日本国有鉄道経営再建促進特別措置法

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日本国有鉄道経営再建促進特別措置法
日本国政府国章(準)
日本の法令
通称・略称 国鉄再建法
法令番号 昭和55年法律第111号
種類 交通法
効力 廃止
成立 1980年11月28日
公布 1980年12月27日
施行 1980年12月27日
主な内容 日本国有鉄道の経営再建について
関連法令 日本国有鉄道法日本鉄道建設公団法鉄道敷設法JR会社法
条文リンク 衆議院
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日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(にほんこくゆうてつどうけいえいさいけんそくしんとくべつそちほう、昭和55年12月27日法律第111号)は、1980年に制定された日本国有鉄道の経営改善を促進するために執るべき特別措置を定めた日本の法律である[1]国鉄再建法(こくてつさいけんほう)と略される。1987年(昭和62年)4月1日廃止[注釈 1]

国鉄は1964年度(昭和39年度)に赤字決算に転落しており、1969年(昭和44年)以降には3次に渡って再建計画が建てられたが、すべて経営は好転せず引き続き一度も黒字計上することはなかった[2]。1980年度(昭和55年度)には約一兆円の赤字に達していた[3]。これを背景として本法が成立、さらなる経営改善が押し進めれられた[2]

この法律によりいわゆる赤字ローカル線の廃止がすすめられたが、その後の国鉄分割民営化は、1981年(昭和56年)に発足した第二次臨時行政調査会翌年7月末の答申によって行われたものであり、赤字線の廃線と民営化とは直接的には無関係である。

目的[編集]

(経営の再建の目標)
第二条  日本国有鉄道の経営の再建の目標は、この法律に定めるその経営の再建を促進するための措置により、昭和六十年度までにその経営の健全性を確保するための基盤を確立し、引き続き、速やかにその事業の収支の均衡の回復を図ることに置くものとする。

本法の制定により、昭和60年(1985年)度までに、日本国有鉄道の経営基盤を確立することとし、経営改善計画の策定とその実施状況の報告を運輸大臣に対して行うこととされた(第4条)。

経営改善計画[編集]

1980年制定[編集]

再建法公布当初、1980年(昭和55年)5月に運輸大臣の承認を得た経営改善計画は以下である[3]

  • 経営の重点化,減量化と能率の向上 - 鉄道輸送に適した都市旅客・大量貨物に重点を置いて経営し、地方交通については合理化を図る。職員は昭和60年までに35万人態勢とする。
  • 収入の確保 - 適切な運賃改定。また関連事業で約5000億円の収入確保。
  • 設備投資の抑制
  • 労使関係の改善等
  • 収支改善の目標 - 60年度までに幹線損益の収支均衡を達成する。

1984年改定[編集]

しかし当初計画より経営は一層厳しくなったため、1984年(昭和59年)5月には以下の経営改善計画に改定、運輸大臣に承認された[2]

経営改善計画(昭和59年5月 運輸大臣承認)[2]
変更前計画
(昭和55年)
変更後計画
(昭和60年)
事業量 旅客輸送量(億人キロ) 1,966 1,920 ▲ 46
貨物輸送量(億トンキロ) 401 248 ▲ 153
輸送量合計(億人トンキロ) 2,367 2,168 ▲ 199
輸送力:新幹線(千キロ/日) 178 230 52
輸送力:在来線(千キロ/日) 1,259 1,190 ▲ 69
輸送力:鉄道貨物(千キロ/日) 470 270 ▲ 200
職員数 予算人員(人) 424,000 320,000 ▲ 104,000
経営規模 営業キロ(キロ) 21,322 18,510 ▲ 2,812
旅客駅(駅) 5,185 5,000 ▲ 185
貨物駅(駅) 1,358 420 ▲ 938
ヤード数(箇所) 193 0 ▲ 193
機関車数(両) 4,061 2,400 ▲ 1,661
旅客車数(両) 29,219 26,000 ▲ 3,219
貨車数(両) 99,846 30,000 ▲ 69,846
経営指標 職員あたり輸送量(千人トンキロ) 564 678 114
一般人件費/営業収入比率(%) 74 55 ▲ 19

鉄道貨物輸送は昭和39年度をピークとしてその後大幅に落ち込み続けており(トンキロシェア6.4%)[2]、昭和58年度の貨物収入は前年度から14%減少(▲378億円)した[2]。1983年(昭和58年)には国鉄貨物局課長補佐が「貨物部門の赤字はすべてヤード系から発生し、貨物経営を悪化させているのはヤード系である」と報告している[4]。1984年(昭和59年)2月には非効率なヤード輸送方式を全廃し、直行貨物輸送への転換が進められた[2]。これにより多数の貨物駅が使命を終えた。

また昭和60年度においても新規採用停止を継続し、職員総数を32万人に抑制する目標が掲げられた[2]

地方交通線対策[編集]

幹線・地方交通線の営業成績(昭和53年度)[5]
地方交通線 幹線
営業キロ 9229.6 (41%) 13,447.6 (59%)
輸送量(人キロ・トンキロ) 104億(4%) 2269億(96%)
収支係数 445 135
人キロ・トンキロあたり経費 35円66銭 13円39銭
人キロ・トンキロあたり損失額 ▲27円65銭 ▲3円49銭

赤字ローカル線問題については、「鉄道の営業線(幹線鉄道網を形成する営業線として政令で定める基準に該当するものを除く)のうち、その運営の改善のための適切な措置を講じたとしてもなお収支の均衡を確保することが困難であるものとして政令で定める基準に該当する営業線」を地方交通線として選定し、運輸大臣の承認を受けることとされる(第8条)。これによって従来全国一律であった国鉄運賃は、地方交通線に限り割増運賃の導入が可能になった(第13条)[5]

また、「その鉄道による輸送に代えて一般乗合旅客自動車運送事業による輸送を行うことが適当であるものとして政令で定める基準に該当する営業線」(具体的には輸送密度が4,000人/日未満である路線)[6]は、特定地方交通線として廃止・転換対象とされた(第8条2)。この取組みにより、1990年(平成2年)までに83線3,157.2kmが国鉄あるいは国鉄分割民営化により路線を引き継いだJR各社から切り離され、新たに設立された第三セクター鉄道の路線や私鉄の路線、あるいはバスに転換された。

また、鉄道敷設法別表の規定により連綿と建設が続行されてきた日本鉄道建設公団の建設線についても、特定地方交通線と同じ基準で建設の続行の可否が判断され[5][2]北関東鹿島新線四国内山線を除くAB線(地方交通線)[注釈 2]の建設予算が凍結された。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 日本国有鉄道改革法等施行法第110条の規定により、この法律が施行された1987年4月1日付で廃止
  2. ^ 厳密にはA線が地方開発線、B線が地方幹線だが、通常は双方をまとめてAB線(地方交通線)と呼ばれていた。

出典[編集]

  1. ^ 菅原操「国鉄の地方線問題の経緯と将来動向」『土木学会論文集』第1985巻第353号、土木学会、1985年、1-10頁、doi:10.2208/jscej.1985.1 
  2. ^ a b c d e f g h i 昭和59年 運輸白書』運輸省、1984年。doi:10.11501/12064696https://www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/shouwa59/index.html 
  3. ^ a b 昭和56年度 運輸白書』運輸省、1981年、第1節 新たな国鉄経営再建対策の策定https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/286855/www.mlit.go.jp/hakusyo/transport/shouwa56/index.html 
  4. ^ 植田義明『国有鉄道』41(3)第405号、交通協力会、1983年3月、10-14頁、doi:10.11501/2277123 
  5. ^ a b c 片岡正彦「新たな局面を迎えた地方交通線問題」『国有鉄道』38(4)第370号、交通協力会、1980年4月、8-14頁、doi:10.11501/2277088 
  6. ^ 政令別表については、鉄道ジャーナルNO.276 1989年10月号pp.108-109参照

関連項目[編集]