鍛冶屋線
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概要 | |
現況 | 廃止 |
起終点 |
起点:野村駅(現在の西脇市駅) 終点:鍛冶屋駅 |
駅数 | 7駅 |
運営 | |
開業 | 1913年8月10日 |
廃止 | 1990年4月1日 |
所有者 |
播州鉄道→播丹鉄道→ 鉄道省→運輸通信省→運輸省→日本国有鉄道→ 西日本旅客鉄道 |
路線諸元 | |
路線総延長 | 13.2 km (8.2 mi) |
軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) |
電化 | 全線非電化 |
停車場・施設・接続路線(廃止当時) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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鍛冶屋線(かじやせん)は、兵庫県西脇市の野村駅(現在の西脇市駅)から兵庫県多可郡中町(現在の多可町中区)の鍛冶屋駅までを結んでいた西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(地方交通線)。
概要[編集]
西脇市の中心部を通っており、野村駅 - 西脇駅間に限れば比較的利用者が多く、加古川線から分岐していた4路線(鍛冶屋線・三木線・北条線・高砂線)の中では最も輸送密度が高かった。そのため特定地方交通線第1次廃止対象線区からは除外された。しかし第3次廃止対象線区の選定では除外基準が引き上げられたため、特定地方交通線として承認され、1990年(平成2年)4月1日に廃止となりバス路線へ転換された[1]。
なお、廃止後の線路跡地は自転車道として整備されたり既存の道の拡幅やバイパス道路の整備に使われたり、市原駅跡や鍛冶屋駅跡が鉄道記念資料館として整備されるなど、有効的な活用が図られている。
路線データ[編集]
運行形態[編集]
前述の理由から、ほぼ全列車とも加古川線と直通して加古川駅 - 西脇駅間、もしくは加古川駅 - 鍛冶屋駅間で運転され、加古川線の加古川駅 - 野村駅間との一体運行が主体となっていた。そのため、加古川線の野村駅 - 谷川駅間は支線的な運行体系となっていた。また、西脇駅から加古川線の野村駅 - 谷川駅間に直通する列車も設定されていた。
廃止直前時点で、加古川駅 - 鍛冶屋駅間の列車がほぼ1-2時間ごとに運転され、その間に加古川駅 - 西脇駅間の列車が1 - 2本運転されていた。全線の所要時間は約23分。
歴史[編集]


明治20年代後半から、繰り返しこの地域では鉄道建設の構想があったが、実現していなかった。1910年(明治43年)11月になり、加東郡河合村(現在の小野市)の斯波与七郎が中心となって出願した軽便鉄道の計画が認可を受けて、1911年(明治44年)5月播州鉄道株式会社が設立された。
播州鉄道は順次現在の加古川線にあたる路線の建設を進め、1913年(大正2年)に西脇駅まで開業した。その後の建設工事は遅れていたが、当時の播州鉄道の大株主で、地域の大地主でもあった藤井滋吉が私財を投げ打って建設工事を進めさせた。このため、西脇駅 - 市原駅間の約3.2kmだけがその先の区間より2年先に開業している。これを目にしたほかの地区の住民も慌てて土地の提供や資金の拠出に乗り出し、残りの鍛冶屋までの線路も1923年(大正12年)5月6日に開業を迎えることになった。
この先路線は多可郡加美町(現在の多可町加美区)まで延伸される計画であったが、第一次大戦後の不況で経営が悪化し、延伸計画は断念された。播州鉄道の路線は播丹鉄道に承継され、福知山線に接続する野村駅 - 谷川駅間も同社の手によって開業された。この区間の開業により、鍛冶屋線の区間は加古川線の支線となった。
鍛冶屋では金比羅大祭という祭りが毎年開催されており、この祭りの時期に合わせて臨時列車が増発され、最盛期の1938年(昭和13年)には30分おきに列車が運行されていた記録があるという。貨物輸送も、それまで馬車で運ばれていた原糸が鉄道輸送に切り替えられ、鍛冶屋の地場産業である播州織を支えていた。また加美町から出荷される杉、檜も昭和10年代には年間4万トンほどが鍛冶屋駅から発送されていた。酒造り用の米である山田錦の発送も行われ、中村町駅や鍛冶屋駅にはそのための引き込み線も用意されていた。
第二次大戦中に戦時買収され、野村駅 - 鍛冶屋駅間が国鉄鍛冶屋線となった。
昭和40年代頃からモータリゼーションの進展と、地場産業の変化に伴い旅客・貨物輸送量共に落ち込み始めた。昭和52年度 - 54年度の輸送密度は2039人/日だったのが56年度1600人/日、59年度1400人/日と落ち込み、営業係数は1026となっていた。
沿線では、存続運動の拠点としてミニ独立国「カナソ・ハイニノ国」の建設が1984年(昭和59年)11月に宣言された。国名は鍛冶屋側から駅名の頭文字を順に並べたものである。様々な利用促進イベントを実施して注目を集めたが、廃線を止めることはできなかった[2]。
1986年(昭和61年)に特定地方交通線第3次廃止対象線区として申請され翌年承認。1987年(昭和62年)4月にJR西日本に承継された。同年6月、専門委員会が設置されて第三セクターへの転換、バス転換、野村駅 - 西脇駅間のみの存続[3]などが検討された。当初は第三セクター化が有力視されていたが、先に第三セクター化された北条鉄道・三木鉄道がいずれも転換当初から経営難に直面したため兵庫県が支援に難色を示し、その結果1988年(昭和63年)12月に全線廃止・バス転換に決定され、1990年(平成2年)4月に廃止された。同日に廃止・転換された宮津線・大社線と共に特定地方交通線では最後までJR運営で残った路線であり、各線の廃止・転換をもって特定地方交通線全線の転換が終了した[1]。
年表[編集]
- 1913年(大正2年)
- 1914年(大正3年)9月25日:野村駅 - 西脇駅間で改マイルが実施され、0.1M(≒0.16km)短縮。
- 1916年(大正5年)8月17日 野村駅 - 西脇駅間で改マイルが実施され、0.1M延長。
- 1921年(大正10年)5月9日 西脇駅 - 市原駅間(2.0M≒3.22km)が延伸開業。市原駅が開業。
- 1923年(大正12年)
- 1924年(大正13年)12月27日:野村駅 - 谷川駅間の延伸開業に伴い、野村駅 - 鍛冶屋駅間は支線となる。
- 1930年(昭和5年)4月1日:営業距離の表記がマイルからメートルに変更(8.1M→13.1km)。
- 1943年(昭和18年)6月1日:播丹鉄道が国有化され、野村駅 - 鍛冶屋駅間が鍛冶屋線となる[4]。播鉄中村駅が中村町駅に改称。羽安停留場が駅に変更。全線キロ修正で0.1km延長。
- 1958年(昭和33年)11月1日:加古川線管理所が設置される[5]。
- 1961年(昭和36年)
- 1970年(昭和45年)4月1日:加古川線管理所が廃止される[5]。
- 1974年(昭和49年)10月1日:貨物営業が廃止。
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)12月:全線廃止・バス転換が専門委員会によって決定。
- 1990年(平成2年)4月1日:野村駅 - 鍛冶屋駅間の全線が廃止[1]。野村駅が西脇市駅に改称[6]。
駅一覧[編集]
- 駅名・所在地は廃止直前時点のもの。全駅兵庫県に所在。中町は2005年に多可町となった。野村駅は鍛冶屋線が廃止された1990年4月1日に西脇市駅と改称した。
- 線路(全線単線) … ◇:列車交換可能、|:列車交換不可
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 | 線路 | 所在地 |
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野村駅 | - | 0.0 | 西日本旅客鉄道:加古川線 | ◇ | 西脇市 |
西脇駅 | 1.6 | 1.6 | ◇ | ||
市原駅 | 3.1 | 4.7 | | | ||
羽安駅 | 2.3 | 7.0 | | | ||
曽我井駅 | 1.8 | 8.8 | | | 多可郡中町 | |
中村町駅 | 2.1 | 10.9 | | | ||
鍛冶屋駅 | 2.3 | 13.2 | | |
代替バス[編集]
ウイング神姫(旧神姫グリーンバス)の西脇 - 鍛冶屋 - 加美区方面の路線が代替バス路線として位置づけられているが、この路線は西脇市中心部を迂回するため、鍛冶屋線の廃線跡を忠実にトレースしているわけではない。
またこのほか、多可町コミュニティバスのぎくバスのうち直行路線が鍛冶屋線廃線跡に近いルートを運行する(全便土休日運休)。
その他[編集]
当線全体の一日における最終列車は下り鍛冶屋行きであり、終着後は滞泊せず西脇駅へ回送されていたが、営業最終日の当該上り回送列車は、名残を惜しむ旅客に便宜が図られ、回送列車の終着である西脇駅までの便乗が認められた。
脚注[編集]
- ^ a b c 「最後の赤字3線廃止 宮津線・鍛治屋線・大社線」『朝日新聞』朝日新聞社、1990年4月1日、大阪朝刊、30面。
- ^ 想像力の「種」をまけ JR加古川線 朝日新聞、2009年3月21日
- ^ 野村駅 - 西脇駅間に限っては廃止除外基準を上回る乗降があった。
- ^ 「鉄道省告示第120号」『官報』1943年5月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ a b 村上心『日本国有鉄道の車掌と車掌区』成山堂書店 2008年 ISBN 978-4-425-30341-0 p.185 - p.186
- ^ 「JR年表」『JR気動車客車編成表 90年版』ジェー・アール・アール、1990年8月1日、174頁。ISBN 4-88283-111-2。
参考文献[編集]
- 神戸新聞総合出版センター『ひょうご懐かしの鉄道 廃線ノスタルジー』2005年、pp. 114-121頁。ISBN 4-343-00322-1。