国鉄DD51形ディーゼル機関車

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国鉄DD51形ディーゼル機関車
DD51 1027(2007年10月3日 秋田港駅)
DD51 1027
(2007年10月3日 秋田港駅)
基本情報
運用者 日本国有鉄道
北海道旅客鉄道
東日本旅客鉄道
東海旅客鉄道
西日本旅客鉄道
九州旅客鉄道
日本貨物鉄道
製造所 日立製作所川崎車輛三菱重工業
製造年 1962年 - 1978年
製造数 649両
主要諸元
軸配置 Bo-2-Bo
軌間 1,067 mm
全長 18,000 mm
全幅 2,971 mm
全高 3,956 mm
機関車重量 84.0 t
動力伝達方式 液体式
機関 V型12気筒ディーゼル機関
DML61S(1 - 19)
DML61Z(20 - 53、500番台、800番台)
機関出力 1,000ps(1 - 19)
1,100ps(20 - 53、500番台、800番台)
変速機 DW2A
出力 2,000ps(1 - 19)
2,200ps(20 - 53、500番台、800番台)
備考 番台区分による差異あり
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DD51形ディーゼル機関車(DD51がたディーゼルきかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)によって1962年(昭和37年)から1978年(昭和53年)にかけて製造されたディーゼル機関車である。

概要[編集]


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幹線から蒸気機関車を廃する「無煙化」を推進するため、1962年から1978年までの16年間に649両が製造された。

先行して導入されたものの幹線用としてはかなり非力であった電気式DF50形に代わる、本格的な幹線用主力機として開発されたもので、速度面では旅客列車用大型蒸気機関車C61形を、牽引力では貨物列車用大型蒸気機関車D51形を上回る性能を持つように設計されている。

本形式の登場後も、より大出力のエンジンを1基装備したDD54形や、軸重を軽減したDE50形など、幹線・亜幹線用のディーゼル機関車が開発・製造されたが、前者は不調続きで短命に終わり、後者は電化の進展で投入する機会が得られず、試作機のみで終わった。その結果、合理化推進のための車両標準化」により、性能の安定したDD51形のみが長期量産・運用されることになった。

本形式は、最盛期には四国地方を除く日本全国で使用され、非電化幹線の無煙化・動力近代化を推進した。しかし、電化の進展と客車貨物列車の減少により、1987年のJR移行までに約3/5が余剰廃車され、JR各社には593号機以降の完全重連タイプのみの259両が継承された。

その後も客車・貨物列車のさらなる減少、DF200形など新型機関車への置き換え、加えて老朽化のため、少しずつ数を減らしつつある。しかし、本州以南向けの後継機の開発がないこともあり、日本貨物鉄道(JR貨物)所属車には延命のための更新工事が実施されるなど、本形式は当面継続して使用される見通しである。

基本構成[編集]

側面から見ると凸型となる車体全長中央部に運転台を備えており、前後に合計2基のエンジンを搭載した大型機関車である。2軸ボギー台車3組を装備し、うち両端台車が動力台車(DT113B)とされ、無動力の中間台車(TR106)によって全体の軸重を軽減している。

幹線用の大型機関車としては世界でも一般的とは言い難い、小型機関車と同様の中央部運転室を持つ凸型車体を採用したが、この形態を採用した理由は、最大軸重の制限による軽量化要請への優位性、エンジン回りの整備性の良さ、機器配置の容易さなどによるものである[注 1]。ただし、DD13形や後のDE10形DD16形、といった小型機と異なり、運転台は前後方向に共通ではなく、機関士・運転士は進行方向側の運転台に前方を向いて座る。全長は大きいが、B-2-B軸配置による重量負担配分と、凸型車体運転台前後のボンネットとの間に緩衝ゴムを挟んだ柔結合として台枠自体の垂直強度をある程度落すことを許容し軽量化したことにより軸重の低減を実現した。

エンジンは、入換支線小型機DD13形で使用されていたDMF31S形をベースにして新開発されたDML61Z形ディーゼルエンジンで、気筒の数を直列6気筒からV形12気筒に変更[注 2]、排気過給機(ターボチャージャー)と中間冷却器(インタークーラー)を装備して、最大出力が1100ps / 1500rpmとなり、それを2基搭載して、総出力2200psを出すことができる。ノッチは14段階。

動力伝達方式は、軌道の重量制限に対処する軽量化のため日本国外大型機関車の主流である電気式をやめ、日本での量産大型ディーゼル機関車では初めて液体式として製造された。液体変速機は3組のトルクコンバータを内蔵した充排油式(フォイト式)のDW2Aで、新たに開発されたものである。動力伝達システムは、両端の動力台車2基4軸を、前後のボンネット内にある1エンジンに1変速機の組合わせの動力装置と、その動力により駆動する2軸駆動の1台の動力台車の構成により動力が伝達されるシステムとなっており、エンジンと運転室側にある逆転機内蔵の液体変速機の間に第1推進軸、液体変速機と動力台車に内蔵された第1減速機(動力台車の運転室側)の間に第2推進軸、第1減速機と同じく内蔵された第2減速機(動力台車の先頭側)の間に第3推進軸がそれぞれ連結され、動力が伝達される。

また、エンジンの冷却系機器は先頭部両側面にラジエーターとその上部にファンを装備しており、エンジンの冷却水の冷却は、補機駆動軸[注 3]で専用の油圧ポンプを作動させ、各両端ボンネットの先頭部分上にある静油圧駆動方式のファンを駆動して、ラジエーターの冷却を行っている。

車体中央にある中間台車(付随台車)は、開発当初、全体の軸重を亜幹線基準の14tに抑制する手段に過ぎなかったが、増加試作車ではライナー挿入、更に量産車では空気バネを搭載して空気バネ内の空気圧を調整することにより、動力台車の軸重を14tと15tとの2段階に調整できるようになった。これによって、亜幹線への入線能力と、規格の高い重幹線での動輪粘着力確保を両立可能としている。

番台区分[編集]

基本番台 (1 - 53)[編集]

DD51 1(0番台 1号機)
(2012年7月 / 碓氷峠鉄道文化むら)
秋田機関区に留置中のDD51 1
(1985年 / 秋田駅

製造時期:1962年 - 1966年

試作型及び初期の量産型で客貨両用。客車暖房用の蒸気発生装置 (SG) を搭載しているが、重連総括制御装置は搭載しておらず、非重連形と呼ばれる。0番台はJRに継承されることなく、1986年までに全て廃車された。

1
第1次試作型で1962年に日立製作所が製造。エンジンダイハツ工業(現・ダイハツディーゼル)製DML61S (1,000ps) を2基搭載している。DD13形の後期型と同様の円形の装飾リム付きのシールドビーム前照灯を2灯ボンネット前端に配置し、運転室屋根もヒサシ状とはなっていないため、2号機以降に比べて丸みを帯びた印象となっている。登場当初はぶどう色2号を基調に白帯を回し、帯が左右の前照灯間で斜めに切れ下がり突き合わされた独特の塗装色だったが、のちに2次試作機以降と同じくオレンジ色を基調に白帯の塗装に変更され、秋田機関区(現・秋田車両センター)に配置された。
当初は機関や変速機の特性不一致などで所定の性能が得られなかったが、そのデータは2号機以降に活かされることになり、本機ものちに改修され面目を一新した。
2 - 4号機が増備されると盛岡機関区に転属し、その後も東北地方を中心に運用されたが末期には再び秋田機関区に転属。1980年頃まで使用されていたがその後は休車となって秋田機関区に留置され、1986年に廃車された。その後は長らく当時の高崎第二機関区(現・高崎機関区)に保存されていたが、1999年以降に登場当初の塗装色に戻され、碓氷峠鉄道文化むらに保存されている。
2 - 4
第2次試作型で2号機は日立製作所が、3号機は川崎車輛が、4号機は三菱重工業がそれぞれ担当し、いずれも1963年に製造された。前照灯はボンネット前端にやや奥まった形態で配置され、凹んだ四角形のライトベゼルが付けられた。運転室屋根前後端は水平に延長され、ヒサシ状となった。中間台車は、コイルバネにライナーを挿入することで14t - 15tの間で軸重切替が可能である。燃料タンクの容量は3,000Lだったが、のちに700Lタンクがランボード上2箇所に設置され、4,400Lに増量された。
1号機のテストで得られた結果を元に改良されており、所定の牽引性能を確保した。また、技術的な問題も解決され、以後の量産車に反映された。
3両とも盛岡機関区に配属され、秋田から転入した1号機とともに、当初は東北本線御堂駅 - 奥中山高原駅間の十三本木峠越えに投入されている。
末期には2号機と3号機が秋田機関区に、4号機が岡山機関区にそれぞれ転属されたのち、4号機が1983年に廃車され、2号機と3号機がそれぞれ1985年に廃車された。
5 - 19
1964年に製造された先行量産型。長距離運用に対応するため、燃料タンク容量が4,500Lに増量された。中間台車は枕バネ空気バネとしたTR101A形で、空気バネ圧の変化で軸重を調整する機構に変更され、運転台から調整操作が行えるようになった。
盛岡機関区の他、吹田第一機関区(現・吹田機関区)・鳥栖機関区にも配置され、非電化幹線の旅客列車の無煙化を推進した。
1 - 19号までは正面の塗りわけが異なり、白帯はサイドと同じ高さでナンバープレートの下を通っており、末期には磐越西線などの運用で鉄道ファンの注目を集めていた(末期の2号機など、量産機と同じ塗り分けになったものも存在した)。
末期は吹田第一機関区と東新潟機関区に集中配置され、東新潟の車両は磐越西線で使用されていたが、他地区で余剰となったDD51形の転入により1984年頃までに運用を離脱し、1986年に廃車された。一方吹田第一の車両は、大阪近郊の貨物列車のほか、福知山線では普通列車も牽引していたが、1984年2月で運用を離脱し、1985年に廃車された。



DD51 47牽引による普通列車
(1982年3月 / 鳥取駅
20 - 53
1965年・1966年に製造された初期量産型。エンジンはDML61Z/DW2 (1,100ps) に強化された。
正面の白帯はナンバープレートの取付位置に合わせられ、以降の標準配色となった。
※20号以前の車両も後日DML61Zに換装され、従来使用されていたエンジンはDD16形に流用されている。
このグループの一部は20系客車牽引のため、空気圧縮機(CP)からの圧縮空気を送る元空気溜め管を両渡りで増設した。
新製当初は、盛岡機関区、長野機関区門司機関区、鳥栖機関区に配置されたが、盛岡機関区・長野機関区の車両は、電化工事の完成により他所に転属し、晩年は旭川機関区、東新潟運転所、吹田第一機関区、米子機関区、門司機関区へ配置されていた。その後、余剰により1985年から1987年にかけて廃車された。


500番台[編集]

製造時期:1966年 - 1977年

重連運転のための重連総括制御装置を搭載しており、車端端梁部にKE70ジャンパ栓受けを両渡りに装備するとともに、ジャンパ連結器栓納めを前部デッキ部に取付けた区分で、重連形と呼ばれる。さらに、ブレーキの制御方式で以下のように区別される。一部を除いて蒸気発生装置を搭載したが、2013年現在は使用していない。また、空気圧縮機(CP)からの圧縮空気を、連結した次位の機関車や牽引する客車などに送る元空気だめ管を両渡りに装備している。

非電化幹線・亜幹線の無煙化促進のため多数が増備されたが、1970年代半ば以降は、同じディーゼル機関車で旧式化したDF50形や、故障に悩まされ信頼性が低いDD54形を代替している。
この番台区分以降より、すべて外ハメ式の尾灯が用いられた。

半重連形 (501 - 592)[編集]

DD51 500番台 半重連タイプ
(1984年8月12日 / 浜松機関区)
DD51 ユーロライナー色
(写真は全重連形のDD51 791)
美濃太田駅

501 - 592号機が該当する。

釣り合い引き通し管を装備していないため、重連運転時に前位の本務機が単独ブレーキ弁(単弁)を操作したときは本務機のブレーキのみが作動し、次位の補機はブレーキが作動しない。半重連タイプはJRには継承されなかった。

548以降は、ブレーキ力増大のため中間台車にも基礎ブレーキ装置を装備したために台車形式はTR106形となる。ブレーキ装置のスペース確保のため、床下の燃料タンク容量が4,500Lから4,000Lに減少している。

587 - 592の6両は蒸気発生装置 (SG) 未搭載車として落成している。800番台のような本格的なSG非搭載車とは異なり、SG用ボイラを積載していないだけでSG機器室などの関連機器は省略されていない。

半重連形のうち、美濃大田機関区(現・美濃太田車両区)所属だった592は、国鉄名古屋鉄道管理局(当時)の12系欧風客車「ユーロライナー」の運用開始にあたり、塗色を「ユーロライナー」色に変更し高山本線紀勢本線参宮線などで同客車を牽引し、岡山鉄道管理局(当時)所属の「ゆうゆうサロン岡山」も牽引したものの、塗色変更から1年半後の1987年2月に廃車された。全重連形の791も「ユーロライナー色」に塗装されていたが、こちらも2007年5月に廃車となっている。

半重連形は、北海道の釧路機関区配置車の一部に1981年ごろより余剰休車となる車両が現れ、その他の車両も1986年11月のダイヤ改正で全車運用を離脱し、1987年までに廃車された。

全重連形 (593 - 799・1001 - 1193)[編集]

DD51 500番台
1993年
山陽本線 岡山駅寝台特急出雲1号
DD51 500番台 全重連タイプ
2000年11月16日
男鹿線 男鹿駅 - 船川港
DD51 500番台
2003年10月10日
石北本線 生田原駅 - 金華駅

593 - 799号機、1001 - 1193号機が該当する。

釣り合い引き通し管を元空気だめ管の外側に両渡りで装備しており、重連運転時に本務機の単独ブレーキ弁(単弁)の操作が次位の補機まで作動するように改良された区分である。一部の半重連形で釣り合い引き通し管を新設し、全重連形に改造されたものも存在した。

1001以降は、500番台が799まで達したため貨物用800番台との重複を避け1001へ飛び番となったグループである。JRに継承されたものはこのグループが多い。このグループからナンバープレートが切り文字式からブロック式に変更された。1010以降は運転室内前後の天井に扇風機が設置されたため、運転室屋根に突起が2か所ある。また1052以降はラジエーターカバーが2分割タイプに変更された。

北海道地区に配置された500番台は半重連形と全重連形とを区別するため、区名札の隣に「半」「重」の識別札を挿入していた。2011年現在では北海道旅客鉄道(JR北海道)函館運輸所所属の重連形に「函」「重」の札が残るのみだが、国鉄時代は「築」「重」(小樽築港機関区)、「五」「重」(五稜郭機関区)、「釧」「半」(釧路機関区、半重連形)、「釧」「重」、「旭」「非」(旭川機関区、非重連形)などの組み合わせが存在した。

北海道内で使用された本区分のうち、1972年に前照灯をボンネット前端上に増設し、3灯化された車両が存在する。冬季降雪時の視界確保のためで、五稜郭機関区などに配置された5両 (710・716・741・742・745) に施工された。745は1986年に本州へ転属後も補助灯を存置し、東日本旅客鉄道(JR東日本)長岡車両センターに配置され2002年まで磐越西線などで使用された。また入換作業時の誘導係への連絡用として、スピーカーを装備した車両も北海道地区では多く見られた。

800番台 (801 - 899・1801 - 1805)[編集]

製造時期:1968年 - 1978年

貨物列車の運用を主体とするため、SGを搭載せずに登場したグループである。SG関連機器やボイラ・タンクなどを省略し、運転室中央にあったSG機器室がなくなった[注 4]。運転整備重量は約6t軽くなり、各軸の荷重負担割合が変化したことから中間台車の枕バネを変更し、滑走防止のためブレーキシリンダを縮小したTR106Aとなった。その他は基本的には同時期に製造された500番台の完全重連タイプの仕様に準じており、ナンバープレートやラジエーターカバーも時期を同じくして変更された。また855以降は運転室内に扇風機が設置されたが、500番台と異なり運転室屋根の中央に大きな突起が1か所あるのみである。北海道地区へは一時的に投入されたのみで、A寒地仕様車は存在しない。

当初の計画では貨物列車用の新形式「DD52形」を予定していたが、新形式の投入に際しては労働組合との間で難しい折衝を行う必要があったために、既存形式DD51形の仕様を変更する方針を採ったとされる[要出典][注 5][1]

JR東日本高崎車両センターに所属する842は非電化区間のお召し列車牽引機として用いられ、台枠側面の飾り帯やデッキ手すり・煙突カバーにステンレスが用いられている。なお、842はお召し列車運用の他、同センター配置の他機とともに管内のイベント列車などに使用されている。

1801以降は、800番台が899まで達したため1801へ飛び番となったグループである。成田線および総武本線での成田空港向けジェット燃料輸送のために製造されたが、将来の客車列車牽引への転用も考慮してSG搭載の準備工事[注 6]がされた。


気候条件に対する仕様区分[編集]

DD51形はほぼ日本全国に配置されたため、配置された気候条件によって以下の仕様がある。

一般型
気候が温暖な地域に配置された標準的な仕様である。スノープラウが装備されないものが多く、関東以西に配置されたものに見られる。
A寒地仕様
気候が極めて寒冷な地域に配置された仕様である。おもな追加装備は耐雪ブレーキ・スノープラウ・旋回窓・ホース類の凍結防止用加熱装置・つらら切り兼前面窓プロテクター(2011年現在は東新潟機関区のみ)である。北海道・東北地区に配置されたものと中部地区に配置されたものの一部に見られる[注 7]
B寒地仕様
A寒地仕様程気候が寒冷ではない地域に配置された仕様である。おもな追加装備はA寒地仕様に準じるが、耐雪ブレーキ・旋回窓・つらら切り兼前面窓プロテクターは装備していない。山陰を中心とした中国地区に配置されたものに見られる[注 8]

現状[編集]

運用[編集]

「トワイライトエクスプレス」を重連で牽引するDD51形(2006年11月4日 / 札幌駅)
九州地区のDD51形 ナンバープレートが車体と同じ朱色である。
2003年11月1日
平成筑豊鉄道伊田線 市場駅 - ふれあい生力駅

1987年国鉄分割民営化に際しては、北海道旅客鉄道(JR北海道)25両、東日本旅客鉄道(JR東日本)29両、東海旅客鉄道(JR東海)4両、西日本旅客鉄道(JR西日本)63両、九州旅客鉄道(JR九州)1両、日本貨物鉄道(JR貨物)137両の計259両がJR各社に継承された。すべて重連形の500番台および800番台である。

2000年までは東京都内、2011年までは大阪府内でも定期運用があったものの、近年は運転列車の設定の消滅やJR貨物に限られるがDF200型などの新型機関車への置き換え、老朽化などにより本形式は徐々に淘汰されつつある。九州地区では2005年1月をもって定期運用が消滅しており、JR東海およびJR九州ではすでに全廃され、北海道でのJR貨物の所属機は2014年3月15日ダイヤ改正で定期運用が消滅する[要出典]。JR北海道では2015年度に5機が廃車され(1137号機が2015年11月30日付、1093・1095・1102・1141号機が2016年3月31日付)[2][3]うち2機が海外譲渡された[要出典]。さらに2016年4月30日付で5機が廃車され[4]、8機が海外譲渡予定を前提としての甲種輸送が行われている[5]。2017年4月1日現在(JR貨物のみ2016年3月1日)の在籍車は、JR東日本4両、JR西日本8両、JR貨物17両[要出典]の計29両である[6]

2017年4月1日現在(JR貨物のみ2016年3月1日)の配置車両は以下のとおり。

JR東日本[6]
定期運用はなく、JR東日本管内で運転される臨時列車や工事列車の牽引に使用されている。このうち3両(842,888,895)はお召し列車牽引の対応工事を施している。
JR西日本[6]
定期運用はなく、JR西日本管内で運転される臨時列車や工事列車の牽引に使用されている。
2006年までは寝台特急「出雲」を牽引していたが同列車の廃止後は定期運用が消滅。現在は2両(1179, 1186)が残るのみとなり、いずれも臨時列車やお召し列車、工事列車の牽引および構内入換用として使用されている。2015年7月25日から2016年3月22日の間は団体列車『特別な「トワイライトエクスプレス」』山陰ルートの牽引機として使用された[7]
臨時列車の牽引のほか、「SLやまぐち号」の補機や非常時牽引機としても使用されている。現在所属している1043号機は2011年9月に宮原総合車両所から転属した車両であり、それと入れ替わる形でかつて配置されていた844号機は廃車された。なお、1043号機はかつて亀山機関区所属時代に、側面の白帯が配置されていない唯一の特徴を有していたことで有名な機関車(現在は側面にも白帯を配した標準塗装になっている)。
JR貨物[8]
  • 愛知機関区:17両 (825・853・856・857・875・889-892・1028・1146・1147・1156・1801-1805)
東海道本線関西本線で運用されている。
JR所属機の中で唯一、定期運用を保持している。

2016年4月30日まではJR北海道にも配置されていた。

以下の定期運用を有していたが、2016年3月26日のダイヤ改正での定期運行および一般販売分の運行終了により、客車牽引の運用も存在していない[9]
はまなす[注 9]
カシオペア」(重連運転)※臨時列車
その他寝台特急運用の間合いとして札幌運転所・函館運転所 - 苗穂工場間の電車・気動車回送及び構内入換にも使用された
全車が通称『北斗星』色となっている。
いずれも区間は札幌駅 - 函館駅間(室蘭本線経由)であるが、「トワイライトエクスプレス」は函館駅に乗り入れない[注 10]ため五稜郭駅で付け替えを行っていた。
2015年8月22日に臨時列車としても北斗星が運行終了により、余剰となった機関車がミャンマーへの譲渡を前提とした室蘭港への輸送がなされた[10]。2016年4月30日付で最後まで車籍を残していた5両(1100,1138,1140,1143,1148)が廃車された[4]。また、2016年7月3日-4日の2日間に掛けて、8両がJR貨物のDF200-63牽引により旧陣屋町臨港駅へ甲種輸送され[11]、今後輸送された8両については2016年末にミャンマーに譲渡予定となっている[5]
なお、20系・14系24系客車編成による寝台特急列車(ブルートレイン)牽引は、1965年春の「はくつる盛岡駅以北の前補機仕業を皮切りに40余年間継続しており、1形式では最長期間記録を保持している。

更新工事[編集]

現役の車両も最終増備機の製造から30年以上が経過し、特に北海道地区のものは厳しい気候条件と過酷な長距離の運用により、著しく老朽化が進んでいるため置き換えとしてDF200形が投入されていたが、全面的に置き換えるまでには時間を要したうえ、DF200形は軸重制限で石北本線根室本線釧路貨物駅以東への入線ができないとされていた。また、北海道地区以外のものは老朽化こそ進んでいるものの置き換えるには及ばず(民営化以降は貨物輸送のコンテナ化などによって貨物列車そのものの削減が進んでいるため、大金をかけて機関車を新造しても数年で余剰になることが予想される)、かつ代替する適当な機関車もない。よって、延命のため、まず北海道のものから1994年以降本格的な更新工事が実施されるようになった。

A更新工事
エンジンは換装されず老朽部品や配管の新品への交換を中心としたもので、2002年以降北海道地区と本州で実施されている。青(青15号)を基調に前面点検扉をクリーム色(クリーム1号)、屋根を従来と異なるねずみ色(N4号)とした塗装になっているが、2004年に広島車両所で実施された愛知機関区の892以降、赤を基調の塗装デザインに変更された。
B更新工事
JR貨物北海道支社に配置されているものに見られ、エンジンがコマツ製SA12V170-1 (1,500PS/2000rpm)[注 11] に換装され、赤色とねずみ色のDF200形に準じた塗装になっている。

派生形式[編集]

本形式は本線用機関車として大量に製作され、汎用性の高さから基本設計を踏襲した派生形式も多数製作された。詳細は各形式のリンク先を参照されたい。

新製車[編集]

DD20形
支線用・入換用車で、1963年から2両 (1 - 2) が製作された。
DD21形
ラッセル式除雪車で、1963年に1両が製作された。
DD53形
ロータリー式除雪車で、1965年から3両 (1 - 3) が製作された。
911形
新幹線電車の故障時救援および軌道検測車牽引用として開発された標準軌用の機関車で、1964年に3両 (1 - 3) が製作された。
時速160km/hで走行ができた。

改造車[編集]

DD17形→DD19形
ロータリー式除雪車で、1983年に1両 (1) が改造された。1992年の山形新幹線開業に併せて標準軌への改軌がなされ、DD19形に形式を変更した。
  • DD51 507→DD17 1→DD19 1
DD18形
山形新幹線・秋田新幹線用のラッセル式除雪車で、1991年 - 1996年に3両 (1 - 3) が改造された。DE15形複線用ラッセルヘッドを転用し、機関車本体とともに標準軌へ改軌した。
  • DD51 796・742・783→DD18 1 - 3

保存車[編集]

日本国外への譲渡車[編集]

ミャンマーへ輸出されるDD51。

廃車となったDD51形のうち、数両が日本国外に譲渡されている。

2004年にJR貨物からミャンマー国鉄に譲渡されている。改軌[注 12]車両限界の関係から運転台の高さが縮小されている。
以下の車両はミャンマーで運用を開始している車両である。
  • DD51 823
  • DD51 797
2016年にJR北海道からミャンマー国鉄に元北斗星牽引車のDD51形が譲渡される予定。現在、陣屋町駅にて留置されている。
JR西日本で廃車後ベトナムに譲渡される予定が流れ、その後秋田新幹線改軌工事で使用された保守用車両「ビックワンダー」と共にタイ中南部で路線重軌条化工事に使用された。タイでの工事の後、マレーシアでも重軌条化工事が行なわれることから一部が移動している。
  • DD51 1101
  • DD51 1106
  • DD51 1032
  • DD51 1132

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ DF50や車両メーカー系の試作大型ディーゼル機関車が軒並み箱形車体を採用していた1960年代初頭、あえて新型機関車での凸型車体採用を指示したのは、当時の国鉄臨時車両設計事務所次長の近藤恭三であった。
  2. ^ バンク角60°ボア180mm×ストローク200mm、排気量61.1L。
  3. ^ 充電発電機と空気圧縮機を駆動させ、機関潤滑油・変速機油・機関と中間冷却器の冷却水をポンプで駆動して循環させ、油を潤滑または冷却し冷却水を冷却する。
  4. ^ このため、EF58形(新)電気機関車と同じ理由で運転室内が「相撲がとれる」といわれるほど広くなっている。
  5. ^ 同様な事例に電気機関車EF64形1000番台やED76形500番台がある。
  6. ^ SG関連電気配線の設置程度で機器室は設置されていない。
  7. ^ 過去には山陰地区に配置されたものにも見られた。
  8. ^ 過去には中央西線磐越東線にも配置されていた。
  9. ^ 編成両数及び運用時間帯としては単機運用で十分であるものの、重連運転が行われる場合は基本的に工場出入に伴う回送を兼ねている例が多い。
  10. ^ 大幅にダイヤが乱れた場合、乗り入れることがあった。
  11. ^ ただし、実際には1,100PS/1500rpmに落として使用されている。
  12. ^ 1,067mm→1,000mm。車軸を削り車輪を再溶接する方法で行なっている。ミャンマー国鉄の走行速度が低いことから支障なく使用されているが、日本では安全上認められていない。

出典[編集]

  1. ^ 石井幸孝他9名『幻の国鉄車両』p109。
  2. ^ 鉄道ファン編集部、2016、「JR旅客会社の車両配置表」、『鉄道ファン』56巻(通巻663号(2016年7月号))、交友社 p. 37(平成27年度分・北海道旅客鉄道の廃車、別冊付録)
  3. ^ 鉄道ファン編集部、2016、「北海道旅客鉄道(本誌2016年7月号特別付録 補遺)」、『鉄道ファン』56巻(通巻665号(2016年9月号))、交友社 p. 208(JR旅客会社の車両配置表・データバンク2016、補遺)
  4. ^ a b 鉄道ファン編集部、2017、「JR旅客会社の車両配置表」、『鉄道ファン』57巻(通巻675号(2017年7月号))、交友社 p. 33(北海道旅客鉄道の廃車、別冊付録)
  5. ^ a b “青のDD51形8重連で室蘭に”. 北海道新聞(どうしんウェブ) (北海道新聞社). (2016年7月5日). http://dd.hokkaido-np.co.jp/cont/video/?c=tetsudou&v=952431648002 2016年7月6日閲覧。 
  6. ^ a b c 鉄道ファン編集部、2017、「JR旅客会社の車両配置表」、『鉄道ファン』57巻(通巻675号(2017年7月号))、交友社 p. 4,21(旅客鉄道分のみ)
  7. ^ 「特別なトワイライトエクスプレス」山陰ルートの運転開始”. railf.jp(鉄道ニュース). 交友社 (2015年7月27日). 2015年11月21日閲覧。
  8. ^ 『JR貨物時刻表』2016年 機関車配置表(2016年3月1日現在) - 鉄道貨物協会。[要ページ番号]
  9. ^ “北海道新幹線 新青森〜新函館北斗間開業に伴う運行計画の概要について” (PDF) (プレスリリース), 北海道旅客鉄道, (2015年9月16日), オリジナル2015年9月16日時点によるアーカイブ。, http://web.archive.org/web/20150916100107/http://www.jrhokkaido.co.jp/press/2015/150916-3.pdf 2016年7月5日閲覧。 
  10. ^ “「北斗星」機関車 客車と再会 ミャンマー輸出で室蘭港に”. 北海道新聞]](どうしんウェブ) (北海道新聞社). (2015年11月18日). http://dd.hokkaido-np.co.jp/cont/video/?c=tetsudou&v=908663172002 2015年11月21日閲覧。 
  11. ^ DD51形8両が陣屋町へ”. railf.jp(鉄道ニュース). 交友社 (2016年7月4日). 2016年7月5日閲覧。
  12. ^ 梅小路蒸気機関車館で特別展示『蒸気機関車の頭出し』開催 - 交友社『鉄道ファン』railf.jp 2015年1月7日付

参考文献[編集]