国鉄ソ80形貨車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
国鉄ソ80形貨車
前期形のロソ81と控車のチキ6147 2007年5月9日、三笠鉄道記念館
前期形のソ81と控車のチキ6147
2007年5月9日、三笠鉄道記念館
基本情報
車種 事業用車操重車
運用者 日本国有鉄道
所有者 日本国有鉄道
製造所 国鉄浜松工場日立製作所
製造年 1956年(昭和31年)
製造数 21両
消滅 2001年(平成13年)
常備駅 稲沢駅長万部駅、他
主要諸元
車体色 淡緑色+黄1号の帯、黄1号
軌間 1,067 mm
全長 10,000 mm
全幅 2,900 mm
全高 4,010 mm
荷重 65* t
自重 83.0 t
換算両数 8.5
台車 三軸ボギー
台車中心間距離 4,300 mm
最高速度 65 km/h
備考 *扱い荷重
テンプレートを表示

国鉄ソ80形貨車(こくてつソ80がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)に在籍した事故救援用操重車事業用貨車)である。鉄道車両脱線事故や転覆事故の復旧に使用された。回転式キャブとクレーンを装備している。また、クレーンのブームを収めるための控車である長物車を伴っている。

概要[編集]

1956年昭和31年)から1969年(昭和44年)にかけて、国鉄浜松工場および日立製作所で21両(ソ80 - ソ99, ソ180)が製造された。操重車の中でもソ30形とともに大型に分類され、扱い荷重は最大で 65t となっている。ソ30形を基本として、動力に何かと欠点の多かった蒸気機関に代え、ディーゼルエンジンを採用したものである。本形式は、大別して前期形(ソ80 - ソ83)、中期形(ソ84 - ソ97)、後期形(ソ98, ソ99, ソ180)の3種に分類される。

外部塗装は当初は全車淡緑色であったが、1968年(昭和43年)10月1日ダイヤ改正では高速化不適格車とされて最高速度65km/hの指定車となり、識別のため記号に「」が追加され「ソ」となり黄色(黄1号)の帯を巻いた。その後全般検査の際に、黄1号の1色塗りに変更された車が存在した。この色違いの明確な基準はなく、全般検査の際に入場する工場の違いによるものと思われる。

前期形[編集]

ブームの構造や主巻、補巻等の性能はソ30形と変わらず、走行装置の形状も同一である。動力としてディーゼルエンジン(DMH17, 160PS)を採用し、すべての操作を電気によって行うディーゼル電気式で、制御方式はワードレオナード方式である。台車内には自走用の電動機を各台車に1基ずつを装備する。

外観上は、ウインチ部分が覆われている。

中期形[編集]

ソ84からは、何かと問題の多かった補巻を廃止して主巻だけとし、それを補うため巻上げ速度を重量に応じた3段階とした。また、クレーンの駆動方式は油圧式とし、他の操作もすべて油圧式に変更された。ブームの先には補助フック (20t) を有し、これを用いることでブームを倒したままの作業も可能となり、電化区間での作業性も良くなった。自走用の動力も油圧式に変更されている。

それにともない、動力は日野DA59 (130PS) に変更された。

後期形[編集]

後期形のソ180と控車のチキ6132(佐久間レールパーク)

1969年(昭和44年)に製造されたグループで、日本最後の事故救援用操重車である。基本は中期形と同一であるが、ブームの形状や仰俯装置が大幅に変更され、機械室の窓もHゴム支持とされた。特にブームは従来の「く」の字型から直線形状となり、印象を大幅に変える要素となっている。下回りでは、操重車としては初めて車軸がコロ軸受とされているのが特徴的である。

21両目の番号は、すでにソ100形が存在したことから、180に飛んでいる。

配置[編集]

1980年(昭和55年)時点の常備駅(配置局)は次のとおりである。

1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化に際しては、中期形以降の9両が事故救援用として旅客鉄道各社へ引き継がれた。その時点の配置区所と常備駅は次のとおりであった。

その後順次廃車となり、最後まで在籍した盛岡運転所配置のソ91が2001年(平成13年)10月2日に廃車になったことにより形式消滅した。

保存車[編集]

参考文献[編集]

  • 埴岡寿一「われら影武者軍団 国鉄の事業用車2 貨車編」 鉄道ファン 1980年7月号(No.231)
  • 「JR気動車客車情報 88年版」ジェー・アール・アール
  • 貨車技術発達史編纂委員会「日本の貨車-技術発達史-」2009年、社団法人日本鉄道車輌工業会

関連項目[編集]