国鉄キ100形貨車

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国鉄キ100形貨車
キ165(京都府与謝野町「加悦SL広場」の保存車)
キ165(京都府与謝野町「加悦SL広場」の保存車)
基本情報
運用者 鉄道省
日本国有鉄道
日本貨物鉄道
製造所 苗穂工場大宮工場浜松工場土崎工場郡山工場飯野産業立山重工業
種車 キ400形
製造年 1928年(昭和3年) - 1956年(昭和31年)
製造数 176両
改造所 苗穂工場、新津工場
改造年 1953年(昭和28年)
改造数 18両
消滅 1989年(平成元年)
常備駅 名寄駅岩見沢駅、他
主要諸元
車体色 +黄1号の帯
軌間 1,067 mm
全長 11,011 mm - 11,390 mm
4,500* mm
全幅 2,621 mm
全高 4,015 mm
自重 30.7 t - 32.4 t
換算両数 3.0
台車 TR20又は前位TR42、後位TR41
車輪径 860 mm
台車中心間距離 6,500 mm
最高速度 65 km/h
備考 *翼全開時
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国鉄キ100形貨車(こくてつキ100がたかしゃ)は、かつて鉄道省日本国有鉄道(国鉄)及び1987年昭和62年)4月の国鉄分割民営化後は日本貨物鉄道(JR貨物)に在籍した事業用貨車単線ラッセル式雪かき車)である。

キ100形キ228
北上線で使用された北上市立公園展勝地での保存車)
名寄本線を走るキ100形(1973年3月)

概要[ソースを編集]

キ100形は、国鉄初の単線用鋼製ラッセル除雪車として、1928年(昭和3年)12月28日から1956年(昭和31年)にかけて176両(キ100 - キ257、キ276 - キ293)が苗穂大宮浜松土崎郡山の各国鉄工場と、飯野産業(飯野重工業)・立山重工業において製造された。

また1953年(昭和28年)に苗穂工場、新津工場において単線用木製ラッセル車キ400形(2代)18両(キ400 - キ407,キ409 - キ418→キ258 - キ275)を鋼体化改造した。その結果キ400形は形式消滅しキ100形に編入したものである。(これは昭和27年度貨車更新修繕 1952年(昭和27年)5月23日通達車客修第711号に基づくものである)改造前(キ400形)の常備駅が北海道内の車は苗穂工場で、残りの車は新津工場という分け方で改造工事を行った。

機関車に押されて走行しながら、くさび形になった前頭部で線路上の雪をすくい上げ、左右に付いた翼のようなものではね飛ばして除雪する。形状としては、前述のように前頭部がくさび形をしているため船舶のように見え、また、機関車の前位に連結されることが前提のため、運転席のような前面窓や前照灯を備えており、機関車のような形状をしている。

構造[ソースを編集]

構造的には前部が操縦室と一体になったラッセル部、後部が機械室となっている。

ラッセル前頭部はくさび形となっており、ここで線路上に積もった雪を掻き分ける構造となっている。この前頭形状については、当初はキ100 - キ143が農具ののように下部が延びた延鋤形、キ144 - キ172がラッセル面が曲面状の流線形、キ173 - キ293はラッセル面が平板の直線形となっていたが、その後直線形の優位性が認められたため、大部分が直線型に改造された。ただ、直線型といっても製造及び改造された工場によって微妙に形状に差異があり、ラッセル部上部にあるひさし状の雪返し(掻き分けた雪がラッセル部の上に巻き上がって運転室からの視界を遮らないようにするための庇状の部分)の長さや先端部形状、ラッセル面と雪返しとの接合部分の曲面のRの大きさ等が車輌によって異なっている。また、キ273については、1962年に除雪抵抗の減少を図るという目的で前頭部形状が試験的にパラボラ形(後方に若干傾斜した円筒形に近い)に改造されたが、排雪抵抗は約60%に減少したものの抵抗が減ったために投雪距離が短く、線路の両側に雪の壁ができてしまい保線に不都合が生じる事が判明。このため他車への追加改造は行われなかった。

ラッセル前頭部の「舳先」部分の最下端には、フランジャと呼ばれる可動式の爪があり、踏切分岐器等支障のある箇所以外ではこのフランジャを下ろして線路間に溜まった雪を除雪する。

操縦室の前面形状は、前頭形状と同様にこれも車両によって異なっており、ラッセル部と同じ角度を持つV字形や三面形、平形(非常に緩い角度のついたV字形)等の形状があり、前面窓数もV字形は4枚、三面形が3枚、平形が2枚となっている。後年、前面窓への着雪防止から旋回窓を取り付けた車両や、前面窓をHゴム支持化した車両も見受けられた。また、視界確保の点から、前面窓部に箱状の雪除け覆いのようなものを改造・設置した車両も存在した。

前照灯は150W形のLP42が取り付けられているのが標準であるが、視界困難な状況で運用されることを反映してか、250W形のLP403やシールドビームに換装したもの、補助灯を追加設置したものも比較的良くみられた。また、つららによる破損防止等の目的で、前照灯に庇や円筒形のカバーが付けられているものが多かった。

操縦室後ろにある機械室の左右側面には大型の除雪翼があり、これを左右に展開することにより、前頭ラッセル部が掻き分けた雪をさらに線路脇に押し退けることができる。この左右除雪翼や前頭ラッセル部下端のフランジャを動作させるのは全て空気シリンダによって行われているため、機械室屋根には機関車から送られてくる圧縮空気を溜めておくエアタンクを6基備えている。

台車は、戦前製のものはアーチバー式のTR20、戦後製はベッテンドルフ式のTR41を装備しているが、前位の台車は除雪時の安定性確保の面から、枕ばねのない構造(TR42)となっている。

経過[ソースを編集]

両数表
年度 両数
1951 147
1952 175
1953 180
1954 188
1955 191
1956 193
1960 193
1965 168
1970 127
1975 95
1980 41
1985 6

本形式は、除雪車の主力として全国の降雪地帯で使用されたが、除雪列車の近代化と経費削減の観点からラッセル式除雪装置の付いたディーゼル機関車DD15形DD21形DE15形の増備や機械扱いの排雪モーターカーの普及により、老朽化も相まって次第に姿を消していった。大半の車両は1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化以前に廃車となっているが、標津線用としてキ176, キ276の2両が北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承された。これら2両も1989年(平成元年)の標津線廃止により廃車となり、本形式も全廃となった。

なお、一部車輌は国鉄時代に他社への譲渡がなされ、2015年現在も稼動状態にある車輌も存在する。

他社への譲渡[ソースを編集]

  • 1968年(昭和43年)5月キ116が新潟交通に譲渡され、キ116となった。1999年(平成11年)路線廃止により廃車。
  • 1968年(昭和43年)キ104が弘南鉄道に譲渡され、キ104となった。
  • 1968年(昭和43年)キ120が津軽鉄道に譲渡され、キ101となった。
  • 1969年(昭和44年)キ134が小坂鉄道に譲渡され、キ115となった。この車番は、譲渡前の配置が新津区であったことから導入に際し「イチゴ(エチゴ)」を充てられたことに由来する[1]。エメラルドグリーンの塗色で文字通りの異色の存在であった[1]。2008年(平成20年)路線休止(廃止)により廃車。なお旧小坂駅跡に設けられた小坂鉄道レールパークにて排雪ウィングの稼働する動態保存がなされている[1]
  • 1975年(昭和50年)キ157が弘南鉄道に譲渡され、キ105となった。

この内、津軽鉄道と弘南鉄道の車両が現用となっている。

他形式への改造[ソースを編集]

キ100形の内31両は、1961年(昭和36年)から1968年(昭和43年)にかけて旭川工場、土崎工場新津工場松任工場長野工場にて、複線用ラッセル車であるキ550形(キ589 - キ599、キ1550 - キ1569)に改造された。

民間向けの同形車[ソースを編集]

三菱石炭鉱業大夕張鉄道キ1

キ100形に準じた設計で苗穂工場で2両製造されている。

保存車[ソースを編集]

新潟交通キ116

ギャラリー[ソースを編集]

脚注[ソースを編集]

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  1. ^ a b c 小坂鉄道レールパーク(公式ホームページ). “保存車両図鑑”. 2015年2月16日閲覧。

参考文献[ソースを編集]

  • 岩成政和「ファンから見た排雪列車と除雪用機関車」、『鉄道ピクトリアル』 No. 814、2009年2月
  • 澤内一晃「私鉄雪掻車ものがたり」『J train』No.31 2008年
  • 渡辺喜一「除雪貨車の現況」『レイルマガジン』No.37 1987年1月号