]地に富士山の雪をイメージした白(クリーム10号[64]の粘着塩ビテープ[63]を使用した帯を採用[注 15]し、後に国鉄車両の地方色の先駆としても言われるようになった[63]。広島地区投入車との相違点を以下に示す[12]

  • 本グループは3両編成での運用に対応させるため、クモハ115形も製造された[5]
  • 伯備線用1000番台車と同様のポリウレタン樹脂塗屋根で落成[60]
  • 地方線区用であることと当時の国鉄財政事情から冷房装置の搭載は見送られ、1000番台車の一部と同様に冷房準備工事仕様とし、扇風機搭載[63]の上で落成したが[65]、新造時から160 kVA MGを搭載する[63]
  • モハ114形はPS23A形パンタグラフでも対応できない狭小限界トンネルに対応した2601 - の新区分で落成[66]
  • 奇数向制御車にもトイレを設置[注 16]
  • 側面行先表示機および循環汚物処理装置は準備工事で落成したが、民営化後に搭載[63]
  • ただしクハ115-2022 - 2030・2034は表示器搭載未施工のまま廃車。
クハ115-2129
クハ115-2129

1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化時には、広島地区の100両がJR西日本に、身延線の39両がJR東海に、新潟地区の8両がJR東日本に承継された。JR西日本では一部車両に体質改善工事が施工された。

  • クモハ115-2001 - 2013
  • モハ115-2001 - 2029
  • モハ114-2001 - 2029
  • クハ115-2001 - 2034・2101 - 2129

モハ114形2600番台[編集]

身延線は1941年(昭和16年)に私鉄である富士身延鉄道を買収した経緯からトンネル内の架線高さが低く、レール面からのパンタグラフ折畳高さが中央東線の3,980 mmよりさらに低い3,960 mmと言う制約があった。このためモハ114形300・1000番台PS23A形取付車の3,983 mmでも絶縁距離の確保ができないことから、パンタグラフ搭載部分屋根形状を車体長手方向約2,750 mmに渡り20 mm切下げて折畳高さをレール面から3,960 mmとした番台区分である。それ以外の車内構造は他の2000番台車との差異はない[5]。1981年(昭和56年)に13両が製造され[67]全車沼津機関区に配置。後に静岡運転所(現・静岡車両区)に転出[63]し、JR東海に承継されたが、2007年(平成19年)3月18日ダイヤ改正で定期運用を終了。2008年(平成20年)までに全車廃車となった[12]

  • モハ114-2601 - 2613[63]

3000番台[編集]

115系3000番台
JNR kuha115-3101.jpg
3000番台 瀬戸内色
基本情報
製造年 1982年 - 1983年
製造数 66両
主要諸元
車両定員 ()内は着席定員
モハ115・114:124(68)名
クハ115:3000番台 - 96(57)名
3100番台 - 108(61)名
自重 左側は冷房準備車 右側は冷房車
モハ115: 41.3 t
モハ114: 44.3 t
クハ115: 3000番台 - 34.5/35.0 t
3100番台 - 32.4/33.1 t
テンプレートを表示

1980年代に国鉄では山陽本線広島地区の列車編成を6両から4両に短縮し、列車運転本数を増やすことでサービス向上を図る「ひろしまシティ電車」の導入方針を打ち出した(1982年11月15日国鉄ダイヤ改正1984年2月1日国鉄ダイヤ改正も参照)。広島地区では広島駅 - 岩国駅間で従来の6両編成20分間隔から4両編成15分間隔とする輸送改善が試行されることとなった[68]

また、主に山陽本線広島以西で運用されていた153系電車の老朽化による置換えも計画されていたこと、広島電鉄やバスなど競合交通機関との対抗策や、宮島などの観光地を控えている点も考慮して転換クロスシートを採用するなどの設計変更が加えられることとなった[68]。このため新たに設定された番台区分である[49]

1982年(昭和57年)11月ダイヤ改正用に4両編成×6本計24両と上述の編成短縮で捻出されたモハ111・110形を転用した4両編成組成用クハ115形15組30両が製造された。

主要機器類は2000番台車からの踏襲であるが、車体内外を117系電車に近い構造としたため以下の設計変更が実施された。

  • 昭和56年度第1次債務車(1000番台)に倣い、外板腰板部やAU75G形集中式冷房装置キセ(カバー)のステンレス化など腐食防止対策を施工[60]
  • 客用扉は両開2扉[6]、側窓は2連タイプとなった[69]
  • 車内は117系電車と同様の転換クロスシートとした。ただしクハ115形のトイレ向かい側のみ形状を揃えた固定クロスシートで車端部および戸袋窓部はロングシートである[6][70]
  • MGは保守省力化を図り、201系でも採用されたブラシレス式MGを採用[71]、モハ114形にDM106(容量190 kVA)を搭載[72]
  • 短編成化に伴う1ユニット運転における冗長性確保の観点から、パンタグラフはモハ114形に2基搭載[注 17]とし、制御用電源はモハ115形に搭載するバックアップ用SIVから供給される[73][74]
  • 天井は2000番台に準じており、冷房吹出口はラインフロー式を採用する117系とは大きく異なる。また117系で採用された照明灯カバーも省略されたほか、窓のユニット枠も117系では内隅が丸いが、本番台では角ばっている。
  • クハ115形は以下の設計変更が行われた。
  • 先頭形状は在来車と同じだが、ガラス支持方法をHゴムから金属押え式に変更[70]
  • 運用線区が広島地区であることから新製当初よりスノープロウは未装備[注 18]
  • 下関方偶数向き車(3000番台)にトイレを設置[75]したほか、111系との混結時にモハ110形のCPだけでは容量不足となるためC-1000形CPを搭載[70]
  • 閑散区間・時間帯での車掌業務を考慮し、客用扉の開閉は編成中のどの乗務員室からでも行えるようにした[73]
  • 111系と編成を組成するクハ115形 (3007- /3107- ) は以下の変更も追加。
  • 電動車ユニットが非冷房かつ電源用大型MGが搭載されないため冷房準備車として製造。ただし、111系の老朽淘汰に伴う編成変更で冷房車と組成されることを考慮し、天井風道の一部に凹みを設けて扇風機を設置。運転台後部の押込式通風器も大型に代えて一般型にするなどの変更を実施[70]1983年(昭和58年)から1985年(昭和60年)にかけて本区分のMM'ユニット追加製造車や、冷房改造施工基本番台車[注 19]へ組替る際に、全車冷房搭載工事を施工。
  • 運転台に111系・本系列の制御回路切替スイッチを搭載し、抑速ブレーキ・客用扉半自動扱いなどに対応[73]
  • 本番台の登場を機に瀬戸内色が誕生し、本系列の車両はすべて瀬戸内色で落成した[76]

1983年(昭和58年)6月には、111系電動車ユニット混成編成の差し替え用として、本系列の最終増備車となるMM'ユニット6組×12両[77](モハ115・114-3007 - 3012)が追加製造され、本グループの総数は66両となった。

  • モハ115-3001 - 3012
  • モハ114-3001 - 3012
  • クハ115-3001 - 3021・3101 - 3121

改造車[編集]

1983年6月の最終増備まで冷房改造などを除き車種間改造などは施工されなかったが、それ以降多くの改造車が登場している[78]。なお改造車は分割民営化後の会社ごとで解説するが、モハ115・114形はJR西日本のみの改造である。

短編成化ならびに列車増発の観点から改造が施工されたが[79]、以下の制約があった。

  • 種車と改造後の配転が広域
  • 両数が多いうえに工事期間短縮の要求[78]
  • 長期入場が困難[78]
  • 種車の余命を考慮して工程簡素化・工事費低減に主眼を置くこと

当時の国鉄の財産事情を考慮して、種車の車端部を切断してあらかじめ製造しておいたユニット運転台を溶接して組立てる工法が採用された[78]。当初は簡略化のため切妻形状も検討されたが、上述工法では工程短縮に結びつかないことや既存の図面が流用できることから、運転取扱上の便宜を考慮して従来からの形状を採用した[78]。また、同様の改造は分割民営化後も継続した[72]

クハ115形の改造車は方向転換改造車を除き500番台(偶数向の車両は600番台)とし、種車が1000番台の場合は1500・1600番台に区分される。これはクハ111形からの改造車も同一である。また同じ運転台取付車両でもモハ115・114形を電装解除してクハ115形化した車両は550番台・650番台に区分され種車の判別が容易である。これは台車が付随車用のTR62形台車でなく電動車用のDT21形台車を付随車用に改造したDT21T形を装着しているのを車両番号で判別できるようにしたためである。

国鉄時代の改造番台[編集]

JR化後に国鉄時代と同内容で改造されたグループも国鉄時代の節で解説する。

クモハ115・114形500番台[編集]

基本番台にあらかじめ工場で製造されたクモハ115形1000番台に準じた運転台を接合し先頭車化したグループである。なお、改造の経緯から2つのグループに分類できる。

クモハ115形+クモハ114形(2両編成ユニット)
クモハ115・クモハ114-501
1983年 - 1984年に越後線弥彦線の電化開業用に改造されたグループ[80]。当時の国鉄財政は極度に逼迫しており両線の電化開業用に車両を新製する費用軽減策として、岡山広島の両鉄道管理局管内で運用されていた本系列を短編成化し、捻出されたモハ115形前位・モハ114形後位に300番台以降と同様の運転台取付・耐寒耐雪装備等の改造を施工した[80]
  • 0番台と1000・2000番台グループでは運転台構造が異なるが、本改造では後者が採用された[81]。また同時に方向転換なども施工された[78]
落成直後は溶接部が折れるのではないかという懸念もあったが、廃車に至るまでそのような事故はない[78][82]
  • モハ115-84・87 - 89・127・129・134 → クモハ115-501 - 507
  • モハ114-84・87 - 89・113・115・120 → クモハ114-501 - 507
クモハ115形単独改造グループ
クモハ115-520
御殿場線で運用されていた4両編成 (TcMM'Tc') が3両編成 (McM'Tc') に短縮されるため改造されたグループである[72]
  • モハ115-29・86・94 - 97・100 - 102・104 - 107 → クモハ115-508 - 520
本グループは経歴から細分化すると2グループに分類される。
  • 508・509:岡山配置時の1983年12月に後藤工場(現・後藤総合車両所)で改造され1984年1月に沼津機関区へ転入。後述のクハ115形600番台と編成を組成された。
  • 510 - 520:1979年に小山電車区から沼津機関区へ転入したモハ114形800番台とユニットを組成していた車両が種車である[注 20]
本グループの落成により身延線で運用されていた62形が置換えられたが、岡山から転入した508・509はユニットを組成するモハ114形がPS16形パンタグラフ搭載の0番台のため西富士宮以北に入線不可の制約が発生しており、以下の転配が実施された。
  • 508・509:1985年に三鷹電車区からクモハ115形+モハ114形800番台ユニット2本を転入させ、玉突きで前橋電車区へ再転出。さらに1986年には509・520が岡山へ、1987年には511・517・519が飯田線用として豊橋機関区(現・豊橋運輸区)へ転出。

1987年の国鉄分割民営化以降は、以下の経緯となった。

JR東海承継車 (510 - 519)
513 - 515はC-AU711D形集約分散式冷房装置で冷房化され5513 - 5515へ改番。非冷房車は211系の投入により1989年から1990年にかけて、冷房改造車は1999年に廃車。
JR西日本承継車(509・520)
非冷房のまま1996年に廃車。
JR東日本承継車 (501 - 508)
新前橋配置の508は1993年に廃車。
新潟配置のクモハ115+クモハ114形ユニットはすべてインバータ制御のAU712形集約分散式2基搭載で冷房化を実施したほか、以下の改造を施工。
  • 501・503・504:1988年にワンマン運転対応改造を施工しほぼ弥彦線専用として運用。2015年7月15日付で廃車され廃区分番台[83]
  • 502:車両更新施工。2014年11月廃車。
  • 506:2000年に訓練車へ転用されクモヤ115-1+クモヤ114-1に改番。2016年6月に廃車[84]
  • 507:2014年7月に廃車。

クモハ115・114形1500番台[編集]

クモハ115-1566

モハ115形1000番台・モハ114形1000番台へ新造車に準じた運転台ユニットを接合し先頭車化したグループ。1983年 - 1986年の国鉄時代に施工された車両は投入地区の相違により、以下の3グループに分類できる。

伯備線・山陽本線岡山地区短編成化名義:岡山電車区配置
  • クモハ115-1501 - 1518・1536 - 1551
  • 施工は後藤・鷹取の両工場が担当。
大糸線短編成化名義:松本運転所配置
  • クモハ115-1520 - 1529
  • 施工は長野工場が担当。
新潟地区短編成化名義:長岡運転所配置
  • クモハ115-1519・1530 - 1535
  • 施工は新津車両管理所が担当。1530 - 1535はユニットを組成するモハ114形もクモハ114-1501 - 1506へ同時改造。

このうち松本配置車は1986年に以下の3車両基地へ転出が実施された[85][86]

  • 1521・1522・1527 - 1529:長野運転所
  • 1520・1524 - 1526:神領電車区
  • 1523:静岡運転所

この結果、分割民営化時には岡山配置の36両がJR西日本に、長野配置5両・長岡配置13両[注 21]の計18両がJR東日本に、神領配置4両・静岡配置1両の計5両がJR東海に承継された。

JR東日本は1992年までにクモハ115-1552 - 1566・クモハ114-1507 - 1520の追加改造を新津・長野で施工した。

  • この結果モハ115形1000番台は全127両中66両が先頭化改造されたことになり、JR西日本が改造した1600番台4両を含めると70両となる。

本区分番台では床下機器が輻輳しているため一部の機器搭載に関して以下の変更点がある。

  • JR東日本所属車でクモハ114形とユニットを組成する車両では、トイレをクモハ114形に設置し水タンクも室内設置とする。
  • JR西日本岡山電車区所属のATS-P搭載車[注 22]は、運転台直後の前部客用扉ロングシートを撤去して、車掌台側後部に床置搭載する。

なおクモハ114形1500番台は、しなの鉄道譲渡車を除き2016年8月までに全車廃車となった。

  • モハ114-1085・1074・1060・1063・1084・1110・1016・1050・1049・1009・1181・1182・1179・1054・1066・1079・1088・1136・1056・1069 → クモハ114-1501 - 1520
  • モハ115-1033・1035・1037・1039・1041・1043・1047・1054・1056・1060・1085・1087・1089・1092・1101・1106・1110・1112・1016・1096 - 1099・1003・1005・1010・1012 - 1014・1026・1021・1017・1018・1025・1048・1045・1052・1062・1064・1090・1091・1094・1107・1108・1116 - 1118・1120・1122 - 1124・1040・1049・1095・1008・1019・1022・1027・1072・1015・1020・1001・1073・1125・1126・1009 → クモハ115-1501 - 1566

クハ115形550・650番台[編集]

クハ115-552
クハ115-552
クハ115-556
クハ115-556
クハ115-652
クハ115-652

1983年に、越後線・弥彦線電化開業用ならびに山陽本線広島地区短編成化頻発運転用としてモハ115形・モハ114形基本番台を電装解除し、500番台と同様の運転台を取付けてクハ115形に改造されたグループ。550番台が奇数向き、650番台が偶数向き先頭車である[78]

550番台も650番台も奇数(上り)向きで種車の前位に運転台を取付け、550番台は偶数(下り)向きに方向転換させ[87]、3位側隅にトイレを設置した[78]。基本的に550番台はモハ115形から、650番台はモハ114形からの改造であるが[88]、552のみモハ114形からの改造で屋根上のパンタグラフ部の歩み板が残存する。

550番台では551 - 553は新潟地区用で耐寒耐雪装備を追加。554 - 556と650番台の全車は広島地区用で暖地向けである。1987年の国鉄分割民営化では、新潟地区用の550番台3両がJR東日本に、広島地区用の550番台3両と650番台4両がJR西日本に承継された。

JR東日本承継車はAU712形集約分散型冷房装置による冷房化を施工。新潟車両センターに所属し信越本線・白新線・越後線・弥彦線で運用されていた。551は2014年7月に、552は同年12月に、553は2015年8月20日にいずれも廃車となり、550番台は全廃された。

JR西日本承継車は、554・556・652・654が国鉄時代の1985年にAU13E形分散式冷房装置を6基搭載する冷房化改造を施工され[88]、1987年に651・653が試作のWAU101形を3基搭載して冷房化されたが、555は非冷房のまま1992年に廃車された。その後、2001年に651・653、2004年に554、2013年に556・652・654が廃車され、650番台は全廃された。

  • モハ115・114-67・モハ115-69・15・18・91 → クハ115-551 - 556
  • モハ114-69・15・18・91 → クハ115-651 - 654

クハ115形600番台[編集]

600番台は種車の違いから以下の2グループに分類される。

クハ115-602
クハ115-602
クハ115-622 張上式屋根・原形側窓変型車
クハ115-622
張上式屋根・原形側窓変型車
クハ111形改造車

1983年に岡山地区短編成化用として偶数(下り)向き限定でクハ111形300番台6両へ以下の改造が施工された[78]

その一方で種車のグローブ型通風器[88]は残存したほか床下の空気圧縮機は使用停止とした。

国鉄分割民営化時には全車がJR西日本に承継。604・605にはWAU102形3基による冷房改造が施工されたほか、605にはベンチレータータイフォンへのカバーが装着された[89]。1994年には冷房改造済みの3両が改造され、サハ115形改造グループの続番となる620 - 622が付番された。1996年に603・606、1997年に602、1999年に601、2002年に620・621、2012年に604・605・622が廃車され消滅。

  • クハ111-365・373・379・380・381・397 → クハ115-601 - 606
  • クハ111-5415・5431・5436 → クハ115-620 - 622
サハ115形改造車
クハ115-609
クハ115-609

1983年に山陽本線広島地区では編成短縮により運転本数を増加させるダイヤ改正が実施された。これに対応するため中央東線で運用されていた本系列は8両から6両へ編成を短縮。サハ115形基本番台を捻出し、方向転換と偶数(下り)向きに1000番台に準じた運転台設置改造を施工したのが本グループである[78]

後に高崎地区・新潟地区・松本地区・静岡地区用にも追加投入され1985年までに13両が改造された。車両番号はクハ111形改造車の追番となる607 - 619が付番された。

当初の配置を以下に示す。

  • 607 - 609:広島
  • 610:新前橋
  • 611・612:沼津
  • 613:新潟
  • 614 - 619:松本

沼津配置車は1985年3月に新前橋へ転出。さらに612は1986年11月にクハ401-901へ再改造。松本配置車は国鉄分割民営化により中央西線中津川以北がJR東海の管轄になることから1986年11月に神領へ転出。国鉄分割民営化時には以下に継承。

  • 607 - 609:JR西日本
  • 610・611・613:JR東日本
  • 614 - 619:JR東海

JR西日本継承車は、607・608が国鉄時代の1984年および1985年に本系列では初のAU75形集中式冷房装置によらない冷房化改造を施工しAU13E形分散式冷房装置を搭載した。

  • 607は149と同様に4基搭載とした試作的要素の強い異端車[注 23]。対して608は6基搭載する。
  • 609は後にWAU101形集約分散式3基によって冷房化された。

このため3両共異なった形態となった。2002年に609、2012年に607が廃車となり、最後まで残った608も2018年10月26日付で廃車となり、廃区分番台となった。

JR東日本承継車は以下の経歴を変遷した。2015年8月までにいずれも廃車された。

  • 610:小山に転出しAU75形集中式により冷房化改造され、同区の7両基本編成に組成されて東北本線などで運用され2001年に廃車。
  • 611:非冷房のまま1990年(平成2年)に長野に転出し訓練車のクモハ115-1+モヤ114-1(元モハ114-801)ユニットと組成されたが2002年に廃車。
  • 613:インバータ制御AU712形集約分散式2基によって冷房化。2015年8月25日に廃車[83]

JR東海承継車は1000番台と編成組成されC-AU711A形集約分散式2基によって冷房化された。1988年に中央西線中津川以北の運用が165系電車に置換えられたことから静岡に転出し、全車が飯田線 - 篠ノ井線系統の運用に充当したが、1999年に2両を残して東海道本線系統に転用された。313系3次車への置換えで2007年4月に617が廃車されJR東海からは消滅した[90]

  • サハ115-6 - 8・1 - 4・9・13 - 16 → クハ115-607 - 619

クハ115形1500番台[編集]

クハ115-1503

国鉄時代の1983年からサハ115形1000番台を改造した番台区分。偶数向き[87]。トイレは未設置。1983年・84年に新津車両管理所(現・総合車両製作所新津事業所)で1501 - 1504の4両が、民営化後の1989年から1992年までに1505 - 1513の9両が改造された[91]。最後まで残存した新潟車両センター所属の1501・1504が[92][93][94]2016年4月22日付で廃車され[95]、廃区分番台となった。

  • サハ115-1012・1014・1011・1013・1015・1017・1020・1026・1005・1018・1001・1027・1028 → クハ115-1501 - 1513[91]

クハ115形1600番台[編集]

クハ115-1601
独特な窓配置とトイレ設置部

前述の1500番台と同じく1983年に登場したサハ115形1000番台からの改造車であるが、1500番台と異なり奇数向き[87]固定使用とトイレ設置による独特の窓配置が特徴である。1601の1両が新潟車両センターに在籍[93][94]したが、2016年8月18日に廃車された[84]

  • サハ115-1009 → クハ115-1601[94]

クハ115形2000番台方向転換車[編集]

1983年に越後線弥彦線電化開業用として身延線用2000番台奇数向制御車に施工した偶数向に方向転換改造である。車両番号は既存番号の続番とされた。2016年12月18日までに廃車された[96]

  • クハ115-2122・2125・2127・2126・2128・2123・2124 → 2035 - 2041

クハ115形1200番台[編集]

1984年にトイレ付奇数向きのクハ115-1148へ施工した偶数向き方向転換と改番である。分割民営化後にJR東日本が1991年と1992年に5両へ同様の工事を施工した。JR東日本にて施工された5両は2016年9月までに廃車されている。

  • クハ115-1148・1142・1159・1144・1143・1158 → クハ115-1244 - 1249

クハ115形1400番台[編集]

クハ115-1403

1986年に岡山配置の6両編成を短編成化する際に偶数向きのクハ115形が不足したことから、奇数向きのクハ115形1100番台車を偶数向きに方向転換を実施し、同時に1400番台への改番も実施した[62]

同様な方向転換は、1984年にクハ115-1148→1244の事例があるほか、分割民営化後にJR西日本でも同様の方向転換改造が施工されているが、国鉄時代と異なり車番変更は実施されていない[97]

  • クハ115-1145・1149・1154・1156・1157 → クハ115-1401 - 1405

JR東海の改造番台[編集]

5000・6000番台(JR東海)[編集]

C-AU711D形集約分散式冷房装置の搭載・クハ115形に冷房専用電源SCV(静止型コンバータ)の搭載・客扉のステンレス化・化粧板の交換などの改造施工をした車両にされた番台区分で現番号+5000[98]、SCV搭載クハ115形は+6000とされた。

  • ただしモハ114形の制御電源用MGは存置。

老朽化により1999年までに全車廃車。

  • クモハ115-513 - 515 → クモハ115-5513 - 5515
  • モハ114-821・824・825 → モハ114-5821・5824・5825
  • クハ115-116・156・200 → クハ115-6116・6156・6200

JR西日本の改造番台[編集]

クモハ115・114形550番台[編集]

クモハ115・114-551

JR移行後の1988・1989年にJR西日本でモハ115・114形を先頭車化改造したグループで、4ユニット8両が改造された[99]。前頭部分原形の白熱前照灯が残る編成も存在したが[90]、2006年に全車シールドビーム化改造が施工された。

当初は湘南色で非冷房だったが、後に全車冷房化改造も施工された。

  • 1988年に改造された2編成は1991年に、1989年に改造された2編成は改造当初からバス用冷房装置で改造された。当初はパワーユニットとコンデンシングユニットを車端機器室に搭載したが、1991年改造車では屋根上に移設され、1989年改造車も後に屋根上に移設された。

座席はバケットシート交換によりシートピッチが拡大された。そのため戸袋窓部分のロングシートは設置されず座席定員は減少する。側面行先表示器の設置準備工事を同時に施工しているが、他社の2両編成と異なりクモハ115・114形とも前位側に設置した。

8両全車が下関車両管理室(現・下関総合車両所)に所属し、山陽本線の岩国 - 下関間で運用されていた。しかし、2008年時点で使用年数が最も長い本系列編成であることから老朽化が進んでおり、WAU202形冷房装置の効きが悪く故障も多く、トイレが未設置などの問題もあったため、223系5500番台置換えで捻出された後述の6000・6500番台が代替車となり、同年12月2日にT-01編成(クモハ115-551+クモハ114-551)が下関車両センターに回送された[100]。さらに3編成が2008年度内に廃車され、残ったT-04編成(クモハ115-554+クモハ114-554)も2010年1月8日に廃車され、廃区分番台となった[99]

  • モハ115・114-13・21・27・77 → クモハ115・114-551 - 554

モハ115・114形3500番台[編集]

モハ115形3500番台
モハ115形3500番台
車内
車内
3000番台(左)と3500番台(右) ジャンパ栓周辺
3000番台(左)と3500番台(右)
ジャンパ栓周辺

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1991年(平成3年)に221系増備に伴い117系はJR京都線JR神戸線での新快速運用が縮小された[101]。これにより一部編成は6両から4両に短縮し、山陽本線岡山地区の快速サンライナー」や福知山線(JR宝塚線)・奈良線へ転用し、余剰となった中間電動車ユニットを山陽地区に残存した非冷房車置換え名義で本系列に編入改造した番台区分である[87]

当初11ユニット22両が、2001年(平成13年)には3ユニット6両が改造され、2007年現在14ユニット28両に施工された[87]。7ユニットが下関総合車両所の3000番台クハと、残る7ユニットは岡山電車区の3扉クハと編成を組成する[90]

本系列と117系は補助電源電圧が異なり、ジャンパ連結器も本系列のKE76形3本に対して117系はKE96形1本であるなど互換性がない。このため、M'車からのサービス電源供給にはクハ115形に降圧装置を取り付け、ならびに車端部ツナギを改造したうえで、KE76形とKE96形を直接接続可能な特殊引き通し線を装備する[90][102]

  • 連結相手側の車両が非冷房車の場合に余ったジャンパケーブルを格納するため、KE76形用のジャンパ栓受も取り付けられた。引き通し線は変更されておらず、制御回路は117系と同一である。
  • 元々CS15形とCS43形の制御回路に互換性があったため可能となった改造だが、1961年(昭和36年)設計のCS15形と1979年(昭和54年)設計のCS43形ではマスター・コントローラー操作に対する応答速度に差があり、MM'ユニットに本区分番台とそれ以外の本系列を併結した場合、起動時にいわゆる「ドン突き衝動」が発生しやすい[注 24][103]

種車の関係で本区分のみパンタグラフはモハ115形に搭載される。側面行先表示器は本系列とは互換性がないため岡山電車区所属車は改造時点では使用停止とされ、広島運転所所属車は本系列用に交換。いずれも行先標受けが設置された。なお、車内側のドアはもともと白系の化粧板が張られていたが、体質改善工事施工時に本系列に合わせたステンレス無地に変更された。

  • 岡山所属車は後にLED方式の表示器に交換し、扉間のクロスシートは4列分のみ残して117系300番台と同様にロングシート化された[90]

2006年(平成18年)より30N体質改善工事を開始し2009年(平成21年)度に全車施工が完了した。この工事で117系時代の新鮮外気導入装置は撤去され、外見上は3000番台と同一になった。内装面では、座席配置・フラット天井・冷房吹出口形状・照明灯カバーがいずれも種車のままであり、特に天井を見れば判別は容易である。

  • モハ117・116-17・21・23・25・27・29・31・33・35・37・39・303・315・316 → モハ115・114-3501 - 3514

5000・6000番台(JR西日本)[編集]

京阪神快速用に電動車ユニットの最高速度を110 km/hとしたものである[99]

サハ115形7000番台[編集]

サハ115-7002

1994年(平成6年)に岡山地区の輸送改善のためサハ111形7000番台2両へ客用扉を半自動対応のTK8A形に交換するなどの改造を施工した区分である。1999年(平成11年)までに全車廃車となった[104][105]

  • サハ111-7023・7024 → サハ115-7001・7002[105]

クモハ114形6000・6500番台[編集]

WestJapanRailwayCompanyType115-6000.jpg
クモハ114形6000番台(上) 車内(下)
クモハ114形6000番台(上)
車内(下)

1999年の舞鶴線の電化開業に伴いクモハ115形+モハ114形1000番台ユニットを種車に、モハ114形の先頭車化改造により2両編成とされた番台区分である[13]

工事期間の短縮と簡素化の観点から新設運転台は既存の先頭車と同一の形状とすることを止め、窓や灯具の配置を踏襲しつつ種車の構体を活用した切妻形状とされたのが特徴で[13]クモヤ145形などに近い外観となった。また廃車発生品の流用で工事費の低減も図られた[13]

岡山電車区所属車から転用の2組は改造時に後述のブレーキ装置の高速化改造を受けて原番号+5000の区分[14]。網干電車区(現・網干総合車両所)所属のブレーキ装置のてこ比改良車が種車の3組は車両番号下4ケタが引き継がれた6500番台の区分とした。

クモハ115形には真空式和式トイレ設置、クモハ114形には霜取りパンタを搭載して2パンタ化改造が施工された[14]。体質改善40Nおよびワンマン運転対応化工事も施工されたが[14]、通常の体質改善40N車と異なり座席構造は従来のセミクロスシートのまま(これは共通運用の113系にも共通する)で車内スピーカーも更新されず原型のままである[13]

ワンマン運転対応化工事改造の内容を以下に示す。

1999年(平成11年)に5本10両が改造された。「R編成」と命名されたが、すでに福知山運転所に配置されていた113系5300・5800番台の2両編成(S編成)と共通で運用された。

2008年8月の223系投入で経年の若い本車は他線区へ転属となり、同年11月にR4編成(クモハ115-6538+クモハ114-6625)・R5編成(クモハ115-6539+クモハ114-6627)の2本が下関車両管理室へ転出。12月11日に旧R4編成はT-13編成となり営業運転を開始した。さらに2008年度内に4本が転属し、自動解結装置を撤去して車両番号が-5000となる改番が実施された[100][106]

  • モハ114-1106・1123・6621・6625・6627 → クモハ114-6106・6123・6621・6625・6627

クモハ114形1000番台[編集]

JRW EC 115 series G07.jpg
クモハ115形+114形1000番台旧塗装 現在は全編成黄1号に塗替済[14](上) 車内(下)
クモハ115形+114形1000番台旧塗装
現在は全編成黄1号に塗替済[14](上)
車内(下)

2001年7月のダイヤ改正より伯備線山陰本線新見 - 西出雲間でワンマン運転が開始された。これに伴い岡山電車区配置3両編成の一部を2両編成に短縮するため、上述の6000・6500番台と同様にモハ114形1000番台へ運転台設置[107]・2両編成化・ワンマン運転対応を施工した区分である。2001年に吹田工場・後藤総合車両所・下関車両センターで8両が改造された[108]

併結運転時に貫通路使用の取り止めを前提としたため正面貫通路の廃止[15]・運転台は先頭部ユニットの接合であり[108]、運転台機器は同時期に廃車されたクハ115の廃車発生品の再用[15]であるなど改造工数低減が実施されたほか[97]、窓や灯具の配置も異なり103系低運転台車体質改善40Nに近い形状になっている[87]。またワンマン運転実施のため運賃箱や運賃表示機などを設置し、その際、視認性向上のため運転室前に小窓を新設[109]。雪切室を廃止し主電動機冷却風の取入れ方法が運転室下からの吸気に変更[108]。6000・6500番台とともに前面窓に後退角は付いていない。

6000・6500番台と同等の体質改善40N・側引戸電気指令化も施工されたが[14]、高速化改造および転換クロスシート交換は未施工。このため車内は座席定員58・総定員138のセミクロスシートとしたほかトイレはクモハ115形に設置。パンタグラフは1196のみ1基搭載であるが、1編成での運転や冬期運行条件等を考慮し霜取り用と集電用の2機を搭載する[110]。塗装は当初京阪神更新色とされたが、後に全車濃黄色へ変更。

2017年現在も全車岡山電車区G編成[109]赤穂線播州赤穂 - 東岡山間・山陽本線瀬戸 - 倉敷間・伯備線・山陰本線伯耆大山 - 西出雲間で運用される[108]。車両番号はモハ114形から変更されていない[15]

  • モハ114-1098・1102・1117・1118・1173・1178・1194・1196 → クモハ114同番号[108]

クモハ115形1600番台[編集]

JRW EC 115 series D28.jpg
クモハ115形1600番台(上) 車内(下)
クモハ115形1600番台(上)
車内(下)

2004年(平成16年)に岡山電車区の運用は、輸送力見直しのため4両編成が3両編成に変更された[111]。これに伴い3両のD編成が増加したため、4両のA編成に組成されていたモハ115形に運転台を設置し対応させることになり[112]2004年後藤総合車両所で4両が改造され発生した区分である。番号は原番号(6500番台は新製時の番号[113])に600を加えたものとなった[111]

前面形状は再び貫通扉付きのものとなったが[111]、運転台位置は上述1000番台と同じくやや低めで運転台仕切窓を従来より拡大。このため同時期に登場した103系3550番台に類似した形状となった。運転台機器は下関所属で老朽化余剰廃車となったクハ115形初期車からの発生品を流用し、ブロックごとにユニット化するなどコスト低減が図られたため運転室の仕切り壁は上側が切れている。また雪切室を廃止したため、主電動機の冷却風取り入れ口は運転室の下にある。なおワンマン運転に対応させるためと自動放送装置が取り付けられた[111]。このため機器類を収める箱が設置され運転室後部の窓が埋められたが、ワンマン運転は行われていない[114]。全車30N体質改善工事が同時施工されており、座席も通常の体質改善車と同じ転換クロスシートに交換された[15]ため座席定員48・総定員124となった[113]。なおトイレは編成にクハ115形が組み込まれているため未設置である。

塗装は当初京阪神更新色とされたが、2012年までに[113]全車濃黄色へ変更された[111]

  • モハ115-6553・1059・1063・1111 → クモハ115-1653・1659・1663・1711[111]

クモハ114形1000・1500番台[編集]

223系5500番台の導入に伴い福知山地区で115系6000・6500番台が余剰となり、下関地区転用の際に高速化解除されて発生した番台区分。2008年 - 2009年に吹田工場と下関車両センターで4両が改造された。種車が先頭車改造される前にてこ比が変更された車両が1500番台、変更されなかった車両が1000番台である。また高速化解除とともに自動解結装置が撤去され、ワンマン設備も使用停止となったため出入口表示器を不使用とした。下関総合車両所に配置され岩国 - 下関間で主に運用される[115]。塗装は転属後は京阪神更新色だったが、2012年に濃黄色に塗り替えられた[116]。なお1106にはモハ114時代に装着された霜取用パンタグラフが残存する[117]

  • クモハ114-6106・6621・6625・6627 → クモハ114-1106・1621・1625・1627[115]

クハ115形2500・2600番台[編集]

クハ115-2620

2012年度に113系クハ111形2000番台へ主幹制御器などの交換を施工したグループであるが[118]、相違点として運転台に抑速ブレーキ表示灯を設置する[119]

車番はクハ111形+500としたが、クハ111形時代に電気連結器取付工事を実施後に撤去した2500・2600番台は元車番+500とした[119]

2500番台(下り向車)
  • クハ111-2016・2017・2020・2606・2613→クハ115-2516・2517・2520・2515・2539[119]
2600番台(上り向車)
  • クハ111-2116・2120・2142・2513→クハ115-2616・2620・2642・2645[119]

クハ115形750番台[編集]

クハ115-759

老朽化したクハ115形初期形車置換えを目的に113系クハ111形750番台へMC54A形主幹制御器を本系列用MC53形へ交換・ブレーキ弁のカム構造変更・ジャンパ連結器交換の編入改造を2013年に施工した区分。759の1両が下関総合車両所運用検修センターに所属[120]していたが、227系の導入により2015年3月に廃車され廃区分番台となった。

  • クハ111-759 → クハ115-759[120]

他系列への改造車[編集]

サハ111形300番台[編集]

房総各線で運用している113系6両編成の一部を4両編成とするにあたりサハ代用で組込まれていたクハ111形を捻出するために、サハ115形300番台4両を1984年1985年に編入改造を施工した[20][121]

  • サハ115-308・310 - 312 → サハ111-301 - 304

クハ111形[編集]

前項同様に房総各線で運用している113系6両編成の一部を4両編成とするにあたり、余剰となっていたクハ115形基本番台を1988年に編入改造した。種車はすべて非冷房車で基本番台・300番台ともに従来車の続番とされた。1993年までに全車廃車[122]

  • クハ115-65・80・158・176・67 → クハ111-271 - 275
  • クハ115-47・66・157・179・68 → クハ111-570 - 574(CP取付)

クハ401形[編集]

常磐線の編成組み替えなどで先頭車が不足したため、1986年にクハ115形の1両が401系のクハ401形に改造された[123][20]

  • クハ115-612 → クハ401-901 → クハ401-101

各種改造工事[編集]

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  2. 前面強化車両の改造直後(無塗色)の画像
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冷房化改造[編集]

新製車に合わせて国鉄時代に施工された改造工事はAU75形集中式冷房装置の搭載を前提としていたが、分割民営化後のJR東日本・JR東海の両社では経費削減の観点から集約分散式を搭載する改造も施工された。民営化後の冷房化改造では補助電源装置も従来のMGに代わりSIVや静止形コンバータ (SCV) が適用された[124]

国鉄時代の冷房化改造[編集]

クハ115-207
冷房改造車

非冷房で落成した基本番台は、300番台・113系0'番台が新製冷房車で落成したためサービス標準化の観点から以下に示す冷房化改造が施工された[124][123]

  • AU75形集中式冷房装置を屋根上に搭載[注 25]
  • 冷房装置搭載のため構体を補強[124]
  • モハ114形のMGを自車を含め最大4両に給電可能な冷房電源供給用MH135-DM92形・160 kVA電動発電機に換装[124]
  • 側面後位寄りには電動行先表示器の準備工事(後年に搭載)
  • クハ115形は冷房電源用三相引き通しを追加したため片渡り構造に変更[124]
  • 制御回路用ジャンパ連結器をKE58形2基からKE76形3基に変更

冷房化改造を受けた車両は奇数番号車は奇数向き、偶数番号車は偶数向きに改造され、一部車両は方向転換も実施された。また1980年度以降には1000番台以降の冷房準備車にも取付工事が開始された。3000番台の冷房準備車は1984年に全車両が冷房化され、2年で工事完了となった[123]

国鉄末期に広島地区クハ115形改造車の一部で施工された冷房化改造では、153系の廃車発生品のAU13形分散式冷房装置4基または6基が搭載された[124][125]

JR東日本の冷房化改造[編集]

AU712形集約分散式冷房装置
SC24形補助電源装置
搭載冷房改造車
(画像は伊豆急行譲渡後)

非冷房車は冷房搭載を前提としていないため、構体の補強および電源用三相交流引き通し増設の工事が伴い、多額の費用と時間を要していた[124]

そのためJR化後は非冷房車の冷房改造は以下の仕様に変更となった。

  • 冷房装置を重量分散化で補強を不要とするAU712形集約分散式冷房装置に変更[124]
  • 室内の左右に冷気用ダクトを2本設置し冷房効率化の観点から一部の扇風機を残存
  • 電源は当初はモハ114形のMG換装で対応していたが、途中から工期・費用を削減するためSC24形補助電源装置 (SIV) を屋根上搭載とした[124]
  • 対象車は豊田電車区・小山電車区・上沼垂運転区(現・新潟車両センター)所属の基本番台・800番台である。

冷房準備車ではAU75C形の後継機種となるAU75F形を搭載[126]するのが基本であるが、上沼垂所属のクハ115-1502・1503・2035・2037・2039・2040・2129は編成を組成する電動車ユニットが非冷房車であったため以下に示す方法で改造された。

  • AU712形集約分散式を搭載するためAU75形用塞ぎ板を一旦外した後に天井を再改造する複雑な工程。
  • ランボードを残存させているが、1981年以降の製造車は201系で採用された物と同タイプを装備する[126]

改造車のその後の経過を以下に示す。

豊田所属車
  • 2000年12月の松本電車区転属後に小山区からの転入車に置換され、一部は伊豆急行200系となったが、すでに全廃。
小山所属車
上沼垂所属車
  • 2015年12月までに全廃。

JR東海の冷房化改造[編集]

クハ115-2031
C-AU711A形冷房改造車

1988年頃からインバータ方式のC-AU711形集約分散式を番台に関係なく非冷房車両(冷房準備車も含む)に搭載する改造工事[注 26]を施工[127]。2分散冷房装置を正式に採用したのはJR東海のみである[126]

  • JR東日本と同様に一部の扇風機を残し冷気用細長いダクトを天井の左右に設置
  • ただしJR東日本とは異なり運転室後部の大型通風器の一般型への交換などは未施工。
  • 冷房準備車のAU75形用塞ぎ板は残存

1990年から改造が開始された基本番台の場合MGの交換が必要となるが冷房装置がインバータ式であること、国鉄時代と異なり通常は固定編成で使用されることなどからモハ114形のMGを残存させ、新たに冷房電源用として偶数向きクハ115形に静止形コンバータ (SCV) を搭載した[128]。車番は電動車が5000番台、制御車は6000番台に改番された[87]

JR西日本の冷房化改造[編集]

クハ115-604・605・609・651・653には、大手私鉄で採用されているものに酷似したWAU101形・WAU102形集約分散式を3基搭載した[127]。冷房搭載後も扇風機を装備し、集中式とは天井意匠が異なるほか、クモハ115・114形550番台は105系冷房改造車と同じバス用冷房を応用したWAU202形を搭載した[127][129]。これらの車両は2013年現在いずれも現存しない。

特別保全工事[編集]

車齢が15年以上経過した車両は老朽化や設備の陳腐化が深刻になったが、当時の国鉄は財政状況が厳しく、それらの車両を新車に置き換えることは難しかったため、延命のために特別保全工事が行われた。改造内容は主に屋根や腰板、窓まわりの外板の補修および空気配管配線の取り替えであった。この工事は全般検査2回分(約16年)分の寿命を延ばすことが目的だった[130]

高速化改造[編集]

JR西日本では113系が不足したために本系列の一部をJR京都神戸線などに転用することになり[104]、対象車に以下の改造を施工した上で網干総合車両所などに配置した。

さらに次の追加改造が施工された。

  • 6500番台を除く電動車ユニットはブレーキ装置のてこ比英語版を2.56から4.19に改良し車番をさらに+500[104]

その後は各路線から本系列の撤退により余剰となり、現在は福知山電車区に残る2両を除いて岡山下関地区などに転出し一般車と編成を組成する。

  • 両地区では最高速度が100 km/hであるため一部車両は車番を原番号に復帰[104]

体質改善工事[編集]

一体化された雨樋や更新された窓が特徴の体質改善40N改造
一体化された雨樋や更新された窓が特徴の体質改善40N改造
「40N」車(左)と「30N」車(右) 岡山A-10編成 外装の処理が異なる 40N車のグリルは1000番台雪切室の空気取込部 30N車の白い小窓はトイレ部分
「40N」車(左)と「30N」車(右)
岡山A-10編成
外装の処理が異なる
40N車のグリルは1000番台雪切室の空気取込部
30N車の白い小窓はトイレ部分
JR西日本新書体による車両番号
JR西日本新書体による車両番号
1000番台岡山車の車端部座席
1000番台岡山車の車端部座席
広島地区塗装の40N体質改善車(2007年)
広島地区塗装の30N体質改善工事施工車(2007年)

特別保全工事を発展させた車両更新工事[130]。国鉄時代から施工されていた延命工事の内容に加え、新型車両に合わせた接客設備の改善や新型車両との部品共通化によるコスト低減、検修の効率化を目的として[132][133]1998年から施工が開始された[13]

2009年までに2000・3000・3500番台の全車および1000番台の大半[注 27]に施工が終了した。

体質改善40N(想定寿命40年)[130][注 28]
車体
  • 外板は腐食対策から張り替えおよび一部ステンレス化を行い、側雨樋(一部ステンレス化)と外板を一体化[133]
  • 屋根布の全面ローン化(塗屋根化)[132]および通風器の撤去[13]
  • 側窓は下部固定上部上昇式ユニット窓とし、車端窓は固定式1枚窓に変更[132]
  • 側引き戸の窓は押え面方式、運転台および戸袋窓などのガラス支持方式も変更することでHゴム不使用化[132]
主要機器
  • 戸閉機械は小型化を図った直動式に変更[133]
  • 電気指令式半自動装置を搭載し、半自動時の扉扱いが容易となる構造に変更[133]
  • 床下からの立ち上がり配管のステンレス化、老朽化した配線の引き直し[133]
乗務員室
  • 前面窓を1枚のパノラミックウィンドウに変更し[13]、視認性を向上[133]
  • 運転台ワイパーを空気式から電気式に変更[133]
  • 放送装置の取り換えによる車内放送の容易化[133]
客室
  • 座席を223系に準じた転換クロスシート(シートピッチ910 mm[134])に変更[133]暖房器は腰掛け搭載とした[132]
  • 客室化粧板を223系に準じたデザイン・材質への更新[13][104]
  • パネル工法による室内天井の平面化[13]、蛍光灯カバーの取り付けと直動式戸閉機械採用による鴨居の小型化[133]
  • 荷棚をパイプで構成されるものから前飾り付きに変更し、吊り革を車両全長にわたって増設[133]
  • 側引き戸の半自動用取っ手の撤去によりドア開閉幅を113系と同じ1300 mmに拡大[13]
  • 半自動での扉扱い時に使用する開閉用押しボタンを設置[133]
  • 妻引き戸にドアチェックを設け、開いた際には自動的に復位する構造[133]
  • トイレ対面の座席を撤去し、車いすスペースを設置[133]
  • 床面の主電動機点検蓋を廃止して騒音低減、床面隅にRを設けて清掃の容易化を図った[133]

1000番台は同時期に施工された2000番台・113系7000番台40N施工車とは次の相違点がある。

  • 車端部戸袋窓を存置せず完全に埋込み[135]
  • 車端部座席は本来転換可能であるが配電盤スペースの関係で転換した状態で着座不可となることから転換機能をロック

以下の車両へ施工した。また岡山電車区所属のモハ115-1086・1105は行先表示器埋込を同時施工[135]

  • クモハ115-1501・1506・1513
  • モハ115-1086・1105・2001・2003 - 2007・2009・2011・2019・2026 - 2029
  • モハ114-1094・1104・1150・1153・1177・2001・2003 - 2007・2009・2011・2019・2026 - 2029
  • クハ115-1066・1071・1111・1146・1205・1217・2001 - 2008・2015・2018 - 2021・2101 - 2105・2110・2113・2116 - 2121
体質改善30N(想定寿命30年)

2002年以降の施工メニュー。40Nでは行われていた窓・屋根部の改造を省略し、コストダウンを図った。想定寿命は30年[130]。下関総合車両所運用研修センター所属クハ115-1151への施工を最後に2009年11月に終了した。

3000番台・3500番台などにも改造対象車が拡大されたが、当初から転換クロスシートのため座席配置に大きな変更はないが、モケットや化粧板の交換は実施された。

  • 室内天井は平面化されておらず車内スピーカーは原型のまま
  • 40Nではドアとドアエンジンが更新されたが30Nは未更新で開閉幅も不変
閑散地区用車体質改善工事

30N工事とは逆に外装の更新のみを施工した内容。

この工事では異端車が存在する。

  • クハ115-219・622
    • 岡山電車区時代に体質改善車に合わせた外観とした簡易リニューアル車で、通風器撤去と張上屋根化が施工された。同時に化粧板ならびに座席番号や車内案内標記を体質改善車と同品に交換されたが網棚とセミクロスシートは未交換。クハ115-622は後藤総合車両所で施工。
  • クハ115-218・165
    • 先行試作車的要素を持つ最初期施工車
      • ロングシート撤去
      • 583系並の大型クロスシートをシートピッチ拡大して設置
      • 内装化粧板を117系風の焦茶色に張替

塗装は以下の仕様とした。

岡山所属車
広島・下関所属車
  • オイスターホワイトを基本に岡山同様の帯+車両裾部茶色(窓周りと同色)

車両更新工事(JR東日本)[編集]

国鉄時代の特別保全工事を発展させ、20年程度の延命を目的とした車両更新工事[130]。外板や配管の交換、座席モケットや化粧板の交換、屋根の塗り屋根化、前照灯のシールドビーム化方向幕準備工事車への方向幕設置などが行われた[130]

弥彦線向けワンマン改造工事(JR東日本)[編集]

115系の2両編成で運転される弥彦線は、1988年10月からワンマン運転が実施されることになった[136]。これに伴い一部編成に放送装置運賃箱の設置[137]EB取り付けなどの改造が施工された。

ロングシート改造[編集]

分割民営化直前の1987年3月に長野地区の1000番台1編成3両へ試験的にセミクロスシートをロングシートにする改造を施工した[122]

その後東京都市圏の輸送力増強のため1989年度から1990年度に小山電車区の300番台7両編成のうち、14編成98両にロングシート改造を施工した。

前面強化工事[編集]

1992年9月14日に発生した成田線大菅踏切事故を受けて、JR東日本は113系電車と同様に1972年度以前に製造された車両にアンチクライマー付きのステンレス板を取り付ける前面強化工事を施工した[138]。当初板は無塗色のステンレスカラーだったが、やがて通常の塗色に戻された[122]。初期車は前照灯のシールドビーム化改造(後述)も合わせて行われた[87]

トイレ追設工事[編集]

新潟・長野地区では先頭車化改造車増備によりクモハ115形・114形による2両編成で運行されていたが、2両編成にはトイレがないため1992年から新潟地区の車両に、1999年から長野地区の車両に大型トイレを設置する改造工事が施工された[139]

リニューアル改造(JR東日本)[編集]

リニューアル車 車内
リニューアル車 車内
車椅子スペース
車椅子スペース

アコモデーションの改善や故障防止、信頼性の向上などを目的としてJR東日本車所属の300番台・1000番台一部車両を対象に1998年から施工された[139][130]

  • 外板の取替・塗屋根化ならびに雨どいのFRP[139][140]
  • 座席の取替[139]
  • 台車の密封コロ軸受化[139]、防振ゴムを交換[130]
  • 化粧板と床の更新(ローンテックス化)[139]
  • 補助電源装置をMG→SIVに交換・CPをスクロール式・除湿装置付きに取替(一部車両)[139]
  • クハ115形トイレ脇のロングシート撤去と車椅子スペースの設置(一部車両)
  • 自動空気ブレーキをA制御弁からM制御弁に取替[139]
  • 空気配管や配線などを交換[130]
  • 側引戸と配管の修繕[141]
  • 床貫通配管ステンレス[141]
  • 前面の窓ガラスを交換[141]
  • 電動ワイパー[141]
  • 主電動機絶縁を更新[141]
  • 客室内の窓ガラス・カーテン・荷棚を更新[141]
  • ドア横のロングシートの端に防寒仕切を新設[141]
  • 三角形抗菌タイプつり手に交換ならびにドア付近へ増設[141]
  • トイレの引戸・床敷物・ペーパーホルダーを更新[141]

訓練車化改造[編集]

訓練車編成
訓練車編成
モヤ115-6
モヤ115-6

1990年にJR東日本では、乗務員を対象に定期的に行う異常時の取扱いや応急処置等の教育訓練のため保留車を活用して訓練用編成の整備を行った[122]。2016年までに全車廃車。

クモヤ115・114ユニットは上沼垂運転所(現・新潟車両センター)で2000年に改造された。種車時代に冷房改造を施工したため屋根上にSC24形静止型インバータを搭載する[142]。2016年6月17日付で廃車された[143]

当初の訓練車は改造時期の関係で全車非冷房だったためモヤ115-2 - 4は冷房車に置換えられた。その後小山車両センター所属のモヤ115-5と長野総合車両センター所属のモヤ114-1が廃車。残存した豊田車両センター所属のモヤ115-6は2014年に長野総合車両センターへ回送され廃車となった[142]

  • 車内は乗客用座席の撤去とロッカー・テーブルの設置
  • ミーティングルームや訓練用資材の設置[122]
  • 改造施工車両は『ハ』→『ヤ』の職用車に形式変更[144]
    • 一部車両は形式変更されなかった[142]
  • 塗装は車両下部に2本の白線を引きその間に「訓練車」の表示[142]
  • クモハ115・114-506 → クモヤ115・114-1[142]
  • モハ114-801・802 → モヤ114-1・2
  • モハ115-59・70・47・79・98・103 → モヤ115-1 - 6

前照灯シールドビーム化改造[編集]

本系列0番台先頭車の前照灯白熱灯2基を前面窓下に設置していたが、1973年の300番台以降は小型で耐久性に優れたシールドビームが採用された。そのため0番台車でもシールドビームへの交換が下記2種類の手法で施工された。

  • ライトの口径が異なることから通常は前面強化工事と同時施工でライトケースごと撤去し、外見上の違和感がなくなるように300番台以降の車両と同じ形状に整形。
  • 改造費節減の観点から、白熱灯用ライトケースに口径差を解消するリング状の枠を取付けシールドビームを設置する方式を開発。
    • 枠の色は一般的に周囲と同色にされるが豊田車両センター所属訓練車編成クハ115-108に見られる灰色という例外もある[145]
    • 2006年以降に下関車両センターが施工した改造では、さらになる経費削減の観点からクハ105形100番台廃車発生品のシールドビームを流用し、枠で電灯部分をくり抜いた鉄板でライトケースを塞ぐ工法となった[146]

2008年、最後の大型前照灯装備車クハ115-199がシールドビームに改造されたため、0番台の原型前照灯装備車は姿を消した[147]。残存車はクハ111形改造の605のみとなったが、同車も2008年5月に改造され本系列から白熱灯車が消滅した[89][146]

半自動ドアスイッチ設置改造(JR西日本)[編集]

岡山電車区所属の300番台(D編成)は乗降ドアの半自動設備がなく、車内保温において問題があった。このため2017年4月に出場したD-26編成より、押しボタン式の半自動ドアスイッチの設置工事が進められている[148]。ドアスイッチの取り付け位置の関係から戸袋窓が小型化され、外観の印象が変わっている。

事故廃車[編集]

老朽化・余剰化を除いた事故による廃車は本系列では以下の6両が該当する。

モハ115-34・クハ115-113
1987年2月12日午前10時55分ごろ、両毛線思川 - 栃木間の第2高屋踏切で、立ち往生していた大型トレーラと高崎発小山行普通列車に投入されていた当該車両が衝突。先頭のクハ115-113が脱線転覆し大破。後続のモハ115・114-34も脱線した。同年3月13日付で廃車となった。
  • モハ114-34はモハ114-41を廃車とし部品供出を受けた上でモハ115-41とユニットを組成して復旧。
クハ115-35
1994年に赤穂線普通列車で運用中に遮断機のない踏切で大型ダンプカーと衝突し大破。非冷房で廃車対象であったことから修復せず同年7月4日付で廃車。
クハ115-375
2002年10月1日、台風21号による強風のため飛来してきた木片が前面に衝突し損傷。所属の小山車両センターではE231系へ置換え進行中であったことから修復せず同年11月2日付で廃車。
クハ115-408・モハ114-359
2015年2月13日、山陽本線西阿知 - 新倉敷間の八人山踏切で侵入した大型トラックと当該車両が衝突。先頭と2両目の上述2両が大破し、2016年3月1日付で廃車となった[149]
  • モハ114-359ユニット相手方のクモハ115-323は、2015年9月9日付で廃車[150]となったA13編成のモハ114-316とユニットを組成[151]して復旧。

各社の概況[編集]

国鉄時代とJR化後に分割して解説する。

国鉄時代[編集]

115系は1963年に東北・高崎線に初配置され、その後も中央東線や長野・新潟・岡山など各地に投入が進められた。本来の運用とは別に1970年代の一時期に東北本線・高崎線・中央東線・房総西線(現・内房線)の急行列車(いわゆる遜色急行[39]にも投入されたほか、通常はEF63形による推進・牽引となる信越本線横川 - 軽井沢間(碓氷峠)での自力走行試験も実施された(詳細は後述)[46]

1976年から旧形国電置換えを目的に関東地区に新製配置された300番台で基本番台が捻出され、新潟地区や岡山・広島地区に配置された[152][153]32系42系40系51系80系などの旧形車置き換え・短編成化・列車増発・電化開業により新造車も配置された。

置き換え対象の旧性能電車は主にMT比2M2Tの4両編成であったが、115系では電動車ユニットの故障対策などから2ユニットを組み込んだ4M2Tの6両編成での投入となった[152]。1982年の広島地区を筆頭に地方都市圏の短編成高頻度運転を行う「シティ電車」化が推進され、115系も電動車1ユニットでの運転が拡大した[152]

1985年には211系が登場し、115系は1986年より廃車が開始された。1987年の国鉄分割民営化では、115系は東日本旅客鉄道(JR東日本)、東海旅客鉄道(JR東海)、西日本旅客鉄道(JR西日本)のJR各社に継承された。

JR東日本[編集]

分割民営化後も引続き運用されたが、E231系電車への置き換えにより2000年から廃車が開始され、高崎線では2001年11月30日に、東北本線上野口では2004年10月のダイヤ改正で本系列の運用は終了した[19]。2007年を最後に一旦廃車はストップしていたが、211系電車への置き換えにより、2014年から再び廃車が再開され、中央本線や長野地区では2015年10月に運用を終了し、北関東地区でも2018年3月に運用を終了した。引き続き運用されている新潟地区も、E129系の増備により置き換えが進んでいるが、状態の良い1000番台で初期車を置き換えるなどの転配が行われた。

伊豆急行200系電車第3編成以降としなの鉄道115系は、共にJR東日本が保有していた本系列を譲受・改装したものである。

JR東海[編集]

3両編成×33本の99両が継承され当初は静岡車両区・神領電車区・豊橋機関区に配置されたが、1988年に静岡に配置が集約され、東海道本線・御殿場線・身延線・飯田線などで運用された。2000年代に突入しても大きな変化はなかったが、以下の要領で運用が縮小された。

これにより1979年(昭和54年)以来続いてきた同社管内での本系列による営業運転が終了した[63]。2008年4月に残存していた静岡車両区B1・7・8・11編成の4本12両が廃車され、同社からは本系列が全廃となった[90]

なお、中央本線塩尻 - 中津川と飯田線飯田以北ではJR東日本長野総合車両センター所属車による運用も存在した[154]

JR西日本[編集]

EB・TE整備車の運転台
EB・TE整備車の運転台

国鉄民営化時に岡山運転所に258両、広島運転所に190両、下関運転所に142両の計590両を継承し[20]、2020年(令和2年)10月1日現在でも福知山電車区岡山電車区下関総合車両所運用検修センターに243両が配置されている[155]。民営化以来、山陽地区での運用が主体だが、一時的にアーバンネットワークでも運用されていた時期があった。

同社の車両の特徴として大半の車両が40Nもしくは30Nの体質改善工事を施工されており、EBリセットスイッチなどの機器類更新はもちろんのこと、内装も223系並みに換装されている。

1990年代からのアーバンネットワークの新型車両の集中投入で大幅に廃車が進められた113系とは異なり、山陽地区での運用が主体の115系は長らく余剰車・状態不良車の廃車のみに留まり、2010年代に入っても450両近くの車両が在籍していた。また、113系・117系から本系列に編入された車両や113系との混結編成も存在した。しかし、2015年に広島シティネットワーク227系が導入されてからは、本系列の廃車が急速になってきており、未更新車を中心とした廃車が行われた他、体質改善工事施工車からも大幅な廃車整理が進められた。この影響で、広島からは配置が消滅したほか、下関車は配置車両が大幅に減少した。

運用では、2019年3月16日ダイヤ改正までは、岡山・下関の両車両基地山陽本線での長距離運用や広島地区のラッシュ時運用で相互乗り入れ・併結などの旅客需要に応じた柔軟な対応が行われていた。

線区別の運用の変遷[編集]

東北本線・高崎線・北関東地区[編集]

国鉄時代の東北本線115系(白岡 - 久喜間、1978年)
JR化後の東北本線115系(宇都宮駅、1987年12月)
小山車両センターY427編成(2007年)

東北本線上野口は本系列が最初に投入された線区であり、80系電車電気機関車牽引による客車で運転されていた東北本線宇都宮線)・高崎線普通列車の置換え・新性能化が目的である[注 29][27]

東北本線には1963年(昭和38年)1月から、高崎線には1964年(昭和39年)から投入された。当初の配置車両区は宇都宮運転所新前橋電車区とされたが、1966年(昭和41年)7月から宇都宮配置車が新設された小山電車区へ順次移籍。新前橋電車区投入時から両毛線日光線の運用も担当した[153]

当初は4両編成を基本に最大12両編成を組成して運用され、投入開始から2年後の1965年(昭和40年)10月には東北・高崎線の普通列車新性能化は、客車による列車を除き完了。1968年(昭和43年)10月のダイヤ改正では上野 - 長岡間客車列車の置換えで直通夜行列車にも充当された。1969年(昭和44年)からはサハ115形組み込みの7両編成が基本編成、4両が付属編成となり、最大15両による運用を開始した[153]

1973年(昭和48年)から冷房付きモデルチェンジ車である300番台の投入が開始された。製造開始と同時期に上尾事件が発生したため、通勤輸送の改善を目的に1977年(昭和52年)まで、113系1000'番台とともに、当初の予定数よりも大量に製造された。

  • 上野口への緊急対応用として運用投入できる1編成を常時滞留させる対策[3]などを実施したほか、1975年(昭和50年)10月には急行形車両によるラッシュ時間合い運用を終了。通勤時間帯列車の115系15両化が完了した[3]
  • また一方で運用の都合から定期急行列車「あかぎ」「ゆけむり」「なすの」「日光[156]にも投入された。

300番台の大量増備には地方に残る旧形国電置換えの名目もあり、1976年(昭和51年)から小山・新前橋両電車区の基本番台車は、長岡運転所岡山運転区広島運転所に転出する車両[157]と、冷房化改造を受けて引き続き運用される車両に分かれた。

1978年(昭和53年)10月のダイヤ改正では高崎地区に残存していた旧形国電置換えと東北本線・高崎線規格ダイヤ化による増発のため1000番台も投入開始。1982年(昭和57年)には新幹線リレー号にも運用された[158]。その後も増発が繰り返され、1984年(昭和59年)2月のダイヤ改正ではすでに新造車の製造が打ち切られたため、岡山・広島に一旦転出していた基本番台と1000番台が、長岡からはサハ115形1000番台が、1985年(昭和60年)3月のダイヤ改正では三鷹・松本・長岡・沼津から運用の見直しによる捻出車が転入。小山・新前橋区合計で859両[注 30]と、本系列のほぼ半分が投入された。

しかし、この頃が上野口における本系列のピークで、同年12月からは211系電車の投入が開始され、分割民営化直前の1986年(昭和61年)11月のダイヤ改正では、広島地区の111系置換えのため基本番台・300番台約60両が広島・下関へ転出となり、状態の悪かった初期車の廃車も実施されたが、それでも分割民営化時には約700両がJR東日本に引き続がれ、運用された。

小山電車区所属車は、新前橋電車区所属車とともに最大15両編成で東北本線・高崎線の上野口普通列車の主力として運用されていたほか、タウン・アーバンスイフト・ラビットなどの快速列車でも運用された[160]。当時は基本編成7両・付属編成4両の11両[161]のほか、4両編成2本を繋いだ8両を中心に運用された[162]

1998年の長野オリンピックの際に当時の新前橋電車区から4両編成1本を長野総合車両所に貸し出し、小諸 - 直江津間で限定運用を行った事例がある。この貸し出しでは小諸で夜間滞留が採られたほか、側面方向幕は対応する駅名コマがないため白表示としサボによる表示となった。

E231系の増備により、2002年7月24日のダイヤ改正で湘南新宿ライン[163]、2003年に高崎線での運用が終了[164]。最後まで残存した東北本線の定期運用も2004年10月ダイヤ改正で終了し[注 31][注 32]、2005年1月15日にさよなら運転を実施した[164]

その後、4両のY427編成のみが大宮支社管内の予備・訓練車兼用として使用するため残存した。訓練車として宇都宮運転所・黒磯駅川越車両センター大宮総合車両センター東京支社への貸出も行われたほか、営業運転では日光線青梅線などホーム有効長が短い路線での臨時列車にも投入された。しかし最後まで残っていた大宮 - 奥多摩間の快速「むさしの奥多摩」運用が201系四季彩」に置換えられ、2007年3月にE231系付属編成(U-118編成)の増備により訓練には当日予備の車両を使用する体制となったため2007年12月1日付で廃車となり、小山車両センターの本系列配置は終了した。

2005年の組織変更による統合で、新前橋電車区は高崎車両センターに名称変更された。高崎車両センター所属車は全車両が湘南色塗装であった。保安装置はATS-P・SNを搭載。デジタル無線装置を装備し、機器は運転席後方の荷物棚に設置される[165]ほか、リニューアル車は車内の腰掛・化粧板・つり革の交換、補助電源装置は電動発電機(MG)から静止形インバータ(SIV)に更新、電動空気圧縮機はレシプロタイプから除湿機能付きスクリュータイプに変更、屋根上の集中式冷房装置はAU720B形に更新された。客用扉は、2017年時点では通年で半自動扱いとなっていた。

高崎車両センター所属車は小山車とともに東北本線・高崎線上野口の普通列車の主力として最大15両編成で運用されていたが、上野口での運用が終了し、2017年では上越線高崎 - 水上間・信越本線高崎 - 横川間・吾妻線[166]両毛線で、吾妻線は3両、他は主に3両編成を2編成連結した6両編成で運用されたが、2018年3月に定期運行を終了した[167]。また2017年8月から正面行先方向幕の使用を停止しており、幕部分は車体と同じ緑色で埋められた。

高崎車両センター所属の115系は、同センター所属211系の代走で黒磯までの入線や乗務員訓練などで小山車両センターへ貸出された経歴がある[168]。かつては小山所属107系の代走運用にも充当された[169]

2018年3月17日ダイヤ改正により前日の同月16日ですべての定期運用を終了[170]。その後同月21日にT1022・T1032編成を連結した6両編成が専用ヘッドマークを掲出した団体専用列車に充当され、信越本線高崎 - 横川間・上越線高崎 - 水上間で各1往復の運転が行われた[171]。定期運用から撤退後の2018年4月1日時点では、識別記号『T』と編成に組み込まれるモハ114形車両番号を組み合わせる編成番号を付与された[172]1000番台3両編成10本30両が配置されていた[173]

2020年10月1日現在、高崎車両センターには1000番台リニューアル未施工車3両編成であった旧T1040編成のうちクモハ115-1030の1両が配置されている[174]

T1040編成 (3両リニューアル未施工編成)
T1040編成
(3両リニューアル未施工編成)
T1043編成 (3両リニューアル施工編成)
T1043編成
(3両リニューアル施工編成)
T1142編成 (4両編成)
T1142編成
(4両編成)
3両編成リニューアル未施工車
旧T1040編成のうちクモハ115-1030のみが在籍する。
  • 2017年6月2日付でT1030・T1044編成の2本6両が廃車された[175]
  • 2020年3月1日付でT1040編成のクモハ115-1030を除くモハ114-1040・クハ115-1030の2両が廃車された[176]
  • 旧T1040編成のクハ115-1030を除くモハ114-1040・クモハ115-1030は、すべての窓ガラス支持が新製当時の白Hゴムであったが、2011年頃に一部が黒Hゴムに交換された。
  • 旧T1030編成は元長野所属車で1997年の北陸新幹線先行開業の前日に廃止となる信越本線横川 - 軽井沢を通過した最終上り普通列車に充当され高崎到着後に返却されずにそのまま転入した編成であり、同センター唯一のモハ115形1000番台改造のクモハ115-1566が組み込まれていた[165]
  • 旧T1044編成は4両編成であったが、2016年12月21日にサハ115-1007が廃車され[177]、3両編成となった。
3両編成リニューアル施工車
2018年4月1日時点ではT1022・T1032・T1036 - T1039・T1041・T1043・T1046編成の9本が在籍していた[178]
  • ドア横アクリル製袖仕切りの有無・暖房稼動時の高温対策用座席下金属部カバーの有無など編成ごとに細かい施工内容が異なる。
  • 2018年4月にT1038・T1039の2本が、同年7月にT1022・T1032・T1036・T1037・T1041・T1043・T1046の7本が廃車され、全廃となった[179]
4両編成
2016年4月1日時点では先頭車がクハ115形同士で組成されるT1090・T1091・T1133・T1142 - T1147編成とクモハ115形とクハ115形で組成されるT1044・T1159編成の11編成が在籍していた[180]
  • T1090編成は訓練車兼用。ただし他の編成が投入される場合もあった。
  • T1133編成は小山宇都宮などの駅名が緑色で表示される宇都宮線用の方向幕を搭載しており、壁面化粧板の色なども若干異なっていた。
  • T1044・T1159編成はサハ115形を切り離し3両編成で運用されることもあった。
  • T1159編成のサハ115形を除いた3両は三鷹電車区に横須賀色で新製配置された唯一の1000番台車であった[注 33]
  • 2010年7月にT1090・T1133編成には群馬デスティネーションキャンペーンのPRラッピング[注 34]ヘッドマーク[181]が施されたが[182][183]、翌2011年9月末のキャンペーン終了に伴い同10月上旬までに剥離された。
2016年9月にT1143 - T1145・T1147編成が廃車され[84]、同年10月にT1090・T1091編成が廃車、同年11月にT1133・T1142編成が廃車された[184]
2016年12月13日以降は4両編成運用の211系への置換えを実施。同月19日にT1146・T1159編成およびT1044編成に組込まれていたサハ115-1007が長野総合車両センターに廃車回送され、同月21日付で廃車[177][184]。サハ115形は廃形式となり[185]、当センターから4両編成は全廃。

中央東線[編集]

M7編成ほか6両(相模湖 - 高尾間、2008年)
クモニ83を連結した中央東線運用(1982年)
115系の上諏訪行き夜行普通列車(小淵沢駅、1989年)
訓練車のW2編成(2013年)
M40編成の快速「むさしの」(2004年)
M40編成の快速「ホリデー快速鎌倉」(2007年)

中央東線に115系が初投入されたのは1965年5月の松本電化から約1年半後、特急「あずさ」の運転が開始された1966年12月12日のダイヤ改正からである[186]。客車列車[187]の一部電車化のため三鷹電車区に0番台66両が新製配置されたのが始まりで、編成はクモハ115形を含む3両編成2組でサハ115形2両を挟んだ変則8両編成、モハ114形は低屋根車の800番台であった[188][186]。塗装は70系電車「山スカ」と同じく横須賀色が採用された[187][76]

客車列車から置き換えられた115系では郵便・荷物電車の併結も行われており、72系から改造されたクモユニ82形800番台クモニ83形800番台が115系と同じ三鷹電車区に配置された[189]。115系の新宿発着列車では上り新宿方(クモハ115形側)にクモユニ82形・クモニ83形が連結される事が多く、高尾発着列車では連結されなかった[189]

1970年10月のダイヤ改正では、下り定期急行「かいじ6号」と朝の甲府発立川行き快速に115系がグリーン車連結で運用されることになった[190][189]。新前橋電車区所属の165系サロ165形サロ165-14・15が三鷹電車区に貸し出され、14は横須賀色に塗色変更、15は湘南色のままで運用された[153]。サロ165形2両はジャンパ連結器を115系に合わせたものに変更する改造が行われたが、改造に伴う改番はない[39]。グリーン車の連結は開始2年後の1972年10月のダイヤ改正で廃止となっている[189]

1971年7月からは土休日運転の不定期急行「かいじ」・「かわぐち」にも115系が投入され、富士急行線河口湖まで乗り入れする運用にも対応した[191][192]。「かいじ」「かわぐち」の運転日は車両が不足するため、小山電車区の湘南色115系低屋根車編成が三鷹電車区115系の代走運用に入ることもあった[190]。中央東線115系の急行運用はいわゆる「遜色急行」の代表例の1つとなっている[190]

1975年3月10日のダイヤ改正では冷房車の300番台29両を新製投入し、一部残存していた客車普通列車を置換えた[153]。これに伴って三鷹電車区の115系が定期列車で篠ノ井線経由で長野まで乗り入れるようになった[193]。夜行普通客車列車の新宿発長野行き425列車と長野発新宿行き426列車も115系に置き換えられ、列車番号は下り長野行きが441M、上り新宿行きが442Mとなった[194]。登山客の利用が多く「山男列車[195]」とも呼ばれた425列車の電車化を惜しむ声もあり、425列車を愛用していた登山客らにより「425列車を愛する会」が結成された[9]

115系300番台は1975年12月から1976年3月にかけても71両が増備され、主に高尾 - 甲府間で運転されていた70系「山スカ」と72系「山ゲタ」を置き換えての新性能化が実施された[189]。70系・72系は4両編成が基本であったため、115系は300番台を変則8両編成で投入して0番台を捻出し、捻出された0番台が3両編成にサハ115形1両を組み込んだ4両編成に変更されている[193][189]。捻出された70系電車は呉線に転用された[157]

115系300番台投入後は中央東線普通電車の大半が115系となったが、塩山 - 甲府 - 韮崎間の山梨県内区間列車では身延線旧性能電車が間合い運用されていた[196]。1981年の身延線新性能化を前にこの区間列車を1980年3月に沼津機関区から三鷹電車区に移管して新性能化することになり、115系1000番台の冷房車4両編成1本が三鷹電車区に投入された[196]。この編成は0番台4両編成と共通の運用に投入され、中央東線最後の115系新製車かつ横須賀色で新製された唯一の1000番台となった[196]

0番台は長らく非冷房車のままであったが、1982年にはクモハ115-11ほか4両編成1本が冷房化改造を受け、翌1983年にもクモハ115-13ほか4両編成1本が冷房化された[197]。三鷹電車区の0番台で国鉄時代にAU75形で冷房化改造されたのはこの4両編成2本に留まり、以後の冷房化は国鉄分割民営化後にAU712形を搭載する方式で進められた[197]

1984年2月1日のダイヤ改正で各地の短編成化が推進されるのに伴い、1983年度に三鷹電車区の115系4両編成6本の3両編成化で外されたサハ115形基本番台6両が先頭車化改造を受け、沼津機関区・新前橋電車区広島運転所へ転属した[198]

1985年3月14日のダイヤ改正では残るサハ全車が編成から外され、各番台とも3両または6両編成が主体となった[197]。外されたサハ33両は三鷹電車区への配置がなくなり、22両は東北・高崎線へ転用、7両は先頭車化改造、4両は113系サハ111形への改造が行われた[198]。同改正では新宿 - 長野間夜行普通列車441M・442Mのうち上り長野発の442Mが廃止となり、新宿発の441Mも長野行きから上諏訪行きに短縮された[199]

1986年には小山電車区・新前橋電車区よりモハ115・114形の中間電動車ユニット6組とサハ115形6両が転入し、6両貫通編成6本が組成された[200]。中間電動車ユニットは300番台5組に加えて1000番台が1組あったほか、サハは6両全車が1985年に三鷹電車区から転出した車両の再転入であった[198]。捻出された300番台3両編成6本は岡山電車区へ転出している[197]1986年11月1日のダイヤ改正では、三鷹電車区の115系全車が豊田電車区へ移管された[187][196]

JR化後の1988年からは非冷房0番台のAU712形による冷房化改造が開始され、車両更新工事も順次施工された[196]。1990年3月には1000番台で唯一となった横須賀色新製車編成の3両も新前橋電車区へ転出した[196]

1992年には小山電車区より両端がクハ115形の4両編成が転入したが、短期間の営業運転を経て訓練車に転用された[201]。1993年からは踏切事故対策でステンレス板による前面強化工事が行われ、豊田電車区の115系初期車は営業車全車がシールドビーム前照灯となり、訓練車編成のみが原型大型前照灯枠を残すシールドビーム改造車として残存した[201]

上諏訪行き夜行普通列車はJR化後の1988年12月改正時点で列車番号が441Mから421Mへ変更されていたが、421Mは1992年3月14日より運転区間が甲府までに短縮され、同じ車両が列車番号を変えて早朝の甲府発松本行きとして運転される形となった[202]。甲府行き夜行普通列車は1993年12月1日のダイヤ改正で廃止となり、大月まで短縮の上201系に置換えられた[187]

夜行普通列車廃止に伴って115系の新宿への定期列車乗り入れも終了し、首都圏への乗り入れは立川までとなった。立川までの運用は一部のみで大半は高尾発着となっている[203]

1993年から1995年にかけて、豊田電車区115系6両貫通編成の下り方モハ114形に霜取り用のパンタグラフが増設された[204]。1998年からは雪害対策として豊田電車区のモハ114形全車の集電用パンタグラフがシングルアーム式のPS35A・B形へ交換された[205][206]。1998年度から300番台のリニューアル工事も開始されたが、1999年度の施工編成は工事内容を一部省略した簡易リニューアル車となっている[207]

中央東線の横須賀色115系には首都圏と松本方面を結ぶ中央本線篠ノ井線経由で長野までの広域運用が存在したが、2000年12月のダイヤ改正長野支社管内に入る運用が同支社に移管された[187]。豊田電車区の115系は6両貫通編成8本と0番台3両編成12本が松本運転所へ転出し、残存車が八王子支社管内となる山梨県の小淵沢以東や富士急行乗り入れのみを受け持つことになった[204]。これにより豊田電車区の115系は300番台3両編成12本(訓練車の0番台除く)のみが残存した[198]

2002年には松本運転所に転属していた6両貫通編成1本が再転入し、M40編成となった[198]。他の編成と異なり中央本線運用には投入されず、三鷹電車区の波動用169系の運用終了に伴う代替として武蔵野線快速「むさしの号」(2010年12月3日で終了)[208]用に投入された。土休日には「ホリデー快速鎌倉[208](2013年9月23日で終了[209])にも投入されたほか、長野総合車両センター所属車C編成定期運用の代走[210]・波動輸送[208]・乗務員訓練[211]などのほか、波動輸送運用にも投入された。

豊田電車区は2007年11月に豊田車両センターへ改称された。2014年1月までは300番台による3両編成×12本・6両編成×1本[72]と基本番台4両による訓練車編成×1本[203]の計46両が配置されていた。保安装置はATS-P・SNを搭載し、デジタル無線および運転台への簡易モニター設置が施工済であった。このため運転台後部ロングシート上荷棚部に機器箱が設置されていた。

近年では先頭車貫通幌を長野方クハ115形装着から、長野総合車両センター所属車に合わせて新宿方クモハ115形装着へ変更。多くの編成が耐雪ブレーキを装備しており、列車番号表示機はLED式を助士席側に設置していた。車内の座席モケットは薄茶色を基調としていた[203]

2014年1月27日にM40編成の中間のサハ115-319+モハ115-348+モハ114-374を訓練車のW2編成に組み込み長野総合車両センターへ廃車回送を実施[47]。残存した3両も2014年7月26日付で廃車された[212]。これにより6両編成と訓練車編成が消滅となり、300番台3両編成×12本の36両に減少した。2014年12月5日には、M2 - M5・M11編成が豊田車両センター武蔵小金井派出へ疎開回送された[213]

2014年12月7日には長野総合車両センター所属の211系N編成に運用が移管されたため、豊田車両センターの115系の定期運用は前日の12月6日に終了した[214]

長野総合車両センターへの廃車回送は、同月9日・10日にM1・M2・M4・M6編成[215](廃車日は同月10日・11日[216])、同月24日にはM5・M11編成(廃車日は同月19日[216])、2015年1月7日にはM10・M12編成へ[217](廃車日は同月8日[216])、同月14日にはM7・M8編成へ実施された(廃車日は同月15日[216])。

2015年1月21日にはM3・M9編成が豊田 - 松本間(辰野支線経由)で廃車回送を兼ねたさよなら団体列車「ありがとう八トタ115系号」として最後の営業運転が実施され、松本到着後に長野総合車両センターへ回送された[218]。翌日付で廃車[216]となり、豊田車両センターの115系は消滅した。

中央東線での115系の定期運用は2015年10月28日に終了となり、最終運用では長野総合車両センター所属の1000番台横須賀色6両編成のC1編成(2014年に信州色から横須賀色へ変更)が使用された[219]。2015年11月22日に運転された団体臨時列車「中央本線開業110周年記念〜ありがとう115系C1編成」を最後に、長野総合車両センターの115系の営業運転も終了となった[220]

M1 - 12編成
立川方からクモハ115形+モハ114形+クハ115形の3両で組成され、全車日本車輌で製造された。またM9編成が車体更新工事を、M1 - M4編成が簡易リニューアル工事を、M5・6・10・12編成がリニューアル工事を施工していた。
定期運用では3両編成単独または2本組合せの6両編成で中央本線立川[221] - 小淵沢間ならびに富士急行線河口湖まで[注 35][76]、3両編成単独のみで塩山 - 甲府 - 韮崎の区間列車[203]に充当された。
M40編成
2000年に松本へ転出したグループ内から2002年に豊田車両センターへ再転入した6両貫通編成である。モハ114-374には霜取用にPS23形パンタグラフを搭載[203]、サハ115-319は最後まで残存した300番台サハ[139]であったほか、中間のモハ115-348+モハ114-374のみが小山からの転入車で川重製、他は日本車輌製である。
W2編成
訓練車編成[222]でモヤ115形が組み込まれた4両編成である[76]
前照灯は白熱灯用大型ケーシングをそのまま流用したシールドビーム化改造が施工済である[187]
2014年1月28日付で廃車[47]
豊田車両センター配置車編成表
← 立川・河口湖
富士山・小淵沢 →
編成
番号
クモハ115 モハ114 クハ115 製造
メーカー
更新
工事
廃車日
M1 304 332 354 日本車輌 簡易
リニューアル
14.12.10
M2 305 333 356 14.12.11
M3 306 334 358 15.1.22
M4 307 335 360 14.12.11
M5 308 342 370 リニューアル 14.12.19
M6 309 343 372 14.12.10
M7 310 344 374 未施工 15.1.15
M8 311 345 376
M9 312 346 378 車体更新 15.1.22
M10 313 347 380 リニューアル 15.1.8
M11 315 349 384 未施工 14.12.19
M12 325 361 412 リニューアル 15.1.8
M40 クモハ115
-318
モハ114
-354
サハ115
-319
モハ115
-348
モハ114
-374
クハ115
-398
W2 クハ115
-207
モヤ115
-6
モハ114
-827
クハ115
-108
 

新潟地区[編集]

1次新潟色
1次新潟色
湘南色(復刻色)
湘南色(復刻色)
1次新潟色(復刻色)
1次新潟色(復刻色)
2次新潟色
2次新潟色
3次新潟色
3次新潟色
1次弥彦色(復刻色)
1次弥彦色(復刻色)
2次弥彦色(復刻色)
2次弥彦色(復刻色)
初代新潟色(復刻色)
初代新潟色(復刻色)

1976年に上野口への300番台投入で捻出された基本番台で、70系電車の置換えを目的に長岡運転所へ投入開始された[153]

1978年からは1000番台投入により、捻出された基本番台は岡山地区に転出して80系を置換えたほか[223]、1982年には水上以北での減車化(6連→5連へ変更)に伴う運用見直しで長岡運転所所属サハ115形1000番台19両が小山・新前橋の両電車区へ転出した。

1984年の越後線弥彦線電化開業により本系列が投入されることになり、一旦山陽地区に転出した基本番台(先頭車化改造車)や身延線用2000番台が転入したため、新潟地区は基本・1000・2000各番台が混在していた[224]

1999年12月4日ダイヤ改正で長岡運転所(現・長岡車両センター)配置車両が上沼垂運転区に移管され[224]、新潟地区の本系列を当センターへ集約した。長岡運転所の所属車両は上沼垂運転区のS編成となった。

2014年度からE129系への投入による置換えが進行中で、2018年3月以降[225][226]、N編成のみが越後線弥彦線・信越本線の直江津 - 長岡 - 新潟間・えちごトキめき鉄道妙高はねうまライン新井 - 直江津間で定期運用に充当される[227]

  • ただし2000年代後半以降は、北陸新幹線金沢延伸開業による並行在来線の移管まで、諏訪湖花火観客輸送のため通常は長野総合車両センターが担当する信越本線運用の一部を代走することがあった。

2020年10月1日現在では、N編成(3両)7本の計21両が配置される[228]

当センターの特記事項として、最大で6種類の塗装が同時に存在していた。

  • 湘南色
  • 1次新潟色(白地に青帯と赤の細い帯。N37編成に再塗装されたほか、同地区のキハ40系気動車も同様の塗装。)
  • 1次弥彦色
  • 工場控車専用塗装(クハ2両のみ)
  • 横須賀色(小山からの借入車)
  • 2次新潟色
  • 3次新潟色[注 36]

1次・2次新潟色には塗装の細部が異なる車両も存在した[注 37]

このほかに弥彦線用ワンマン運転対応車の塗色として「2次弥彦色」(ホワイトイエローのツートーンカラーにライトグリーンの帯を巻いたカラー[229] 旧Y編成)[231]と長野地区から転入した「新長野色」[232]が存在した。またJR東日本も出資するJリーグ・ジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)の広告電車がRN31編成を使用して運転されていたこともあったが、更新時に他の編成と同じ3次新潟色に変更され消滅した。

2020年10月現在のバリエーションは、2次新潟色(N35編成)[注 38] ・3次新潟色(N34編成)[229][注 39][233]・初代新潟色(N40編成)・湘南色(N38編成)・1次新潟色(N37編成)・1次弥彦色(N33編成)・2次弥彦色(N36編成)が存在する[228]。なお、湘南色・初代新潟色・1次新潟色・1次弥彦色・2次弥彦色は復刻色である。

  • 旧C1編成(訓練車)が湘南色であったほか、2011年に旧L6編成および旧N2編成が湘南色に復元[234]、2014年に旧L9編成および旧N23編成も湘南色となっていた[92]
  • 旧N2編成はリニューアル工事を施した3次新潟色編成であったため[221]、M'のパンタグラフがシングルアーム式PS35形を装備したまま湘南色に塗り替えられてた。
  • 旧N3編成は、大宮総合車両センターにおいて全般検査を行った際に、2017年1月18日付で[232]初代「新潟色」と呼ばれる赤2号と黄5号のツートンカラーに変更された[235]
  • N37編成は、2017年に大宮総合車両センターに入場した際に、1次新潟色に変更され、同年9月24日より営業運行に復帰した[236][237]

所属車両は1000番台(改造車含む)。2016年12月までは沼津機関区から転入したクハ115形2000番台も在籍していた。2015年度まではL編成の一部に、1984年の越後・弥彦線電化開業用に転入し耐寒耐雪強化改造を受けた基本番台が残存し[238]、鋼製ドアの車両もあった。

新潟地区に新製投入された1000番台や2000番台は更新対象から外れ、一部の編成は老朽化が進んでいるが近年は全車が枕ばねや軸ばねのエリゴばねへの交換や車両内外の低い位置にドアレールヒータに関する注意を促すステッカーが至るところに貼付されているほか、一部車両はアコモデーション改良を目的に以下の工事を施工された[93]

  • 座席モケットをリニューアル工事施工車と類似したものに張替[224]
  • 化粧版や床仕上げ材を交換
  • トイレの改装
  • パンタグラフ増設工事を4両に施工[93]

所属車両は、ATS-P[93]を搭載する。全車にEB取付工事を施工している[228]。このほか在籍していたクハ115形2000番台は7両すべてが奇数向きだったが、2129を除き方転された[93]

N33 - 38・40編成
3両編成。リニューアル工事は新潟支社独自またはJR東日本全車標準が過半数に施工された。
  • 施工内容はCPをスクリュー式へ交換・MGをメンテナンスフリーのSIVへの変更[239]・化粧板や座席モケットの張替・ロングシートとドアの間に新規にアクリル防風板を追加するなどである。
N19編成は2015年8月29日付で[83]、N1編成は2016年2月29日付で[240]、それぞれ廃車された。2016年4月にはN6・8・14・20・25・31編成が、同年8月にはN4・11・26編成が、同年9月にはN10・32編成が、それぞれ廃車された[84]。2016年12月にはN12・16・23・27・28・39編成が廃車された[184]。2017年4月にはN2・5・7・9・15・21・22・24・29編成が廃車された(新津鉄道資料館で保存されているN15編成のクモハ115-1061の廃車は2017年6月24日付)[175][注 40]。2018年春にはATS-Pを搭載していない生え抜きのN3・13・17・18・30編成は、新潟駅高架化に伴うATS-P使用開始のため運用を離脱し、同年4月3日から10日にかけて廃車された[179]
N編成は編成・車両ごとの形態がバラエティに富んでおり以下の特徴がある。
  • パンタグラフは、新潟3次色塗装の車両はシングルアーム式のPS35C形に交換済[241]。またリニューアル改造施工車はPS35B形に交換されている[93]
  • 菱形パンタグラフ搭載車もPS23形に交換されているが、旧N28編成のモハ114-1109はPS16形を搭載していた。
  • N編成にはAU712形冷房装置を搭載している車両はなく、全車両がAU75形冷房装置を搭載するが、旧N24編成は当初、廃車発生品を利用して冷房化改造されたため、車両中央部のみに冷房吹き出し口があり、扇風機や運転台上部の箱型通風器も残されるなど他編成と相違が目立っていた。リニューアル改造後もそのままであったが、後に他のAU75形冷房装置搭載車と同じ仕様に改造され、扇風機や箱型通風器も撤去されている。
  • 旧N22 - 32編成は、1995年12月でE127系の投入に伴い一旦長岡に転出したあと集約化で本センターに戻った編成である。
  • N34 - 38編成は、2014年度上半期に長野から転入した編成である[242]。パンタグラフはシングルアーム式で先頭車はATS-Pを搭載する[238]
  • 旧N39編成は、2014年7月にL14編成のサハ115-1002を廃車し[212]、3両編成化した編成である。
  • N40編成は、2015年12月に長野から転入した[243]
  • 旧N2編成はリニューアル改造されたが、L6編成と同様に「JR」の塗装はなかった[76][239]
  • 旧N4・N6・N8・N14編成は霜取対策でPS23形パンタグラフを2基搭載。
  • 旧N25編成のクハ115-1245は、改造前のクハ115-1142時代に小山および新前橋へ配置されていたためATS-Pを搭載。
  • N38編成はクモハ115-1001・モハ114-1001・クハ115-1001であり、いずれも1000番台トップナンバーである。
L99編成
L99編成
L99編成(廃車)
長野総合車両センター所属旧C3編成。2015年5月に中間車2両が廃車となり、以降は4両編成で大宮総合車両センター入出場時の伴走車として使用され[244]、営業運転には充当されなかった。2018年に新潟車両センターに残存する115系がATS-P搭載車のみになったため、大宮総合車両センターに入出場する際の伴走車が不要になり、2018年8月に長野総合車両センターに回送され[245]、同月2日付で廃車された[179]
S1 - 15編成(全廃)
ワンマン非対応の2両編成。S1 - 12編成は1500番台でAU75形冷房装置を搭載し、S13 - 15編成は500番台でAU712形冷房装置を搭載していた[224][注 41]。 1999年の集約化により長岡運転所より転入した。
当初は全編成トイレなしであったが、サービス上問題となったため1992年以降にS1 - 3・7・10 - 12編成のクモハ114形にトイレ設置改造が施工された[93]
  • トイレ設置工事では側窓部分は埋められたことや汚物処理装置を真空式としたため外観が特徴的となった。
  • トイレなし編成は単独で長時間運転となる列車に投入されることは稀で他のトイレ付き編成と組み合わせて運用されるように配慮されていた。
S1編成は、2007年7月16日新潟県中越沖地震の際に柏崎駅で脱線転覆したが、長野総合車両センターでの修復を受け運用復帰した[246]
2014年7月にS15編成が[212]、同年11月にS13・14編成が[216]廃車された。2016年4月から5月にかけてS1・3・7・9 - 12編成が、同年6月にS2編成が廃車された[84]。同年7月には全編成が定期運用を終了、同年8月に残るS4 - 6・8編成も廃車され[84]、全廃となった。
L1 - 14編成(全廃)
4両編成。L1 - 6編成は電動車が基本番台であり[224]、制御車には1000番台のほか2000番台も存在した。L7 - 14編成は全車1000番台で組成されていた。編成・車両ごとの形態が豊富であり以下の特徴があった。
  • L1 - 11編成はTcMM'Tc'、L12 - 14編成はMcM'TTc'で組成された。
  • Tc'の一部は首都圏からの転入車でATS-Pを搭載、MM'ユニットの一部は小山からの転入車であった。
  • L1 - L6編成の車両は全車AU712形を搭載し、AU75形冷房装置搭載準備車でありながらAU712形で冷房改造が施工された車両も存在した。それらの車両の電源は静止形インバータSC24である[224]。なお、2013年時点でAU712形冷房装置を搭載していた車両は本センター所属車のみであった[247]
  • L7 - L14編成は全車AU75形を搭載していた。
  • L1 - 4編成にはクハ115 - 551・552・553・613などが組み込まれており、クハ115-553は製造から50年以上経った後も運用された[93]
  • L6編成はリニューアル改造を施工されたが、JRマークは省略された[76][239]
L3編成は2014年7月に廃車され[212]、L14編成は上述の通りN39編成となった。L1編成は同年12月に廃車された[216]。L2・4編成は2015年8月に[83]、L5・6編成は同年12月に[240]、それぞれ廃車された。2016年3月には全編成が運用を終了し、L7・9 - 13編成は同年4月に、L8編成は同年5月にそれぞれ廃車され[84]、全廃となった。
Y編成(全廃)
弥彦線のワンマン運転に対応した2両編成で運賃箱や自動放送装置・ドアチャイムなどを取り付ける改造を施工済。500番台で組成される。
弥彦線弥彦 - 吉田の全列車[248]・吉田 - 東三条の一部列車・出入庫を兼ねた越後線吉田 - 新潟1往復で運用され、近年では同地区のE127系の代走で白新・羽越本線に入線することもあった。2015年3月ダイヤ改正でY1 - 3の3編成全車が運用離脱し、同年7月15日に廃車されている[83]
  • 全車0番台からの改造車でトイレはなく、冷房装置はSIVからの給電によるAU712形を搭載するため、MG交換は実施されなかった。
  • Y1編成には最後まで鋼製ドアが残っていた。
訓練車編成(C1編成 廃車)
長岡区時代から引き継いだ編成であるが、初代は非冷房の4両編成[注 42]で1次新潟色最後の車両。2代目は冷房搭載の湘南色[76]2両編成[注 43][249]である。車番変更によりクモヤ115-1+クモヤ114-1[250]となった。2016年6月17日付で廃車された[84]

長野・松本地区[編集]

信越本線長野地区の115系「エコー電車」(戸倉駅、1987年4月)
コカ・コーラ広告電車のN12編成(1990年頃)

1977年に80系電車の置換えを目的に松本運転所に新製配置された。その後大糸線の旧形国電も置換えられることになり、36両(McM'T'c、3両編成12本)は1981年より松本運転所北松本支所に配置された。

1983年からは短編成化のため電動車に運転台を取り付ける改造も行われ、クモハ115形1500番台として投入された。その際反対向きの制御車が不足するため、三鷹電車区の0番台編成から外されたサハ115形6両に運転台を設置し、クハ115形600番台として投入された[251]

1985年3月14日に北松本支所は松本運転所に統合され、中央本線・篠ノ井線・信越本線で運用される117両(3両編成39本)と大糸線で運用される31両(3両編成7本、増結ユニットMcM'5組)の計148両が配置された[252]

国鉄時代の1986年11月1日ダイヤ改正で、信越本線と篠ノ井線の一部運用を長野運転所(現・長野総合車両センター)に移管・転属となった。従来は松本運転所が長野鉄道管理局の全運用を担当していたが、ダイヤ改正後に伴う移管後は中央本線甲府以西・大糸線・篠ノ井線の運用を担当した。中央西線は分割民営化時にJR東海管轄となるため、松本運転所から3両編成7本が神領電車区に転出している[251]

国鉄時代の長野地区配置車両はすべて1000番台新造車で、他地区からの転入車は皆無である。1986年の配置後数度にわたり松本車両センターからの運用移管ならびに車両交換・転入を実施し、後述する訓練車のほか2・3両のN編成と6両貫通のC編成も配置されていた。

初代長野色
初代長野色
2代目長野色
2代目長野色
EF63形の推進で碓氷峠を登る115系(1997年9月)
EF63形の推進で碓氷峠を登る115系(1997年9月)

JR発足直後の1987年5月には、クモハ115-1020+モハ114-1027+クハ115-1019の3両編成(N12編成)がコカ・コーラ広告電車として登場した[253][254]。車体は赤一色の塗装にコカ・コーラのロゴが貼られたものとなり、モハ114形の車内にはコカ・コーラ社製品の自動販売機が設置された[255]。1993年の契約終了後に従来塗装に復元され、自動販売機も撤去された[255]。N12編成は1997年にしなの鉄道に譲渡後S11編成となり、しなの鉄道の企画として2018年から2020年までコカ・コーラ塗装を復刻して運転された[256][257]

上記の広告塗装車以外の編成は、1989年より白を基調に緑のラインを組み合わせた旧長野色へ変更した[255]。1998年の長野オリンピック開催に合わせたイメージアップのため、1992年から新長野色(フォギーグレー+アルパインブルー+リフレッシュグリーン[注 44])への再変更が実施され[231]、1997年までに完了した[255]

長野運転所では1997年の北陸新幹線長野開業以前は碓氷峠を越えて高崎までの運用が存在した。

1997年の新幹線長野開業では信越本線篠ノ井 - 軽井沢間がしなの鉄道に移管され、ATS-Pを設置しない松本運転所配置車両の一部が一旦長野総合車両所(当時)に転属した上でしなの鉄道へ譲渡された。しなの鉄道線にもJR東日本の115系が乗り入れる運用が設定されており、しなの鉄道に譲渡された115系とは運用が分けられている[258]

1997年以降に運用された松本運転所配置車両は次の特徴を持つ。

  • パンタグラフをシングルアーム式のPS35形へ交換
  • ATS-Psを搭載
  • 2003年頃より順次すべての編成にATS-Pを搭載(1992年当時の長野配置編成には高崎駅構内での同装置の使用開始に伴い先に搭載されていた)
  • 約半数の車両にリニューアル工事のほか、ドア横座席端に風除け用透明仕切り板を設置する工事を施工[259]

1998年12月のダイヤ改正では大糸線でE127系100番台の営業運転が開始され、松本運転所の169系による中央本線・篠ノ井線の普通列車が長野総合車両所の115系に置き換えられた[260]。これによりJR東海管内の中央西線塩尻 - 中津川間で115系の運用が復活している。長野 - 飯田間快速「みすず」で使用されていた長野総合車両所の169系4両編成もこの改正で115系に置き換えられている[258]

その後、2000年12月に中央本線・大糸線・篠ノ井線関係の運用を長野総合車両所に移管し、豊田電車区が担当していた中央本線小淵沢以西の長野支社管内運用が分離移管されることになった。これにより豊田区から転入した基本番台・300番台初期車から3両編成×2本による6両のB編成が組成された。また3両編成のB編成のうちB36・B35編成[注 45]は伊豆急行に譲渡され同社の200系となった[261]。さらにE231系電車配置で余剰となったもののうち状態の良かった小山所属の300番台後期・1000番台車に置換えられた。

松本車両センターの115系は、2007年3月18日に長野総合車両センターに運用移管されることになり全車転出したため、配置がなくなった[259]

211系の転入によりN編成は2015年3月14日改正で[262]、C編成は同年10月28日に定期運用を終了[219]。最後まで残っていた訓練車のN15編成が2019年10月15日付で廃車となった[176]ことで、すべての車両の配置が消滅した[263]

以下は1997年以降に運用された編成毎での解説を行う。

N編成
JR東海乗入れのN13編成 坂下 - 落合川
JR東海乗入れのN13編成
坂下 - 落合川

クモハ115形+クモハ114形で組成される2両編成とクモハ115形+モハ114形+クハ115形で組成される3両編成が存在した。

  • 2両編成
  • N51 - 58の8組16両が在籍。編成番号札は黄色。主に大糸線・篠ノ井線運用に充当された。
  • 2007年1月にN55編成[注 46]が余剰廃車。
  • 残存したN51- 54・56 - 58編成は2013年3月16日ダイヤ改正でしなの鉄道での運用に転用[264]。同年6月1日付でしなの鉄道へ譲渡された[265][266]
かつては同センターの主力で2007年にN15編成の上述した訓練車転用改造施工後は以下の編成が配置された。
  • N1 - 14・16編成:編成番号札は緑色。しなの鉄道線ならびにJR東海乗入対策施工車でJR東海ATS-STに対応する速度照査機能付加のATS-SN[注 47]と対応方向幕を装備搭載する。1000番台の中間車側貫通扉は通常はステンレス無塗装であるが、N7編成のクモハ115-1070では300番台以前と同様の鋼製のものに交換されている[268]
  • N21 - 33編成:編成番号札は桃色。JR東日本管内専従運用編成。
  • 本グループ内のN29編成(クモハ115-1019+モハ114-1025+クハ115-1018[269])は1987年3月にトイレ対向部を除きすべてロングシート化されたが、2002年12月にリニューアル工事が施工されセミクロスシートに戻された。天井につり革増設時の支柱ネジ穴痕跡が残存する。
中央本線甲府 - 松本 - 塩尻(辰野支線も含む)・篠ノ井線・信越本線篠ノ井 - 直江津 - 柿崎[注 48]・大糸線松本 - 信濃大町[270]のほか、しなの鉄道篠ノ井 - 小諸[271]・JR東海区間の飯田線辰野 - 飯田・中央本線塩尻 - 中津川への乗入れ運用に充当。臨時列車では以下の運用に投入された。
  • 高遠さくらまつり号(N24編成):2008年・2009年4月[272]
  • スワいち号:2008年2月23日[273]
  • 木曽漆器まつり号:2008年6月6日 - 8日[274]
  • ほろよい上諏訪街道号[275]
211系の転入により置換えが進められ、2014年3月15日ダイヤ改正でJR東海区間への運用を終了。N27編成が新潟車両センターへ転出したため同年4月時点でN1 - 14・16・21 - 26・28 - 33の27編成が在籍したが同年度上半期中に以下の廃車・転出が発生した。
  • N8・22・23・26・28・30・31編成:廃車[212]
  • N3・6・11・14・25編成:新潟車両センターへ転出[242]
2015年3月14日ダイヤ改正で定期運用を終了[262]
  • N1・7・12・13・21編成:北陸新幹線金沢延伸開業に伴う並行在来線区間の信越本線長野 - 直江津間第三セクター化に伴いしなの鉄道へ譲渡[216]
  • N2・4・5・10・16・24・29・32・33編成:廃車[83]
  • N9編成:同年12月17日付で新潟車両センターへ転出[243]
  • N15編成:2019年10月15日付で廃車[176]。これをもって長野総合車両センター所属のすべての115系車両が消滅となる[276]
C編成
C1編成 快速「むさしの」代走運用 (長野色)
C1編成
快速「むさしの」代走運用
(長野色)
C1編成 (横須賀色変更後)
C1編成
(横須賀色変更後)
JR East 115-Sinshu-color.jpg
前面種別表示幕『普通』のバリエーション 白地に黒文字のC12編成(上) 青地に白文字のC3編成(上)
前面種別表示幕『普通』のバリエーション
白地に黒文字のC12編成(上)
青地に白文字のC3編成(上)
2007年3月18日にそれまで松本車両センターが担当していた中央本線・篠ノ井線運用を当センターへ移管、6両編成×14本が転入した[72]
2015年10月まで、定期運用は立川 - 松本ローカル列車専従で充当された。その他は出入庫を兼ねた松本 - 長野1往復・篠ノ井線松本→明科区間列車[注 49]のみのため松本・小淵沢・甲府・大月・高尾・豊田で夜間滞泊が続くのが特徴であったが、以下の代走や臨時投入の実績がある。
首都圏の列車無線デジタル化に伴う新型無線機搭載工事が全編成に施工済だが、本グループでは編成・車両ごとの形態がバラエティに富んでいた。
  • 1000番台車中心であるがC5・6・9編成の全車とC13編成の長野方MM'ユニット1組は300番台車であった[280][注 51]
  • 1000番台車は以前松本・北松本・長野・新前橋・小山・三鷹・岡山へのいずれかに配置経歴があるが新潟地区に配置された経歴を持つ車両はなかった。
  • C5 - 11編成はリニューアル工事が施工済であった。
  • C9・10編成はTcMM'TMM'Tc'の7両が同一ロットで製造され、松本転属時にサハ115形のみ抜き取られたのみで組成変更がなかった。
  • C1・C2編成はTcMM'MM'Tc'6両が同一ロットで製造され、小山区時代には既存のサハ115形が組み込まれていた編成で組成変更がなかった。
  • C8編成立川方先頭車クハ115-1512は唯一の形式間改造車で種車のサハ115-1027時代の新製配置は三鷹区であったため横須賀色→湘南色→2代目長野色への塗装変更経歴を持つ。また長野方3両はAU720形冷房装置を搭載していたが、2013年現在ではAU75型に再換装された。
  • C12編成のクハ115-1065は長野所属車で唯一転落防止幌を新前橋区所属時代に設置された。転入時は他にも設置車両が存在したが撤去された。
  • 前面種別表示幕の『普通』表示は白地の黒文字と青地に白文字の2種類が混在。
  • 一部車両を除いて列車番号表示器のLED化を施工。
  • C13編成は立川方3両の客用扉窓が他編成と異なる。
  • C1編成は2014年3月25日に信州色から横須賀色へ塗装変更され翌26日から運用に復帰した[281]
2014年4月時点ではC1 - 14の14編成が在籍したが211系の転入により置換えが進められ、2015年に新潟車両センターへ転出したC3編成[282]を除き以下のスケジュールで廃車となった。
  • 2014年度上半期:C2・4・5編成[212]
  • 2014年度下半期:C6 - 11編成[216]
  • 2015年度上半期:C12・13編成 C14編成のクハ115-1106を除く5両[83]
  • 2015年10月:クハ115-1106[注 52]
  • 2015年11月25日:C1編成[240]

長野車両センターでは合計で3代の訓練車が配置されていた。

  • 初代
  • クモハ115-1+モヤ114-1(元・モハ114-801)+クハ115-611(元・サハ115-1)[249]
  • 1991年落成の初代。湘南色非冷房。2002年に老朽廃車。
  • 二代目
  • クモハ115-326+モハ114-362+クハ115-392[注 53]
  • 初代と入れ替わる形で横須賀色の300番台車を改造した2代目のN00編成。3代目落成により廃車。
  • 三代目
  • クモハ115-1074+モハ114-1180+クハ115-1222
  • 2007年1月にN15編成を湘南色に変更した上で[283]、乗務員室後部仕切の一部撤去・訓練用防護無線ならびに車両用信号炎管の追加・一部席への机の設置・家庭用コンセント配線設置などの改造を施工。
  • 2015年3月14日のダイヤ改正における定期運転終了後に残存した最後の115系車両となっていたが[284]、2019年10月15日付で廃車となった[176]

御殿場線・身延線・中部地区[編集]

御殿場線の115系と小田急3000形SSE車御殿場駅1991年
身延線の115系2000番台身延色(1989年頃)
国鉄末期の中央西線115系(塩尻駅、1987年1月)
身延色 (赤2号・クリーム10号)
身延色
(赤2号・クリーム10号)
2日間だけ存在した茶色が地色の身延色 (ぶどう色2号・クリーム10号)
2日間だけ存在した茶色が地色の身延色
(ぶどう色2号・クリーム10号)
B5編成
B5編成

御殿場線で1968年の電化より運用されていた旧性能電車72系の置き換え用として、1979年に東北・高崎線への115系1000番台投入で捻出された基本番台4両編成11本計48両が小山電車区から沼津機関区へ転入した。身延線が新性能化された際に共用可能なよう低屋根車800番台を組み込んだ4両編成となり、1979年9月より御殿場線での営業運転を開始した[285]。御殿場線の72系は同年10月にさよなら運転が実施され、営業運転を終了した。

身延線に残る旧性能電車も置き換えの対象となり、2000・2600番台が新製投入されて1981年8月より営業運転を開始した[286]。編成はクモハ115形を含む4両編成が基本で、車体塗装は赤2号地色にクリーム10号帯の通称「身延色」が採用された。当初はクモハ115-モハ114+クハ115-クハ115とクハ同士を背中合わせにした変則編成で、編成中央部の乗務員室でのドア扱いが考慮されていたが、短期間でクハ115+クモハ115-モハ114-クハ115の編成に組み替えられて変則編成は消滅した[287]

32系42系40系51系などの身延線旧形電車は、アコモデーション改造車のモハ62系を除いて1981年8月に運用を終了した。郵便・荷物合造車クモハユニ44形クモユニ143形の新製により置き換えられ、クモユニ143形は115系と同様の身延色に塗装されて運用された[286]

1984年2月のダイヤ改正では、御殿場線・身延線ともに4両編成から3両編成に短縮された[288]。モハ115形が先頭車化改造でクモハ115形500番台になるとともに、捻出されたクハが越後・弥彦線電化用に転出している。この改正では岡山・広島地区の0番台も転入しており、低屋根車と通常屋根車が混在したことから、御殿場線と身延線の共通運用はできなかった。旧性能電車で唯一残っていた身延線のアコモデーション改造車モハ62系もこのダイヤ改正で運用を終了し、1986年に廃車となった[289]

1985年3月のダイヤ改正では三鷹電車区から低屋根車800番台ユニットが転入し、差し替えられた0番台ユニットが新前橋電車区へ転出した。これにより御殿場線・身延線の共通運用が可能となり、予備車1本削減による捻出車が増発列車に投入された[290]

1986年11月のダイヤ改正では、沼津機関区の配置車両が静岡運転所に移管された[291]中央西線中津川以北で運用される車両は松本運転所の受け持ちであったが、分割民営化を見据えて神領電車区(現・神領車両区)に移管された[251]。低屋根車を含むクモハ115-520+モハ114-831は岡山電車区へ転出した。国鉄最末期の1987年には静岡運転所の一部編成が豊橋機関区に転属し、飯田線での運用が開始されている。

国鉄分割民営化でJR東海に継承された115系は、1988年度より湘南色への塗装変更が行われ、身延色は消滅した[90]。同年度からはC-AU711系集約分散式冷房装置による冷房化も開始され、0番台車は補助電源装置を設置して5000・6000番台に改番、冷房準備車の1000・2600番台はAU75系用の塞ぎ板を残したままC-AU711形が搭載された[292]。S1編成(クモハ115-1039+モハ114-1053+クハ115-1040)はC-AU711系冷房の試作改造車で、室内冷房風道形状が量産改造車では室内灯と一体化されているのに対し、単独であるなどの相違が見られた。

1989年には211系の増備で115系0番台の廃車が発生するとともに、JR東海の115系は静岡運転所への集中配置となった[293]。編成は0番台の補助電源付き冷房改造車5000番台の編成がN編成、身延線用低屋根車2600番台を含む編成がB編成、元松本運転所所属の1000番台を主体とする編成がS編成に区分された[293]。身延線と沼津・静岡方面の直通列車や入出区・検査回送などで東海道本線を走行することもあった。

飯田線で運用されていた165系が2扉のため通勤・通学輸送時の運用に障害があったことから、中央西線用の115系が165系と入れ替わる形で飯田線に転用された。飯田線では豊橋 - 茅野長野間と広範囲で運転された[294]

1998年(平成10年)の身延線全通70周年記念として、B4編成(クモハ115-2004+モハ114-2604+クハ115-2025)が約1年間限定で「身延色」に復元された[90]。ただし名古屋工場担当者の手違いで2日間だけワインレッド赤2号)ではなく茶色(ぶどう色2号)の地色で運転された。これはリリース文で「ぶどう色の電車」が「ぶどうをイメージした色」の意味合いで書かれたものを工場側で国鉄色の色名である「ぶどう色」と誤解したことによる[注 54]

中央西線は165系への置き換え以降は長らく115系の走らない線区となっていたが、1998年12月のダイヤ改正でJR東日本からの乗り入れ列車が中央西線・飯田線ともに従来の169系から115系に変更され、中央西線での115系の走行が復活した[294]。飯田線快速「みすず」ではJR東海の115系がJR東日本管内に中央本線・篠ノ井線を経由し長野まで乗り入れる運用が1日1往復あった。

B8編成のモハ114-2608は、1999年に霜取対策のため381系の廃車発生品パンタグラフを搭載し、パンタグラフを2基に増設したJR東海所属唯一のモハ114形であった[63]。以前はクモハ115形+モハ114形+モハ114形(サハ代用)+クハ115形の変則4両編成で霜取を実施していたが、解消のため改造された[90]。このため同編成は、冬期間は身延線限定運用としたほか、2007年の営業運転終了後も残存した。

C-AU711系冷房試作車のS1編成は2006年9月に廃車解体された。クハ115-188は原型前照灯のまま2006年11月に廃車となり、同年12月2日に浜松工場で解体された。B5編成(クモハ115-2005+モハ114-2605+クハ115-2026)は車両故障で運用を離脱したS4編成の代替として2006年12月にS編成運用に転用され、運用から外れたS4編成は修復されないまま2007年に廃車となった。

2006年4月1日時点で静岡車両区に残存していたB編成13本とS編成8本(いずれも3両編成)について解説する。

B編成
クモハ・クハ115形2000番台と身延線低断面トンネル対応のモハ114形2600番台から組成される編成で、東海道本線・御殿場線・身延線・飯田線で運用された。登場時は身延色であったが、JR化後に湘南色へ変更された。
S編成
1000番台主体の編成で、大半が国鉄時代に松本運転所から神領電車区に転入した経歴を持つ。クモハ・モハのユニットは全車が1000番台グループであるが、クモハ115形の8両中5両は国鉄時代に先頭車化改造された1500番台であった。クハ115形はサハ115形0番台の先頭車化改造車600番台が8両中6両、1000番台と大型前照灯の0番台が各1両となっている。S8編成の大型前照灯車クハ115-188は1985年に三鷹電車区から転入した。
内装は大半が未更新であるが、車両中心でS2編成のクハ115-616のみ室内化粧板・ドアをクリーム系色に交換・塗装変更が施工された。

東海道・山陽本線京阪神地区[編集]

国鉄分割民営化後のJR西日本近畿地区アーバンネットワーク各線は利用客が増加し、京阪神地区の新快速で運用されていた117系は2扉で乗客増加への対応が困難となったことから、新快速には1989年より3扉転換クロスシートの221系の投入が開始された[295]。近畿地区の近郊形電車3扉化を進めるため、1992年宮原電車区(現・網干総合車両所宮原支所)から岡山電車区に転出した117系と入れ替わる形で115系300番台・1000番台の計31両が岡山電車区から網干電車区(当時)に転入した[295]

115系は網干電車区転入に際して高速化改造が行われ、所属する113系と同様に京阪神快速で共通運用された。JR東海管内の大垣まで乗り入れる運用も存在した[296]。7両編成および4両編成を組んだが、7両編成ではクモハ115形を含む6M1T(Mc+M'+M+M'+M+M'+Tc)と電動車比率が高い編成も存在した。1994年には岡山地区の冷房化推進のため一部編成が岡山電車区へ転出し、高速化仕様のまま岡山地区で運用された[295]

1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災では東海道・山陽本線が寸断され、岡山電車区に転属していた高速仕様車が西側区間の復旧輸送に貸し出し運用された[295]。復旧後も新快速増発用221系の補充として快速で運用されるなど、車両受給が安定するまで貸し出しが続けられた[295]

6M1Tの編成は1999年5月10日ダイヤ改正で運用を終了し[297]、クモハ115形+モハ114形ユニット計6両は舞鶴線電化用として転用された。

以後はクハ111形およびサハ111形と4両および7両編成を組成したが、2004年10月16日ダイヤ改正で運用を失い下関区に転出し配置車両がなくなった。

福知山線・山陰本線・舞鶴線[編集]

福知山線の115系旧福知山色

国鉄時代の1986年の福知山線電化開業により113系800番台が福知山運転所(当時)に配置されたが、運用数増加に伴ってJR化後の1987年に115系が岡山電車区から4両編成1本、続けて3両が転入した[296]。いずれも非冷房車で、4両編成1本は黄色に青帯の旧福知山色に塗装された[296]。非冷房編成1本は1991年に廃車となった[296]

1988年11月には岡山電車区から冷房車の115系1000番台4両編成2本が転入し[164]、K13・K14編成となった。下り方先頭車はクハ111形300番台からの改造編入車であるクハ115-604・605であり、この2両はWAU102形冷房装置の搭載車で前照灯も大型白熱灯であった[296]。1991年度にはモハ114形に霜取り用パンタグラフが増設され2基搭載となった[296]

K14編成[注 55]は1993年に組成変更され、3両のY1編成となった[296]。同編成からクハ115-1118+モハ115-1055が岡山区に転出し、車両交換をする形でクモハ115-1551が転入し組成された[296]

1999年10月の舞鶴線電化開業により、モハ114形のクモハ114形化・ワンマン運転対応などの6000番台化改造工事を施工されR編成5本(R1 - R5)として転入した。網干区および岡山区所属のクモハ115形+モハ114形ユニット5組10両より改造されたもので、山陰本線京都 - 城崎間と舞鶴線で113系5300・5800番台S編成と共通運用された。京都 - 園部間では京都総合運転所所属113系との併結運用も存在した。

3両編成のY1編成は1999年5月に消滅した。福知山運転所の115系配置両数は、2両編成のR編成5本と4両編成のK13編成1本を合わせて計14両の配置となった。

K13編成[注 56][298]は福知山線全線で113系K編成と共通運用されたが、2004年6月に運用を離脱、下関地域鉄道部に転出しC43編成となる。K・S編成による福知山線運用は同年10月16日ダイヤ改正で消滅した。

2008年から223系5500番台が投入されたため、R編成は、R1編成を除き下関総合車両所に転出し[299]、老朽化したクモハ115・114形550番台を置き換えた。

2010年3月13日ダイヤ改正で山陰本線京都 - 綾部間での運用を終了した。2012年8月30日付で京都地域色となる緑色の単色に塗装変更された。

R編成(2両編成)

2020年10月1日現在、2両のR1編成(クモハ115-6510+クモハ114-6123)のみが所属する[300]。当区所属の113系2両編成と共通で、舞鶴線山陰本線綾部 - 城崎温泉[301]で運用される。

岡山地区[編集]

三鷹区から転入直後の横須賀色車
1987年 岡山
115系運用時代の快速「サンライナー」(1992年)
300番台4両編成のA-13編成
40N体質改善車D06編成 30N体質改善車D07編成
40N体質改善車D06編成
30N体質改善車D07編成
黄色単色化後のD10編成
湘南色が維持されたD26・D27編成(三原駅、2017年5月4日)
「Setouchi Train」仕様のD07編成

岡山電車区への115系の配置は1976年の在来車転入からで、80系電車置き換えのため北関東地区より0番台44両が転入したのが最初である[302]。1978年からは1000番台も新製配置された[303]

宇高連絡船に接続する宇野線の快速列車は、1980年12月に宮原電車区の113系から岡山電車区の115系へ置き換えられた[304]。113系時代にあったグリーン車の連結はなくなったが、最長12両編成での運転も行われた[304]

1982年7月1日に伯備線山陰本線伯耆大山 - 知井宮(後の西出雲)間が電化開業となり、115系1000番台6両編成が岡山電車区に追加投入された[289][305][306]。電化開業時の1982年7月現在で6両編成61本の306両(0番台非冷房車が20編成120両、1000番台冷房車が31編成186両)が配置された。伯備線電化開業では荷物電車クモニ143形も新製投入されており、115系と連結しての運転も行われた[305]

広島地区で1982年に試行された短編成高頻度運転「シティ電車」が好成績であったため、同様の施策が1984年に岡山地区にも導入された。6両編成を3・4両編成に短縮し、奇数向きクハ115形が余剰となって首都圏に転出し、不足する偶数向きクハ115形が新前橋から転入した。山陽本線等は4両編成が、伯備線は3両編成が主体となった[288]

4両編成に短縮するにあたり、新製配置された1000番台6両編成 (TcMM'MM'Tc) を編成中間で分割し上り方3両 (TcMM') に制御車 (Tc)を組み込んだが、3両編成化による奇数向き制御電動車(クモハ115形1500番台)の増加に対して岡山区全体で偶数向き制御車が不足したため0番台やクハ111形改造編入車の600番台(ともに非冷房車)が充当された。

1984年の越後線・弥彦線電化開業、1985年の御殿場線短編成化をはじめ関東地区との車両転配も数多く実施されており、分割民営化直前には211系投入により捻出された300番台も転入した。300番台は1986年に三鷹電車区から転入のMc+M'+Tc元横須賀色車と小山電車区から下関転出後の1993年に岡山へ再転入してきた車両で当区新製配置車両は1000番台のみである。

国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正では、中央東線用であった300番台3両編成6本が三鷹電車区から岡山電車区へ転入した。F1 - F6編成に区分され、F編成は当初の「山スカ色」から「湘南色」への塗装変更が施工された。この編成は後のD22 - D27編成となるグループである[307]

1990年代中期までは基本番台・800番台の非冷房車も所属しており、非冷房のまま1992年に廃車されたモハユニット・クハ115形トップナンバーの最終配置も当区所属であった。このうちクハ115-1は1963年1月31日の落成で宇都宮運転所に新製配置、1977年に小山電車区から岡山電車区へ転出、非冷房のまま1992年8月に廃車となり保存されることなく解体された[308]

関西地区の輸送力増強に対応するため、1992年には新快速221系増備で捻出された117系が宮原電車区から岡山電車区へ転入し、交換で115系の一部が網干電車区へ転出した[302]。網干区に転出した115系は高速化改造と改番が行われ、京阪神快速の増発用として同区の113系と共通運用された。岡山地区に転用された117系は山陽本線快速「サンライナー」で運用されたほか、中間電動車ユニットの一部が115系に編入されモハ115・114形3500番台となった[302]

非冷房車の置き換えも順次行われ、4両編成全車が非冷房のB編成は下関運転所の115系300番台や関西地区の103系転入で、4両編成中1両が非冷房のK編成は網干電車区の113系・115系、日根野電車区113系クハ111形転入と115系編入改造により冷房化が推進された[302]。網干区からの転入車は高速化仕様のまま岡山地区で運用された[302]

1995年1月17日に阪神・淡路大震災が発生した際は、復興輸送として岡山電車区の115系が関西地区に貸し出された[302]。貸出期間中の岡山地区では115系非冷房車が運用されたほか、113系が関西地区から貸し出されP編成となるなどの対応が行われた[302]。復興とともに貸し出し車両は返却され、非冷房車も大部分が廃車となった[302]。最後まで残存した非冷房車のクハ115-75は1999年に下関地域鉄道部下関車両管理室へ転属後、約2か月運用されただけで廃車された。

2000年より体質改善工事が開始され、1000番台以降の車両を対象に施工された。このうち2000年に40N体質改善工事を施工されたA10編成はクハ115-1146+モハ115-1086+モハ114-1150+クハ115-219の4両編成であり、0番台であったクハ115-219は体質改善車に合わせた張り上げ屋根化と通風器撤去が行われたが、窓枠や座席などの交換は行われず存置された[309]。K編成に組み込まれたクハ115-622でも同様の通風器撤去と張り上げ屋根化の改造が2001年に施工されている[310]

2001年の伯備線・山陰本線ワンマン化に対応するため、当時の115系1000番台3両編成のD編成を種車に8編成が2両編成化され、G編成となった[307]。モハ114形が先頭車化改造でクモハ114形となり、前面は切妻の非貫通構造となった[307]。改造と同時に40N体質改善工事を施工[311]されたが、座席の転換クロスシート化は行われていない[307]。2両編成化で外されたクハ115形は廃車されず、初期型のクハの置き換えに転用された[307]

A10編成の張り上げ屋根車クハ115-219は、D編成の2両編成化で捻出されたクハ115-1206に差し替えられた。クハ115-1206は2003年に30N体質改善工事を施工されたため、A10編成は40N車と30N車が混在する編成となった。張り上げ屋根車のクハ115-219とクハ115-622はいずれも2001年に下関地域鉄道部へ転属している[312][313]

早朝深夜には岡山電車区の115系が山陽本線の西明石まで乗り入れる運用が存在したが、2002年3月23日のダイヤ改正で姫路発着に短縮されたため、115系岡山車の姫路以東への乗り入れは消滅した[314]

香川県の金刀比羅宮の観光キャンペーンとして、2003年10月に115系D27編成3両が全面広告の黄色塗装となり、「こんぴら編成」と通称された[315]。2006年12月までこの塗装で運転され、網干総合車両所で湘南色に復元されている。

2004年には4両編成のA編成のうち4本でクハ1両を外した3両編成に改造されており、モハ115形の先頭車化改造車で貫通型切妻の運転台のクモハ115形1600番台が登場し、編成はD28 - D31編成となった[307]。この関係でA編成の編成番号に欠番が生じている[307]

2004年の台風16号による高潮のため、宇野線宇野駅構内で留置中のD18編成が水没した。一時使用不能となったが網干総合車両所で長期にわたる修理の後に復帰した。

ATS-P(拠点P)が設置された山陽本線上郡駅以東へ営業列車として入線するため、2007年よりATS-P搭載工事が施工開始され、2009年度にG編成を除き[要出典]完了した。

300番台3両編成のD22・23編成は網干電車区転属後に高速化対応車の5300・5800番台となっており、1997年の岡山電車区再転入後も高速化解除されていなかったが、2008年までに高速化が解除され原番号に復帰している[307][316]

2015年2月13日に山陽本線西阿知 - 新倉敷間の踏切で発生したトラックとの衝突事故により、被災した115系D24編成3両のうちクハ115-408とモハ114-359が大破した[317][318]。残ったクモハ115-323は損傷が軽微なため、湘南色4両編成のA13編成のうちクハ115-326とモハ114-316を組み合わせ、新たなD24編成として2015年8月13日に運用復帰した[319]。D24編成は2016年1月に湘南色から濃黄色へ塗装変更されている[318]

D24編成への転用で余剰となったA13編成の2両(クハ115-325・モハ115-316)は、2015年8月27日にクモヤ145形に挟まれて吹田総合車両所へ回送され[320]、2015年9月9日付で廃車となった[150]。大破したクハ115-408、モハ114-359の2両も2016年3月1日付で廃車となっている[149]。これによりJR西日本最後の湘南色4両編成であったA13編成が消滅した[321]

2015年に、K02・03・07編成の先頭車と下関総合車両所広島支所(旧L16編成)および下関総合車両所運用検修センター(旧O04・R02編成)から転入[322]した1000番台中間車で、A14 - 16編成が組成された[151]。K02・03・07の3500番台中間車6両は2015年4月から6月にかけて廃車された[150]。同年12月にK04・05の2本も廃車された[149]

2016年に、K01編成の先頭車と下関総合車両所運用検修センター(旧L15編成)から転入[323]した1000番台中間車で、A17編成が組成された[324]。K01編成の3500番台中間車は2016年3月に廃車された[149]。同年6月に、クハ115形が300番台で電動車ユニットの3500番台のみ30N体質改善工事を施工されていた[325]K06も廃車され[326]、K編成は消滅した。

2017年3月には倉敷市下津井地区を舞台にしたアニメ映画「ひるね姫 〜知らないワタシの物語〜」のラッピングが115系1000番台3両編成のD14編成に施工され、2017年3月1日の宇野線普通列車より運転を開始した[327][328]

JR西日本で2009年より行われている単色化により、岡山電車区の115系で最後まで湘南色で残っていた3両編成2本6両も濃黄色となる予定であったが、利用者からの要望などを受けて湘南色が継続されることが2017年4月に発表された[329]。300番台3両編成のD26・D27編成が湘南色で再塗装され、2017年5月3日 - 6日には湘南色の2編成を併結した6両編成での特別運行[330]が行われた。以後は3両編成2本が個別に通常運用されている。

2019年3月のダイヤ改正もって、岡山電車区の115系は広島地区及び四国島内(土讃線琴平駅まで)への乗り入れを終了した。広島地区の115系は227系に置き換えられたが、下関総合車両所に所属していた115系L編成のうちL16・L17編成が2019年6月に岡山電車区へ転入した[331]

2020年2月16日から2022年3月まで、D07編成が「Setouchi Train」として、鈴木マサルが手掛けたデザインのラッピング・内装で運行されている[332]

2019年に広島地区より転入したL編成は、2020年8月3日にL16編成が、8月6日にL17編成がそれぞれ下関総合車両所本所に廃車回送され[333]、いずれも2020年8月14日付で廃車された[334]。8月6日のL17編成廃車回送では、前面に「さようならJR115系L編成」の張り紙が掲出された。この廃車により115系2000番台は消滅した。

2020年10月1日現在、岡山電車区の115系は300番台・1000番台を中心に157両が配置され[311]、山陽本線姫路 - 三原間・伯備線[注 57]・山陰本線伯耆大山 - 西出雲[注 58]福塩線福山 - 府中[注 59]・赤穂線播州赤穂 - 東岡山間・宇野線[注 60]本四備讃線茶屋町 - 児島[311]で運用される。

30N体質改善車A-04編成
関西更新色塗装
A編成(A01 - 04・06・07・10・12・14 - 17編成)
4両編成12本計48両のグループ[311]。すべて1000番台体質改善車で構成される。A02編成は全車40N車、A10編成はクハ115-1206が30N車でそれ以外の3両が40N車、A01・03・04・06・07・12・14 - 17編成は全車が30N車である[311]。全編成とも濃黄色への塗装変更を施工した[311][337]
A05・09・11・08編成は2004年にクハ1両を外した3両編成のD28 - 31編成となったため、編成番号に欠番が発生した。
唯一300番台で組成されていたA13編成は、クハ115-325+モハ115-316を2015年9月9日に廃車[150]。クハ115-326+モハ114-316はD24編成に組み込まれた[151]
2015年から2016年にかけてK編成の3500番台ユニットが1000番台に差し替えられ、A編成のA14 - A17編成に編入された。
D編成(D01 - 31編成)
3両編成31本計93両のグループ[311]。岡山地区短編成化に伴い組成された3両編成グループが元である[338]。1985年4月の時点で18本、1986年10月の時点で40本が存在した[338][339]。当時は1000番台で構成されたD1 - 34編成[注 61]と三鷹区から転入の300番台(当初はF編成)で組成された。
京阪神地区輸送力増強用として1992年に5本が網干区に、1999年舞鶴線電化用として2本が福知山区に転出し、2001年に伯備線ワンマン運転用として8本がG編成として改造分離された。網干区転出編成のうち300番台2本は1996年に再転入、2004年には運用増加に伴い4本がA編成から改造・編入し現在に至る。
D01 - D21編成とD28 - D31編成は1000番台で、D01・06・13編成が40N[311]、D02 - 05・07 - 12・14 - 21・28 - 31編成が30Nである。
D01 - 21編成のクモハ115形は、国鉄時代に先頭車化改造された1500番台である[311]。D01・06編成のモハ114形はパンタグラフを2基搭載する[311]
D22 - 27編成は体質改善工事未施工の300番台である[311]。塗装はD22 - 25編成が濃黄色、D26・27編成は単色化されず2017年に湘南色で再塗装された[340]。D25 - 27編成は耐雪ブレーキを装備しない[311]。D24編成は2015年2月の踏切事故でモハ114・クハ115形の2両が損傷したため、この2両を300番台A13編成より組み込んで復帰している。
D28 - 31編成は2004年に1000番台のA編成を3両化した編成[341]で、クモハ115形は切妻前面の1600番台となっている[311]。このグループは2012年4月24日までに濃黄色塗装へ変更済[342]
G編成(G01 - 08編成)
G01編成
2001年にD編成からクハ115形を外しモハ114形のクモハ114形化改造により組成された編成で、伯備線・山陰本線ワンマン運転対応の2両編成8本計16両のグループ[311]。山陽本線瀬戸 - 倉敷[注 62]・伯備線・山陰本線米子地区伯耆大山 - 西出雲間、赤穂線播州赤穂 - 東岡山間[注 63]で運用される。
上り方先頭車は国鉄時代の先頭車化改造施工車であるクモハ115形1500番台を、下り方先頭車は切妻型非貫通先頭車であるクモハ114形1000番台を連結。2011年10月3日までに全編成が濃黄色塗装に変更済み[343][311]

なお過去に存在したが現在は消滅した編成について以下で解説する。

L編成(現在は消滅)
2015年から2016年にかけて下関総合車両所広島支所から下関総合車両所運用検修センターに転属した4両編成1本(L17編成)と、下関総合車両所運用検修センターのR06編成の両先頭車が廃車され残った電動車ユニット2両と下関総合車両所広島支所から下関総合車両所運用検修センターに転属した先頭車2両を組み合わせた4両編成1本(L16編成)の計8両のグループ[344]。2019年6月5日付で下関総合車両所運用検修センターから転入した[345]
中間車とL17編成岡山方クハ115形は2000番台車、L16編成の先頭車2両とL17編成三原方クハ115形は1000番台車[344]。30N体質改善車で全編成が濃黄色塗装変更済みである[344]
L16・L17編成とも2020年8月14日付で廃車[334]
K編成(現在は消滅)
臨時快速「スーパーラビット」運用のK02編成(2000年)
電動車ユニットが117系改造車の3500番台で組成されていた4両編成のグループ。A編成と同じ4両編成であるが、限定運用が組まれていた。
岡山地区短編成化に伴い組成された4両編成が祖となる[338]。当初は下り方先頭車が非冷房のクハ115形0・600番台、そのほか3両が1000番台で組成されたが、1992年に電動車ユニットが網干区に転出して交換で宮原区から転入した117系改造車のモハ115・114形3500番台に差し替えられた。
1994年から非冷房の下り方先頭車を冷房車のクハ115形300・600・1000番台に組み替え全車冷房化、600番台は2001年のG編成組成で捻出されたクハ115形1000番台に置換えられた。
2015年から2016年にかけて4編成で中間ユニットが3扉の1000番台に置き換えられてA編成へ編入、300番台先頭車と組むK06編成も2016年に廃車となり、K編成は消滅した。
B編成(現在は消滅)
1976年に転入してきた0番台非冷房車で組成された6両編成グループ(TcMM'MM'Tc)が、短編成化のため1985年3月ダイヤ改正でMM'ユニット1組を減車して組成された。
1985年4月時点で14編成[338]、1986年11月時点で12編成が在籍した[339]。編成バリエーションには中間にクモハ115形を組み込む編成(TcMcM'Tc)も存在したが、京阪神地区からの103系(冷房車)の転入や編成短縮などによる余剰車での置換えが進行し、1997年までに消滅した。

広島・山口地区[編集]

115系0番台の「ひろしまシティ電車」(横川駅、1984年)
瀬戸内色(クリーム1号青20号[76]
広島快速色の3000番台(2008年)
福知山から転入したC43編成(2006年)
花燃ゆ』ラッピング車(2015年)
L16編成の広島東洋カープラッピング車(2017年)

広島地区の115系は1976年より首都圏からの転入車が配置され、1978年から2000番台(山陽本線姫路以西の旧形車置き換え名目)の新製配置が行われた。これらは主に6両編成で、一部が4両編成とされた。

1982年には広島地区旧形車置き換えおよび列車増発目的(ひろしまシティ電車)として4両編成2扉転換クロスシートの3000番台の投入が行われ、下関運転所に新製配置された[346]。「ひろしまシティ電車」は乗客数6 %増と成功を収めたため、日本各地で同様の施策が拡大された。

1985年からの首都圏への211系投入に伴って、小山電車区の115系300番台が下関運転所へ転入した[347]。115系の転入で111系残存車の老朽廃車や静岡運転所等への転属が実施され、下関運転所の電車は115系に統一された[347]

115系の一部編成では、クハ115形奇数向き車(神戸方先頭車)のトイレ撤去跡に飲料用自動販売機を設置した車両が存在した[348]。自動販売機の設置は300番台と0番台の一部で行われており、トイレ用小窓の跡に「自動販売機コーナー」の看板が設置されていた[348]

1993年の新広島空港開業を機に広島地区の快速列車網が整備されることになり、115系3000番台の編成が従来の瀬戸内色から広島快速色に塗装変更された[346]。3000番台は広島運転所へ転属し、快速列車を主体に運用された。

1995年の下関地域鉄道部発足に伴い、下関運転所の検修部門は下関地域鉄道部下関車両管理室となった。

1997年には113系のクハ111形2両が奈良電車区から広島運転所に転入し、115系編成の神戸方に組成の上でG01・G02編成となった[348]。G01編成にはクハ111-268が[349]、G02編成にはクハ111-139が連結されている[350]。同時に福知山運転所から福知山色の113系4両編成1本が転入してH01編成となっている。

1999年にはG01・G02編成、H01編成とも下関へ転属し、後に両端がクハ115形のG03編成が登場している[348]。G01 - 03編成とも抑速ブレーキの無い113系に合わせて岩国以西の限定運用であったが、マスコンハンドルの交換で抑速ブレーキが使用可能になったため、以後は他の115系と同様の線区で運用されている[351]。113系H01編成は1997年転入の編成が1999年に福知山へ再転出し、同じ1999年に113系800番台のうち草津線に転用されていた京都総合運転所の4両編成[351]が下関に転入して新たなH01編成となった。

広島運転所の2000番台4両編成は1997年に下関へ転属してC編成に編入されたが、1999年より広島運転所に再転入した2000番台はL編成となり、体質改善工事が順次施工された[352]。体質改善工事は1999年 - 2001年10月施工のL01 - 13編成は40N、2002年 - 2004年施工のL14 - 22編成は30Nで施工された[353]。下関のC編成で一部車両が体質改善車となる編成は、0番台等の非体質改善車においても体質改善車に合わせた塗装に変更されている[312]

体質改善工事施工直後のL編成は呉線快速「安芸路ライナー」で運用されていたが、広島シティネットワークでの快速列車本格導入に伴い快速「シティライナー」「通勤ライナー」などほぼ山陽本線限定運用に近い形態となった。その後快速列車の激減により、普通列車を中心に運用された。

1999年5月1日に開業したしまなみ海道のPRのため、3000番台のN12編成に「しまなみ海道'99」特別塗装が施され、岩国 - 岡山間・呉線・小郡 - 和気間で重点的に運用された[354]

2000年にはG03編成のクハ115形のうち非冷房車が置き換えられ、網干電車区(後の網干総合車両所)から転入のクハ111-5091[350]が組み込まれた。H1編成の中間電動車ユニットは2002年に113系800番台から115系に差し替えられ、両端がクハ111形のクハ111-811・812で残る編成となった[350]

岡山電車区に所属していた張り上げ屋根車のクハ115-219とクハ115-622は、2001年に下関車両管理室へ転属した。クハ115-219はC14編成[312]の、クハ115-622は2002年よりG02編成[313]の下関方先頭車として運用された。

3000番台は2003年までに下関へ再転出した。2004年から2008年にかけて体質改善30N工事が施工され[313]、広島快速色は消滅した。最後まで広島快速色で残ったのはN21編成であった[355]

2004年6月には福知山運転所の115系4両編成1本が下関車両管理室に転入し、C43編成となった[356]。C43編成は1000番台3両とクハ115-604による4両編成で、転入後しばらくは新福知山色で運用されていたが、2007年度に瀬戸内色へ塗装変更されている[356]

G01・G03・H01編成の115系中間電動車ユニットは、2004年より網干総合車両所から下関車両管理室に転入した1000番台高速化改造車に差し替えられた。高速化はクハ111形を含めて2009年までに解除され、原番号に復帰している[350]

下関のC編成のうち、先頭車のみ3000番台の2編成を含む4編成は2008年以降O編成に区分され、編成全車に30N体質改善工事が施工された。O編成の区分は応荷重装置の搭載を意味するものとされている[357]

クモハ115・114形550番台2両編成のT01 - 04編成は老朽化が進んでいたため、2008年の福知山電車区への223系5500番台導入で捻出された115系6000番台が1編成を除いて転入し、高速化解除と1000番台への改番が行われた。福知山時代と異なりワンマン運転は行われていない。クモハ115・114形550番台は2010年に全廃となった[358]

2009年の組織改編による下関総合車両所の発足に伴い、下関地域鉄道部下関車両管理室は下関総合車両所運用検修センターとなった。2012年の組織改編では広島運転所の検修部門が下関総合車両所に統合され、下関総合車両所広島支所となった。

JR西日本では国鉄形車両の地域別単色化を進めることになり、山陽地区の地域色には濃黄色が採用された。2010年1月20日に出場した3000番台N05編成から濃黄色に塗装変更された[359]。2020年10月現在全編成が濃黄色に塗装変更されている[360]

2012年より、115系2000番台の4両編成1本でプロ野球チーム「広島東洋カープ」のラッピングを施工した「カープ応援ラッピングトレイン」が登場し、各年3月頃からプロ野球シーズン終了の10月頃まで運転された。2012年は体質改善40N車のL02編成が使用され、2012年3月25日から運転を開始した[361]

「カープ応援ラッピングトレイン」は翌年以降も運転され、2013年はL13編成[362]、2014年は3月23日からL01編成が、2015年は3月22日からL11編成が[363]、2016年は3月21日からL08編成が[364]、2017年は3月26日から同年12月までL16編成が[365]、2018年は3月24日からL05編成が使用された[366]。115系での運転は2018年までとなり、2019年は227系での運転となった[367]

C編成・G編成の初期型クハの老朽化等に伴い、車齢の浅いクハ111形の115系化改造車で2012年より置き換えることになり、クハ115形2500・2600・750番台を組成した編成がR編成に区分された[358]。これによりG編成が消滅したほか、C編成も組成変更により編成数が減少した[358]

2013年の広島県デスティネーションキャンペーンの一環として、L12編成がラッピング列車「まんぷく宝しま号」として7月5日より運転を開始した[368]

山口県を主要な舞台とする2015年のNHK大河ドラマ花燃ゆ』の放送に合わせた観光客誘致のため、115系3000番台N06編成にメインビジュアルと山口県内の幕末維新ゆかりの地などをデザインしたラッピングが施工され、2015年3月28日に運行を開始した[369]

2015年より広島地区への227系の新製投入が開始され、従来の115系の置き換えが開始された。広島支所から他区所への転属も行われており、2015年3月にL02・03・12編成とL16編成の先頭車が同所の運用検修センターへ、翌月にL16編成の中間車が岡山電車区へ転属した。同年7月にL01・14・17・18・20編成、同年10月にL04・13・15・19・21・22編成が運用検修センターに転属した。

2015年10月4日時点では、下関総合車両所広島支所に4両のL編成2000番台7本(L05 - 11編成)28両が在籍し[363]、山陽本線[154]・呉線[370]で運用されていたが、2016年3月にL05 - L11編成が運用検修センターに転属して広島支所への配置車両がなくなった[371][322][323]

両端の先頭車が113系800番台のクハ111-811・812で組成されていたH01編成は、2016年1月に編成全車が廃車となり、H編成は消滅した[372]

3000番台はかつては山陽本線三石 - 下関間と呉線・可部線で運用されていたが、2016年3月26日のダイヤ改正で広島地区の電車が3扉車に統一となったため、同改正以降は山陽本線岩国 - 下関限定での運用となった[373]

2016年には「JR西日本 せとうち GOLD RALLY 2016」の一環として映画「ONE PIECE FILM GOLD」のラッピングがL22編成に施工され、7月23日から運転を開始した[374]

2017年にはサッカーチーム「サンフレッチェ広島」のラッピングを施工した「サンフレッチェ応援ラッピングトレイン」が115系1編成で登場し[365]、L17編成により2017年2月20日から2018年1月まで運転された。2018年はL04編成に同ラッピングが施工され、2月16日から運転された[366]

2018年の宇部市花火大会における企画電車として、115系による「はなびーる電車」が宇部線新山口駅琴芝駅の片道で運行されていた。「はなびーる電車」は2019年夏も運転されたが、2020年は新型コロナウイルス感染症の影響による花火大会中止のため運転されなかった。

2019年3月16日ダイヤ改正をもって広島地区の電車は227系に統一となり、糸崎・三原以東の岡山地区や岩国以西の山口地区からの115系乗り入れも終了した。

2020年10月1日現在、下関総合車両所運用検修センターには84両が所属[360]。主に山陽本線岩国 - 下関[360]で運用される。かつては0・550・600・650・750番台などを中心に異端車が数多く存在していたが、2015年の広島地区への227系投入後は大幅に廃車が進められその多くが消滅している。

所属編成について以下で解説を行う。

N19編成 広島更新色
N19編成
広島更新色
N05編成 黄色単色塗装
N05編成
黄色単色塗装
N編成(N01 - 12・14・16 - 21編成)
2扉車両の3000・3500番台で構成される4両編成19本計76両のグループ[360]。MM'ユニットはN14・16 - 21編成が3500番台のほかは3000番台で組成される。全車30N体質改善工事を施工済。クハ115形車両番号下2桁と一致されるため13・15が欠番である。
T編成(T11 - 14編成)
T13編成
T13編成
クモハ115・114形による2両編成4本計8両のグループ[360]。2008年の福知山電車区への223系5500番台導入で下関に転入し、老朽化したクモハ115・114形550番台のT01 - T04編成を置き換えた。
2012年10月1日に出場したT14編成を皮切りに[375]全車両とも濃黄色に塗装変更された[360]
L09編成 40N体質改善工事施工車 黄色単色塗装
L09編成
40N体質改善工事施工車
黄色単色塗装
C13編成 瀬戸内色
C13編成 瀬戸内色
C18編成 瀬戸内色 クハ115-556 AU13形分散式冷房装置6基搭載車
C18編成 瀬戸内色
クハ115-556
AU13形分散式冷房装置6基搭載車
R04編成
R04編成
G01編成
G01編成
G02編成 黄色単色塗装
G02編成
黄色単色塗装
H01編成
H01編成

なお消滅した編成については以下で解説する。

L編成
2015年から2016年にかけて下関総合車両所広島支所から転属した2000番台を主とした編成で(L15とL16の中間車は元C編成・R編成)、2017年4月1日時点では4両編成22本の計88両が在籍していた[376]。L01 - 13編成は40N体質改善工事施工車、L14 - 22編成は30N体質改善工事施工車であった[376]。各編成とも濃黄色へ塗装変更済みであった[377]
2018年6月21日付でL20編成が、2018年9月19日付でL11編成とL18編成が廃車となった[378]。2018年10月26日付でL12編成が、2018年11月15日付でL19編成が、2018年12月7日付でL13編成が、2018年12月19日付でL04編成が、2018年12月28日付でL05編成が、2019年2月9日付でL22編成が、2019年3月20日付でL06・L07・L14・L15編成が、それぞれ廃車となった[379]
2019年5月14日付でL09編成が、2019年5月31日付でL03編成が、2019年6月20日付でL21編成が、2019年7月11日付でL08編成が、2019年8月26日付でL01編成が、2019年9月13日付でL02編成が、それぞれ廃車となった[380]
2019年6月5日付でL16・17編成の2本が岡山電車区に転出した[345]
2019年10月31日付でL10編成が廃車され、配置が無くなった[381]
旧L15編成は下関総合車両所広島支所から下関転属後の2016年に、中間車1000番台2両が岡山電車区へ転出し[323]、旧C16編成の2000番台中間車に置き換えていた[353]
C編成
2019年4月1日時点では2000番台で組成される濃黄色塗装4両編成1本4両(C21編成)が在籍していた[382]
1999年から体質改善工事を施工し、編成単位で施工された編成はL・O編成として分離された。原則として編成単位で体質改善工事が施工された編成はL編成に、先頭車両が3000番台の編成は応荷重装置を搭載してO編成に分離されたが、2015年度の組替で全車2000番台かつ体質改善工事施工済みとなったC21編成はC編成のままとされた[382]
分割民営化直前に小山電車区などから転入の300番台で組成する、体質改善工事未施工車のみの編成も存在したが、2016年10月までに廃車されている。
2015年度上半期にC30・C32 - 34・C41編成の5本20両を廃車。C41編成は先頭車が0番台で、MM'ユニットが網干区から転入の1000番台であった。
2015年度下半期にC14・35編成とC16編成の0番台先頭車2両、C21編成の0番台先頭車1両を廃車[149]。C16編成の2000番台中間車は前述のL15編成に組み込まれ、C21編成には旧R05編成の2000番台先頭車が組み込まれた[353]
2016年度上半期にC36・37編成(体質改善工事未施工の300番台)の2本8両を廃車[326]
2016年10月6日にC31編成(体質改善工事未施工の300番台)の4両を廃車[383]
2018年10月26日にC13編成(先頭車が600番台と1000番台)の4両が廃車され[379]、600番台は廃区分番台となった。
2019年8月9日にC21編成の4両が廃車され[380]、C編成の配置は無くなった。
R編成
電動車ユニットが旧G編成もしくはC編成。クハ115形は、広島支所に所属していた113系F編成のクハ111形改造車の2500・2600番台で組成されるグループ。2019年4月1日時点では濃黄色塗装4両編成2本計8両(R01・04編成)が在籍していた[118][382]
2015年度上半期に、R02編成は中間車2両を旧O02編成の中間車に差替え。R07編成は廃車された[150]
2015年度下半期にR05編成は分割され、2000番台の電動車ユニットはR03編成に組み込まれて従来R03編成を組成していた0番台電動車ユニットは廃車された。2600番台先頭車1両は廃車され、2000番台先頭車1両はC21編成先頭車を置換えた[353][149]
2018年4月11日付でR03編成が[378]、2019年2月20日付で瀬戸内色塗装[118][384]のR02編成が[379]、それぞれ廃車となった。
2019年5月2日にR01編成が、2019年5月2日にR04編成が廃車され[380]、R編成の配置は無くなった。
O編成
1000・2000番台から組成されるグループで、C編成からの変更時に全車30N体質改善工事・応荷重装置の搭載が施工された。2012年3月にO03編成が濃黄色に塗装変更された[366]
2015年度上半期に、O01・02編成の2本は3000番台の先頭車4両が廃車され[150]、2000番台の中間車は旧O01編成の2両が(新)O04編成に、旧O02編成の2両が(新)R02編成に組み込まれた。なお(旧)O04編成および(旧)R02編成の中間車各2両は、岡山電車区へ転出しA編成に組成された。
2018年10月1日時点では4両編成2本(O03・O04編成)計8両が在籍していた[366]。2018年11月15日にO03編成が、2018年12月1日にO04編成が廃車され、全廃となった[379]
  • 旧O01編成←C02編成(2009年4月上旬)
  • 旧O02編成←C20編成(2009年5月上旬)
  • O03編成←C25編成(2008年10月中旬)
  • (旧)O04編成←C39編成(2009年3月上旬)
G編成
下り方先頭車は600番台車、上り方先頭車は奈良電車区から転入のクハ111形で組成された4両編成でG01 - 03編成の3本が在籍した。老朽化に加えて客用扉の半自動回路は未装備で扱いができないため、2012年中にすべてR編成化された。
  • 電動車ユニットは未更新車。G02編成は300番台車で元岡山電車区所属。G01・03編成は網干電車区所属110 km/h運転対応工事を施工し原番号+5000とされた1000番台車である。
  • クハ111形は主幹制御器の交換をはじめとする抑速ブレーキ対応改造工事が施工済。
  • G01編成は最も遅くまで前照灯が原形のままであったが、2008年5月にシールドビーム化された[89][385]
  • G02編成は岡山方先頭車のクハ111-139は前照灯シールドビーム改造車、下関方先頭車のクハ115-622は張り上げ屋根化改造車であった。2010年6月3日に黄色一色に塗装変更された[386]。このクハ2両は2012年7月のR編成化時に廃車となった。
T編成(T01 - 04編成)
先頭車化改造されたクモハ115形+クモハ114形550番台で組成された2両編成。車内はバケットタイプのオールクロスシートに木目化粧板の仕様とされ、105系冷房改造車と同じ直流1,500 V直接駆動によるWAU202形を搭載した。福知山区から上述したT11 - 14編成編成の転入により2008年12月にT01編成が、2009年にT02・03編成が、最後まで残っていたT04編成が2010年1月に廃車となった[387]
H編成(H01編成)
4両編成1本が所属していた。MM'ユニットは網干区から転入の6000番台から復元した1000番台、両先頭車は福知山運転所から転入のクハ111-811・812で構成されており、寒冷地対応で客用扉半自動回路も装備していた。
当初は福知山区から転入の113系800番台のみで編成が組成されたが、2002年にMM'ユニットが本系列に組み替えられた。その際にクハ111形の主幹制御器交換を実施したため、抑速ブレーキとノッチ戻し機能が使用可能となった。2013年10月15日付で車体塗装を濃黄色に変更したが[388]、2016年1月9日付で廃車[149]

特殊な試験運用[編集]

碓氷峠自走用115系の編成図
PJRPJRNC
碓氷峠自力走行試験用の115系(1963年)
← 軽井沢
高崎 →
クハ115 クハ115 モハ115 モハ114 モハ115 モハ114 モハ115 モハ114 モハ115 モハ114 クハ115
Tc Tc M M' M M' M M' M M' Tc'
  • 緑色は死重(荷重車)

上述の通常運用とは別に落成直後の1963年に粘着運転化された信越本線横川 - 軽井沢間で、電車の自力走行が計画され試験用車両に本系列が投入された。

  • 本区間で電車列車はEF63形補機により無動力で推進・牽引されるため最大編成長は8両に制限されていたことから、将来的な輸送力増強やスピードアップが狙いである。
  • 走行試験はMT54形主電動機の試験も兼ねて1963年9月19・20日に行われたが、停電のリスクを回避するためディーゼルエンジン式空気圧縮機が搭載された。

試験の結果、MT54形主電動機は熱容量に問題があることが確認された。その後1980年代に187系電車などが計画されたが、予算等の問題から実現していない[46]

私鉄・第三セクター譲渡車[編集]

しなの鉄道[編集]

S10編成 しなの鉄道色
しなの鉄道所属車両の車内

1997年にしなの鉄道が軽井沢 - 篠ノ井間で開業し、JR東日本の115系が譲渡された[389]。全車ともJR東日本からの車両番号は変更されていない[390]

譲渡編成はいずれも1000番台で、1997年のしなの鉄道線開業時には3両編成11本が譲渡された。2013年には169系の代替で導入された2両編成7本14両が、2015年の北しなの線開業時には3両編成5本15両が譲渡されている[265][391][392]

S1 - S11編成[編集]

1997年(平成9年)10月1日ダイヤ改正での北陸新幹線長野暫定開業に伴い、信越本線軽井沢 - 篠ノ井間が経営移管によりしなの鉄道線となった。転換に伴って169系電車3両編成3本とともに115系の3両編成11本33両が譲渡された[389]。編成番号はS1 - S11が付番されている。譲渡日は各編成とも1997年10月1日付である[393]

譲渡された115系はいずれも1000番台で、譲渡直前に松本運転所から長野総合車両所に転入したATS-P未搭載編成が選ばれている[394]。従来の長野総合車両所所属車は信越本線高崎 - 横川間でも運用されることからATS-P形を搭載していたが、しなの鉄道移管区間はATS-SN形のため、長野所属のATS-P搭載編成と松本運転所所属のATS-P未搭載編成を振り替えた上で譲渡された[394]

S8・9編成のクモハ115形は、先頭化改造車の1500番台である[392]。S8編成のクモハ115-1529はモハ115-1014から、S9編成のクモハ115-1527はモハ115-1012からそれぞれ改造されている[395]。S11編成は国鉄分割民営化直後の1987年時点では北長野運転所のN12編成であり、1987年から1990年までコカ・コーララッピングの広告塗装がなされていた[395]

S21 - 27編成[編集]

169系の代替として、2013年3月16日改正[396]より長野総合車両センター所属の115系2両編成7本計14両(N51 - 54・56 - 58編成)がJR東日本所属のままでしなの鉄道での運用を開始し、6月1日付でしなの鉄道に譲渡された[266]

譲渡後には側面のJRマーク部分と前面貫通扉にしなの鉄道のステッカーを貼付した上で編成番号をS21 - 27に変更した[397]。S21 - 24編成はJR時代にリニューアル工事施工済みである[392]。譲渡時の編成番号変更は、JR時代に施工されたリニューアル工事の施工車と未施工車とで分けられた。

編成はクモハ115形とクモハ114形の2両編成で、クモハ114形は全車がJR化直後の1987年から1988年にかけてモハ114形から改造された先頭車である[398]。S22編成はクモハ115形も国鉄時代の1984年にモハ115形から改造された先頭車で、両先頭車が先頭車化改造車となる唯一の編成である[398]

JR東日本所属だった2000年から2003年にかけて、クモハ114形車端部にトイレが設置されたが、しなの鉄道での運用開始以降は使用停止となっている[392]。トイレ設置時には側窓埋め込み・戸袋窓への鉄板ボルト留め処理を施工し、リニューアル車・未更新車ともに向かい側は車いすスペースが設置された[398]。しなの鉄道転用直前の2012年から2013年にかけてはワンマン運転対応設備が搭載された[392]

先頭車化改造車の改造時期は以下の通りで、施工はいずれも長野工場である[399]

  • S21編成: クモハ114-1507(元モハ114-1016、1987年11月17日)
  • S22編成: クモハ115-1528(元モハ115-1013、1984年11月9日)、クモハ114-1508(元モハ114-1050、1987年11月27日)
  • S23編成: クモハ114-1509(元モハ114-1049、1987年12月16日[400]
  • S24編成: クモハ114-1510(元モハ114-1009、1988年1月12日)
  • S25編成: クモハ114-1511(元モハ114-1181、1988年1月28日[401]
  • S26編成: クモハ114-1512(元モハ114-1182、1988年2月17日)
  • S27編成: クモハ114-1514(元モハ114-1054、1988年3月27日[401]

S12 - S16編成[編集]

2015年3月14日ダイヤ改正での北陸新幹線金沢延伸開業に伴い、信越本線長野 - 妙高高原間がしなの鉄道の北しなの線として移管された[402]。これにより元長野総合車両センター所属の115系3両編成5本(N1・N7・N12・N13・N21編成)計15両が譲渡され、編成番号はS12 - S16が付番された[403]

各編成ともJR時代にリニューアル工事を施工済みである[402]。譲渡日はS12・S14編成が2015年1月2日付、S13・S15・S16編成が2015年3月12日付である[402]

S15編成(元N13編成)は新製配置が新前橋電車区であり、S16編成(元N1編成)はリニューアル工事が長野総合車両所(当時)ではなく大宮工場で施工されている[402]。S16編成は2019年9月時点では他編成との併結運用のみだったが、2019年12月から単独運用可能になった。

譲受後の変化[編集]

車内ドア上の液晶ディスプレイ

塗装は登場後しばらくはJR時代の2代目長野色にしなの鉄道のステッカーを貼り付けた形態であったが、赤と灰色を基調としたしなの鉄道オリジナル塗装への変更が進められた[395]。S3編成は開業直前の1997年9月25日に実施、最後に変更された編成は2004年3月10日のS10編成である[392]。1998年からは座席モケットのグレー系への張替えが行われている[394]

2000年よりリニューアル工事が行われ、座席の交換や床面の貼り替え、補助電源のSIV化などが行われている[404]。S6編成はしなの鉄道初のリニューアル編成であるが、後にリニューアルを受けた編成と違い座席フレーム自体は交換されず、灰皿が設置されていた部分の化粧板のみ同色の新品化粧板に交換されている。工事はJR東日本長野総合車両所(後の長野総合車両センター)で施工され、S1 - S11編成のグループのうちS5編成を除く10編成で2009年度までに完了した[399]

昼間を中心に都市型ワンマン運転を行うため、2002年度から2003年度にかけてワンマン化改造が実施された[395]。ドア開閉や自動放送等を運転士が操作するためのワンマン運転用補助設備が搭載されている。外観面では車外スピーカーが設置されており、列車番号表示機は撤去されている。ワンマン化改造と同時期にドア上部に広告用液晶ディスプレイが設置された[404]ほか、ドアチャイムも搭載されている。

しなの鉄道では管内に汚物処理装置に対応する地上施設が設置されていないため[405]、JR時代より設けられていたトイレは閉鎖し使用不可とされていた。トイレがないのはサービス面で好ましくないため、S8編成のクハ115-1021でバイオトイレへの改造が試験的に施工された[404]。S8編成のバイオトイレは後に使用停止とされたが、2014年の観光列車「ろくもん」への改造と同時にバリアフリー対応トイレとして復旧されている。

2013・2014年度には、S1 - S11編成のうちS5編成を除く10編成で車載保安装置がATS-Sn対応の物からATS-PとATS-Ps対応の両種併設機器に交換された[406]

観光列車「ろくもん」[編集]

観光列車「ろくもん」

S8編成は、観光列車ろくもん」に改造された[407]。改造工事は長電テクニカルサービス屋代工場で行われ、2014年7月11日より運行を開始している[408][402]。車両デザインは水戸岡鋭治が監修した[402]

「ろくもん」の愛称は沿線の上田市ゆかりの戦国武将である真田氏家紋六文銭」に由来するもので、車体の赤色は真田信繁(幸村)が武具に用いた「赤備え」がモチーフとなっている[409]。改造では各車両とも中央扉が塞がれた2扉車となっており、扉のあった場所は大型の窓が設けられた展望席となっている[409]。トイレはバリアフリー対応の大型トイレが設けられた[409]

しなの鉄道でのラッピング[編集]

S2編成『あの夏で待ってる』ラッピング

2012年8月4日から2013年12月25日まで[410]の期間で、沿線の小諸市などを舞台にしたテレビアニメあの夏で待ってる』のラッピングがS2編成に施工された[411][412][413]

2013年9月24日から[414]2014年12月8日まで[415]、2両編成のS23編成で「AC長野パルセイロ」のラッピングを施工して運行された[416]。S26編成は2014年10月5日から2015年8月14日まで小諸市小諸青年会議所50周年記念事業の一環として、同市内の子供たちによって書かれた絵がラッピングされ、「ドリーム列車“絆”」の愛称を付けて運行された。

2017年1月5日から2018年1月27日まで、S11編成に田窪恭治の作品「イイヅナのリンゴ」ラッピングが施工された[417][418]。2017年12月25日から2019年1月10日まで、S2編成に「沿線キャラクター大集合ラッピング」が施工された。

2019年3月19日から5月8日まで、S24編成が映画『4月の君、スピカ。』のラッピング「君スピ号」として運用された[419][420]

しなの鉄道での復刻・イベント塗装[編集]

2017年7月から9月まで開催される信州デスティネーションキャンペーンに合わせ、長野県内を走行した115系に関連するリバイバル塗装が施工された。第1弾として2017年4月7日にS7編成が初代長野色で[421]、第2弾として2017年5月19日にS3編成が湘南色で[422]、第3弾として2017年7月にS16編成が横須賀色[423][424][425]でそれぞれ登場した。

2015年のしなの鉄道譲渡後も2代目長野色塗装で運用されていたS15編成は、2017年11月15日に2代目長野色のまま再塗装され、加えて貫通扉部分および裾部に貼られていたしなの鉄道シールが剥がされた。

2018年3月には、S11編成がJR化直後以来となるコカ・コーララッピング[426]として登場した。日本コカ・コーラならびに北陸コカ・コーラボトリングの協力により、当時の塗装からロゴデザインならびにキャッチコピーを現行のものとした復刻塗装が実施された。費用はクラウドファンディングで募集し[427]、目標額290万円を大きく上回る3,963,544円となった[428]。2018年3月2日付けでコカ・コーララッピングに変更されたS11編成は、同月4日より定期運用に復帰した[428]

S9編成は2018年に重要部検査を受けた後、11月12日に台鉄EMU100型電車風の塗装となって登場し、同月15日より「台鉄自強号色」として運行されている[429]。しなの鉄道と台湾鉄路管理局の友好協定締結を記念したもので、約3年間の運行予定となっている[430]

2018年10月12日にはS26編成が横須賀色に塗装変更され、10月14日より定期運用に充当されている[431]。2019年5月には、S25編成が湘南色に塗装変更された[432]。初代長野色のS7編成は2019年7月26日に屋代工場で重要部検査・再塗装されて出場し、7月29日より定期運用に復帰している。

S11編成のコカ・コーララッピングでの運用は、2020年10月2日をもって終了となった[426]

しなの鉄道115系の運用[編集]

S4編成の快速列車

日中は基本的に2両編成または3両編成で、ラッシュ時間帯には2編成連結で5両編成または6両編成で運行している。快速「しなのサンライズ号」は3月下旬 - 11月の平日は6両、土休日は3両、12月 - 3月上旬は取りのため毎日6両で運用している。

仕業検査は戸倉駅構内の車両基地で、交番検査・重要部検査・全般検査は屋代駅構内の長電テクニカルサービス屋代車両検査場で、それぞれ実施する[394]

2013年にはS5編成が運用を離脱し、7月末に169系SS2編成の2両とともに長野総合車両センターへ回送された[433]。S5編成はしなの鉄道の115系3両編成では唯一となったリニューアル未施工・ATS-P未設置車で、2013年8月1日付で廃車となった[266]

2020年7月4日の新型車両SR1系(ライナー車両)投入に伴い、S6・S23編成の2編成の運用離脱が発表された。S6編成は1977年12月15日に松本運転所に新製配置された編成で[434]、しなの鉄道の115系の中で最も古く、2001年に最初のリニューアル工事が施工された編成であった[435]。運用離脱日はS23編成が7月3日、S6編成が2020年7月4日となった[435]

2021年3月13日ダイヤ改正でのSR1系(一般車両)の投入に伴い、2両編成のうちS25・27編成は2021年3月12日をもって運用を離脱する予定となっている[436]

しなの鉄道115系の編成表[編集]

2015年4月1日現在の編成を基に記す[437]。2013年に廃車のS5編成も便宜的に記載する[393]

しなの鉄道115系 3両編成
編成番号 クモハ
115
モハ
114
クハ
115
しなの鉄道譲渡 しなの鉄道色化 リニューアル JR時代の編成 備考
S1 1004 1007 1004 1997年10月1日 1999年7月26日 2005年 R1(松本
S2 1012 1017 1011 1999年8月11日 2008年3月17日 R2(松本)
S3 1013 1018 1012 1997年9月25日 2005年1月14日 R3(松本) 開業前にしなの鉄道色へ塗装変更
S4 1066 1160 1209 1999年12月28日 2007年3月20日 R4(松本)
S5 1069 1166 1212 1999年3月27日 未施工 R6(松本) ATS-P未設置、2013年廃車
S6 1002 1003 1002 2001年3月23日 R12(松本)
S7 1018 1023 1017 2003年1月25日 R13(松本)
S8 1529 1052 1021 2000年12月28日 2009年3月9日 R14(松本) 2014年7月2日付けで観光列車「ろくもん[407]」に改造
S9 1527 1048 1223 2000年12月8日 2010年2月17日 R16(松本) 2018年11月に台鉄自強号色化
S10 1067 1162 1210 2004年3月10日 R17(松本)
S11 1020 1027 1019 2003年3月20日 R20(松本) 2018年にコカ・コーラ広告復刻塗装化、2020年に復刻終了
S12 1036 1047 1037 2015年1月2日 2016年10月7日 1999年10月8日 N12(長野
S13 1070 1167 1213 2015年3月12日 2017年9月20日 1999年7月2日 N7(長野)
S14 1010 1015 1010 2015年1月2日 2015年3月12日 1999年2月12日 N21(長野)
S15 1015 1020 1014 2015年3月12日 未施工 1999年3月31日 N13(長野) 2017年11月に2代目長野色で再塗装
S16 1072 1170 1215 未施工 1999年3月29日 N1(長野) 2017年7月に横須賀色化
しなの鉄道115系 2両編成
編成番号 クモハ
115
クモハ
114
しなの鉄道譲渡 しなの鉄道色化 リニューアル JR時代の編成 備考
S21 1011 1507 2013年6月1日 2014年12月8日 2000年3月28日 N56(長野
S22 1528 1508 2014年9月8日 2000年2月1日 N51(長野)
S23 1037 1509 2015年1月20日 2000年3月4日 N52(長野) 1978年5月19日に長野鉄道管理局松本運転所に新製配置[400]
2000年12月2日に長野運転所に転属[400]
S24 1005 1510 2015年5月 2000年6月23日 N57(長野)
S25 1075 1511 2015年2月25日 未施工 N58(長野) 1981年6月19日に長野鉄道管理局松本運転所北松本支所へ新製配置[401]
1985年3月に北松本支所廃止に伴い松本運転所へと転属[401]
2019年5月に湘南色化
S26 1076 1512 2015年9月18日 未施工 N53(長野) 2018年10月に横須賀色化
S27 1040 1514 2014年8月4日 未施工 N54(長野) 1978年5月30日に長野鉄道管理局松本運転所へ配置[401]

伊豆急行[編集]

伊豆急行200系タイプIII
伊豆急行200系タイプIII

1990年代後半に伊豆急行では開業当初から運用を続けていた100系・1000系電車が老朽化のため代替が検討されており、東急8000系電車による置換えが計画されていた。しかし当時の東急は廃車を予定していなかったことや、サービスを維持するために片側2扉改造での導入は伊東線との直通運転に適していないこともあり、中継ぎとしてJR東日本から113系および本系列を購入し、200系として導入[390][438]した。以下の2種類が本系列からの改造車である。

タイプII
2001年・2002年に入線。松本運転所を廃車になった基本番台・800番台の3両編成6本18両で、F3 - 8編成となった[390]
タイプIII
2002年・2003年に入線。松本運転所を廃車になった300番台の3両編成3本9両で、F9 - 11編成となった[390]

譲渡に際し自力走行で伊豆急行線に入線し、塗装ならびに仕様変更などの改造工事を伊豆高原電車区で施工した。

2004年から当初予定されていた東急8000系電車が伊豆急行8000系電車として譲渡開始され、2005年増備車から200系の順次置換えを開始。2007年までにタイプII全編成が廃車となり、続いてタイプIIIも2008年7月までに定期運用を終了。同年12月14日にF11編成による「伊豆急200系さよなら運転」をもってすべての運用を終了した[390][439]

保存車両[編集]

・クモハ115-1061 -新津鉄道資料館

・クハ115-1106 -ブランシュたかやまスキーリゾート(待合室として活用)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ JR西日本の高速化改造車は110 km/h。
  2. ^ ただし最大両数は1985年度末時点で113系への改造が4両、113系からの改造編入が6両あるため1,923両である。
  3. ^ 扉の幅は1,300 mmだが[1]、取手部分が戸袋に収納されない構造である[25]
  4. ^ 通常の両開き用ドアエンジンと異なり、左右それぞれ別個のドアエンジンを小型化し一組にしたものを鴨居部に押し込んだ構造である[25][26]
  5. ^ 手動段でのノッチ(制御段)を下げることが力行3 - 5段と抑速段で操作可能[32]。CS12形以前の電動カム軸制御器には本機構が搭載されていない。
  6. ^ 当初はCS12系列を搭載する予定だった[2]
  7. ^ 電気機関車に搭載されている笛と同タイプ。
  8. ^ 宇都宮運転所へは1966年7月までの配置であり、以後は小山電車区への配置と変更になっている。また同時に宇都宮配置車は全車小山電車区へ転属となった。
  9. ^ 国鉄では800番台の番号区分を主に低屋根構造車に割当て、中央東線・身延線篠ノ井線などのトンネル狭小区間での運用に対応させたした。同例はクモハ14形クモハ40形クモハ43形・クモハユニ44形クモハ51形・クモハ60形72系80系101系165系などに存在するが、番台区分800は山の→8という説もある。
  10. ^ 基本番台のモハ114形+モハ115形のMM'ユニットは途中から同一車番同士の組成ではなくなった。
  11. ^ 実際に身延線で運用されるようになるのは1984年のモハ62形(2代)・クハ66形置換え後。
  12. ^ 後に基本番台・800番台の冷房改造車も施工時に統一された。
  13. ^ 但し近郊型のクロスシートはドア間に2組しかない為、ロングシート側は座席中心ではなく外端で測っており、実質はそれぞれ1,400 mmと1,470 mmである。
  14. ^ 当時は国鉄電車の便洗面所数削減が具体化され、近郊形電車では編成中の片方の制御車とグリーン車にのみ設置する方針とされた[55]
  15. ^ 国鉄での帯塗装の粘着テープ化は身延線仕様が初採用。
  16. ^ 身延線時代は業務室扱いとして閉鎖されていた。
  17. ^ ただし、予備のため両パンタ間は母線で接続されていない。1991年(平成3年)には台風による塩害でパンタグラフの故障が相次ぎ、部品不足から一時期は片側のパンタグラフが撤去された。
  18. ^ この後に改造されたクハ115形550・600・650番台広島地区用車も同様。
  19. ^ 後に2000番台ユニットに置換え。現在では3500番台と編成を組む車両もある。
  20. ^ この改造により捻出されたクハ115形11両が新潟地区へ転出した。
  21. ^ クモハ114形6両を含む。
  22. ^ クモハ115-1501・1502・1504・1506・1507・1509 - 1514・1536 - 1550が該当。
  23. ^ 側扉も廃車まで鋼製であった。
  24. ^ 電気ブレーキを使用して停止後に力行した場合、CS43Aでは電気ブレーキ段から前進(後進)力行段までカムを6段戻すため起動開始まで時間を要し、ブレーキオフ後すぐに力行可能状態になるCS15と比べると、タイムラグが大きいためと思われる。また、条件が整えばCS43Aでは並列段から力行可能になるが、CS15では常に直列段から起動を開始するため高速域でも加速力に差が発生する(ただし、速度検知を行っていない場合はCS43Aでも直列段から起動するため差はほとんど発生しない)。
  25. ^ 途中からクーラーキセ(カバー)がステンレス製となったAU75G形に変更。
  26. ^ 当時の関係者の話では1両あたりの改造費用は約700万円とのこと。
  27. ^ MM'ユニット5組10両のみ改造されず。
  28. ^ 体質改善工事施工が開始されたのは1998年、改造対象となる車両は1000番台および2000番台で1977年以降に落成した車両であり、文献には今後20年継続使用する車両と明記されていることから、想定寿命は40年であるとみなすことができる。
  29. ^ この投入で余剰となった80系電車は岡山広島準急とも」などに転用された[27]
  30. ^ そのうち500両以上は小山に投入された[159]
  31. ^ これに伴いサハ115基本番台車は全車廃車・廃区分番台となった。
  32. ^ 定期運用終了直後の2004年11月 - 12月には水害で故障した幕張車両センター113系6両編成の修理期間中に、300番台7両編成(ロングシート改造車)1本を貸出。サハを抜いた6両編成で湘南色のまま千葉地区で運用されたが、113系との混結を行わない6両単独で総武本線成田線限定運用とされた。
  33. ^ 同時に新製配置されたサハ115-1027は1992年にクハ115-1512へ改造され、2010年時点では長野総合車両センターC8編成に組み込まれていた。
  34. ^ ぐんまちゃんのイラストが描かれていた。
  35. ^ 以前にはダイヤの大幅な乱れにより運用変更が発生し松本まで運用されたケースもあった。
  36. ^ 新潟3次色車の運用区間は羽越本線、信越本線、上越線である[229]
  37. ^ 例として国鉄末期にクハ115-1090などへ施工した塗装(1次色より前面の青色部分の面積が増加した塗色)が存在する[230]
  38. ^ 先頭車両に施された帯は新潟の「N」をイメージしたものである[229]
  39. ^ この塗装は、新潟の水・米、海・川、水田のイメージで地元の大学生によってデザインされた[233]
  40. ^ クモハ115-1043の廃車日については『JR電車編成表』2018冬p.310にて補正。
  41. ^ Y編成と同じくMG交換は未施工であった。
  42. ^ クハ115-111+モヤ115-1+モハ114-59+クモハ115-115
  43. ^ クモハ115-506+クモハ114-506
  44. ^ 「JR普通列車年鑑 2012 - 2013」イカロスMOOK p.49にはアドバンスブルー・フレッシュグリーンと記載。
  45. ^ クハ115-126+モハ114-812+クモハ115-12 クハ115-183+モハ114-810+クモハ115-10 横須賀色でPS35形パンタグラフを搭載[261]
  46. ^ クモハ115-1073+クモハ114-1513
  47. ^ 非乗入れ車でもN21・N24・N32編成は搭載。
  48. ^ 直江津 - 柿崎は1320Mのみ[248]
  49. ^ 下りのみで上りは松本へ回送。
  50. ^ 側面方向幕に「むさしの」のコマがないために表示は「快速」のみとなる。また過去にN編成3+3で運用されたケースもある。
  51. ^ 旧C5編成のクハ115-443・496・モハ115-417+モハ114-443は300番台最終製造ロットである。
  52. ^ 長野県小県郡長和町に譲渡。町内のスキー場休憩施設として利用。
  53. ^ 松本に転入した元豊田所属の電動車ユニットと元小山所属のクハで組成。
  54. ^ 同様の塗装ミスに1975年三鷹区へ最初に納入された300番台8両(クモハ115-301・302・モハ114-329・330・クハ115-348・350・サハ115-306・307)の事例がある。この8両は本来横須賀色で製造されるべきところを湘南色で落成させてしまい、製造元の日本車輌製造に一旦返却回送され再塗装の上で納入が行われた。この8両のうちサハ115形を除いた6両は1986年の岡山転属後に、サハ115-306・307は小山転属後に再度湘南色に塗装されている。
  55. ^ クハ115-1118+モハ115-1055+モハ114-1118+クハ115-605。
  56. ^ クハ115-1108+モハ115-1034+モハ114-1095+クハ115-604
  57. ^ 新郷 - 伯耆大山間はG編成のみ。ただし、新郷 - 上石見間は、D編成が回送で乗り入れている。
  58. ^ G編成のみ。
  59. ^ 朝夕の6往復のみ。
  60. ^ 赤穂線・宇野線茶屋町 - 宇野間は、2012年3月17日ダイヤ改正時点では固定クロスシート車のみが投入されていたが[335]、同年9月には転換クロスシート車の充当も確認された[336]
  61. ^ 1983年8月から1984年2月までに改造されたD1 - D18編成は、クモハ115形車両番号下2桁と編成番号が一致する。1986年6月から12月までに改造されたD19 - D34編成はクモハ115形車両番号下2桁から17引いた数と編成番号が一致する(当時)。後年に他区への転出に伴い編成番号整理が行われたため現在の編成番号との整合性がない編成もある。
  62. ^ 瀬戸発着は平日・土曜朝の1往復のみ。
  63. ^ 3往復(うち1往復は長船発着)のみ。

出典[編集]

[脚注の使い方]
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参考文献[編集]

書籍・DVD[編集]

雑誌[編集]

交友社鉄道ファン
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  • 北川勝、福原俊一「115系近郊形直流電車 〜その歩みと現在の姿 (1)・(2) 〜」439号・441号、1997年11月・1998年1月。
  • 第39巻第6号、1999年6月。
    • 「長野支社 115系リニューアル車」。
    • 「長岡運転区に115系新訓練車登場」。
  • 「115系3000番台にPR塗装編成 "しまなみ海道'99"カラー」第39巻第8号、1999年8月。
  • 「新潟支社115系・キハ40系にもリニューアル車登場!」第40巻第4号、2000年4月。
  • 「短絡線ミステリー4 〜複々線を探る〜」第41巻第2号、2001年2月。
  • 「松本運転所の115系6両、伊豆急行へ譲渡される」第41巻第9号、2001年9月。
  • 第50巻第1号、2010年1月。
  • 第50巻第7号、2010年7月。
    • 「JR車両ファイル2010 車両のうごき 2009-2010」。
    • 「「幸せの黄色い電車」に巡り会えたダイヤ改正日」。
  • 第51巻第10号、2011年10月。
    • 岡田誠一「JNR COLOR」。
    • 「出来事 2011.6〜8」。
  • 第51巻第11号、2011年11月。
    • 草町義和「湘南新宿ライン10周年」。
    • 来住憲司「<検証>JR東西線開業以降の大阪中心部の鉄道」。
  • 「10/3、岡山区115系G編成、黄色化を完了」第52巻第1号、2012年1月。
  • 「JR車両ファイル2012 車両のうごき 2011-2012」第52巻第7号、2012年7月。
  • 第52巻第11号、2012年11月。
    • 福原俊一「115系近郊形直流電車のあゆみ」。
    • 宮本康宏「"ホリデー快速鎌倉"と115系M40編成 その後」。
    • 「しなの鉄道S2編成「あの夏で待ってる」電車に」。
鉄道ジャーナル社 「鉄道ジャーナル
  • 杉本聖一「国鉄車両の現在 3.115系」2012年7月。
電気車研究会鉄道ピクトリアル
  • 「115系電車」第37巻第2号、1986年2月。
  • 「新鉄局115系に新色」第37巻第6号、1986年6月。
  • 「115系電車の現状」第671号、1999年7月。
  • 2009年7月号(通巻820号)「特集:115系電車」
  • 2012年11月号(通巻869号)「特集:中央本線」
  • 2015年11月号(通巻910号)「特集:115系電車 (I)」
  • 2015年12月号(通巻911号)「特集:115系電車 (II)」

外部リンク[編集]