国鉄165系電車

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国鉄165系電車
(163系・165系・167系・169系)
165kei T9.JPG
165系湘南色(伊那松島運輸区
基本情報
運用者 日本国有鉄道
東日本旅客鉄道
東海旅客鉄道
西日本旅客鉄道
製造所 川崎車輛→川崎重工業汽車製造近畿車輛帝國車輛工業東急車輛製造日本車輌製造
製造年 1963年 - 1970年
製造数 165系:701両
運用終了 2003年
廃車 2009年
主要諸元
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1,500 V
最高運転速度 110 km/h
設計最高速度 130 km/h
全長 20,000 mm
全幅 2,903 mm
全高 4,090 mm
床面高さ 1,225 mm
車体 普通鋼
台車 空気ばねインダイレクトマウント台車
DT32・TR69系
主電動機 直流直巻電動機
MT54形
主電動機出力 120 kW
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 80:19 (4.21)
定格速度 全界磁 60.0 km/h
40 %界磁 96.5 km/h
制御方式 抵抗制御・直並列組合せ・弱め界磁
制御装置 CS15形 電動カム軸式
制動装置 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキ
勾配抑速ブレーキ*(163系を除く)
保安装置 ATS-SATS-PATS-ST
備考 163・167・169系のデータも含む
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国鉄165系電車(こくてつ165けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した直流急行形電車である。153系を基本に出力増強・勾配線区対応を行った直流急行形電車として、1963年から1970年にかけて701両が製造された[1]

国鉄分割民営化後は、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・西日本旅客鉄道(JR西日本)にそれぞれ承継された。

本項では、平坦線出力増強用として製造された163系修学旅行用として製造された167系・信越本線横川 - 軽井沢間(碓氷峠)でEF63形との協調運転対応用として製造された169系についても解説を行う。

登場の経緯[編集]

国鉄急行形電車の体系
電動機出力 抑速ブレーキ 直流急行形 交直流急行形
100 kW 153系 451系・471系
120 kW 163系 453系・473系
120 kW 165系 455系・475系
457系

国鉄初の直流急行形電車となる153系は、1958年に準急東海」で運転を開始して以降、東海道本線の準急・急行列車の主力車両として運用されていた[2]。153系は主電動機に出力100 kWのMT46形が搭載されていたが、電化区間の拡大とともに25パーミルの勾配線区においてMT比1:1の編成では出力の不足が課題となった[2]。例として153系6M6T編成の場合、山陽本線瀬野 - 八本松の勾配区間(瀬野八)では補助機関車が必要とされた。

1960年代前半、信越本線長岡 - 新潟間・高崎 - 長野間、中央東線電化により首都圏から直通する長距離連続電化区間が完成し、電車による急行列車を運転することが計画された。しかしいずれも連続急勾配が介在し、寒冷・多雪な気候条件の路線であり、153系ではこれらの路線には出力や耐寒能力不足で不適であった。

1960年度には出力120 kWのMT909形主電動機が試作され、101系による試験を経て1962年に量産型のMT54形が完成した[1]。また、主制御器も451系・471系で採用されたノッチ戻しが可能なCS15形を基本に、157系で実用化された抑速ブレーキを組み合わせたCS15A形が開発された[1]。これらの主電動機・主制御器を採用し、勾配・寒冷路線での運用に対応した直流急行形電車として1963年に登場したのが165系である[1]

165系の平坦・温暖路線用高出力形として163系の製造が計画されたが、系列集約を推進する見地から本格的な増備は見送られたため、結局165系が多くの路線で運用される標準型となった。

構造[編集]

ここでは基幹系列となる165系の構造を基本に記述する。関連系列の構造は各系列の節を参照のこと。

編成[編集]

153系では両端を制御車とし、中間に電動車ユニットを併結した最小4両編成であったが、165系ではクモハとモハの制御電動車ユニットが基本とされ、最小3両編成での運転が可能となった[3]。当初の中央本線用の編成では、中間電動車ユニットに両端が制御車の4両編成が組成されていた[3]。153系と併結しての営業運転も可能であった。

先頭車のうちクモハ165形は方向が奇数向き(東海道本線基準で東京向き)に固定されたが、クハ165形は登場時は方向転換が可能であった[4]。冷房装置の搭載後は引き通し線の関係から向きが固定された。

原則的にクモハ165形+モハ164形ユニットは奇数(東海道本線基準の上り)向きとして運用されたが、信越本線横軽対策山陽本線での分割併合時の考慮などにより逆向きで使用されることもあった。中央東線用編成は中央東線基準で偶数向き、東京駅基準では山手貨物線経由で新宿から中央本線に入るため正規向きとなる。また移転前の塩尻駅では篠ノ井線と中央西線がスイッチバックで逆編成となるため中央西線では正規向きとなる。

車体[編集]

車体は153系を基本としており、東海形の前面スタイルも継承された。前頭部はクハ153形500番台と同じ高運転台構造であるが、幌枠が451系111系と同じく出っ張った構造となっている[1]。車幅は最大2,900 mmで、車体の下半分から下に向かって裾絞りが設けられている[5]

側窓は153系と同じく2等車(普通車)が上段下降・下段上昇のユニット窓、1等車(グリーン車)が下降式の2連窓、ビュッフェ車のビュッフェ部は固定窓が採用された[5]。客用扉は1等車(グリーン車)とビュッフェ車は幅が700 mm、それ以外は幅1,000 mmとなり、扉数はビュッフェ車以外が片側2箇所、ビュッフェ車では片側1箇所の客用扉と物資積卸用の手動引き戸が設けられている[5]。自動扉の戸閉装置(ドアエンジン)はTK4E形が採用された[2]

車内の座席は1等車(グリーン車)にリクライニングシートが、2等車(普通車)では153系と同じく向かい合わせの固定クロスシートが採用された[6]

車体外部塗装は153系に準じて緑2号黄かん色に塗り分けた湘南色であるが、車体腰部の緑色が車体前面まで延長された[7]

主要機器[編集]

主電動機は従来標準であったMT46形(端子電圧375 V時、定格出力100 kW/1,860 rpm(70 %界磁)・最高回転数4,320 rpm)に代えて、1962年に日立製作所が設計[8]・開発したMT54形(端子電圧375 V時、定格出力120 kW/定格回転数1,630 rpm(全界磁)・定格電流360 A・最高回転数4,320 rpm)を搭載した。

20 %の出力向上で、MT比1:1編成を組成しても25 程度の勾配が登坂可能となり経済性と輸送力を両立させた。列車併結などによる混用を考慮してMT46形とも極力出力特性を揃えており[注 1]、速度種別はMT比1:1編成で営業最高速度と同じA10である。歯車比は153系と同じ80:19 (4.21) である[9]

主制御器は「自動ノッチ戻し機構」と山岳区間での走行も考慮した勾配抑速ブレーキを搭載したCS15A形制御装置を採用した。製造時期によりCS15A・B・C・E形の各種が存在する。主抵抗器の容量も153系などに比べ増強された。

153系などのCS12形を筆頭とする従来の電車用自動加速制御器は、マスター・コントローラーから手動操作でのノッチ(制御段)下げが不可能であるため一度マスコンをオフに戻してから、再び手動段で投入するという作業を繰り返すことになる[注 2]。CS15形制御器では制御器の並列段 - 弱界磁最終段(マスコンの3 - 5ノッチ間)の自動ノッチ戻し扱いが可能になり、運転士の負担を大きく軽減した。

台車はスイングハンガー式空気ばね台車であるDT24形/TR59形を採用した153系とは異なり、インダイレクトマウント式空気ばねを搭載するDT32形電動台車・TR69形付随車台車を装着する。DT32系は451系・471系以降国鉄特急・急行形電車の標準台車として採用されており、ダイアフラム形の横剛性を生かしたまま揺枕吊を廃止し高速安定性や乗心地の改善に寄与した[10]

集電装置はPS16形パンタグラフがモハ164形に搭載された[2]。中央本線で運用されるモハ164形は、パンタグラフの折り畳み高さを下げるためパンタグラフ部が低屋根構造の800番台となった[2]

ブレーキは抑速ブレーキ付きで、発電ブレーキ併用の電磁直通ブレーキであるSED形が採用された[11]

サービス電源用の電動発電機(MG)は、出力20 kVAのMH97-DM61形がモハ164形に設置された[12]。153系では出力5 kVAのMH81-DM44形MGが搭載されていたが、機器の増加で出力が不足気味であったため20 kVAに向上された[12]。ビュッフェ車のサハシ165形には、自車の調理機器・冷房電源供給用として出力40 kVAのMH101-DM65形が設置された[12]

空気圧縮機(CP)は165系開発時点で大容量のものが試作中のため、容量1,000 L/minのMH80A-C1000形がモハ164形に2基搭載された[11]。増備途上より容量2,000 L/minのMH113A-C2000M形1基搭載に変更されている。

冷房装置は当初はビュッフェ部分にのみ設けられていたが、1964年度より1等車に、1968年度より2等車にも設置された。

寒冷地・積雪地での運用に備えて、耐寒耐雪装備が施工された。東海道・山陽本線など温暖線区向けの車両では、耐寒耐雪装備が準備工事に留められていた。

系列別概説[編集]

165系[編集]

国鉄初の直流急行形新性能電車として開発された153系電車の構造を踏襲し、勾配・寒冷路線向けとして開発され、1963年3月から営業運転に投入された。

主電動機は出力120 kWのMT54形が採用され、主制御器は抑速ブレーキとノッチ戻しが使用可能なCS15A形が搭載された[13]。国鉄直流急行形電車の標準系列として1963年から1970年にかけて701両が製造されたほか、153系からの編入車13両を加えた総数は714両となる[13]

低屋根車[編集]


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パンタグラフを搭載するモハ164形のうち、パンタグラフ部を低屋根構造としたグループは800番台に区分された[7]。レール面からのパンタグラフ折畳高さが4,000 mmの制約が設定された中央本線・身延線の狭小トンネル建築限界対策として、モハ164形のPS16形パンタグラフ取付部分のみ低屋根構造とし折畳高さを4,140 mmから180 mm下げ3,960 mmとした。形式区分はモハ164形800番台となり、801 - 864の64両が製造された。

非冷房車ならびに冷房工事準備車は低屋根部室内天井には扇風機の代わりに換気扇(ファンデリア)を、低屋根肩部パンタグラフ脇に換気用ルーバー風道を設置するが、新造冷房車は当初から未設置であり、在来車も冷房搭載工事施工により撤去された。低屋根部分の扉のドアエンジンは通常のTK4E形が設置できないため、151系で採用された直動式のTK100B形が使用されている[14][3]

該当線区で定期運用を持つ三鷹電車区・松本運転所、波動輸送対応として新前橋電車区・小山電車区(現・小山車両センター)・宮原電車区・岡山電車区のほか、房総西線電化用として津田沼電車区[注 3]ならびに呉線電化用として下関運転所[注 4]に、さらに浦和電車区(現・さいたま車両センター[注 5]・新潟運転所[注 5][注 4]に新製配置された。

狭小トンネル区間運用充当車は当初800番台に限定されたが、PS16形を基本に集電舟小型化・イコライザーの台枠外移設などの改良を行い、最小折りたたみ高さを縮小したPS23形が1973年に開発された。このため0・500番台車はPS23形搭載により制約が解除された。

簡易運転台付き電動車[編集]

山陽本線の153系準急鷲羽」が12両編成に増結された際、宇野線変電所容量の関係から10両編成への分割が必要となった[7]岡山駅での分割併合を容易にするため、増結2両ユニットとして1963年に新造された165系のモハ164形に簡易運転台が設置された。形式区分はモハ164形500番台とされ、全車クモハ165形とユニットを組成する。

デッキとトイレの配置を入れ替え、サロ165形と同様の回送運転台が装備された。後位妻面の小窓・後部標識灯・デッキ屋根上部前照灯・大型通風器に特徴がある。

モハ164-501 - 514の14両が製造され、501 - 511の11両は山陽準急用として宮原電車区に、512 - 514の3両は新前橋区配置とされた。新前橋区の3両は1966 - 1968年には揃って長野運転所へ転属し信越急行で運用された。

売店車[編集]

中央東線急行列車の利用者には登山客が多く、ビュッフェ車のサハシ165形ではコストの面や混雑時のサービスに課題が生じたことなどから、157系モハ156形等で採用された売店方式が取り入れられることになった[15]。形式区分はサハ164形とされ、1966年に2両のみが製造された。後位寄り車端を売店ならびに物資積卸口とし、設備自車給電用5 kVAのMH81-DM44形MGが搭載された[15]

1966年10月のダイヤ改正による増発対応として松本運転所に配置。サハシ165形と共通運用されたが、1970年に売店も含めAU13E形6基で冷房化改造を施工しMGを冷房電源用110 kVAに換装。1974年に既にビュフェ営業を休止していた上越急行のサハシ165形とトレードされる形で新潟運転所へ転出。さらに1978年には大垣電車区へ転出するも1979年から1980年にかけて再び松本運転所へ所属となった。1983年に廃車され形式消滅。

横軽協調運転試作車[編集]

信越本線の横川 - 軽井沢間には碓氷峠に66.7パーミルの急勾配が存在し、1963年にアプト式から粘着運転に切り替えられたが、急勾配が残されたため引き続き補助機関車が必要となった。無動力の推進・牽引運転では安全上の問題から165系は最長8両編成に制限されるため、横軽間を12両編成で通過可能なようEF63形との協調運転を行う車両が試作された[16]。形式区分は165系900番台とされ、1967年に3両編成4本の12両が製造された。

主制御器は165系のCS15C形をベースに協調運転機能を追加したCS15D形で、モハ164形900番台は800番台に準じた低屋根構造となった。モハ164形も含めてAU12S形による冷房準備工事がなされていた。

この165系900番台の試験結果を基に、量産車として1968年に169系が登場した。165系900番台は後の量産化改造で169系900番台に編入されたが、量産化改造後は新前橋電車区の165系と共通運用された。

163系[編集]

平坦かつ温暖な線区での急行列車充当用として、165系から耐寒耐雪設備・勾配抑速ブレーキを省略して計画された系列である。153系の出力増大車に相当する系列であったが、製造はサロ163形の1形式のみでクハ・モハ・サハシなど他の車種は製造されなかった[17]

当初は平坦線区の東海道本線向けに設計が検討されたが、東海道新幹線開業後は性能の関係で運用範囲が山陽本線のみとなることから製造は一旦見送られた[18]。先頭車の塗り分け案も検討資料が残存する[19]が、将来の広域転配への考慮もあり運転サイドから165系への統一の声が強く[19]、以後の増備は165系に統一された。163系を投入予定であった東海道・山陽本線では、165系の耐寒耐雪装備を省略・準備工事とした暖地仕様車161両が投入されている[20]

しかし東海道新幹線開業で在来線にリクライニングシート付き1等車が増備されることになり、サロ152形の不足を補う目的で1964年12月より1等車7両のみが163系として登場した[18]。形式はサロ163形となり、車体はサロ152形と同様で冷房装置を設置、台車は165系と同じ空気ばね台車である[17]

サロ163形の7両は宮原電車区に配置され、終始153系編成に組み込まれて運用されたが、1968年には大垣電車区に全車転属。7を除く6両は後にサロ165形と混用で運用されたが、1983年までに全車廃車された。

7は1969年にグリーン車需要の関係から浜松工場でサロ112-51へ改造された。静岡電車区に配置され東海道線東京口運用に投入されたが、1971年に高槻電車区(現・網干総合車両所高槻派出所)に転出。京阪神地区で運用され1978年に廃車された。

167系[編集]


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1959年に東京・関西地区の修学旅行列車用として155系が登場し、「ひので」「きぼう」で運用されたのに続き、1961年には中京地区の修学旅行列車用として159系が登場し、「こまどり」として運転された[18]。これに続いて群馬・栃木・茨城県の北関東地区へ向けた修学旅行列車用電車が開発されることになり、165系をベースに設計された修学旅行用電車が167系である[18]

155・159系同様に乗降頻度が少ないことからドア幅を狭め、大型の脱着可能な折り畳み式テーブルを備える。また、155・159系の編成を前提にモハ167・166形ユニットの中間電動車とクハ167形制御車のみの構成とした。しかし季節列車等一般の列車にも投入することを想定して、室内設備は原型となった165系との相違点は少なく、低屋根構造はパンタグラフ部のみである。

1965年度に関東地区(対京阪神)増発用、1966年度に山口広島両県からの要請による山陽地域用として、MM'ユニット15組30両と制御車22両の計52両全車が汽車製造で製造された。関東地区の車両は1974年に修学旅行用列車の新幹線移行に伴い、波動輸送を中心にした運用に転用された。また、山陽地区の車両も1975年山陽新幹線岡山 - 博多間延伸に伴う修学旅行用列車の廃止によって関東地区または関西地区に転属し、波動輸送を中心にした運用に転用された。

当初の塗色はカナリアイエローとライトスカーレットの修学旅行色であったが、1978年9月の車両塗装に関する規定の改定で修学旅行色が廃止されたため、1979年以降は湘南色に変更された。宮原転出車は比較的早期に設備はそのままで湘南色に変更された。

1978年初夏から1981年にかけて、モハ167形がAU13EN形分散式6基、クハ167形が同形5基、モハ166形がAU72形集中式を搭載する冷房化改造工事が施工された。冷房改造と同時に出入台部飲料水タンクと洗面台の撤去、宮原所属車はモハ166形を除く各車の物置を洗面所に改造する工事も施工した。1981年中頃までは修学旅行色の冷房車も存在した。

1981年10月から1985年3月まで急行「ごてんば」2往復に167系田町区所属車が投入され、167系で唯一の定期急行列車での運用となった。

1982年にクハ167-2が事故廃車となったため当時神領電車区で休車中だったクハ165-3[注 6]を翌1983年に転属させて代車として編成に組み込んだ(詳細は後述)。その後は転属・廃車もなく分割民営化時にはJR東日本には35両が、JR西日本には16両が承継された。修学旅行用電車で冷房改造およびJRに継承された唯一の形式である。

167系 所属基地別分類
所属 クハ167 モハ167・166 JR化時承継先
田町 1 - 8 1 - 4 JR東日本田町電車区
(クハ167-2は1984年に事故廃車)
下関→田町 9 - 18 5 - 9
下関→宮原 19 - 22 10 - 15 JR西日本宮原電車区

博物館向けモックアップ[編集]

クハ167形モックアップ

2006年5月14日に閉館した交通博物館での展示を目的に、日本車輌製造が実車同様の部品を使用して現地で出張製造を行った。車号はクハ167-1とされ、修学旅行色の車体に「なかよし」のヘッドマーク[注 7]を前面貫通扉に掲出した。

交通博物館閉館後は埼玉県さいたま市鉄道博物館に移設され、当初はノースウイング(北側別館)に、ノースウイング改装に伴いプロムナードで展示される。製造当時は休憩スペースにも利用されていた客室部分が徐々に短縮化され、現在は運転台部分と客室1区画程度である。

169系[編集]

169系湘南色(しなの鉄道によるリバイバル)
クモハ169-1ジャンパ連結器類
A:通常制御用KE64形2基
B:協調制御用KE70形
C:高圧電源(主回路)用KE6形
D:冷房用三相交流電源KE9形

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信越本線横川 - 軽井沢間専用補助機関車EF63形との間で最大12両[注 8]までの協調運転を可能とした派生系列。1967年に試作車である165系900番台を新前橋電車区に配置し、試験の結果翌1968年 - 1969年に169系として量産車の製造が開始された。

車両形式は167系に次ぐ系列として169系となったが、これ以降の横軽協調運転対応車は系列数字の末尾を「9」とする慣例が確立し、特急形電車では489系189系が横軽協調運転対応車として登場した[21]。ただし、9の数字は119系など横軽協調対応でない車両にも使用される[21]

協調運転以外の設備は車体構造・車内設備・性能とも165系と同一であり、EF63形との協調運転はできないが165・167系との混結運転は可能である。前面は警笛がシャッター式となり、屋根上には予備笛のAW-2が設置されている[22]。機器類は制御装置をCS15C形に協調運転対応装置を搭載したCS15D形に変更、協調運転用の機器としてSRB8形界磁接触器を新たに設置した[22]。協調運転で抑速ブレーキを使用する際の温度上昇を抑制するため、抵抗器を容量増大したMR52C形に変更した[22]

ジャンパ連結器は協調制御用にKE70を搭載する[22]。169系のみで編成を組成する場合もKE70形1基で制御可能であるが、165・167系との混結運転は従来からのKE64形2基による制御回線を使用する。協調運転時に下り軽井沢方先頭車となるクハ169形にEF63形との連絡装置・非常制動時に衝撃を抑える特殊構造の非常弁・主幹制御器への防護回路等を搭載する。

量産車はMcM'ユニット27組54両Tc27両の計81両で、3形式とも1968年製車は冷房準備車。1969年製車は落成時からの冷房車。その他はすべて他形式からの改造車で、長野運転所(現・長野総合車両センター)残留のサロ165形から改造されたサロ169形19両、サハシ153形から改造されたサハシ169形10両を加えた110両が長野運転所に配置された。設計時点で中央東線への乗り入れは考慮されず、試作車の165系900番台と異なり低屋根車は登場していない[22]

試作車は1968年の量産化改造で169系900番台へ改番編入し、引き続き新前橋区配置で同区の165系と共通運用されたが、1984年 - 1985年にかけてクモハ・クハ169形がクハ455形に、モハ168形がサハ165形100番台に改造され区分消滅した。事故廃車のクモハ169-9・モハ168-5、余剰車のクハ169-2を除いた新造量産車3形式78両がJR東日本に承継された。

1997年の北陸新幹線開業により信越本線横川 - 軽井沢間が廃止となり、EF63形との協調運転を行う区間は消滅した[23]。信越本線軽井沢 - 篠ノ井間も経営分離によりしなの鉄道となり、同社にも169系3両編成4本の計12両が譲渡された[23]

JR東日本所属車は1996年から2003年にかけて老朽廃車を実施し、JRグループの169系は消滅した。しなの鉄道への譲渡車も2013年3月16日のダイヤ改定で定期運用を終了、週末を中心とした臨時列車運用も同年4月29日限りで運用終了し、同年8月1日までに全車廃車となり系列消滅した。

形式[編集]

等級は製造開始時に準拠する。

165系の形式[編集]

クモハ165形
モハ164形とユニットを組む定員76名の2等制御電動車 (Mc) で、主制御器・主抵抗器を搭載。勾配線区で使用される特質上電動車比を高める必要から、基幹形式の一つとして1963年から1970年にかけて145両が製造された。基本形の0番台が1 - 141の141両、碓氷峠(横軽)区間でのEF63形協調運転試作車とされた900番台が901 - 904の4両である。
451系・471系では電動車ユニットを両方向に使用可能としたため両渡り構造としたが、本系列では奇数向き東海道本線基準で上り東京方)に固定を原則としたことから片渡り構造を採用した。
外観上は、主電動機冷却風の取り入れのため前部出入台(デッキ)屋根上部に設けられた大型の通風器や床下艤装の関係で他車の700リットルに対して本形式およびモハ165形は枕木と平行に設置された550リットルの水タンクが特徴である。
1 - 122が非冷房、900番台はAU12形分散式冷房装置の冷房準備車、123 - 125がAU13E形の冷房準備車、126 - 141はAU13E形5基搭載の新製冷房車として落成した。新前橋区所属の先行冷房改造試作車[注 9]と900番台はAU12S形6基搭載で冷房化された[注 10]
モハ165形
モハ164形とユニットを組む2等中間電動車 (M) で定員84名。165系ではクモハ+モハのユニットが主流となったことから、需要は小さく21両のみ製造された。
1 - 17は非冷房で1963年 - 1966年に落成し、モハ164形800番台とユニットを組成し波動輸送に使用された。18 - 21はAU13形6基搭載の新製冷房車として1969年に落成、モハ164形0番台とユニットを組成し山陽本線急行「とも」「鷲羽」増発用に使用された。非冷房車も後にAU13形分散式冷房装置6基を搭載する改造工事を施工された。
また、1963年製造車は新前橋配置後に三鷹→田町を経て1975年には神領区へ、1965年[注 11]・1966年製造車は1972年には大垣区へ、また1969年製造車は1973年ならびに1975年に神領区へ転入した。このため分割民営化以前に廃車となった2 - 5を除き全車JR東海へ継承されており、残存車は1989年以降に静岡運転所へ集中配置となった。
モハ164形
クモハ165形またはモハ165形とユニットを組成する2等中間電動車 (M') で定員84名。電動発電機 (MG) ・空気圧縮機 (CP)・パンタグラフを搭載する。1963年から1970年にかけて166両が製造された。基本形の0番台が1 - 84の84両、簡易運転台を設置した500番台が501 - 514の14両、パンタグラフ設置部を低屋根としたの800番台が801-864の64両、協調運転試作車の900番台が901 - 904の4両の内訳である。
1965年度第2次民有車以降に増備された69- ・836- では、CPをMH80A-C1000形2基からMH113A-C2000M形1基へ変更された。MH113A-C2000M形は既にモハ102形・モハ114形への搭載実績があり、以後はモハ454・456・474形へも波及する。
国鉄急行形電車2等車(現・普通車)冷房化計画では、1967年製造の901 - 904[注 12]ならびに1968年製造の846 - 848は冷房準備車[注 13]、1969年製造の81- ・849- はAU72形集中式冷房装置を搭載する新造冷房車[注 14]として落成。それ以前の非冷房車は、新前橋区所属で先行冷房改造試作車となった8両[注 15]にはAU71形、その他の車両にはAU72形が搭載された。
クハ165形
1963年から1970年にかけて206両が製造された2等制御車 (Tc) で定員76名。非冷房車では方向転換可能な両渡り構造を採用したが、後の冷房改造により冷房用三相交流電源引通しを追設したため片渡り構造となった。クモハ165形が奇数向き固定のため本形式では3 - 11・109・113・159・161・163・169・171・173・177・179ならびに117 - 135の奇数番号車計29両を除き偶数向き固定とされた[注 16]
Mc+M'+Tcを基本とする本系列であるが、電動車ユニット166組に対して製造両数が40両多い理由は、モハ165+164の中間電動車ユニットを挟み込むTc+M+M'+Tcで製造された21両分のほか、153系との混結運用に充当する目的で単独製造された車両が含まれているためである。
1 - 155が非冷房、901 - 904がAU12S形6基の冷房準備車[注 10]と新前橋区所属の先行冷房改造試作車[注 9]、156 - 190がAU13E形5基の冷房準備車、191 - 206が新製冷房車である。冷房化改造では900番台がAU12S形6基、0番台はAU13E形5基搭載とされた。新製冷房車・量産冷房改造車では110 kVAの電動発電機が搭載された。
サロ165形
1等付随車 (Ts) で、定員48名。1963年 - 1969年に134両が製造された。外観的には、台車を除き特徴的な二連式大型下降窓や回送運転台の装備などサロ152形を踏襲する。
1 - 28は非冷房、29はAU12形6基搭載準備工事車、30 - 129はAU12形6基搭載新造冷房車、130 - 134[注 17]はAU13形5基搭載の新造冷房車として落成した。非冷房車・冷房準備車は事故廃車の24を除く全車がAU12形6基搭載で冷房化改造された。冷房化に際し自車給電用20 kVA電動発電機を搭載、さらに2等車(現・普通車)冷房化に際して三相交流電源引通しを追設した。
営業運転終了後も106が静岡車両区在籍で車籍を有したまま浜松工場に留置されていたが、2009年3月31日の廃車により本系列は廃系列となった。
サハ164形
中央東線用として1966年に川崎車輌で2両のみ製造された定員56名の売店付2等付随車 (Tk) 。車端部に売店と車内販売準備室が設けられている。床下には設備自車給電用5 kVAのMGが搭載されたが、1970年の冷房化改造時に冷房電源用110 kVAのMGに換装された。165系としては最初のサハになるが、特殊仕様のため偶数形式とされた。
サハ165形
車体構造・車内設備はモハ165形と同一となる定員84名の付随車 (T) 。11両全車が新製時からAU13E形分散式冷房装置6基と冷房電源用110 kVA MGを搭載して落成。1969年10月のダイヤ改正で山陽本線不定期急行の定期列車化用として1 - 10が川崎車輌で製造され宮原電車区へ、1970年に呉線電化による増発用として11[注 18]が近畿車輌で製造され下関運転所へ配置された。
1972年3月のダイヤ改正以降は、全車新潟運転所へ集中配置とされ上越急行へ転用。1974年には5・9が神領区へ転出し中央西線でも運用された。1984年にはクハ455形・サロ110形へ6両が改造されたが、残存車両は松本運転所→長野運転所へ配置され長野ローカルで運用。1999年に保留車となり2001年までに全車廃車となった。
サハシ165形
1963年に川崎車輌・近畿車輌で12両が製造された2等・ビュフェ合造付随車 (Tb) 。2等客室部の定員は36名。車体中央部に設置された幅700 mmの客用扉を境に前位寄りを2等客室、後位寄りを電子レンジを標準装備するビュフェとし、トイレ・洗面所は設置しない基本構造はサハシ451形に準じているが、客用扉のステップは省略する。またサハシ153形の「寿司コーナー」は「蕎麦コーナー」に変更され、車内販売用業務用控室を出入台寄りに設置した。冷房は新製時からビュフェ部分にAU12形4基が搭載され側窓も固定式としたが、1969年 - 1972年に客室にもAU13E形2基を搭載した。
新製配置は全車新潟運転所とされ上越急行で運用されたが、1965年の中央東線急行「アルプス」でのビュフェ営業開始のため2・4・6・8・10の5両は松本運転所(現・松本車両センター)へ転出、後の客室冷房改造時に電源供給上の理由からMGを従来の40 kVAから110 kVAに交換した。しかし2は車両需給の関係から1966年から再び新潟運転所配置となった。
1973年10月1日ダイヤ改正で「佐渡」減便ならびにビュフェ営業終了により、翌1974年に1 - 3が松本へ転出。松本配置車も1976年には「アルプス」のビュフェ営業を終了。1978年から余剰廃車が開始され、1983年に形式消滅した。
クモハ165形製造メーカー別分類
製造年 川崎車輌 汽車製造 日本車輌 近畿車輌 東急車輛 帝國車輛 備考
1963 1・20 - 30
42 - 50
2・3
13 - 19・39
4 - 12
37・38
31 - 36・40
41・51 - 57
 
1964 65 - 68 58 - 60 61 - 64  
1965 69・70
83 - 94
71 - 74
95 - 104
75 - 82  
1966   105・106 110   107 - 109  
1967 118 - 122   111 - 115
901 - 904
  116・117 901 - 904
冷房準備車[注 10]
1968   123 - 125   冷房準備車[注 13]
1969   126 - 129   130 - 138   新造冷房車[注 14]
1970   139 - 141  
モハ165形製造メーカー別分類
製造年 川崎車輌 汽車製造 日本車輌 モハ164形
ユニット相手方
新製配置 備考
1963 1・2 3 - 5   801 - 805 新前橋  
1965 8・9 10 - 13 6・7 828 - 835 宮原
1966 14 - 17   836- 839 岡山
1969 18 - 21   81 - 84 宮原 新造冷房車[注 14]
モハ164形製造メーカー別分類
製造年 川崎車輌 汽車製造 日本車輌 近畿車輌 東急車輛 帝國車輛 備考
1963 1・20 - 30
42 - 50
501 - 509
801 - 803
2・3
13 - 19・39
804・805
4 - 12
37・38
31 - 36
40 - 43
510 - 514
 
1964 44
813 - 815
806 - 808 809 - 812  
1965 51 - 58
816・817
824 - 827
830・831
59 - 68
818 - 821
832 - 835
45 - 50
822・823
828・829
 
1966 836 - 839 69・70 840   71 - 73  
1967 76 - 80   841 - 845
901 - 904
  74・75 901 - 904
冷房準備車[注 10]
1968   846 - 848   冷房準備車[注 13]
1969 81 - 84   849 - 852   853 - 861   新造冷房車[注 14]
1970   862 - 864  
クハ165形製造メーカー別分類
製造年 川崎車輌 汽車製造 日本車輌 近畿車輌 東急車輛 帝國車輛 備考
1963 1 - 7
29 - 35
8 - 12
21 - 28
43・44
13 - 20
41・42
36 - 40
45 - 55
 
1964 65 - 68 56 - 58 59 - 64  
1965 69・70
87 - 99
117・118
71 - 78
100 - 112
119 - 128
79 - 86
113 - 116
 
1966 129 - 136 137・138 142 - 146   139 - 141  
1967 151 - 155   147・148
901 - 904
  149・150 901 - 904
冷房準備車[注 10]
1968 156 - 187 188 - 190   冷房準備車[注 13]
1969   191 - 195   196 - 203   新造冷房車[注 14]
1970   204 - 206  
サロ165形製造メーカー別分類
製造年 川崎車輌 汽車製造 日本車輌 近畿車輌 東急車輛 帝國車輛 備考
1963 18 - 24 9 - 17 1 - 8 25・26  
1964 29 27・28   29は冷房準備車
1965 30 - 37
52 - 55
38 - 51
56 - 58
59 - 62   AU12Sx6基
新造冷房車
1966 63 64・65 66 - 71
79・80
81 - 93 72 - 78  
1967 107 - 116 97 - 103   104・105   106
1968   94 - 96
117 - 129
 
1969   130 - 132   133・134   AU13Ex5基
新造冷房車
サハ164形経歴
車番 製造会社 製造日 新製配置 新潟転属 大垣転属 松本再転属 廃車日 備考
1 川崎車輌 1966.3.8 松本 1974.12.12 1978.7.21 1979.3.28 1983.1.21 1970年冷房化
2 1980.1.26
サハ165形経歴
車番 製造会社 製造日 新製配置 転属 廃車・改造
1 川崎車輌 1969.9.1 宮原 →新潟 クハ455-501
2 クハ455-502
3 クハ455-503
4 クハ455-504
5 →新潟→神領→松本→長野 2001.1.12
6 1969.9.16 →新潟 クハ455-505
7 サロ110-501
8 →新潟→松本→長野 1999.1.11
9 →新潟→神領→松本→長野 1999.3.10
10 →新潟→松本→長野 1999.1.11
11 近畿車輌 1970.5.30 下関 →津田沼[注 18]→下関→新潟→松本→長野 1999.3.10
サハシ165形経歴
車番 製造会社 製造日 新製配置 松本転属 廃車日 MG 備考
1 近畿車輌 1963.4.12 新潟 1974.12.12 1983.3.19 110 kVA  
2 1965.11.1 1982.7.27 1966.4.2 - 1974.12.12新潟再所属
3 1974.12.12 1978.12.26  
4 1965.11.1 1982.3.17
5   1978.9.11 40 kVA
6 1965.11.1 1982.12.25 110 kVA
7 川崎車輌 1963.4.25   1978.9.11 40 kVA
8 1965.11.1 1982.3.17 110 kVA
9   1978.9.11 40 kVA
10 1965.11.30 1982.2.12 110 kVA
11 近畿車輌 1963.5.17   1978.9.11 40 kVA
12

163系の形式[編集]

サロ163形
1 - 7の全車とも川崎車輛が製造。標準主電動機のMT46形からMT54形への変更による153系製造中止に伴う新形式であり、実質的な153系増備車である。
サロ152形との相違点は冷房装置の有無及び台車形式の変更(TR59形→TR69形)程度で外観上はサロ165-30 - 129(AU12S形搭載新製冷房車)と全く同一である。
サロ163形経歴
車番 製造 落成日 配置 転属 廃車日 その他改造
1 川崎車輛 1964.12.21 宮原 大垣
1968.9.7
1983.2.17  
2 大垣
1968.9.14
3
4
5 1964.12.23 1981.1.19
6 1981.1.25
7 静岡
1969.8.17
1978.2.28 1969.9.8サロ112-51へ改造
1971.3.9高槻へ転出

167系の形式[編集]

モハ167形
モハ166形とユニットを組む2等電動車 (M) で主制御器を搭載。定員は84名。基本的な構造はモハ165形と同様だが側扉が700 mmに変更されたため窓配置が異なる。
モハ166形
モハ167形とユニットを組む2等電動車 (M') でMG・CP・パンタグラフを搭載。定員は84名。基本的な構造はモハ164形800番台と同様だが窓配置が異なる。CPは1 - 4がMH80A-C1000形2基、5 - 15がMH113A-C2000M形1基搭載。10 - 15は冷房化時にトイレと物置を撤去して乗務員室を設置した。
国鉄ではパンタグラフ部低屋根構造車両を慣例として800番台に区分していたが、本形式は全車が低屋根車に該当するため特に区分せず155・159系同様0番台としている。
クハ167形
2等制御車 (Tc) で定員は76名。クハ155・159形同様客室には速度計と電池式時計が設置されたが一般転用時に撤去された。冷房化時に田町車は偶数車にのみ冷房電源用MGを搭載。宮原車は偶数向クハ165形MG搭載車に統一することで本形式は奇数向に統一された。

169系の形式[編集]

クモハ169形
モハ168形とユニットを組む2等制御電動車 (Mc) で主制御器・主抵抗器を搭載している。定員76名。1 - 27の量産車27両と901 - 904の試作車4両、合計31両が製造された。
試作車の冷房装置は0番台のAU13E形5基とは異なりクハ169形も含みAU12S形を6基搭載する。
モハ168形
クモハ169形とユニットを組む2等中間電動車 (M') で定員84名。電動発電機(MG)・MH113A-C2000M形空気圧縮機(CP)・パンタグラフを搭載する。
0番台は通常屋根構造なのに対し、900番台は当初モハ164形800番台同様パンタグラフ部が低屋根構造とされ、AU12S形5基搭載の冷房準備車で製造されたが、冷房化の際には0番台同様AU72形1基搭載で施工された。
クハ169形
2等制御車 (Tc) で定員76名。冷房化時に110 kVA冷房電源用MGを搭載。
クモハ169・モハ168・クハ169製造メーカー別分類
クモハ169+モハ168
製造年 日本車輌 東急車輛 近畿車輌 備考
1967 901 - 904   元・クモハ165+モハ164-901 - 904
冷房準備車
1968 1 - 7 8 - 23 24・25 冷房準備車
1969   26・27   新造冷房車
クハ169
製造年 日本車輌 東急車輛 近畿車輛 備考
1967 901 - 904   元・クハ165-901 - 904
冷房準備車
1968 1 - 3 4 - 21 22 - 24 冷房準備車
1969   25 - 27   新造冷房車

製造時期による変化[編集]

165系列は1963年度から1970年度まで製造されたが、製造途中での設計変更が複数行われている。

初期車[編集]

当初はクモハ165形・モハ165形・モハ164形・クハ165形・サロ165形・サハシ165形の6形式が製造され、これに加えて線区の事情に応じた派生区分や派生形式も登場している[7]。2等車は1963年度から1967年度までの製造車が非冷房で、1等車は1963年度から1968年度までの製造車のうち1964年度以降が冷房付きで落成した[7]

先頭車はクモハ165-1 - 55とクハ165-1 - 45では運転台部の雨樋が短かったが、以降の増備車では運転室上部まで延長された[24]。モハ164形はモハ164-69・836以降の増備車で空気圧縮機が従来のMH80A-C1000形2基からMH113A-C2000M形1基に変更された[25]。サロ165形は1964年度の増備車より冷房付きとなり、AU12S形冷房装置6基と出力40 kVAの自車給電用MGが設置された(サロ165-29は冷房準備車として落成)[15]

  • クモハ165-1 - 122(122両)
  • モハ165-1 - 17(17両)
  • モハ164-1 - 80(80両)
  • モハ164-501 - 514(14両)
  • モハ164-801 - 845(45両)
  • クハ165-1 - 155(155両)
  • サロ165-1 - 129(129両)
  • サハシ165-1 - 12(12両)
  • サハ164-1・2(2両)

165系の平坦線仕様として計画された163系は、一旦は製造が見送られた[26]が、153系編成のリクライニングシート化のため、サロのみ7両が1964年12月に製造された[16]。外観はサロ165形と同様で、落成時よりAU12S形冷房装置が6台設置されている[16]

  • サロ163-1 - 7(7両)

167系は1963年度と1964年度のみの製造であり、全車両が非冷房で落成した。1964年度の増備車は空気圧縮機がMH80A-C1000形2基からMH113A-C2000M形1基になるなど、165系と同様の設計変更が行われている[21]

  • モハ167-1 - 15(15両)
  • モハ166-1 - 15(15両)
  • クハ167-1 - 22(22両)

冷房準備車[編集]

1967年12月には、碓氷峠の協調運転試作車として165系900番台が製造された。このグループは2等車(普通車)で唯一となるAU12形での冷房準備車であり、モハ164形900番台は800番台に準じた低屋根構造とともに分散式AU12S形の搭載準備がなされていた[27]

  • クモハ165-901 - 904(4両)
  • モハ164-901 - 904(4両)
  • クハ165-901 - 904(4両)

1968年には165系の冷房準備車が増備され、分散式AU13E形、モハ164形は集中式AU72形の冷房準備車となった[28]。クハの製造数が多く、その大部分が東海道・山陽本線用で153系と混用された[28]。クモハ3両・モハ3両およびクハ165-188 - 190の3両を合わせた9両は、富士急行の気動車急行「かわぐち」電車化のため富士急行が利用債を負担して製造された[29]。クモハ165-123以降、クハ165-188以降の先頭車は警笛がシャッター式となり、予備笛のAW-2が設置された[30]

  • クモハ165-123 - 125(3両)
  • モハ164-846 - 848(3両)
  • クハ165-156 - 190(35両)

1968年8月より登場した169系量産車の第1陣は、165系の冷房準備車と同様の構造で製造された[28]。モハ168形はモハ164形900番台と異なり集中式のAU72形の設置を考慮した構造で、パンタグラフ部も低屋根構造にはなっていない[28]

  • クモハ169-1 - 25(25両)
  • モハ168-1 - 25(25両)
  • クハ169-1 - 24(24両)

新製冷房車[編集]

1969年度以降の新造車では、165系・169系とも全車両が冷房付きで落成した[29]。冷房装置はMc・Tc・M・T車が分散式AU13E形、M'車が集中式AU72形となった[29]。Tc車には冷房電源専用として110 kVAのMH128-DM85形電動発電機(MG)が設置されている[29]

165系では1969年5月より以下の車両が増備された。モハ164形800番台の低屋根部にあった通風口は廃止され、サロ165形の冷房装置はAU12形6台からAU13E形5台に変更された[29]

  • クモハ165-126 - 141(15両)
  • モハ164-849 - 864(15両)
  • クハ165-191 - 206(16両)
  • サロ165-130 - 134(5両)

1969年9月、169系の最終増備車が製造された。冷房準備車で電動車ユニットが1本多く製造されていた関係から、クハ169形が1両多く製造されている[28]

  • クモハ169-26・27(2両)
  • モハ168-26・27(2両)
  • クハ169-25 - 27(3両)

1969年9月からは、山陽本線急行増発用として165系中間車が製造された。中間電動車のモハ165形が増備されたほか、新形式のサハ165形も登場している[28]

  • モハ165-18 - 21(4両)
  • モハ164-81 - 84(4両)
  • サハ165-1 - 11(11両)

改造工事[編集]

形式間改造車[編集]

クハ164形[編集]

1965年10月のダイヤ改正で設定された山陽本線急行「みずしま」は、165系と153系の混成編成で運転された。クハ153形が先頭に立つ場合は抑速ブレーキの使用ができなかったため、瀬野八区間での下り勾配を考慮して、本来偶数(山陽本線基準の下り)向きとされるクハ153形を奇数向きに方向転換して編成が組成されていた[注 19]。翌1966年にクハ153形0番台の8両を165系に編入する改造が行われ、形式はクハ164形となった[32]

主な改造内容は主幹制御器のMC22からMC37への変更、制御用ジャンパ連結器のKE57AからKE64への変更である[32]。改造施工は幡生工場で行われ、車両番号は改造種車の番号順に1 - 8が付番された[33]。暖地向けで耐寒耐雪構造は省略、種車が低運転台構造のため塗装はクハ153形のまま正面に緑が回らない塗り分けの異端車となった。

改造当初は下関運転所(現・下関総合車両所)に配置されたが、山陽新幹線岡山暫定開業前後の1971年から1972年にかけて他区へ転出した。

宮原所属車は1973年に神領電車区に転出し、中央西線の「きそ」などで運用された後の1975年に大垣に再転出。「東海」「伊那」「富士川」などで運用されたが1983年に廃車され形式消滅した。

クハ164形改造履歴
車番 種車 改造日 施工 配置 転属 廃車日 冷房化 その他改造
1 クハ153-1 1966.2.15 幡生 下関 大垣
1979.2.29
宮原
1974.12.13
1980.9.19 未施工  
2 クハ153-2 1966.02.21 大垣
1972.2.29
宮原
1975.1.11
1980.2.21
3 クハ153-17 1966.3.16 大垣
1972.2.27
宮原
1974.12.20
1980.8.2
4 クハ153-18 1966.3.10 大垣
1972.2.27
宮原
1974.12.20
1979.11.29
5 クハ153-19 1966.2.23 宮原
1971.12.2
神領
1973.6.13
大垣
1975.4.4
1982.9.27 1972年
吹田工場
シールドビーム化
前面強化
6 クハ153-20 1966.2.10 宮原
1971.12.2
神領
1973.5.15
大垣
1975.5.7
1983.3.18  
7 クハ153-25 1966.2.5 宮原
1971.11.18
神領
1973.5.15
大垣
1975.5.7
1983.9.3 シールドビーム化
前面強化
8 クハ153-26 1966.3.19 宮原
1971.11.18
神領
1973.5.11
大垣
1975.4.4
1982.9.27 1976年
長野工場
 

サハシ165形50番台[編集]

1965年12月より中央東線急行「アルプス」でビュッフェ営業が開始されるのに伴い、上越線急行「佐渡」に編成中2両組み込まれていた新潟運転所所属のサハシ165形が1両に減車の上転用され、松本運転所のクハ165形と差し替えられた[34]。この差し替えで不足する4両のうち2両は売店車サハ164形が新造されたが、残り2両は153系の東海道・山陽本線急行「なにわ」「宮島」の運用減少で捻出されたサハシ153形2両を編入することになり、サハシ165形50番台として登場した[34]

サハシ165-51・52の2両は、1965年11月にサハシ153-2・4より改造された[34]。改造内容はビュッフェ部の寿司コーナーからそばコーナー・業務用控室への変更、小窓の新設と固定窓の移設、ジャンパ連結器のKE57A形からKE64形への交換等である[34]。転用改造は新津工場(→新津車両製作所→現・総合車両製作所新津事業所)で施工された。改造当初はMH80-C1000形空気圧縮機が残されていたが、1967年に2両とも撤去された[35]

1968年10月のダイヤ改正でも中央東線電車急行を増発したため、宮原電車区のサハシ153形余剰車3両の改造が長野工場(現・長野総合車両センター)で施工された。日程の都合上からサハシ153形のまま松本運転所に転入し、後にビュッフェ部分の改造と165系への編入が実施された[34]

転用されたのはサハシ153-6・8・14の3両で、1968年12月から翌1969年3月にかけてサハシ165-53 - 55に改造された[35]。改造内容はサハシ165-51・52と同様であるが、空気圧縮機はサハシ165形への改造と同時に撤去された[35]

1969年 - 1970年に普通客室へAU13E形分散式冷房装置取付改造を施工。同時にMGを40 kVAから110 kVAに交換。1980 - 1982年に廃車・区分消滅した。

サハシ165形50番台 改造履歴
車番 種車 製造会社 改造日 施工 配置 廃車日 備考
51 サハシ153-2 近畿車輌 1965.11.24 新津 松本 1980.05.10  
52 サハシ153-4 1982.9.4
53 サハシ153-6 1969.2.4 長野 1982.3.17 1968.9.18
宮原→松本 転入1次改造
54 サハシ153-8 1968.12.12 1982.7.27 1968.9.9
宮原→松本 転入1次改造
55 サハシ153-14 1969.3.15 1980.5.10

サロ169形・サハシ169形[編集]

1968年10月のダイヤ改正で信越線急行「信州」などが165系8両編成から169系12両編成に置き換えられる際、サロは165系のサロ165形から、サハシは153系のサハシ153形から169系に編入改造されることになり、サロ169形・サハシ169形がそれぞれ登場した[35]

サハシは改造日程の都合上、サハシ165-53 - 55と同様に2回にわけて編入改造が行われた。1968年夏の第1次改造ではジャンパ連結器の交換と横軽対策などの169系化を郡山工場(現・郡山総合車両センター)・松任工場(現・金沢総合車両所)で施工、ビュッフェ部分は寿司コーナーのまま転用された[36]。1968年末から1969年4月にかけての第2次改造ではビュッフェ部のそばコーナーへの改造が長野工場で施工され、業務用控室の設置と窓配置の変更も行われた[36]

サロ169形
1等付随車 (Ts) で定員48名。1968年にサロ165形19両から長野工場で改造された。改造工程低減のため169系投入前から長野運転所所属の信越急行で運用されていた横軽対策施工車が改造種車とされた。冷房装置は全車AU12S形6基を搭載する。
サハシ169形
2等・ビュフェ合造付随車 (Tb) で客室部の定員は36名。1968年に宮原電車区所属で余剰車となっていたサハシ153形10両から改造された。基本構造はサハシ165形50番台に準ずるが、CPは碓氷峠通過時にパンクさせた空気ばねへの圧縮空気再供給を迅速に行うため残された。

サロ169形は特急格上げやグリーン車利用率低下により1982年より廃車が始まり、1985年3月のダイヤ改正で運用終了。同年中に全車廃車となり形式消滅した。サハシ169形は1976年の信越急行ビュフェ営業休止後も編成に組成されたままであったが、1978年10月のダイヤ改正で運用離脱し5を除き同年中に廃車。5は1979年2月に松本運転所へ転出したが、同年中に廃車となり形式消滅した。

サロ169形 旧車番・改造履歴
車番 種車 製造会社 改造日 施工 廃車日 備考
1 サロ165-43 汽車製造 1968.8.8 長野工場 1985.8.23 1966年新前橋電車区から転入
2 サロ165-44 1968.10.7 1982.10.25
3 サロ165-45 1968.8.30 1985.8.23 1967年新前橋電車区から転入
4 サロ165-46 1985.8.7
5 サロ165-47 1968.7.15 1983.7.30
6 サロ165-48 1968.9.14 1982.12.25
7 サロ165-64 1968.8.8 1983.2.19  
8 サロ165-65 1968.7.23 1982.12.25
9 サロ165-72 東急車輛 1968.7.31 1982.12.10
10 サロ165-73 1968.7.15 1983.11.24
11 サロ165-74 1968.7.08 1983.6.17
12 サロ165-75 1983.12.1 1978.10.12松本運転所へ転出
13 サロ165-76 1968.7.23 1982.12.25  
14 サロ165-77 1968.7.31 1983.3.19
15 サロ165-78 1968.7.31 1982.12.01
16 サロ165-86 近畿車輌 1968.09.14 1985.8.7
17 サロ165-87 1968.10.9
18 サロ165-88 1968.8.21
19 サロ165-89 1968.8.15 1982.12.25
サハシ169形 旧車番・改造履歴
車番 種車 製造会社 改造日 1次施工 2次施工 廃車日 備考
1 サハシ153-1 近畿車輌 1968.09.20 郡山工場 長野工場 1978.09.16  
2 サハシ153-3 1968.9.30
3 サハシ153-7 1968.9.24 1978.11.22
4 サハシ153-10 1968.9.20 1978.9.16
5 サハシ153-24 1968.7.15 1979.5.19 1979.2.1松本運転所へ転出
6 サハシ153-5 1968.8.21 松任工場 1978.9.16  
7 サハシ153-9 1968.7.29
8 サハシ153-13 1968.9.3
9 サハシ153-25 1968.8.21 1978.11.22
10 サハシ153-27 1968.7.29 1978.9.16

169系900番台[編集]

横軽協調試作車の165系900番台各4両は、主幹制御器等を169系量産車に合わせる量産化改造が施工され、169系900番台への編入も同時に実施された[37]

クヤ165形[編集]

クヤ165-1

1974年に名古屋鉄道管理局の教習用車として、浜松工場でサハシ153-15を種車に改造された事業用車。

  • 客室を運転実習室とし、旧ビュフェ部分にはCS15形主制御器など電気関係の電車用床下機器(主電動機・MG・CPを除く)を架台に搭載し、各機器の作動状況を目視できるほか回路のパネルなども設置した。
  • 前面は非貫通切妻形状であるが急行形・近郊形電車に近い前面形状と本系列に準ずるレイアウトの高運転台を両端に新設。
  • 運用エリアに低断面トンネルの中央西線があることから、新設搭載されたパンタグラフは対策形のPS23形とされた。

分割民営化直前の1987年2月に廃車された。

クヤ165形改造履歴
車両番号 種車 改造前配置 改造日 施工工場 改造後配置 廃車日
クヤ165-1 サハシ153-15 宮原 1974.7.13 浜松 大垣 1987.2.3

クハ165形方向転換改造[編集]

1982年に飯田線の80系電車や戦前型旧性能電車を新性能電車に置き換える際、119系の新製投入とともに165系の転用投入も実施されたが、クハ165形の偶数(下り)向き車が不足した[38]。このため冷房改造時に奇数向き固定となっていたクハ165形1両が方向転換され、改番が行われた[38]

飯田線新性能化ではクハ165-9が方向転換改造の対象となり、ジャンパ栓の移設が行われ、車両番号を最終番号の206に続く偶数の208に改番された[38]。改造は浜松工場で施工され、豊橋機関区(現・豊橋運輸区)に配置された。

1983年には伊豆急行線内の事故で廃車となったクハ167-2の代替としてクハ165-3が方向転換改造を施工されたが、改番は行われていない[38]。これ以降に方向転換を行ったクハ165形はほかに115・165・167などがあるが、これらも改番されていない。

クハ165-208は分割民営化時にはJR東海へ承継。1988年3月11日には大垣へ、1989年3月11日には神領へ転属となり、同年6月21日付で廃車となった。

クハ165形方向転換改造履歴
車両番号 旧車番 改造日 施工工場 配置 廃車日
クハ165-208 クハ165-9 1982.12.4 浜松 豊橋 1989.6.21

サハ165形100番台[編集]

1985年3月のダイヤ改正で455系・475系等の交直流急行形電車が定期急行運用から撤退し、短編成ローカル運用への転用で必要な先頭車の不足を補うため、165系から455系・475系への改造編入車が登場した[39]。この過程で電動車ユニットのクモハ165・169形がクハ455形へ改造された際に余剰となったモハ164・168形の電装解除が実施され、サハ165形100番台として1984年度に登場した[39]

改造対象は新前橋電車区所属のモハ164形1両とモハ168形900番台4両(全車)で、大宮(現・大宮総合車両センター)・広島・幡生(現・下関総合車両所)の3工場で施工された。サハ165形0番台と異なり、110 kVAの冷房用MGは搭載されていない[39]

改造内容は主電動機・電動発電機・空気圧縮機・パンタグラフ・避雷器の撤去等による電装解除や、台車のDT32B形からTR69形への交換などである[39]。モハ168形900番台からの改造車は、パンタグラフ取付部分が低屋根のままとされた[39]

松本運転所の付属4両編成に組み込まれていた中間クハ1両がサハ165形100番台に差し替えられ[39]、急行「天竜」で運用された。全車とも1987年2月2日付で廃車されたため、JRへの承継はなかった。

サハ165形100番台改造履歴
車両番号 種車 改造前配置 改造日 施工工場 改造後配置 廃車日
サハ165-101 モハ164-71 新前橋 1984.10.6 広島 松本 1987.2.2
サハ165-102 モハ168-901 1984.10.12 大宮
サハ165-103 モハ168-902 1984.10.2 幡生
サハ165-104 モハ168-903 1985.2.21
サハ165-105 モハ168-904 1985.3.27 大宮

ジョイフルトレインへの改造[編集]

国鉄末期の1980年代後半より余剰車両の一部はジョイフルトレインへの改造が施工された。

和式電車「なのはな」[編集]

和式電車「なのはな」
和式電車「なのはな」
前面強化改造後の「なのはな」
前面強化改造後の「なのはな」

1985年に千葉鉄道管理局では和式車両を導入することになり、幕張電車区(現・幕張車両センター)に所属していた波動用6両を大井工場(現・東京総合車両センター)で改造施工した。

  • 他局では客車を種車とすることが多かったが、運転上ならびに保守上の観点から電車が採用された。
  • 千葉県県花から「なのはな」が愛称に設定された。
改造内容
  • 客用扉を1か所塞ぎ片側1扉とした。
  • 各車両側面と前面貫通扉に愛称表示器を設置。
  • 塗装は菜の花の色である黄色を基調とし、車体両端には青緑色で房総半島を図案化、車体裾部にはエメラルドグリーンのラインで黒潮を表現。
  • 側窓はユニット窓の上窓を隙間風ならびに防音対策の観点から固定化。
  • カーテンはすべて撤去。雪見障子を取り付けて遮光と和風のイメージを強調。
  • 車内は浮床構造の畳敷きとしたが、モハ164形は800番台のため低屋根部分も同構造を採用した場合居住性等の悪化が想定されたため、仕切を設け洋間風サロン室として独立。

1998年9月のさよなら運転で房総半島を一周したのを最後に廃車となった。その後、クロ165-1が千葉県内で保存された。

 
新宿
千葉
号車番号 1 2 3 4 5 6
車両番号 クロ165-1 モロ164-801 クモロ165-1 クロ165-2 モロ164-802 クモロ165-2
旧番号 クハ165-199 モハ164-857 クモハ165-134 クハ165-193 モハ164-851 クモハ165-128
定員 40 36 36 40 36 36
愛称 すみれ あやめ きんせんか すいせん あじさい ゆり
車内 数寄屋風 新和風 民芸風 数寄屋風 新和風 民芸風

「パノラマエクスプレスアルプス」[編集]

1987年3月JR化移行直前に三鷹電車区所属の6両を大井工場で改造した東京西鉄道管理局向けジョイフルトレインで、国鉄では初めて前面展望構造を採用した展望電車である。

  • 編成は、Tsc(クロ165形)-Ms'(モロ164形)-Msc(クモロ165形)の3両ユニット2組を基本とした6両編成で。両端が展望室のクロ165形となるように新宿方のユニットを方向転換し、編成中間で連結。
    • クロ165形は国鉄初の前面展望電車。最前部に大型曲面ガラスと細いピラーで構成されたフリースペースの展望室(定員12名)、展望室後部上左側に運転台[注 21]、その後部にソファ6名分とスタキングチェア3脚を配置したラウンジ室を設置。展望室上部に当初は2枚のサンルーフも設置されたが、後の全般検査時に撤去。冷房装置は種車のAU13E形から換気機能を備えた集中式のAU71D形に変更し、通風器は未設置。
  • 一般客室は座席取付部を通路部より170 mm高くし、窓を幕板方向に100 mm拡大すると共に固定窓とした。
    • これにより視野が大幅に広がり、ダイナミックな車窓の提供を可能とした。
  • シートピッチを最大1,460 mmまで拡大。
  • モロ164形の低屋根部には個室を設置し、団体旅行での幹事・添乗員の打ち合わせ及びグループでの使用を考慮し、ソファ6名分を設置。
  • 183系電車との併結を考慮してKE70形ジャンパ連結器のほか、特急並の120 km/h運転に対応した機器設備も追加した[注 22]

1993年には、167系メルヘン車も「パノラマエクスプレス アルプス」に準じた塗装に変更の上で同車を併結した「しんせん・やまなし」などの臨時急行にも充当されたが[注 23]、2001年にJRでの運用を終了したあと富士急行に移籍・譲渡され、2016年2月7日まで2000形として主に「フジサン特急」で運用されていた。譲渡後、2001編成のパンタグラフがシングルアーム式に換装された。

 
新宿
松本
号車番号 1 2 3 4 5 6
車両番号 クロ165-4 モロ164-804 クモロ165-4 クモロ165-3 モロ164-803 クロ165-3
旧番号 クハ165-148 モハ164-846 クモハ165-123 クモハ165-127 モハ164-850 クハ165-192
定員 20 32 36 36 32 20
車内 展望室(12人)
ラウンジ(13人)
個室(6人)   個室(6人) 展望室(12人)
ラウンジ(13人)
定員には展望室・ラウンジ・個室は含まない。

「ゆうゆう東海」[編集]

ゆうゆう東海

1989年にJR東海静岡支社が改造したジョイフルトレイン。改造施工は名古屋工場が担当したが、電動車ユニットは日本車輌製造豊川製作所に委託である。1989年7月28日に落成。1999年11月15日付けで廃車された。

ゆうゆう東海
← 名古屋
東京 →
車両番号
( )は旧番号
クハ165-701
(クハ165-204)
モハ164-701
(モハ165-862)
クモハ165-701
(クモハ165-139)

「シャトル・マイハマ」[編集]

「シャトル・マイハマ」
「シャトル・マイハマ」
「アルファ」
「アルファ」

1990年3月10日の京葉線東京 - 新木場間延伸開業に伴う舞浜駅最寄となる東京ディズニーランドへの行楽客輸送を目的に東京 - 西船橋間に設定された快速「シャトル・マイハマ」用に特化させた改造。大井工場が施工したが車両番号の変更は実施されていない。

改造内容
  • 先頭車の前面貫通扉に愛称表示器を設置。
  • 東京ディズニーランドのイメージに合った内外装に改装。
  • クハ165-194の座席をすべて海側に向けて設置。
  • クハ・クモハのトイレ・洗面所を撤去。跡に跳ね上げ式の座席を設置。
  • モハ164-852のトイレを和式→洋式に交換。洗面所の改装も含めたグレードアップ。
  • 車内放送用に東京ディズニーランド関連の楽曲を使用(数年後に廃止)。

なお、長野支社にも貸し出され、大糸・信越本線の定期列車や信州循環列車で運転された実績があり、非電化区間の小海線にもDD16形のプッシュプル運転で入線している。

 
← 東京
西船橋 →
号車番号 1 2 3
車両番号 クハ165-194 モハ164-852 クモハ165-129
イメージ ファンタジー 冒険 未来

「シャトル・マイハマ」廃止の1995年に上沼垂運転区に転属。「アルファ」に再改造され新潟地区で「ホリデー快速アルプ[注 24]」などで運用されたが、2001年5月8日に廃車された。

改番を伴わない改造[編集]

横軽対策[編集]

信越本線横川 - 軽井沢間の66.7パーミル区間で使用される車両には、急勾配を安全に走行可能な対策が実施された。これらの車両は横軽対策車と呼ばれ、車両番号表記の左側に直径40 mmの丸いマーク(Gマーク)が付記された[40]

EF63形との推進・牽引運転では、連結器の変形による浮き上がり脱線の予防などの点で重量のある電動車ユニットを峠の下側となる横川方に組み込むことが望ましかったため、信越本線での運用が存在した新前橋電車区所属の165系・169系900番台と長野運転所の169系が偶数向きとされた。

車体の台枠強化とともに、台車の安定と分離防止のため、空気ばねをパンクさせるための空気排出装置が設けられた[41]。電車側の車掌弁操作時に非常ブレーキを作動させず、非常ブザー回路を通じて機関車乗務員側に知らせるブレーキ制御装置が設置された[41]。これらの制御回路を切り替える横軽スイッチも設置された[41]

冷房化改造[編集]

1967年度より1等車(グリーン車)サロ165形の冷房化改造が開始され、1968年夏までに完了した。新製冷房車と同じくAU12S形冷房装置(5,000 kcal/h)を6台設置し、自車の冷房電源用として出力20 kVAのMGであるMH122A-DM76A形が設置された[29]。後の2等車(普通車)の冷房化により、サロを跨いでの給電のために引き通し線が追加されている[29]

1968年度以降は2等車(普通車)の冷房化が実施されることになり、新前橋電車区所属の165系3両編成8本24両で試作冷房改造が実施された。クモハ・クハにはサロと同じくAU12S形が設置されたが、モハは屋根上の機器スペースの都合から集中式のAU71形(30,000 kcal/h)が設置された[29]。冷房電源は出力90 kVAのMGであるMH127-DM84形がクハ165形に搭載され、自車を含めて4両分までの給電に対応した[42]。クハ165形の冷房化改造車は冷房電源用引き通し回路の新設に伴って両渡りから片渡りとなり、向きが固定された[42]

モハ164形は分散式AU12S形が7基必要なところ、パンタグラフ搭載により5基分のスペースしかなく冷房能力が不足することが問題となったため集中式を採用した。全車AU72形で統一しなかったのは、当時集中式が高価であり、搭載には車体補強改造も必要だったためである。

1969年度から1978年度にかけては、残る非冷房車と冷房準備車への本格的な冷房化改造が実施された[42]。冷房装置はモハ164形以外がAU13E形(5,500 kcal/h)に、モハ164形では集中式のAU72形(33,000 kcal/h)に変更され、出力が向上している[42]。AU13E形はサハシ165形の客室側に2台、モハ164形・サハ164形には6台、クモハ165・クハ165形では5台が設置された[42]

冷房電源用のMGは、出力を110 kVAに向上したMH128-DM85形がクハ165形に搭載された[42]。松本運転所に所属したサハシ165形・サハ164形は従来の自車給電用MGを撤去し、出力110 kVAの冷房電源用MGに交換された[42]。1969年度後期の改造車からは冷房電源用MGがMH128A-DM85A形に変更され、床下機器の配置も変更された[32]

169系量産車は冷房準備車あるいは新製冷房車として落成したため、冷房準備車に同様の改造が施工された[43]。169系900番台はAU12S形による冷房準備車であり、クモハ・クハは1971年度施工ながらAU12S形が搭載されたが、モハは分散式のAU12S形で冷房準備のところを集中式のAU72形が搭載されている[43]

167系の冷房化改造は、1977年度から1980年度にかけて施工された[43]。冷房電源用MGは田町電車区の編成では偶数向きのクハ167形に設置されたが、宮原電車区の167系では混用されていたクハ165形にMGが設置され、MGのない奇数向きがクハ167形、MG付きの偶数向きがクハ165形に揃えられた[43]。冷房改造と前後して、塗装の湘南色への変更も順次実施されている[43]

冷房改造施工の先頭車では、運転室の作業環境改善のため客室内の冷えた空気を吸引し運転席に導くダクトが前位デッキ天井部分に設置された。集中式では冷房用風洞を延長して冷気を運転室内に直接放出させることも可能だが、分散式を採用したためにダクトによる簡易冷房化が実施された。このダクトは新製時からの冷房車には設置されていないものもあり、その場合は冷房車にもかかわらず運転席は非冷房となる。

前面強化改造[編集]

JR東日本方式前面強化・シールドビーム化改造車
アンチクライマー装着

踏切事故の増加を受けた対策研究の一環として、1963年に60系客車オハ60 144・145に165系同様の前面部分を設置しての踏切事故実験が長野工場で行われた[44]。この実験結果から165系列の先頭車前面外版を厚くする設計変更がなされたが、更に強化するための改造が国鉄時代の1977年より施工された[45]。前面強化と同時に前照灯のシールドビーム化も行われたが、新津車両管理所での施工車は原型白熱灯のまま前面強化が行われている[45]

JR東日本では1993年の成田線大菅踏切事故を契機に、乗務員保護の観点から前面強化工事未施工車を対象に前面追加工事を積極的に推進した[46]。本工事は本系列でも例外なく国鉄型電車のほぼすべてに施工された。

165系では長野総合車両所・新津車両管理所での施工車は国鉄時代と同様の工法であったが、それ以外はステンレス板が貼られた。ステンレス板追加方式ではアンチクライマーも設置されており、初期施工車ではステンレスの地肌がむき出しであった(後に塗装)。早期に前面強化工事を施工した新潟地区の車両を除き、次項の前照灯シールドビーム化も同時施工した車両が多い。

前照灯シールドビーム化[編集]

国鉄型電車では前照灯光源として長く白熱電球を標準採用してきた。しかし、フィラメントが後方に放つ光を反射し前方への投光量を増やすための反射板が必須で、灯具が大型かつ低照度で電球交換後は焦点調整を行わねばならないという欠点があった。このため、電球自体に反射板組み込み構造で、コンパクトかつ高照度で焦点調整不用のシールドビームが普及するにつれ、既存の白熱電球の保守性や保安性が問題となった。そこで保安性および保守性の向上を目的にシールドビーム化改造が1970年代以降順次進められた。

一部は前述の前面強化改造と同時施工された例もある反面、新潟地区では原型の白熱灯のまま前面強化工事を行った例もある。浜松工場で改造施工されたクハ165-129は、シールドビーム灯が他車より高い位置に設置された[45]

サロ165形115系組み込み改造[編集]

1970年10月1日から三鷹電車区(現・三鷹車両センター)所属の115系電車で運用されていた中央東線急行かいじ」にグリーン車が連結されることになり、当時新前橋電車区(現・高崎車両センター)に所属していたサロ165-14・15に制御回路用ジャンパ連結器を115系用のKE58形2本へ交換するなどの改造を施工した。14は塗色を横須賀色へ変更して、15は湘南色のままで貸出された。

中央東線115系への165系グリーン車連結は1972年10月1日ダイヤ改正まで行われ、同年11月に塗装が湘南色に、ジャンパ連結器がKE64形2本に復元されている[47]

パンタグラフ交換[編集]

中央東線には狭小トンネルがあることから、モハ164形は低屋根車の800番台限定で使用されていたが、1973年に低屋根構造でなくとも狭小トンネルを通過可能なPS23形パンタグラフが開発され、同年7月の中央西線・篠ノ井線電化時より同線を通過する車両に対してパンタグラフの交換が施工された[45]。PS23形またはPS23A形へ交換された車両は、識別のため車両番号表記の左側に菱形のマークが付記された[45]

2000年度末には、JR東日本三鷹電車区のモハ168-15・27でPS23A形からシングルアーム式のPS35D形への交換が行われている[46]

サロ165形ユニット窓改造[編集]

サロ165-108
下降式→ユニット窓化改造車

サロ165形の客室側窓は下降式のため雨水などが侵入しやすく、車体外板の腐食が著しくなった[45]。このため外板張り替え工事が1970年代前半より開始されたが、1977年度以降は一部車両で外板張り替えと同時に客室側窓のユニット窓化が施工された[45]。1977年に田町電車区(後の田町車両センター→現・東京総合車両センター田町センター)所属のサロ165-114へ試験的に改造施工されたのが最初である。

改造内容は、高さ760 mm × 幅1,910 mmの2枚1組バランサー付き下降窓から、高さ760 mm × 幅1,912 mmの2枚1組ユニット窓への変更である[38]。改造時期によりユニット窓の大きさなどに差異があり、例としてサロ165-2では窓が小さくなっている[38]

特別保全工事[編集]

国鉄では1982年度より経年16年前後の車両を対象に耐用年数を延長する特別保全工事が実施されていたが、165系列でも1985年度より順次施工された[45]。工事内容は主回路配線引き替え、車体外板補修、屋根や雨樋の補修などである[48]

「新急行」用改造[編集]

新急行色

長野県の県庁所在地長野市と長野県南部の飯田市方面を結ぶ県内急行の強化のため、急行「天竜」に使用されていた169系のグレードアップ改造が1986年に施工された[48]。改造対象は169系の4両編成5本となったが、各編成とも中間車のうち1両は165系のサハ165形である[48]

塗装はクリーム10号地に緑14号のストライプで長野(Nagano)の頭文字Nを図案化した「新急行色」を採用、車内の座席は0系新幹線発生品のW12形転換クロスシートやD23形簡易リクライニングシートに交換された[48]

「ムーンライト」用改造[編集]

「ムーンライト」初期改造車
「ムーンライト」更新車編成
快速「ムーンライトえちご」車内

1987年から1990年にかけて、新宿 - 新潟(後に村上まで延長)間を結ぶ夜行快速「ムーンライト」(後に「ムーンライトえちご」へ改称)用165系の改造が実施された[48]。座席はグリーン車用のリクライニングシートへ交換、外観は塗装の変更が行われている[48]

1987年度に改造された3両編成3本は、塗装パターンは同一ながら各編成によって緑系・茶系・赤系の3色に分けられていた[49]。1987年7月3日落成のM1編成は緑系、同年8月12日落成のM2編成は茶系、翌1988年3月25日落成のM3編成は赤系の塗装が採用された[49]

1988年度の改造車からは車両更新工事も同時に施工され、更新改造1本目では白地にワインレッドと緑の帯が入る塗装となった[50]。同年度の2本目以降の更新改造車は塗装が白地に窓周りグレー、黄緑とレモンイエローの帯の入った配色となり、1本目の更新編成も1991年度に2本目と同じ新塗装に変更されている[50]。内装は座席交換のほか、荷棚への読書灯の設置や横引きカーテンへの変更も行われている[51]

更新車は3両編成6本(2代目M1 - M6編成)が投入され、更新車に置き換えられた未更新車は急行「赤倉」に転用された[52]

車両更新工事[編集]

JR東日本では特急形以外の電車に対して耐用年数を20年ほど延長する車両更新工事が施工されることになり、165系列でも1988年度より順次施工された[48]。工事内容は車内の化粧板の貼り替え、荷棚の交換、車体外版の補修、屋根の塗り屋根化などであるが、施工工場や所属区所によって改造内容は異なる[48]

近郊形化改造[編集]

格下げで普通列車用となった車両の一部は、近郊形化と称される出入口近くのロングシート化およびデッキ撤去の改造を行ったものがある。対象はJR東日本松本電車区の169系3両編成2本(A8・A9編成)で、ラッシュ時の混雑緩和を目的に1989年と1990年に施工された[53]。定員はクモハ169形・クハ169形が104名、モハ168形が112名である[53]

改座車[編集]

JR東日本松本運転所の波動用165系は、グレードアップのため189系特急「あさま」用グレードアップ改造で発生した簡易リクライニングシートに交換された[54]。A10 - A14編成の5編成15両が対象で、1991年から1992年にかけて施工された[54]。塗装は新急行用と同様で、クリーム色をベースに緑色の「N」の図案が入れられている。この改造車は「改座車」と呼ばれた。

ATS-P設置改造[編集]

JR西日本のATS-P設置車

JR東日本では1988年の東中野駅列車追突事故を契機にATS-Pの設置が急速に進められ、165系列にもATS-Pが設置された[48]。クハはATS-P関連機器が床下に設置されたが、クモハは床下機器スペースの都合から車内の助士席後方に設置された[48]

JR西日本では大阪環状線へのATS-Pの整備により、1991年度に日根野電車区所属の紀勢本線用165系の一部でATS-P設置改造が実施された[48]。クモハではATS-P関連機器が客室内の座席を撤去して設置されており、運転台方片側(2位側)の戸袋窓が閉鎖されている[55]

他系列への改造[編集]

サロ112形への改造[編集]

1968年10月のダイヤ改正でサロ163形の1両が余剰となり、113系グリーン車の不足を補うため113系のサロ112形へ編入改造された[39]。車体が同形態のサロ152形からの改造車と同じくサロ112形となったが、種車の違いからサロ112形50番台に区分された[56]

サロ163-7が1969年8月にサロ112-51へ改造され、ジャンパ連結器の交換と冷房用MGの撤去などが行われている[56]

サロ110形への改造[編集]

サロ110-501

余剰車を1983年および1985年に113系グリーン車サロ110形へ改造した。

詳細は国鉄113系電車を参照。

クハ455形への改造[編集]

クハ455-317

1983年から1985年にかけてローカル転用に際して不足する交直両用のクハ455形へ改造した。

詳細は国鉄457系電車#系列内改造車・他系列からの改造車を参照。

107系への部品流用[編集]

107系0番台

JR東日本では、日光線両毛線のローカル輸送用165系の置き換えのため、通勤・通学と日中の輸送量に適した車両の導入が計画された[44]。これにより1988年から1990年にかけて登場したのが2両編成・両開き3扉ロングシート車の107系で、165系の廃車発生品を用いてJR東日本の各工場で新造された[44]

編成はクモハ107形とクハ106形の2両編成で、主電動機はMT54、ブレーキは抑速ブレーキを備える[44]。日光線用が0番台、両毛線・高崎地区用が100番台に区分された[44]

107系は新造コストを低減するため、165系から発生した台車、主電動機、電動発電機、空気圧縮機、ブレーキ制御装置、冷房装置等の部品が活用された[44]。107系は新造車とされているため、165系と107系の車籍上の繋がりはない。

各社における状況[編集]

社別で解説する車両基地名称は、本系列車両の配置がなくなった時点でのものとする。

国鉄時代[編集]

本来の目的とされた急行列車が1980年代より減少した。国鉄最後のダイヤ改正となった1986年11月改正で残った165系の急行列車は、東海道本線の「東海」、身延線の「富士川」、信越本線の「とがくし」「南越後」のみとなった[57]。また「上尾事件」のように急行運用の間合いによる大都市圏の通勤・通学ラッシュ時への運用には適さないことから、早急な置換えが必須であった。

一方で1981年から老朽廃車が開始されていたが、余剰車両の活用を目的に国鉄末期から一部の車両はジョイフルトレインへ改造されたほか、急行運用の減少から新潟・長野・松本・甲府地区・飯田線豊橋口・関西本線名古屋口・和歌山地区などでは、普通列車の運用に充当され夏期冷房化率向上に貢献した。しかしデッキ付き2扉構造により乗降時間を要すことから列車遅延の原因となるなど使い勝手が悪い結果、より収容力の大きい近郊形・通勤形に置換えられ、165系の営業運転範囲は徐々に狭まった。JR化後の1990年代に入ると特急への格上げなどで急行列車運用自体が消滅することとなった。

1987年の国鉄分割民営化では、JR東日本に165系263両・167系35両・169系75両(計373両)、JR東海に165系169両、JR西日本に165系41両・167系16両(計57両)の総計589両が継承された[58]。JR化後は本系列に限らず急行形電車そのものが老朽化による廃車も多く、このため同時期に製造された113系・115系が延命工事を多数施工したのと対照的に本系列では廃車になった。

JR東日本[編集]

運用末期の165系

分割民営化後は、田町電車区(→田町車両センター→現・東京総合車両センター田町センター)の167系は4両、他区の165・169系は3両と最低組成に必要な短編成で組成され主に波動運用対応用とされた。一部地域で車体カラーも変更され、イメージを一新した。

定期急行運用は1997年の「赤倉」を最後に全廃、定期普通・快速列車は上沼垂運転区所属車による2003年の「ムーンライトえちご」を最後に全廃となった[59]。定期運用終了後は臨時快速「こころ」「とがくし」などで運用されたが、2003年9月28日の臨時急行「さよならこころ」を最後にすべての営業運転を終了した[59]

リクライニングシート換装などを施工したアコモデーション改善車が投入されていた快速「みすず」・「むさしの」では、ボックスシートの近郊形である115系に置き換えられた。一方、首都圏で本系列主体で運用されていた「ホリデー快速」の多くは特急形車両に置換えられた。

一部車両は107系電車新製にあたり主電動機・台車・冷房装置などの機器を供出したが、車籍上のつながりはない。

JR東海[編集]

165系急行「富士川」
373系特急「ふじかわ」
1995年10月
神領電車区T-10編成

東海旅客鉄道(JR東海)に継承された165系は、継承時点で大垣電車区豊橋電車区静岡運転所に配置されていた。大垣電車区では東海道本線急行「東海」とローカル運用の関西本線岡多線[60]、豊橋電車区では飯田線ローカル、静岡運転所では身延線急行「富士川」の運転を担当していた。岡多線は1988年1月に愛知環状鉄道へ転換された。

1988年3月のダイヤ改正で豊橋電車区の車両配置が静岡運転所に統合され、165系は30両が静岡運転所へ、18両が中央西線ローカル用として大垣電車区へ転出した[61]。165系の中央西線ローカル転用により、従来の中央西線ローカル用115系1000番台が飯田線へ転用されている。

1989年3月改正では大垣電車区への165系の配置が無くなり、急行「東海」は静岡運転所へ、中央西線・関西本線ローカルは神領電車区へ移管された[60]。最終的に静岡運転所(現・静岡車両区)と神領電車区(現・神領車両区)に配置された。

同車の承継車両殆どの共通点として、大きな変更はされずに廃車まで湘南色を保っていた特徴がある反面、同社独自改造として以下の点がある。

  • 床下機器のグレー化
  • 各ゴム類の黒ゴム化
  • クロスシートへの枕カバー取り付け
  • 二段窓の下段部分固定化

本系列では国鉄時代に特別保全工事や先頭車の前照灯シールドビーム+前面強化が行われていたが、継承後の同社では延命工事・アコモデーション改良などを一切行っていないことから、多くの車両が原型を保持していた。静岡運転所の車両は急行運用主体のため、所属全車に汚物処理装置が取付けられた[注 25]。神領電車区所属車と組換えしながら車両を調整し、初期車を淘汰した。

定期運用は優等列車が1996年の急行「東海」をもって廃止となり、ローカル列車も中央西線中津川 - 塩尻間を最後に1999年をもって廃止となった。唯一残存したサロ165-106も2008年度末で車籍が抹消され、JRグループの165系は全廃となった。同車は所属表記を国鉄時代の「名カキ」に戻した上で「リニア・鉄道館」で展示されている。

JR西日本[編集]

分割民営化後は、宮原運転所と日根野電車区に配置された。宮原電車区では167系が波動用で、日根野電車区では165系が紀勢本線普通列車用に使用された。宮原運転所の波動用編成は2001年に全廃となり、日根野電車区の紀勢本線用編成も105系などへの置き換えで2002年に全廃となった。

線区・用途別の運用[編集]

定期列車は路線の線区単位で、波動用は所属区所単位で解説する。運転系統別の担当区所は以下の通り。

上越線・新潟地区[編集]

最盛期の運用[編集]

上越線急行「佐渡」(1978年8月)

1962年6月10日の信越本線新潟電化に伴って、上越線特急「とき」が161系で運転を開始したほか、上野 - 新潟間の急行列車は3往復に増発され、下り「弥彦」と上り「佐渡」が80系により電車化された[62]。80系は座席の狭い初期車が大部分で居住性に問題があり、7両の短編成で混雑も慢性化していたほか、残る2往復の客車急行も編成増強やスピードアップが望まれていた[62]

1963年2月に165系の1次車が新潟運転所(→上沼垂運転区→現・新潟車両センター)に新製配置されたが、80系の早期置き換えのため、新前橋電車区の165系により1963年3月26日から下り「弥彦」・上り「佐渡」で暫定的に営業運転を開始した[63]。当初は東北本線用165系と同じ3月25日からの運行開始予定であったが、同日は上越線の架線切れ事故で運休となり、運行開始は翌26日からとなった[63][64]。当初は165系のサロの製造がなかったため、新前橋区の165系6両編成の中間に田町電車区のサロ153形1等車が組み込まれた7両編成となった[62]

4月より順次新潟所属の165系への運用変更が進められ、6月1日からの本格投入に備えられた。1963年4月23日からは、153系で運転されていた上野 - 長岡間準急「ゆきぐに」が165系に置き換えられた[65]

1963年6月1日のダイヤ改正より、上野 - 新潟間の急行列車は全面165系化された。上野 - 新潟間の昼行急行2往復が電車化され、上野 - 長岡間の準急「ゆきぐに」も新潟まで延長されるとともに急行に格上げされた[65]。また、上野 - 新潟間の夜行電車急行1往復が新設された[65]。愛称は出発順に昼行急行「弥彦」「佐渡」「越路」「ゆきぐに」、夜行急行「越後」とされ、編成はサロ165形・サハシ165形を2両ずつ連結した12両編成となった[62]。サハシのビュッフェのメニューは東海道本線の153系が寿司中心であったのに対し、上越線の165系ではそば・うどんが中心であった[66]

上越線急行は利用客が多く混雑が著しいため、クハ165形が中間に増結されることとなり、1963年11月25日より13両編成に増強された[66]

1965年10月のダイヤ改正では、国鉄の同一系統の列車は愛称を統一する方針となり、上野 - 新潟間の昼行急行は「佐渡」に統一された[67]。「佐渡」は1往復増発の5往復、夜行「越後」は「越路」に改称されている。同改正ではビュッフェ車2両のうち1両が利用率低下と混雑緩和のため減車され、代わりにクハ165形1両が組み込まれる13両編成となった[66]。外されたビュッフェ車は中央東線急行用として転属した[66]

同じ1965年10月のダイヤ改正で越後湯沢 - 新潟間に準急「ゆざわ」が新設され、165系「佐渡」用編成のうち7 - 13号車の7両編成で運転を開始した[68]。翌1966年3月5日の国有鉄道運賃法改正で運転距離100 km以上の準急列車が急行列車となり、「ゆざわ」も急行に格上げされた[68]

1968年10月のダイヤ改正では、「佐渡」に不定期運行の季節列車が設定され、夜行「越路」も「佐渡」に統合された[67]。翌1969年には定期5往復・季節2往復に増発され、編成が一部変更された。

1970年10月1日のダイヤ改正では、「佐渡」の季節1往復が特急「とき」定期1往復に格上げされた。キハ58系で運転されていた長野・妙高高原 - 新潟間の急行「よねやま」2往復が電車化され、165系6両編成が投入された[69]

1972年3月15日のダイヤ改正で「よねやま」は「とがくし」と改称され、「よねやま」の愛称は上野 - 長岡 - 柏崎間の気動車急行の愛称に転用された[70]。改称後の「とがくし」は上田 - 長野 - 新潟間2往復での運転となり、うち1往復にサロ165形が連結された[70]。越後湯沢 - 新潟間急行「ゆざわ」はこの改正で廃止となった[70]

1972年10月2日の改正では、「佐渡」1往復が「とき」に格上げされ、「とき」が10往復となった。従来の急行「佐渡」の1往復は長岡から西進して直江津へ向かう急行「よねやま」となり、「佐渡」と同じ165系13両編成が投入された[71]。改正に先立ち同年春から宮原電車区ならびに下関運転所からサハ165形が転入し、一部の中間封じ込みとなっていたクハ165形を置換えた。

1973年10月1日改正で「佐渡」は季節列車が廃止され定期4往復に減便、ビュフェの営業は「とき」増発に伴う食堂従業員確保のため休止となった[67]。松本運転所からのサハ164形(1974 - 1978年在籍)、回送運転台付のモハ164形500番台などの転入も実施され、サハシに代わってサハ165・サハ164形が組み込まれる編成があった。「とがくし」は2往復ともグリーン車連結の7両編成に統一された[71]

1978年10月2日のダイヤ改正では「佐渡」「よねやま」のサハシ165・サハ164・165形が編成から外され、1両減車の12両編成となった[72]。「とがくし」もサロ165形がサハ165形に置換えられ、「佐渡」の6 - 12号車との共通運用が可能な7両編成となった[72]。これらの減車・置き換えは1978年6月に完了している[72]

「佐渡」「よねやま」編成の推移
← 上野・直江津
新潟 →
1963年6月以降のサハシ165形2両組込編成
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
サハシ
165
サロ
165
サロ
165
サハシ
165
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
1965年10月ダイヤ改正後の編成
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
サロ
165
サロ
165
サハシ
165
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
クハ
165
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
1969年10月ダイヤ改正後の編成
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
サロ
165
サロ
165
サハシ
165
クハ
165
※1
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
1978年6月以降の編成
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
サロ
165
サロ
165
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
サハ
165
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
 
備考
  • ※1:1972年以降はサハ165・164形の場合あり。
「ゆざわ」「よねやま」→「とがくし」編成の推移
← 上田・越後湯沢
新潟 →
「ゆざわ」1965年11月28日 - 1969年9月30日編成
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
クハ
165
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
「ゆざわ」1965年10月1日 - 1972年3月14日編成
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
 
「よねやま」→「とがくし」モノクラス編成
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
クハ
165
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
「とがくし」1973年10月1日 - 1977年9月30日編成
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
サロ
165
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
「とがくし」1977年10月1日ダイヤ改正後の編成
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
サハ
165
クハ
165
モハ
164
クモハ
165

上越新幹線開業後[編集]

EC165-Akakura.jpg
「赤倉」塗装
「赤倉」塗装

上越新幹線大宮暫定開業に伴う1982年11月15日のダイヤ改正では、特急「とき」が廃止、急行「佐渡」が夜行1往復廃止の昼行3往復となった。存続した「佐渡」「よねやま」はサロ・サハが減車され10両編成となった[73]

この改正では名古屋 - 新潟間の気動車急行「赤倉」が165系により電車化され、房総方面からの転入車に中央西線通過対策としてモハ164形のパンタグラフをPS23形に交換する対応が行われた。間合い運用で中央西線名古屋 - 高蔵寺間(下りは多治見発)の普通列車1往復にも充当されている。また、「とがくし」もサハを減車した6両編成となった。

上越新幹線上野開業に伴う1985年3月14日のダイヤ改正では、「佐渡」「よねやま」「赤倉」が全廃となった[73]。新潟地区の急行列車は、「赤倉」の代わりに設定された新潟 - 松本間の急行「南越後」と新潟 - 長野・上田間の急行「とがくし」のみとなった[73]。編成はサロ165形の連結を中止し6両モノクラス編成が基本となり、新潟地区のローカル運用が主流となった。

1985年の東北・上越新幹線上野開業後、上野 - 新潟間の夜行列車は臨時「天の川」「佐渡」を除いて皆無となっていたが、1985年に開設された夜行高速バス東京 - 新潟線に対抗するため、1986年以降14系客車による夜行快速「ムーンライト」の運転が新宿 - 新潟間で開始されていた[49]。国鉄分割民営化後の1987年9月3日から165系の座席交換車3本が「ムーンライト」に投入され、土休日は間合い運用で新宿 - 黒磯間の東北本線快速「フェアーウェイ」でも使用された[74]

1988年3月13日のダイヤ改正(一本列島)では、「とがくし」「南越後」を松本・小諸・長野 - 新潟間の「赤倉」へ統合、快速「ムーンライト」は新宿 - 新潟 - 村上間を結ぶ定期列車となった[75]。「ムーンライト」は車両更新工事施工車(2代目M1 - M6編成)に置き換えられ、初代ムーンライト編成の3本は急行「赤倉」に転用された。「赤倉」転用車はA編成(=赤倉編成)となり、塗装が白地に窓周り緑・黄色細帯の配色に変更された[52]

1991年3月16日のダイヤ改正では、「赤倉」の補完的列車として新潟 - 長野間越後線経由快速「やひこ」を設定、臨時列車扱いで「ムーンライト」に長岡で分割・併合する新井発着編成が設定された。「やひこ」は1993年に、「ムーンライト」新井発着編成は1995年に廃止となった。「赤倉」はA編成が1995年までに廃車となり、ムーンライト用更新車M編成の3両単独編成が所定となった[74]

湘南色で原型に近い仕様のK編成は1995年に定期ローカル運用を終了し、波動用に数編成が残るのみとなり、トップナンバーのK1編成(クモハ165-1・モハ164-1・クハ165-1)も老朽化により1996年に休車となった[50]。「ムーンライトえちご」の増結時など、「赤倉」の車両不足時はK編成の3両または6両編成、またK編成とM編成との併結6両編成で運転されることもあった[74]

1996年3月16日のダイヤ改正で東海道本線の「大垣夜行」が「ムーンライトながら」となったのに伴い、新潟方面の「ムーンライト」は「ムーンライトえちご」に改称された[75]

北陸新幹線長野新幹線)が開業した1997年10月1日ダイヤ改正で急行「赤倉」は廃止となり、485系による特急「みのり」に格上げされた[59]。「赤倉」の廃止で165系の定期急行運用が消滅した[59]

「ムーンライトえちご」は2003年3月まで165系で運用されたが、老朽化のため同年4月1日からは485系による運用となった[75]

1982年11月15日改正後の「佐渡」「赤倉」「とがくし」編成
← 上野・上田・名古屋
新潟 →
「佐渡」「赤倉」編成
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
サロ
165
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
「とがくし」編成
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
 

末期の運用[編集]

「懐かしの急行かいじ」 M3編成
「懐かしの急行かいじ」
M3編成
臨時快速「こころ」
臨時快速「こころ」

2001年のアルファ編成廃車後、最後まで残った本系列定期運用に充当されていた「ムーンライトえちご」「フェアーウェイ」用M編成(3両編成x6本計18両)も老朽化に伴い2003年4月に485系に置換えられた。

その後M2・3編成は湘南色に再塗装され、本系列ゆかりの路線で以下の「さよなら運転」を実施した。

  • 6月21・22日 「懐かしの急行佐渡」(上野 - 新潟間)
  • 6月28・29日 「懐かしの急行アルプス」(新宿 - 松本間)
  • 7月12日 「懐かしの急行かいじ」(新宿 - 甲府間)
  • 7月13日 「懐かしの急行かわぐち」(新宿 - 河口湖間)

8月23日の大井工場(現・東京総合車両センター)一般公開時に展示が行われたのを最後に、M2・3編成は8月27日に長野総合車両所へ廃車回送された。

上越線沿線を舞台とするNHK2003年度上半期連続テレビ小説こころ』の放映にちなみ、上越線・信越本線の臨時快速「こころ」(越後湯沢 - 長岡)が2003年4 - 9月の土曜・休日を中心にM6編成を基本として運転された。当初は6月末で運転終了であったが、好評のため「こころ」放映最終日の翌日である9月28日まで延長された。M1・6編成は、5月には「善光寺ご開帳記念」臨時快速「とがくし」に投入された。

「こころ」運転最終日に新潟への返却回送も営業運転へ変更した団体急行「さよならこころ」(越後湯沢→新潟)をもって、165系による営業運転が終了した。最終列車のサボには『越後に生まれ 越後に消える 40年間ありがとう 上沼垂運転区165系直流急行型電車 Last Run』の文字が添えられた。

10月に残存していた編成は長野総合車両所へ廃車回送され、これをもってJRグループ全体から165系列の営業用車両が姿を消した。

上沼垂運転区M編成一覧
 
← 新宿
新潟 →
備考
号車番号 1 2 3 全編成ATS-P装備
モハ164形基本番台車は
PS23形パンタグラフ交換済
編成番号 クハ
165
モハ
164
クモハ
165
M1 105 823 76 全車松本からの転入車
M2 166 64 100 McM'ユニットは新製時から新潟配置
M3 99 65 101 全車新製時から新潟配置
M4 170 66 102 McM'ユニットは新製時から新潟配置
M5 195 853 130 全車幕張からの転入車
M6 203 860 137

東北本線・高崎線・北関東地区[編集]

急行「なすの」(1984年)
新前橋電車区モントレー色車
「さよなら165系上越号」
新前橋電車区所属車最終運用

東北本線日光線系統では157系日光方面観光用準急列車「日光」や「中禅寺」「なすの」「湘南日光」で運用されたほか、東海道本線の不定期特急「ひびき」にも使用されていた[76]。東海道本線では東海道新幹線開業前の輸送力増強のため1963年4月20日改正で東京 - 大阪間不定期特急「ひびき」のうち1往復が定期化されたことから、157系2編成を東海道本線に転用して日光方面準急の不足分を165系の新製で補うこととなった[76]

1963年3月25日ダイヤ改正では東京 - 日光間準急「日光」1往復を157系で残し、新宿 - 日光間準急「中禅寺」、上野 - 黒磯間準急「なすの」、伊東 - 東京 - 日光間準急「湘南日光」の各列車に165系が新製投入された[65]。165系は田町電車区にMcM'Tcの3両編成が5編成の計15両が投入され、1963年3月25日から「湘南日光」「なすの」で、4月25日から「中禅寺」で運用が開始された。

新前橋電車区でも1963年3月から165系の投入が開始されており、信越本線が電化開業した1963年10月1日ダイヤ改正で信越方面の急行列車、高崎周辺の準急列車に投入された[77]。新前橋区の編成は信越本線横川 - 軽井沢間(碓氷峠)での運用に対応した横軽対策車で、電動車ユニットが碓氷峠の麓側となる上野方にあり、他区所と編成が逆向きになっているのが特徴であった[78]

高崎周辺では「あかぎ」「苗場」など上越線準急列車の80系電車を置き換え、165系により上野 - 中軽井沢間準急「軽井沢2号」、上野 - 水上間準急「ゆのさと」、上野 - 前橋間準急「あかぎ」がサロ1両の入った7両編成で運転された[79]。上野 - 水上間準急「みくに」はサロのない6両編成で運転され、上野 - 高崎間は「軽井沢2号」と併結していた[79]中央本線の波動輸送用としてモハ165形・低屋根車モハ164形800番台のトップナンバーを含む4両編成5本も配置された。

「中禅寺」は1964年10月1日改正で下り東京駅発、上り上野駅着に変更され、新宿駅からの発着は無くなった[79]。1963年10月1日には新前橋電車区から6両が田町区に転入していたが、東北本線黒磯以南運用はすべて1966年10月1日付で田町電車区から新前橋区に移管された。新前橋区の中央本線波動用編成は1964年10月1日に田町区に転入、このグループは東北本線運用にも投入されたが、1975年に神領電車区に転出した。

1965年10月1日ダイヤ改正では列車愛称の1本化が進められ、上野 - 水上間の準急は「奥利根」に統一、上野 - 前橋間の準急が「あかぎ」となった[80]。また上野 - 高崎・渋川間に準急「はるな」が新設された[68]。上野 - 石打間準急「苗場」は運転区間が新潟まで延長され、上越線急行「佐渡」となった[81]

1967年6月10日に長野原線(後の吾妻線渋川 - 長野原(後の長野原草津口)間の電化が完成し、同年7月1日にダイヤ改正が行われた[82]。この改正では気動車で運転されていた上野 - 長野原間急行「草津」「草津いでゆ」と上野 - 水上間急行「奥利根」の併結列車が電車化された[82]。電車化後も「奥利根」+「草津」、「奥利根」+「あかぎ」の併結運転が実施され、基本7両と付属4両の併結11両編成で運転された[80]

信越本線急行用の165系は、1966年に新設された長野運転所(後の長野総合車両センター)にも配置されるようになった[82]。1967年10月1日ダイヤ改正では、信越本線系統の165系はすべて長野運転所の受け持ちに変更された[83]

1968年4月27日の御殿場線電化に合わせて運転開始された東京 - 御殿場間急行「ごてんば」は、1973年まで新前橋区の3両編成2本を田町電車区が借り受けての運用となり、東京 - 国府津間で153系の急行と併結された[83][注 26]

1968年10月1日のダイヤ改正(ヨンサントオ)では急行「奥利根」「はるな」が「ゆけむり」に改称され、下り8本・上り7本の運転となった[83]。「ゆけむり」は石打への季節延長も実施されるようになった[83]。「ゆけむり」+「あかぎ」、「ゆけむり」+「草津」の組み合わせでの併結も実施され、基本7両と付属3両・4両または6両の最大13両編成で運転された[83]両毛線の前橋 - 小山間も電化され、高崎方面から急行「あかぎ」が桐生まで直通した[83]。上野 - 中軽井沢間急行「軽井沢」は季節列車となり、新前橋電車区の165系7両編成で運転されるとともに、上野 - 高崎間では急行「ゆけむり5号」と併結された[83]

東北本線系統の165系急行は上野 - 日光間が「日光」、上野 - 黒磯間が「なすの」に統合され、「中禅寺」「だいや」「しもつけ」の列車名は消滅した[83]。両毛線と水戸線の電化に伴って上野 - 高崎・茂木水戸間気動車急行「わたらせ」「つくばね」の併結が分離され、「わたらせ」は165系で高崎まで、「つくばね」は仙台運転所455系により勝田までの運転となった[83]。両毛線は小山口からも高崎口からも方向転換せず入線可能であり、線内に「わたらせ」で入った編成と「あかぎ」で入った編成は逆向きとなるため、折り返しの際には入線した経路で戻すことが原則とされた。

「日光」「なすの」「わたらせ」は新前橋電車区の165系で運転されたが、「日光」のうち1往復は田町電車区の157系が、「なすの」のうち上り白河 - 上野間の1本は仙台運転所の455系が使用された[83]。455系「なすの」は本来上野口で夜間滞留となる編成を間合い運用で投入するもので、下りは前日の普通列車により送り込まれた。

1969年4月25日には「日光」で残っていた157系が165系に変更され、「日光」から撤退した157系は伊豆方面特急「あまぎ」に転用された[84]。165系の伊東 - 東京 - 日光間急行「湘南日光」は1970年10月1日に廃止された[62]

1971年3月7日に長野原線が大前まで延長され、路線名も渋川 - 大前間が吾妻線に改称された[69]。急行「草津」は4往復中3往復が万座・鹿沢口まで運転するようになった[69]。1972年3月15日改正では「草津」の全列車が万座・鹿沢口発着となったほか、「草津」と「ゆけむり」の分割併合駅が渋川から新前橋に変更された[70]。1972年以降は上野 - 渋川間急行「伊香保」も設定された。

最盛期には基本編成15本・付属編成29本を巧みに組み合わせ、3両から最大15両編成で上野を中心として急行列車から普通電車まで複雑かつ幅広い運用を行った。1973年3月13日に発生した上尾事件がきっかけとなり、朝夕ラッシュ時間帯の通勤列車運用は以後減少した。

1975年3月10日改正以降「あかぎ」下り1本を長野運転所の169系が担当し、上りは翌早朝の普通列車で送り込みをする運用がとられた。

東北・上越新幹線大宮暫定開業による1982年11月15日のダイヤ改正では、165系の置き換え用に185系200番台が特急「谷川」「白根」「あかぎ」に新製投入されるとともに、165系は7両編成に統一され急行「ゆけむり」「草津」「はるな」での運用となった[85]。185系はダイヤ改正前の1982年3月10日より急行「あかぎ」「草津」「ゆけむり」「軽井沢」で165系との共通運用に入り[85]、この期間中は165系+185系の併結運用も実施された[86]。また東北本線・日光線の急行「日光」は全廃となった[85]。このダイヤ改正で余剰となったクハ165形11両は松本運転所に転出し、冷房用MGの関係で編成から外すことのできなかったサハシ165形・サハ164形を置換えた。

東北・上越新幹線上野開業に伴う1985年3月14日のダイヤ改正では、急行「なすの」「わたらせ」「草津」「ゆけむり」「はるな」「軽井沢」が全廃となった[87]。新前橋電車区の165系による急行運用も消滅し、以後は日光・両毛・吾妻線などのローカル運用、もしくは臨時急行列車・団体列車などの波動輸送で運用された[87]。東北・高崎線の定期急行列車の廃止により、同地区の優等列車は185系による特急列車(新特急)に格上げされた。

JR東日本発足後の1998年から1990年にかけて、新前橋電車区の165系では波動輸送用3両編成11本計33両(S1 - S12編成)に車両更新工事が施工され、アイボリーに青とピンクのストライプの入る通称「モントレー色」への塗装変更が実施された[78]。ローカル運用においても107系などに置き換えられ、新前橋電車区の165系は波動輸送用のみとなった[78]

運用数の減少および183系・189系の転入に伴い、2002年からは残存していたS9-11編成を湘南色への塗装変更を実施した上で以下のイベント急行列車で運用された。

2002年
  • 11月2 - 4日 「草津」(上野 - 万座・鹿沢口間)
  • 11月9・10日 「ゆけむり」(上野 - 水上間)
  • 11月16日 「内房」(両国 - 館山間)
  • 11月17日 「外房」(両国 - 安房鴨川間)
  • 11月23日 「犬吠」(両国 - 銚子間)
  • 11月24日 「鹿島」(両国 - 鹿島神宮間)
2003年
  • 3月29・30日 「伊香保」(上野 - 水上間)
  • 4月12・13日 「奥利根」(上野 - 水上間)
  • 4月27日 「わたらせ」(上野 - 小山 - 桐生間)
  • 5月24・25日 「妙高」(上野 - 横川間)
  • 6月14・15日 「さよなら165系信越号」(上野 - 横川間)
  • 6月21・22日 「さよなら165系吾妻号」(上野 - 万座・鹿沢口間)
  • 6月28・29日 「さよなら165系上越号」(上野 - 水上間)

上記イベント終了後に全車廃車となり、長野総合車両所で解体された。

東北・高崎線165系急行編成
← 上野・日光
水上・軽井沢・宇都宮・黒磯 →
基本編成
クモハ
165
モハ
164
クハ
165
クモハ
165
モハ
164
サロ
165
クハ
165
 
付属編成
クモハ
165
モハ
164
クハ
165
 
「軽井沢」専用編成(1972年3月15日で消滅)
クモハ
165
モハ
164
クハ
165
クモハ
165
モハ
164
サロ
165
サロ
165
クハ
165
新前橋電車区S9 - S11編成一覧
 
← 上野
新前橋 →
編成番号 クモハ165 モハ164 クハ165
S9 106 70 138
S10 118 76 151
S11 122 80 155

信越本線[編集]

165系による運用[編集]

信越本線横川 - 軽井沢間の碓氷峠アプト式が廃止され、1963年10月1日に粘着運転新線の複線化が完成したのに伴い、新前橋電車区の165系が信越本線系統の優等列車に投入された[88]。碓氷峠は新線でも66.7パーミルの急勾配が残されたため、EF63形電気機関車による牽引・推進運転が実施された[77]。165系は当初は11両編成での投入が計画された[88]が、牽引・推進運転の保安上の問題から165系を含む電車は連結両数が最大8両に制限された[77]

キハ57系気動車で運転されていた上野 - 長野長野電鉄湯田中間急行「志賀」「丸池」、上野 - 長野間急行「とがくし」が電車に置き換えられ、愛称は上野 - 長野間昼行急行が「信州」、同区間夜行急行が「とがくし」に、長野電鉄直通の上野 - 湯田中間急行は「志賀」に集約された[77]。昼行急行「信州」は4往復、夜行急行「とがくし」は1往復、長野電鉄直通の昼行急行「志賀」は2往復が設定され、「志賀」は付属3両編成が湯田中に乗り入れた[77]

粘着運転化前年の1962年7月15日に高崎 - 横川間が電化され、80系電車により臨時準急「軽井沢」2往復が上野 - 横川間(横川 - 軽井沢間は連絡バス)で運転を開始した[89]。1963年5月13日に粘着運転の新線が単線で開通、6月21日に軽井沢 - 長野間が電化されたのを機に、1963年7月15日より臨時準急「軽井沢」は80系6両編成で長野まで延長された[89]

準急「軽井沢」2往復は1963年10月1日より定期列車に格上げされ、1往復が165系での運転となった[77]。2往復のうち1往復は上野 - 中軽井沢間で運転されていたが、1965年10月1日改正で長野まで延長され、全車指定席の急行「信越いでゆ」1往復に格上げされた[68]。準急「軽井沢」は翌1966年3月5日の国有鉄道運賃法改正[68]で急行列車に格上げされた。

1966年10月1日の長野 - 直江津間電化で特急「あさま」が181系で運転開始されるとともに、上野 - 直江津間の急行「妙高」2往復にも165系が投入された[82]。「あさま」の新設に伴い、全席指定の「信越いでゆ」は一般の急行「信州」に統合された[82]。不定期運行の客車急行列車「高原」も165系により電車化された[82]

信越本線用165系は1966年より長野運転所にも配置されるようになり、新前橋と長野の両区による受け持ちとなった[82]。翌1967年10月より信越本線用165系はすべて長野運転所の受け持ちとなった[83]

長野配置車は新前橋区の「軽井沢」専用編成と共通の編成が組成されたが、碓氷峠の8両編成への制限のため慢性的な混雑が顕著になっており、一部列車は高崎以南で長野方に3両増結する対策が採られたが、信越本線そのものの抜本的な輸送量増強に対応できないため、1967年にEF63形と協調運転を可能にし12両編成まで碓氷峠を通過できる165系900番台を試作することになった。165系900番台は新前橋電車区に配置され、横川 - 軽井沢間区間の試運転で良好な結果を残した。

169系の投入[編集]

碓氷峠を越える169系急行「信州」(1978年)
169系急行「妙高」(1982年7月)

1968年より協調運転対応の量産車として169系が新造され、サロ165形からサロ169形への改造車、サハシ165形からサハシ169形への改造車を含めた103両が長野運転所に配置された[90]。169系に置き換えられた長野配置の165系は、サロ169形に改造されるサロ165形を除き全車新前橋区に転属した。

169系は1968年10月1日のダイヤ改正より信越本線の電車急行(「軽井沢」を除く)に投入され、ビュフェ込みの基本編成9両・付属編成3両の最大12両編成での運転となった[91]。上野 - 長野・湯田中間の急行列車は「信州」7往復(うち1往復は季節列車)の運転となり、愛称統合により「高原」「志賀」は消滅した[91]。「信州」のうち2往復は2往復は季節列車扱いで長野 - 田口(後の妙高高原)間延長運転が設定された[91]。上野 - 直江津間急行列車は「妙高」定期2往復・不定期1往復・夜行客車列車1往復の設定となり、「丸池」「とがくし」の愛称は消滅した[91]

1969年10月1日のダイヤ改正では、「信州」2往復の延長運転区間の定期化で「妙高」に変更され、「信州」5往復(定期4往復・不定期1往復)・「妙高」6往復(定期4往復・不定期1往復・夜行客車列車1往復)となった[92]。田口駅は同日付で妙高高原駅に改称されている。2往復設定されていた「信州」の上野 - 湯田中間列車は再び「志賀」に改称された[90]

1972年3月15日のダイヤ改正では、上野 - 金沢間の客車急行「白山」が489系による電車特急に格上げされた。同年11月の「白山」増発により上野 - 妙高高原間急行「妙高」1往復が上野 - 長野間の「信州」に短縮され、「妙高」は5往復(うち客車夜行1往復)に削減された[93]。「軽井沢」は季節列車となり、サロ165形を1両減車の新前橋電車区165系7両編成に変更された[83]

1973年10月1日改正では「信州」のうち1往復で軽井沢 - 長野間が普通列車運転となり、「信州」「妙高」などでのビュッフェ営業も1976年11月30日限りで終了した[90]1975年3月10日のダイヤ改正では、長野運転所の169系が首都圏側の間合い運用で下り最終「あかぎ」と翌早朝の上り普通列車に充当された。同年夏には横軽協調運転対応の直流特急形電車189系が登場し、特急「あさま」での運用を開始している[90]

1978年10月のダイヤ改正では、急行「信州」1往復が特急「あさま」に格上げされた[72]。急行「信州」は1往復減の5往復となり、急行「志賀」1往復は不定期列車化された[72]。この改正を前に、サハシ169形が同年8月から9月にかけて外され最大11両編成となった[72]

1982年11月15日の改正では、長野運転所の169系はサロ169形1両が減車され10両編成に短縮された[85]。急行「妙高」の昼行2往復は特急「あさま」への格上げで全廃となり、客車夜行1往復のみが残存した[85]。急行「志賀」も全廃となり、長野電鉄への乗り入れも終了した。急行「信州」は4往復に削減され、うち3往復は軽井沢 - 長野間で普通列車もしくは快速列車で運転された[85]。高崎線急行の185系特急(新特急)格上げのため、間合い運用の「あかぎ」充当も終了した。

信越本線急行の減少により大量発生した余剰車は松本運転所に転出となり、転出は1978年の8両から開始された。1988年までにMcM'ユニットとTcは、廃車になったクモハ169-9・モハ168-5を除き一度は必ず松本への転入が実施された。その後は、長野に出戻った車両・松本で廃車になった車両・三鷹電車区に転属した車両などに分かれた[注 27]。松本運転所転属のモハ168形は、中央東線狭小トンネル対策としてパンタグラフはPS23形に交換されている。

1985年3月14日改正では、169系による急行「信州」が全廃となった[87]。上野 - 直江津間の夜行客車急行「妙高」(長野 - 直江津間は普通列車)が電車化され、169系普通車のみの9両編成に置き換えられた[87]

1986年11月1日ダイヤ改正で「妙高」は189系9両編成による運転に移行し、特急「あさま」と共通運用となった[94]。これにより信越本線急行での169系定期運用は終了した[89]。信越急行廃止後は、長野に残存した169系15両に松本運転所から転入したサハ165形5両を組込み4両編成x5本を組成。当初は飯田線方面の急行「かもしか」運用に投入されたが、後にローカル列車もしくは波動輸送用としての運用活動が主になった。

1990年夏期の多客対応として、長野運転所の115系3両運用の定期1往復を新前橋電車区の165系6連に変更して運転した実績がある。

長野運転所169系編成の推移
← 上野
長野・妙高高原・直江津・湯田中 →
1968年10月1日 - 1978年9月30日の編成
クモハ
169
モハ
168
サロ
169
サロ
169
サハシ
169
クハ
169
クモハ
169
モハ
168
クハ
169
+ クモハ
169
モハ
168
クハ
169
1978年10月1日 - 1982年11月14日の編成
  クモハ
169
モハ
168
サロ
169
サロ
169
クハ
169
クモハ
169
モハ
168
クハ
169
+ クモハ
169
モハ
168
クハ
169
1982年11月15日 - 1985年3月14日の編成
  クモハ
169
モハ
168
サロ
169
クハ
169
クモハ
169
モハ
168
クハ
169
+ クモハ
169
モハ
168
クハ
169
1985年3月15日 - 1986年10月31日の「妙高」編成
クモハ
169
モハ
168
クハ
169
クモハ
169
モハ
168
クハ
169
クモハ
169
モハ
168
クハ
169
 
備考
  • 「妙高」9両編成を除き上野方9両が基本編成。長野方3両が付属編成。

中央東線・松本地区[編集]

中央東線末期の165系急行「アルプス」
1986年 岡谷
初代長野色の169系(1991年)

中央東線における165系の運用は、1963年4月28日から5月26日までの休日に新宿 - 甲府間で運転された臨時列車が最初である[90]。下りは臨時準急「かいじ」、上りは臨時普通列車での運用で、新前橋電車区所属の波動用で低屋根車を連結する4両2編成が使用された。

中央東線は1964年8月23日に甲府 - 上諏訪間の電化が完成し、10月1日ダイヤ改正で運転を開始した新宿 - 上諏訪間急行「たてしな」が中央東線165系で初の定期運用となった[79]。165系は暫定的に三鷹電車区に11両が新製配置され、7両編成で投入された[90]

1965年4月1日に松本運転所が開設され、同年5月20日には上諏訪 - 松本間の電化が完成した[79]。1965年7月1日のダイヤ改正で新宿 - 松本・飯田信濃森上間の気動車急行7往復のうち「アルプス」「上高地」「白馬」「赤石」より3往復が電車化され、キハ58系に代わり165系による運用となった[79]。編成は基本4両・付属4両の12両編成とされ、松本運転所へ新製車53両[注 28]と三鷹区から転属の11両が投入された[79][注 29]

10月のダイヤ改正では新宿 - 松本間の電車急行1往復を増発、気動車急行2往復を電車化、新宿 - 上諏訪間急行「たてしな」の上諏訪 - 松本間が延長され「アルプス」に吸収された[79]。新宿 - 松本間の電車急行は7往復に増発、列車愛称は新宿 - 松本間急行が「アルプス」に、大糸線直通の新宿 - 信濃森上間急行が「白馬」「穂高」に集約された[95]。165系急行の愛称としては「たてしな」は1年、「上高地」は3ヶ月で消滅となり、「上高地」は夜行客車準急の愛称に転用された[95]

中央東線165系急行のサービス向上を図るため、中間5号車のクハ165形が上越線急行「佐渡」のサハシ165形と差し替えられ、1965年12月からビュッフェの営業が開始された[81]。「佐渡」はビュッフェ車が編成中2両から1両となり、座席車への差し替えによる混雑解消が図られている[81]。新潟運転所から転属のサハシ165形5両のみでは数が不足するため、サハシ153形2両がサハシ165形に改造編入された[81]

1966年12月12日ダイヤ改正より181系による新宿 - 松本間特急「あずさ」2往復の運転が開始され、急行列車は新宿 - 松本間に「かいじ」1往復が新設された[96]。165系急行の5号車には売店車サハ164形も連結されるようになり、時刻表の欄外や編成表には「ビュフェは売店車の場合もある」と記載された[97]

1968年10月1日のダイヤ改正では、松本発着ならびに大糸線直通列車が「アルプス」、飯田線直通が「こまがね」、甲府発着が「かいじ」の愛称に統一された[96]。165系は「アルプス」11往復中9往復、「こまがね」3往復中2往復、「かいじ」5往復、富士急行直通の「かわぐち」6往復中5往復に投入された。

1972年10月改正からは新宿から身延への季節急行「みのぶ」が運転を開始し、新宿 - 甲府間は下りが「アルプス3号」、上りが「アルプス7号」と併結運転された[93]。甲府駅の構内配線の関係から通常松本方に連結する付属編成を下り列車は新宿方の連結とした[注 30]。1973年10月1日には岡谷発着の季節列車「たてしな」1往復が設定され、「みのぶ」の併結列車も「たてしな」に変更された[96]

1975年3月のダイヤ改正では、キハ58系で残っていた「アルプス」2往復、「こまがね」「かわぐち」それぞれ1往復が165系化された[98]。「かわぐち」は富士急行のキハ58系も含めて松本電車区の165系となり、小海線中込小諸方面急行「八ヶ岳」も廃止となった[99]。165系は下関運転所・大垣電車区・新潟運転所などから増発用車両が転入し[注 31]、転入車のうちモハ164形0番台・500番台は狭小トンネル対策としてパンタグラフのPS23形への交換と避雷器移設工事を施工、非冷房車は同時に冷房化改造工事も施工された。

サハ164形2両は新潟運転所のサハシ165形と交換されたが、ビュッフェ営業は1976年11月30日限りで休止となった[96]。サハ164形は1978年の大垣電車区への転出を経て、1979年と1980年に2両とも松本運転所に再転入している。

1978年10月2日のダイヤ改正で新宿 - 岡谷間急行「たてしな」は「アルプス」に統合され、「たてしな」の愛称は再び消滅した[96]。同年からは信越線急行の減便・廃止に伴い169系が長野運転所から狭小トンネル対策を施工した上で転入している。

サハシ165形・サハ164形は搭載のMGから1・2号車の冷房装置・サービス電源の供給を行っていたため、ビュッフェ・売店営業休止後も存置されていたが、1982年3月に185系200番台の投入により余剰となった新前橋区のクハ165形11両の転入でサハシ165形9両とサハ164形2両と差し替えた。この編成変更で余剰となったサハシ165形・サハ164形は、篠ノ井線西条駅などに留置された車両もあったが、全車1983年3月までに廃車となった。

1982年11月15日のダイヤ改正では、基本編成からサロ165形が1両減車となり、基本編成7両+付属編成4両の11両編成となった[85]。1983年7月15日には岡谷 - 塩尻間を塩嶺トンネルで短絡する新線が完成し、特急「あずさ」全列車と急行「アルプス」の一部が新線経由となった[87]。1985年3月のダイヤ改正で「かいじ」「みのぶ」「かわぐち」は季節列車へ格下げされ[87]、夜行「アルプス」へのクモニ83形の連結も中止された。

1986年11月1日のダイヤ改正で、165系の中央東線昼行急行「アルプス」は特急「あずさ」への格上げで消滅、「こまがね」「かいじ」「みのぶ」「かわぐち」は全廃された[94]。定期夜行「アルプス」は存続したが、特急「あずさ」と共通の183系に車種変更された[94]。松本所属の165系は波動輸送ならびに松本地区ローカル列車に転用されたほか、Mc-M'-Tcの11編成33両が紀勢本線に残存する客車列車置換え用として日根野電車区(現・吹田総合車両所日根野支所)に転出した[100]

1986年急行運用全廃後はローカル運用主体となり、当初は165系・169系混在であったが、後に169系3両編成x14本(A編成)計42両に整理された。塗装も長野色(初代→2代)に塗り替えられ中央本線甲府 - 中津川・大糸線・篠ノ井線・と広域で運用されたが、1996年にA2編成(クモハ169・モハ168-7+クハ169-4)が廃車、1997年10月の北陸新幹線長野先行開業によるダイヤ改正で主に波動運用対応だったA12 - A14編成が長野総合車両所(現・長野総合車両センター)に転出。3両編成x10本計30両の配置となった。

1998年12月のJRダイヤ改正でE127系100番台に置換えられ、残存していた車両のうち6両が三鷹電車区(現・三鷹車両センター)へ、12両が長野総合車両所へ転出、12両が廃車[注 32]となり配置がなくなった。

165系「たてしな」登場時編成
← 新宿
上諏訪 →
1964年10月1日 - 1965年9月30日の「たてしな」編成
クモハ
165
モハ
164
クハ
165
サロ
165
クモハ
165
モハ
164
クハ
165
最盛期の中央東線急行編成
← 新宿
松本・飯田・南小谷・河口湖 →
「アルプス」「こまがね」用12両編成
クモハ
165
モハ
164
サロ
165
サロ
165
サハシ
165
クモハ
165
モハ
164
クハ
165
+ クモハ
165
モハ
164
クハ
165
クハ
165
「アルプス」   「アルプス」or「こまがね」
「かいじ」「かわぐち」用11両編成  
クモハ
165
モハ
164
サロ
165
サロ
165
サハシ
165
クモハ
165
モハ
164
クハ
165
+ クモハ
165
モハ
164
クハ
165
「かいじ」   「かわぐち」
備考
  • 新宿方8両は基本編成。松本方4両(3両)は付属編成。
  • サハシ165形はサハ164形の場合がある。
  • 「かいじ」+「かわぐち」編成は富士急行線ホーム有効長の関係で3両までの制約から「アルプス」「こまがね」用付属編成の松本方クハ165形を三鷹電車区に留置させ運用。
  • 大糸線直通の夜行1往復は基本編成のみとし新宿 - 松本間で新宿方にクモニ83形を連結する運用がある。
「みのぶ」上下列車編成比較
← 新宿・身延
甲府・岡谷・松本 →
下り
クモハ
165
9号車
モハ
164
10号車
クハ
165
11号車
クハ
165
12号車
+ クモハ
165
1号車
モハ
164
2号車
サロ
165
3号車
サロ
165
4号車
サハシ
165
5号車
クモハ
165
6号車
モハ
164
7号車
クハ
165
8号車
「みのぶ」   「アルプス」or「たてしな」
上り
クモハ
165
1号車
モハ
164
2号車
サロ
165
3号車
サロ
165
4号車
サハシ
165
5号車
クモハ
165
6号車
モハ
164
7号車
クハ
165
8号車
+ クモハ
165
9号車
モハ
164
10号車
クハ
165
11号車
クハ
165
12号車
「アルプス」or「たてしな」   「みのぶ」
末期の中央東線急行編成
← 新宿
松本・飯田・南小谷・河口湖 →
1982年3月 - 1982年11月14日の編成
クモハ
165
モハ
164
サロ
165
サロ
165
クハ
165
クモハ
165
モハ
164
クハ
165
+ クモハ
165
モハ
164
クハ
165
クハ
165
  1982年11月15日 - 1986年10月31日の編成
クモハ
165
モハ
164
サロ
165
クハ
165
クモハ
165
モハ
164
クハ
165
+ クモハ
165
モハ
164
クハ
165
クハ
165
備考
  • 下り「みのぶ」編成の新宿方連結ならびに「かいじ」の松本方クハ165形1両カットは継続。
松本運転所A編成最終配置車一覧
 
← 甲府・中津川
南小谷・長野 →
備考
編成
番号
クモハ
169
モハ
168
クハ
169
ATS-P 座席 更新 1998年以降
転出先・廃車
A1 2 15 クロス 特別保全 廃車
A3 10 26
A4 11 17
A5 15 23 車体更新 三鷹電車区
A6 17 7 特別保全 廃車[注 32]
A7 24 22 長野
総合車両所
A8 8 12 セミ
クロス
車体更新
A9 27 18 三鷹電車区
A10 12 21 R51
簡リク
長野
総合車両所
A11 14 25

飯田線辰野口・長野地区[編集]

新急行色の169系「かもしか」
169系新長野色

飯田線のうち長野県内区間の優等列車は、1961年に運転を開始した新宿 - 天竜峡間気動車準急「天竜」が最初である[101]。同年には県都の長野市飯田市方面を連絡する地域準急列車も「天竜」の愛称で設定され、長野 - 天竜峡間で運転を開始した。新宿直通列車は1968年に「こまがね」に改称され、松本運転所の165系付属編成(4両編成)での運転となった。

県内連絡列車は引き続き「天竜」の愛称が継承され、キハ57系・58系で運転された。1975年3月10日のダイヤ改正で山陽本線の165系が余剰となり、急行「天竜」は80系電車と165系で電車化された。この改正時は「きそ」と共通運用となる神領電車区付属編成(4両編成)が使用されたが、1982年11月15日のダイヤ改正で松本運転所に移管された[85]。同列車は当初の飯田線方面のみならず、小淵沢茅野・上諏訪・松本・天竜峡飯田駒ケ根⇔松本・長野と時期によって運転区間が何種類も存在した。

1986年11月1日のダイヤ改正で新宿直通急行「こまがね」は全廃となったが、長野県内急行は残され、「天竜」5往復から急行「かもしか」3往復と快速「みすず」2往復に再編された。運転区間を富士見・茅野・上諏訪・天竜峡・飯田⇔長野に整理、運用は長野運転所の165・169系4両編成に移管された。

「かもしか」用編成は塗装がクリーム10号地に緑14号の新急行色に変更され、座席も新幹線用シートにグレードアップされた[94]。快速「みすず」は169系の一般車が使用された。

JR化後の1988年3月のダイヤ改正で、急行「かもしか」はすべて快速「みすず」に格下げされ、「かもしか」の愛称は消滅した。車両はグレードアップ車も快速「みすず」で引き続き充当された。以後はローカル運用が主となり、信越本線小諸 - 長野・篠ノ井線・中央本線・飯田線飯田以北で運用された。

1988年から1993年にかけての夏季を中心に、小海線直通臨時快速「葉ッピーきよさと」が北長野運転所の169系で運転された[53]。非電化の小海線内はDD16形プッシュプル運転で、電源車としてスハフ12形が連結された[53]。後に付随車を外した3両編成となり、DD16形単機での牽引に変更された[53]

大きな動きは、1997年10月1日のしなの鉄道開業によりN31・N32・N35編成からサハ165形を抜いたMcM'Tc3両x3本計12両が譲渡されたが、松本所から補完分同数となる車両が転入した。松本からの転入車と既存長野車とでは座席が異なる。

  • 松本転入車:R51簡易リクライニングシート
  • N33・N34編成全車・N32編成サハ165形:D23リクライニングシート
  • N31・N35編成サハ165形:D21リクライニングシート

1998年12月のダイヤ改正で165系・169系長野車の定期運用が終了した。サハ165形は編成から外され保留車となり、1999年中に廃車された。N33編成はしなの鉄道に譲渡、N31・N32・N35編成は三鷹電車区に転属した。この改正では松本電車区から3両編成4本が転入し、A8→N31・A10→N32・A11→N33・A7→N35編成となった。

主にN31編成が単独で、N32+N33編成は6両に組成された状態で波動輸送に、N34・N35編成はリニューアル工事で予備車が不足がちだった115系1000番台の代走に投入された。しかし、115系のリニューアル完了で代走運用は終了し、2001年の特急「あずさ」「かいじ」へのE257系投入で183系・189系が波動用に転用されたこともあり、長野所属の165系・169系は2001年12月までに廃車となった[54]

長野運転所「かもしか」用編成
 
← 富士見
天竜峡・長野 →
 
号車番号 1 2 3 4  
編成番号 クモハ
169
モハ
168
サハ
165
クハ
169
座席
N31 1 11 27 W12転換クロス
N32 6 10 19 D23
リクライニング
N33 13 8 13
N34 16 5 3
N35 23 9 20 W12転換クロス
長野総合車両所1997年N31 - N35編成一覧
 
← 上諏訪・飯田
長野 →
 
編成
番号
クモハ
169
モハ
168
サハ
165
クハ
169
備考
N31 19 11 1 元松本A12編成
N32 21 10 14 元松本A13編成
N33 13 8 13 1986年から
組成不変
N34 16 5 3
N35 26 9 24 元松本A14編成

房総地区[編集]

急行「外房」(錦糸町駅、1978年)
急行「水郷」 1982年3月30日 成田
急行「水郷」
1982年3月30日 成田
急行「犬吠」 2002年のリバイバル運転
急行「犬吠」
2002年のリバイバル運転

1969年7月11日の房総西線(後の内房線木更津 - 千倉電化に伴い、気動車急行「うち房」のうち9往復が電車化され、165系と113系により運転を開始した[92]。165系は津田沼電車区に最終増備車44両が新製配置され、基本編成グリーン車付き7両+付属編成3両の10両編成(閑散期は基本編成7両のみ)で運転された[92]

房総地区は季節による乗客数が大きく異なり、特に海水浴シーズンは顕著になることから、夏ダイヤ期間中のみ他区所から車両の借り受けや転属が行われることが多い。本系列でも1970年の7月・8月の間だけ下関運転所からクモハ165-139+モハ164-862+サハ165-11+クハ165-204を転属させ運用に充当した実績がある。

1971年7月1日には房総西線の電化区間が安房鴨川まで延長され、「うち房」も運転本数が下り7本・上り9本(うち2往復は季節列車)となり、従来の館山・千倉発着から一部列車の運転が安房鴨川まで延長された[69]

1972年7月15日のダイヤ改正では房総東線の蘇我 - 安房鴨川間の電化が完成し、同日に房総東線は外房線に、房総西線は内房線に改称された[102]。総武本線は東京 - 錦糸町間の地下線と津田沼までの複々線化が完成した。改正前の5月27日には房総東線大網駅スイッチバックが解消されたほか、7月5日には幕張電車区が開設されており、165系44両も津田沼電車区から幕張電車区に転属している[102]

この改正では183系による特急列車が新設され、内房線特急「さざなみ」、外房線特急「わかしお」の運転が開始された[102]。急行列車は従来の内房線急行「うち房」と外房線急行「そと房」が廃止となり、房総半島一周の循環急行外回り「みさき」(新宿・両国勝浦→館山→両国・新宿)と逆周りの「なぎさ」(新宿・両国→館山→勝浦→両国・新宿)、それぞれ2本ずつ計4本が設定された(両列車とも勝浦 - 館山間は普通列車)[102]

循環急行「みさき」「なぎさ」は内房線・外房線で一周して蘇我に戻った時点で編成が逆向きになるため、午前1周・午後1周で1日に房総半島を2周して元の向きに戻す運用が組まれた。

  • 運用A
    • 【みさき1号】新宿6:50(201M)8:54勝浦(281M)館山10:18(102M)12:42新宿
    • 【みさき3号】新宿12:52(205M)14:56勝浦(285M)館山16:08(106M)18:10両国
  • 運用B
    • 【みさき2号】両国8:04(203M)9:59勝浦(283M)館山11:32(104M)13:34両国
    • 【みさき4号】両国14:04(207M)15:50勝浦(287M)館山17:08(108M)19:29新宿
  • 運用C
    • 【なぎさ1号】新宿7:00(101M)9:18館山(282M)勝浦10:53(202M)12:38両国
    • 【なぎさ3号】両国13:30(105M)15:33館山(286M)勝浦17:00(206M)19:02新宿
  • 運用D
    • 【なぎさ2号】両国8:30(103M)10:33館山(284M)勝浦11:58(204M)13:58新宿
    • 【なぎさ4号】新宿14:13(107M)16:33館山(288M)勝浦18:02(208M)19:53新宿

1974年10月26日改正により、房総地区では北総3線(総武本線・成田線鹿島線)の電化が完成し、ローカル列車のダイヤ改正が実施された[102]。優等列車は翌1975年3月10日に改正が実施され、特急列車は183系の増備で総武・成田・鹿島線特急「しおさい」「あやめ」が新設された[102]。急行列車は総武本線佐倉 - 銚子間に「犬吠」、成田線成田 - 松岸間に「水郷」、鹿島線に「鹿島」が新設された[102]。内房・外房線急行は循環急行「みさき」「なぎさ」が廃止となり、新宿・両国 - 館山間「内房」と新宿・両国 - 安房鴨川間「外房」各3往復に再編された[102]

運用増に対応するため、山陽新幹線博多開業による山陽本線急行の廃止などで捻出された153系36両(サロ165形を含む)が下関運転所と田町電車区から転入し[98]、165系と共通運用された。

1982年11月15日のダイヤ改正で、総武・房総急行は特急格上げにより全廃となった[85]。「内房」は特急「さざなみ」に、「外房」は特急「わかしお」に、「犬吠」は特急「しおさい」に、「鹿島」は特急「あやめ」に、「水郷」は新設の特急「すいごう」に格上げされ、いずれも183系化された[103]

運行末期にはヘッドマークの一部撤去や車両転配の関係でグリーン車を外した普通車のみ6両での運転もあり、一方で早期転入した183系1000番台が急行「鹿島」などに投入された。ダイヤ改正後の幕張電車区所属車は首都圏波動用の12両を残し新潟・新前橋・豊橋などに転出した。

1986年には169系が松本運転所から転入して総数は15両となった。3両編成x5本計15両が配置されていたが、1986年に和式電車「なのはな」へ6両、1990年に「シャトル・マイハマ」へ3両が改造された結果、165・169系3両編成x2本計6両が波動輸送対応で運用された。

1995年10・11月に運用されたホリデー快速「ときわ鎌倉号」では、取手 - 三河島 - 田端操車場(現・田端信号場) - 池袋 - 新宿 - 鎌倉が運転経路とされたため普段湘南色の電車が入線しない常磐線や貨物支線を走行したが、翌1996年3月の運転からは田町電車区の167系アコモデーション改造車が投入され、幕張配置車は同年8月に廃車された。

津田沼電車区新製配置時の編成(1969年)
← 新宿
館山・安房鴨川 →
基本編成   付属編成
クハ
165
サロ
165
モハ
164
クモハ
165
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
+ クハ
165
モハ
164
クモハ
165
幕張電車区最終配置車一覧
 
← 新宿
銚子・安房鴨川 →
系列 クハ モハ クモハ
165系 165-201 164-859 165-136
169系 169-9 168-9 169-5

東海道本線・中京地区[編集]

急行「東海」(1986年)
急行「東海」「ごてんば」併結16両編成(1984年)
急行「比叡」(1983年)
関西本線の165系普通列車(1987年8月)
神領電車区165系の臨時大垣夜行
急行「東海」運行最終日(1996年3月15日)

東海道本線系統での165系の運用は、1963年から1970年に伊東 - 日光間で運転された不定期準急「湘南日光」が最初であるが、1963年10月1日からは東海道・山陽本線準急の153系増結用として165系の運用が開始された[104]宮原電車区の山陽本線準急「鷲羽」用153系10両編成に165系2両を増結した12両編成による広域運用となり、東海道本線では名古屋 - 大阪・神戸間準急「比叡」「伊吹」、沼津 - 名古屋間準急「するが」に使用された[104]

この他には田町区の153系10両編成に組み込まれていたサロ153形・152形置換え用とされたサロ165形が1965年から配置された[注 33]。153系急行のサロの置き換えにより、1等車の冷房化と座席のリクライニング化が図られ、急行「なにわ」から順次サロ165形が組み込まれた[68]

1968年4月27日に御殿場線の電化が完成し、東京 - 御殿場間で急行「ごてんば」の運転が開始された[83]。車両は新前橋電車区の165系3両編成を田町電車区が借り入れ、東京 - 国府津間は153系の急行「東海」または湘南急行「あまぎ」「はつしま」と併結された[105]

編成は「東海」との併結で15両編成、「あまぎ」「はつしま」との併結で13両編成での運転となった。新前橋区の165系は碓氷峠での運用の関係からクモハ165形が下り側となる逆向きであり、運転開始当初は併結列車の153系が冷房改造前で両渡り構造であったためそのまま連結が可能であったが、冷房化改造後は片渡りとなったため「ごてんば」編成を正規の向きに反転させた。「ごてんば」との併結列車のうち、湘南急行は1968年9月30日の愛称統一で「伊豆」に統一されたが、1971年2月1日からは併結列車が「東海」のみとなった。

中京圏では1971年から東海道本線名古屋地区で快速列車の運転が開始されたが、1972年3月のダイヤ改正から153系と混用で大垣電車区の165系8両編成が投入された。間合い運用ならびに神領区と共管で中央西線中津川以南の運用にも投入された。

1973年10月のダイヤ改正で上野 - 東京間の回送線が使用停止[注 34]となったため、「ごてんば」用の165系は田町電車区に正式転属となり、新前橋電車区と大垣電車区からモハ164形500番台組み込みの3両編成が1本ずつ転入した。「ごてんば」のうち1往復は1980年10月1日のダイヤ改正で廃止となっている[72]

1981年10月のダイヤ改正で、急行「ごてんば」は167系4両編成に変更された[72]。東京 - 国府津間では16両編成となり、ホーム有効長の関係で一部の駅では最後部車両のドアカットを実施した。167系にとって唯一の定期運用となった。

東海道本線電車急行は長らく153系が主力であったが、1982年11月15日のダイヤ改正より165系に置き換えられた。松本運転所や神領電車区の165系が大垣電車区に転入し、153系12両編成の「東海」や共通運用の大垣夜行、153系8両編成の急行「比叡」が165系に変更された[85]。中京圏快速は117系の投入により置き換えられた。名古屋 - 大阪間急行「比叡」は1984年2月1日のダイヤ改正で廃止された[87]

東京 - 御殿場線の優等列車は小田急電鉄経由の「あさぎり」が中心となり、急行「ごてんば」は1985年3月のダイヤ改正で廃止された[106]。「東海」「ごてんば」の併結16両編成は消滅し、残存した「東海」単独の12両編成となった[106]。一方、関西本線では同じ1985年3月のダイヤ改正で名古屋 - 亀山間のローカル列車運用に大垣区の165系3両編成が投入された。1986年11月のダイヤ改正で「東海」は12両編成から1両が減車され、11両編成となった[94]

関西本線の165系は1988年3月のダイヤ改正で神領区に運用移管され、中央西線ローカルと共通運用になったが、1990年には関西本線の運用が213系電車に置換えられた。

JR化後の1989年には、東海道本線急行「東海」が大垣電車区から静岡運転所に移管された[106]。11両編成3本がK編成となり、K編成は急行「東海」2往復、大垣夜行、入出所に関連する東京 - 静岡間普通列車1往復で運用された。

1989年にはジョイフルトレイン「ゆうゆう東海」3両編成が静岡運転所に配置された。

1989年末からの多客期に大垣夜行の救済臨の運転が開始され、JR東海神領電車区の165系とJR東日本田町電車区の167系が交互に使用された[107]。神領電車区所属車では、当初は3両編成x2本の6両から後に3両編成x3本からクハ165を1両抜いた8両へ、最繁忙期は8両編成に3両編成を増結した11両編成で運転された。これは田町区の167系と極力編成両数を合わすための意味も含まれた。またJR東日本車は各車または2両に1両の割合でトイレの使用ができるが、神領区の編成では3両編成中1箇所、編成全体でも2 - 3箇所しかトイレが使用できず混雑する傾向があった。また回送運転台付きのモハ164-504が組成されていたT7編成は編成組み換えなどに使い勝手がよいことから、トイレ使用可能なクハ165形を抜き中間に組み込むケースが多く、結果としてトイレ混雑に拍車をかけた。

1990年に静岡運転所K編成は8両+3両の組成に変更され、貫通幌は従来の下り向きクハ165形から上り向き先頭車(クモハ165形またはクハ165形)への装備に変更された。8号車のクハ165形が原型前照灯車に、静岡方MM'ユニットとK2編成東京方のモハ164形を最終増備車の81 - 84に集約された。

1992年3月改正では急行「東海」1 - 3号が8両編成に短縮されたことに伴い、K編成は基本8両編成と付属3両編成に分割された。基本編成はK1 - K4編成の3編成24両、付属編成はK1-1 - K4-1編成の4編成12両となった[108]。付属編成は「東海」4号、大垣夜行、東京発静岡行き普通列車1本のK編成東京寄りに増結されたほか、大垣夜行の間合い運用で大垣 - 米原間の普通列車にも投入された[108]

1996年3月16日のダイヤ改正で急行「東海」は特急に格上げ、大垣夜行は座席指定快速「ムーンライトながら」への格上げにより373系へ置き換えられ、東海道本線165系の定期運用は終了した。「東海」格上げ前の3月1日から15日までの運用では165系の前面にヘッドマークが掲出され、方向幕を「急行」のみの表示に戻したほか、最終日に充当されたK3編成では先頭車のスカートを黒く塗り直し、グリーン車の帯を復活させるなどできる限り国鉄時代の状態に戻して運転された[109]

最終日のK3+K2-1編成は「東海」1号 - 2号 - 3号 - 4号と東京→大垣(375M)で運用され、「東海」4号運用からK2-1編成が増結された。ヘッドマークおよびサボは特製品が取り付けられた。375M運用終了後、K2-1編成のみ大垣→米原で運用された。運用終了後は11両で西浜松へ回送されたが後日一旦静岡運転所へ戻り、廃車準備の後再び西浜松へ回送され解体された。

最終日はK3+K2-1編成のほか、K1編成とK2+K1-1編成も運用された。K1編成は5号車のサロ165-126を予備車のサロ165-108(ユニット窓化車)に差し替え、静岡東京(366M)として運用後、翌朝身延線西富士宮の留置線へ回送された。K2+K1-1編成は大垣夜行の大垣→東京(372M)として運用後、翌朝323Mで静岡到着後に西富士宮の留置線へ回送された。いずれも後日西浜松へ回送され解体されている。

全廃直前にK3-1編成とK4-1編成のクハ165形を組み換えた。このほかK3-1編成・F23編成・予備のサロ165-126も廃車となり、残存したK4-1編成は神領へ転出し、同区の3両編成1本を置換えた。廃車・解体は1996年5月末までに行われ、この時点でモハ165形は形式消滅した。

ゆうゆう東海編成は一般用車両全廃後も引き続き配置されたが、1999年11月11日に運転された急行「静岡葵博号」をもって営業運転を終了となった。同月15日に浜松工場へ回送され廃車となった。

その後「東海」は2007年3月18日に廃止、「ムーンライトながら」も2009年3月14日をもって臨時列車化のうえ車両も田町車両センター(後に大宮総合車両センター)配置の183・189系電車(さらに大宮所属185系電車)に変更となったが、373系は2012年3月の改正まで普通列車として東京まで乗り入れていた。

グリーン車帯復活車サロ165-106は解体を逃れ、車籍を有したまま浜松工場静態保存されていたが、2008年度末に廃車となり、JRグループの165系は全廃となった[110]

「東海」「大垣夜行」編成
← 大垣・静岡
東京 →
1983年3月 - 1986年10月の編成
クハ
165
モハ
164
モハ
165
サロ
165
サロ
165
モハ
164
モハ
165
クハ
165
クハ
165
モハ
164
モハ
165
クハ
165
1986年11月 - 1990年3月の編成
クハ
165
モハ
164
モハ
165
サロ
165
サロ
165
モハ
164
モハ
165
クハ
165
モハ
164
モハ
165
クハ
165
 
静岡運転所165系東海道本線K編成(運用終了直後)
 
← 大垣・静岡
東京 →
 
  K編成(基本編成)   K-1編成(付属編成)  
編成
番号
クハ
165
モハ
164
モハ
165
サロ
165
サロ
165
モハ
164
モハ
165
クハ
165
+ クハ
165
モハ
164
クモハ
165
編成
番号
K1 106 84 21 132 108 831 9 135   134 807 59 K1-1
K2 110 829 7 112 125 82 19 175   126 830 86 K2-1
K3 128 83 20 107 106 836 14 177   124 68 104 K3-1
予備   126   182 863 140 K4-1

身延線[編集]

1972年3月15日のダイヤ改正での山陽新幹線岡山暫定開業により、山陽本線急行の改廃が行われた。その結果捻出された下関運転所の165系を大垣電車区へ転入させ、身延線ではそれまで80系電車で運転されていた急行「富士川」を165系で置換えた。当初は定期4往復・臨時1往復で充当されたが、同年10月から定期5往復となった。

「富士川」では両端クハ、電動車2両の5両編成が組成された。身延線は建築限界の低い狭小トンネルのためモハ164形は低屋根構造の800番台が、本編成ではクハ165形に搭載されるMGの冷房電源容量が4両までしか確保できないことからサハ153形はMG・CP付の200番台が限定とされた。1000分の25勾配が連続する身延線では、165系といえども2M3Tの電動車1ユニット編成では駆動力不足で、乗務員は勾配起動時・通勤時間帯運用の低加速や雨天時の空転に悩まされたという[注 35]

1983年3月までに老朽化のためクハ164形・サハ153形が廃車となりクハ165形に置換え、1985年3月のダイヤ改正で4両に減車された。

1986年11月の国鉄最後のダイヤ改正で、運用が大垣電車区から80系電車以来の静岡運転所に移管された[112]。編成は4両編成7本のF編成で、「富士川」5往復のほか、間合い運用として静岡地区や身延線甲府 - 鰍沢口間での普通列車としても充当された。他に「花の木金号」や静岡発着の身延線直通臨時快速にも充当されている。

「富士川」用F編成は後に7本から5本に減少し、余剰車は神領へ転属または廃車された。予備車はK編成用サロ165形1両と共通予備のモハ165-1+モハ164-801が残ったが、MM'ユニットは1994年12月に間合い運用の縮小見直しにより廃車となった。

1995年10月1日のダイヤ改正では「富士川」が373系による特急「(ワイドビュー)ふじかわ」に格上げされ、165系が置き換えられた[112]。従来の「富士川」用165系F編成は5本中4本が廃車となり、「花の木金号」「ホームライナー」の371系検査入場時代走と朝の菊川 - 興津間普通列車にのみ充当されるようになった。「富士川」営業運行終了直前には国鉄時代のヘッドマークが掲出され、間合い運用時は列車名を隠した状態で運転された。

373系投入前に編成番号をF1 - F5からF11 - F15へ変更され、残存後にF13編成は373系増備車投入に伴いF23編成に再変更された。F編成とK編成で以下の車両交換が行われ、K1編成クハ165-183とF14編成クハ165-135、K2編成モハ165-18+モハ164-81とF11編成モハ165-7+モハ164-829が交換された。

1996年8月1日 - 8月3日には、高校総体の大会中輸送力増強のためF23編成が鰍沢口折り返しの定期列車として使用され、その翌日の8月4日は主に富士折返しの列車に使用、東海道線にも入線している。この時は中間車2両が不調であったためかこの2両を神領区のT9編成のクモハ-モハユニットに置き換えて運用していた[113]

1998年4月4日・5日、身延線全線開通70周年記念として、なつかしの急行「富士川」が静岡 - 甲府間で運転された。静岡運転所の両端クハ4両編成は全廃済みのため、3両編成でクモハ165形を組み込む神領電車区T10編成が投入された。このイベントの一環で115系B4編成が身延色へ復刻されたが、手違いで本来のワインレッドではなく茶色に塗装されたため、ワインレッドへの塗り直し施工中に165系T10編成が代走で運用された。急行「富士川」でも取り付けられた「身延線全通70周年」のヘッドマークを取り付けたまま1998年3月7日 - 11日の729M・624Mにも充当された。

「富士川」登場時編成
← 静岡・甲府
クハ165
or
クハ164
モハ164
800番台
モハ165 サハ153
200番台
クハ165
or
クハ164
静岡運転所165系身延線F編成(最終時)
 
← 静岡・甲府
富士・三島 →
 
  F編成  
編成
番号
クハ
165
モハ
164
モハ
165
クハ
165
 
F23 174 835 13 133  

飯田線豊橋口[編集]

飯田線急行「伊那」(1978年)

飯田線豊橋口への165系の投入は、身延線と同じく1972年3月15日の山陽新幹線岡山開業に伴う捻出車の大垣電車区への転入からであり、80系電車が165系で置き換えられた。165系急行「伊那」は普通車のみの3・4・6・7両編成での4往復運転とされ、飯田線のみならず出入区を兼ねた大垣美濃赤坂(臨時延長では米原)発着[注 36]も設定され、辰野口では上諏訪まで運転される列車も存在した。「伊那」は1983年7月5日に全廃された。

またこれとは別に飯田線では、豊橋口ローカル列車で運用されていた80系電車が老朽化してきたために1982年から置換え用の3両編成が、新前橋電車区や幕張電車区などから豊橋機関区に3両編成単位で転入した。JR移行後の1988年3月改正で車両配置基地集約化により運用は豊橋運輸区から静岡運転所に移管されたが、車両は引き続き豊橋常駐のままで充当された。しかし初期製造車が多く老朽化も著しかったことから徐々に119系電車などに置換えられ、1991年までに神領区へ転出もしくは廃車となった。

1992年末に神領電車区の165系を投入して豊橋(時期により名古屋発着) - 飯田間臨時急行「伊那路」が運転を開始した。運用開始時は主にT1編成が充当されたが、後に原型ライト車を含むT8編成に変更され末期まで限定充当された。1996年には373系電車による定期特急列車となり、特急「(ワイドビュー)伊那路」として運転されている。

中央西線[編集]

1973年3月28日に篠ノ井線が、同年5月27日には中央本線(中央西線区間)の中津川 - 塩尻間がそれぞれ電化され、名古屋 - 長野間の電化が完成した[114]。この電化に伴うダイヤ改正が1973年7月10日に実施され、電車特急「しなの」が381系により運転を開始した[114]。急行列車ではキハ91系・58系で運転されていた名古屋 - 松本・長野間の急行「きそ」2往復(ほか季節夜行1往復)、名古屋 - 南小谷間急行「つがいけ」1往復が165系により電車化された[93]

中央西線急行用の165系は神領電車区に配置され、基本編成8両+付属4両の12両編成が組成された。急行形電車の新製投入が抑制されたため、他区所からの転入車により賄われている[93]。編成には数種類のバリエーションが存在した。

1975年3月10日のダイヤ改正では、山陽新幹線博多開業に伴う山陽本線急行廃止で捻出された165系が中央本線系統に転用された[114]。中央西線では「きそ」「つがいけ」の電車列車が増発されたほか、付属編成が「天竜」と共通運用となった[98]。「きそ」の片道1本は「天竜」用4両編成の送り込みを兼ねた運用で中津川始発、帰区は普通列車での運用となった。「きそ」2往復と「つがいけ」は付属編成を持たない8両編成に編成替えが実施された。

1978年10月2日のダイヤ改正では、165系の急行「きそ」1往復が特急「しなの」に格上げされるが、気動車急行として残っていた「きそ」「ちくま」の各1往復が電車化された[72]。夜行を除く「きそ」「つがいけ」は165系により電車化が完了し、大阪 - 長野間急行「ちくま」には宮原電車区の167系が投入された[72][114]。これにより中央西線の気動車急行は名古屋 - 新潟間の「赤倉」1往復のみとなった[72]

1982年11月15日のダイヤ改正では、急行「つがいけ」が特急「しなの」に格上げとなり、急行「きそ」の昼行列車は名古屋口から撤退した[85][114]。「きそ」は「天竜」と併結を行う中津川→長野の下り列車1本のみが残ったが、運用は「きそ」「天竜」ともに松本運転所に移管され、神領電車区への165系の配置は無くなった[85]。また名古屋 - 新潟間気動車急行「赤倉」が電車化され、新潟運転所所属の165系10両編成により「佐渡」と共通運用となった[85]

1983年7月5日のダイヤ改正により、昼行急行「きそ」は快速へ格下げとなった[114]。「赤倉」も1985年3月のダイヤ改正で名古屋 - 松本間が廃止され、松本 - 新潟間が急行「南越後」となった[87]。中央西線での定期急行は全廃となり、12系客車による夜行「きそ」のみが残存した。

JR化後の1989年には中津川 - 松本間の普通列車運用が115系から165系に変更され、関西本線名古屋 - 亀山間で運用されていた大垣電車区の3両編成15本計45両の神領電車区への移管により同所での配置が復活した[115]。編成番号はT1 - T15となり、モハ164形には回送運転台付き500番台の最後の1両としてモハ164-504も在籍していた[116]

関西本線の165系運用は、1990年に213系5000番台へ置き換えられた。後に運用見直しと老朽化の著しい車両の整理が行われ2本が廃車、1本が急行「東海」付属編成用として静岡に転出し、3両編成x12本計36両となった。

神領区所属車両は汚物処理装置未装備車が多数を占めており、3両編成中全車が汚物処理装置未装備という編成も存在した。このため静岡運転所の編成組換えで余剰となったモハ165形とユニットを組む汚物処理装置付きのモハ164形800番台と当区の処理装置未装備のモハ164形が差し替えられた。この組換えにより全編成で最低1か所クハ165形またはモハ164形のトイレを使用可能とした。同時に汚物処理装置未装備車のトイレ封鎖と洗面所撤去が行われ、撤去跡は化粧板で塞がれた。この組み換え・転属では元豊橋所属のT1編成やAU12S型試作冷房改造車のクモハ165-36・61・クハ165-31なども同区へ転入した。

1992年3月時点ではT編成12本が在籍。中央西線中津川 - 松本間普通列車が主運用で、出入区を兼ねた夜間の松本発名古屋行の普通列車の運用にも充当された[107]。臨時列車では繁忙期の東海道本線で臨時大垣夜行、中央西線・飯田線で春と秋の「さわやかウォーキング」に合わせて運転される臨時快速として最大9両編成で運用された[107]

1995年10月のダイヤ改正では、関西本線でラッシュ時間帯に神領電車区の103系が投入されるとともに、165系の運用も再開された[117]。夜間の中央西線ローカルの松本発名古屋行きは、6両編成で名古屋到着後に3両編成で名古屋発亀山行きの普通列車に充当されていた[117]

1996年3月に静岡運転所の定期運用終了に伴い、同所のK4-1編成がT13編成として神領電車区へ復帰した。代替としてT9編成クモハ165-36(AU12S型試作冷房改造車)+モハ164-839(ユニット組み換え車)とT8編成のクハ165-31が廃車となった。この結果3両編成12本(T1 - T8・T10 - T13)が、従来の運用に加え中央西線名古屋口の「通勤快速」にも投入された。

1998年2月の長野オリンピック開催時には、臨時急行「安曇野」が名古屋 - 松本間で運転された。

1999年7月16日のダイヤ改正で中央西線中津川 - 塩尻間のワンマン運転化に伴い、313系3000番台が投入され全運用が置換えられた。この時点で3両編成7本が順次廃車された。残存した5編成(T1・T6・T8・T10・T13)は波動輸送用で運用されたが、2001年5月の臨時運用を最後に全車廃車された。

その後はT8編成のみ保存目的で美濃太田車両区へ回送・保管された以外は全車解体された。現状は#保存車を参照。

神領電車区中央西線用12両編成(1973年登場時)
 
← 名古屋・松本・長野・南小谷
塩尻 →
  基本編成   付属編成
号車 12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 2 1
通常
編成
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
サロ
165
サハ
165
サハ
165
モハ
164
クモハ
165
+ クハ
165
モハ
164
モハ
165
クハ
165
基本
変則A
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
サロ
165
サハ
165
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
 
基本
変則B
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
サロ
165
サハ
165
モハ
164
モハ
165
クハ
165
 
基本
変則C
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
サロ
165
クハ
165
モハ
164
モハ
165
クハ
165
 
基本
変則D
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
サロ
165
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
クハ
165
 
付属
変則A
  クハ
165
クハ
165
モハ
164
クモハ
165
付属
変則B
  クハ
165
サハ
165
モハ
164
クモハ
165
付属
変則C
  クハ
165
モハ
164
クモハ
165
クハ
165
備考
  • 基本・付属編成ともに通常と変則A・B・C・Dがランダムに組み合わされる。
  • クハ165形はクハ164形、サハ165形はサハ153形の場合がある。
「きそ」「つがいけ」編成(1978年10月改正)
 
← 名古屋・松本・長野・南小谷
塩尻 →
号車 8 7 6 5 4 3 2 1
  クハ
165
モハ
164
クモハ165
or
モハ165
クハ
165
サハ165
or
サハ153
サロ
165
モハ
164
クモハ
165
神領電車区最終配置車一覧
 
← 大垣・名古屋
塩尻・東京 →
編成番号 クハ165 モハ164 クモハ165
T1 122 843 113
T6 172 845 115
T8 120 72 108
T11 87 832 46
T13 182 863 140

山陽本線・京阪神地区[編集]

山陽本線では宮原電車区の準急「鷲羽」などに153系10両編成が運用されていたが、この増結用としてクモハ165形+モハ164形500番台ユニットのうち11組22両を配置し、1963年10月1日から運用を開始した。153系の製造は終了しており予備車もないため、165系のクモハ・モハユニットを153系10両編成の下り岡山方に増結する方法が取られた[104]。、岡山でMcM'ユニットを増解結することになったが、運用上の都合から偶数(東海道本線基準の下り)向きとした[注 37]

宮原電車区165系増結ユニット込み153系準急編成
← 三原・宇野・大阪
名古屋・沼津 →
クモハ
165
モハ
164
-500
+ クハ
153
モハ
152
モハ
153
サロ
153
サハ
153
サハ
153
サハ
153
モハ
152
モハ
153
クハ
153

山陽本線系統では宇野 - 大阪・新大阪京都間「鷲羽」、三原 - 大阪間「びんご」に使用された。車両運用効率の面から1961年3月1日のダイヤ改正以降東海道本線系統との共通運用も組まれており、神戸大阪 - 名古屋間「比叡」「伊吹」、名古屋 - 沼津間「するが」でも「鷲羽」編成が運用された[104]

増結ユニットの車号は当初「増1・増2」とし153系編成から1号車とされたが、1964年10月1日のダイヤ改正からは、増結ユニットから1号車とする変更を実施し、開放は岡山駅での「鷲羽」(宇野線内の変電所容量の関係)と「びんご」のみとされた。「鷲羽」運用では当時の宇野線変電所容量の関係から電動車は4両までの制約があった。

1964年10月1日のダイヤ改正で、神戸・大阪 - 名古屋間準急「伊吹」は廃止された。東海道新幹線への乗客転移で153系の運用に余裕ができたため、1965年10月1日のダイヤ改正では宮原区の準急編成は原則153系のみ(一部クハ165形・サロ165形を混用)での組成に変更され、同区のクモハ165形+モハ164形500番台ユニットは全車下関運転所に転出した。

なお宮原区には1964年以降何度か新製配置された。宮原区の特徴として、165系単独・主体の編成での定期列車に充当ではなく、153系の置換えもしくは補完的な意味合いで運用されるケースが多かった。

1965年にはクハ165形が153系編成の先頭車補完用として、サロ165形が「なにわ」「いこま」等の153系急行編成の1等車冷房化用として配置され、捻出されたサロ152形は大垣区に転出し準急「東海」用サロ153形置換えに転用された。このほか波動用4両編成8本の計32両も配置された[注 11]。1967年から1968年にかけてはサロ165形も配置され、サロ152形がサロ112形改造種車の捻出に充てられた。

1965年10月に、下関運転所に165系の新製車6両、宮原電車区から転入の36両、計42両が配置された[68]。内訳はクモハ165形+モハ164形ユニット1組2両とクハ165形4両が新製車、クモハ165形+モハ164形500番台ユニット11組22両が宮原区からの転入車であり、153系のサロ153形6両・クハ153形8両も宮原区から転入している。山陽本線の80系電車と準急用気動車が置き換えられ、岡山 - 下関間急行「みずしま」1往復、岡山 - 広島間準急「とも」3往復、広島 - 下関間準急「やしろ」2往復、広島 - 小郡(現・新山口)間準急「周防」1往復に運用された[68]

1965年には岡山電車区に波動用4両編成4本の16両が配置された[68]。1964年に宮原電車区に配置された165系波動用編成により大阪 - 富士宮身延線)間で運転されていた創価学会団体臨時列車(創臨)は、1966年3月25日のダイヤ改正より宇野まで延長された[68]。これらとは別に、クモハ165-68+モハ164-815のユニットのみが、1965年1月から5月にかけて広島運転所に所属していた。

下関運転所のサロ153形は1966年以降サロ152・165形のリクライニングシート装備車に置換えられたが、山陽本線瀬野 - 八本松間(通称:瀬野八)に介在する連続急勾配区間への対応のため、電動車は165系で統一された。クハ153形も編成に含まれていたが、抑速ブレーキを使用できないため宮原区から転入のクハ153形8両は1966年にクハ164形へ幡生工場で改造された。

1968年10月1日の「ヨンサントオ」ダイヤ改正では、新大阪・大阪 - 三原間の「びんご」が「とも」となり、従来の「みずしま」「とも」は岡山 - 広島・下関間急行「山陽」に改称された[91]。広島 - 小郡間急行「周防」はこの改正で廃止となっている[118]。一部の編成を向日町運転所(現:吹田総合車両所京都支所)に転出させ、宮原電車区と急行運用を分担していた。

1969年にはモハ165+164ユニット5組10両・サハ165形10両の18両が宮原電車区に新製配置され、赤穂線が全線電化された同年10月1日のダイヤ改正より「とも」「鷲羽」増発用に153系との混結で投入された[92]。この改正で「とも」2・4号と「鷲羽」9・2号が赤穂線経由での運転に変更されている[92]

1970年10月1日の呉線電化に伴うダイヤ改正で急行「吉備」が165系化され、岡山 - 広島間を呉線経由で運転された[92]。新大阪・大阪 - 三原間急行「とも」1往復はまで延長され、「安芸」に改称された[69]。この改正で最終増備車のクモハ165+モハ164+サハ165+クハ165新製車が下関運転所に配置されている。

1972年3月15日の山陽新幹線岡山開業によるダイヤ改正で、岡山以東の急行は原則全廃となった。山陽急行は岡山以西での運転となり、山陽本線経由が「山陽」、呉線経由が「安芸」に統合され、「とも」「やしろ」等の愛称は消滅した。運用は宮原電車区と向日町運転所からの153系120両に移管され、下関運転所に転属して使用された[69]。下関運転所の165系はサロ165形8両を除いて大多数が大垣電車区へ転属し、飯田線急行「伊那」や身延線急行「富士川」、名古屋地区の快速列車などに転用された[69]

岡山電車区の波動用編成は、クハ165形4両を除き大垣電車区へ転出した。上述車とは入換の形で下関運転所からMcM'ユニット4組8両とサロ165形2両、宮原電車区からサハ153形4両が転入、残存したクハ165形4両で引続き波動運用対応用とされたが、翌年までサロ165形は網干電車区(現・網干総合車両所)に、残りの車両は神領電車区に転出した。

同じ1972年3月15日のダイヤ改正では、京阪神の新快速に153系が投入されたが、一部に165系のクハ165形も使用された[119]。クハ153形の不足を補完する形でクハ165形の10両が充当され、塗装も灰色9号に青22号の帯を巻いた「ブルーライナー」色となった[119]

1975年3月10日の山陽新幹線博多開業に伴うダイヤ改正により、山陽本線の特急・急行列車は全廃となった。167系が本来の修学旅行用から波動用に転用され、下関運転所から宮原電車区に転入している。宮原区では不足するクハ167形補完と新快速用のクハ165形、153系編成に組み込むサロ165形が残った程度で、多くの車両は関東・中部へ転出した。

1980年には京阪神の新快速に117系の投入が開始され、153系・165系は新快速から撤退した。ブルーライナー色のクハ165形は順次元の湘南色に戻された上、クハ164形非冷房車の置換えに転用された。過渡期には湘南色のクハ165形が新快速の先頭に立つ姿も確認された。急行「比叡」は1982年11月のダイヤ改正より宮原電車区の153系から大垣電車区の165系に変更されたが、1984年2月のダイヤ改正で廃止となった。

紀勢本線[編集]

天王寺発新宮行き夜行列車
天王寺発新宮行き夜行列車
「リバイバル鷲羽」 日根野所属車最終運用
「リバイバル鷲羽」
日根野所属車最終運用

1986年11月に実施された国鉄最後のダイヤ改正では、紀勢本線に残る客車列車の置換え用として、松本運転所から165系の3両編成11本、計33両が日根野電車区に転入した[100][注 38]。165系投入により113系24両が捻出され、福知山線宝塚 - 福知山間電化用などに転用された[120]。165系の編成番号はF300番台となり、電動車ユニットの番号が若い順にF301 - F311まで付番された[100]

モハ164形は全車とも低屋根の800番台である[100]。先頭車の前照灯はクハ165-45が唯一の原型白熱灯で、それ以外の先頭車は松本運転所時代にシールドビームへ改造済みである[100]。紀勢本線はカーブでホームの見通しの悪い駅が多いため、同線用の113系と同じく「紀勢スイッチ」と呼ばれるドアクローズ確認スイッチを設置した[121]

定期運用は、紀勢本線和歌山 - 新宮間を中心に紀伊田辺以南ほぼすべての普通列車で使用されるほか、阪和線経由の天王寺発新宮行き夜行列車に充当された[100]。編成は3両編成が基本で、新宮行き夜行列車では途中の紀伊田辺まで2編成併結の6両編成で運転された。一方で優等列車への充当は1995年夏期まで多客期臨時急行列車のみとされた。

新宮行き夜行列車は、客車列車時代の寝台車付き普通列車「はやたま」からの流れを汲むもので、釣り客に多く利用された[75]ことから「太公望列車」と通称された。客車時代末期は寝台車の連結や列車愛称が無くなり、天王寺 - 新宮間1往復で運転されていたが、天王寺行きは利用客が少ないため、165系化を機に天王寺発新宮行きの片道1本のみとなった[75]

1987年6月21日父の日にちなんで阪和線で運転された臨時列車「お父さん感謝大漁号」は、日根野電車区の165系3両編成を同区所属の103系3両編成の中間に挟んだ6両編成により天王寺 - 和歌山 - 和歌山市間で運転された[122][86]。編成はクモハ103-モハ102+クモハ165-モハ164-クハ165+クハ103の6両編成であった[123]

1990年3月10日のダイヤ改正で、新宮行き夜行列車の始発駅が天王寺から新大阪に変更された。経由線区の大阪環状線ATS-Pが整備されたため、F306 - F311編成の3両編成6本にATS-P設置改造が行われ、新大阪発の夜行列車ほか大阪環状線へ乗り入れる列車はATS-P搭載車の限定運用となっている[100]

1997年のゴールデンウィークには、宮原運転所の165系・167系に代わって日根野電車区の165系が臨時急行「ちくま(81・82号)」「くろよん」に使用されており、かつて運用されていた長野方面への久々の入線となった[100]

1999年10月2日ダイヤ改正では165系の運用が縮小し、紀伊田辺以南の運用が105系に置き換えられた[109]。新宮行き夜行列車の定期運転区間も紀伊田辺までに短縮され、前日のみ臨時列車扱いで新宮まで延長運転されたが、この延長運転は2000年10月1日改正で終了した[75]。末期は3両編成4本の計12両が残っていたが、117系等の投入により2002年3月22日で定期運用を終了した[124][109]。新大阪発紀伊田辺行きの列車は165系の定期運用終了に伴って221系に置き換えられた[75]

定期運用終了後の2002年3月24日、白浜→天王寺・和歌山 - 新宮で快速「ありがとう165系号」[124]が運転された。さらに同月30日には山陽新幹線新大阪 - 岡山間開業30周年記念として新大阪 - 宇野間「鷲羽」のリバイバル運転が実施され、すべての運用が終了した[109]

日根野電車区F編成一覧(1997年4月1日現在[100]
 
← 新大阪・和歌山
紀伊田辺・新宮 →
 
編成番号 クモハ165 モハ164 クハ165 備考
F301 67 814 88
F302 68 815 68
F303 71 818 74
F304 75 822 73
F305 83 824 45
F306 110 840 78 ATS-P設置車
F307 112 842 79 ATS-P設置車
F308 114 844 30 ATS-P設置車
F309 124 847 71 ATS-P設置車
F310 125 848 111 ATS-P設置車
F311 141 864 18 ATS-P設置車
日根野電車区F編成一覧(最終期)
 
← 新大阪・和歌山
紀伊田辺・新宮 →
編成番号 クモハ165 モハ164 クハ165
F301 110 840 78
F302 112 842 30
F303 124 847 71
F304 125 848 111

修学旅行列車[編集]

167系電車による修学旅行列車運用は、1965年7月に4両編成4本計16両を田町電車区に配置し同年10月より品川 - 京都間「わかくさ」で、1966年1月から2月に4両編成3本・6両編成4本計36両を下関運転所(現・下関総合車両所)に配置し、同年4月より下関 - 広島間「なかよし」(小学生向け)・下関 - 京都間「友情」(中学生向け)・下関 - 東京間「わこうど」(高校生向け)で運転を開始した。

オフシーズンには「わこうど」と同時刻で運転された臨時急行「長州」のほか、各地の臨時列車運用にも投入された。

修学旅行列車の新幹線移行に伴い波動輸送用に転用。下関所属車は1974年から1975年にかけて田町区に4両編成5本20両、宮原電車区にクハ167形4両とモハ167・166形ユニット6組12両の計16両が転出。主に山陽・信州・上越方面への臨時列車のほか、神奈川県内から日光への小学校向け団体列車運用にも充当された。

波動用[編集]

三鷹電車区[編集]

169系三鷹色

1986年に波動運用対応の165系が配置されてから何度か廃車・他区所からの転入で車両の置換えがあったものの、1999年以降は三鷹色に塗装された169系のM1 - M5編成・165系のM6編成の3両編成x6本計18両の布陣となった。

東京近郊で運行されていた「こまちリレー号」(→「新幹線リレー号」→快速「むさしの号」)・各種「ホリデー快速」・東京 - 大垣間増発夜行列車の最混雑時増結車などのほか、毎年8月15日に行われる諏訪湖花火大会で松本地区の115系や123系の代走として辰野支線(岡谷 - 辰野 - 塩尻)や大糸線の定期列車のみならず臨時列車にも投入された[要検証]。しかし「むさしの」は2002年12月に豊田電車区(現・豊田車両センター)の115系に、「ホリデー快速」も183・189系に置換えられた。その後は徐々に廃車され、2003年1月2日の臨時列車(169系6両編成)を最後に運用終了となった[注 39]

三鷹電車区M編成一覧
 
← 新宿
松本 →
備考
号車番号 1 2 3 全編成ATS-P装備
PS35D形パンタグラフ搭載
編成番号 クモハ
169
モハ
168
クハ
169
M1 19 1 1998年に長野総合車両所から転入
R51系簡易リクライニングシート装着
M2 21 14
M3 26 24
M4 15 23 1998年に松本電車区から転入
M5 27 18
M6 5-103 4-67 5-98 上沼垂運転区からの転入車

田町電車区[編集]

H16編成 アコモ改善車
H16編成 アコモ改善車
アコモ改善車車内
アコモ改善車車内
メルヘン車
メルヘン車
メルヘン車車内
メルヘン車車内
「パノラマエクスプレス」色
「パノラマエクスプレス」色
H19編成 湘南色
H19編成 湘南色

国鉄時代から波動用として167系4両編成9本が配置されていた。クハ167-2は事故のため1984年に廃車となり、代車として神領電車区から転入したクハ165-3が組み込まれている[125]。後に全先頭車の前面強化とシールドビーム化・ATS-P取付・モハ166形のパンタグラフのPS21形への交換などを行った。

その後は編成によって特化した改造を行っている。

H11編成
湘南色で先頭車の前面改造以外は原型を留めた編成。使用状況は後述のH19編成と同様で両編成と8両で運用されるケースも多かった。
H12 - 16編成 アコモデーション改善車
座席をR51形簡易リクライニングシートに換装。塗装もアイボリーをベースに窓下をオレンジと赤、裾部を黄緑の帯という通称「田町色」変更された。
改造当初は「JR東日本ジョイフルトレイン」と表記したヘッドマークを先頭車の前面に掲出し、臨時快速「葉ッピーきよさと」などに投入された。
H17・18編成 通称「メルヘン車」
1988年に東京ディズニーランドへの行楽客輸送を目的とした快速「メルヘン」に投入するため廃車発生品のグリーン車用R24系リクライニングシートに交換した編成。後に田町色へ変更されたが、1993年に臨時急行「しんせん・やまなし」運用で「パノラマエクスプレスアルプス」と併結で投入されることから準じた塗装となった。
  • 同列車ではパノラマエクスプレスアルプスがグリーン車。本系列が普通車として充当された。
H19編成
湘南色。角形ヘッドライトとバケットタイプのボックスシートに改造。
他編成のモハ167形と偶数向クハ167形ではトイレ・洗面所は撤去されたが本編成は残存。
ボックスシート装備のためH11編成と共に主に神奈川県内 - 日光方面の修学旅行列車や臨時大垣夜行[注 40]9375M・9372M)運用に投入された。

上述の臨時列車や波動輸送のほかに「ホリデー快速むさしの」「ホリデー快速ピクニック」「ホリデー快速河口湖」などの準定期とも呼べる運用も存在した。

  • これらの運用にはアコモ改造車・メルヘン車が主に投入される一方で、座席定員が少ないため臨時大垣夜行には例外的に数回のみ使用された。逆にH11・H19編成は臨時大垣夜行と神奈川県から日光への修学旅行運用が中心で、オフシーズンは田町区で留置されることが多かった。
  • 首都圏中心の運用であったが、北長野運転所(→長野総合車両所→現・長野総合車両センター)所属165・169系4両編成の臨時列車運用で、新宿から小海線直通の「葉ッピーきよさと」と小諸・松本地区から能生への海水浴臨時列車「かもめビーチ」が同時運転となり、定期運用充当編成が不足したため1編成が貸し出され快速「みすず」で飯田線への入線実績もある。

2003年春期臨時大垣夜行での運用を最後に、同年5月から9月にかけて老朽化のため同年内に全車廃車となった。

田町運転区H11 - H19編成一覧
 
← 大垣
東京 →
編成別形態
編成
番号
クハ
167
モハ
166
モハ
167
クハ
167
タイプ 塗装 座席 前照灯
H11 5-3 1 一般 湘南 BOX
H12 4 2 3 アコモ
改善
田町 R51
簡リク
H13 5 3 6
H14 7 4 8
H15 15 5 16
H16 11 6 12
H17 9 7 10 メルヘン パノラマ
EXP
R24
リク
H18 13 8 14
H19 17 9 18 一般 湘南 BOX

宮原運転所[編集]

国鉄時代から宮原電車区に配置されていた167系はMM'ユニット6組12両・クハ167形4両であったため、JR西日本へ継承された時点では以下の編成が組成されていた。

  • クハ167形は全車奇数(東海道本線基準で東京方)向へ方向転換のうえで偶数(同神戸方)向にクハ165形連結の4両編成4本。
  • 両端先頭車がクハ165形の4両編成2本。

宮原所属でありながら、通常は京都総合運転所野洲派出所(現・網干総合車両所宮原支所野洲派出所)と吹田工場高槻派出所(現・網干総合車両所高槻派出所)に留置され、主に夜行急行「ちくま」「くろよん」のほか各種臨時・団体列車などの波動運用へ投入された。

1988年9月から年末までは瀬戸大橋線岡山 - 高松間の臨時快速運用で本系列初の四国乗入れが実施された。なお瀬戸大橋線通過のため、充当車両の下段窓は固定化された。

1997年にクハ167形全車とMM'ユニットの12・13を除いて廃車となり、両先頭車がクハ165形のK1編成(6両)に組み替えられるも2001年に廃車となった。

宮原総合運転所K1編成
← 下関・大阪
長野・東京 →
クハ165
-168
モハ166
-13
モハ167
-13
モハ166
-12
モハ167
-12
クハ165
-187

他社譲渡車[編集]

JRでの運用終了後に一部車両が他社に譲渡されたが、いずれも運用を終了している。

富士急行[編集]

クロ2002 クモロ2002 2001号編成 ラストランイベント
クロ2002
クモロ2002
2001号編成
ラストランイベント

富士急行には「パノラマエクスプレスアルプス」改造車が2000形として譲渡され、6両を2本に分割のうえ「フジサン特急」での運用に投入された。編成方向の統一を実施しなかったため2001号編成と2002号編成では展望席の方向はそれぞれ逆向きとなる。また廃車となった三鷹電車区M5編成3両が部品取り名義で同時に譲渡された。

2013年10月に老朽化のため後継車両として小田急20000形RSE車の譲渡・導入を発表[126]。これに伴い2002号編成の車体色を「パノラマエクスプレスアルプス」色へ復元し、同年11月30日の富士急電車まつりからさよなら運転を開始した。同編成は2014年2月9日のイベントで運用終了の予定であったが、記録的な大雪により中止となったまま営業運転を終了した。

一方の2001号編成も2015年度中にJR東海371系電車の譲渡・置換えが発表され[127]、2016年2月7日に運用を終了した[128][129]。これにより国鉄急行形直流電車は全廃となった。

譲渡車両一覧
 
号車 1 2 3
2001号編成
(2016年廃車)
クロ2001
(クロ165-3)
モロ2101
(モロ164-803)
クモロ2201
(クモロ165-3)
2002号編成
(2014年廃車)
クモロ2202
(クモロ165-4)
モロ2102
(モロ164-804)
クロ2002
(クロ165-4)
部品取り クハ169-18 モハ168-27 クモハ169-27

秩父鉄道[編集]

秩父鉄道3000形

秩父鉄道には3000系として3両編成3本(9両)が譲渡され、急行「秩父路」で使用されていたが、2006年11月25日限りで営業運転を終了し6000系(元西武鉄道新101系)へ置換えられた[注 41]

譲渡車両一覧
 
羽生
第1編成 デハ3001
(クモハ165-91)
デハ3101
(モハ164-55)
クハ3201
(クハ165-93)
第2編成 デハ3002
(クモハ165-82)
デハ3102
(モハ164-50)
クハ3202
(クハ165-86)
第3編成 デハ3003
(クモハ165-93)
デハ3103
(モハ164-57)
クハ3203
(クハ165-95)

しなの鉄道[編集]

しなの鉄道色のS53編成

1997年の北陸新幹線長野開業に伴って信越本線は横川 - 軽井沢間が廃止となり、軽井沢 - 篠ノ井間は第三セクターのしなの鉄道に転換された[130]。この転換に合わせてJR東日本から115系169系がしなの鉄道に譲渡され、1998年にも追加で譲渡された[131]

169系は全編成ともJR時代には快速「みすず」に充当されたアコモ改良工事施工車からサハ165形を外したものであり、移籍に伴う車両番号変更は実施されていない。

譲渡に伴う変化[編集]

しなの鉄道の開業時には、JR東日本の長野総合車両所所属車でATS-Pを装備しないN31・N32・N35編成が付随車を外した3両編成で譲渡され、編成番号はS51・S52・S53がそれぞれ付番された[130]。保安装置はATS-SNである。車体色は当初長野色のまま譲渡されたが、まもなく赤とガンメタリックを基調とするしなの鉄道塗装(通称:しなてつカラー)への塗替が実施された。客室内のリクライニングシートはそのままとされたが、トイレは使用停止となった[132]

1998年には輸送力増強のため169系の1編成3両が追加で譲渡され、編成番号はS54が付番された[130]。この編成はJR東日本でE127系100番台の投入により余剰となったN33編成から付随車を外した3両編成で、小海線の「葉ッピーきよさと」や京葉線の「ファンタジー舞浜」などで運用するためATS-Pを搭載していたが、しなの鉄道譲渡の際にATS-Pは撤去された[130]。塗装はガンメタリックの部分が通常の灰色に変更され[130]、既存編成も灰色に変更された。

115系と169系の共通事項として、小諸駅では2番線・3番線ホームに長野方面・軽井沢方面の列車が並ぶため、階段付近となる長野方先頭車の運転台窓助士席側に案内用の行先表示札が掛けられている[133]。また115系を主体にワンマン運転を行う関係から、ホーム上のミラーでの後方確認時に視界を遮らないよう運転室の列車番号表示器が撤去されている[133]

種別幕の「普通」表示は原則白字に黒文字で表記されるが、S53編成のクハ169-20とS54編成のクモハ169-13は青地に白文字で表記される。

冬季には169系のパンタグラフの集電舟がを取り除くカッターの付いた「カッターパン」に取り替えられ、架線の霜を切りながら走行した[134]。カッターパンの装備は169系のみで115系にはない[134]。霜対策は特に小諸以東で必要とされており、冬季は169系による霜切り列車が早朝始発前の小諸 - 軽井沢間1往復で運転された[134]

これらとは別に、車籍のない状態で部品取りとしてクモハ169・モハ168-17・クハ169-7の3両も譲渡された。この3両は松本運転所A6編成で2代目長野色・特別保全工事施工・全席クロスシートと他の譲渡車との差異がある。この部品取り車は2001年夏に西上田で解体された。

譲渡後の変化[編集]

2004年から2005年にかけて、S52編成を除く3編成で110 kVAの冷房用電源MGがSIVに換装された[130]。SIVは4台を確保して1台を予備品とし、換装されたMGもS52編成の予備品として確保された[134]

2005年のJR福知山線脱線事故を受けて運転状況記録装置などの設置を行う省令が施行され、しなの鉄道では115系に順次設置工事が行われたが、169系では老朽化を考慮して設置が見送られた[130]

しなの鉄道譲渡後の運用[編集]

2008年の湘南色復元車S52編成
2010年の湘南色復元車S52編成

1997年のしなの鉄道線開業時には3両編成3本の9両が譲渡され、S51・S52・S53編成となった。運用は戸倉 - 軽井沢間のローカル列車が主体で、朝は「しなのサンライナー」として6両編成で運転された[130]

1998年12月のダイヤ改正では平日の「しなのサンライナー」の9両編成化による輸送力増強を行うことになり、169系3両編成1本がJR東日本より譲受されS54編成となった[130]。2002年12月のダイヤ改正で朝の「しなのサンライナー」は「しなのサンライズ」に改称され、夕方の時間帯に「しなのサンセット」が設定された[130]

2008年9月の信越本線軽井沢 - 関山間開業120周年記念イベントの一環として、S52編成が湘南色に塗装変更され、同年10月 - 2009年3月に快速「リバイバル信州」などに投入された。S52編成は2009年3月末にしなの鉄道色へ復元されたが、2010年9月に再び湘南色に変更された[130]

省令改正により、運転状況記録装置などを搭載しない169系はJR東日本管内での営業運転を終了した。169系の運用範囲は戸倉 - 軽井沢間のみとなり、「しなのサンライズ」「しなのサンセット」の運用は2011年7月1日よりJR東日本長野総合車両センター189系に置き換えられた[130]

2011年7月31日には快速「169系初の12両編成号」が軽井沢 - 屋代間で運転され、しなの鉄道移籍後としては初の12両編成で本線を走行した[135]。12両での運転は戸倉までとされ、戸倉 - 屋代間は6両を切り離した6両編成で運転された[135]。始発の軽井沢までの送り込みもそれぞれ6両編成の快速列車として戸倉 - 軽井沢間、屋代 - 軽井沢間で運転され、軽井沢駅では「169系共演イベント」として湘南色としなの鉄道色の169系が並べて展示された[135]

2012年にはS54編成が廃車となり、以後はS51・S52・S53編成の3編成のみでの運用となった[130]。S54編成は2012年1月21日に営業運転終了イベントを屋代駅で開催し[136]、同年2月2日にJR東日本長野総合車両センターへ廃車回送された[137]

運用終了と保存[編集]

「しなの鉄道169系ファイナルイベント」最終日 2013年4月29日 (左)急行「信州」S52+S51編成 (右)急行「さよなら・ありがとう169系」S53+S52+S51編成 「しなの鉄道169系ファイナルイベント」最終日 2013年4月29日 (左)急行「信州」S52+S51編成 (右)急行「さよなら・ありがとう169系」S53+S52+S51編成
「しなの鉄道169系ファイナルイベント」最終日
2013年4月29日
(左)急行「信州」S52+S51編成
(右)急行「さよなら・ありがとう169系」S53+S52+S51編成

115系2両編成の譲受に伴って、169系は2013年3月15日に定期列車での運用を終了した[130]。以後の営業運転は臨時列車のみとなり、S51編成は湘南色に復元され、運用終了までS52編成とともに運行された[138]。同年4月27 - 29日の「ファイナルイベント」で運転された臨時列車を最後にすべての運用を終了した[139]

4月27 - 29日の「ファイナルイベント」で運転された臨時列車は、午前中は屋代→軽井沢間が急行「志賀」として、折返しの軽井沢→篠ノ井間が急行「信州」として湘南色のS51+S52編成を併結した6両編成で運転された[139]。午後は当日受付団体列車として急行「さよなら・ありがとう169系」が篠ノ井→軽井沢間と折返しの軽井沢→屋代間で運転され、戸倉→軽井沢間と折返しの軽井沢→屋代間はしなの鉄道色のS53編成を増結した9両編成となった[139]

クモハ169-6を含むS52編成は、2013年7月22日に留置されていた屋代駅構内から軽井沢駅へ自力回送[140]され、クモハ169-6は同駅で切り離された[141]。編成を解かれたモハ168-6・クハ169-19は115系S5編成に牽引され屋代駅に回送後、同月31日に115系S5編成とともに長野総合車両センターに廃車回送された[142]

S51編成[143]の3両が坂城駅で、S52編成に組成されていたクモハ169-6が軽井沢駅で静態保存された。クモハ169-6は当初は湘南色で保存されたが、後に黄色の単色に塗装変更されている[144]

しなの鉄道譲渡車両一覧[編集]

しなの鉄道譲渡車両一覧
編成番号 クモハ169 モハ168 クハ169 最終塗装 座席 冷房電源 静態保存・廃車
S51 1 27 湘南 D21 SIV 編成保存[138]
S52 6 19 D23 MG Mcのみ保存[145]
S53 23 20 しなの鉄道 D21 SIV 2013年廃車
S54 13 D23 2012年2月廃車

事故廃車[編集]

本系列は、余剰・老朽化以外で事故廃車になった車両が8両存在する。

サロ165-24
1968年11月23日に籠原電車区(現・高崎車両センター籠原派出)で脱線事故を起こし1969年5月8日付で廃車。なおサロ165形で非冷房のまま廃車になったのは当車のみである。詳細は日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#籠原電車区構内脱線事故を参照のこと。
クハ165-202
1970年7月1日に房総西線保田 - 浜金谷間で発生した脱線転覆事故の被災車。詳細は日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#房総西線保田 - 浜金谷間急行「うち房」脱線転覆事故を参照のこと。
クモハ165-3+モハ164-3+クハ165-58
1977年3月8日に上越線津久田 - 岩本間で発生した脱線事故の被災車。詳細は日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#上越線急行「佐渡」脱線事故を参照のこと。
モハ168-5
1977年7月25日に信越本線(現・しなの鉄道線上田 - 西上田間で異常高温のためレールが歪む障害により発生した脱線事故の被災車。1978年3月10日付で廃車。詳細は日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#信越本線急行「信州」脱線事故を参照のこと。
ユニット相手方であったクモハ169-5は復旧後は休車となったが、1982年にクモハ169-9の故障廃車で余剰となったモハ168-9とユニットを組み直し運用に復帰した[注 42]
クハ165-190
1979年6月2日に発生した篠ノ井駅列車衝突事故の被災車。詳細は日本の鉄道事故 (1950年から1999年)#信越本線篠ノ井駅列車衝突脱線事故を参照のこと。
クハ167-2
1982年9月14日に伊豆急行伊豆急行線川奈駅構内で、回送列車で運用中の167系8両編成がポイント故障により脱線。先頭車両だった当車両は台枠を大きく歪ませたことや床下機器を損傷させたことで使用不能となり、長期間伊豆高原車両基地で留置されたが、1984年3月19日付で廃車となった。本件は日本の修学旅行用車両としては唯一の事故廃車例である。

保存車[編集]

クモハ165-108、サロ165-106[注 43]
リニア・鉄道館で保存。クモハ165-108は2001年の神領車両区廃車後は美濃太田車両区で、サロ165-106は浜松工場で保管されていたが、2011年3月の開館時より移設展示。
クモハ169-1+モハ168-1+クハ169-27
坂城駅脇の旧横取線跡にて、2013年5月から静態保存[143]
クモハ169-27
下吉田駅にて保存。富士急行2000形の部品取り用として同社に譲渡後、富士山駅に留置。2000形廃車と同時に正面部のみカットボディとされ保存。
クロ165-3(→クロ2001)
下吉田駅にて保存。富士急行2000形第1編成として同社に譲渡された車両で、引退後に1両が「フジサン特急」塗装で展示されている。

保存・民間再利用後解体[編集]

クヤ165-1
1987年2月3日の廃車後は大垣電車区で保管。その後は1991年にオープンした佐久間レールパークで静態保存されたが、2009年11月の閉園により2010年7月に解体。
クロ165-1
千葉県内で保存後に解体。解体時期は不明。
クハ165-3・5・8・119
三重県桑名市レストランとして使用されたが、既に解体済。
クハ165-16
飯田線平岡駅前で軽食喫茶店として使用されたが、駅周辺の再開発のため1998年10月に解体。
クハ165-80
長野県上高井郡小布施町でレストランとして使用されたが、2006年10月に解体。
クハ165-120 モハ164-72
浜松運輸区で保存。上述したクモハ165-108のリニア・鉄道館移設後も引き続き美濃太田車輌区で保管されていたが、クハ165-120が2013年2月に[146]、モハ164-72が同年3月に[147]浜松運輸区へ陸送。後に解体。
サロ165-33
長野県北安曇郡白馬村のペンション[148]にて施設の一部として使用されていたが、2015年7月に解体。側窓のユニット窓化改造施工車であった。
クモハ169-6
しなの鉄道での運行終了後、2013年7月から「旧軽井沢駅舎記念館」の展示品として静態保存されていた。その後同駅のリニューアルに伴って「森の小リスキッズステーション」に移設、幼児用遊具に改造のうえ塗装が変更されている。2021年に撤去された。

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 1時間定格回転数を比較すると全界磁ではMT46形が1,655 rpm、MT54形が1,630 rpm、弱め界磁ではMT46形は35 %、MT54形は40 %で2,620 rpmとされる。
  2. ^ 運転曲線がノコギリ状になることから、これを「ノコギリ運転」と呼び運転士にとっては取り扱いが煩雑で上り勾配でのスムーズな運転の妨げにもなっていた。
  3. ^ 房総地区での閑散期となる冬期に臨時列車への充当で狭小トンネル区間への入線が考慮されたため。
  4. ^ a b 1970年に製造された時点で定期運用充当区間に狭小トンネルは存在しないが、後の車両転配を考慮して800番台で落成。
  5. ^ a b 1965年製造車は車両落成後に本来配置される松本運転所開設までの仮配置。
  6. ^ 1964年から1975年までは田町区に所属。
  7. ^ 閉館直前は「さよなら交通博物館」に取り替えられた。
  8. ^ ただし8両編成以下の場合は協調運転を実施せずEF63形重連による牽引・推進運転となる。
  9. ^ a b クモハ165-8・9・27・36・57・91・93・97/クハ165-17・18・33・39・50・93・95・102
  10. ^ a b c d e 900番台は169系化改造後の1971年に冷房化。
  11. ^ a b 翌1966年から1968年にかけて向日町運転所(現・吹田総合車両所京都支所)に一時的な転属を実施。
  12. ^ ただしAU12S形5基搭載を想定した準備工事であり、冷房化は169系化改造後の1971年にAU72形搭載に変更の上で施工。
  13. ^ a b c d 1968年利用債増備車。
  14. ^ a b c d e 1968年4次債務負担以降増備車が該当。
  15. ^ モハ164-8・9・27・36・43・55・57・61。後に一部車両はAU72形に換装された。
  16. ^ ただし、後年に#クハ165形方向転換改造を施工した車両が存在する。
  17. ^ 房総西線電化用最終増備車。
  18. ^ a b 同車はクモハ165-139+モハ164-862+クハ165-204と共に1970年5月30日に落成したが、呉線電化によるダイヤ改正は同年10月1日であったことから、同年7月1日から9月2日まで夏ダイヤが設定される房総地区用として津田沼電車区へ貸渡的な転属が実施された。
  19. ^ 制御回路引き通しのジャンパ連結器に関しては153系のKE57A形と165系のKE64形では互換性があり混用も可能。付随車では抑速ブレーキを制御するための制御器ならびに動作に必要な機器も搭載されていないこと。制御車も編成中間組込みや最後尾などの制御を行わない場合に限り、混結されていても制御回路が結線されていれば、編成全体で抑速ブレーキの使用は可能である[31]
  20. ^ 宮原電車区転入後は修学旅行専用列車廃止後に下関運転所から転入してきた冷房化改造前の167系と編成を組み波動輸送運用に投入された。167系冷房化後はそれまで新快速運用に投入されていたクハ165冷房改造車と差換え。
  21. ^ 名鉄パノラマカー小田急ロマンスカーとは異なり、完全な2階建て構造とはなっていない。
  22. ^ 実際には183系との併結による営業運転は行われていない。
  23. ^ 変わった運用では、2000年に日本テレビクイズ番組『第20回全国高等学校クイズ選手権』全国大会で、"特Qファイアー号"として中央本線・篠ノ井線・信越本線・上越線などで運転された。
  24. ^ 越後湯沢にある「アルプの里」にちなんだ愛称。中央東線の急行「アルプス」とは無関係。
  25. ^ 共通予備車であったモハ165-1+モハ164-801のトップナンバーMM'ユニットは、廃車まで汚物処理装置を未装備。
  26. ^ 新前橋区では、三鷹電車区で115系による急行運用が発生した際にサロ165形に引通し線改造とスカ色塗りを施工して長期貸し渡しした実績がある。
  27. ^ 1978年にユニットペアを失ったクモハ169-5は、4年近く保留車とされたものの、1982年にこれまたペアを失ったモハ168-9とユニットを組成した直後に松本に転出。さらに1986年には、クハ169-9とともに幕張電車区へ再転出している。
  28. ^ うちMcM'ユニット4組8両とクハ165形2両は一旦浦和電車区(現・さいたま車両センター)に配置されてから早期に松本へ転出扱いの記録がある。
  29. ^ 大糸線乗り入れ列車用にサロ85形を改造した1等展望車の導入が計画されていたが、諸般の事情で中止となった。
  30. ^ 中央東線から身延線に入線する場合、一旦新宿方にスイッチバックするため双方の列車の遅延防止という点から付属編成の位置を逆転させた。上り列車では「みのぶ」が甲府に先着後に一旦引き上げ線に転線後に基本編成に併結作業を行っていた。
  31. ^ 新製時からの冷房車で最終製造ユニットのクモハ165-141+モハ164-864は新潟→大垣→松本で転入。
  32. ^ a b クモハ169・モハ168-17+クハ169-7両は部品取りとしてしなの鉄道へ譲渡。
  33. ^ サロ153形は非冷房非リクライニングシート車の置換えでサロ110形改造種車としての捻出名義。サロ152形はサロ112形改造種車としての捻出名義である。最終的にこちらは1975年に下関運転所から転入のサロ165形によってサロ152形(既に冷房化改造済)の置換えが完了した。
  34. ^ この回送線は、JR化後の2015年3月に上野東京ラインとして約42年ぶりに復活することになる。
  35. ^ 田城郁JR東労組出身で自身も電車運転士経歴のある元参議院議員)のブログに寄せられた「富士川」乗務経験者の運転士の弁による[111]
  36. ^ ただし、東海道本線内は快速もしくは普通列車で運転。
  37. ^ 当時非冷房のクハ153形は両渡り構造であったため逆向きでの連結も可能。
  38. ^ ただし転入は1986年11月ダイヤ改正前から行われており、名古屋地区の117系短編成化に伴う代走で同年7月から10月まで、また紀勢本線新宮 - 御坊間ホーム嵩上げ工事の進捗もあり特急「くろしお」用485系の九州地区・北近畿地区転用改造に伴う代走で同年10月1日 - 31日まで充当された実績がある。
  39. ^ 同日に三鷹区まで回送された際には「急行」の種別幕が表示された。
  40. ^ シーズン中には新前橋区や三鷹区などの165・169系も投入された。
  41. ^ 3001(最終運用投入編成)・3003編成は、1968年に施工された試作冷房改造車の最終残存車でありデハ3101(旧・モハ164-55)は当初AU71形を搭載していた。
  42. ^ 被害が大きくなかったことと製造から10年以内で減価償却資産の耐用年数等に関する省令(昭和40年3月31日大蔵省令第15号)に定められた鉄道用車両における電車の償却年数である13年に満たない状態であったことが理由である。これには当時の長野鉄道管理局(現・東日本旅客鉄道長野支社)では、1975年にクハ180-1 - 3を製造から9年で廃車解体としたこと。また国鉄全体でも事故・故障が多発したDD54形が最長でも約10年、最短4年10ヶ月で全車廃車になり、1976年に国会で問題として取り上げられ会計検査院からも不適切な処理と指摘されたことも関係する。
  43. ^ 帝國車輛工業が唯一製造したサロ165形で、同社が製造した直流急行形電車唯一のサロでもある。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e 平石大貴「165系・169系急行形電車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2012年10月号、p.10
  2. ^ a b c d e 伊藤元雄ほか「急行形直流電車(165・167・169系)フェスティバル」『鉄道ピクトリアル』1994年3月号、p.10
  3. ^ a b c 伊藤元雄ほか「急行形直流電車(165・167・169系)フェスティバル」『鉄道ピクトリアル』1994年3月号、p.11
  4. ^ 平石大貴「165系・169系急行形電車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2012年10月号、p.14
  5. ^ a b c 平石大貴「165系・169系急行形電車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2012年10月号、p.11
  6. ^ 『鉄道ピクトリアル』2019年12月号別冊「国鉄形車両の記録 165系急行形電車」p.12
  7. ^ a b c d e 平石大貴「165系・169系急行形電車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2012年10月号、p.15
  8. ^ 電車モーターを設計していたころ ~昭和40年代の製造現場から(7)~ 渡辺誠 - 鉄道友の会福井支部『わだち』第130号 2010年5月(インターネットアーカイブ
  9. ^ 『鉄道ピクトリアル』2019年12月号別冊「国鉄形車両の記録 165系急行形電車」p.16
  10. ^ 中村剛「DT32・TR69台車 構造の概略と変遷」『鉄道ピクトリアル』2012年10月号、p.49
  11. ^ a b 平石大貴「165系・169系急行形電車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2012年10月号、p.13
  12. ^ a b c 平石大貴「165系・169系急行形電車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2012年10月号、p.12
  13. ^ a b 「165・169系電車形式集」『鉄道ピクトリアル』2012年10月号、p.36
  14. ^ 『鉄道ピクトリアル』2019年12月号別冊「国鉄形車両の記録 165系急行形電車」p.15
  15. ^ a b c 平石大貴「165系・169系急行形電車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2012年10月号、p.16
  16. ^ a b c 平石大貴「165系・169系急行形電車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2012年10月号、p.18
  17. ^ a b 石井幸孝ほか『幻の国鉄車両』pp.182-183
  18. ^ a b c d 『鉄道ピクトリアル』2019年12月号別冊「国鉄形車両の記録 165系急行形電車」p.23
  19. ^ a b 福原俊一『国鉄急行電車物語』p.163
  20. ^ 『鉄道ピクトリアル』2019年12月号別冊「国鉄形車両の記録 165系急行形電車」p.31
  21. ^ a b c 伊藤元雄ほか「急行形直流電車(165・167・169系)フェスティバル」『鉄道ピクトリアル』1994年3月号、p.14
  22. ^ a b c d e 『鉄道ピクトリアル』2019年12月号別冊「国鉄形車両の記録 165系急行形電車」p.28
  23. ^ a b 猪口信「特集:直流急行形 第二部 直流急行形の物語」『鉄道ファン』1998年12月号、p.56
  24. ^ 「165・169系電車形式集」『鉄道ピクトリアル』2012年10月号、p.40
  25. ^ 「165・169系電車形式集」『鉄道ピクトリアル』2012年10月号、p.38
  26. ^ 平石大貴「165系・169系急行形電車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル』2012年10月号、p.17
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参考文献[編集]

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  • JTBパブリッシング
  • ジェー・アール・アール
    • 『国鉄車両シリーズ1 直流急行形電車』 (1982年)
  • 交友社鉄道ファン
    • 1977年9月号 No.197・1978年2月号 No.202 大井広「東海道電車急行ものがたり」
    • 1993年3月号 No.383 福原俊一「修学旅行電車のあゆみ―その5―
    • 1995年9月号 No.413 特集:「急行形」スペシャル
    • 1998年12月号 No.452 特集:直流急行形
  • 電気車研究会『鉄道ピクトリアル
    • 1984年6月号 No.433 特集:165・169系急行形電車
    • 1994年3月号 No.588 特集:JR165系電車の現状
    • 1997年7月号 No.639 特集:165系電車の興味
    • 2009年11月号 No.826・2009年12月号 No.827 特集:鉄道と修学旅行I・II
    • 2012年10月号 No.867 特集:165・169系電車
    • 2019年12月号別冊 国鉄形車両の記録 165系急行形電車
  • プレス・アイゼンバーン『レイル』
    • No.52(2005年) 三宅俊彦「大垣電車区のクイーン物語」

関連項目[編集]

外部リンク[編集]