新鶴見信号場
新鶴見信号場 | |
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![]() 構内(2004年6月) | |
しんつるみ Shin-Tsurumi | |
![]() | |
所在地 | 神奈川県川崎市幸区鹿島田・小倉 |
所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
電報略号 | ツソ(本線)、ハタ(割畑) |
開業年月日 | 1929年(昭和4年)8月21日 |
乗入路線 3 路線 | |
所属路線 | 東海道本線貨物支線(品鶴線)* |
キロ程 | 13.9 km(品川起点) |
◄新川崎 (1.2 km) (3.9 km) 鶴見► | |
所属路線 | 武蔵野線(武蔵野南線)* |
キロ程 | 3.9 km(鶴見起点) |
◄鶴見 (3.9 km) (8.8 km) 梶ヶ谷(タ)► | |
所属路線 | 南武線貨物支線(尻手短絡線) |
キロ程 | 1.5 km(尻手起点) |
◄尻手 (1.5 km) (3.9 km) 鶴見► | |
* 新鶴見信号場 - 鶴見間は同一路線を共用。 |
新鶴見信号場(しんつるみしんごうじょう)は、神奈川県川崎市幸区鹿島田・小倉にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の信号場である。
かつての新鶴見操車場で、ヤード集結形貨物輸送の終結に伴い一部機能を残して、1984年(昭和59年)に信号場に格下げされ、約42 ha(うち川崎市約30 ha、横浜市約12 ha)の広大な跡地の多くは長らく更地となっていたが、1990年代の末から再開発が行われてきている。
乗り入れ路線[編集]
概要[編集]
上記3路線の結節点であり、1日に200本以上の貨物列車が発着し、長距離貨物列車の中継地点としての役割を果たしている。
構内には上下本線2本と着発線が1番線から11番線まで存在する。信号場の鶴見方には乗務員基地と車両基地である新鶴見機関区が併設されているため、乗務員交代もしくは機関車の付け替え(機関車交換)を行う列車を中心に運転停車を行う。1、2分程度の運転停車や通過する列車は本線に、機関車交換や折り返しなどで数十分停車する列車は着発線に入線する。他に、東海道貨物線経由の相鉄線直通列車・特急「湘南」や関連の回送列車、団体専用列車や臨時列車などの一部旅客列車についてもこの信号場を経由している。
なお、構内の鶴見寄りにある東海道貨物線と南武線(尻手短絡線)の合流点には、同じ新鶴見信号場構内でも割畑(わりはた)と呼ばれる信号場がまた存在する。時刻表等では新鶴見(割畑)もしくは単に割畑、電略表記では「ハタ」と記される。ここには東海道貨物線の上下本線の間に鶴見・尻手方面へ向けて機関車用の有効長の短い着発線1本が敷かれ、新鶴見機関区の機留線群との間で単機回送列車が直接入出区ができるようになっている。このため、実際にこの信号場を発着する列車は、新鶴見機関区へ入出区する単機回送列車のみに限られている。
歴史[編集]
貨物量の増加に伴い、当時の東京の東海道本線の貨物拠点駅であった汐留駅や品川駅の負担を分散するために、東海道本線貨物支線の品鶴線開通と同時に営業を開始。車両基地も置かれ、東海道本線と東北本線や中央本線を結ぶ貨物列車の中継点(入換作業が行われた)として、貨物列車のシステムチェンジが行われる1984年(昭和59年)まで、半世紀以上に渡り、大宮操車場や田端操車場などとともに、東京周辺の主要な操車場として機能した。
南武線との連絡に関しては現在は1951年(昭和26年)に敷設された尻手短絡線が使用されているが、操車場の開業当初は南武鉄道が向河原駅から短絡線を建設、操車場に隣接して市ノ坪駅を設置して貨物の授受を始めた(南武鉄道国有化時に市ノ坪駅は新鶴見操車場に統合)。1973年に向河原駅からの短絡線が廃止され、同時にそれまで営業キロ設定のなかった尻手短絡線が正式に営業路線として開業して現在に至っている。
年表[編集]
- 1929年(昭和4年)8月21日:国鉄新鶴見操車場開設。
- 1937年(昭和12年):カーリターダー設置(試験導入、2基、日本初)。
- 1945年(昭和20年):カーリターダー、戦災によって使用停止。
- 1969年(昭和44年)12月7日:操作場内に火炎瓶が投げ込まれて炎上するテロが発生。通過予定の弾薬を積んだ貨車を狙った過激派の犯行[2]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:信号場に降格、新鶴見信号場となる。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR東日本の施設となる。
周辺[編集]
跡地利用の現状[編集]
跡地は国道1号付近から横須賀線沿いに、新川崎駅付近まで延びる。横浜市側の跡地のうち、比較的細長い土地は、一戸建て住宅の敷地として分譲された。広い用地が確保できた新鶴見・江ヶ崎地区には、総合病院やマンション、横浜市立新鶴見小学校や老人ホームが建設された。
江ヶ崎跨線橋の市境を挟んで川崎市側には、小倉地区と新川崎地区に分けられる広大な跡地が広がる。川崎市では、1991年(平成3年)に都市拠点総合整備計画を策定し、都市計画道路の整備、横須賀線の新駅設置、ドーム型運動施設(老朽化した川崎球場に代わるドーム球場または一般野球場)の建設など、川崎市の副都心として大々的に整備することを発表し、また、川崎市営地下鉄予定線の車両基地として整備することも検討された。しかし、経済状況の変化によって財政事情が厳しくなり、計画は大幅に見直すことを余儀なくされた。2000年(平成12年)に、慶應義塾大学が新川崎タウンキャンパス(K²タウンキャンパス、Kスクウェアタウンキャンパス)を置いたほかは、新川崎地区・小倉地区とも、長らく更地とされてきた。
ようやく2005年(平成17年)1月に、川崎都市計画新川崎地区地区計画を決定すると、新めて再開発が始動した。計画によれば、新川崎駅より北側のA街区は「ものつくり」、新川崎駅周辺のB街区は「商業・業務・住宅複合」、B街区とK²タウンキャンパスに挟まれたC街区は「商業・住宅複合」、K²タウンキャンパスを中心としたD街区は「創造のもり」、小倉地区を中心としたE街区は「研究開発」の機能をそれぞれ担わせる。この計画に沿って、長谷工コーポレーションら6社がマンションの建設中であり、2007年(平成19年)にはパイオニアが研究開発施設を設け(2009年〈平成21年〉には本社も移転)[注 1]、2008年(平成20年)には島忠ホームズ新川崎店[注 2]が開店した[5]。またA街区では、自然科学系の研究開発機関又は研究開発型の高度な技術力をもつ中堅・中小製造業の立地誘導を図るため、これらを対象とした入札による売払(貸付)を実施した。2009年(平成21年)現在も未決定区画について引き続き誘致を行っている。
また、前身である東北本線荒川橋梁および常磐線隅田川橋梁の時代から100年以上が経過し老朽化が進んでいた江ヶ崎跨線橋についても、2007年(平成19年)より架替がおこなわれ[6]、2013年(平成25年)3月28日に新橋梁が開通した[7]。撤去された旧橋梁のうち、旧隅田川橋梁のプラットトラス1連が短縮の上で横浜市中区新山下にある霞橋の架け替えに再利用されることになり、こちらも2013年(平成25年)3月21日より供用されている[8]。
隣の駅[編集]
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)
- 東海道本線貨物支線(品鶴線)
- 武蔵野線(武蔵野南線)
- 鶴見駅 - 新鶴見信号場 - 梶ヶ谷貨物ターミナル駅
- 南武線貨物支線(尻手短絡線)
- 尻手駅 - 新鶴見信号場 - 鶴見駅
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
- ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
- ^ 弾薬列車の通過寸前 火炎瓶を投げる 新鶴見操車場『朝日新聞』1969年(昭和49年)12月8日朝刊 12版 15面
- ^ “パイオニア株式会社 本社不動産売却および移転についてのお知らせ” (PDF). パイオニア株式会社 (2015年10月5日). 2015年11月1日閲覧。
- ^ “富士通、パイオニア本社跡に 川崎・新川崎地区”. カナロコ. 神奈川新聞社 (2015年11月30日). 2017年7月10日閲覧。
- ^ “ホームズ 新川崎店”. 横浜市鶴見区エリアガイド|住みたい街がきっとみつかるエリアガイド【itot】. 株式会社ココロマチ. 2017年7月10日閲覧。
- ^ 江ヶ崎跨線橋架替事業について - 川崎市
- ^ 江ヶ崎跨線橋の開通について - 横浜市記者発表資料(2013年3月22日) (PDF)
- ^ 貴重な土木遺産を再利用した「霞橋」の開通について - 横浜市記者発表資料(2013年3月15日) (PDF)
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 新鶴見操車場 - 川崎市幸市民館日吉分館
- 新川崎地区整備事業 - 川崎市
- 新川崎A地区を歩く - ウェイバックマシン(2009年9月12日アーカイブ分)
- 「昔の新鶴見操車場に関連する資料を探している。参考になる資料があれば教えてほしい。」(神奈川県立川崎図書館) - レファレンス協同データベース