神岡鉄道KM-100形気動車

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神岡鉄道KM-100形気動車
神岡鉄道KM-150形気動車
KM-101(おくひだ1号)
KM-101(おくひだ1号)
基本情報
製造所 新潟鐵工所
主要諸元
軌間 1067 mm
最高速度 95 km/h
車両定員 110人(座席58人)(KM-101)
105人(座席53人)(KM-151)
自重 28.5t (KM-101)
29.5t (KM-151)
最大寸法
(長・幅・高)
18,500mm×2,960mm×3,907mm
台車 DT22A(動力)
TR51A(付随)
機関出力 250PS/1900rpm
制動装置 自動空気ブレーキ装置DA1A
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KM-151(おくひだ2号)

神岡鉄道KM-100形気動車(かみおかてつどうKM-100がたきどうしゃ)は、神岡鉄道が1984年(昭和59年)の開業にあわせて導入した鉄道車両気動車)である。

本記事では、ほぼ同形のKM-150形気動車についても記述する。

概要[編集]

神岡線が1984年10月1日に第三セクターの神岡鉄道に転換されるのを前に、新潟鐵工所によりKM-100形1両(KM-101)とKM-150形1両(KM-151)が製造された。車体、エンジンなどは新製しているが、一部の機器類は国鉄キハ20形気動車より流用している。

KM-101は一般用、KM-151はイベント兼用となっているが、基本構造は両形式とも同一である。

形式のKMはKamioka Myrailの略で、沿線住民への親しみを込めたものである。KM-101には「おくひだ1号」、KM-151には「おくひだ2号」の愛称が一般公募により付けられた。

いずれもワンマン運転に対応した構造である。

構造[編集]

車体[編集]

車体は長さ18m級で両端に引き戸を設置し、扉間に上段固定下段上昇式のユニット窓を6枚設けている。KM-151の便所側側面では便所寄りの窓1枚は横幅が狭く、便所部分には細長い小窓を設けている。

前面は非貫通形の3枚窓で、中央の窓の幅が両端に比べ広くなっている。前面下部両裾に前照灯と尾灯を設置している。乗務員室扉は設けず、客室から運転室に出入りするようになっている。車体塗色はクリーム色地に赤色と青色の帯の塗装で、山岳地帯をイメージしたものである。

車内[編集]

KM-151車内 いろりを模したコの字型シートがあった

室内は向かい合わせの固定クロスシートがシートピッチ1520ミリで配置され、車端部には囲炉裏を模したスペースが設けられている。この囲炉裏コーナーは、イベント時にはテーブルをセットできる構造となっている。ワンマン運転に対応するため運転室脇に運賃箱運賃表示器、整理券発行機を備える。KM-151は車内にビデオモニター、カラオケ装置、便所を備えている。KM-101には便所はない。

暖房装置として温水温風ファン方式の暖房装置を備えているが、冷房装置は設置されていない。その代わりに扇風機が備え付けられている。

運転台は車両前部中央に設けている。

台車・機器[編集]

機関は出力250PS/1900rpmの新潟鐵工所製6L13AS(国鉄形式DMF13S)で、国鉄キハ37形気動車と同一である。台車(DT22A・TR51A)および連結器・ブレーキ・マスコンは国鉄キハ20形キハ20 348・350の廃車に伴って発生した部品を流用している。車両の火災対策としてA-A基準が適用されており、エンジンの異常加熱が発生した際にはエンジンを自動停止する機構を設けている。

前面にはスノープラウを装備している。

運用[編集]

神岡鉄道が第3セクター鉄道として開業した1984年(昭和59年)10月1日から、2006年(平成18年)12月1日の廃止まで神岡線で使用された。通常は、どちらかの1両にて運行されていたが、多客期及び廃線間際には両方の2両にて運行された。2006年12月1日の廃止に向け、同年11月3日から廃止を告げる特製のヘッドマークを先頭車の前面に装着していた。

神岡鉄道廃止後[編集]

エンブレム等が取り外され旧神岡鉱山前駅構内の車庫にて2両とも保存された。これは地元自治体である飛騨市が構想していた観光鉄道化に備えたものであったが、市長の交代等に伴って構想は撤回され、車庫内での留置が続いた。2010年6月の廃線ウォーキングの際にはKM-151がKMDD13形とともに公開された。

2016年12月、飛騨市は補正予算に、廃線跡を活用した「ロスト・ライン・パーク」構想のための費用を盛り込み、その一環として保存中の本形式1両(KM-101)を旧奥飛騨温泉口駅に移設する予定であると発表した[1]。2017年4月8日の移設の際には廃止以来約10年ぶりに自力走行を実施することが告知され[2]、実際に走行した[3]。奥飛騨温泉口駅で展示され、冬に入る頃には再び自力走行により旧神岡鉱山前駅の車庫に戻る[4]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 交友社鉄道ファン
    • 1986年9月号(通巻305号)宮田雄作 第3セクター乗ったり見たり印象記
    • 1988年10月号(通巻330号)特集 第3セクター鉄道のDC
  • 鉄道ジャーナル社鉄道ジャーナル
    • 1984年11月号(通巻213号)第三セクター鉄道ディーゼルカーのニューフェイス