国鉄C57形蒸気機関車180号機

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C57 180は、東日本旅客鉄道(JR東日本)が動態保存する蒸気機関車で、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造したC57形蒸気機関車の1両である。

SLばんえつ物語号(現在のSLばんえつ物語)のC57 180。(新関駅、2007年9月29日)
会津若松駅に到着したSLばんえつ物語のC57 180。2010年11月21日

1969年(昭和44年)9月4日の廃車後、新津市(現在は新潟市)立新津第一小学校の校庭に保存されていたが、1999年(平成11年)にJR東日本によって復元され、磐越西線で「SLばんえつ物語号(後のSLばんえつ物語)」として運転されている。現時点の復活した蒸気機関車牽引列車(SL列車)の中では最長距離(片道約125キロ)を走行する。また、月に1回程度、「SL磐梯会津路号 / SL郡山会津路号」として会津若松駅 - 郡山駅を2日で1往復する。

現役時代・保存[編集]

1946年(昭和21年)に、三菱重工業三原製作所にて製造(製造番号 513)。新製時には新潟機関区に配置され、1963年(昭和38年)に新津機関区に移り、1969年11月8日9月4日の説もある[1])に廃車となった。

製造から一貫して新潟県内の機関区に配置され、北は羽越本線秋田、南は信越本線直江津、東は磐越西線会津若松までを行動範囲としていた。新潟機関区に新製配置直後は戦後混乱期の工作不良がたたってトラブルが続出していたが、1958年(昭和33年)のボイラー換装後は安定した性能を発揮し、急行日本海」や「佐渡」などの長距離優等列車牽引に重用された。

なお、新津機関区所属時代の当機は、後の1972年(昭和47年)に梅小路蒸気機関車館に動態保存され、現在山口線で保存運転を行っているC57 1と、晩年(1966年から1969年)には、1988年(昭和63年)にJR東日本によって復元されたD51 498とともに所属していたことがある。

1969年(昭和44年)に無煙化の促進によって羽越本線での運用が大幅に削減され、磐越西線の旅客列車からの運用撤退によって新津機関区のC57形は大幅に減ることになった。全般検査後1年だった同機は転属候補とされていたが、鉄道の街・新津に蒸機を1両だけでも残したいとの声が新津機関区で上がり、それに新津市も賛同、保存機として同機が選ばれることとなった。新津機関区生え抜きの他機を差し置いて同機が選ばれた理由は、番号の語呂が良く、D51 180やC51 180も同区に長年在籍しており、180という数字に周囲の特別な思い入れがあったことや、故障が比較的少ないためである[2]

同年9月30日に磐越西線での蒸機牽引による最終定期旅客列車[3]を日出谷駅 - 新津駅間で牽引後、10月12日に新津市立新津第一小学校の校庭の磐越西線側に静態保存された。保存に際し、新津駅の引き上げ線を延長した仮設線路を校庭に敷設し保存場所まで自力で走行、市民や児童らの歓待を受け、同機自らによるくす玉割りや神事の後、惜別の長緩汽笛を何度も吹鳴した[4]。現役期間中の最終総走行距離は1,691,096.3 kmであった。この保存の様子は新潟市新津鉄道資料館に展示されている。また、同館にはC57 1に関する資料も展示されており、1961年(昭和36年)の羽越本線列車衝突事故の模様や1972年(昭和47年)のお召し列車牽引時の装飾品など、貴重な展示品もある。静態保存から2年後には屋根が掛けられ、新津機関区(現在の新津運輸区)職員やOB、新津市民らによる「新津市蒸気機関車保存協力会」や第一小学校児童の手により手厚く整備清掃を受け、保存されていた。

動態復元[編集]

2007年4月に全般検査を終えたことを示す標記とATS-Ps型搭載の標記。2007年4月15日
ATS-Ps型の表示機(パターン発生中)。2007年4月28日
ATS-Ps型搭載に伴い装備された速度検出装置。2007年4月15日

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1990年(平成2年)4月、高崎支社のD51 498により「SLうるおいの新潟号」が運転された。その後1996年(平成8年)から1998年(平成10年)までの3年間、磐越西線新津駅 - 津川駅にて同機やC58 363を使用した「SLえちご阿賀野号」が運転された。これを機に新津市ではC57 180を動態復元しようという機運が高まることとなり、1997年(平成9年)新津市において「C57 180を走らせる会」が結成された。復元に必要と見込まれた費用である2億円の半分を、市民らがオレンジカードを購入するなどして負担することとした。

復元作業は翌1998年3月に開始、JR東日本大宮工場や大阪府のサッパボイラでの作業も1年後に完了、1999年(平成11年)3月に30年ぶりに車籍が復活した。保存状態はよかった。復元形態は運転終了時の状態をベースに、前照灯は前後とも大型で光量の大きなLP403形、運転台屋根は東北・信越地区に多く見られた延長型、砂箱前方には大型手摺と、静態保存時の部品の整備や交換がなされた。ランボードには、新津機関区伝統の白線が入れられている。新たに搭載された重油タンクや列車無線アンテナは、上方から見ない限り分からないように配慮されている[5]。また、全車軸には温度センサーが取り付けられ、運転中は客車乗務員室から管理を行っている。炭水車には第一小学校の児童から贈られた記念のプレートが掲げられている。

運転開始後もわずかながら形態は検査の度に変化し、2003年(平成15年)1月から3月にかけて実施された中間検査B(重要部検査)では、煙突飾帯の撤去、非公式側(助士席側)ランボード上に搭載されていた罐水清浄装置(清罐剤送入装置)の撤去、先輪の一体圧延型車輪への交換などが施工されている。2006年(平成18年)10月22日で定期運転を一時的に終了し、2006年(平成18年)11月から2007年(平成19年)4月にかけて、復活後初めての全般検査が大宮総合車両センターで実施された。復活運転からの累計走行キロ数は17万8949キロメートルに達した。大きな形態の変化はないが、ATS-SN形に換わってATS-Ps形を搭載した関係で、炭水車前台車に速度検出装置を装備している。2011年(平成23年)の中間検査Bにおいても変更があり、津川駅などでの整炭作業の効率改善を図る目的で炭水車の非公式側にも梯子を追加を施工した。運転台窓の旋回窓の枠がこの検査の直前に復活出場したC61 20と同様、太枠の汎用型旋廻窓に振り替えられている。また、運転室内の速度計も先述のATS-Ps形の速度検知に正式対応させるべく、これもC61 20同様に機械式速度計から電気式速度計へと載せ換えられている。なお、交換で不用となった機械式速度計は、2013年の運転からばんえつ物語の客車で新しく誕生したグリーン車の展望室内のショーケースにて、他の交換部品と共に展示されている。一方で、D51 498やC61 20と違い、当機は「SLばんえつ物語」の専用機関車という立場から、関東地区を走行する際に必要とされるATS-P形を導入しておらず、現在関東地区での当機が先頭に立っての本線自走運転は、鉄道に関する技術上の基準を定める省令に違反する恐れがあるため、不可能の状態にある[6]。しかしそれ故に、多量の電力供給を必要としないため、現在もタービン発電機及びATS発電機は現役時代からのものを流用しており、東日本所有機では唯一の持ち味を見せている。なお、同じく関東地区を走行する際に必要とされるデジタル無線装置については、2016年(平成28年)9月頃より、信越本線の新潟駅 - 長岡駅にて同無線システムに切替・使用開始されたのに伴い、同年夏頃にそれまでのCタイプ無線装置からデジタル無線装置へ取り換えられている(運行区間内の新潟駅 - 新津駅で同無線システムに切り替える必要が発生するため)。2013年(平成25年)の早春には、炭水車の改良工事が行われ、軸熱温度管理センサーのジャンパ栓受けの取り付け位置が、それまでのナンバープレート真下からD51 498などと同様の位置に改造され、これにより専用客車以外からの軸熱管理ジャンパ接続を可能とし、ナンバープレート真下部のジャンパ栓受け台座が撤去された。同時に、給水管を左右両対応に改造している。

晩秋から早春にかけてスノープラウが装備されるが、これは復元後に新製されたものである。基本的には12月のクリスマス運転での装着が主流だが、運転時期や降雪の可能性、装着および取り外しによる作業性などによっては装着期間が長引く場合もある(近年では、クリスマス運転から翌シーズンのゴールデンウィーク明けまでの装着が慣例となりつつある)。しかし2011年9月、門鉄デフを装備して走行する際に起きる空気抵抗の変化による勾配区間上での空転多発の恐れがあることから、この時には門鉄デフ装着と同時に、夏季としては復活後初めてスノープラウをウェイト代わりとして装着することになり、このため2011年度の門鉄デフ装着時のスタイルは2008年クリスマス運転時と同じ姿での登場となっている[7]。スノープラウは以後2012年6月10日まで継続して装着し、こちらもその時期までにスノープラウ装着を継続したのも復活後初の出来事となった。更に2013年3月には積雪期にもかかわらずスノープラウを取り外した状態で運転されるなど、ここ数年は慣例によらない装備パターンを見せている。

当機の汽笛の音調は復活してからほとんど変更されておらず、特に汽笛後部側の音色は「貴婦人」らしさを強調するため高音域に設定されていた。しかし、復活から15年を迎える2014年(平成26年)に、客車のリニューアル及び「SL村上ひな街道号」での旧型客車牽引を機に、レトロ調を意識して音域を低くし、音自体も前後共通とされた。2015年(平成27年)の全般検査出場以降は、その音響を柔軟にし、C58 239などと似た音色に調整された。なお、これらは汽笛の気筒本体の向きを変えて調整しているだけであり、本体の交換はなされてはいない。

現役時代、故障の少なかった同機であったが[8]、2003年11月ごろより次第に不具合が目立ち始めた。定期運転を終えた12月の検査で、一部の煙管に亀裂が入っていたことが判明し、やむを得ずこの年の「SL X'masトレイン2003年号」の牽引はD51 498で代行された[9]。煙管に亀裂が発生したのは重油併燃装置のバーナー取付位置の不具合が原因で、2004年(平成16年)の定期運転開始後は同装置の使用を控えることや、汽笛吹鳴を必要最低限かつ吹鳴力を弱めるなど予防策をとられた[10]。同年の定期運転終了後の検査で異常が確認されなかったことにより、「SL X'masトレイン2004年号」には同機が充当され、同時に同装置の使用や汽笛吹鳴における制限が解除された。定期運転中、同機の不具合で運休となったのは担バネ折損による逆転器作動不能による上り列車の運転取り止めがある。2005年(平成17年)の定期運転最終運転日の前日にも動輪軸受の異常発熱により、同じく上り列車の運転取り止めがあった。これらの運転中の不具合は会津若松運輸区で修繕後に夜間、単機で新津駅へ回送されている。その後も微細な故障は見受けられたが営業運行に支障を及ぼす事態は少なかったが、2013年(平成25年)に入って営業運行に支障の出る故障が頻発することになる。その内の前半期は蒸気漏れによるものだが、10月13日の「SLばんえつ物語」復路牽引中からシリンダーの不具合による排気不良が発生。同日夜に緊急点検を行ったが、異常無しと判断され、翌10月14日に運転を続行したものの新潟駅出発時より異常な排気音が確認され、その後も野沢駅などで臨時点検を実施、会津若松駅には20分遅れでの到着だった。会津若松運輸区での点検でようやく原因が判明し、当機はその場で火を落とされて運転を打ち切った。同列車は同日復路よりDE10形による臨時快速に切り替え、その後10月いっぱいはDL牽引の臨時快速列車として運行されている。この年の当機の故障による度重なるSLからDLへの牽引機変更は復活後初めての出来事であり、後の当機の存続や故障時の牽引機の在り方などが話題となった[11]。翌2014年(平成26年)も不具合が度重なり、DL牽引の臨時快速列車が運行される日が引き続き発生した。

2014年(平成26年)10月より、復活後2回目となる全般検査施工のため、「SLばんえつ物語」は同9月28日で2014年度の定期運行を終了した。3日後、新津から大宮総合車両センターへ回送され、全般検査を施工。上記の通り、2013年度より多数の故障や不具合により運行に難が生じてきている当機の整備状態が非常に悪化していたため、予定以上に大幅な修繕整備を行う必要が発生し、2015年度の運転開始は夏季の7月18日からとなった[12]。上記で発生していた重要部品の不具合はほぼ改善されたが、引き換えに周辺機器の不具合による運休や運転打ち切りが数日程度発生した(ATS発電機や逆転機など)。

門鉄デフの装備化[編集]

門デフを装備したC57 180。2007年10月20日
門デフに「波とかもめ」が描かれたC57 180。2008年11月9日

前記の通り細かい形態の変化は見られたものの、現役時代末期と殆ど変わらない姿で走り続けてきた当機であったが、2007年10月13日から28日の期間限定で、デフレクター(除煙板)を通常型[13]から門司鉄道管理局内で多く見られた「門鉄デフ」に交換して運転された[14]。これはJR発足20周年の企画の一つとして行われた[14]が、同機の現役時代には門鉄デフを装備したことはない[15]。しかし、同じ3次形のC57 175が末期まで門鉄デフを装備して運用されており、同機と同じ形態のK7型デフレクターを新製・装備したため、C57 175を彷彿させる姿となった。また、蒸気ドーム前方の大型手摺も門鉄デフ装備と合わせて九州用の小型手摺に交換されている。

これが好評であったため、その後幾度と門鉄デフの装着が行われている。変遷は以下の通りである。

  • 2008年(平成20年)4月5日 - 5月11日
    • 4月はヘッドマークの装着も行わないすっきりとしたスタイルで登場
  • 2008年11月2日・3日
  • 2008年11月8日 - 30日
    • かもめ専用機」仕様へのイメージチェンジ。この仕様は、九州で活躍していたC57 11が「かもめ」牽引指定機として門鉄デフにカモメをあしらったデザインを用いていた事から、新潟支社が急遽企画している。これ以降、煙突に設置した二本の飾帯はそのまま装着を継続している。
  • 2008年12月20日 - 2009年(平成21年)3月21日
    • スノープラウ追加装備により、門鉄デフとの組み合わせは初めてとなる
    • 後述の「SL春さきどり号」においてもこのスタイルで登場した
  • 2009年10月10日 - 11月29日
    • 新潟DC開催に合わせての装備。
  • 2011年(平成23年)9月17日 - 10月9日
    • この時より、デフレクター変更による空気抵抗の変化に伴う空転多発防止のため、スノープラウをウェイト代わりとして同時装着
  • 2012年(平成24年)11月18日 - 2013年(平成25年)3月19日
    • ただし、蒸気ドーム前方の大型手摺は交換されていない
    • 2013年3月の試運転時はスノープラウを取り外しており、上述の2009年以来のスタイルになった
  • 2013年(平成25年)11月2日 - 2014年(平成26年)9月28日
    • 11月は蒸気ドーム前方の手摺交換無し、12月のクリスマストレインからは小型手摺に変更しスノープラウを取り付け、2014年(平成26年)4月29日に取り外した後、同年度の定期運行全日程まで装着を継続した
    • この時の装着期間は11ヶ月間と過去最長記録となった

運行履歴[編集]

D51の代走で「SL春さきどり号」として千葉を走ったC57 180。2009年2月15日

「SLばんえつ物語」を筆頭に、JR東日本新潟支社管内にて様々な臨時列車の牽引機として運行されている。客車を含めた編成は、全て「SLばんえつ物語」と同じスタイルでの運転となっているが、オリジナルヘッドマークを取り付けての運転がほとんどである。

当機復活以降、磐越西線以外における新潟支社管内でのSL列車運行はこれが初。
その後、2005年より隔年運転される。(下記参照)
  • 2003年(平成15年)・2004年(平成16年)7月6日:白新線・羽越本線(新潟駅 - 村上駅)「SL村上大祭号
  • 2004年(平成16年)
その後、2009年より「SLうまさぎっしり庄内号」として連年運転される。(下記参照)
  • 10月10日:信越本線(長岡駅 - 直江津駅)「SLえちご日本海号
  • 2005年(平成17年)以降の毎年
2008年(平成20年)からは新潟駅 → 村上駅 → 新津駅の経路で運転。
ただし2007年(平成19年)と2011年(平成23年)は除く。
2014年(平成26年)は客車のリニューアル工事に伴い、旧型客車を牽引し、復活以来初めて蒸気暖房装置が稼動している。
  • 10月20日21日:信越本線(長岡駅 - 直江津駅・新井駅)「SLえちご日本海号
この年の新装備の「門鉄デフ」で登場。同列車が門鉄デフでの初めての他線区運転。
  • 10月3日4日羽越本線(村上駅 - 酒田駅)「SLうまさぎっしり庄内号
  • 10月10日:磐越西線(会津若松駅 → 新津駅)「SLにいつ鉄道まつり号
にいつ鉄道まつり開催にともなってのSLばんえつ物語臨時運転で、ヘッドマークの取り付けは行われていないが、本項に記載する。
  • 11月14日15日:信越本線(長岡駅 - 直江津駅・新井駅)「SL信越線秋の収穫祭号
馬下 - 新津の開通100周年およびにいつ鉄道まつり開催にともなってのSLばんえつ物語臨時運転だが、本項に記載する。
  • 10月23日24日:信越本線(長岡駅 - 高田駅・新井駅)「SL越後謙信SAKE祭号
上記の各「SL○○体験号」は、7月28日29日にかけて発生した2011年新潟・福島豪雨により、磐越西線の馬下駅 - 津川駅間が長期不通となり、7月30日から10月10日にかけてのSLばんえつ物語号運転取り止め発表後、代替として設定された列車で、全車自由席で運転。復路の馬下駅→新津駅はDE10が牽引。客車編成も2・3号車が欠車し2両目に展望車が連結される変則編成で運転。夏休み期間の乗車率が好評を得ていたため、夏休み以降も列車名を変えて追加運転を実施。SLばんえつ物語臨時運転だが、本項に記載する。
上述の通り、SLばんえつ物語号が運行できない期間中、両日ともに村上市にて開催された「村上町屋の屏風まつり」に合わせて急遽企画。
ヘッドマークの取り付けは行われなかった。門鉄デフおよびスノープラウ装備。
  • 9月24日25日白新線・羽越本線(新潟駅 → 新発田駅 → 新津駅)「SLご当地グルメ号
上述の通り、SLばんえつ物語号が運行できない期間中、両日ともに月岡温泉にて開催された「国際ご当地グルメグランプリ」に合わせて急遽企画。月岡駅での客扱いが行われた。
新発田駅 → 新津駅はDE10形が牽引。ヘッドマークの取り付けは行われなかった。門鉄デフおよびスノープラウ装備。
  • 10月1日2日:信越本線(長岡駅 - 直江津駅・新井駅)「SL信越線開業125周年号
門鉄デフおよびスノープラウ装備。なお、スノープラウを装備した状態での当該路線運行はこれが初めてとなる。
  • 10月15日16日:磐越西線(新潟駅 - 会津若松駅)「SL鉄道の日記念号
馬下 - 津川の復旧完了に伴う磐越西線全線運転再開を記念してのSLばんえつ物語臨時運転だが、本項に記載する。両日とも全車自由席で運行。
新津 - 新発田間は1912年大正元年)9月2日に開業し、それに合わせた記念列車。1往復目往路・2往復目復路は当機が牽引。ヘッドマークの取り付けは行われなかった。
  • 6月29日30日羽越本線(村上駅 - 酒田駅)「SLうまさぎっしり庄内号
  • 10月5日6日:信越本線(長岡駅 - 直江津駅・新井駅)「SLなおえつ鉄道まつり号
2015年(平成27年)3月の信越本線(長野駅 - 直江津駅)の第三セクター化により、同列車が直江津駅以南最後のSL列車乗り入れ運転となった。
門鉄デフ装備。なお、門鉄デフを装備した状態での当該路線運行はこれが初めてとなる。

支社管内以外での出張は以下の通り。

D51 498との初の重連運転。運転1日目往復及び3日目往路はD51 498の次位連結、2日目往復及び3日目復路は先頭に連結。
本来は2004年(平成16年)1月2日・3日・4日に運行予定だったが、先述の煙管亀裂により中止・延期とされていた。
  • 2005年(平成17年)
復活後初の旧型客車牽引
  • 2009年(平成21年)
D51 498牽引が予定だったが空焚き事故に伴う故障のためC57 180で代走。木更津駅 - 千葉みなと駅間はDE10形牽引の最後尾ぶら下がり運転
  • 2011年(平成23年)
  • 7月2日 上越線(高崎駅 - 水上駅)「SLググっとぐんまみなかみ号
同年に新しく復活したC61 20との初の重連運転で、客車も展望車を除く「SLばんえつ物語」の12系客車を使用。保安設備の制限事項に満たなかったため往復ともにC61 20の次位に連結。高崎駅でD51 498が牽引する「SLググっとぐんま碓氷号」と同時発車・並走運転が行われた。
  • 7月3日 上越線(高崎駅 - 水上駅)「SL重連みなかみ物語号
D51 498との重連運転で、客車も展望車を除く「SLばんえつ物語」の12系客車を使用。保安設備の制限事項に満たなかったため往復ともにD51 498の次位に連結。

支社管内以外での貸し出し運転では、旧型客車牽引やD51 498・C61 20などとの重連運転などに充当されている。特に同一イベントでのD51 498との併用例が多く、2000年7月には会津若松駅の配線を活かした同時発車・並走、翌月には津川駅において両機牽引による列車の交換を行っている。会津若松駅での同時発車・併走は毎年恒例のイベントとして年1・2回程度実施されていたが、2007年以降はこのイベントは行われていないが、2011年7月に同様の配線構造を持つ高崎駅でD51 498やC61 20との同時発車・並走が行われている。また、2009年2月には、本来D51 498によって運転予定であった「SL春さきどり号」であったが、D51 498が2008年12月の「SL湯けむり号」運転を前にした火入れの際、缶水不足で火室を溶損して走行不能となったため、同機による代走運転となり、多くのC57形が活躍していた千葉県内で37年ぶりに同形の走行を見ることができた。

なお、新津駅2・4番線の列車接近警報や「FMにいつ」の時報、品川駅限定の東海道本線用発車メロディーには、同機の汽笛が使用されている。また、光村図書出版刊の中学2年生国語教科書には、同機の保存から動態復元までを取材したノンフィクション「物語が走る」が掲載されている。

脚注[編集]

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  1. ^ 鉄道ファン 』1970年3月号、交友社、1970年、117頁。
  2. ^ 転属取り止めとなった後、他機との間で動輪を振り替えており、現在同機は「C57 179」と刻印された動輪を使用している。
  3. ^ 1225列車、本来は同区のD51形の仕業である。なお、この前運用である224列車はC57形とD51形による重連が定期で見られ、当機と現在動態保存されているD51 498との重連も見られた。
  4. ^ 履歴簿では11月8日に廃車、それまでは第一小学校に保管とされている。
  5. ^ 現役時代の煙室扉ハンドルは丸ハンドルに1本取っ手であったが、最終列車牽引前に装飾が施された際に、現在の十文字の物を他機から流用している。
  6. ^ このため、2011年の上越線での重連運行は常に次位連結とされた。ただしATS-P形・デジタル無線の省令完全義務化以前(2011年6月以前)の上越線運行ではD51 498の先頭に立っての運行が行われており、また後述の「SL春さきどり号」でもATS-Sn形併設区間が幸いして運行が可能となっている。
  7. ^ 2013年3月19日に、スノープラウを外した状態で磐越西線を試運転として走行しているが、次の週末の「SL村上ひな街道号」までには通常のデフレクタへと復されている
  8. ^ C57 180履歴簿より。ただし、癖や故障が少ないのは、同籍のC57 1と比較してのもの。現場では調子が優れない時も度々あったと、当時の現場整備士のインタビューから判明している。(イカロス出版「蒸気機関車EX Vol.15」より)
  9. ^ なお、これは現役時代の基準では問題のない範囲ではあったが、亀裂の発見された煙管を含む大部分の煙管の交換を新津運輸区内で実施している。
  10. ^ ボイラー使用圧の降下は行われておらず、定格圧力での使用が継続された。
  11. ^ 2013年12月23日付の新潟日報の一面においても、「SL車両管理に課題」というタイトルで掲載され、議題となった。なお、2010年 - 2012年においては故障による運休・打ち切りのケースは発生していない。
  12. ^ 「ふくしまDC」に合わせていろいろな列車を磐越西線で運転します!(JR東日本新潟支社 プレスリリース) (PDF) [PDF]
  13. ^ ただし、バイパス弁点検口が開口されている。
  14. ^ a b “SLばんえつ物語号 門鉄デフを装着/貴婦人に“髪かざり””. 交通新聞 (交通新聞社): p. 3. (2007年10月16日) 
  15. ^ ただし新津機関区には、同様にデフレクター下部を切除した長工(国鉄長野工場)式デフを装備した4号機が在籍していたことがある
  16. ^ 「鉄道記録帳」、『RAIL FAN』第51巻第12号、鉄道友の会、2004年12月号、 28頁。

参考文献[編集]

  • C57 180号機履歴簿
  • 交友社鉄道ファン』1997年(平成9年)10月号、1999年(平成11年)7月号
  • 『C57 180 復活への軌跡』(ネコ・パブリッシング
  • 『新津市史』(新津市)
  • 瀬古龍雄・小桧山六郎『磐越西線の100年』(郷土出版社)
  • 種村直樹『貴婦人C57の軌跡』(創隆社)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]