天北線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
JR logo (hokkaido).svg天北線
稚内市内の天北線跡地。現在の天北通。
稚内市内の天北線跡地。現在の天北通。
概要
現況 廃止
起終点 起点:音威子府駅
終点:南稚内駅
駅数 30駅
運営
開業 1914年11月7日 (1914-11-07)
廃止 1989年5月1日 (1989-5-1)
所有者 National Railway Symbol of Japan.png 鉄道院→鉄道省
運輸通信省運輸省
Japanese National Railway logo.svg 日本国有鉄道(国鉄)→
JR logo (hokkaido).svg 北海道旅客鉄道(JR北海道)
路線諸元
路線総延長 148.9 km (92.5 mi
軌間 1,067 mm (3 ft 6 in)
最小曲線半径 300 m (984 ft)
電化 全線非電化
最急勾配 25.0
(宗谷本線稚内-天北線鬼志別間、1986年8月7日)

この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。

天北線(てんぽくせん)は、日本国有鉄道(国鉄)、および北海道旅客鉄道(JR北海道)が運営していた鉄道路線地方交通線)である。北海道中川郡音威子府村音威子府駅宗谷本線から分岐し、枝幸郡中頓別町・同郡浜頓別町宗谷郡猿払村を経て稚内市南稚内駅で再び宗谷本線に接続した。

国鉄再建法の施行により1985年(昭和60年)8月に第2次特定地方交通線に選定され、JR北海道に承継されて2年余り後の1989年(平成元年)5月1日に廃止された[新聞 1][新聞 2]

線名は、敷設されていた地域の旧国名、「塩国」と「見国」から採られている。

なお、特定地方交通線に指定された旧・国鉄の路線としては、最長の路線距離を持っていた。

路線データ(廃止時)[編集]

  • 管轄:北海道旅客鉄道(第一種鉄道事業者
  • 路線距離(営業キロ):音威子府駅 - 浜頓別駅 - 南稚内駅間 148.9 km
  • 駅数:30(起終点駅を含む)
  • 軌間:1,067 mm狭軌
  • 全線単線
  • 電化方式:全線非電化
  • 閉塞方式:タブレット閉塞式(併合閉塞は票券閉塞式)
    交換可能駅数:7(小頓別、敏音知、中頓別、浜頓別、鬼志別、曲淵、声問)
    • 1986年10月31日まで猿払、樺岡は交換設備があったが撤去。また、小石には交換設備がなかったが、1986年10月31日までは閉塞の取り扱いを行っていた。
    • 声問は路線廃止まで運転扱いの駅員が配置されていたが、乗車券発売は行っていなかった。

歴史[編集]

日本統治下の南樺太への連絡鉄道として建設された宗谷本線の当初のルートである。1922年に稚内まで全通した。1926年、音威子府 - 南稚内間に、より距離の短い天塩線幌延経由のルートで開通すると、1930年に天塩線が宗谷本線に編入され、音威子府 - 浜頓別経由 - 稚内の旧来のルートは北見線(きたみせん)として分離された。

音威子府から稚内へは天塩線ルートの方が短距離であるにも関わらず、大きく迂回する北見線ルートが相前後して先行開通し、複数の経路を持つに至った背景には、当時、オホーツク海沿岸地主による我田引鉄の意図があり、稚内連絡と同時にオホーツク海沿岸の地域開発が建設の名目にされたと言われている。

1961年10月1日の全国的な白紙ダイヤ改正(サンロクトオ)を機に、北見線は天北線に改称された[注釈 1]

1980年に国鉄再建法が成立すると、第2次特定地方交通線に指定されたが、冬季の代替輸送に問題があるとして北海道内の他の長大3線(名寄本線池北線標津線)とともに一時、廃止承認が留保された。しかし、結局1985年に問題が無くなったとして追加廃止承認され、国鉄分割民営化後の1989年5月1日に全線廃止となった。

廃止の時点まで、急行天北」が運行されていた。第三セクター鉄道など他の事業者に運営を引き継ぐことなく、優等列車が運行された状態で全線廃止となった路線は、国鉄・JRの歴史上当線が初めてである。

年表[編集]

  • 1914年大正3年)11月7日宗谷線の音威子府駅 - 小頓別駅間 (15.6km) が延伸開業[1]。同区間に上音威子府駅・小頓別駅を新設[2]
  • 1916年(大正5年)10月1日:小頓別駅 - 中頓別駅間 (26.8km) が延伸開業[1]。同区間に上頓別・敏音知・松音知・中頓別の各駅を新設[2]
  • 1918年(大正7年)8月25日:中頓別駅 - 浜頓別駅間 (19.0km) が延伸開業[1]。同区間に下頓別駅・浜頓別駅を新設[2]
  • 1919年(大正8年)
    • 10月20日:宗谷線が宗谷本線に改称[3][1]
    • 11月1日:浜頓別駅 - 浅茅野駅間 (15.2km) が延伸開業[1]。同区間に山軽駅・浅茅野駅を新設[2]
  • 1920年(大正9年)11月1日:浅茅野駅 - 鬼志別駅間 (17.1km) が延伸開業[1]。同区間に猿払・芦野・鬼志別の各駅を新設[2]
  • 1921年(大正10年)10月5日:宗谷本線が宗谷線に再改称。
  • 1922年(大正11年)
    • 11月1日:鬼志別駅 - 稚内駅(初代)間 (56.2km) が延伸開業[1]。同区間に小石・曲淵・沼川・樺岡・幕別・声問・稚内(初代)の各駅を新設[4][2][新聞 3]
    • 11月4日:宗谷線が宗谷本線に再改称。
  • 1926年(大正15年)9月25日:天塩線(音威子府駅 - 幌延駅 - 稚内駅(初代)間)が全通[3]。函館駅 - 浜頓別駅 - 稚内駅間直通1・2列車を幌延駅経由に変更[3]
  • 1928年昭和3年)12月26日:稚内駅(初代) - 稚内港駅間を延伸開業[3]。同区間に稚内港駅を新設[4]
  • 1930年(昭和5年)4月1日:天塩線が宗谷本線に編入され、旭川駅 - 幌延駅 - 稚内港駅間 (258.9km) が宗谷本線となる[5][3]。同時に、音威子府駅 - 浜頓別駅 - 稚内駅間 (149.9km) が宗谷本線から分離され、北見線に改称[1]
  • 1939年(昭和14年)2月1日:稚内駅(初代)を南稚内駅に改称。同時に、宗谷本線の稚内港駅を稚内駅(2代目)に改称[2]
  • 1949年(昭和24年)6月1日公共企業体日本国有鉄道(国鉄)に移管。
  • 1952年(昭和27年)11月6日:南稚内駅が移転。これに伴い、声問駅 - 南稚内駅間が改キロ (-1.0km)。
  • 1955年(昭和30年)
    • 12月1日:気動車の運行開始[1]
    • 12月2日:上駒・寿・常盤・飛行場前・宇遠内の各仮乗降場を新設[2]
  • 1956年(昭和31年)
  • 1959年(昭和34年)11月1日:新弥生仮乗降場を新設[2]
  • 1961年(昭和36年)
    • 4月1日:北見線が天北線に改称[1]
    • 11月1日:札幌駅 - 稚内駅間を当線経由で運行する急行「天北」新設[1]
  • 1963年(昭和38年)10月1日:幕別駅を恵北駅に改称。
  • 1965年(昭和40年)10月:天北栄仮乗降場を廃止(新設日不明)。
  • 1967年(昭和42年)10月1日:北頓別仮乗降場を廃止(新設日不明)。
  • 1969年(昭和44年)2月1日:山軽駅を無人化。
  • 1973年(昭和48年)9月17日:上音威子府・上頓別・松音知・芦野・小石・樺岡・恵北・声問の各駅を無人化し、出札・改札を中止。小石駅・樺岡駅・声問駅は閉塞扱いの運転要員のみに。
  • 1982年(昭和57年)
    • 6月1日:下頓別駅・浅茅野駅を無人化。
    • 11月22日:第2次特定地方交通線として廃止承認を申請[1]
  • 1984年(昭和59年)2月1日:全線 (148.9km) の貨物営業を廃止[1]
  • 1985年(昭和60年)8月2日:第2次特定地方交通線として、廃止承認。
  • 1986年(昭和61年)11月1日:猿払駅・沼川駅を無人化。猿払駅・樺岡駅の交換設備を廃止。小石駅の閉塞扱いを廃止。
  • 1987年(昭和62年)
    • 3月31日:恵野・周磨・上駒・寿・常盤・安別・飛行場前・宇遠内の各仮乗降場を、それぞれ駅に変更。新弥生仮乗降場を臨時乗降場に変更。
    • 4月1日:国鉄分割民営化に伴い、全線が北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継。新弥生臨時乗降場を季節営業の臨時駅(4月1日から11月30日まで営業)に変更。
    • 6月1日:恵北駅 - 声問駅間に東声問駅(臨時駅)を設置。この日のみ営業。
    • 11月10日:上音威子府駅を季節営業の臨時駅(4月1日から11月30日まで営業)に変更。新弥生駅(臨時駅)を通年営業に変更。
  • 1989年(平成元年)5月1日:全線 (148.9km) を廃止[1][新聞 1][新聞 2]し、宗谷バスのバス路線に転換。急行「天北」は宗谷本線経由に変更し、「宗谷」に統合。

運転[編集]

1989年3月11日改正時点の列車運転本数[6]

  • 急行「天北」札幌駅 - 音威子府駅 - 浜頓別駅 - 稚内駅間1往復
  • 普通列車
    • 音威子府駅 - 稚内駅間(全線直通) 下り6本、上り5本
    • 音威子府駅 - 浜頓別駅間 1往復 (朝上り1本、夜下り1本)
    • 稚内駅 → 曲淵駅間 夕方上り1本
    • 稚内駅 - 声問駅間 朝1往復(休日運休、ただし上り稚内駅→南稚内駅間は毎日運転)
  • 興浜北線廃止前は、興浜北線用の車両を併結した音威子府駅からの下り初列車を浜頓別駅で分割し、夜に上り終列車に併結して音威子府駅に戻るという興浜北線と一体化した運用がなされていた。

駅一覧[編集]

所在地の自治体名は、廃止時点のもの。全駅北海道に所在。

駅名 駅間
キロ
営業
キロ
接続路線 所在地
音威子府駅 - 0.0 北海道旅客鉄道:宗谷本線 上川支庁 中川郡音威子府村
(臨)上音威子府駅 5.4 5.4  
小頓別駅 10.2 15.6 歌登町営軌道1970年11月1日廃止) 宗谷支庁 枝幸郡 中頓別町
上頓別駅 5.0 20.6  
恵野駅 2.6 (23.2)  
敏音知駅 3.9 27.1  
周磨駅 4.1 (31.2)  
松音知駅 3.3 34.5  
上駒駅 2.9 (37.4)  
中頓別駅 5.1 42.5  
寿駅 4.1 (46.6)  
新弥生駅 1.4 (48.0)  
下頓別駅 3.6 51.6   浜頓別町
常盤駅 3.2 (54.8)  
浜頓別駅 6.7 61.5 日本国有鉄道:興浜北線(1985年7月1日廃止)
山軽駅 6.2 67.7  
安別駅 2.7 (70.4)   宗谷郡猿払村
飛行場前駅 2.4 (72.8)  
浅茅野駅 3.9 76.7  
猿払駅 6.2 82.9  
芦野駅 4.5 87.4  
鬼志別駅 6.3 93.7  
小石駅 5.3 99.0  
曲淵駅 17.7 116.7   稚内市
沼川駅 4.3 121.0  
樺岡駅 6.2 127.2  
恵北駅 9.1 136.3  
(臨)東声問駅 - -  
声問駅 5.5 141.8  
宇遠内駅 5.0 (146.8)  
南稚内駅 2.1 148.9 北海道旅客鉄道:宗谷本線

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ 1942年6月10日に常呂郡野付牛町が市制施行する際、旧北見国で最初の市であることから北見市となり、網走本線野付牛駅も同年10月1日に北見駅に改称された。北見線は北見駅を通らず地理的にも離れているため、北見駅と北見線と紛らわしい状態が続いていた。

出典[編集]

新聞記事[編集]

  1. ^ a b “天北・名寄線廃止”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1989年5月1日)
  2. ^ a b “道内長大3線廃止 バス転換から1年 天北線 名寄本線 標津線”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1990年5月2日)
  3. ^ “宗谷線の全通 一日から稚内まで”. 中外商業新報神戸大学附属図書館新聞記事文庫) (中外商業新報社). (1922年11月2日). オリジナル2012年2月16日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20120216111416/http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00101341&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1 2012年2月16日閲覧。 

参考文献[編集]

書籍[編集]

雑誌[編集]

外部リンク[編集]