国鉄キハ37形気動車

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キハ37形気動車は、1983年(昭和58年)に日本国有鉄道(国鉄)が製造した一般形気動車である。

5両が製造され、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化以降は東日本旅客鉄道(JR東日本)に3両が、西日本旅客鉄道(JR西日本)に2両が承継された。現在は水島臨海鉄道が保有する。

概要[編集]

加古川線塗装のキハ37形(左)
(1998年5月2日)
久留里線のキハ37形1000番台
(左)とキハ38形0番台
平山 - 久留里 2010年4月9日)

本形式はキハ40系の後を受け、その反省点を多分に盛り込んだ次世代車両として開発・製造された。

特にキハ40系では、幹線での長距離運用や連続高速運転などの必要性も要求され設計されたため、特に極寒地・寒地向けでは空気ばね台車が奢られるなど、接客面での質は大きく向上したものの、ローカル線向け車両としては動力性能以外の構造と装備が過剰気味であり、新造費も高かった。一方、組み合わされる機関と変速機は陳腐化とコストダウンの影響で、大きめの車両重量に対して目覚しい性能向上が見られなかった上、燃料整備などの維持費を減らすこともできなかった。その点からの再検討も行った結果が、地方線区の実情に合わせた、必要十分な性能と製造・維持コストの低減に注力され、従来の国鉄スタンダードにとらわれないコンセプトが打ち出された。具体的には、標準搭載される装備は最小限に抑える一方、地域ごとに必要になるものはその都度取り付けられるようにすることで、各地域の特徴に合わせた装備ができるよう配慮されていた[1]

1980年代前半まで国鉄の気動車は、戦前の基本設計で既に陳腐化していたDMH17系エンジン、また高出力化の要求に対してDMF15DML30系エンジンを使用していたが、性能的にも陳腐な上、設計が不十分で熱問題を抱え、維持費の増加も顕著になってきていた。そこで、重量の割に非力で燃費も優れない従来の機関に対し、出力向上と省燃費を実現するため、国鉄の気動車として初めて直噴式ディーゼルエンジンを採用したほか、製造コスト削減の見地から廃車発生部品再利用方針も採られた。

5両が量産先行車として製造されたが、直後に国鉄の特定地方交通線廃止、もしくは第三セクター鉄道への転換が進んだため、大量のキハ58系やキハ40系が余剰となり、さらに国鉄改革にともなって設備投資が極度に抑制されたこともあり、量産車が登場する機会はなかった。

本形式が製造されてしばらくが経過した、国鉄最末期の1986年昭和61年) - 1987年昭和62年)にキハ38形キハ54形キハ185系等が登場したが、これらの車両の設計と製造には本形式での経験が生かされており、コンセプトが実を結ぶことになった[注釈 1]

諸元[編集]

本形式は、量産先行車として片運転台ロングシートで、便所付き車両と便所なし車両が製造された。量産化の際には僅かな設計変更で両運転台式やクロスシートの装備、便所の有無を選択できるよう配慮されていた。

車体[編集]

便所付きキハ37形0番台
幕張車両センター木更津派出 2007年4月7日)

基本的にはキハ40系と同じ片側2扉、片引き戸となっているが、居住性向上のため車体の長さと幅を車両限界ぎりぎりにまで拡大したキハ40系に対し、車体長を20.8mから19.5mに、車体幅も裾絞りを省略して2.9mから2.8mとそれぞれ縮小した結果、一回り小さい車体となっている[注釈 2]。一方、縦形エンジンの採用により、レール面からの床面高さは、キハ35の1215mmに対して1260mmへと上がっており、縦形エンジンに必須となる床面点検口も復活した。

客用扉は片側2ヶ所で、開口幅1000mmの片開き引き戸とされた。将来のワンマン運転を考慮して前位側の客用扉を運転台に隣接させるとともに、後位側の客用扉は亜幹線での運用や乗客の流動に配意して車体中央に寄せられ、2両編成を組んだときに編成全体として扉の間隔が均等に配置されるようになっている。戸袋窓と妻窓は省略された。

前面は中央に貫通扉を配した構造である。キハ40形まで使われていたパノラミックウィンドウは廃止されて平面窓となり、助士席側窓上に手動の種別・行先表示器が備わる。ワンマン運転を行う場合は運転席高さを客室と同レベルまで下げることが望ましいが、本形式では踏切事故などを想定して高運転台構造を踏襲した。それでもキハ40系に比較すると運転席位置は下がっている。前照灯は貫通扉上にまとめられ、前面窓下両端部に尾灯を備える。また、前面窓下部に踏切事故対策の補強板が張られている。

なお新造時の塗色は赤11号急行形気動車の窓周りの赤と同じ色)一色で、キハ40系などの在来の一般形気動車に施されていた朱色(朱色5号)とは色合いが異なっていた。

主要機器[編集]

国鉄の気動車としては初めてとなる過給器付き直噴式縦形(直立シリンダー形)エンジンDMF13S形 (210PS/1,600rpm) を1基搭載しており、従来のエンジンに比して小型軽量で高出力、かつ冷間時の始動性にも優れたものとなっている。これは船舶用のエンジンを鉄道車両用に設計変更したもので、新規にエンジンを設計する場合に比較してコストが抑えられている。

DMF13Sが搭載されたのは国鉄では本形式が唯一で、以降の直噴式エンジン搭載車はこれを横形(水平シリンダー形)にしたDMF13HSを採用している。しかし、本形式の登場時期は特定地方交通線を転換した第三セクター鉄道の草創期と一致するため、DMF13Sと同型の新潟鐵工所製6L13ASエンジンは、三陸鉄道36-100形・36-200形神岡鉄道KM-100形・KM-150形鹿島臨海鉄道6000形・7000形で採用された。特に、鹿島臨海鉄道用としては1993年(平成5年)まで製造され続けた点が特筆される。

台車は、在来車からの廃車発生品であるDT22E(動力台車)・TR51D(付随台車)液体変速機も同じく廃車発生品のTC2A・DF115Aを流用している。

接客設備[編集]

暖房用吸気ダクトと冷房室内機 1000番台室内(共にJR東日本車)
暖房用吸気ダクトと冷房室内機
1000番台室内(共にJR東日本車)

座席はキハ40系のセミクロスシートに対して本形式では全席ロングシートとし、定員は便所付きの0番台が138人(座席64人)、便所なしの1000番台が146人(座席66人)である。座布団、背摺りともに従来形で、着席区分などは施されていない。キハ35形と同様、便所の向かい側のみは4人掛けのボックスシートとなっている。

座席に対応する位置の長手方向につり革荷物棚が装備されている。袖仕切りは2位側扉との間のみ板状で、その他は全てステンレス製パイプである。袖仕切り付近の壁面には灰皿も装備されていた(後に撤去)。

客室窓は、上段下降・下段上昇の外ハメ式二段ユニット窓で、各窓に灰色のロールカーテンを備える。窓、カーテン共にフリーストップではない。

ベンチレーターは押し込み形で天井扇風機も装備されている。キハ40系に引き続き温風式暖房装置が採用されているが、吸気口は室内天井付近となり、4位側戸袋部にはそのダクトが立ち上がっている。床下でエンジン冷却水熱交換された温風は、座席下のダクトから室内へ排出される。

後年バス用の機関直結式冷房装置を流用した冷房化改造が行われ、室内機の取り付けによって、その箇所の荷物棚は使えなくなっている[注釈 3]

ワンマン運転を想定した設計とされているが、JR西日本、JR東日本所属車共にワンマン化改造は行われていない。

番台区分[編集]

便所ありの0番台が2両、便所なしの1000番台が3両、新潟鐵工所および富士重工業で製造された。

  • 0番台 - キハ37 1(新潟鐵工所), 2(富士重工業)
  • 1000番台 - キハ37 1001(新潟鐵工所), 1002, 1003(富士重工業)

運用[編集]

1と1001の2両が大阪鉄道管理局管内の姫路第一機関区に、2、1002、1003の3両が千葉鉄道管理局管内の佐倉機関区木更津支区(現・幕張車両センター木更津派出)に配置された。

JR西日本[編集]

保留車として米子駅構内に留置されていた頃のキハ37-1001 (2002年10月9日)

姫路に配置された2両は加古川線高砂線三木線北条線鍛冶屋線で使用され、JR西日本に承継された。

1990年6月、加古川鉄道部の発足に伴い同所の配置となる。同月から始まる同線のワンマン運転には全て同所のキハ40形が投入され、本形式はワンマン化改造を受けなかった。

1994年(平成6年)にサブエンジン式AU34冷房装置の搭載を行っているが、機関換装とワンマン化改造が行われないまま1999年(平成11年)に後藤総合車両所に転属した。塗色はJR化後の加古川線における同線専用塗色を経て、1999年(平成11年)の後藤総合車両所への転属時に朱色5号の一色塗りとなっている。

後藤総合車両所では山陰本線境線で運用されたが。2003年(平成15年)10月の山陰本線高速化で定期運用を失った。 その後は保留車となっていたが、2009年(平成21年)1月29日付で廃車となった[2]

JR東日本[編集]

木更津配置の3両は、久留里線および木原線で使用され、JR東日本に承継された。1988年(昭和63年)に木原線は第三セクターいすみ鉄道に転換されたため、以後、全車が久留里線のみで使用された。同線専用となったことで、クリーム1号の地色に太さの異なる複数の青15号の帯が入る、初代久留里線色に変更されている。

1999年(平成11年)から2000年(平成12年)にかけて、順次機関をカミンズ製DMF14HZへ換装し[注釈 4]、縦形(直立シリンダー形)エンジンに特有の室内床面の点検口が埋め込まれた。同時に機関直結式AU26形冷房装置が搭載されている。並行して塗色も現在の2代目久留里線色へと順次変更され、また0番台の2については便所が閉鎖された。

久留里線内では基本的に本形式のみでの運用はなく、キハ38形との共通運用で、キハ30形とも組んで運転されていたが、2012年12月1日をもってキハE130形100番台に置き換えられ、定期運用を終了した[3][4][5]。その後、12月11日から12日にかけて3両とも新津へ配給輸送された[6][7]。長らく新津で留置されていたが2013年7月9日から10日にかけて、水島臨海鉄道に3両ともキハ30形2両、キハ38形1両と共に譲渡されることとなり、甲種輸送された。倉敷駅に到着した7月10日付で廃車となり[8]、廃形式となった。同鉄道では2014年3月末から営業運転を開始する予定と発表した[9]

水島臨海鉄道[編集]

前述の通り3両が導入され、当初の発表より遅れて2014年5月12日から運行を開始した。[10]2014年3月改正では三菱自工前-倉敷市間を朝と夕方2往復ずつ運行する。[11]


脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 一方、輸送量が小さく、経営基盤も脆弱な第三セクター向けとしては、本形式程度の設計でもなお過剰であり、これらの事業者では、両運転台式のさらに小型・軽量で低廉な「軽快気動車」(LE-DCNDC)が主流となって行った。
  2. ^ キハ20系・1エンジン車の寸法に戻った。
  3. ^ JR東日本所属車はデンソー製AU26形で、室内機は千鳥配置で計4箇所
  4. ^ 機関本来の出力は350PSだが、種車の液体式変速機を流用したため250PSに落として使用している。

出典[編集]

  1. ^ 『電気車の科学』通巻419号、p.22
  2. ^ 『鉄道ファン』通巻579号、特別付録p.42
  3. ^ 久留里線新型車両の導入について (PDF) - 東日本旅客鉄道プレスリリース 2011年12月15日
  4. ^ 久留里線でキハ30・キハ37・キハ38の運転終了 - 交友社鉄道ファン』railf.jp鉄道ニュース 2012年12月1日
  5. ^ 【JR東】久留里線のキハ30形・キハ37形・キハ38形 運転終了 - 鉄道ホビダス ネコ・パブリッシング RMニュース 2012年12月3日
  6. ^ 【JR東】久留里用気動車6輌 配給輸送 - 鉄道ホビダス ネコ・パブリッシング RMニュース 2012年12月11日
  7. ^ キハ30形,キハ37形,キハ38形が新津へ - 交友社 『鉄道ファン』railf.jp鉄道ニュース 2012年12月12日
  8. ^ 「JR電車編成表2014冬」ISBN 9784330424132 p.357。
  9. ^ キハ30,キハ37,キハ38の6両が水島臨海鉄道へ - 交友社 『鉄道ファン』railf.jp鉄道ニュース 2013年7月10日
  10. ^ 「キハ37、38、30形式」の運転開始について 水島臨海鉄道株式会社 2014.4.14
  11. ^ キハ37,38,30形式で運行となる列車時刻

参考文献[編集]

  • 渡辺一範「キハ37形式一般型ディーゼル動車の概要」、『電気車の科学』第419号、鉄道図書刊行会、1983年3月、 22-25頁。
  • 「JR車両のデータバンク2008/2009」、『鉄道ファン』第579号、交友社、2009年7月、 33-48頁。 ※巻末の特別付録

関連項目[編集]