三木鉄道三木線
| 三木線 | |||
|---|---|---|---|
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| 基本情報 | |||
| 現況 | 廃止 | ||
| 起点 | 厄神駅 | ||
| 終点 | 三木駅 | ||
| 駅数 | 9 | ||
| 開業 | 1916年11月22日 | ||
| 全通 | 1917年1月23日 | ||
| 三セク転換 | 1985年4月1日[1] | ||
| 廃止 | 2008年4月1日 | ||
| 所有者 | 三木鉄道 | ||
| 使用車両 | 三木鉄道#車両を参照 | ||
| 路線諸元 | |||
| 路線距離 | 6.6 km | ||
| 軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) | ||
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| 停車場・施設・接続路線 (廃止当時) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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三木線(みきせん)は、かつて兵庫県加古川市の厄神駅から兵庫県三木市の三木駅までを結んでいた、三木鉄道の鉄道路線である。2008年4月1日に廃止された。
概要
[編集]西日本旅客鉄道(JR西日本)加古川線厄神駅から分岐し、美嚢川左岸の田園地帯を走り、古くから金物の町である三木までを結んでいた。
元々の開業意図が貨物輸送であり、当時の物流ルートであった美嚢川の舟運を代替する目的で加古川・高砂へ向かって線路が敷かれたため、歴史的な人的交流ルートとズレがあり、1916年の開業当初から旅客輸送は僅少であった。
1937年に現在の神戸電鉄粟生線が開業すると京阪神方面への旅客流動はさらに減り、戦後の貨物輸送廃止後はジリ貧となっていた。このため1968年には赤字83線に選定され、また1981年に第一次特定地方交通線に指定され、1985年に三木鉄道へと転換された[1]。しかし、転換前は加古川への直通列車が主体であったが、転換後は加古川への直通列車もなくなったために一層乗客が減少するという厳しい状況が続いていた。
三木鉄道は長らく営業距離が第三セクター鉄道では最短であったが2002年開業の芝山鉄道にその座を譲った。
経営改善を狙い、北海道旅客鉄道(JR北海道)が開発中の線路と道路の両方を走れるデュアル・モード・ビークル (DMV) を導入して、三木線の終点三木駅から約800m離れている神戸電鉄三木駅の間を直通することも検討していたが、2006年に三木市の財政再建のため「三木鉄道の廃止」を公約に掲げ市長に当選した薮本吉秀が2007年3月1日の市議会で全線の廃止を正式決定し、早ければ2007年度中に廃線とする方針を表明した。4月26日には三木鉄道の取締役会でも廃線が決定された。
7月23日、市長が廃止届けを提出し、2008年4月1日に廃止する予定を表明した[2]。
この決定によって予定通り全線が廃止され、特定地方交通線から鉄道として存続した路線では7例目、うち第三セクター鉄道として存続した路線では5例目、さらにそのうち会社の名前も消滅する全線廃止のケースでは4例目となった。
- 廃線跡(宗佐駅)
路線データ
[編集]運行形態
[編集]線内折り返し列車のみ1時間あたり1 - 2本程度の運行で、ワンマン運転を実施していた。交換可能な途中駅はなく全線1閉塞であり、1本の列車が線内を行き来していた。国鉄時代は加古川線直通の加古川駅発着が多く、5時 - 22時の運行であった。
国鉄時代は、三木線に急勾配などがなかったため、加古川機関区などから派出されてきたC12形などの蒸気機関車が貨物列車などを牽引している写真や映像などが多く残っている。
利用状況
[編集]輸送実績
[編集]三木線の近年の輸送実績を下表に記す。
表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
| 年度別輸送実績 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | 輸送実績(乗車人員):万人/年度 | 輸送密度 人/1日 |
特記事項 | |||
| 通勤 定期 |
通学 定期 |
定期外 | 合計 | |||
| 1985年(昭和60年) | 16.1 | 5.5 | 17.1 | 38.7 | 822 | 国鉄から移管・開業。4駅新設。 |
| 1986年(昭和61年) | 12.3 | 4.8 | 15.6 | 32.7 | 631 | 宗佐駅、下石野駅、西這田駅、高木駅開業 |
| 1987年(昭和62年) | 8.3 | 3.4 | 13.7 | 25.4 | 514 | |
| 1988年(昭和63年) | 8.0 | 4.1 | 13.6 | 25.7 | 548 | |
| 1989年(平成元年) | 8.1 | 4.2 | 13.0 | 25.3 | 545 | |
| 1990年(平成2年) | 7.4 | 3.9 | 12.7 | 24.0 | 519 | |
| 1991年(平成3年) | 7.1 | 3.4 | 12.8 | 23.3 | 488 | |
| 1992年(平成4年) | 6.7 | 3.8 | 12.4 | 22.9 | 479 | |
| 1993年(平成5年) | 6.7 | 4.4 | 13.1 | 24.2 | 506 | |
| 1994年(平成6年) | 6.2 | 3.6 | 13.1 | 22.9 | 472 | |
| 1995年(平成7年) | 6.1 | 4.5 | 14.3 | 24.9 | 509 | |
| 1996年(平成8年) | 5.5 | 4.1 | 13.6 | 23.2 | 487 | |
| 1997年(平成9年) | 6.8 | 3.4 | 11.8 | 22.0 | 450 | |
| 1998年(平成10年) | 6.4 | 2.7 | 11.8 | 20.9 | 434 | |
| 1999年(平成11年) | 5.4 | 2.9 | 12.4 | 20.7 | 422 | |
| 2000年(平成12年) | 4.6 | 2.8 | 11.9 | 19.3 | 396 | |
| 2001年(平成13年) | 4.2 | 3.5 | 10.8 | 18.5 | 361 | |
| 2002年(平成14年) | 3.9 | 3.2 | 10.4 | 17.5 | 341 | |
| 2003年(平成15年) | 3.6 | 3.7 | 10.1 | 17.4 | 340 | |
| 2004年(平成16年) | 3.6 | 3.9 | 9.4 | 16.9 | 331 | |
| 2005年(平成17年) | 17.7 | |||||
| 2006年(平成18年) | 15.3 | |||||
| 2007年(平成19年) | ||||||
| 2008年(平成20年) | 廃止 | |||||
収入実績
[編集]三木線の近年の収入実績を下表に記す。
表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
| 年度別収入実績 | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 年度 | 旅客運賃収入:千円/年度 | 運輸雑収 千円/年度 |
総合計 千円/年度 | ||||
| 通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 手小荷物 | 合計 | |||
| 1985年(昭和60年) | 23,733 | ←←←← | 31,169 | 0 | 54,902 | 85 | 54,987 |
| 1986年(昭和61年) | 19,825 | ←←←← | 26,069 | 0 | 45,894 | 853 | 46,747 |
| 1987年(昭和62年) | 10,603 | 2,750 | 22,941 | 0 | 36,294 | 1,132 | 37,426 |
| 1988年(昭和63年) | 10,137 | 3,221 | 22,956 | 0 | 36,214 | 2,116 | 38,330 |
| 1989年(平成元年) | 10,896 | 3,744 | 23,769 | 0 | 38,409 | 1,581 | 39,990 |
| 1990年(平成2年) | 10,209 | 3,545 | 23,092 | 0 | 36,846 | 1,730 | 38,576 |
| 1991年(平成3年) | 9,858 | 2,981 | 23,237 | 0 | 36,076 | 2,609 | 38,685 |
| 1992年(平成4年) | 9,158 | 3,235 | 22,599 | 0 | 34,992 | 2,415 | 37,407 |
| 1993年(平成5年) | 9,088 | 3,830 | 23,620 | 0 | 36,538 | 3,086 | 39,624 |
| 1994年(平成6年) | 9,098 | 3,135 | 23,551 | 0 | 35,784 | 3,106 | 38,890 |
| 1995年(平成7年) | 8,589 | 3,924 | 25,892 | 0 | 38,405 | 3,592 | 41,997 |
| 1996年(平成8年) | 7,525 | 3,573 | 24,473 | 0 | 35,571 | 3,530 | 39,101 |
| 1997年(平成9年) | 9,699 | 2,974 | 24,028 | 0 | 36,701 | 3,066 | 39,767 |
| 1998年(平成10年) | 9,184 | 2,590 | 23,451 | 0 | 35,225 | 3,394 | 38,619 |
| 1999年(平成11年) | 7,826 | 2,784 | 24,202 | 0 | 34,812 | 4,125 | 38,937 |
| 2000年(平成12年) | 6,696 | 2,621 | 23,484 | 0 | 32,801 | 4,175 | 36,976 |
| 2001年(平成13年) | 6,048 | 3,040 | 21,517 | 0 | 30,605 | 4,118 | 34,723 |
| 2002年(平成14年) | 5,690 | 2,610 | 20,717 | 0 | 29,017 | 3,199 | 32,216 |
| 2003年(平成15年) | 5,314 | 2,925 | 20,183 | 0 | 28,422 | 3,167 | 31,589 |
| 2004年(平成16年) | 5,177 | 3,174 | 19,053 | 0 | 27,404 | 3,237 | 30,641 |
| 2005年(平成17年) | |||||||
| 2006年(平成18年) | |||||||
| 2007年(平成19年) | |||||||
| 2008年(平成20年) | |||||||
歴史
[編集]開業時
[編集]
1910年(明治43年)代前半より、播磨地域では播州鉄道が続々と鉄道路線を開業させていっていた。1913年(大正2年)4月1日には、加古川駅 - 国包駅(現・厄神駅)間が開業。同年8月10日に国包駅 - 西脇駅間が延伸開業するなど、路線網を拡大していった。その後支線として高砂線や北条線(現・北条鉄道北条線)を開業させていく中で1916年(大正5年)11月22日に厄神駅 - 別所駅間が開業し、翌年1917年(大正6年)1月23日には、別所駅 - 三木駅間が延伸開業し、三木線は全通した[3]。
その後、1923年(大正12年)12月21日に、播州鉄道は営業権をすべて播丹鉄道に譲渡した[3]。三木線の経営を播州鉄道より引き継いだ播丹鉄道は、三木駅より明石市大明石町までの免許を1926年(昭和2年)に取得していたものの、1937年(昭和12年)に失効している[4]。
この頃の播丹鉄道は沿線を走るバスとの競争が激しく、早くにガソリンカーの導入を開始し、頻繁運転を行なっていて、1937年(昭和12年)度のガソリンカーの走行距離は120万kmを突破し、当時の私鉄の中では一位となっていた。また、加古川へ向かう直通列車は各路線の分岐駅ごとに増結を行い、最大で4重連で走行する姿が見られたという[3]。
その後、1943年(昭和18年)4月1日に、戦時的理由により国に買収され、国有化されることとなった。理由としては、軍事的に重要な迂回路線であったことなどが挙げられている[3]。
沿線地域の人の流れは、戦前は播州の中心地である姫路であったものの、戦後は兵庫県の中心地である神戸へと変わっていった。その後、1937年(昭和12年)に三木電気鉄道(現・神戸電鉄)が三木東口駅(現・三木上の丸駅)、三木福有橋駅(現・三木駅)まで延伸開業したことにより、加古川駅で乗り換えなければいけない三木線の利用客数は低迷の一途を辿っていった。また、北条や社より神戸方面へ向かう直行バスがあったことなども利用客低迷の理由の一つであると見られている。貨物営業でなんとか凌いでいたものの、1974年(昭和49年)に貨物営業が廃止された[3]。
第三セクターへの転換
[編集]その頃日本では、日本国有鉄道の累積赤字が社会問題となっていた。そのため1980年(昭和55年)12月27日に、「国鉄再建法」が公布・施行される運びとなった。その際に輸送密度や営業距離より基に路線の振り分けが行われた。三木線の輸送密度は1384人キロ/日kmで、第一次廃線対象に指定された[3]。
国鉄最晩年の1984年(昭和59年)度の輸送人員は年間で55万人、輸送密度は1027人/kmで20 m級の気動車2両編成が1日に14往復走行していた。そのうちの12往復は加古川に直通運転を行なっていた[3]。
その後、三木線は北条線とともに第三セクター鉄道に転換され、それぞれ三木鉄道三木線と北条鉄道北条線となったが、営業距離が6.6 kmとかなり短い三木鉄道は、転換開業の際に支給される転換交付金(3000万円/km)が少なかった。しかしながら鉄道を運営していくにあたって最低限の鉄道車両と車両基地は必要であった。そこで三木鉄道は車両長12.5 mの2軸レールバスであるミキ180系気動車を1両編成2本を富士重工にて新造し、車両基地は三木駅構内に設置することとなった[3]。
三木鉄道は、他の国鉄特定地方交通線を転換した第三セクター鉄道では多く見られた転換開業時の新駅設置がなく、そのまま開業を迎える運びとなった。これは、初期投資を抑えるという目的もある。転換後は従来の14往復運転から19往復運転に大幅な増便を行い、全列車が厄神駅にて加古川方面への列車と接続する形態が取られた。しかし、直通列車は消滅し、運賃も三木鉄道・国鉄との合算で従来より高くなるという結果であった[3]。
開業初年度(1985年の輸送人員は年間で38.7万人(輸送密度は822人キロ/日km)となっており、転換開業前より大きく落ち込む結果となった。その翌年の1986年(昭和61年)度には32.7万人(輸送密度は631人キロ/日km)と、年々減少が続いていった。1986年4月1日には、宗佐駅、下石野駅、西這田駅、高木駅の4駅を新設開業させ、平均駅間距離を0.8 km(バスの停留所並み)にし、利用客数の増加を図ったものの、従来の利用客が分散したのみで、効果は今ひとつであった。また、三木市と加古川市では、高校の学校が異なることなどから、高校生の利用客数が少ないことなども不振の原因と見られている[3]。
国鉄より転換開業した場合は、5年間欠損金の半額が国から補助されるが、以降は会社が全額負担することとなり、開業6年目の1990年(平成2年)度は運輸収入が3900万円に対して、経費は6600万円と、2700万円の赤字を記録しており、以降も3000万円以上の赤字が続く状態となった。通常の会社であれば、債務超過で倒産するところだが、三木鉄道は経営安定基金の取り崩しにより、なんとか生き延びる結果となった[3]。
この状態を脱却しようと少しでも利用客数を増加させるために、1999年(平成11年)3月13日のダイヤ改正で三木駅の旧貨物線跡に2番線を増設することにより、三木方面への列車が到着するとすぐに厄神方面へ向かう列車が発車するという交互発着を行って朝夕ラッシュ時のみ30分間隔で運転できるようになり、従来の19往復から23往復へと増便を行った。この結果、1999年度の定期外旅客数は8000人ほど増加した。しかし、定期旅客数の減少には歯止めが効かず前年度より2000人を下回る結果となった。一方で、投資に対する利益が見込めなかったことによる経費は減価償却費の増大に繋がり、赤字額は5000万円を上回る結果となった[3]。
また、当時三木鉄道では2両のレールバス(ミキ180系)を保有しており、長らく日本一保有車両数の少ない旅客鉄道会社の一つであったものの、このままでは全般検査や重要部検査、車両故障時の予備車がないため、富士重工業製の18 m級の「LE-DC」ミキ300系を1両導入した。その後、従来のミキ180系の置き換え用としてさらに2両が増備され、三木鉄道よりレールバス車両が消滅した[3]。
廃止に向けて
[編集]三木鉄道の廃止がクローズアップされたのは、2006年(平成18年)1月8日 - 1月15日にかけて実施された三木市長選挙で[5]、この際に、「三木鉄道廃止」を公約に掲げた薮本吉秀が当選したことにある。選挙後の2月3日に開かれた三木市議会公共交通特別委員会にて市長は「三木鉄道のバス転換」を表明し、前市長が検討していた三木鉄道三木駅から神戸電鉄三木駅へ向かう「DMV(デュアル・モード・ビークル)」の導入については、「バスより導入コストが多くかかる」との見解を示していた。
また、当時実施された三木鉄道廃止の市民アンケートでは、廃止が70%だったのに対して、存続は11%のみであった。このことを受けて、2007年(平成19年)3月1日の市議会及び4月26日の三木鉄道取締役会で三木鉄道廃止が正式に決定された。2007年7月23日に、廃止日を2008年(平成20年)8月1日とする廃止届が提出された。しかし、関係自治体への意見聴取で反対意見がない場合は廃止予定日を繰り上げても良いため、廃止日は同年4月1日に繰り上げられた[2][3]。
廃止前後の動き
[編集]
三木鉄道が2007年7月より開始した休日限定の列車貸切事業が好調であり、車内でブッシュドノエルを作る列車や廃止を惜しむ鉄道ファンによるイベント列車などが運行された[7][8]。また、三木駅ではDVDや写真集に加えてせんべいやチョロQなどが販売されたりもしていた。
2008年3月1日より、全車両に「Thanks ありがとう三木鉄道 1916-2008」と描かれたヘッドマークの掲出が開始された。同年3月29日から3月31日までは、廃止を惜しむ鉄道ファンや沿線住民が大量に乗車することによる混雑が予想されたため、警備員70人体制で備えた[3]。
2008年3月31日は、営業最終日で平日にもかかわらず、始発列車より満員状態となった[9]。また、この日は三木駅前にて三木高校吹奏楽部が「いい日旅立ち」などを演奏するといった惜別イベントが開催された[9]。同日の22時52分に、ミキ300-104が充当された営業最終列車[10]が三木駅に約9分遅れで到着し、これを以って営業列車の運行を終了した[6]。23時5分には、乗客からの花束贈呈や鉄道部長からの挨拶があり[9]、24時を持って三木駅の扉が閉められた。
廃線後踏切などは部分撤去が行われ、線路内や三木駅などに立ち入ることはできず、線路だけが放置されている状態であったが、2009年(平成21年)3月より、軌道撤去工事が開始され、6月20日には軌道の8割の撤去作業が終了したほか[11]、宗佐駅・国包駅の撤去作業も終了した。
廃線跡の整備
[編集]三木市内の廃線跡地については、市が検討のための諮問機関である「三木鉄道跡地等利用検討委員会」が設置され、検討が行われた結果、街づくりなどの観点より重要な用地と位置付けられ、鉄道の歴史継承や観光復興・災害対策強化なども盛り込んだ計画が策定されることとなった[12]。計画では、「三木駅周辺エリア」「軌道敷エリア」と分けられ、前者は路線バスなどの重要な地域交通の拠点として、後者は踏切跡の交通障害除去のほか一部鉄道施設については保存・活用を図る内容となっていた。なお、後者のうち鉄道営業当時の景観を保存した遊歩道と整備するとしていた加古川市境付近の区間において、約80 mにわたるレール・枕木の盗難が2011年(平成23年)6月に明らかとなっている[13][14][15]。
三木市内の廃線跡は「別所ゆめ街道」として整備され、2018年(平成30年)5月13日に完成式典が行われた[16]。石野-西這田間の花尻川橋梁および国道175号の立体交差付近-三木鉄道記念公園間以外は遊歩道として歩行者の通行が可能になっている。石野駅・別所駅の両駅はホームと線路を生かした休憩施設となっており、老朽化した駅舎は解体されて跡地に駅舎風の休憩所が建てられている一方、三木鉄道時代に開業した4駅は完全に撤去され跡形もない。そのため、駅舎が残るのは三木駅のみとなっている[16]。
加古川市内の廃線跡は、国包駅 - 厄神駅間の一部区間で予算8600万円を掛けた自転車歩行者道整備工事[17]が2024年(令和6年)度より行われている。その他の区間は線路・駅施設・橋梁などの鉄道施設を撤去したのみで、放置状態である。また、厄神駅には線路とホームが2026年(令和8年)1月時点でも現存している。
年表
[編集]- 1916年(大正5年)11月22日:播州鉄道 厄神 - 別所間(3.3 M≒5.31 km)が開業。国包駅、石野停留場、別所駅開業。
- 1917年(大正6年)1月23日:別所 - 三木間(0.8 M≒1.29 km)が延伸開業し全通。三木駅開業。
- 1921年(大正10年)5月9日:石野停留場休止[18]。
- 1923年(大正12年)
- 1930年(昭和5年)
- 4月1日:営業距離をマイル表記からメートル表記に変更(4.1 M→6.7 km)。
- 12月20日:別所 - 三木間に高木神前停留場開業。
- 1943年(昭和18年)6月1日:播丹鉄道が国有化、三木線となる[19]。別所 - 三木間改キロ (+0.1 km)。石野停留場を駅に格上げ。高木神前停留場廃止。
- 1974年(昭和49年)10月1日:貨物営業廃止。
- 1981年(昭和56年)9月18日:特定地方交通線第1次廃止対象として廃止承認。
- 1984年(昭和59年)2月23日:第三セクター鉄道への転換を決定。
- 1985年(昭和60年)4月1日:三木鉄道に転換[1]。別所 - 三木間改キロ (-0.2 km)。
- 1986年(昭和61年)4月1日:宗佐駅、下石野駅、西這田駅、高木駅開業[20]。高木駅は旧・高木神前停留場と同一地点。
- 2006年(平成18年)3月18日:ダイヤ改正を実施、早朝の始発列車を30分繰り下げ。
- 2008年(平成20年)4月1日:全線廃止 (-6.6 km)。神姫バスが三木鉄道代替バスを運行開始。
駅一覧
[編集]| 駅名 | 営業キロ | 接続路線・備考 | 所在地 | |
|---|---|---|---|---|
| 駅間 | 累計 | |||
| 厄神駅 | - | 0.0 | 西日本旅客鉄道:加古川線 元交換可能駅[3] |
加古川市 |
| 国包駅 | 1.0 | 1.0 | ||
| 宗佐駅* | 0.5 | 1.5 | ||
| 下石野駅* | 0.5 | 2.0 | 三木市 | |
| 石野駅 | 0.6 | 2.6 | ||
| 西這田駅* | 1.7 | 4.3 | ||
| 別所駅 | 1.0 | 5.3 | ||
| 高木駅* | 0.7 | 6.0 | ||
| 三木駅 | 0.6 | 6.6 | ||
廃止代替バス
[編集]2008年4月1日より神戸電鉄恵比須駅(一部の便は三木鉄道三木駅)から厄神駅間で神姫バスにより代替バスが運行されている[21]。日中はすべての便が恵比須駅 - 厄神駅間の運行となっており、1 - 2時間に1本の運行である。
代替バスではICカードのNicoPaならびにICOCA・PiTaPaが使用可能となっている(厄神駅で接続する加古川線はサービスエリア外だったが、2016年3月26日よりPiTaPa・ICOCAは利用可能になった)ほか、神姫バス全線定期が使用できる[22]。
関連項目
[編集]脚注
[編集]- 1 2 3 「国鉄第一次地交線11線 装い新たに再スタート」『交通新聞』交通協力会、1985年4月2日、1面。
- 1 2 鉄道事業法では廃止予定日1年前までに届け出ることになっているため、2007年7月23日に提出された廃止届けも廃止予定日は2008年8月1日となっていたが、関係自治体などへの意見聴取で反対がなければ廃止予定日を繰り上げてもよいことになっており、三木鉄道でも廃止日が2008年4月1日に繰り上げられた。
- 「三木鉄道株式会社の鉄道事業(三木線)の廃止について」国土交通省近畿運輸局 2007年7月23日
- 「三木鉄道株式会社の鉄道事業の廃止予定日の繰上げについて」国土交通省近畿運輸局 2007年10月31日
- 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 寺田裕一『私鉄の廃線跡を歩く』 IV(中国・四国・九州編)、JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2008年8月29日、4-7,162頁。ISBN 9784533072451。全国書誌番号:21482393。[要ページ番号]
- ↑ 森口誠之『鉄道未成線を歩く』 私鉄編、JTB〈JTBキャンブックス〉、2001年9月、178頁。ISBN 4533039227。全国書誌番号:20207902。。
- ↑ “三木市長選挙 - 2006年01月15日投票 | 兵庫県三木市”. 選挙ドットコム. 2026年1月23日閲覧。
- 1 2 『神戸新聞』2008年4月1日・『毎日新聞』2008年4月1日・『朝日新聞』2008年4月1日
- ↑ 「長〜いロールケーキ作ろう! 三木鉄道、22日に催し」『神戸新聞』2007年12月8日
- ↑ 「列車「貸し切りプラン」人気 廃止前の三木鉄道」『神戸新聞』2007年12月17日
- 1 2 3 『神戸新聞』2008年4月1日
- ↑ 『神戸新聞』2008年4月1日、写真記事
- ↑ 「レールの撤去作業ほぼ完了 三木鉄道」『神戸新聞』2009年6月20日
- ↑ 三木鉄道跡地等利用検討協議会設置要綱 (PDF) [リンク切れ] - 三木市(2007年11月1日施行)
- ↑ 三木鉄道跡地等利用基本計画 (PDF) [リンク切れ] - 三木鉄道跡地等利用検討委員会(2008年10月付、2011年7月閲覧) ※軌道敷盗難事案の当該区間の詳細は p.26 など。
- ↑ 「80メートルの線路と枕木なくなった 旧三木鉄道」『神戸新聞』2011年6月23日。[リンク切れ]
- ↑ 「廃線レール80メートル盗まれる 旧三木鉄道、枕木110本も」『msn産経ニュース(産経新聞)』2011年6月23日。[リンク切れ]
- 1 2 「三木鉄道跡 遊歩道、交流施設で楽しく 三木市が4.8キロ整備 /兵庫」『毎日新聞』2018年5月17日[リンク切れ]
- ↑ 令和6年2月15日記者会見資料 (PDF) 加古川市
- ↑ 「地方鉄道運輸営業一部休止其他」『官報』第2643号、1921年5月14日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「鉄道省告示第120号」『官報』第4907号、1943年5月25日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「私鉄年表」『私鉄車両編成表 '87年版』ジェー・アール・アール、1987年9月1日、158頁。
- ↑ 「JR時刻表」2008年4月号、交通新聞社
- ↑ 三木鉄道廃止代替バスの運行を開始します (PDF, 234 KiB) [リンク切れ] - 神姫バスグループ(2008年4月1日付)
外部リンク
[編集]- 交通政策グループのページ[リンク切れ] - 三木市美しいまちづくり課
