中頓別駅

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中頓別駅
なかとんべつ
Naka-Tombetsu
上駒 (5.1* km)
(4.1* km) 寿
所在地 北海道枝幸郡中頓別町字中頓別
北緯44度58分26.3秒 東経142度17分32.8秒 / 北緯44.973972度 東経142.292444度 / 44.973972; 142.292444
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 天北線
キロ程 42.5 km(音威子府起点)
電報略号 ナト
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
開業年月日 1916年大正5年)10月1日[1]
廃止年月日 1989年平成元年)5月1日[1]
備考 天北線廃線に伴い廃駅
*キロ程は実キロ(営業キロは最後まで設定されなかった)
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1977年の中頓別駅と周囲約750m範囲。上が浜頓別方面。単式ホーム2面2線を持ち、駅舎横の浜頓別側に貨物ホームと引込み線、そこから浜頓別側へ留置線が伸びている。また、駅裏側には2本の副本線がある。音威子府側には下に見える木工場へ短い引込み線が見える。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

中頓別駅(なかとんべつえき)は、北海道宗谷支庁枝幸郡中頓別町中頓別にかつて設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線廃駅)である。電報略号ナト事務管理コードは▲121906[2]

天北線廃止時まで運行されていた、急行天北」の停車駅であった。

歴史[編集]

駅名の由来[編集]

頓別川の中流域にあることから「中」を冠した[7][8]。なお、中頓別村(→中頓別町)の成立は当駅開業後の1916年である。

駅構造[編集]

廃止時点で、単式ホーム2面2線を有する地上駅であった。ホームが千鳥式に配置された、列車交換可能な交換駅であった[9]。互いのホームは、駅舎側ホーム北側と対向ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した[9]。駅舎側ホーム(西側)が下り線、対向ホーム(東側)が上り線となっていた[9]。貨物用の側線などは撤去されていたが、下り線の浜頓別方から駅舎側に分岐た元貨物側線の留置線が、保線車両(モーターカー)用に残されていた。1983年(昭和58年)時点では駅舎の対向側の単式ホームは島式ホームであり(両側とも乗降可能)[9]、上り線から分岐しその島式ホーム外側への側線を1線と、そこから南稚内方に分岐する行き止まりの側線を1線有していた[9]

職員配置駅となっており、駅舎は構内の西側に位置し両ホームとは通路及び構内踏切で連絡した。1975年(昭和50年)に中頓別町が国鉄利用債を購入して鉄筋コンクリート製に改築した駅舎で[9]、駅舎に当時のローカル線では珍しい水洗式のトイレを有していた[9]

利用状況[編集]

  • 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は263人[9]
乗車人員推移[10]
年度 1日平均人数
1921 232
1935 114
1953 317
1965 485
1970 430
1980 263

駅周辺[編集]

駅跡[編集]

中頓別バスターミナルと展示されているキハ22形

駅舎は解体され[15]、旧駅構内は1990年(平成2年)11月に中頓別町により整備され木造の中頓別町バスターミナルビルを核とする天北線メモリアルパークが完成した[6]

宗谷バスが窓口を設置し、元は天北線代替バスであった路線バス天北宗谷岬線と都市間バス「天北号」が乗り入れていたが、2023年令和5年)9月30日限りで路線バス天北宗谷岬線と窓口は廃止となり、浜頓別バスターミナル音威子府駅との間はデマンドバスでの運行となっている[16]

またバスターミナル2階には鉄道記念館が開設され、閉塞器保線用具、備品、「さよなら記念グッズ」などが保存・展示されている[17]。駅前広場は「天北線メモリアルパーク」として、キハ22形キハ22 208静態保存・展示されている。車両は細谷建設が取得した後に中頓別町に寄贈されたものである[18]。また修復された腕木式信号機も設置されている。キハ22 208はゲートボール利用者の休憩室としても使用されており[17]、現役時代とは異なる派手な青に塗色されている[19][20]。2010年(平成22年)時点でも同様で[21]、2014年(平成26年)4月時点でも同様であった[19]

保存車両の塗色は青色に変更されているが、屋外展示のため風化しており、国鉄カラーに塗り直す計画がある[18]

隣の駅[編集]

北海道旅客鉄道
天北線
上駒駅 - 中頓別駅 - 寿駅

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、905頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、240頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362023年2月11日閲覧 
  3. ^ 内閣印刷局, ed (1916-09-27). “鉄道院告示 第46号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (1248). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2953359/1. 
  4. ^ a b c d e 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 20号・宗谷本線/留萌本線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年11月2日、14-17頁。 
  5. ^ a b 「中頓別駅が落成」『交通新聞』交通協力会、1975年12月12日、1面。
  6. ^ a b 「公園全面完成 駅周辺が一変 中頓別」. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1990年11月30日)
  7. ^ 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、84頁。NDLJP:1029473 
  8. ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、186頁。ASIN B000J9RBUY 
  9. ^ a b c d e f g h i j 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)188ページより。
  10. ^ 中頓別町史 平成9年5月発行 P397/8,855,858
  11. ^ 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)17ページより。
  12. ^ 『北海道道路地図 改訂版』16ページより。
  13. ^ 書籍『蒸気機関車完全名鑑 ビジュアル改訂版』(廣済堂ベストムック2011年1月発行)39ページより。
  14. ^ 書籍『写真で見る北海道の鉄道(下)』(編:北海道新聞社、北海道新聞社、2002年12月発行)67ページより。
  15. ^ a b 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)244-247ページより。
  16. ^ 「浜頓別-音威子府が終了 天北線代替バス 窓口スタッフ「寂しい」」『北海道新聞北海道新聞社、2023年10月5日、朝刊/旭B、15面。
  17. ^ a b 書籍『全国保存鉄道III 東日本編』(監修:白川淳、JTBパブリッシング、1998年11月発行)45ページより。
  18. ^ a b 天北線列車、懐かしの国鉄カラーに 屋外展示で風化、中頓別の有志修復へ(北海道新聞、2021年5月28日)2021年5月28日閲覧
  19. ^ a b “JR天北線廃止25年 住民の足 面影今も”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2014年4月28日)
  20. ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くIV』(JTBパブリッシング1997年12月発行)24-25ページより。
  21. ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)17ページより。

関連項目[編集]