伊豆急行100系電車

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定期運用に充当されていた頃のクモハ103(+サハ182+クモハ121)

伊豆急行100系電車(いずきゅうこう100けいでんしゃ)は、伊豆急行電車

1961年(昭和36年)12月10日の伊豆急行線開業にあわせて東急車輛製造で製造され、2002年(平成14年)4月27日まで営業運転に使用された。伊豆急行線開業50周年を記念して、2011年から動態保存車が復活している。

本稿では100系の車体更新を行った1000系電車についても述べる。

概要[編集]

伊豆急行線は、ある程度の観光利用を目論んで建設した路線であり、開業後に相互直通運転予定の日本国有鉄道(国鉄)伊東線熱海駅 - 伊豆急下田駅を通して乗車した場合、所要時間が90分~120分程度と長くなるため、車体は国鉄急行形電車に準じた片側2扉とし、大半の座席をクロスシートとした。一方で通勤通学用としての用途も考慮し、デッキは設けずに扉付近のみロングシートを配するレイアウトとして設計された。結果的に本系列以前に製造された京浜急行電鉄(京急)700形電車(初代)国鉄42系電車に類似するレイアウトとなり、特に京急700形とは、前面形態と車体長を除いては非常に近似した車体形状となった。また、前述のとおり開業時より多くの普通列車が伊東駅から国鉄伊東線を経由して熱海駅 - 伊豆急下田駅間で相互直通乗り入れしていた[1]。そのため、伊豆急行線の開業当時一等車(後のグリーン車)を連結していた国鉄持ちの伊東線用編成に合わせる必要があったことと、沿線に別荘地が多く、需要が見込めることから二等車(後の普通車)だけではなく、一等車も製造された。

伊豆急行線開業までは東京急行電鉄東横線元住吉検車区に配置され、伊豆急行の運転士の慣熟訓練と開業の宣伝を兼ね同線内を連日走行した。

初代ロイヤルボックス格下げ車 サハ1801(←サロ1801←サハ184←サロ184)
「ロイヤルボックス」連結当初は大理石風のヘッドマークが掲出されていた 「ロイヤルボックス」連結当初は大理石風のヘッドマークが掲出されていた
「ロイヤルボックス」連結当初は大理石風のヘッドマークが掲出されていた
「イズノスケ号」

1963年(昭和38年)には私鉄車両では異例となる本格的な食堂車(サシ191)を新製し、同年4月27日から営業運転を開始した[2]。この車両は「スコールカー」と名づけられ、サントリースポンサーとして伊豆急行に寄贈した車両で、同社のウイスキー「トリス」や、同年から製造販売を開始したビールなどの酒類・飲料などが販売された。しかし、国鉄伊東線内での飲食営業が認められなかったために運用効率が悪く、わずか数年で編成から外され、伊豆稲取駅構内の側線に留置された後、1974年(昭和49年)にサントリーの了承を得た上でサハ191に改造された。同車は一段式下降窓を装備した車体が新製され、車内は転換式クロスシートを配置した。また改造当初より分散式冷房装置を搭載しており、普通車としては伊豆急行初の冷房車となった。これらの構造は、後の更新車1000系への足掛かりとなった。

伊豆半島の観光が人気を得ると輸送力増強に追われ、幾度か増備が行われた。1964年増備分から先頭車は高運転台車へとマイナーチェンジされるなどの変遷があるほか、1982年(昭和57年)以降の中間車の先頭車化改造や、後述のグリーン車(サロ)の格下げなどにより、バラエティーに富んだ形式区分となった。後年の冷房化では普通車には安価な家庭用冷房機を搭載し、冷房電源の関係から冷房使用時には元サロ車や1000系が連結された。1979年と1983年にクモハ110形・クハ150形各2両が1000系へと更新されている。1985年(昭和60年)からは2100系「リゾート21」に走行機器を流用するため、普通車14両が廃車された。

1986年(昭和61年)にはグリーン車を廃止し、普通車に格下げした。しかしグリーン車復活の要望が多く、代わりに翌1987年(昭和62年)に特別車両「ロイヤルボックス」(サハ184→サロ1801)を、改造により登場させている[3]。当初よりかつての普通列車のグリーン車扱いとは異なり特別車両として料金を課金されていた[3]。この「ロイヤルボックス」は好評を博し、サロ1801の内装を元にして2100系「リゾート21」にも「ロイヤルボックス」が製造されている。サロ1801はその後、普通車に格下げされている(サロ1801→サハ1801)。

1998年(平成10年)には伊豆観光キャンペーンの一環としてキャラクターである「イズノスケ」を先頭車前面、中間付随車(サハ)の側面に描いた「イズノスケ号」として運転された。

車種構成・外観・内装[編集]

低運転台車 クモハ121
高運転台車 クモハ126
先頭車化改造車 クモハ131
グリーン車 サロ182(2代)
クモハ129の車内

基本形式として1961年から1972年(昭和47年)までに両運転台式の制御電動車クモハ100形4両(101 - 104)、片運転台式の制御電動車クモハ110形18両(111 - 128)、中間電動車モハ140形7両(141 - 147)、片運転台式の制御車クハ150形10両(151 - 160)、付随車のサハ170形4両(171・172・175・176)、一等二等合造付随車サロハ180形3両(181 - 183 後年サハ173・174・177に改造)、一等付随車サロ180形6両(184 - 187, 181 II, 182 II 後年サハに格下げ)、食堂車サシ190形「スコールカー」1両(191 後年サハに改造)の計53両が製造された。

先頭車の前面は中央貫通扉付きで、大半を占める初期型は低運転台、前照灯は貫通路上部に2灯。1964年(昭和39年)以降の新製車6両(クモハ124 - 128・クハ160)と事故復旧車2両(クハ151・クハ152)は高運転台となり、後年登場した国鉄12系客車などに類似するスタイルで、前照灯は窓下左右に2灯ずつ計4灯とし、電照方向幕を採用した。ただし1982年に行われた中間車4両の先頭車化改造(クモハ129 - 131・クハ161)では、同様の高運転台ながら切妻のままとした。先頭車化改造車の旧番との対称は以下の通りである。

  • モハ145-147→クモハ129-131  サハ176→クハ161

サシ191は48人分のテーブル席を備えた食堂と、カウンターテーブルを備えたビュッフェを設置した[2]

クハ150形のうち、1961年製のクハ155は1963年にクロハ155に改造され、1970年に再びクハ155に改造されるまでの7年間、唯一の運転台付き半室一等車として運行された。このクロハ155は「スコールカー」ことサシ191と同じ編成に組み込まれていた。なお、この車両はその後、1979年(昭和54年)にさらにクハ1501に改造されている。

サロハ180形は1970年と1973年(昭和48年)にサハ170形に改造され、以降サハ170形は7両となった。なおサロ181・サロ182は1970年製の2代目番号となる。

塗色は上半部をオーシャングリーン、下部をハワイアンブルーとし、境界にシルバーのラインを配している。

客用扉は、国鉄153系などと同様片開き式を車端寄りに備えた。二等車(サハ191を除く)の客室側窓は大型の2段開閉式を採用し、扉間の窓は運転台の有無にかかわらず9個である。一等車は定員64名(サロ181・サロ182は60名)で、窓は座席2列分に跨る横長の固定窓(サロ187のみ2連1段開閉式)であった。

車両全長は国鉄車両と同寸の20m。窓下を丸めた裾絞りの断面を持ち、車体幅は2,800mmである。

二等車(サハ191を除く)の座席配置は、客用扉前後の窓一枚分がロングシートである他は全席向かい合わせ固定クロスシートとした。

二等車車内のインテリアは、天井及び内張りにポリエステル皮膜のアルミ板を使用。室内色は天井を淡い水色、窓周りを淡いピンク、腰板を黄銅色とした。シート地は青色のモケットで枕には白のビニールカバーが付けられた。床は中央部が明るい緑色、両側は濃緑色とされた[4]。このインテリアは、晩年には更新等により異なる色調に変更された車が多数であったが、クモハ129は最後まで製造時の状態を維持していた。

一部の車両のトイレには鉄道車両には非常に珍しくトラップの付いた一般用市販の汎用和式便器が採用され、給水方式も鉄道車両に珍しいフラッシュバルブ給水であった。

当初はサシ191を除き全車非冷房であったが、グリーン車は1970年(昭和45年)以降国鉄タイプの冷房装置を取り付け、その他の普通車も15両が1991年(平成3年)以降、家庭用冷房装置を利用した簡易な装置を取り付けて冷房化された。

ボギー台車は、東京急行電鉄5000系(初代)のTS-301形を基本とした軸梁式のTS-316形で、軽量かつ、保守費用の抑制が可能なシンプルな構造となっている。

主電動機直流直巻電動機であり、東洋電機製造製のTDK806/2-B(端子電圧750V、定格出力120kW、電流180A、定格回転数1,860rpm、最弱め界磁率35%)を採用した。駆動装置は中空軸平行カルダン駆動方式で、歯車比は当初5.60であった。この駆動装置は歯車が斜歯(はすば)ではなく平歯であったことから独特の駆動音が特徴であり、鉄道ファンからも注目されていた。後の更新工事の際に駆動装置は静かなものに変更され、歯車比は5.63に変更された。なお最後まで残存した未更新車はクモハ121である。

制御システムは抵抗制御で、国鉄101系153系で採用したCS12形を基本とした東芝製PE14形を使用している。ブレーキ方式は発電ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキ(当初は中継弁付電磁自動空気ブレーキ、1982年 - 1983年に変更)で、伊豆急行線内に介在する連続急勾配区間に対応するため抑速ブレーキも装備する。また弾力的な編成運用をこなせるように、電動車は1両でシステム的に完結する1M方式を採用している。

国鉄新性能電車[5]を基本としているため、加速度・減速度などの性能がかなり良く、乗り入れ先の伊東線での運転も全く問題なかった。

電動空気圧縮機(コンプレッサー)はDH25形を装備している。

1000系[編集]

クハ1502

100系電車の車体更新としては前述の更新車サハ191の他に、普通車のみであるが車体載せ換えにより1979年に登場した1000系電車が存在した。張り上げ屋根を廃した以外はサハ191の車体構造を踏襲しており、応荷重装置を新たに搭載している。車内は転換クロスシートを装備し、側面窓は2連式の下降窓となった。前面は貫通式で100形最終増備車と同じ高運転台だが、窓は側面まで回りこんだパノラミック・ウィンドウとなっている。

クモハ1100形 - クハ1500形の2両固定編成を組む。1983年に第2編成が落成し、1985年には第3編成の増備が計画されたが、社内のアイデアで観光車両(=リゾート21)に改造することが決定、以降の増備はリゾート21に移行したため、2編成に留まった。100系と同時に全車営業運転を終了した。

旧番との対称は以下の通りである。

  • クモハ118・120→クモハ1101・1102 クハ155・154→クハ1501・1502

老朽化による引退へ[編集]

「快速 さよなら100系 10両編成号」 121+182+103+129+1801+126+131+172+1102+1502

製造から30~40年程度経過した本形式は、老朽化や塩害による車体の腐食が進んでいたため、東日本旅客鉄道(JR東日本)から譲渡された113系115系を改造した200系2000年7月から営業運転開始したことにより、本格的な廃車が開始された。

2002年3月28日にはさよならイベント第一弾として「快速 さよなら100系 10両編成号」として最初で最後の伊豆急行線内10両編成で伊東 - 伊豆急下田間を運行した。またこのイベントでは「ロイヤルボックス」に改造されなかった旧サロ180形格下げ車のサハ182についてグリーン車のマークと緑帯を復活させた。さよならイベント第二弾は2002年4月13日の伊豆急グループサンクスデーに合わせ、快速「さよなら100系 Thanks Days号」として7両編成で伊東 - 伊豆急下田間を運行した。イベント当日は伊豆高原電車区が一般公開された。さよならイベント第三弾は2002年4月14日に伊豆急行主催の団体ツアーとして団体臨時列車「さよなら100系 単行電車体験ツアー」としてクモハ103を使用し1両編成で伊豆急行線内を運行した。これらのイベント後も一部の定期列車で使用されていたが、2002年4月27日をもって全車が営業運転を終了した。

営業運転終了後[編集]

東急車輛へ回送されるクモハ101(左)と同車を伊東まで牽引して来たクモハ103(右)2002年5月14日 伊東にて

2002年4月27日に営業運転を終了した後は大半の車両が廃車解体されたが、両運転台のクモハ103のみ事業用車牽引車代用)として残った。主に伊豆高原電車区内での車両入換作業に用いられているが、伊豆高原電車区の一般公開イベント「伊豆急でんしゃまつり」でも展示されていた。普段は伊豆高原電車区の海側に留置されており、イベント以外ではなかなか見られなかった。

また、2002年5月14日には保存のためにクモハ101が伊東まではクモハ103の牽引、伊東からはEF65形電気機関車の牽引で東急車輛製造に輸送された。その際、クモハ101の前面には「伊豆高原→東急車輛」と書かれた特製のサボが掲示された。2002年5月から東急車輛製造構内に保存されていたが、実態は放置に近く、老朽化のため2011年11月頃解体された。なお、後述の復活運転以前で本系列が本線上を自力走行したのはこの際のクモハ103が最後であった。

復活整備後[編集]

2012年4月3日、「快速100系さくら号」に使用中のクモハ103(伊豆急下田駅にて)

営業運転終了後から約9年後、クモハ103は事業用車として活躍していたが、2011年6月頃には老朽化が激しいこともあり社内で解体の話が出ていた。そこへ伊豆急行の社長が「あの100系を本線で動かすことができないだろうか」と言ったことで、クモハ103復活計画が始まった。2011年が伊豆急行線開業50周年であり、かつ「踊り子号」の運転開始30周年であったことから、これらの記念事業の一環としてクモハ103を営業用車両として復活させることを決定した。2011年7月から10月中旬にかけて改修工事が行われ、2011年11月2日に試運転を開始した。復活後は南伊東駅 - 伊豆急下田駅間で臨時団体列車やイベント列車で運行されており、JR東日本が管轄する伊東駅への入線は保安装置の問題などがあり、復活整備当初は南伊東駅までの入線となっていたが、2015年12月19日に開催された伊東線開業77周年記念イベント「伊東線開業77周年地域ふれあいフェスタ」での展示車両として約13年ぶりに伊東駅構内に入線した。

復活運転例を以下に示す。

  • 2011年11月5日 - 2012年2月4日(8日間):復活イベント第一弾、伊豆急行・JR東日本共同主催の団体臨時列車「100系電車復活記念の旅」として伊豆高原 - 伊豆急下田間で往復運転[6]
  • 2011年12月上旬 - 2012年1月上旬(20日間):復活イベント第二弾、伊豆急行主催の団体臨時列車「クモハ103号車で行く下田ミニトリップ」として伊豆高原 - 伊豆急下田間を往復運転[7]
  • 2012年3月10・11日(2日間):河津桜まつりに合わせ、臨時列車「快速100系河津桜号」として伊豆高原 - 河津間を往復運転[8]
  • 2012年3月28 - 4月3日(5日間):伊豆高原桜まつりに合わせ、臨時列車「快速100系さくら号」として伊豆急下田 - 伊豆高原間で往復運転[9]
  • 2012年6月15・18・22・25・29日(5日間):下田あじさい祭に合わせ、臨時列車「アジサイ電車号」として伊豆高原 - 伊豆急下田間で往復運転。
  • 2012年7月23 - 27日(3日間):臨時列車「快速ビーチトレイン号」として伊豆高原 - 伊豆急下田間で往復運転。
  • 2012年9月30 - 10月1日(2日間):稲取細野高原秋のすすきイベントに合わせ、臨時列車「稲取細野高原海すすき号」として伊豆高原 - 伊豆急下田間で往復運転。

脚注[編集]

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  1. ^ 2002年12月1日以降、普通列車に関しては当線から伊東線への片乗り入れとなっている。
  2. ^ a b 交友社鉄道ファン』1963年6月号(通巻24号)p51 児玉九郎 新車インタビュー 伊豆急に‘ビール電車’誕生
  3. ^ a b 鉄道ジャーナル』第21巻第7号、鉄道ジャーナル社、1987年6月、 107頁。
  4. ^ 小口喜生 伊豆急100系 2003年 毎日新聞社
  5. ^ 国鉄101系電車の出力を増強し、抑速ブレーキを追加した、あるいは、国鉄165系電車の歯車比を通勤形電車なみに下げた構成である。
  6. ^ 【伊豆急行】団臨「100系電車復活記念の旅」運転 - レイルマガジン RMニュース(ネコ・パブリッシング) 2011年11月7日
  7. ^ 伊豆急行 クモハ103で行く下田ミニトリップ - レイルマガジン RMニュース(ネコ・パブリッシング) 2011年11月16日
  8. ^ 伊豆急行で特別列車「快速100系河津桜号」運転 - 交友社「鉄道ファン」railf.jp鉄道ニュース 2012年3月12日
  9. ^ 伊豆急行 快速〈100系さくら号〉運転 - レイルマガジン RMニュース(ネコ・パブリッシング) 2012年3月28日

外部リンク[編集]